天皇(読み)テンノウ

デジタル大辞泉 「天皇」の意味・読み・例文・類語

てん‐のう〔‐ワウ〕【天皇】

 
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すめろ‐ぎ【天皇】

《「すめろき」とも》「すめらぎ」に同じ。
「―のす国なればみこと持ち立ち別れなば後れたる君はあれども」〈・四〇〇六〉

すべら‐ぎ【天皇】

《「すべらき」とも》「すめらぎ」に同じ。
「―の天の下知ろしめすこと」〈古今・仮名序〉

すめら‐ぎ【天皇】

《「すめらき」とも》天皇てんのう。すめろぎ。
「―の近江の宮に作りおきし時のまにまに御世もたえせず」〈日本紀竟宴和歌

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精選版 日本国語大辞典 「天皇」の意味・読み・例文・類語

てん‐のう‥ワウ【天皇】

 

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すめら‐みこと【天皇】

  1. 〘 名詞 〙 天皇(てんのう)を敬い尊んでいう語。すべらみこと。
    1. [初出の実例]「還使に付(さつ)けたまはむと請(まう)す。天朝(スメラミコト)許したまはず」(出典:日本書紀(720)皇極元年二月(岩崎本平安中期訓))

すめら‐ぎみ【天皇】

  1. 〘 名詞 〙すめろき(天皇)
    1. [初出の実例]「琴の音のあはれなればや数梅羅機瀰(スメラキミ)ひだのたくみの罪をゆるせる〈葛井清鑑〉」(出典:日本紀竟宴和歌‐天慶六年(943))

てん‐こう‥クヮウ【天皇】

  1. 天地人三才の思想に基づく、中国古代の伝説上の帝王。三皇のはじめ。
    1. [初出の実例]「漢家年代〈略〉三皇 天皇 地皇 人皇」(出典:愚管抄(1220)一)
    2. [その他の文献]〔史記‐秦始皇本紀〕

すめら‐ぎ【天皇】

  1. 〘 名詞 〙すめろき(天皇)
    1. [初出の実例]「天皇 スメラギ〔宣〕」(出典:書陵部本名義抄(1081頃))

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改訂新版 世界大百科事典 「天皇」の意味・わかりやすい解説

天皇 (てんのう)




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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天皇」の意味・わかりやすい解説

天皇
てんのう

日本国憲法(第1章)に定められた日本国および日本国民統合の象徴。天皇の地位をさす場合と、天皇の地位にある特定の個人をさす場合とがある。7世紀ごろ大和(やまと)朝廷の大王(おおきみ)が用いた称号に始まり、その権能は古代、中世、近世、近代と変遷を経て、現代の象徴天皇制に及んでいる。

[村上重良]

天皇の称号


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歴史上の天皇

古代

6~7世紀に、大和朝廷の大王は、キミ、ワケとよばれる各地の王を服属させて権力を強大にし、古代統一国家を形成した。8世紀には律令国家が確立し、祭司王としての天皇の権威と権力の根源をなす年ごとの新嘗祭(にいなめさい)は、天皇が神と一体となるもっとも重要な皇室祭祀となった。新たに天皇が即位すると、一代一度の新嘗祭の大祭を行い、大嘗祭(だいじょうさい)と称した。古代天皇制国家は平安前期に最盛期を迎え、天皇は政治上の統治権と、国の祭祀をつかさどる祭祀権を保持し、その権威と権力は『古事記』『日本書紀』の神話によって根拠づけられた。天皇の宗教的権威は仏教、道教・陰陽道(おんみょうどう)、儒教によって補強され、皇室の仏教化が進行したが、神祇祭祀の原基をなす皇室祭祀は、道教の儀礼を積極的に取り入れて、仏教との習合を拒み続けた。皇位のしるしとされる鏡、剣、璽(たま)の三種の神器は、歴代の天皇によって受け継がれ、思想的、道徳的に意義づけられた。天皇の統治権は、藤原氏の摂関政治と、これに続く院政によって力を弱めた。

[村上重良]

中世

12世紀末、鎌倉幕府が成立し、王朝勢力は政治の実権の大半を失った。たび重なる幕府との抗争に敗れて、天皇の統治権はしだいに有名無実となった。しかし、皇室祭祀の厳修は朝廷の最重要事とされ、大嘗祭の挙行にあたっては、売官等による資金の調達が行われた。14世紀なかばには、建武(けんむ)中興によって天皇の親政が復活したが、わずか3年で崩壊した。こののち半世紀余にわたり、南北朝が併立して抗争が続いた。皇統の分立で天皇の権威は低下し、南北朝合一後の15~16世紀には、朝廷は極度に衰微した。皇室祭祀の中心をなす新嘗祭は、15世紀なかばから220年にわたって廃絶した。大嘗祭も、この時期から225年間、明確な挙行の記録がなく、新嘗祭とともに江戸中期に再興された。立坊(りつぼう)(立太子礼(りったいしれい))は、14世紀後半から315年にわたって廃絶し、江戸中期に再興された。

[村上重良]

近世

16世紀後半から17世紀初頭に全国を統一した織豊(しょくほう)政権と、それに続く江戸幕府は、天皇を擁して、自らの政治支配を正当化し権威づけた。古代以来の律令制は形のうえでは生き続けていたから、幕府は朝廷に小大名なみの御料(領地)と公家(くげ)領を増進し、幕府の援助で祭祀、行事を再興して、天皇の権威を強化した。しかし、幕府は天皇が政治上の実権をもつことは許さず、朝廷を厳しい統制下に置いた。天皇は、名目的な作暦、改元、叙位任官の権限を保持していたにすぎなかった。幕府の尊王擁幕の姿勢は、やがて尊王論の発達を促す結果となり、江戸後期には、神道(しんとう)、国学、水戸学、儒教などにたつ擁幕あるいは反幕の尊王論が盛んになった。幕末、開国をめぐる政争の過程で、幕府は朝廷に異例の条約勅許を請い、天皇の政治的復活に道を開いた。1860年代には江戸と京都の二重政権が成立し、倒幕勢力は天皇を擁して幕府を打倒した。

[村上重良]

近代

1868年(慶応4・明治1)の明治維新によって、王政復古が実現し、祭政一致が政治理念の基本として掲げられた。近代天皇制における天皇の地位は、1889年(明治22)制定の大日本帝国憲法と旧「皇室典範」によって確立した。天皇は、国の元首として政治大権(統治権)、軍の統率者として軍事大権(統帥権(とうすいけん))を一身に保持するとともに、伝統的な祭祀大権を有し、しかも、天皇自身は神聖不可侵な現人神(あらひとがみ)とされた。現人神の観念は、人と神の間に断絶のない日本古来の神観念からかけ離れた一神教の神観念を取り入れたもので、天皇は絶対的真理と普遍的道徳を体現する至高の存在とされ、あらゆる価値は天皇に一元化された。天皇の権威と権力は記紀神話によって根拠づけられ、皇祖の神々および歴代天皇の神霊と天皇との一体化が進められた。皇室祭祀では、記紀神話に基づく元始祭、紀元節祭、神武(じんむ)天皇祭が新たにつくられ、また天皇の祖先である皇霊のための祭祀がおびただしく新定された。全国の神社は、皇祖神を祀(まつ)る伊勢(いせ)神宮を本宗(ほんそう)として一元的に再編成され、国家の祭祀を行う非宗教の国家的公的施設となった。天皇は国家神道のいわば最高祭司であり、神社の祭式は皇室祭祀を基準に整えられた。

[村上重良]

現代

1945年(昭和20)敗戦によって国家神道は解体し、翌1946年元日、天皇はいわゆる人間宣言の詔書で、自らの神格を否定した。1947年施行の日本国憲法は、天皇を日本国および日本国民統合の象徴と規定した。憲法は、皇位の世襲と、天皇が行う国事行為などを定め、天皇は政治上の権限をもたない儀礼的な存在となった。皇室祭祀をはじめ天皇の宗教的行為は、国家的・公的性格をもたない内廷行為(私事)とされた。憲法と同時に、新しい皇室典範が施行され、皇位の男系男子による継承、天皇の終身在位などが規定された。

[村上重良]

 2017年、天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立し、2019年に今上天皇から皇太子への譲位が行われた。

[編集部]

天皇の衣食住

衣生活

奈良時代には、礼服として唐風の袞冕(こんべん)が用いられた。袞は赤色の袞竜の文様のある衣で、冕は冠である。平安時代には、初めて天皇の衣服が規定され、神事の祭服には帛衣(はくい)、礼服には袞冕を用い、それ以外には束帯の黄櫨染(こうろぜん)の袍(ほう)を着用した。また略装として裾(すそ)の長い御引直衣(おひきなおし)があった。のち礼服は、もっぱら即位礼に用いられるようになった。江戸時代には、即位礼に帛御服(はくのごふく)、神事に斎服を用い、日常は、御金巾子(おきんこじ)の冠に、白羽二重小袖(はぶたえこそで)、緋(ひ)の切袴(きりばかま)を着用した。江戸中期からは、冠は纓(えい)が直立した立纓(りゅうえい)の冠が用いられた。明治維新後は、祭祀、儀式に束帯、小直衣などを用いるほかは、洋服となり、陸軍式、海軍式の各種軍装が定められ、またモーニング、背広なども用いられた。現代では、儀服に束帯などが用いられるほかは、日常は背広、礼服には燕尾(えんび)服、モーニング、タキシードなどが着用される。

[村上重良]

食生活

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住生活

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百科事典マイペディア 「天皇」の意味・わかりやすい解説

天皇【てんのう】

 
︿7︿︿︿︿︿5︿使6︿︿67645︿()12西︿()()︿
 

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天皇」の解説

天皇
てんのう


(())1870(3)()77()使75()使78退使12使192124

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天皇」の意味・わかりやすい解説

天皇
てんのう

 
19461  

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旺文社日本史事典 三訂版 「天皇」の解説

天皇
てんのう

古代以来の日本の君主
時代により性格が異なる。祖先については,大和土着の豪族・北九州の豪族・渡来人などの諸説がある。4世紀ごろ大王 (おおきみ) と呼ばれるようになり,6〜7世紀推古天皇のころ隋との国交の中で「天皇」の称号が現れた。大化の改新ののち律令制の成立に伴い,天皇中心の中央集権国家が確立した。しかし荘園が広がるにつれ,摂関政治から院政・鎌倉幕府の成立・承久の乱・両統迭立 (てつりつ) を経て,古代天皇制は没落した。建武の新政によって天皇権力は一時的に復活したが,南北朝,室町時代,戦国時代を経て,江戸時代には天皇の権威は政治的にはまったく失われ,伝統的・儀礼的権威と化し,禁中並公家諸法度によって天皇は私生活まで規制された。だが幕末になると政情の急激な展開の中で尊王論が台頭し,明治維新が行われた。維新後,天皇の権力は高まり,大日本帝国憲法によって「万世一系・神聖不可侵」の君主となって近代天皇制が確立した。第二次世界大戦後,天皇の性格は一変した。1946年の天皇人間宣言でみずから神格を否定し,日本国憲法では「天皇は日本国民統合の象徴」と規定された。

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世界大百科事典(旧版)内の天皇の言及

【則天武后】より


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【道教】より

…その大きな理由としては,日本には神代の遠い昔から固有の宗教的思想信仰として〈神道〉があり,受け入れる必要がなかった,もしくは受け入れることを拒んだからであるとされる。しかし,この〈神道〉という言葉(概念)は,その教義の中枢をなす〈大神〉(天照大神),〈神宮〉(伊勢神宮),〈斎宮〉や,〈神器〉(三種の神器),さらに〈天皇〉〈上皇〉〈大内〉〈仙洞〉〈紫宸〉〈大極〉などの言葉と同じく,もともとは中国語(漢語)であり,中国古代の宗教思想概念,つまり道教の神学用語であった(初見は《易》の観卦の彖(たん)伝)。
[記紀にみられる影響]
 〈神道〉という中国語を日本古代で初めて用いているのは,720年(養老4),元正天皇の時代に成った《日本書紀》であるが,《書紀》で用いられている〈神道〉の語の意味内容は,中国の後漢の時代の中ごろ,山東琅邪(ろうや)で成立して〈神書〉とよばれていた《太平清領書》(道教の一切経《道蔵》に収載する《太平経》)のなかで多く用いられている〈神道〉の語の用法に近い。…

【明神(現神)】より

…現に姿をあらわしている神の意で多く天皇に用いられる。〈あきつみかみ〉ともいう。…

【王朝交替論】より

…日本古代の天皇の系譜は,明治以後強調されたような万世一系ではなく,何回か政治勢力に交替があったとする説。かつて津田左右吉が,《古事記》《日本書紀》には,仲哀天皇と応神天皇の間で一つの段落があり,仲哀以前は天皇の系譜が父子相承となっていたり,天皇の称号だけで諱(いみな)を欠いているなど,実在性に乏しく,6世紀の帝紀(ていき)に記されていたのは,応神より後の天皇であろうとしたことにはじまる。…

【王土思想】より

…中国の影響のもとで国家の統一を進めた日本は,律令制の受容とともに,公地公民制を基礎づける思想として王土王民思想をとりいれたが,その根本にあるの観念が十分に理解されなかったためか,政治思想としての展開はみられなかった。日本では,中国の場合に比して異民族との対立意識が薄く,天皇に対立する強力な王権が早い時期に姿を消していたためか,記紀の神話は,日本の国土は高天原の神々の力によって生成し,天皇は神々の中心である天照大神の子孫として地上に降ったという説明で天皇の支配を正当化している。したがって,天孫降臨以来万世一系の天皇という観念のもとでは,諸王権の対立抗争の中から,一元的な王権が成立することを正当化する王土王民思想は,実質的には受けいれられにくく,天皇の支配する人民を,〈おおみたから〉ということばであらわす場合に,王民思想が連想される程度にとどまった。…

【熊沢天皇】より


2(18891966)1946(21)118GHQ191945GHQ

【元首】より


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【国事行為】より

…日本国憲法が天皇に権能として認めた〈国事に関する行為〉の略称。現憲法は,天皇を〈日本国の象徴〉〈日本国民統合の象徴〉と定めたが(1条),その天皇が公的になしうる行為は,憲法の定める国事行為に限られている(4条1項)。…

【御真影】より

…明治以来,第2次大戦に敗れるまでの天皇の写真を言う。正式には御写真と言ったが,一般には御真影という言葉が使われた。…

【宗教】より

…この点は,神の領域と政治の領域とを原理的に峻別しようとした西欧の伝統とは根本的に異なるところであって,日本人の宗教意識に世俗的な性格が認められる重要な理由の一つである。これは換言すればマツリ(宗教=聖)とマツリゴト(政治=俗)の相互補完の関係といっていいが,それは日本の天皇が皇祖神をまつると同時に国民統合の象徴的地位にあるという二重の役割をはたしていることにもあらわれている。こうして神における祟り性と守護性のアンビバレントな性格は,日本における宗教と政治の相互浸透性,聖と俗の重層的な互換性の心理的な基盤をなしているといえよう。…

【昭和天皇】より

…第124代に数えられる天皇。名前は裕仁,幼称は迪宮という。…

【尊王論】より

…通常は江戸時代,とくに幕末における天皇尊崇の思想をいう。天皇尊崇の思想は強弱の波はあれ日本史に一貫して見られるが,時代によってそのあり方がかなり異なる。…

【大婚】より

…天皇の結婚。大宝・養老令制によると,後宮には嫡妻である皇后のほかに,妃・夫人・嬪(ひん)がおかれ,皇后は内親王に限り,その他は貴族出身の女子としたが,大婚の儀制は制度的にも実際的にも明らかではない。…

【大喪】より

…天皇,皇后等の葬儀。1924年制定の皇室喪儀令において,天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死を崩御と称し,その葬儀を大喪と規定した。…

【勅】より

…天皇の意志またはことば,あるいは律令などに一定の発行手続が定められている勅書。前者の勅が律令制成立以前から行われていたことは《日本書紀》によって知られるが,金石文にも天智7年(668)の船首王後墓誌に,舒明天皇のとき,勅により大仁品を賜ったことが見える。…

【天王】より

…とくに北周のそれは古代の周の模倣である。なお日本の天皇号の起源を天王に求める説がある。【谷川 道雄】。…

【天下】より

…それゆえ,〈天下〉の語は普遍性の語感を伴い,同時に,〈天下の人心〉〈天下の嘲り〉の句の示すごとく,ある権威を感じさせる。日本では,元興寺塔露盤銘(596)に〈大和国天皇斯帰嶋宮治天下〉とあるのをはじめ,遅くも6世紀末以降天皇に関して〈治天下〉と表現した例が多く,《古事記》も各天皇について〈……の宮に坐しまして天下(あめのした)治(し)らしめしき〉と反復している。すなわち,こうして天皇を中国の天子に類比し,その統治対象たる日本列島の一部を全世界とみなし,そこにおける最高支配者であることを主張したのである。…

【天皇機関説】より

美濃部達吉によって代表される。この学説の特色は,〈統治権は天皇に最高の源を発する〉という形で天皇主権の原則を認めるが,しかし同時に天皇の権力を絶対無限のものとみることに反対する点にある。すなわち統治権は天皇個人の私利のためではなく,国家の利益のために行使されるのであるから,国家はその利益をうけとることのできる法人格をもつもの,したがって統治権の主体であり,天皇は法人としての国家を代表し,憲法の条規に従って統治の権能を行使する最高〈機関〉であると規定する。…

【天文道】より

…当時,天文に関する図書は関係者以外は見ることを許されず,また天文生は観測結果を他人にもらすことを禁ぜられるなど,厳しく規制されていた。これは天文現象がすなわち天皇の治政の善悪を反映するものと考えられていたからである。異変は密封して奏上された。…

【不敬罪】より

…天皇や皇族あるいはその墓などに対しその名誉を毀損する行為を処罰する罪名。不敬罪は,近代天皇制国家の成立にともない1880年(明治13)7月17日に公布された刑法典(旧刑法と呼ぶ)の第2編第1章〈皇室ニ対スル罪〉のなかに登場し,1907年の旧刑法全面改正(1908施行。…

【律令法】より


 

※「天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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