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小唄

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音楽的特徴[編集]


使 使



4 使 使 使 使()使 38使

11調調


代表的な曲[編集]

今日まで作られたものは二千を超えているが、現在もうたわれているものは二百曲程度。

  • 1780年以前に開曲
    • 伊勢のあらめと
    • 潮来出島の
    • 嘘のかたまり
    • 逢うは別れの
    • 君と寝やうか
    • 梅は匂ひよ
    • 別れて逢うて
    • 都ではやる
    • 晩に忍ばば
    • 本町二丁目
  • 1790年までに開曲
    • 筆のかさ
    • 竹にすずめは
    • 梅は北野の
  • 1820年までに開曲
    • さつまサァ
    • あさぎ染
  • 1830年までに開曲
    • おっと合点
    • 柳橋から
    • 竹になりたや
    • 柳々で
    • 蝙蝠か
  • 1850年までに開曲
    • 木曾へ木曾へと
    • もの申ふものまふ
  • 1860年までに開曲
    • 行こか戻ろか
    • ござれやござれ
  • 1867年までに開曲
    • あすはお発ちか
    • 堰かれせかれて
    • 船に船頭

代表的な小唄流派(発生順)[編集]

大正二年に堀小多満が小唄界で最初の流派である「堀派会」を当時の東京都の正式認可を得て設立。その後、「堀派会」からの分家などで多数の流派が誕生した。現在では大小約70流派が活動を続けているが、高齢化が進み、後輩の育成に各流派ともに尽力している。

  • 堀派会
  • 田村派
  • 小唄派
  • 蓼派
  • 吉村派
  • 春日派

小唄の制限[編集]

1920年代頃においては、行商人が「お色気」を含む小唄を歌い客を集める姿が見られた。1930年(昭和5年)、警視庁は乱れた風紀の取締りを進める中で通称「エロ取締り規則」を発出、この中でエロ小唄(ママ)は飴売りの紙芝居などとともに子供に悪影響を及ぼすものとして禁止された[1]

脚注[編集]

  1. ^ 「股下二寸厳守」を警視庁が申し渡す『東京日日新聞』昭和5年11月25日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p26 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]