湊川神社

神戸市中央区にある神社
楠木社から転送)


湊川神社
湊川神社拝殿
拝殿
所在地 兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1-1
位置 北緯34度40分53.5秒 東経135度10分32秒 / 北緯34.681528度 東経135.17556度 / 34.681528; 135.17556 (湊川神社)座標: 北緯34度40分53.5秒 東経135度10分32秒 / 北緯34.681528度 東経135.17556度 / 34.681528; 135.17556 (湊川神社)
主祭神 楠木正成
社格別格官幣社
別表神社
創建 1872年明治5年)
札所等 神仏霊場巡拝の道第70番(兵庫第5番)
例祭 7月12日
地図
湊川神社の位置(神戸市内)
湊川神社

湊川神社

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1961年(昭和36年)当時の湊川神社。市電の架線が見える。
1902年(明治35年)

概要

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133652520164351692

318671868186927,2327,68018725524

殿殿

祭神

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  • 主祭神:贈正一位橘朝臣(楠木)正成公
  • 配祀神:
    • 贈従二位楠木正行卿
    • 贈正三位楠木正季卿
    • 菊池武吉命・江田高次命・伊藤義知命
    • 箕浦朝房命・岡田友治命・矢尾正春命
    • 和田正隆命・神宮寺正師命・橋本正員命
    • 冨田正武命・恵美正遠命・河原正次命
    • 宇佐美正安命・三石行隆命・安西正光命
    • 南江正忠命
  • 本殿合祀:摂社甘南備神社(祭神:大楠公御夫人滋子刀自命)



1331 / 31336 / 3525712退

1890234



1616192413317

社名

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18683187034

3

歴史

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殿

創建前史

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楠木正成の英雄化

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楠公の墓

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西

231646調

41664宿

7167921674581680

31657



22

1673 - 1681

21674

8168021685

53169012175

4169122332361

3169010

4169132351692423

623571935862

8105124815cm  138171091021022

101119611221833838

使使

216591021682101670






8169552411251500

1751

91759西65110m23.6m

101813300340


 
徳川光圀による楠公墓碑

楠公の祭祀

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20173532140061835500



81825

鹿

518342124172251016123126525

12184115 / 18447

41847調

618595

宿使



21862西81860

31863西

186452521866

186417186551418692

3186718692

31663131816318501854

1860261777鹿西鹿西18769

218622-1718659231867麿殿

創建史

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薩摩藩の楠社創建計画

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318631115



                   


50

21862318632

186429



                           
                              






47

65西西65719

尾張藩の楠社創建計画

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31867101424118


     宿
                    







111218192425

26調調


 調    
                         


調

21868332



    
                            


3

421

27

6

1717殿調1117

殿12918692330


水戸藩の楠社創建計画

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先に詳述したように、水戸藩は二代藩主徳川光圀の代に、摂津坂本村湊川に楠木正成墓碑を造立した主催者であった。『大日本史』編纂などを通じて楠公の顕彰・評価の先鋒を担ってきた水戸藩としては、楠社創建を見過ごすわけにはいかなかった。

1868年明治元年)閏4月19日水戸藩は楠社創建のことを同藩に一任するように建白した。同年6月15日、社殿設計図などを調査して上申することを命じた。ただ同日、既に兵庫裁判所の設計案を採用することを決めており、奇妙な話であるが、おそらくは水戸藩に命じたのは、兵庫案と比較して参考にするためであり、また水戸藩に対する顔立ての意味もあったのだろう。

しかし、同年8月28日設計案を提出するとともに、水戸藩がいかに楠公碑と深い関わりがあるかを主張して、創建のことを全て任せるように再び請願するに及ぶと、政府内でも水戸藩に賛同を示す者も出てきた。既に兵庫裁判所はその案に基づいて、作業を始めていたが、政府はその一時中断を伝えるまでに至った。

しかし翌年5月に再び同様の請願をするが、既に尾張藩の建白で見たように、やはり神社は国家の宗祀であるという原則に則り、藩独自の神社創建は認められなかった。

政府による楠社創建

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31867113

1868321

324調

調414

421



 
廿


10001000



187036187141
祭礼
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1868525523西
社地と造営
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社地は4月始めから調査を始めたが、政府は5月23日、生田川から湊川の間の土地を尼崎藩および古河藩上知させた。最終的には1869年(明治2年)に墓所と殉節地の両所を必ず含めるものとして境内は確定された。

1871年(明治4年)2月より社地は湊川の土を使って整地された。1871年(明治4年)中には先立って石垣が完成し、1872年(明治5年)1月より造営を始めた。3月4日に本殿立柱祭、5月6日上棟祭が行われ、春日造桧皮葺の社殿は完成した。ただ、その他一通りの建物の完成を見るのは創建後の9月に入ってからである。

社名・社格
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かねてより未定だった社名と社格が1872年(明治5年)の4月29日に定められた。社名は、八木雕の提案が採用されて「湊川神社」となった。社格は1871年(明治4年)に大中小の官幣社・国幣社が定められていたが、新たに別格官幣社というカテゴリが設定されて、そこに列格された。別格官幣社は国家に功績のあった人物を祀る神社の社格とされた。

創建
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殿5852425

524殿



525525
湊川神社創建の影響
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調



綿






 
楠木正成 殉節地

創建後

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明治憲法下

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19452031765殿

戦後

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1948年(昭和23年)に神社本庁別表神社に加列されている。

主な行事

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境内

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殿 - 195227

殿 - 195227

 - 195227

 - 73

 - 195328



 - 197247

殿 - 196338

 - 



殿 - 1972474

 - 

  - 51692183

 - 187811

 - 194217


表門
  • 参道と鳥居
  • 祈祷殿
  • 宝物殿
  • 境内社

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    摂社

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    殿
    19063995922194520殿殿17922

    末社

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    18725817殿8




    18769921192211821825

    歴代宮司

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    1. 折田要蔵
    2. 木曽源太郎
    3. 折田要蔵
    4. 鷲尾武治
    5. 折田要蔵
    6. 小野村胤信
    7. 林源吾
    8. 上月為蔭
    9. 長屋基彦
    10. 青山重鑒
    11. 藤巻正之
    12. 後藤幸平
    13. 藤巻正之
    14. 吉田智朗
    15. 栃尾泰治郎

    文化財

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    重要文化財

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    • 段威腹巻 一領 (国の重要文化財 1901年(明治34年)指定)
    • 紙本墨書法華経奥書 一幅 (楠正成真筆、国の重要文化財 1917年(大正6年)指定)

    国指定史跡

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    • 楠木正成墓碑 - 殉節地を含む。1951年(昭和26年)指定。

    宝物

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    湊川神社で造られた日本刀

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    菊水刀

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    靖国神社で陸軍将校向けの軍刀が造られていたのは有名だが、湊川神社では同様に、海軍士官向けの軍刀が造られていた。日本刀鍛錬会(靖国神社)で修行した日立金属(株)安来工場の村上道政(銘:正忠)・森脇要(銘:森光)の両氏は、昭和15年、湊川神社の御用刀匠となり海軍士官用軍刀を作刀した。此処で作刀された刀のハバキと茎には菊水紋が彫られ、「菊水刀」と呼ばれた。

     
    昭和十二年制定海軍制式軍刀通称太刀型を外装とする菊水刀
     
    湊川神社 菊水紋 正忠 中心

    年表

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    〈〉内は関連事項。

    創建前

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    1336 / 3525

    1368-1379︿



    16463

    16644︿

    167010︿

    16852

    16914

    1692562

    16925109

    169251122

    169581125

    173520321400

    17511

    1751

    176851

    180961

    181310

    1816131

    18258

    18345

    18356500

    1842131

    18463西

    18474

    18503︿

    18514315︿

    18536525

    1854︿

    18563︿

    185965

    18602︿

    18622423︿

    186225258

    18622︿

    1863331

    18633818︿

    18633821

    186331115

    186429

    186447

    186452517

    1864525

    18646124

    186465西

    18647

    18641

    18651

    186552518692

    18651

    1865︿

    186625251865

    186621

    18673525

    18673118

    186731111

    186731112

    186731118

    186731119

    186731124

    186731125

    186731126調

    1867311

    1868215

    1868321︿

    1868322

    1868324

    18683

    186843調

    186844︿

    186845

    1868414

    1868417

    18684211000

    1868427

    1868427

    18684

    1868419

    1868424

    1868428

    18685

    1868523

    1868525

    1868619

    18692330

    18692515

    18692525

    18692617

    18692︿

    1870344︿

    18703525

    187036

    18703

    187142

    1871451

    18714516

    18714520

    18714525使

    187146

    187141

    18714

    187251殿

    1872534殿

    18725429

    1872556殿

    18725524

    18725525

    創建後

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    18725817殿

    18725923

    187251124

    187361

    18736428

    1873655

    18736619525

    18736815

    187369殿

    187361015

    18747712525

    18747713

    18738422︿

    18769921

    187710128使

    1877101210

    186825

    188013720

    188013721使

    188013721

    18801382

    188215213

    188215417

    188518718-22

    188720525

    18902345︿

    189326殿

    18973046

    1897301113

    189932119

    190033914︿

    190235428

    19023552430

    1904371022殿[1]

    190538223

    190538513

    190639917

    19063957

    19063985

    19063995

    190639922

    190740殿

    19104311

    191144︿

    1914399

    19143124︿

    191431119

    1915458

    191541120

    191653271

    1916545

    19176451

    19198325

    191981112使

    1922118

    192413317

    192514212

    1929467

    19305331

    193161210

    193161212殿

    19316

    1932752

    19338311

    19338317

    1934911600

    1934943-9

    193510524-29600

    193712125

    193813830600[2]

    193914829

    19401511102600

    1940151

    1941161225250

    19421752470

    194520317殿

    194520420殿

    194520711殿

    194520712

    19452092

    1945201225︿GHQ

    19462121︿

    19462122︿

    19462123︿

    194621222

    194621418

    19472273

    194823329

    194823712殿

    194823

    195025829

    195126210

    1952271024-25殿

    1952271026260

    195429325

    195530711

    19563164殿

    19563192250

    196237102490殿10

    196338殿

    196843421100

    197247

    1972474殿

    197247524-26

    1985605

    前後の札所

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    神仏霊場巡拝の道
    69 忉利天上寺 - 70 湊川神社 - 71 長田神社

    交通

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    備考

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    193510[3]

    193813[4][4]

    関連団体

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    参考文献

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    • 本多辰次郎 1918年「湊川神社創建始末」『歴史地理』32巻5号・6号
    • 北垣之助 1920年「湊川神社の研究」『教育』446号
    • 湊川神社 1928年『湊川神社誌』湊川神社社務所
    • 二六興信所編纂 山田米吉編『勤王事蹟別格官幣社精史』16〜23頁 二六興信所 1935年(国立国会図書館デジタルコレクション)
    • 別格官幣社湊川神社 1934年『別格官幣社湊川神社境域改修竣工記念写真帖』
    • 別格官幣社湊川神社 1934年『湊川神社略誌』
    • 武岡豊太 1935年5月「大楠公石碑の由来と湊川神社の沿革」『伝記』(複製版3巻)2巻5号
    • 和田千吉 1935年「楠公墳墓と湊川神社創設の原因」『國學院雑誌』41巻5号
    • 川島禾舟 1935年「楠公墳墓建設と千巖和尚」『國學院雑誌』41巻5号
    • 曾根研三 1936年『湊川神社境域改修御造営誌』
    • 藤巻正之 1939年『湊川神社六十年史 本篇、資料篇』湊川神社社務所
    • 藤井貞文 1940年「湊川神社創建の考(1)(2)」『國史学』第41号・第42号
    • 渋川謙一 1967年「国家神道序説」『戦後神道論文選集』1973年 神道文化会
    • 平泉澄 1973年8月『楠公・その忠烈と余香』 鹿島出版会
    • 湊川神社鎮座百年祭記録編集委員会 1976年『湊川神社鎮座百年祭記録』湊川神社社務所
    • 森田康之助 1984年、1978年、1987年『湊川神社史上巻、中巻、下巻』湊川神社社務所
    • 岡田米夫 1984年「神宮・神社創建史」『明治維新神道百年史』第2巻、神道文化会編、神道文化会
    • 堀井純二 2000年「楠公景仰の系譜」『日本及日本人』1638号
    • 山口鋭之助 「神祇道と信教の自由」『神社問題論叢』第二輯、宣揚社、1930年。

    脚注

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    1. ^ 平瀬礼太『銅像受難の時代』吉川弘文館、2011年、P103-106。ただし翌年9月7日に、日露戦争講和条約の内容に憤慨し起こった暴動八つ当たりで破壊され撤去。
    2. ^ 湊川神社の石の大鳥居が突如崩壊『大阪毎日新聞』(昭和13年8月31日)『昭和ニュース事典第7巻 昭和14年-昭和16年』本編p628 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
    3. ^ 小林章「近代の神社境内の研究動向」東京農業大学農学集報61巻4号 p.126-136 東京農業大学(2017年3月)
    4. ^ a b 神戸の再度山山頂に、遠く離れた「湊川神社」の石碑 なぜ、ここに? 神戸新聞(2022年10月9日閲覧)

    関連項目

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    外部リンク

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