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彼らは[[1964年]]ごろから集って京都の[[四条河原町]]界隈で遊ぶようになった<ref name="isop14">磯前、2013年、pp.14 - 18</ref>。1965年1月に大阪で開かれた[[ベンチャーズ]]のコンサートに4人で出かけたことがきっかけでバンド結成へと至った<ref name="isop20"/>。当初はベンチャーズなどのエレキインストナンバーを主なレパートリーにしていた。
彼らは[[1964年]]ごろから集って京都の[[四条河原町]]界隈で遊ぶようになった<ref name="isop14">磯前、2013年、pp.14 - 18</ref>。1965年1月に大阪で開かれた[[ベンチャーズ]]のコンサートに4人で出かけたことがきっかけでバンド結成へと至った<ref name="isop20"/>。当初はベンチャーズなどのエレキインストナンバーを主なレパートリーにしていた。
しかし、[[ビートルズ]]などの[[リバプールサウンド]]の影響もあり、森本らは専属ボーカルの必要を感じるようになった<ref name="isop20"/>。4人は、四条河原町の[[ダンスホール]]「田園」<ref>{{Cite book|和書 |title=全京都年鑑 昭和34年版 |year=1958年 |publisher=夕刊京都新聞社 |page=p,700 |author=夕刊京都新聞社 編}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=京都年鑑 1960年版 |year=1959年 |publisher=夕刊京都新聞社 |page=p,549}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=京阪神都市計画図 第1集 |year=1966年 |publisher=昭文社 |page=p,4}}</ref>に出演していた「[[ジェット・ブラザース|サンダース]]」で[[ローディー#ボーヤ、バンドボーイ|ボーヤ]]兼ボーカルだった[[沢田研二]]を勧誘する。
しかし、[[ビートルズ]]などの[[リバプールサウンド]]の影響もあり、森本らは専属ボーカルの必要を感じるようになった<ref name="isop20"/>。4人は、四条河原町の[[ダンスホール]]「田園」<ref>{{Cite book|和書 |title=全京都年鑑 昭和34年版 |year=1958|publisher=夕刊京都新聞社 |page=700 |author=夕刊京都新聞社 編}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=京都年鑑 1960年版 |year=1959 |publisher=夕刊京都新聞社 |page=p,549}}</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=京阪神都市計画図 第1集 |year=1966|publisher=昭文社 |page=4}}</ref>に出演していた「[[ジェット・ブラザース|サンダース]]」で[[ローディー#ボーヤ、バンドボーイ|ボーヤ]]兼ボーカルだった[[沢田研二]]を勧誘する。
[[1966年]]元日、沢田は正式に「サリーとプレイボーイズ」のメンバーとなり<ref name="isop24">磯前、2013年、p.24</ref>、あわせてバンド名を(バンド「リンド&リンダース」の命名で)'''「ファニーズ」'''に改称し<ref name="isop24"/>、歌主体のいわゆるボーカル・[[インストゥルメンタル]]・グループとなった。リーダーは、瞳に固定された<ref>磯前、2013年、p.25</ref>。
[[1966年]]元日、沢田は正式に「サリーとプレイボーイズ」のメンバーとなり<ref name="isop24">磯前、2013年、p.24</ref>、あわせてバンド名を(バンド「リンド&リンダース」の命名で)'''「ファニーズ」'''に改称し<ref name="isop24"/>、歌主体のいわゆるボーカル・[[インストゥルメンタル]]・グループとなった。リーダーは、瞳に固定された<ref>磯前、2013年、p.25</ref>。
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[[2011年]]2月、瞳は朝日新聞などのインタビューに登場する。2月25日に瞳の自伝『ロング・グッバイのあとで』の出版記念パーティーが開催され、壇上には、瞳、一徳、沢田、森本が並んだ。瞳がザ・タイガースのメンバーと共に公式の場で姿を現すのは解散から40年ぶりで、「ロンググッバイ」は終わりを告げた。
[[2011年]]2月、瞳は朝日新聞などのインタビューに登場する。2月25日に瞳の自伝『ロング・グッバイのあとで』の出版記念パーティーが開催され、壇上には、瞳、一徳、沢田、森本が並んだ。瞳がザ・タイガースのメンバーと共に公式の場で姿を現すのは解散から40年ぶりで、「ロンググッバイ」は終わりを告げた。
こ の 頃 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス ﹁ 復 活 ﹂ が 、 関 係 者 や メ ン バ ー 自 身 か ら 発 信 さ れ る が 、 加 橋 が 最 終 的 に 参 加 を 見 送 っ た 。 そ の た め 、 同 年 9 月 か ら 開 催 さ れ る 沢 田 研 二 の ﹁ 沢 田 研 二 L I V E 2 0 1 1 〜 2 0 1 2 ﹂ 全 38 公 演 に 、 岸 部 一 徳 、 森 本 太 郎 、 瞳 み の る が ゲ ス ト 参 加 す る 形 と な っ た < r e f > [ [ ニ ッ ポ ン 放 送 ] ] [ [ 高 田 文 夫 の ラ ジ オ ビ バ リ ー 昼 ズ ] ] 2 0 1 4 年 12 月 8 日 放 送 分 。 岸 部 一 徳 が ゲ ス ト 出 演 の 際 の ト ー ク コ ー ナ ー よ り 。 < / r e f > 。 瞳 の 40 年 ぶ り の 参 加 が 大 き な イ ン パ ク ト と な り 、 チ ケ ッ ト の 発 売 当 日 に 、 大 都 市 開 催 分 は 即 日 完 売 と な っ た 。 翌 2 0 1 2 年 1 月 24 日 の 沢 田 研 二 ラ イ ブ ツ ア ー 最 終 日 ︵ 日 本 武 道 館 ︶ に は 、 脳 梗 塞 で 2 0 0 3 年 に 倒 れ て か ら 療 養 中 の [ [ 岸 部 四 郎 ] ] が ゲ ス ト と し て 登 場 。 第 二 期 ザ ・ タ イ ガ ー ス が 1 9 7 1 年 1 月 24 日 の 解 散 ラ イ ブ 以 来 、 勢 揃 い し た < r e f > [ h t t p s : / / w w w . s p o n i c h i . c o . j p / e n t e r t a i n m e n t / n e w s / 2 0 1 2 / 0 1 / 2 5 / k i j i / K 2 0 1 2 0 1 2 5 0 0 2 4 9 9 5 1 0 . h t m l 岸 部 シ ロ ー も 登 場 … ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス ﹂ 解 散 の 地 で 再 集 結 ] ス ポ ー ツ ニ ッ ポ ン 2 0 1 2 年 1 月 25 日 閲 覧 < / r e f > 。 同 年 1 月 に は 、 N H K ﹁ S O N G S - 沢 田 研 二 ザ ・ タ イ ガ ー ス を 歌 う ﹂ に 沢 田 、 森 本 、 岸 部 、 瞳 が 出 演 し て 5 曲 を 演 奏 し た 。
こ の 頃 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス ﹁ 復 活 ﹂ が 、 関 係 者 や メ ン バ ー 自 身 か ら 発 信 さ れ る が 、 加 橋 が 最 終 的 に 参 加 を 見 送 っ た 。 そ の た め 、 同 年 9 月 か ら 開 催 さ れ る 沢 田 研 二 の ﹁ 沢 田 研 二 L I V E 2 0 1 1 〜 2 0 1 2 ﹂ 全 38 公 演 に 、 岸 部 一 徳 、 森 本 太 郎 、 瞳 み の る が ゲ ス ト 参 加 す る 形 と な っ た < r e f > [ [ ニ ッ ポ ン 放 送 ] ] [ [ 高 田 文 夫 の ラ ジ オ ビ バ リ ー 昼 ズ ] ] 2 0 1 4 年 12 月 8 日 放 送 分 。 岸 部 一 徳 が ゲ ス ト 出 演 の 際 の ト ー ク コ ー ナ ー よ り 。 < / r e f > 。 瞳 の 40 年 ぶ り の 参 加 が 大 き な イ ン パ ク ト と な り 、 チ ケ ッ ト の 発 売 当 日 に 、 大 都 市 開 催 分 は 即 日 完 売 と な っ た 。 翌 2 0 1 2 年 1 月 24 日 の 沢 田 研 二 ラ イ ブ ツ ア ー 最 終 日 ︵ 日 本 武 道 館 ︶ に は 、 脳 梗 塞 で 2 0 0 3 年 に 倒 れ て か ら 療 養 中 の [ [ 岸 部 四 郎 ] ] が ゲ ス ト と し て 登 場 。 第 二 期 ザ ・ タ イ ガ ー ス が 1 9 7 1 年 1 月 24 日 の 解 散 ラ イ ブ 以 来 、 勢 揃 い し た < r e f > { { C i t e w e b | u r l = h t t p s : / / w w w . s p o n i c h i . c o . j p / e n t e r t a i n m e n t / n e w s / 2 0 1 2 / 0 1 / 2 5 / k i j i / K 2 0 1 2 0 1 2 5 0 0 2 4 9 9 5 1 0 . h t m l | t i t l e = 岸 部 シ ロ ー も 登 場 … ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス ﹂ 解 散 の 地 で 再 集 結 | w e b s i t e = ス ポ ニ チ S p o n i c h i A n n e x | p u b l i s h e r = ス ポ ー ツ ニ ッ ポ ン 新 聞 社 | a c c e s s d a t e = 2 0 2 4 - 0 6 - 1 9 } } < / r e f > 。 同 年 1 月 に は 、 N H K ﹁ S O N G S - 沢 田 研 二 ザ ・ タ イ ガ ー ス を 歌 う ﹂ に 沢 田 、 森 本 、 岸 部 、 瞳 が 出 演 し て 5 曲 を 演 奏 し た 。
ザ ・ タ イ ガ ー ス 再 結 成 が 正 式 に 発 表 さ れ た の は 、 2 0 1 3 年 1 月 6 日 、 [ [ 渋 谷 公 会 堂 ] ] で 行 わ れ た 沢 田 の 正 月 コ ン サ ー ト で あ る ﹁ 沢 田 研 二 2 0 1 3 正 月 L I V E 燃 え ろ 東 京 ス ワ ロ ー ズ ﹂ だ っ た 。 瞳 み の る と 加 橋 か つ み が 参 加 す る オ リ ジ ナ ル ・ メ ン バ ー で の 活 動 は 1 9 6 9 年 以 来 、 44 年 ぶ り と な っ た 。 ツ ア ー は 、 12 月 3 日 に [ [ 日 本 武 道 館 ] ] で ス タ ー ト し て < r e f > [ h t t p s : / / w w w . s a n s p o . c o m / a r t i c l e / 2 0 1 3 1 2 0 4 - Q 5 N K Q 5 P S O R P 2 F M V D 5 F 4 X 5 D Q D 7 Y / ザ ・ タ イ ガ ー ス 復 活 ! 沢 田 絶 叫 ﹁ つ い に こ の 日 が や っ て き ま し た ﹂ ] - サ ン ス ポ . c o m 2 0 1 3 年 12 月 4 日 < / r e f > 、 全 国 8 会 場 で 約 10 万 人 を 集 め た 。 初 日 の 武 道 館 公 演 は [ [ 吉 永 小 百 合 ] ] 、 [ [ 水 谷 豊 ] ] ・ [ [ 伊 藤 蘭 ] ] 夫 妻 、 [ [ 内 田 裕 也 ] ] 、 [ [ 石 川 さ ゆ り ] ] 、 [ [ 観 月 あ り さ ] ] な ど が 観 客 席 か ら 見 守 っ た < r e f > { { C i t e w e b | 和 書 | t i t l e = { { ! } } 女 性 自 身 | u r l = h t t p s : / / j i s i n . j p / e n t e r t a i n m e n t / e n t e r t a i n m e n t - n e w s / 1 6 0 9 9 7 7 / a m p / | w e b s i t e = W E B 女 性 自 身 | a c c e s s d a t e = 2 0 2 2 - 01 - 23 | l a n g u a g e = j a } } < / r e f > 。 最 終 日 と な っ た 12 月 27 日 の [ [ 東 京 ド ー ム ] ] 公 演 に て 、 岸 部 四 郎 が 再 び 病 を 押 し て ゲ ス ト と し て 登 場 。 結 成 以 来 初 め て 、 6 人 の メ ン バ ー が 公 の 場 で 一 堂 に 会 す る こ と と な っ た < r e f > [ h t t p s : / / w e b . a r c h i v e . o r g / w e b / 2 0 1 3 1 2 2 7 2 2 0 2 3 0 / h t t p : / / h o c h i . y o m i u r i . c o . j p / e n t e r t a i n m e n t / n e w s / 2 0 1 3 1 2 2 7 - O H T 1 T 0 0 1 8 2 . h t m 岸 部 四 郎 、 車 い す で 歌 っ た ! 史 上 初 の ﹁ 6 人 タ イ ガ ー ス ﹂ ] - 芸 能 ‥ ス ポ ー ツ 報 知 2 0 1 3 年 12 月 28 日 < / r e f > 。
ザ ・ タ イ ガ ー ス 再 結 成 が 正 式 に 発 表 さ れ た の は 、 2 0 1 3 年 1 月 6 日 、 [ [ 渋 谷 公 会 堂 ] ] で 行 わ れ た 沢 田 の 正 月 コ ン サ ー ト で あ る ﹁ 沢 田 研 二 2 0 1 3 正 月 L I V E 燃 え ろ 東 京 ス ワ ロ ー ズ ﹂ だ っ た 。 瞳 み の る と 加 橋 か つ み が 参 加 す る オ リ ジ ナ ル ・ メ ン バ ー で の 活 動 は 1 9 6 9 年 以 来 、 44 年 ぶ り と な っ た 。 ツ ア ー は 、 12 月 3 日 に [ [ 日 本 武 道 館 ] ] で ス タ ー ト し て < r e f > { { C i t e w e b | u r l = h t t p s : / / w w w . s a n s p o . c o m / a r t i c l e / 2 0 1 3 1 2 0 4 - Q 5 N K Q 5 P S O R P 2 F M V D 5 F 4 X 5 D Q D 7 Y / | t i t l e = ザ ・ タ イ ガ ー ス 復 活 ! 沢 田 絶 叫 ﹁ つ い に こ の 日 が や っ て き ま し た ﹂ | w e b s i t e = サ ン ス ポ | p u b l i s h e r = 産 経 デ ジ タ ル | a c c e s s d a t e = 2 0 2 4 - 0 6 - 1 9 } } < / r e f > 、 全 国 8 会 場 で 約 10 万 人 を 集 め た 。 初 日 の 武 道 館 公 演 は [ [ 吉 永 小 百 合 ] ] 、 [ [ 水 谷 豊 ] ] ・ [ [ 伊 藤 蘭 ] ] 夫 妻 、 [ [ 内 田 裕 也 ] ] 、 [ [ 石 川 さ ゆ り ] ] 、 [ [ 観 月 あ り さ ] ] な ど が 観 客 席 か ら 見 守 っ た < r e f > { { C i t e w e b | 和 書 | t i t l e = ザ ・ タ イ ガ ー ス 再 結 成 ラ イ ブ に 吉 永 小 百 合 、 感 激 の 涙 | u r l = h t t p s : / / j i s i n . j p / e n t e r t a i n m e n t / e n t e r t a i n m e n t - n e w s / 1 6 0 9 9 7 7 / | w e b s i t e = 女 性 自 身 | p u b l i s h e r = 光 文 社 | a c c e s s d a t e = 2 0 2 4 - 06 - 19 | l a n g u a g e = j a } } < / r e f > 。 最 終 日 と な っ た 12 月 27 日 の [ [ 東 京 ド ー ム ] ] 公 演 に て 、 岸 部 四 郎 が 再 び 病 を 押 し て ゲ ス ト と し て 登 場 。 結 成 以 来 初 め て 、 6 人 の メ ン バ ー が 公 の 場 で 一 堂 に 会 す る こ と と な っ た < r e f > { { C i t e w e b | u r l = h t t p : / / h o c h i . y o m i u r i . c o . j p / e n t e r t a i n m e n t / n e w s / 2 0 1 3 1 2 2 7 - O H T 1 T 0 0 1 8 2 . h t m | t i t l e = 岸 部 四 郎 、 車 い す で 歌 っ た ! 史 上 初 の ﹁ 6 人 タ イ ガ ー ス ﹂ | w e b s i t e = ス ポ ー ツ 報 知 | p u b l i s h e r = 報 知 新 聞 社 | d a t e = 2 0 1 3 - 12 - 28 | a c c e s s d a t e = 2 0 2 4 - 0 6 - 1 9 | a r c h i v e u r l = h t t p s : / / w e b . a r c h i v e . o r g / w e b / 2 0 1 3 1 2 2 7 2 2 0 2 3 0 / h t t p : / / h o c h i . y o m i u r i . c o . j p / e n t e r t a i n m e n t / n e w s / 2 0 1 3 1 2 2 7 - O H T 1 T 0 0 1 8 2 . h t m | a r c h i v e d a t e = 2 0 1 3 - 1 2 - 2 7 } } < / r e f > 。
2016年9月に、瞳の古稀を祝ってオリジナルメンバー5人で食事会を開いた。11月19日には、森本の古稀を記念したライブ「森本太郎古稀ライヴMy Memories in My Life」のアンコールで、オリジナルメンバー5人が揃い、森本作曲の「青い鳥」「色つきの女でいてくれよ」の2曲を演奏。2013年以来のザ・タイガース復活となった。
2016年9月に、瞳の古稀を祝ってオリジナルメンバー5人で食事会を開いた。11月19日には、森本の古稀を記念したライブ「森本太郎古稀ライヴMy Memories in My Life」のアンコールで、オリジナルメンバー5人が揃い、森本作曲の「青い鳥」「色つきの女でいてくれよ」の2曲を演奏。2013年以来のザ・タイガース復活となった。
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2019年11月6日の「森本タローとスーパースター再結成20周年記念ライブ」では、沢田、一徳、瞳がゲスト出演し、ザ・タイガースの楽曲を4曲演奏した{{Efn2|加橋は不参加}}。
2019年11月6日の「森本タローとスーパースター再結成20周年記念ライブ」では、沢田、一徳、瞳がゲスト出演し、ザ・タイガースの楽曲を4曲演奏した{{Efn2|加橋は不参加}}。
2 0 2 0 年 8 月 28 日 、 メ ン バ ー の [ [ 岸 部 四 郎 ] ] が 死 去 。 71 歳 没 < r e f > { { C i t e w e b | 和 書 | t i t l e = 岸 部 四 郎 さ ん 死 去 71 歳 拡 張 型 心 筋 症 に よ る 急 性 心 不 全 で - ス ポ ニ チ S p o n i c h i A n n e x 芸 能 | u r l = h t t p s : / / w w w . s p o n i c h i . c o . j p / e n t e r t a i n m e n t / n e w s / 2 0 2 0 / 0 9 / 1 5 / k i j i / 2 0 2 0 0 9 1 5 s 0 0 0 4 1 0 0 0 1 2 8 0 0 0 c . h t m l | w e b s i t e = ス ポ ニ チ S p o n i c h i A n n e x | a c c e s s d a t e = 2 0 2 1 - 12 - 28 | l a n g u a g e = j a } } < / r e f > 。
2020年8月28日、メンバーの[[岸部四郎]]が死去。71歳没<ref>{{Cite web|和書|title=岸部四郎さん死去 71歳 拡張型心筋症による急性心不全で |url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/09/15/kiji/20200915s00041000128000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |accessdate=2024 -06 -19 |language=ja}}</ref>。
2023年6月25日、沢田の75歳の誕生日に[[さいたまスーパーアリーナ]]にて開催された『沢田研二 LIVE 2022-2023「まだまだ一生懸命」ツアーファイナル バースデーライブ!』に、瞳、森本、一徳がスペシャルゲストとして登場した{{Efn2|加橋は不参加}}<ref>{{Cite web|和書|title=沢田研二、全国ツアー最終公演に「ザ・タイガース」3人がゲスト出演 4人そろうのは4年ぶり |url=https://hochi.news/articles/20230218-OHT1T51276.html |website=スポーツ報知 |date=2023-02-19 |access-date=2023-02-23 |language=ja}}</ref>。第1部ではザ・タイガースの往年のヒット曲を披露、アンコールに再登場し[[ローリング・ストーンズ]]のカバーを披露するなどした。なお、公演の模様は[[WOWOW|WOWOWライブ]]で生中継(同時配信)された<ref>{{Cite web|和書|title=沢田研二たまアリ公演をWOWOWで生中継、ザ・タイガースのメンバーも参加 |url=https://natalie.mu/music/news/522727 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-06-28 |language=ja}}</ref>。12月18日、[[EX THEATER ROPPONGI]]で開催された森本の喜寿を祝したコンサート「Morimoto Taro 77th Birthday Live」に沢田、一徳、瞳がゲスト出演した。
2023年6月25日、沢田の75歳の誕生日に[[さいたまスーパーアリーナ]]にて開催された『沢田研二 LIVE 2022-2023「まだまだ一生懸命」ツアーファイナル バースデーライブ!』に、瞳、森本、一徳がスペシャルゲストとして登場した{{Efn2|加橋は不参加}}<ref>{{Cite web|和書|title=沢田研二、全国ツアー最終公演に「ザ・タイガース」3人がゲスト出演 4人そろうのは4年ぶり |url=https://hochi.news/articles/20230218-OHT1T51276.html |website=スポーツ報知 |date=2023-02-19 |access-date=2023-02-23 |language=ja}}</ref>。第1部ではザ・タイガースの往年のヒット曲を披露、アンコールに再登場し[[ローリング・ストーンズ]]のカバーを披露するなどした。なお、公演の模様は[[WOWOW|WOWOWライブ]]で生中継(同時配信)された<ref>{{Cite web|和書|title=沢田研二たまアリ公演をWOWOWで生中継、ザ・タイガースのメンバーも参加 |url=https://natalie.mu/music/news/522727 |website=音楽ナタリー |access-date=2023-06-28 |language=ja}}</ref>。12月18日、[[EX THEATER ROPPONGI]]で開催された森本の喜寿を祝したコンサート「Morimoto Taro 77th Birthday Live」に沢田、一徳、瞳がゲスト出演した。
この項目では、グループサウンズについて説明しています。プロ野球チームについては「阪神タイガース 」をご覧ください。
ザ・タイガース 別名
出身地
日本 ジャンル
ロック [1] 活動期間
レーベル
事務所
共同作業者
メンバー
ザ ・ タ イ ガ ー ス の 原 型 は 、 瞳 み の る 、 岸 部 修 三 ︵ 岸 部 一 徳 ︶ 、 森 本 太 郎 、 加 橋 か つ み の ︵ 沢 田 を 除 く ︶ 4 人 で 1 9 6 5 年 6 月 に 京 都 市 で 結 成 さ れ た ﹁ サ リ ー と プ レ イ ボ ー イ ズ ﹂ で あ る [ 2 ] 。 瞳 、 岸 部 、 森 本 は 京 都 市 立 北 野 中 学 校 の 同 級 生 ︵ 瞳 と 森 本 は 小 学 校 も 同 窓 ︶ で 、 加 橋 は 京 都 府 立 山 城 高 等 学 校 夜 間 部 で 瞳 の 2 学 年 下 だ っ た [ 3 ] 。
彼 ら は 1 9 6 4 年 ご ろ か ら 集 っ て 京 都 の 四 条 河 原 町 界 隈 で 遊 ぶ よ う に な っ た [ 3 ] 。 1 9 6 5 年 1 月 に 大 阪 で 開 か れ た ベ ン チ ャ ー ズ の コ ン サ ー ト に 4 人 で 出 か け た こ と が き っ か け で バ ン ド 結 成 へ と 至 っ た [ 2 ] 。 当 初 は ベ ン チ ャ ー ズ な ど の エ レ キ イ ン ス ト ナ ン バ ー を 主 な レ パ ー ト リ ー に し て い た 。
し か し 、 ビ ー ト ル ズ な ど の リ バ プ ー ル サ ウ ン ド の 影 響 も あ り 、 森 本 ら は 専 属 ボ ー カ ル の 必 要 を 感 じ る よ う に な っ た [ 2 ] 。 4 人 は 、 四 条 河 原 町 の ダ ン ス ホ ー ル ﹁ 田 園 ﹂ [ 4 ] [ 5 ] [ 6 ] に 出 演 し て い た ﹁ サ ン ダ ー ス ﹂ で ボ ー ヤ 兼 ボ ー カ ル だ っ た 沢 田 研 二 を 勧 誘 す る 。
1 9 6 6 年 元 日 、 沢 田 は 正 式 に ﹁ サ リ ー と プ レ イ ボ ー イ ズ ﹂ の メ ン バ ー と な り [ 7 ] 、 あ わ せ て バ ン ド 名 を ︵ バ ン ド ﹁ リ ン ド & リ ン ダ ー ス ﹂ の 命 名 で ︶ ﹁ フ ァ ニ ー ズ ﹂ に 改 称 し [ 7 ] 、 歌 主 体 の い わ ゆ る ボ ー カ ル ・ イ ン ス ト ゥ ル メ ン タ ル ・ グ ル ー プ と な っ た 。 リ ー ダ ー は 、 瞳 に 固 定 さ れ た [ 8 ] 。
フ ァ ニ ー ズ は 、 さ っ そ く 大 阪 ・ 難 波 に あ っ た ジ ャ ズ 喫 茶 ﹁ ナ ン バ 一 番 ﹂ の 専 属 オ ー デ ィ シ ョ ン を 受 け 、 2 月 か ら 週 2 日 の ス テ ー ジ を 行 う 契 約 を 結 ぶ [ 9 ] 。 5 人 は 、 本 格 的 な 音 楽 活 動 の た め 大 阪 市 西 成 区 岸 里 の ア パ ー ト で 合 宿 生 活 に 入 る [ 1 0 ] 。 ナ ン バ 一 番 で は ビ ー ト ル ズ 、 ス ト ー ン ズ な ど の 曲 を 、 英 語 で 歌 っ て い た 。
そ の 後 、 人 気 が 出 て 出 演 回 数 も 増 加 、 5 月 に 京 都 会 館 で 開 か れ た ﹁ 全 関 西 エ レ キ バ ン ド ・ コ ン テ ス ト ﹂ に ロ ー リ ン グ ・ ス ト ー ン ズ の ﹁ サ テ ィ ス フ ァ ク シ ョ ン ﹂ で 参 加 し 、 優 勝 し た [ 1 1 ] 。 こ の 賞 金 で バ ン ド は 揃 い の ユ ニ フ ォ ー ム を 新 調 す る [ 1 2 ] 。 さ ら に 、 6 月 に は ﹁ ナ ン バ 一 番 ﹂ の 人 気 投 票 で 1 位 と な る [ 1 3 ] 。 こ う し た 人 気 に 、 東 京 に 移 る 勧 誘 も 複 数 持 ち か け ら れ た 。 東 邦 企 画 の 上 条 英 男 に よ る も の ︵ 他 の バ ン ド に 、 岸 部 ・ 森 本 ・ 沢 田 の 3 人 を 加 入 さ せ る 話 。 沢 田 が 即 座 に 拒 絶 ︶ 、 ザ ・ ス パ イ ダ ー ス に よ る も の ︵ マ ネ ー ジ ャ ー が ﹁ ナ ン バ 一 番 ﹂ に 来 店 し た 際 に ﹁ リ ー ダ ー の 田 辺 も 話 し た い と 言 っ て い る ﹂ と 名 刺 を 沢 田 に 渡 し た ︶ が あ っ た が 、 い ず れ も 実 現 に は 至 ら な か っ た [ 1 4 ] 。 ザ ・ ス パ イ ダ ー ス に つ い て は フ ァ ニ ー ズ 全 員 が フ ァ ン ク ラ ブ 会 員 で も あ り 、 当 初 喜 ん だ も の の そ の 後 音 沙 汰 が な か っ た た め 、 森 本 と 沢 田 が 上 京 し て 直 接 田 辺 に 面 会 し た が 、 田 辺 の 反 応 は 冷 淡 で 発 展 す る こ と な く 終 わ っ た [ 1 4 ] 。
6 月 に は 、 ブ ル ー ジ ー ン ズ の 内 田 裕 也 が ﹁ ナ ン バ 一 番 ﹂ の ス テ ー ジ を 観 覧 し 、 フ ァ ニ ー ズ に ﹁ 東 京 に 来 る 気 が あ る か ﹂ と 声 を か け た が [ 1 5 ] 、 そ の 後 3 ヶ 月 ほ ど 話 は 進 展 し な か っ た ︵ こ の 間 、 森 本 を 除 く メ ン バ ー は ビ ー ト ル ズ 日 本 公 演 の 初 日 を 観 覧 し て い る ︶ 。 そ こ で 、 リ ー ダ ー の 瞳 が 単 身 で 上 京 し て 内 田 に 面 会 し 、 メ ン バ ー を 東 京 に 呼 ぶ 約 束 を 取 り 付 け る [ 1 6 ] 。 9 月 に は 、 内 田 ら ブ ル ー ジ ー ン ズ が 所 属 し て い た 渡 辺 プ ロ ダ ク シ ョ ン ︵ 通 称 、 渡 辺 プ ロ 、 現 在 の ワ タ ナ ベ エ ン タ ー テ イ ン メ ン ト ︶ の オ ー デ ィ シ ョ ン を 受 け る こ と に な っ た 。 10 月 に ﹁ ナ ン バ 一 番 ﹂ で 開 催 さ れ た オ ー デ ィ シ ョ ン を 経 て 、 フ ァ ニ ー ズ は 渡 辺 プ ロ と 正 式 に 契 約 を 結 ぶ [ 1 6 ] 。 そ の 後 、 ﹁ ナ ン バ 一 番 ﹂ で さ よ な ら 公 演 、 フ ァ ン ク ラ ブ に よ る ﹁ お 別 れ 会 ﹂ を も っ て 、 関 西 で の 活 動 を 終 え る こ と に な る [ 1 7 ] 。
1 9 6 6 年 11 月 9 日 、 東 海 道 新 幹 線 で 上 京 [ 1 8 ] 。 3 日 後 、 ポ リ ド ー ル ・ レ コ ー ド ︵ 当 時 は 日 本 グ ラ モ フ ォ ン 、 現 在 は ユ ニ バ ー サ ル ミ ュ ー ジ ッ ク に 併 合 ︶ の オ ー デ ィ シ ョ ン に 合 格 し [ 1 9 ] 、 レ コ ー ド 会 社 が 決 ま る 。 メ ン バ ー は 世 田 谷 区 烏 山 町 に 用 意 さ れ た 住 宅 に 入 居 し 、 渡 辺 プ ロ マ ネ ー ジ ャ ー の 中 井 國 二 を 加 え た 6 人 で 合 宿 生 活 を 始 め た [ 2 0 ] 。
11 月 15 日 、 初 出 演 の テ レ ビ 番 組 ﹃ ザ ・ ヒ ッ ト パ レ ー ド ﹄ ︵ フ ジ テ レ ビ 系 ︶ 収 録 当 日 、 渡 辺 プ ロ の 制 作 部 長 か ら 依 頼 を 受 け た 番 組 デ ィ レ ク タ ー の す ぎ や ま こ う い ち に よ り 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス と い う バ ン ド 名 が 与 え ら れ た [ 1 9 ] 。 沢 田 は ﹁ 大 阪 か ら 来 た わ け ? じ ゃ 、 タ イ ガ ー ス だ ﹂ ︵ プ ロ 野 球 の 阪 神 タ イ ガ ー ス に ち な む ︶ と す ぎ や ま か ら 言 わ れ た と 後 年 述 べ て い る [ 1 9 ] 。 当 時 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ 、 イ ギ リ ス 、 日 本 な ど で 人 気 だ っ た ア イ ド ル グ ル ー プ 、 モ ン キ ー ズ の 存 在 を 意 識 し て 動 物 名 と な っ た と す る 説 も あ る [ 2 1 ] 。 す ぎ や ま 自 身 は 1 9 8 7 年 に ﹁ 関 西 っ て こ と も あ っ た け ど 、 な に よ り も 初 め て 見 た と き “ 若 虎 ” っ て 印 象 が あ っ た の ね 、 彼 ら の 動 き と か に ね ﹂ と 証 言 し て い る [ 1 9 ] 。 ま た 、 渡 辺 プ ロ か ら の 指 示 に よ り 、 バ ン ド の リ ー ダ ー も 瞳 か ら 岸 部 に 変 更 さ れ た [ 1 9 ] 。
初 の テ レ ビ 出 演 で は 、 当 時 ア メ リ カ 本 国 に お い て 、 モ ン キ ー ズ に 次 ぐ ア イ ド ル 人 気 と な っ て い た パ ン ク ・ ロ ッ ク バ ン ド で あ る ポ ー ル ・ リ ヴ ィ ア & ザ ・ レ イ ダ ー ズ ︵ 英 語 版 ︶ の ﹁ K I C K S ︵ 英 語 版 ︶ ﹂ を 演 奏 [ 1 9 ] 。 出 演 時 間 は わ ず か 30 秒 で 、 渡 辺 プ ロ で は な く 内 田 裕 也 か ら す ぎ や ま に 売 り 込 ん で の も の だ っ た と い う 。 演 奏 時 間 が わ ず か 30 秒 だ っ た こ と に つ い て 内 田 は 、 す ぎ や ま こ う い ち に 対 し て 強 い 怒 り を 感 じ た と い う [ 1 9 ] 。 内 田 は 、 上 京 後 す ぐ に メ ン バ ー を 麻 布 の イ タ リ ア 料 理 店 ﹁ キ ャ ン テ ィ ﹂ に 連 れ て 行 っ た [ 2 2 ] 。 ﹁ キ ャ ン テ ィ ﹂ は 当 時 、 文 化 ・ 芸 能 人 の 集 ま る サ ロ ン の よ う な 場 所 で 、 メ ン バ ー は そ の 後 も し き り に 出 入 り し 、 公 私 と も に 影 響 を 受 け て い く こ と に な る [ 2 3 ] 。
内 田 の 命 で 新 宿 A C B 出 演 の 際 に 、 メ ン バ ー の ニ ッ ク ネ ー ム と 芸 名 が 決 め ら れ た [ 2 4 ] 。 岸 部 は リ ト ル ・ リ チ ャ ー ド の シ ン グ ル ﹁ の っ ぽ の サ リ ー ﹂ に 由 来 す る ﹁ サ リ ー ﹂ 、 瞳 は キ ュ ー ピ ー に 由 来 す る ﹁ ピ ー ﹂ 、 森 本 は 本 名 に 由 来 す る ﹁ タ ロ ー ﹂ と さ れ た 。 3 人 と も 従 来 か ら メ ン バ ー 間 で 使 わ れ て い た 愛 称 だ っ た ︵ 岸 部 と 瞳 は 京 都 時 代 に 自 然 に つ け ら れ た ︶ 。 一 方 、 沢 田 は 、 女 優 ジ ュ リ ー ・ ア ン ド リ ュ ー ス に 由 来 す る ﹁ ジ ュ リ ー ﹂ と 自 ら 名 付 け 、 加 橋 は 、 ト ッ ポ ・ ジ ー ジ ョ に 似 て い る こ と か ら 新 宿 A C B 支 配 人 の 命 名 で ﹁ ト ッ ポ ﹂ と 名 付 け ら れ た [ 2 4 ] 。 ま た 、 芸 名 に つ い て は 、 岸 部 は 読 み を 変 え ︵ ﹁ し ゅ う ぞ う ﹂ か ら ﹁ お さ み ﹂ ︶ 、 瞳 と 森 本 は 表 記 を 変 え た 。 加 橋 は 本 名 ﹁ 高 橋 ︵ た か は し ︶ ﹂ の 一 文 字 を 抜 く 形 と な っ た
。 沢 田 は 内 田 に よ る 芸 名 ︵ 読 み は ﹁ サ ワ ノ イ ケ ン ﹂ ︶ を 拒 否 し 、 本 名 を 名 乗 っ た [ 2 4 ] 。
1 9 6 7 年 2 月 5 日 発 売 の シ ン グ ル ﹁ 僕 の マ リ ー ﹂ ︵ 録 音 時 点 で の タ イ ト ル は ﹁ マ リ ー の 想 い 出 ﹂ ︶ で デ ビ ュ ー す る 。 前 年 12 月 の 録 音 の 際 、 曲 を 渡 さ れ た メ ン バ ー は そ れ ま で の 演 奏 曲 と の 違 和 や 失 望 を 感 じ た と い う [ 2 5 ] 。 渡 辺 プ ロ 側 が タ イ ガ ー ス の プ ロ モ ー シ ョ ン に 際 し て イ メ ー ジ し た の は モ ン キ ー ズ で あ っ た [ 2 5 ] が 、 セ ー ル ス は 伸 び 悩 む 。
だ が 、 3 月 頃 か ら 人 気 が 爆 発 し [ 2 6 ] 、 5 月 発 売 の セ カ ン ド ・ シ ン グ ル ﹁ シ ー サ イ ド ・ バ ウ ン ド ﹂ は 40 万 枚 を 超 え る ヒ ッ ト と な っ た [ 2 7 ] 。 ﹃ シ ャ ボ ン 玉 ホ リ デ ー ﹄ な ど の テ レ ビ 出 演 で そ れ が 加 速 し 、 従 来 よ り も 低 年 齢 ︵ 中 高 生 ︶ に フ ァ ン 層 が 広 が っ た [ 2 8 ] 。
一 方 、 ジ ャ ズ 喫 茶 で は 、 内 田 と 組 ん だ ﹁ 内 田 裕 也 と タ イ ガ ー ス ﹂ と し て 前 年 12 月 か ら 新 宿 A C B に 出 演 し 、 フ ァ ニ ー ズ 時 代 と 同 じ テ イ ス ト の 楽 曲 を 演 奏 し た [ 2 9 ] 。 1 9 6 7 年 1 月 15 日 の 第 31 回 日 劇 ウ ェ ス タ ン カ ー ニ バ ル で 、 内 田 と 尾 藤 イ サ オ の バ ッ ク を 引 き 受 け る 条 件 で 、 内 田 の 用 意 し た 衣 装 を 着 て 1 曲 だ け 演 奏 す る [ 2 8 ] 。 こ れ を 契 機 に ジ ャ ズ 喫 茶 で の フ ァ ン が 増 加 し て い く 。
当 初 、 テ レ ビ は 渡 辺 プ ロ 、 ジ ャ ズ 喫 茶 は 内 田 と マ ネ ジ メ ン ト が 分 か れ て い た が [ 3 0 ] 、 ジ ャ ズ 喫 茶 に お い て も ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス ﹂ と し て 扱 わ れ 、 内 田 は プ ロ デ ュ ー ス に 近 い 立 場 と な っ た [ 3 1 ] 。 後 に 、 内 田 は 渡 辺 プ ロ と 対 立 、 第 32 回 の 日 劇 ウ ェ ス タ ン カ ー ニ バ ル 前 日 の 5 月 4 日 に 内 田 は ﹁ キ ャ ン テ ィ ﹂ 経 営 者 の 川 添 夫 妻 の 援 助 で 渡 仏 し た [ 3 2 ] 。 結 果 と し て 、 渡 辺 プ ロ は 自 ら の 路 線 に 合 わ な い 内 田 を ザ ・ タ イ ガ ー ス か ら 切 り 離 し た 形 と な っ た 。
1 9 6 7 年 後 半 に は 活 動 の 中 心 は ジ ャ ズ 喫 茶 か ら コ ン サ ー ト に 変 わ り 、 テ レ ビ な ど の 芸 能 活 動 も 増 加 し て い っ た [ 3 3 ] 。 烏 山 の 合 宿 所 に は 女 性 の 追 っ か け が 数 多 く 訪 れ 、 メ ン バ ー の 日 常 生 活 に も 支 障 を 来 す ほ ど に な っ て い た [ 3 4 ] 。
1 9 6 8 年 に は 、 1 月 発 売 の 4 枚 目 シ ン グ ル ﹁ 君 だ け に 愛 を ﹂ の ヒ ッ ト に 続 き 、 3 月 発 売 の 5 枚 目 シ ン グ ル ﹁ 銀 河 の ロ マ ン ス / 花 の 首 飾 り ﹂ ︵ ﹁ 花 の 首 飾 り ﹂ は 加 橋 の 初 の メ イ ン ボ ー カ ル 曲 ︶ が オ リ コ ン シ ン グ ル ・ チ ャ ー ト の 1 位 を 7 週 間 連 続 で 獲 得 、 公 称 1 3 0 万 枚 を 売 り 上 げ た [ 3 5 ] ・ オ リ コ ン 調 べ で 6 7 . 6 万 枚 [ 3 5 ] 。 3 月 10 日 に ﹁ 花 の 首 飾 り ﹂ の 新 曲 発 表 会 を 日 本 武 道 館 で 開 催 す る 。 武 道 館 コ ン サ ー ト を す る 初 の 日 本 人 音 楽 バ ン ド と な る 。 ザ ・ タ イ ガ ー ス 初 の 主 演 映 画 ﹃ ザ ・ タ イ ガ ー ス 世 界 は ボ ク ら を 待 っ て い る ﹄ は 4 月 に 公 開 さ れ た 。
7 月 発 売 の 6 枚 目 シ ン グ ル ﹁ シ ー ・ シ ー ・ シ ー ﹂ も 6 週 1 位 と な り 、 オ リ コ ン 調 べ で 5 0 . 8 万 枚 [ 3 6 ] を 売 り 上 げ た 。 8 月 12 日 に ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス ・ シ ョ ー 〜 真 夏 の 夜 の 祭 典 ﹂ が 後 楽 園 球 場 で 開 催 さ れ る 。 日 本 初 の ス タ ジ ア ム ・ ラ イ ブ と な る 。
こ う し て 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス は 、 渡 辺 プ ロ に よ る ア イ ド ル 的 な 売 り 出 し に よ っ て 多 様 な 人 気 を 集 め 、 グ ル ー プ サ ウ ン ズ の 頂 点 を 極 め る こ と に な る 。
だ が 、 ア イ ド ル 性 を 前 面 に し た プ ロ モ ー シ ョ ン は 、 ビ ー ト ル ズ や ロ ッ ク を 原 点 と し た 音 楽 志 向 を 持 っ て い た メ ン バ ー の 不 満 を 募 ら せ る 。
特 に 、 繊 細 で 芸 術 家 肌 だ っ た 加 橋 は 渡 辺 プ ロ に 反 発 。 仕 事 に 没 頭 す る 沢 田 と の 意 見 の 相 違 が 顕 著 に な る 。 1 9 6 8 年 春 に は 加 橋 の 脱 退 話 が 浮 上 し て い た 。
事 務 所 と は 金 銭 的 な 問 題 で 意 見 の 相 違 が あ っ た 。 11 月 25 日 に 、 加 橋 の 意 向 を 反 映 し て ト ー タ ル ・ コ ン セ プ ト ・ ア ル バ ム ﹃ ヒ ュ ー マ ン ・ ル ネ ッ サ ン ス ﹄ を 発 売 し て い る 。 加 橋 の メ イ ン ボ ー カ ル の ﹁ 廃 虚 の 鳩 ﹂ は 先 行 シ ン グ ル カ ッ ト 版 に な る 。 12 月 に は 森 本 が 作 詞 作 曲 し た ﹁ 青 い 鳥 ﹂ も ア ル バ ム か ら の シ ン グ ル カ ッ ト で リ リ ー ス さ れ た 。 ま た 、 ヒ ッ ピ ー テ イ ス ト の コ ス チ ュ ー ム で 路 線 変 更 を 模 索 す る 。
だ が 、 1 9 6 9 年 に な る と 加 橋 脱 退 は 避 け ら れ な く な っ て い た 。 加 橋 は 3 月 5 日 、 渋 谷 で の レ ッ ス ン 中 に ス タ ジ オ を 離 れ た 後 、 グ ル ー プ に 戻 ら な か っ た 。 渡 辺 プ ロ は 記 者 会 見 で ﹁ 加 橋 の 失 踪 ﹂ と 説 明 し 、 8 日 に 加 橋 を ﹁ 除 名 ﹂ し 、 代 わ り に 岸 部 の 弟 の 岸 部 シ ロ ー を 加 入 さ せ た 。 シ ロ ー は 以 前 か ら グ ル ー プ を サ ポ ー ト し て お り 、 渡 辺 音 楽 出 版 の 出 向 社 員 と い う 待 遇 で ロ サ ン ゼ ル ス に 滞 在 。 ア メ リ カ の 最 新 の 音 楽 情 報 を 定 期 的 に 日 本 に 送 り 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス は そ れ を コ ン サ ー ト で 活 か し て い た 。 シ ロ ー は 突 然 の 連 絡 で 急 遽 帰 国 。 14 日 に 新 メ ン バ ー と し て 羽 田 空 港 で 記 者 会 見 を し た 。
こ う し て タ イ ガ ー ス の 第 二 期 が ス タ ー ト し 、 9 枚 目 の シ ン グ ル ﹁ 美 し き 愛 の 掟 ﹂ が 発 売 さ れ る 。 シ ロ ー は 高 音 パ ー ト と 、 ギ タ ー 、 タ ン バ リ ン を 担 当 し た 。 演 奏 の 腕 前 は 上 達 し な か っ た が 、 MC で の 話 術 に は 定 評 が あ り 、 高 評 価 を 受 け た 。 だ が 、 今 度 は 瞳 が 渡 辺 プ ロ に 不 信 感 を 抱 く よ う に な る 。 仲 間 た ち と 世 界 の 頂 点 を 目 指 そ う と し て い た が 、 加 橋 の 脱 退 で 目 的 を 失 っ た の だ っ た 。 事 務 所 に 脱 退 を 申 し 出 て 、 1 9 6 9 年 夏 に は メ ン バ ー で 協 議 が 行 わ れ る 。
こ の 頃 、 グ ル ー プ ・ サ ウ ン ズ の ブ ー ム が 急 速 に 沈 滞 化 し 、 終 焉 の 兆 し を 見 せ 始 め る 。 音 楽 シ ー ン が 多 様 化 す る 中 で 、 同 年 秋 か ら は 、 グ ル ー プ と し て の 活 動 よ り も メ ン バ ー 個 々 の 活 動 が 中 心 と な っ た 。 1 9 7 0 年 に な る と 、 4 月 26 日 の 日 本 万 国 博 覧 会 の E X P O ホ ー ル ・ 水 上 ス テ ー ジ で の ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス ・ シ ョ ー ﹂ 、 8 月 22 日 の 田 園 コ ロ シ ア ム で の コ ン サ ー ト が 目 立 つ 程 度 に な っ た 。 な お 、 加 橋 は 脱 退 後 、 1 9 6 9 年 12 月 か ら ミ ュ ー ジ カ ル ﹃ ヘ ア ー ﹄ に 主 演 す る な ど 注 目 を 浴 び て い た が 、 1 9 7 0 年 の 大 阪 公 演 は 諸 般 の 事 情 で 中 止 に な っ て い る 。
メ デ ィ ア に よ る 解 散 報 道 が 相 次 ぐ 中 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス は 1 9 7 0 年 12 月 7 日 に 解 散 を 表 明 す る 。 翌 1 9 7 1 年 1 月 24 日 の 日 本 武 道 館 に お け る ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス ビ ュ ー テ ィ フ ル ・ コ ン サ ー ト ﹂ が 事 実 上 の 解 散 コ ン サ ー ト と な る 。 こ の 模 様 は 、 ニ ッ ポ ン 放 送 で 3 時 間 に わ た り 生 中 継 さ れ 、 テ レ ビ で は 、 録 画 さ れ た も の が 1 月 30 日 に フ ジ テ レ ビ で 放 映 さ れ た 。 ま た 、 大 幅 に 編 集 さ れ た 実 況 録 音 盤 ︵ ラ イ ブ ア ル バ ム ︶ ﹃ ザ ・ タ イ ガ ー ス ・ フ ィ ナ ー レ ﹄ と し て 同 年 に 発 売 さ れ た 。
な お 、 こ の 日 楽 屋 で は ひ と 揉 め あ っ た 。 会 場 の 客 席 に 加 橋 が い る こ と を 知 っ て 、 一 徳 は ﹁ 今 日 が 最 後 な ん だ か ら 、 彼 に も ス テ ー ジ に 上 が っ て も ら っ て 歌 っ て も ら っ た ら ど う だ ﹂ と 提 案 す る が 、 瞳 は こ れ に 絶 対 反 対 の 立 場 を と り ﹁ 勝 手 に 辞 め た 奴 を 呼 ぶ な ら 俺 は 降 り る ﹂ と 発 言 、 結 局 加 橋 が ス テ ー ジ に 上 が る こ と は 無 か っ た [ 3 7 ] 。 コ ン サ ー ト の 夜 、 内 田 主 催 で 食 事 会 が 行 わ れ 、 5 人 の メ ン バ ー も 参 加 す る 。 ※ 加 橋 は 食 事 会 に 参 加 し て い な い 。
解 散 後 、 森 本 、 岸 部 兄 弟 、 沢 田 は 、 引 き 続 き 芸 能 活 動 を 行 う 。 一 方 、 瞳 は 解 散 コ ン サ ー ト 後 の 食 事 会 が 終 わ る と 、 ト ラ ッ ク に 家 財 道 具 を 積 み 込 み 、 実 家 の あ る 京 都 へ 戻 り 、 芸 能 界 を 引 退 す る 。 24 歳 で 高 校 に 復 学 し 、 慶 應 義 塾 大 学 へ 進 学 、 後 に 高 校 教 師 と な り 、 37 年 間 、 他 の メ ン バ ー と 完 全 に 交 流 を 絶 つ こ と に な る 。
1 9 7 1 年 の 解 散 か ら 10 年 経 っ た 1 9 8 1 年 の 1 月 22 日 ~ 25 日 に か け て 、 東 京 ・ 有 楽 町 の 日 劇 が 取 り 壊 さ れ る の を 前 に 、 内 田 裕 也 を 中 心 に ﹃ サ ヨ ナ ラ 日 劇 ウ エ ス タ ン カ ー ニ バ ル ﹄ が 開 催 さ れ 、 ザ ・ ス パ イ ダ ー ス 、 ジ ャ ッ キ ー 吉 川 と ブ ル ー コ メ ッ ツ 、 ザ ・ カ ー ナ ビ ー ツ な ど 往 年 の グ ル ー プ ・ サ ウ ン ズ が 再 結 成 し た 。 ザ ・ タ イ ガ ー ス は 最 終 日 の 1 月 25 日 に 岸 部 一 徳 、 森 本 、 加 橋 、 沢 田 の 4 名 で 再 結 成 し て 9 曲 を 演 奏 し 、 シ ロ ー も 1 曲 参 加 し た [ 注 1 ] 。
1 9 8 1 年 11 月 に 岸 部 一 徳 、 森 本 、 加 橋 、 沢 田 、 シ ロ ー の 5 名 で ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス 同 窓 会 ﹂ と 銘 打 っ て 本 格 的 な 再 結 成 が 発 表 さ れ 、 シ ン グ ル ﹁ 十 年 ロ マ ン ス ﹂ を リ リ ー ス し た 。 瞳 は 当 時 芸 能 界 と 決 別 し て お り 、 メ ン バ ー と も 連 絡 す ら と ら な い 状 態 で あ っ た た め 、 公 式 に は ﹁ 再 結 成 ﹂ で は な く 、 ﹁ 同 窓 会 ﹂ と い う 名 目 に し て い た 。
翌 1 9 8 2 年 2 月 に は 、 ア ル バ ム ﹃ T H E T I G E R S 1 9 8 2 ﹄ を リ リ ー ス し 、 3 ~ 4 月 に 日 本 武 道 館 を 含 む 全 国 主 要 都 市 で の ツ ア ー を 展 開 し た 。 ツ ア ー 中 に シ ン グ ル ﹁ 色 つ き の 女 で い て く れ よ ﹂ が ヒ ッ ト し 、 TV や CM へ 出 演 、 写 真 集 も 発 売 さ れ た 。 CM 出 演 、 コ ン サ ー ト の ビ デ オ 、 シ ン グ ル 発 売 は 1 9 8 3 年 ま で 続 い た 。 1 9 8 3 年 3 月 に は シ ン グ ル ﹁ 銀 河 旅 行 ﹂ を リ リ ー ス し た 。
1 9 8 9 年 12 月 31 日 に は 、 ﹃ 第 40 回 N H K 紅 白 歌 合 戦 ﹄ に 、 瞳 以 外 の 5 人 で 出 場 す る ︵ 初 出 場 ︶ 。 紅 白 40 回 記 念 大 会 の 昭 和 を 振 り 返 る コ ー ナ ー に 出 演 し 、 ﹁ 花 の 首 飾 り ﹂ 、 ﹁ 君 だ け に 愛 を ﹂ を メ ド レ ー で 演 奏 し た 。
﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス ﹂ 名 義 以 外 で の 活 動 も 、 散 発 的 に お こ な わ れ た 。
1 9 8 8 年 に 森 本 が 中 心 と な り 、 往 年 の GS の 中 心 メ ン バ ー が そ ろ っ て ﹁ タ イ ガ ー ス ・ メ モ リ ア ル ・ ク ラ ブ バ ン ド ﹂ を 結 成 、 ア ル バ ム 制 作 や コ ン サ ー ト 活 動 を 行 っ た 。 ア ル バ ム で は ﹁ 花 の 首 飾 り ﹂ を 瞳 を 除 く メ ン バ ー で 新 録 音 し て い る 。 ま た 、 本 人 た ち 出 演 の カ ラ オ ケ ﹁ D A M ﹂ で は 、 沢 田 と 瞳 を 除 く 4 人 が 出 演 し て い る 。
1 9 8 9 年 に は 、 大 阪 城 ホ ー ル 及 び 横 浜 ア リ ー ナ で 開 か れ た ﹁ タ イ ガ ー ス ・ メ モ リ ア ル ・ ク ラ ブ ・ バ ン ド ﹂ コ ン サ ー ト に 、 瞳 を 除 く 5 人 の タ イ ガ ー ス で ト リ で 出 演 。 ジ ョ イ ン ト 演 奏 コ ー ナ ー が 大 半 を 占 め る 中 、 単 独 で 数 曲 を 演 奏 し た 後 に 、 ﹁ シ ー サ イ ド ・ バ ウ ン ド ﹂ で 他 の 出 演 者 も 加 わ っ て 演 奏 し 、 フ ィ ナ ー レ へ と 進 ん だ 。 12 月 31 日 に は 前 述 の よ う に 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス と し て 初 の 紅 白 歌 合 戦 に 出 場 し た 。
1 9 9 3 年 に は 森 本 、 加 橋 、 シ ロ ー に 岩 本 恭 生 を 加 え た 構 成 で ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス マ ニ ア ﹂ と い う ユ ニ ッ ト で 活 動 し シ ン グ ル を リ リ ー ス し て い る 。
1 9 9 7 年 に は 、 森 本 、 一 徳 、 沢 田 が ロ ッ ク ユ ニ ッ ト ﹁ T E A F O R T H R E E ﹂ を 結 成 し 、 CD シ ン グ ル ﹃ 君 を 真 実 に 愛 せ な く て は 他 の 何 も 続 け ら れ な い ﹄ を 発 売 、 ラ ジ オ 番 組 の パ ー ソ ナ リ テ ィ な ど も 務 め た が 、 後 に 活 動 を 休 止 し て い る 。
2 0 0 3 年 、 森 本 率 い る ﹁ 森 本 太 郎 と ス ー パ ー ・ ス タ ー ﹂ は 、 オ リ ジ ナ ル 曲 ﹁ L o n g G o o d - b y ﹂ を 発 表 す る 。 タ イ ガ ー ス 解 散 直 前 、 日 劇 ウ エ ス タ ン カ ー ニ バ ル の 舞 台 裏 で 瞳 が 岸 部 に 語 っ た ﹁ 一 緒 に 京 都 へ 帰 ろ う ﹂ と い う 会 話 に 基 づ い て 作 ら れ た 。 解 散 か ら 30 年 以 上 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス の 元 メ ン バ ー と 一 切 の 交 流 を 絶 っ た ま ま の 瞳 と の 再 会 を 期 す る 曲 で 、 一 徳 と 沢 田 が 作 詞 を 手 が け た 。 楽 曲 は 長 く 音 源 化 さ れ ず 、 ﹁ 森 本 太 郎 と ス ー パ ー ス タ ー ﹂ の 1 月 ラ イ ブ で の み 披 露 さ れ て い た 。
沢 田 が 還 暦 を 迎 え る 2 0 0 8 年 、 沢 田 の ア ル バ ム ﹃ R O C K ' N R O L L M A R C H ﹄ に も 収 録 さ れ た 。 沢 田 は 、 こ の 曲 を 2 0 0 8 年 9 月 24 日 の ﹃ S O N G S ﹄ ︵ N H K 総 合 テ レ ビ ジ ョ ン ︶ に 出 演 し た 際 に 歌 唱 す る 。
瞳 は 、 勤 務 先 の 慶 應 義 塾 高 等 学 校 の 同 僚 経 由 で 曲 の 存 在 を 知 る 。 元 マ ネ ー ジ ャ ー の 中 井 國 二 の 呼 び か け 、 そ し て 大 病 と 離 婚 を 経 て 退 職 を 迎 え よ う と し た 瞳 自 身 の 心 境 の 変 化 も あ っ て 、 2 0 0 8 年 の 暮 れ 、 瞳 は 沢 田 、 一 徳 、 森 本 と 37 年 振 り に 東 京 で 再 会 を 果 た す 。 翌 年 に は 加 橋 と も 再 会 し た 。
2 0 1 1 年 2 月 、 瞳 は 朝 日 新 聞 な ど の イ ン タ ビ ュ ー に 登 場 す る 。 2 月 25 日 に 瞳 の 自 伝 ﹃ ロ ン グ ・ グ ッ バ イ の あ と で ﹄ の 出 版 記 念 パ ー テ ィ ー が 開 催 さ れ 、 壇 上 に は 、 瞳 、 一 徳 、 沢 田 、 森 本 が 並 ん だ 。 瞳 が ザ ・ タ イ ガ ー ス の メ ン バ ー と 共 に 公 式 の 場 で 姿 を 現 す の は 解 散 か ら 40 年 ぶ り で 、 ﹁ ロ ン グ グ ッ バ イ ﹂ は 終 わ り を 告 げ た 。
こ の 頃 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス ﹁ 復 活 ﹂ が 、 関 係 者 や メ ン バ ー 自 身 か ら 発 信 さ れ る が 、 加 橋 が 最 終 的 に 参 加 を 見 送 っ た 。 そ の た め 、 同 年 9 月 か ら 開 催 さ れ る 沢 田 研 二 の ﹁ 沢 田 研 二 L I V E 2 0 1 1 〜 2 0 1 2 ﹂ 全 38 公 演 に 、 岸 部 一 徳 、 森 本 太 郎 、 瞳 み の る が ゲ ス ト 参 加 す る 形 と な っ た [ 3 9 ] 。 瞳 の 40 年 ぶ り の 参 加 が 大 き な イ ン パ ク ト と な り 、 チ ケ ッ ト の 発 売 当 日 に 、 大 都 市 開 催 分 は 即 日 完 売 と な っ た 。 翌 2 0 1 2 年 1 月 24 日 の 沢 田 研 二 ラ イ ブ ツ ア ー 最 終 日 ︵ 日 本 武 道 館 ︶ に は 、 脳 梗 塞 で 2 0 0 3 年 に 倒 れ て か ら 療 養 中 の 岸 部 四 郎 が ゲ ス ト と し て 登 場 。 第 二 期 ザ ・ タ イ ガ ー ス が 1 9 7 1 年 1 月 24 日 の 解 散 ラ イ ブ 以 来 、 勢 揃 い し た [ 4 0 ] 。 同 年 1 月 に は 、 N H K ﹁ S O N G S - 沢 田 研 二 ザ ・ タ イ ガ ー ス を 歌 う ﹂ に 沢 田 、 森 本 、 岸 部 、 瞳 が 出 演 し て 5 曲 を 演 奏 し た 。
ザ ・ タ イ ガ ー ス 再 結 成 が 正 式 に 発 表 さ れ た の は 、 2 0 1 3 年 1 月 6 日 、 渋 谷 公 会 堂 で 行 わ れ た 沢 田 の 正 月 コ ン サ ー ト で あ る ﹁ 沢 田 研 二 2 0 1 3 正 月 L I V E 燃 え ろ 東 京 ス ワ ロ ー ズ ﹂ だ っ た 。 瞳 み の る と 加 橋 か つ み が 参 加 す る オ リ ジ ナ ル ・ メ ン バ ー で の 活 動 は 1 9 6 9 年 以 来 、 44 年 ぶ り と な っ た 。 ツ ア ー は 、 12 月 3 日 に 日 本 武 道 館 で ス タ ー ト し て [ 4 1 ] 、 全 国 8 会 場 で 約 10 万 人 を 集 め た 。 初 日 の 武 道 館 公 演 は 吉 永 小 百 合 、 水 谷 豊 ・ 伊 藤 蘭 夫 妻 、 内 田 裕 也 、 石 川 さ ゆ り 、 観 月 あ り さ な ど が 観 客 席 か ら 見 守 っ た [ 4 2 ] 。 最 終 日 と な っ た 12 月 27 日 の 東 京 ド ー ム 公 演 に て 、 岸 部 四 郎 が 再 び 病 を 押 し て ゲ ス ト と し て 登 場 。 結 成 以 来 初 め て 、 6 人 の メ ン バ ー が 公 の 場 で 一 堂 に 会 す る こ と と な っ た [ 4 3 ] 。
2 0 1 6 年 9 月 に 、 瞳 の 古 稀 を 祝 っ て オ リ ジ ナ ル メ ン バ ー 5 人 で 食 事 会 を 開 い た 。 11 月 19 日 に は 、 森 本 の 古 稀 を 記 念 し た ラ イ ブ ﹁ 森 本 太 郎 古 稀 ラ イ ヴ M y M e m o r i e s i n M y L i f e ﹂ の ア ン コ ー ル で 、 オ リ ジ ナ ル メ ン バ ー 5 人 が 揃 い 、 森 本 作 曲 の ﹁ 青 い 鳥 ﹂ ﹁ 色 つ き の 女 で い て く れ よ ﹂ の 2 曲 を 演 奏 。 2 0 1 3 年 以 来 の ザ ・ タ イ ガ ー ス 復 活 と な っ た 。
2 0 1 9 年 11 月 6 日 の ﹁ 森 本 タ ロ ー と ス ー パ ー ス タ ー 再 結 成 20 周 年 記 念 ラ イ ブ ﹂ で は 、 沢 田 、 一 徳 、 瞳 が ゲ ス ト 出 演 し 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス の 楽 曲 を 4 曲 演 奏 し た [ 注 2 ] 。
2 0 2 0 年 8 月 28 日 、 メ ン バ ー の 岸 部 四 郎 が 死 去 。 71 歳 没 [ 4 4 ] 。
2 0 2 3 年 6 月 25 日 、 沢 田 の 75 歳 の 誕 生 日 に さ い た ま ス ー パ ー ア リ ー ナ に て 開 催 さ れ た ﹃ 沢 田 研 二 L I V E 2 0 2 2 - 2 0 2 3 ﹁ ま だ ま だ 一 生 懸 命 ﹂ ツ ア ー フ ァ イ ナ ル バ ー ス デ ー ラ イ ブ ! ﹄ に 、 瞳 、 森 本 、 一 徳 が ス ペ シ ャ ル ゲ ス ト と し て 登 場 し た [ 注 3 ] [ 4 5 ] 。 第 1 部 で は ザ ・ タ イ ガ ー ス の 往 年 の ヒ ッ ト 曲 を 披 露 、 ア ン コ ー ル に 再 登 場 し ロ ー リ ン グ ・ ス ト ー ン ズ の カ バ ー を 披 露 す る な ど し た 。 な お 、 公 演 の 模 様 は W O W O W ラ イ ブ で 生 中 継 ︵ 同 時 配 信 ︶ さ れ た [ 4 6 ] 。 12 月 18 日 、 E X T H E A T E R R O P P O N G I で 開 催 さ れ た 森 本 の 喜 寿 を 祝 し た コ ン サ ー ト ﹁ M o r i m o t o T a r o 7 7 t h B i r t h d a y L i v e ﹂ に 沢 田 、 一 徳 、 瞳 が ゲ ス ト 出 演 し た 。
発売日
タイトル
規格
規格品番
ポリドールレコード / 加橋かつみ在籍期
1967年11月5日
THE TIGERS ON STAGE
LP
SLPM-1377
1968年5月15日
世界はボクらを待っている
LP
SLPM-1395
1968年12月5日
ヒューマン・ルネッサンス
LP
SMP-1420
ポリドールレコード / 岸部シロー在籍期
1970年9月15日
THE TIGERS AGAIN
LP
MP-1484
1970年12月15日
自由と憧れと友情
LP
MP-1486
1971年2月20日
ザ・タイガース・サウンズ・イン・コロシアム
LP
MP-9361/2
1971年7月10日
ザ・タイガース・フィナーレ
LP
MR-5004
ポリドールレコード(Julie) / 再結成期
1982年2月5日
THE TIGERS 1982
LP
28MX-1085
1982年5月10日
A-LIVE
LP
50MX-1094/6
1982年12月1日
THE TIGERS 20 HISTORY
LP
38MX-1123/4
タイガースメモリアルクラブバンド
1988年12月21日
タイガース・メモリアルクラブバンド
CD
PSCR-5106
1990年9月25日
タイガース・メモリアルクラブバンドⅡ ぼくと、ぼくらの夏
CD
PSCC-1012
1992年6月25日
ブルーシャトーを君だけに/GSが好きさ好きさ好きさ/懐かしきラブソング
CD
PSCC-1064
2001年10月17日
OJPC物語2001
CD
PCCA01585
2011年7月27日
配信
ザ・タイガースの解散以降、多数のベストアルバムが発売されているが、メンバーが監修したアルバムのみ記載する。
発売日
タイトル
規格
規格品番
アポロン
1981年
サヨナラ日劇ウエスタン・カーニバル vol.3
- ザ・タイガース、沢田研二&オールウェイズ
CT
KSF-1306
1996年3月21日
CD
APCA-157
発売日
タイトル
規格
規格品番
ポリドールレコード / 加橋かつみ在籍期
1967年2月5日
僕のマリー
EP
SDP-2001
1967年5月5日
シーサイド・バウンド
EP
SDP-2004
1967年8月20日
モナリザの微笑
EP
SDP-2011
1968年1月5日
君だけに愛を
EP
SDP-2016
1968年3月25日
花の首飾り/銀河のロマンス
EP
SDP-2022
1968年7月15日
シー・シー・シー
EP
SDP-2025
1968年10月5日
廃虚の鳩
EP
SDP-2030
1968年12月1日
青い鳥
EP
SDP-2032
ポリドールレコード / 岸部シロー在籍期
1969年3月25日
美しき愛の掟
EP
SDP-2036
1969年7月5日
嘆き
EP
SDP-2042
1969年7月25日
スマイル・フォー・ミー
EP
SDP-2044
1969年12月1日
君を許す/ラヴ・ラヴ・ラヴ
EP
DP-2058
1970年3月20日
都会
EP
DP-2070
1970年7月1日
素晴しい旅行
EP
DP-2078
1970年11月10日
誓いの明日
EP
DP-2079
ポリドールレコード(Julie) / 再結成期
1981年11月21日
十年ロマンス
EP
7DX-1140
1982年2月5日
色つきの女でいてくれよ
EP
7DX-1160
1983年3月1日
銀河旅行
EP
7DX-1210
BMGビクター / タイガースマニア
1993年9月22日
涙のロマンス
CD
BVDR-202
ポリスター / タイガースメモリアルクラブバンド
1995年2月25日
OH OH OH ~We are the Winners
CD
PSDR5208
2015年2月25日
配信
再結成2013
2013年9月28日
THE TIGERSのWHITE CHRISTMAS
CD
COLO-1312
発売日
タイトル
レーベル
規格
規格品番
1983年1月1日
A-LIVE 1982.3.17 日本武道館同窓会コンサート
ポニーキャニオン
VHS
VAM-1025
2013年11月27日
THE TIGERS FOREVER DVD BOX -LIVE & MORE-
1968後楽園コンサート
1970田園コロシアム
1971ビューティフルコンサート
テレビ出演映像
CM映像等を収録
ユニバーサルミュージック
DVD
UPBY-9006/10
2014年4月30日
THE TIGERS 2013 LIVE in TOKYO DOME
ココロ
DVD
COLO-91312
年度/放送回 回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1989年(平成元年)/第40回 初 ヒット・メドレー[注 4] 第1部に出演 (対戦相手なし) 瞳は不参加
注釈
^ この模様は1981年1月30日にフジテレビ『さよなら日劇!最期のウェスタン・カーニバル』で、3月27日には再編集版が放送された。また、NHK特集 でも一部放送された[38] 。
^ 加橋は不参加
^ 加橋は不参加
^ 「花の首飾り 」「君だけに愛を 」のメドレー。
出典
(一) ^ “ ザ ・ タ イ ガ ー ス ( ザ ・ タ イ ガ ー ス ) の 情 報 ま と め ” . O K M u s i c . ジ ャ パ ン ミ ュ ー ジ ッ ク ネ ッ ト ワ ー ク 株 式 会 社 . 2 0 2 1 年 7 月 23 日 閲 覧 。
(二) ^ a b c 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 2 0 - 2 1
(三) ^ a b 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 1 4 - 1 8
(四) ^ 夕 刊 京 都 新 聞 社 編 ﹃ 全 京 都 年 鑑 昭 和 34 年 版 ﹄ 夕 刊 京 都 新 聞 社 、 1 9 5 8 年 、 7 0 0 頁 。
(五) ^ ﹃ 京 都 年 鑑 1 9 6 0 年 版 ﹄ 夕 刊 京 都 新 聞 社 、 1 9 5 9 年 、 p , 5 4 9 頁 。
(六) ^ ﹃ 京 阪 神 都 市 計 画 図 第 1 集 ﹄ 昭 文 社 、 1 9 6 6 年 、 4 頁 。
(七) ^ a b 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 2 4
(八) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 2 5
(九) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 2 7 - 2 8
(十) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 3 1 - 3 3 。 た だ し 、 実 際 に 契 約 し て 居 住 し た の は 加 橋 を 除 く 4 人 で 、 加 橋 は ﹁ 無 断 宿 泊 者 ﹂ で あ っ た 。
(11) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 2 9 - 3 0 。 コ ン テ ス ト の 選 曲 は 、 後 に メ ン バ ー と な る 岸 部 四 郎 の ア ド バ イ ス に よ る も の だ っ た と い う 。
(12) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p 2 9 。 こ の ユ ニ フ ォ ー ム は 、 シ ン グ ル ﹃ 僕 の マ リ ー ﹄ の ジ ャ ケ ッ ト 写 真 で 着 用 さ れ た 。
(13) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p 3 4
(14) ^ a b 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 3 5 - 3 6
(15) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 3 6 - 3 8
(16) ^ a b 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 3 9 - 4 2
(17) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 4 3 - 4 5
(18) ^ 京 都 駅 か ら は ひ か り で 出 発 し た が 、 名 古 屋 駅 で こ だ ま に 乗 り 換 え た と み ら れ て い る 。 当 時 創 価 学 会 員 で あ っ た 瞳 は さ ら に 静 岡 駅 で 下 車 し 、 大 石 寺 に 立 ち 寄 っ た ︵ 以 上 、 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 4 6 - 4 7 ︶ 。
(19) ^ a b c d e f g 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 5 9 - 6 1 。 沢 田 の 回 想 は ﹃ G Q J A P A N ﹄ 2 0 0 0 年 9 月 号 か ら 、 す ぎ や ま の 回 想 は 北 島 一 平 ・ 中 島 俊 夫 著 ﹃ み ん な GS が 好 き だ っ た ﹄ ︵ 主 婦 の 友 社 、 1 9 8 7 年 ︶ か ら の 引 用 。
(20) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 4 8 - 4 9
(21) ^ 近 代 映 画 1 9 6 7 年 12 月 号 近 代 映 画 社 1 3 0 頁 。
(22) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 5 1 - 5 2
(23) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 5 2 - 5 8
(24) ^ a b c 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 7 2 - 7 3 。 内 田 に よ る 沢 田 の 芸 名 案 は 、 内 田 の 著 書 ﹃ 俺 は 最 低 な 奴 さ ﹄ ︵ 白 夜 書 房 、 2 0 0 9 年 ︶ の 引 用 に よ り カ タ カ ナ で 表 記 さ れ て い る 。
(25) ^ a b 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 6 3 - 6 4
(26) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 9 2
(27) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 8 6
(28) ^ a b 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 7 4 - 7 8
(29) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 6 4 - 6 5 、 69
(30) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 6 1 、 6 4 - 6 5
(31) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 7 1
(32) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p p . 8 2 - 8 5 。 内 田 は ウ ェ ス タ ン カ ー ニ バ ル 用 に 6 人 揃 い の 衣 装 も 用 意 し て い た と い う 。
(33) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 9 1
(34) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 9 0
(35) ^ a b 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 1 2 9
(36) ^ 磯 前 、 2 0 1 3 年 、 p . 1 3 9
(37) ^ ス ポ ー ツ ニ ッ ポ ン 2 0 1 8 年 2 月 12 日 芸 能 面 ﹃ 我 が 道 ﹁ 岸 部 一 徳 ﹂ ﹄ よ り 。
(38) ^ “ N H K 特 集 ﹁ さ ら ば 日 劇 〜 青 春 の 街 角 の 半 世 紀 〜 ﹂ ” . N H K . 2 0 2 1 年 6 月 16 日 時 点 の オ リ ジ ナ ル よ り ア ー カ イ ブ 。 2 0 2 1 年 6 月 16 日 閲 覧 。
(39) ^ ニ ッ ポ ン 放 送 高 田 文 夫 の ラ ジ オ ビ バ リ ー 昼 ズ 2 0 1 4 年 12 月 8 日 放 送 分 。 岸 部 一 徳 が ゲ ス ト 出 演 の 際 の ト ー ク コ ー ナ ー よ り 。
(40) ^ “ 岸 部 シ ロ ー も 登 場 … ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス ﹂ 解 散 の 地 で 再 集 結 ” . ス ポ ニ チ S p o n i c h i A n n e x . ス ポ ー ツ ニ ッ ポ ン 新 聞 社 . 2 0 2 4 年 6 月 19 日 閲 覧 。
(41) ^ “ ザ ・ タ イ ガ ー ス 復 活 ! 沢 田 絶 叫 ﹁ つ い に こ の 日 が や っ て き ま し た ﹂ ” . サ ン ス ポ . 産 経 デ ジ タ ル . 2 0 2 4 年 6 月 19 日 閲 覧 。
(42) ^ “ ザ ・ タ イ ガ ー ス 再 結 成 ラ イ ブ に 吉 永 小 百 合 、 感 激 の 涙 ” . 女 性 自 身 . 光 文 社 . 2 0 2 4 年 6 月 19 日 閲 覧 。
(43) ^ “ 岸 部 四 郎 、 車 い す で 歌 っ た ! 史 上 初 の ﹁ 6 人 タ イ ガ ー ス ﹂ ” . ス ポ ー ツ 報 知 . 報 知 新 聞 社 ( 2 0 1 3 年 12 月 28 日 ) . 2 0 1 3 年 12 月 27 日 時 点 の オ リ ジ ナ ル よ り ア ー カ イ ブ 。 2 0 2 4 年 6 月 19 日 閲 覧 。
(44) ^ “ 岸 部 四 郎 さ ん 死 去 71 歳 拡 張 型 心 筋 症 に よ る 急 性 心 不 全 で ” . ス ポ ニ チ S p o n i c h i A n n e x . 2 0 2 4 年 6 月 19 日 閲 覧 。
(45) ^ “ 沢 田 研 二 、 全 国 ツ ア ー 最 終 公 演 に ﹁ ザ ・ タ イ ガ ー ス ﹂ 3 人 が ゲ ス ト 出 演 4 人 そ ろ う の は 4 年 ぶ り ” . ス ポ ー ツ 報 知 ( 2 0 2 3 年 2 月 19 日 ) . 2 0 2 3 年 2 月 23 日 閲 覧 。
(46) ^ “ 沢 田 研 二 た ま ア リ 公 演 を W O W O W で 生 中 継 、 ザ ・ タ イ ガ ー ス の メ ン バ ー も 参 加 ” . 音 楽 ナ タ リ ー . 2 0 2 3 年 6 月 28 日 閲 覧 。