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「ザ・タイガース」の版間の差分

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特に、繊細で芸術家肌だった加橋は渡辺プロに反発。仕事に没頭する沢田との意見の相違が顕著になる。1968年春には加橋の脱退話が浮上していた。

特に、繊細で芸術家肌だった加橋は渡辺プロに反発。仕事に没頭する沢田との意見の相違が顕著になる。1968年春には加橋の脱退話が浮上していた。

事務所とは金銭的な問題で意見の相違があった。[[11月25日]]に、加橋の意向を反映してトータル・[[コンセプト・アルバム]]『[[ヒューマン・ルネッサンス]]』を発売している。加橋のメインボーカルの「廃の鳩」は先行シングルカット版になる。12月には森本が作詞作曲した「青い鳥」もアルバムからのシングルカットでリリースされた。またヒッピーテイストのコスチュームで路線変更を模索する。

事務所とは金銭的な問題で意見の相違があった。[[11月25日]]に、加橋の意向を反映してトータル・[[コンセプト・アルバム]]『[[ヒューマン・ルネッサンス]]』を発売している。加橋のメインボーカルの「廃の鳩」は先行シングルカット版になる。12月には森本が作詞作曲した「青い鳥」もアルバムからのシングルカットでリリースされた。またヒッピーテイストのコスチュームで路線変更を模索する。



だが、1969年になると加橋脱退は避けられなくなっていた。加橋は、3月5日、渋谷でのレッスン中にスタジオを離れた後、グループに戻らなかった。

だが、1969年になると加橋脱退は避けられなくなっていた。加橋は、3月5日、渋谷でのレッスン中にスタジオを離れた後、グループに戻らなかった。

渡辺プロは記者会見で「加橋の失踪」と説明し、8日に加橋を「除名」した。

渡辺プロは記者会見で「加橋の失踪」と説明し、8日に加橋を「除名」した。



代わりに、岸部の弟で、以前からグループをサポートしていた[[岸部シロー]]を加入させた。シローは渡辺音楽出版の出向社員という待遇でロサンゼルスに滞在し、現地の最新音楽情報を定期的に日本に送り、ザ・タイガースはそれをコンサートで活かしていた。シローは突然の連絡で急遽帰国。14日に新メンバーとして羽田空港で記者会見をした。

代わりに、岸部の弟[[岸部シロー]]を加入させた。シローは以前からグループをサポートしており、渡辺音楽出版の出向社員という待遇でロサンゼルスに滞在。アメリカの最新音楽情報を定期的に日本に送り、ザ・タイガースはそれをコンサートで活かしていた。シローは突然の連絡で急遽帰国。14日に新メンバーとして羽田空港で記者会見をした。



こうしてタイガースの第二期がスタートし、9枚目のシングル「美しき愛の掟」が発売される。シローは高音パートと、ギター、タンバリンを担当した。演奏の腕前は上達しなかったが、MCでの話術には定評があり、高評価を受けた。

こうしてタイガースの第二期がスタートし、9枚目のシングル「美しき愛の掟」が発売される。シローは高音パートと、ギター、タンバリンを担当した。演奏の腕前は上達しなかったが、MCでの話術には定評があり、高評価を受けた。




退退1969

退退1969


この頃、グループ・サウンズのブームが急速に沈滞化し、終焉の兆しを見せ始める。音楽シーンが多様化する中で、同年秋からは、グループとしての活動よりもメンバー個々の活動が中心となった。[[1970年]]になると、4月26日の[[日本万国博覧会]]のEXPOホール・水上ステージでの「ザ・タイガース・ショー」、8月22日の[[田園コロシアム]]でのコンサートが目立つ程度になった。なお、加橋は脱退後、1969年12月から日本版[[ヘアー]]に主演するなど注目を浴びていたが、1970年の大阪公演は諸般の事情で中止になっている。

この頃、グループ・サウンズのブームが急速に沈滞化し、終焉の兆しを見せ始める。音楽シーンが多様化する中で、同年秋からは、グループとしての活動よりもメンバー個々の活動が中心となった。[[1970年]]になると、4月26日の[[日本万国博覧会]]のEXPOホール・水上ステージでの「ザ・タイガース・ショー」、8月22日の[[田園コロシアム]]でのコンサートが目立つ程度になった。なお、加橋は脱退後、1969年12月からミュージカル「ヘアーに主演するなど注目を浴びていたが、1970年の大阪公演は諸般の事情で中止になっている。



メディアによる解散報道が相次ぐ中、ザ・タイガースは1970年[[12月7日]]に解散を表明する。翌[[1971年]][[1月24日]]の日本武道館における「'''ザ・タイガース ビューティフル・コンサート'''」が事実上の解散コンサートとなる。この模様は、[[ニッポン放送]]で3時間にわたり生中継され、テレビでは、録画されたものが[[1月30日]]にフジテレビで放映された。また、大幅に編集された実況録音盤(ライブアルバム)『ザ・タイガース・フィナーレ』として同年に発売された。 

メディアによる解散報道が相次ぐ中、ザ・タイガースは1970年[[12月7日]]に解散を表明する。翌[[1971年]][[1月24日]]の日本武道館における「'''ザ・タイガース ビューティフル・コンサート'''」が事実上の解散コンサートとなる。この模様は、[[ニッポン放送]]で3時間にわたり生中継され、テレビでは、録画されたものが[[1月30日]]にフジテレビで放映された。また、大幅に編集された実況録音盤(ライブアルバム)『ザ・タイガース・フィナーレ』として同年に発売された。 


2023年4月24日 (月) 21:00時点における版

ザ・タイガース
別名
  • サリーとプレイボーイズ
  • ファニーズ
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロック[1]
活動期間
レーベル
事務所
共同作業者
メンバー

The TigersGS

196721971198111 - 198330201312


1948625 - 

194719 - 

194824 - 19693退

19461118 - 退

1946922 - 

194967 - 2020828
19693退

1981 - 19835

西/


419656[2]2[3]

1964[3]196514[2]

[2]4

1966[4]&[4][5]

22[6]5西宿[7]

5西[8]調[9]61[10]

3[11][11]

6[12]3[13]910[13]西[14]


1966119[15]3[16]6宿[17]

1115[16][16][18]1987西[16][16]

&KICKS[16]3030[16][19][20]

宿ACB[21]3使宿ACB[21] [21]

1967


19672512[22][22]

3[23]540[24][25]

12宿ACB[26]1967115311[25]

[27][28]3254[29]

1967[30]宿[31]

19681435/17130[32]調67.6[32]310 4

7661調50.8[33]812


1969退1971




1968退 112512

1969退35 8

14

9MC

退退1969

1970426EXPO822退1969121970

19701271971124 3130 

[34]5

退2437

1981


197110198112225125491[ 1]

1981115

19822THE TIGERS 198234TVCMCM198319833

1989123140NHK540



1988GSDAM4

198951231

1993

1997TEA FOR THREECD

2013


2003Long Good-by301

2008ROCK'N ROLL MARCH2008924SONGSNHK

退200837

20112225姿40

9 LIVE 2011201238[36]40201212420031971124[37]1NHKSONGS- 5

201316 2013 LIVE 196944123[38]810[39]12276[40]

2016951119My Memories in My Life522013

2019116204

202082871[41]

20236 LIVE 2022-2023 [42]625[43]


THE TIGERS ON STAGE1967115 SLPM-1377

1968515 SLPM-1395

1968125 SMP-1420


THE TIGERS AGAIN1970915

19701215

1971220

1971710


THE TIGERS 1982198225 28MX1085

A-LIVE1982510 50MX1094/6 3

THE TIGERS 20 HISTORY1982121 38MX1123/4 2

 - &19811996321CD



シングル

加橋かつみ在籍期

岸部シロー在籍期

同窓会期

再結成2013

映像作品

  • A-LIVE(日本武道館同窓会コンサート)(VHS:1983年1月1日)
  • THE TIGERS FOREVER DVD BOX -LIVE & MORE-(DVD5枚組:2013年11月27日)
  • THE TIGERS 2013 LIVE in TOKYO DOME(DVD:2014年4月30日)

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回曲目出演順対戦相手備考
1989年(平成元年)/第40回ヒット・メドレー[注 2]第1部に出演(対戦相手なし)瞳は不参加

出演映画

脚注

注釈

  1. ^ この模様は1981年1月30日にフジテレビ「さよなら日劇!最期のウェスタン・カーニバル」で、3月27日には再編集版が放送された。また、NHK特集でも一部放送された[35]
  2. ^ 花の首飾り」「君だけに愛を」のメドレー。

出典



(一)^ (). OKMusic.  . 2021723

(二)^ abc2013pp.20 -21

(三)^ ab2013pp.14 - 18

(四)^ ab2013p.24

(五)^ 2013p.25

(六)^ 2013pp.27 - 28

(七)^ 2013pp.31 - 334宿

(八)^ 2013pp.29 - 30

(九)^ 2013p29

(十)^ 2013p34

(11)^ ab2013pp.35 - 36

(12)^ 2013pp.36 - 38

(13)^ ab2013pp.39 - 42

(14)^ 2013pp.43 - 45

(15)^ 2013pp.46 - 47

(16)^ abcdefg2013pp.59 - 61GQ JAPAN20009GS1987

(17)^ 2013p.48 - 49

(18)^  196712  130

(19)^ 2013pp.51 - 52

(20)^ 2013pp.52 - 58

(21)^ abc2013pp.72 - 732009

(22)^ ab2013pp.63 - 64

(23)^ 2013p.92

(24)^ 2013p.86

(25)^ ab2013p.74 - 78

(26)^ 2013pp.64 - 6569

(27)^ 2013pp.6164 - 65

(28)^ 2013p.71

(29)^ 2013pp.82 - 856

(30)^ 2013p.91

(31)^ 2013p.90

(32)^ ab2013p.129

(33)^ 2013p.139

(34)^  2018212 

(35)^ NHK.  NHK. 20216162021616

(36)^   2014128

(37)^   2012125

(38)^  - .com2013124

(39)^ | . WEB. 2022123

(40)^ 6 -  20131228[]

(41)^ 71  -  Sponichi Annex .  Sponichi Annex. 20211228

(42)^ 344. (2023219). 2023223

(43)^ . dot.asahi.com. 2023327

参考文献

関連項目

外部リンク