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「花田長太郎」の版間の差分

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{{Infobox 将棋棋士

{{出典の明記|date=2014年2月}}

| image = <!-- [[File:|200px]] ※「File:」の後に画像ファイルを貼る。画像サイズの変更は「200px」の数字を変える。 -->

| caption = <!-- 表題・タイトル -->

| 名前 = 花田長太郎

| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1897|7|6|no}}

| 没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1897|7|6|1948|2|28}}

| プロ年度 = {{年月日|year=1917|month=|day=}}<!--({{年数|1897|7|6|1917|04|01}}歳)-->{{efn2|ここでは便宜上、四段昇段日をプロ入り日として扱うが、花田のプロ入り当時は初段昇段時から専門棋士として扱われていたとされる。昭和9年(1934年)に大阪で[[升田幸三]]が初段になった頃までは、「初段からが専門棋士」だった<ref>[[東公平]]『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36</ref>。その頃、[[奨励会]]ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立されていった<ref>[[加藤治郎 (棋士)|加藤治郎]]、[[原田泰夫]]、[[田辺忠幸]]『証言・昭和将棋史』([[マイナビ|毎日コミュニケーションズ]])P.10、P.215-220</ref>。}}

| 出身地 = [[北海道]][[函館市]]

| 師匠 = [[関根金次郎]][[名人 (将棋)|十三世名人]]

| 弟子 = [[坂口允彦]]、[[塚田正夫]]、[[荒巻三之]]、[[廣津久雄]]

| 段位 = 九段

| 通算成績 = <!-- 引退棋士等頻繁な変更が必要ない場合利用してください -->

| 順位戦クラス = A級

| 作成日時 = 2020年8月28日

}}


''' ''' [[1897]][[76]] - [[1948]][[228]][[]][[]][[]][[ ()|]][[]][[]][[]]

''' ''' [[1897]][[76]] - [[1948]][[228]][[]][[]][[]][[ ()|]][[]][[]][[]]


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18歳で上京し、大正3年([[1914年]])に入門。大正4年([[1915年]])に兄弟子の[[土居市太郎]]七段と将棋同盟社の定式会で対戦した記録(飛車落とされで負け)があり、その時点では二段であった。

18歳で上京し、大正3年([[1914年]])に入門。大正4年([[1915年]])に兄弟子の[[土居市太郎]]七段と将棋同盟社の定式会で対戦した記録(飛車落とされで負け)があり、その時点では二段であった。



土居らの指導もあり実力をつけ、大正6年([[1917年]])に四段となる。師の関根と兄弟子の土居とが対立して将棋同盟社が分裂すると、兄弟子の[[金易二郎]]らと共に師の関根に従い「東京将棋倶楽部」を結成する。金と共に、若き日の[[木村義雄]]の目標であったという。

土居らの指導もあり実力をつけ、大正6年([[1917年]])に四段となる。師の関根と兄弟子の土居とが対立して将棋同盟社が分裂すると、兄弟子の[[金易二郎]]らと共に師の関根に従い「東京将棋倶楽部」を結成する。金と共に、若き日の[[木村義雄 (棋士)|木村義雄]]の目標であったという。



大正11年([[1922年]])に[[田三吉]](坂田三吉)と対戦した記録(平手で勝ち)があり、その時点では七段になっている。この将棋は、田得意の[[袖飛車]]を花田が研究で打ち破った名局とされ、定跡手順となっている。

大正11年([[1922年]])に[[田三吉]]と対戦した記録(平手で勝ち)があり、その時点では七段になっている。この将棋は、田得意の[[袖飛車]]を花田が研究で打ち破った名局とされ、定跡手順となっている。




14[[1925]]

14[[1925]]


昭和10年([[1935年]])、関根が勇退を表明し、実力制[[名人戦 (将棋)|名人戦]]が開始されると、八段のみが参加する第1期名人決定特別リーグの一員となる。同年6月26日の[[金子金五郎]]との対戦がリーグ開始第一戦であった。しかし、同年11月に[[神田辰之助]]の八段昇段問題がこじれると([[神田事件 (将棋)|神田事件]])、金子とともに連盟を脱退し神田と合流して「将棋革新協会」を設立し、会長となる。関根や[[小菅剣之助]]の図らいで半年後の昭和11年([[1936年]])6月29日に連盟と和解し名人決定リーグに復帰する。

昭和10年([[1935年]])、関根が勇退を表明し、実力制[[名人戦 (将棋)|名人戦]]が開始されると、八段のみが参加する第1期名人決定特別リーグの一員となる。同年6月26日の[[金子金五郎]]との対戦がリーグ開始第一戦であった。しかし、同年11月に[[神田辰之助]]の八段昇段問題がこじれると([[神田事件 (将棋)|神田事件]])、金子とともに連盟を脱退し神田と合流して「将棋革新協会」を設立し、会長となる。関根や[[小菅剣之助]]の図らいで半年後の昭和11年([[1936年]])6月29日に連盟と和解し名人決定リーグに復帰する。



リーグでは弟弟子の木村との争いとなったが、これより以前に既に他の八段をことごとく指し込みに追い込むほどの力をつけていた木村との差は大きく、花田は八段のみが参加する名人決定特別リーグでは互角だったものの、その他の八、七段戦で勝敗に差が開いていた。昭和12年([[1937年]])、長く関東と絶縁状態になっていた田が木村・花田との対戦を求めてきたときは、田の挑戦に木村と共に応じ、勝利している。その後の12月5日・6日、木村と湯河原天野屋で対戦して敗れ、二位に甘んじる。なお、花田が革新協会の会長であったことから、残留派と分裂派との対決として世間では「湯河原の決戦」ともてはやされた。


12[[1937]][[]]<ref>{{Cite book | |author=[[ ()|]][[]][[]] |date=1999-09 |title= |publisher=[[|]] |page=223 |isbn=4-8399-0255-0}}</ref>1256132<ref> P.101-102</ref>


昭和18年([[1943年]])、第4期名人戦の挑戦予備手合いにおいて木村に香平2番で連敗する。

昭和18年([[1943年]])、第4期名人戦の挑戦予備手合いにおいて木村に香平2番で連敗する。

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昭和37年([[1962年]])に九段を贈られる。

昭和37年([[1962年]])に九段を贈られる。



== 人物 ==

「寄せの花田」「終盤の花田」と謳われ、序盤の金子、中盤の木村と並び称されたこともある。また「将棋の虫」と呼ばれるほど研究熱心な棋士としても知られ、戦前の[[相掛かり]]全盛期に「花田定跡」と呼ばれる手順をいくつか確立させたこともあるという。

「寄せの花田」「終盤の花田」と謳われ、序盤の金子、中盤の木村と並び称されたこともある。また「将棋の虫」と呼ばれるほど研究熱心な棋士としても知られ、戦前の[[相掛かり]]全盛期に「花田定跡」と呼ばれる手順をいくつか確立させたこともあるという。



米よりパンを好んだという。また牛肉が好物であったため、戦時中は牛肉が手に入りにくいと嘆いていたという逸話もある。

米よりパンを好んだという。また牛肉が好物であったため、戦時中は牛肉が手に入りにくいと嘆いていたという逸話もある。



== 弟子 ==

門下に[[坂口允彦]]、塚田正夫、[[荒巻三之]]、[[廣津久雄]]がいる。

===棋士===

{| class="wikitable"

|-

! 名前 !! 四段昇段日!!段位、主な活躍

|-

| [[坂口允彦]] || 1931年

|九段、A級在籍8期

|-

| [[塚田正夫]] || 1932年1月1日

|名誉十段、名人2期、他タイトル通算6期、一般棋戦優勝4回

|-

| [[荒巻三之]] || 1937年

|九段、A級在籍1期

|-

| [[廣津久雄]] || 1943年4月1日

|九段、一般棋戦優勝4回、A級在籍2期

|-

|}


== 主な成績 ==

=== 在籍クラス ===

{{main2|竜王戦と順位戦のクラス|将棋棋士の在籍クラス}}

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== 昇段履歴 ==

== 昇段履歴 ==

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*平手将棋の新しい指し方(塚田正夫との共著、[[1952年]]、オクムラ書店)

*平手将棋の新しい指し方(塚田正夫との共著、[[1952年]]、オクムラ書店)

*平手将棋の新しい指し方(塚田正夫との共著、[[1954年]]、金園社)

*平手将棋の新しい指し方(塚田正夫との共著、[[1954年]]、金園社)


== 脚注 ==

{{脚注ヘルプ}}

=== 注釈 ===

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=== 出典 ===

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== 参考文献 ==

== 参考文献 ==

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*木村義雄『勝負の世界 将棋随想』(恒文社、1995年(六興出版社から1951年に出版された同名の書の復刊))

*木村義雄『勝負の世界 将棋随想』(恒文社、1995年(六興出版社から1951年に出版された同名の書の復刊))

*[[倉島竹二郎]]『近代将棋の名匠たち』角川書店(角川選書、1971年)

*[[倉島竹二郎]]『近代将棋の名匠たち』角川書店(角川選書、1971年)

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*[[棋戦 (将棋)]]

*[[棋戦 (将棋)]]



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{{DEFAULTSORT:はなた ちようたろう}}

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[[Category:将棋棋士]]

[[Category:将棋棋士]]


2023年12月16日 (土) 13:44時点における最新版

 花田長太郎 九段
名前 花田長太郎
生年月日 (1897-07-06) 1897年7月6日
没年月日 (1948-02-28) 1948年2月28日(50歳没)
プロ入り年月日 1917年[注 1]
出身地 北海道函館市
師匠 関根金次郎十三世名人
弟子 坂口允彦塚田正夫荒巻三之廣津久雄
段位 九段
順位戦最高クラス A級

2020年8月28日現在
テンプレートを表示

  189776 - 1948228

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弟子[編集]

棋士[編集]

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
坂口允彦 1931年 九段、A級在籍8期
塚田正夫 1932年1月1日 名誉十段、名人2期、他タイトル通算6期、一般棋戦優勝4回
荒巻三之 1937年 九段、A級在籍1期
廣津久雄 1943年4月1日 九段、一般棋戦優勝4回、A級在籍2期

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦

(出典)

(出典)竜王戦

(出典)

名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1947 1 八段戦7位
1948 2 A 08
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

昇段履歴[編集]

  • 1914年 入門
  • 1917年 四段
  • 1925年 八段
  • 1962年 九段(追贈)

著書[編集]

  • 名人八段指将棋全集(7) 花田長太郎集(1929年、大森書房)
  • 将棋新定跡(1930年、大阪屋號書店)
  • 将棋大全集(3) 平手定跡篇 上(1930年、誠文堂)
  • 将棋の急所 駒落篇(1937年、博文館)
  • 将棋の急所 実戦篇(1941年、博文館)
  • 将棋大衆講座(5) 平手相懸戦研究(金子金五郎、小泉兼吉との共著、1949年、泰文館)
  • 平手将棋の新しい指し方(塚田正夫との共著、1952年、オクムラ書店)
  • 平手将棋の新しい指し方(塚田正夫との共著、1954年、金園社)

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 便91934[1]31928101935[2]

出典[編集]



(一)^ P.36

(二)^ P.10P.215-220

(三)^ 19999223ISBN 4-8399-0255-0 

(四)^  P.101-102

参考文献[編集]

  • 木村義雄『勝負の世界 将棋随想』(恒文社、1995年(六興出版社から1951年に出版された同名の書の復刊))
  • 倉島竹二郎『近代将棋の名匠たち』角川書店(角川選書、1971年)
  • 五十嵐豊一『日本将棋大系 第13巻 関根金次郎・土居市太郎』(筑摩書房、1980年)
    • 山本亨介「人とその時代十三(関根金次郎・土居市太郎)」(同書251頁所収)
  • 加藤一二三『日本将棋大系 第14巻 坂田三吉・神田辰之助』(筑摩書房、1979年)
    • 山本亨介「人とその時代十四(坂田三吉・神田辰之助)」(同書245頁所収)
  • 大山康晴『日本将棋大系 第15巻 木村義雄』(筑摩書房、1980年)
    • 山本亨介「人とその時代十五(木村義雄)」(同書243頁所収)
  • 東公平『近代将棋のあけぼの』(河出書房新社、1998年)
  • 棋士系統図(日本将棋連盟『将棋ガイドブック』96-99頁

関連項目[編集]