「西田厚聰」の版間の差分
Makibishisan (会話 | 投稿記録) |
|||
40行目: | 40行目: | ||
[[ファイル:Atsutoshi Nishida 20130126 2.jpg|thumb|200px|[[2013年]][[1月26日]]、[[世界経済フォーラム]]年次総会にて]] |
[[ファイル:Atsutoshi Nishida 20130126 2.jpg|thumb|200px|[[2013年]][[1月26日]]、[[世界経済フォーラム]]年次総会にて]] |
||
; 設備投資 |
; 設備投資 |
||
: 社長に就任後は、事業整理によって財務体質を改善した岡村時代の経営基盤を引き継ぎ、東芝として前例がないほどの積極的な設備投資に打って出た。[[原子炉]]技術大手の[[ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー]]を54億ドル(約6210億円、1ドル115円で換算)で買収することを決定するなど、2006年度からの3年間で2兆4000億円の投資計画(2003年度から2005年度の設備投資は1兆1323億円)を発表した。 |
: 社長に就任後は、事業整理によって財務体質を改善した岡村時代の経営基盤を引き継ぎ、東芝として前例がないほどの積極的な設備投資に打って出た。[[原子炉]]技術大手の[[ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニー]]を54億ドル(約6210億円、1ドル115円で換算)で買収することを決定するなど、2006年度からの3年間で2兆4000億円の投資計画(2003年度から2005年度の設備投資は1兆1323億円)を発表した。週刊東洋経済2017年9月9日52頁(表見出しは本物の会計力;東芝の子会社が破綻を選んだ理由;頁見出し:52頁 |
||
: 債務超過|米原発の破綻を無視 東芝 、危機の本質︶実際、東芝は2次入札で2700億円を提示していったん勝利。しかし、﹁直後に連絡があり、別の日本企業が思い切った金額を出したいと言うから、3回目をやりたいといわれた﹂と当時の社長だった西田厚聰氏は振り返っている。﹁WHを他社に買われてしまえば、ウチの原子力事業は
|
|||
: 潰れるしかない」(西田氏)。そこで提示した”勝てる価格”が6210億円だった。 |
|||
: ベンジャミン・フルフォードは語る﹁日本は填められた。次は日立。﹂。
|
|||
: |
|||
: しかし西田の退任後、ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーを中心とした原子力事業で2016年3月期に約2500億円の減損損失が計上された。さらに、同社が2015年末に米[[シカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン]](CB&I)から買収した米原子力サービス会社[[ストーン・アンド・ウェブスター]]社の資産価値が想定額を大幅に下回り、2017年3月期に「数千億円規模の損失を計上する可能性がある」と発表されている。 |
: しかし西田の退任後、ウェスティングハウス・エレクトリック・カンパニーを中心とした原子力事業で2016年3月期に約2500億円の減損損失が計上された。さらに、同社が2015年末に米[[シカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン]](CB&I)から買収した米原子力サービス会社[[ストーン・アンド・ウェブスター]]社の資産価値が想定額を大幅に下回り、2017年3月期に「数千億円規模の損失を計上する可能性がある」と発表されている。 |
||
; 佐々木則夫との対立 |
; 佐々木則夫との対立 |
2017年9月7日 (木) 20:16時点における版
にしだ あつとし 西田 厚聰 | |
---|---|
生誕 |
1943年12月29日(80歳) 三重県 |
国籍 | 日本 |
出身校 |
早稲田大学第一政治経済学部卒業 東京大学大学院法学政治学研究科 修士課程修了 |
概要
東芝ヨーロッパの上級副社長や東芝アメリカ情報システム社の社長を経て、東芝のパソコン事業部の部長に就任し、東芝のパーソナルコンピューター事業を興した功績者の一人と目されるようになった。その後は取締役となり、常務、上席常務、執行専務を経て、2005年に社長に就任した。社長在任中、出身母体であるパソコン事業に圧力をかけた結果、同事業の利益は50億円水増しされることになった。これ以降、東芝では利益の水増しが常態化することとなった。2009年、代表権のない会長に退くが、後任の社長である佐々木則夫と度々対立した。2014年には相談役に退くが、社長在任中の利益水増し問題が発覚し、引責辞任した。経歴
生い立ち
三重県出身。三重県立尾鷲高等学校を経て、1968年3月 早稲田大学にて第一政治経済学部を卒業し、1970年3月に東京大学の大学院にて法学政治学研究科の修士課程を修了した[1]。大学院では、福田歓一の指導の下、西洋政治思想史を研究した[2]。学生時代に、日本政治史の研究で来日したイラン出身の女性と出会い、結婚。イランに渡り、東京芝浦電気︵現・東芝︶と現地資本の合弁会社に入社、1975年5月に東京芝浦電気に入社する[3][4]。実業家として
経営手腕
エピソード
Twitterに﹁TOSHIBA_Nishida﹂名義のアカウントが登録されており、会長としての視点からビジネスのあり方についての考えなどが綴られていた。そのため、日本の製造業では珍しいTwitterを開始した経営者だと思われていたが、記者の取材に対し東芝広報室では西田本人のアカウントではないと回答した[21]。その後、同アカウントは何者かによるなりすましであることが判明し、削除された[22]。略歴
脚注
関連人物
関連項目
ビジネス | ||
---|---|---|
先代 岡村正 |
東芝会長 2009年 - 2014年 |
次代 室町正志 |
先代 岡村正 |
東芝社長 2005年 - 2009年 |
次代 佐々木則夫 |
非営利団体 | ||
先代 金井務 |
国際研修協力機構会長 2013年 - 2015年 |
次代 下村節宏 |