「長野県諏訪清陵高等学校・附属中学校」の版間の差分
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2007年7月6日 (金) 12:47時点における版
諏訪清陵高等学校 | |
国公私立の別 | 公立(県立) |
設立年月日 | 1895年4月25日(明治28年) 諏訪郡立実科中学校 |
教育方針 | 質実剛健・自主独立 |
共学・別学 | 男女共学 |
教育課程の特例 | スーパーサイエンスハイスクール(SSH) (文部科学省) 2004年度~2006年度 |
特殊学級 | なし |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
学科 | 普通科 |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒392-8548 |
長野県諏訪市清水1-10-1 | |
電話番号 | 0266-52-0201 |
FAX番号 | 0266-57-2426 |
外部リンク |
長野県諏訪清陵高等学校︵ながのけんすわせいりょうこうとうがっこう︶は、長野県諏訪市清水にある公立高校であり、長野県の南信地方を代表する進学校である。清陵の校名は地名である﹁清水が丘﹂に由来している。1895年︵明治28年︶に創立した諏訪郡立実科中学校を前身とする。
男女共学、進学校であり、普通科が設置されている。
大正デモクラシーの時期に、学友会が幟に記した﹁自反而縮雖千萬人吾往矣﹂︵自ら反みて縮くんば、千萬人といえども吾往かん。︶は、生徒らのモットーのようなものとなっており、Tシャツや携帯ストラップなどのオリジナルグッズが作成されている。
制服や校則は存在せず、生徒による自治を基本にする。そのため、文化祭(清陵祭)や行事(スポーツ大会など)、部活は生徒会(学友会)の元に運営され、教師による干渉はほとんどない。出身中学校ごとに﹁地方会﹂という組織をつくり、そのなかで校歌指導や新入生歓迎会などの行事が行われる。
文化祭の前夜祭では、先にも述べた﹁地方会﹂ごと、﹁地方会劇﹂と呼ばれる出し物を行いその優劣を競う。その出し物には男子だけが参加し、とはある会では演劇を、またある会では大切りをと様々である。劇中では、観客席の一番前、ステージのすぐ前に各地方会の長(おさ)と呼ばれるリーダーが、各自が作った個性的な形のダンボールでステージの床を叩き、大きな音を鳴らす。此れは面白いときの拍手の代わりのようなものであり、生徒等には﹁叩かれる→面白い﹂の認識が広まっている。地方会には﹁大岡谷西竜会﹂﹁下諏訪黎明会﹂﹁上諏訪学生団﹂﹁富士見おっこう会﹂﹁上伊那学生団﹂﹁山浦独哲歩々会﹂等が存在する。またその日は、登校時には、ほぼ全員の生徒が奇抜な仮装で登校して、地域の方々は面白がっている。もちろん、﹁地方会﹂に参加するか、しないかは自由である。
個人個人が日頃考えていることを大勢の前で壇上で自由に主張できる﹁談論会﹂というものが随時行われている。
﹁端艇大会﹂と呼ばれる全国的にも珍しいボートのクラスマッチが諏訪湖で行われている。
天体観測ドームがあり、﹁太陽黒点相対数﹂は、諏訪清陵高校天文気象部を含む全国8箇所の観測所の観測結果により決定されている。
大学のように授業ごとに教室を移動する。連絡事項は各々生徒が掲示板を見て確認する。また校内には時計が無い。
同じく県内の進学校である松本深志高等学校と年一回交歓会が行われている。
﹁釣りバカ日誌﹂のスーさんと、みち子さんの父親は、旧制諏訪中学出身という設定。
NHK朝の連続テレビ小説﹁かりん﹂のモデルとなった高校。
波多野勤子の往復書簡集﹁少年期﹂の舞台となった高校。
沿革
●1895年4月 - 諏訪郡立実科中学校として創立。 ●1901年4月 - 県立に移管され長野県立諏訪中学校となる。 ●1920年4月 - 長野県令38号により、長野県諏訪中学校に改称。 ●1948年4月 - 学制改革により、長野県諏訪清陵高等学校となる。 ●2002年4月 - 文部科学省から﹁スーパーサイエンスハイスクール(SSH)﹂に指定される。 ●2005年4月 - 文部科学省から新たにスーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定︵5年間︶を受ける。出身者︵五十音順︶
●会津洋 - 早稲田大学名誉教授 ●有賀喜左衛門 - 社会学者、元日本女子大学学長 ●有賀幸作 - 戦艦大和艦長 ●飯島宗一 - 医学者・原爆症の権威、元名古屋大学学長・元広島大学学長 ●飯田譲治 - 作家、映画監督 ●石城謙吉 - 北海道大学名誉教授 ●伊藤順蔵 - 早稲田大学名誉教授 ●伊藤洋一 - 住信基礎研究所主席研究員 ●今井光也 - 作曲家、諏訪交響楽団会長 ●岩波茂雄 - 岩波書店創業者、のちに日本中学へ ●上原三枝 - スピードスケート選手 ●牛山貴広 - スピードスケート選手 ●牛山積 - 法学者、早稲田大学名誉教授、元早稲田大学理事 ●歌田實 - 堆積学者、東京大学名誉教授 ●太田龍朗 - 医学者、名古屋大学名誉教授 ●小口絵理子 - 元ニッポン放送アナウンサー ●小口太郎 - 科学者、歌人 ●小口久雄 - セガ社長 ●小尾乕雄 - 教育者 ●河西計介 - 阪神百貨店名誉顧問 ●小池康博 - 工学者、慶應義塾大学教授 ●小平権一 - 農林次官(1938年) ●小林和男 - NHK解説主幹、ジャーナリスト ●小松敏郎 - 元学研社長 ●小松正幸 - 地質学者、愛媛大学学長 ●五味敏雄 - 元三省堂社長 ●五味智英 - 万葉学者、東京大学文学部長 ●五味保義 - 歌人、万葉学者 ●小山正雄 - 理想科学工業顧問 ●齋藤寛 - 医学者、長崎大学学長 ●篠遠喜人 - 遺伝学者、科学史家、国際基督教大学学長 ●篠原菊紀 - 諏訪東京理科大学共通教育センター教授(脳システム論) ●島田俊郎 - 明治大学名誉教授 ●高尾利数 - 法政大学名誉教授 ●武井一巳 - ジャーナリスト、評論家 ●武井武雄 - 童画家 ●田中虔一 - 東京大学名誉教授 ●茅野蕭々 - ドイツ文学者、妻は茅野雅子 ●茅野實 - 元八十二銀行頭取 ●戸沢充則 - 考古学者、前明治大学学長 ●中川紀元 - 画家 ●中村吉治 - 歴史学者、元東北大学名誉教授、農民史・社会史 ●中村平治 - 東京外国語大学名誉教授 ●名取将 - NHKアナウンサー、声優 ●新田次郎 - 作家 ●波多野里望 - 国際法学者、学習院大学名誉教授 ●服部一郎 - 元セイコーエプソン社長 ●花岡清二 - セイコーエプソン社長 ●林功三 - 京都大学名誉教授 ●林四郎 - 小学館顧問 ●藤枝省人 - 経営学者、慶應義塾大学名誉教授 ●藤森照信 - 建築家、東京大学教授 ●藤森栄一 - 考古学者 ●藤原咲平 - 気象学、中央気象台長 ●古畑正秋 - 天文学者、東京大学東京天文台長 ●三浦久 - フォークシンガー ●翠川修 - 医学者、京都大学名誉教授 ●宮坂広作 - 東京大学名誉教授 ●三輪知雄 - 元筑波大学学長 ●両角業作 - 陸軍中将、両角良彦通産次官の父 ●矢﨑新二 - 監査法人トーマツ顧問 ●矢沢大二 - 地理学、元東京都立大学学長 ●矢島学 - 日本テレビアナウンサー ●矢島八洲夫 - 元朝日新聞社社長 ●柳澤嘉一郎 - 筑波大学名誉教授 ●横川端 - すかいらーく創業者 ●横川紀夫 - すかいらーく創業者 ●渡辺長雄 - 丸紅顧問著名教職員︵五十音順︶
●井上敏夫 - 埼玉大学名誉教授 ●大野太郎 - 信州大学名誉教授 ●蓮田善明 - 国文学者 ●林田不二生 - 法政大学名誉教授 ●三沢勝衛 - 地理学者校章
﹁梶の葉﹂。諏訪大社の御神紋に由来している。旧制一高同様、校章に文字はない。校歌・応援歌
校歌は第一︵8番︶と第二︵10番︶があり、併せて18番にもなるため、フルコーラスでは10分以上も要する。 日本一長い校歌とされている。長い間正式な楽譜がなく、それを﹁変な誇り﹂と感じる在校生も少なくなかった。また、伴奏も無く、校歌斉唱の際は太鼓、手拍子、足踏みにあわせ歌われる。楽譜が無いため、八十年余に渡って、主に地方会の校歌指導等を通じて歌い継がれてきた。そのため、メロディや歌詞の変化などがあり、在学時期によって校歌のメロディや歌詞が異なるということも起こった。百周年を前にした平成元年、そんなことを憂慮した同窓会の働きかけにより﹁校歌収録委員会﹂が設置され、当時の音楽部やそのOB有志によりCDとして録音されたものが、現存する同窓生の大多数が歌ってきたスタンダードとして歌い継がれている。数年前までの在校生は全員が最後まで歌えたが、最近は殆どの生徒がすべての歌詞を覚えていないため、始業式などには歌詞プリントが配布される。﹁釣りバカ日誌﹂で、みち子さんの父親がスーさんと出会った場面で歌っていたのがこれ。- 校歌
- ふるさと”地”慢 第2部 「日本一」を訪ねる (8)長~い校歌 延々20番…長野・県立諏訪清陵高 (2007年3月8日 読売新聞)