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バイバルス

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バイバルス1世
الملك الظاهر ركن الدين بيبرس البندقداري
マムルーク朝第5代スルターン

バイバルスの銅像

在位 1260年10月24日 - 1277年7月1日
戴冠式 1260年

全名 アル=マリク・アッ=ザーヒル・ルクヌッディーン・バイバルス・アル=ブンドゥクダーリー
出生 1223年7月19日?
1228年?
キプチャク草原(現在の ロシアの旗 ロシア
死去 1277年7月1日(54歳?)
マムルーク朝ダマスカス[1]
埋葬 ダマスカス
配偶者 ベルケ・ハーンの娘
  モンゴル系のアミール・ノカーイの娘
  クルド人のシャフラズーリーヤ族の女
子女 バラカ
サラーミシュなど
家名 バイバルス家
王朝 マムルーク朝
宗教 イスラム教スンナ派
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: الملك الظاهر ركن الدين بيبرس البندقداري al-Malik a-Zāhir Rukn ad-Dīn Baybars al-Bunduqdārī, 1223[2] / 1228[3][4] - 127771[5][1]51260 - 1277[6]: الملك الظاهر بيبرس al-Malik a-Zāhir Baybars

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第7回十字軍との戦闘[編集]

マンスーラの戦い

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脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、221頁
  2. ^ a b c d 小林「バイバルス」『アジア歴史事典』7巻、325頁
  3. ^ a b c 佐藤「バイバルス」『新イスラム事典』、387頁
  4. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、184頁
  5. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、29頁
  6. ^ a b c ヒッティ『アラブの歴史』下、641頁
  7. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、299頁
  8. ^ a b 大原『エジプト マムルーク王朝』、258頁
  9. ^ J.C.ガルサン「エジプトとムスリム世界」『ユネスコ・アフリカの歴史』4 下巻収録(D.T.ニアヌ編, 同朋舎出版, 1992年9月)、554頁
  10. ^ a b c d e f 佐藤『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』、161頁
  11. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、212頁
  12. ^ a b c d ヒッティ『アラブの歴史』下、642頁
  13. ^ a b 長谷部「バイバルス」『岩波イスラーム辞典』、740-741頁
  14. ^ a b c d ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、343頁
  15. ^ a b ヒッティ『アラブの歴史』下、640頁
  16. ^ 前嶋『イスラムの時代 マホメットから世界帝国へ』、342頁
  17. ^ a b c d e f 佐藤『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』、159頁
  18. ^ a b 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、185頁
  19. ^ 前嶋『イスラムの時代 マホメットから世界帝国へ』、342-343頁
  20. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、186頁
  21. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、191-193頁
  22. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、191-192頁
  23. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、196頁
  24. ^ a b 大原『エジプト マムルーク王朝』、10頁
  25. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、198頁
  26. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、287頁
  27. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、197頁
  28. ^ 佐藤『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』、159-160頁
  29. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、290-291頁
  30. ^ a b c 佐藤『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』、160頁
  31. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、18頁
  32. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、292-295頁
  33. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、308頁
  34. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、19頁
  35. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、308-309,333頁
  36. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、201頁
  37. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、326-329頁
  38. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、329-330頁
  39. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、203頁
  40. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、335頁
  41. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、205頁
  42. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、206頁
  43. ^ ヒッティ『アラブの歴史』下、598頁
  44. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、338頁
  45. ^ a b ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、340-341頁
  46. ^ ヒッティ『アラブの歴史』下、639-640頁
  47. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、24頁
  48. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、341頁
  49. ^ a b c d e 大原『エジプト マムルーク王朝』、25頁
  50. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、342頁
  51. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、296-297頁
  52. ^ a b c d e f 佐藤『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』、112頁
  53. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、358頁
  54. ^ a b c ヒッティ『アラブの歴史』下、643頁
  55. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、359-361頁
  56. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、300頁
  57. ^ a b 大原『エジプト マムルーク王朝』、42頁
  58. ^ a b 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、214頁
  59. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、63-64頁
  60. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、374-375頁
  61. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、310頁
  62. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、311頁
  63. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、375-376頁
  64. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、378-379頁
  65. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、380頁
  66. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、215頁
  67. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、383頁
  68. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』4巻、346-347,384頁
  69. ^ a b ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、10頁
  70. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、218頁
  71. ^ a b エリザベス・ハラム『十字軍大全 年代記で読むキリスト教とイスラームの対立』(川成洋、太田美智子、太田直也訳, 東洋書林, 2006年11月)、450-454頁
  72. ^ 伊藤『モンゴルvs.西欧vs.イスラム 13世紀の世界大戦』、134頁
  73. ^ a b 大原『エジプト マムルーク王朝』、43頁
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  76. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、11-12頁
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  78. ^ a b ヒッティ『アラブの歴史』下、600頁
  79. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、15-16頁
  80. ^ a b c d 大原『エジプト マムルーク王朝』、44頁
  81. ^ 伊藤『モンゴルvs.西欧vs.イスラム 13世紀の世界大戦』、193-194頁
  82. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、44-45頁
  83. ^ 伊藤『モンゴルvs.西欧vs.イスラム 13世紀の世界大戦』、194頁
  84. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、220頁
  85. ^ a b 橋口倫介『十字軍騎士団』(講談社学術文庫, 講談社, 1994年6月)、239-240
  86. ^ 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、233頁
  87. ^ 伊藤『モンゴルvs.西欧vs.イスラム 13世紀の世界大戦』、133頁
  88. ^ 前嶋『イスラムの時代 マホメットから世界帝国へ』、344頁
  89. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、304頁
  90. ^ 伊藤『モンゴルvs.西欧vs.イスラム 13世紀の世界大戦』、146頁
  91. ^ 前嶋『イスラムの時代 マホメットから世界帝国へ』、345頁
  92. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、48-49頁
  93. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、49-50頁
  94. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、51-52頁
  95. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、53-54頁
  96. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、59頁
  97. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、60頁
  98. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、61頁
  99. ^ a b 大原『エジプト マムルーク王朝』、54頁
  100. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、54-55頁
  101. ^ a b ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、67頁
  102. ^ a b ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、73頁
  103. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、69頁
  104. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、70-71頁
  105. ^ ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、72頁
  106. ^ a b c ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、79頁
  107. ^ a b 佐藤『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』、162頁
  108. ^ a b ドーソン『モンゴル帝国史』5巻、80頁
  109. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、304-305頁
  110. ^ a b 大原『エジプト マムルーク王朝』、61頁
  111. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、297頁
  112. ^ ヒッティ『アラブの歴史』下、640-641頁
  113. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、305頁
  114. ^ a b c d 三浦徹「東アラブ世界の変容」『西アジア史 1 アラブ』収録(佐藤次高編, 新版世界各国史, 山川出版社, 2002年3月)、309-310頁
  115. ^ a b 大原『エジプト マムルーク王朝』、256頁
  116. ^ a b 牟田口『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』、211頁
  117. ^ アミン・マアルーフ『アラブが見た十字軍』(牟田口義郎、新川雅子訳, ちくま学芸文庫, 筑摩書房, 2001年2月)、478-479頁
  118. ^ 佐藤『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』、112-113頁
  119. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、247頁
  120. ^ a b 佐藤『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』、113頁
  121. ^ ヒッティ『アラブの歴史』下、641-642頁
  122. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、245頁
  123. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、30頁
  124. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、249頁
  125. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、299-300頁
  126. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、151-152頁
  127. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、300-301頁
  128. ^ 佐藤『イスラーム世界の興隆』、301頁
  129. ^ 大原『エジプト マムルーク王朝』、27-28頁

参考文献[編集]

  • 伊藤敏樹『モンゴルvs.西欧vs.イスラム 13世紀の世界大戦』(講談社選書メチエ, 講談社, 2004年5月)
  • 大原与一郎『エジプト マムルーク王朝』(近藤出版社, 1976年10月)
  • 小林元[要曖昧さ回避]「バイバルス」『アジア歴史事典』7巻収録(平凡社, 1961年)
  • 佐藤次高『イスラーム世界の興隆』(世界の歴史8, 中央公論社, 1997年9月)
  • 佐藤次高「バイバルス」『新イスラム事典』収録(平凡社, 2002年3月)
  • 佐藤次高『マムルーク 異教の世界からきたイスラムの支配者たち』(UPコレクション, 東京大学出版会, 2013年8月)
  • 長谷部史彦「バイバルス」『岩波イスラーム辞典』収録(岩波書店, 2002年2月)
  • 前嶋信次『イスラムの時代 マホメットから世界帝国へ』(講談社学術文庫, 講談社, 2002年3月)
  • 牟田口義郎『物語中東の歴史 オリエント5000年の光芒』(中公新書, 中央公論社, 2001年6月)
  • C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』4巻(佐口透訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1973年6月)
  • C.M.ドーソン『モンゴル帝国史』5巻(佐口透訳注, 東洋文庫, 平凡社, 1976年12月)
  • フィリップ.K.ヒッティ『アラブの歴史』下(講談社学術文庫, 講談社, 1983年1月)

登場する作品[編集]