モロッコ
- モロッコ王国
- ⵜⴰⴳⵍⴷⵉⵜ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ(ベルベル語)
المملكة المغربية(アラビア語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:الله، الوطن، الملك(アラビア語)
ⴰⴽⵓⵛ, ⴰⵎⵓⵔ, ⴰⴳⵍⵍⵉⴷ(ベルベル語派)
(神、国、王)1 - 国歌:النشيد الوطني المغربي(アラビア語)
ⵉⵣⵍⵉ ⴰⵏⴰⵎⵓⵔ ⵏ ⵍⵎⵖⵔⵉⴱ(ベルベル語派)
国王万歳 -
公用語 アラビア語[1]、ベルベル語[1] 首都 ラバト 最大の都市 カサブランカ 独立 フランスから
1956年3月2日通貨 モロッコ・ディルハム(MAD) 時間帯 UTC+1 (DST:なし) ISO 3166-1 MA / MAR ccTLD .ma 国際電話番号 212 -
1 この標語は、憲法に明記された現国王の標語である。
2 モロッコ本土のみのデータ。
3 710,850 km2には、モロッコが主張する西サハラ全体が含まれる[5]。
国名[編集]
正式名称はアラビア語で、المملكة المغربية︵ラテン文字転写は、Al-Mamlaka l-Maghribiya‥アル=マムラカ・ル=マグリビーヤ︶。通称、المغرب︵al-Maghrib‥アル・マグリブ︶。﹁マグリブの王国﹂を意味する。 公式のフランス語表記は、Royaume du Maroc︵ロワイヨーム・デュ・マロック︶。 通称、Maroc。 公式の英語表記は、Kingdom of Morocco︵キングダム・オヴ・モロッコ︶。通称、Morocco。 日本語の表記は、モロッコ王国。通称、モロッコ。漢字の当て字は、摩洛哥・馬羅哥・莫羅哥・茂禄子など[8]。 アラビア語の国名にある﹁マグリブ﹂は、﹁日の没する地﹂﹁西方﹂を意味する。﹁マグリブ﹂は地域名としては北アフリカ西部を指すが、モロッコはマグリブの中でも最も西の果てにある国と位置付けられる。中世には他のマグリブ地域と区別するために﹁アル=マグリブ・ル=アクサー﹂︵極西︶とも呼ばれていた。 アラビア語以外の多くの言語での国名である﹁モロッコ﹂は、以前の首都マラケシュに由来する。 トルコ語での国名は﹁Fas﹂で、1925年までの首都フェズに由来する。歴史[編集]
アル=アンダルスのイスラーム化[編集]
18世紀まで[編集]
フランス資本の定着まで[編集]
続くスライマーンは、鎖国政策を採った。しかし、1830年にフランスがアルジェを征服したことにより、マグリブの植民地化が始まると、モロッコの主権も危機に脅かされた。1844年にアラウィー朝はフランス軍によるアルジェリア侵攻の中で、アブデルカーデルを支援して軍を送ったが、イスーリーの戦いで敗れた。1856年にはイギリスと不平等条約を結び、それまでの鎖国政策が崩れた。1859年にはスペイン軍の侵攻によりテトゥワンを攻略された︵スペイン・モロッコ戦争︶。 1873年、新たなスルタンとしてムーラーイ・エル・ハッサンが即位した。ベルベル人などの諸勢力を掃討するため、財政支出によりクルップ砲を導入するなど、軍事力を強化した。後継の息子︵アブデルアジズ4世︶は未成年で即位し、ドイツ帝国が政治へ助言した。 1904年の英仏協商でモロッコを狙っていたイギリス・フランス両国の妥協が成立し、フランスがモロッコにおける優越権を獲得した。なお、これが1905年に英仏協商に反対していたドイツ帝国が、タンジール事件を起こした原因になった。さらに1911年にドイツ帝国が再びアガディール事件を起こし、フランスを威嚇したものの、最終的にはドイツが妥協した。1912年のフェス条約で国土の大部分がフランスの保護領にされ、仏西条約で北部リーフ地域はスペイン領モロッコとなった。外資と君主と実効支配[編集]
政治[編集]
合法イスラーム主義政党の公正発展党以外にも、モロッコ・アフガンやAQIMなどの非合法イスラーム主義組織が存在する。しかし、2003年のカサブランカでの自爆テロ事件以降、非合法イスラーム主義組織は厳しく取り締まられている。
国家安全保障[編集]
地方行政区分[編集]
モロッコの行政区分は、12の地方と、51の第2級行政区画で構成されている。この行政区画は西サハラおよびサハラ・アラブ民主共和国の実効支配地域を含む。
主要都市[編集]
地理[編集]
気候[編集]
年間を通じて、大西洋上に海洋性熱帯気団が居座っており、常に北東の向きの風が卓越している[注釈 3]。2023年の時点で、既にモロッコの総発電量の約7%[25]( アフリカ第二位の割合[26])が風力発電で占められていた理由の1つが、ここにある。 モロッコ沿岸を北から南の方向へと、寒流のカナリア海流が流れる。さらに、モロッコの内陸部に連なるアトラス山脈が、海からの湿気を遮るために、山脈を境界として気候が変わる。 ケッペンの気候区分によると、アトラス山脈より北は地中海性気候 (Cs) に一部ステップ気候 (Bs)が混じる。基本的に夏に乾燥する気候である。アトラス山脈やリフ山脈の標高の高い場所では、冬季に積雪が見られる。アトラス山脈の南斜面はそのままサハラ沙漠につながっており、北部がギール砂漠、南部がドラー砂漠と細分される。気候区分は、砂漠気候 (BW)である。 モロッコ最大の都市であるカサブランカの気候は、1月の気温が12.4 ℃、7月が22.3 ℃で、年間降水量は379.7 mmである。冬季の降水量は100 (mm/月)に達するのに対し、夏季には1 mmを下回る。首都ラバトの気候もカサブランカとほぼ同じである。植生[編集]
経済[編集]
鉱業・電力[編集]
農業[編集]
工業[編集]
モロッコは世界的に見て硫酸の製造の盛んな地域であり、2004年の製造量は、950万トンであった[30]。 さらに、リン酸肥料︵生産量世界第6位︶、オリーブ油︵同9位︶が目立つが、ワインや肉類などの食品工業、加工貿易に用いる縫製業も盛んである。また、ルノーが2つの自動車工場を、ボンバルディアが航空機部品工場を運営している他、PSA・プジョーシトロエンやボーイングなども現地生産計画を進めている[28]。貿易[編集]
観光業[編集]
交通[編集]
国際関係[編集]
西サハラを放棄したモーリタニアとは異なり、西サハラを併合したいモロッコと、それを承認しない国際社会の利害対立は有る。 隣国で言えば、西サハラの支援をするアルジェリアとは対立してきた。
一方で、特に地理的に近いスペインやフランスとの関係は深く、貿易の上で重要な地位を占める。
またイスラム教以外を禁止してはいないものの、イスラム教を国教としており、イスラム教圏、特にアラブ諸国との関係も密接である。
アルジェリアとの関係[編集]
イスラエルとの関係[編集]
日本との関係[編集]
国民[編集]
民族[編集]
歴史的に、条件の良い平野部の土地を中心にアラブ人が暮らし、アトラス山脈の住民の大半がベルベル人である。2/3がアラブ人、1/3がベルベル人あるいはその混血がほとんどと言われる事が多いが、実際は両者の混血が進んでいる。また過去に存在したベルベル人の独立問題などもあり︵リーフ共和国︶、モロッコ政府としては、あくまでも両者はモロッコ人であるという考え方の元で、敢えて民族ごとの統計を取るなどの作業は行われていない。 モロッコのアラブ人には、イベリア半島でのレコンキスタや17世紀のモリスコ追放によってアンダルシアから移住した者もおり、彼等の中には現在でもスペイン風の姓を持つ者もいる。 ユダヤ人はモロッコ各地の旧市街に存在するメラーと呼ばれる地区に古くから居住していたが、イスラエル建国以来イスラエルやカナダなどへの移住により減少傾向が続いており、1990年時点で1万人以下である。その他にもブラックアフリカに起源を持つ黒人などのマイノリティも存在する。言語[編集]
宗教[編集]
1961年にイスラム教が国教と定められ、イスラム教スンニ派が99パーセントを占める。しかしながら、キリスト教とユダヤ教も禁止されてはいない。
教育[編集]
6歳から13歳までの7年間の初等教育が、義務教育と定められているものの、就学率は低い。モロッコの教育は初等教育を通して無料かつ必修である。それにもかかわらず、特に農村部の女子を始めとした多くの子供が、学校に通っていない。教育はアラビア語やフランス語で行われる。識字率は男性84.8%、女性67.4%(2021年推定)[43]。農村部の女子に至っては非識字率が90%近くにまで達する[要出典]。
主な高等教育機関としては、アル・カラウィーン大学(859年)やムハンマド5世大学(1957年)などが挙げられる。
保健[編集]
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医療[編集]
性転換手術[編集]
世界中の少なからぬ国において、モロッコという国名から﹁性転換﹂手術をイメージする人々が、特に1970年産まれ以前の世代では少なからず存在している[要出典]。 これは男性から女性への性転換手術、現在で言う性別適合手術の技法が、モロッコのマラケシュに在住していたフランス人医師ジョルジュ・ビュルーにより開発された事に起因する。ビュルーが手法を確立した1950年代後半以降、フランスの有名なキャバレー﹁カルーゼル﹂に所属していた多くの﹁性転換ダンサー﹂がビュルーの手術を受けたため有名になり、一時期は世界中から﹁女性に生まれ変わりたい﹂という願望を抱く男性が大量にマラケシュのビュルーの所へと押し寄せた。 日本もその例外ではなく、1960年代に3回にわたって行われた﹁カルーゼル﹂のダンサー︵いわゆる﹁ブルーボーイ﹂︶の日本公演が、この性転換手術の存在が知られる1つのきっかけとなり、その後、有名な例では、芸能タレントのカルーセル麻紀や、俳優の光岡優などが、モロッコに渡航しビュルーの執刀による手術を受けた。特に日本においては1973年以降のカルーセル麻紀に関する各種報道の影響で﹁性転換手術﹂=﹁モロッコ﹂のイメージが広まり、その影響は長らく残った[注釈 7]。 なお、ビュルーは1987年に死亡し、今日では性転換を希望する人は手術してくれる病院・医師の数が豊富なタイ王国で受けるのが主流となっている。妊娠中絶[編集]
モロッコで妊娠中絶は、法的に認可されていない。ウィミン・オン・ウェーブ︵オランダの医師が1999年に設立した団体︶が、モロッコで望まぬ妊娠をしている女性を船に乗せて、公海上で中絶手術をする目的で2012年にモロッコに入港しようとしたが、モロッコ海軍に阻止されて追い返された[45]。同船の医師は、モロッコでは違法に実施される危険な中絶処置のために、年間90人のモロッコ人女性の命が失われているとし、安全に中絶処置が実施される必要性を訴えた[45]。文化[編集]
食文化[編集]
文学[編集]
音楽[編集]
建築[編集]
モロッコ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が9件存在する。
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フェス旧市街 - (1981年)
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マラケシ旧市街 - (1985年)
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アイット=ベン=ハドゥの集落 - (1987年)
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古都メクネス - (1996年)
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ヴォルビリスの古代遺跡 - (1997年)
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テトゥアン旧市街(旧名ティタウィン) - (1997年)
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エッサウィラのメディナ(旧名モガドール) - (2001年)
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マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市 - (2004年)
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ラバト:近代的首都と歴史的都市 -(2012年)
祝祭日[編集]
モロッコには下記のモロッコの祝日に加えイスラム教の祝日も存在する。モロッコの祝日は毎年同じ日に祝られるが、イスラム教の祝日はイスラム暦によって決められるため移動祝日である[48]。
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | رأس السنة الميلادية | |
1月11日 | 独立宣言記念日 | ذكرى تقديم وثيقة الاستقلال | |
1月14日 | アマジグ族元日 | ينّاير | ベルベル族の新年 |
5月1日 | メーデー | عيد الشغل | 国際労働者の日 |
7月30日 | 即位記念日 | عيد العرش | 厶ハンマド6世が即位した日 |
8月14日 | ダフラ=オウィド・エッ=ダハブ日 | استرجاع إقليم وادي الذهب | ダフラ=オウィド・エッ=ダハブ地方の解放を記念する日 |
8月20日 | 革命記念日 | ثورة الملك والشعب | 1953年にフランスの植民に対して勃発した抗議運動が発生した日。この抗議運動により独立を果す。 |
8月21日 | ムハンマド6世国王誕生日 | عيد الشباب | |
11月6日 | 緑の行進記念日 | عيد المسيرة الخضراء | 1957年のこの日、西サハラの返却を求め35万人が緑の行進に参加しデモ活動行った |
11月18日 | 独立記念日 | عيد الاستقلال | 1956年にフランスとスペインから独立した日 |
スポーツ[編集]
サッカー[編集]
テニス[編集]
男子テニスは、1986年に当時の国王ハサン2世の名を冠したモロッコ初のATPツアー大会、ハサン2世グランプリが開催されるようになってから、次第に同国でもテニスが盛り上がりを見せるようになった。1990年代に入るとユーネス・エル・アイナウイ、カリム・アラミ、ヒチャム・アラジという3人の男子選手が同時期に現れ、同国初の国際的なプロテニス選手として大活躍した。 1961年に参戦したデビスカップでも当初は長らく弱小国であったが、上記3人の活躍と共に次第に強くなっていき、彼らが全盛期を迎えた1990年代後半から2000年代前半には、最上位カテゴリのワールドグループに通算で5回の出場を果たし、テニス強豪国の一角を占めるまでになった。ただ3人の引退に伴う2000年代後半以降は低迷したものの、2010年代にシングルスランキングで100番台に乗せてきた、レダ・エル・アムラニのような若手も現れ始めている。 女子テニスにおいても、2001年からラーラ・メリヤム王女の名を冠したWTAツアー大会、SARラ・プリンセス・ラーラ・メリヤム・グランプリを開催している。しかし、その一方で国内女子選手の育成は殆ど進んでおらず、2011年時点ではグランドスラム出場や、ツアーレベルに到達した女子選手は1人として現れておらず、世界レベルとは未だ隔たりがある。 フェドカップの同国代表も、大会参戦開始は1966年と中東諸国の中でも最も早かったが、この年の出場後の1995年に再び参加するまで、30年近く国際舞台の場に出なかった。その後も断続的な参加を続けた程度に過ぎず、2010年時点までの通算参加年数はわずか9年に留まっている。陸上競技[編集]
陸上競技のうち男子中距離走と長距離走は、同じアフリカ大陸のエチオピアやケニアと並んで世界屈指の強さを誇る。概してオリンピックや世界陸上においては、800 mと1500 mで世界一を輩出した事例が多い。さらに1980年代の男子中長距離界を席巻したサイド・アウィータとヒシャム・エルゲルージは、とりわけ日本の陸上競技ファンや関係者の中で有名であり、エルゲルージの出した1500 mと1マイル、2000 mの世界記録は未だに破られていない。格闘技[編集]
モロッコの著名な格闘家では、K-1とIT'S SHOWTIMEの元ヘビー級王者であるバダ・ハリがおり、かつてK-1世界ヘビー級王者戴冠後に﹁モロッコは世界的に自慢できる物が無い国なんだ。だから俺がK-1世界王者として活躍する事によって、世界中の人々に﹃モロッコ?ハリの母国だよね﹄と言ってもらえるようにしたい。"世界王者" という部分が重要なんだ﹂と語った。著名な出身者[編集]
脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ EUによる国際経済に占める﹁優先的地位﹂は、欧州近隣政策における行動計画の成果に基いて、EU側が付与する。モロッコに付与されたそれは、FTA締結から一段踏み込み、財・サービス・資本の完全な自由移動と専門職の自由移動の実現や、モロッコの国内法がEU法の総体︵アキ・コミュノテール︶を受容させる事などを、目標としている。 (二)^ 最も狭い部分では幅14 kmしかない。 (三)^ いわゆる﹁北東貿易風﹂と呼ばれる風である。 (四)^ モロッコの固有種のアルガンノキから採取するアルガンオイルは、モロッカンオイル、つまり﹁モロッコの油﹂といった意味の別名でも知られる。 (五)^ 原油の採掘量は1万トンと極めてわずかである。一方で、天然ガスは比較的多く産出する。 (六)^ 特に、リン鉱石は、採掘量は世界第2位ながら、埋蔵量世界1位と言われている。なお、リン酸肥料だけではなく、モロッコでは窒素肥料の製造も行っている。 (七)^ 例えばフィクションでは、1998年にディレクTVで放映されたアニメ﹃BURN-UP EXCESS﹄第8話で、登場した誘拐犯︵オカマバーの元店長と元従業員︶が身代金の使い道の1つとして﹁モロッコに行って性転換﹂することを挙げた。 (八)^ ミントに関しては、アッツァイと呼ばれるミント緑茶に、大量の砂糖を加えて飲む習慣が見られる。出典[編集]
(一)^ abcモロッコ王国 外務省 Ministry of Foreign Affairs of Japan (二)^ “The World Factbook/Morocco”. 中央情報局 (2017年5月9日). 2017年5月23日閲覧。 (三)^ ab“UNdata”. 国連. 2021年11月7日閲覧。 (四)^ abcdeIMF Data and Statistics 2021年10月16日閲覧︵[1]︶ (五)^ “The World Factbook/Morocco”. 中央情報局 (2020年12月30日). 2021年9月1日閲覧。 (六)^ “国別インタラクティブマップ”. AtlasBig (2021年). 2022年5月20日閲覧。 (七)^ “Note sur les premiers résultats du Recensement Général de la Population et de l’Habitat 2014”. モロッコ王国 (2014年). 2017年5月23日閲覧。 (八)^ ﹁外務省: 外交史料 Q&A その他﹂外務省、2010年4月21日閲覧。 (九)^ ﹁モロッコ軍部クーデーター失敗 国王殺害企てる 宮殿襲い銃撃戦﹂﹃中國新聞﹄ 1971年7月12日5面 (十)^ “サハラ紛争”. 2018年9月10日閲覧。 (11)^ 西サハラ地域の危険情報︻危険レベル継続︼︵内容の更新︶ 外務省 2021年09月21日 (12)^ 高崎春華 ﹁EU広域経済圏の形成と金融FDI﹂ 日本国際経済学会第70回全国大会 (13)^ “モロッコ、AUに復帰へ=西サハラ問題で30年前脱退” (html). 時事通信社. (2016年7月18日) 2016年7月24日閲覧。 (14)^ “アフリカ連合に復帰へ モロッコ国王が表明” (html). 産経新聞. (2016年7月18日) 2016年7月24日閲覧。 (15)^ “Morocco Asks to Re-join African Union After 4 Decades”. Voice of America. 2016年9月24日閲覧。 (16)^ モロッコの加盟承認=西サハラ問題で30年超対立-AU AFPBB News 2017年1月31日 (17)^ モロッコ、イランと断交﹃日本経済新聞﹄夕刊2018年5月2日掲載の共同通信配信記事。 (18)^ abcd“アルジェリア、モロッコと国交断絶 ﹁敵対行為﹂めぐり”. AFP. 2021年8月25日閲覧。 (19)^ “モロッコにおける憲法改正に係る国民投票について”. (2011年7月19日) 2011年7月19日閲覧。 (20)^ ﹁モロッコ王国﹂﹃世界年鑑2016﹄︵共同通信社、2016年︶272頁。 (21)^ NEWS25時‥モロッコ 穏健派が勝利宣言 毎日新聞 2011年11月27日 (22)^ モロッコ下院選、イスラム穏健派が勝利 初の第一党に 朝日新聞 2011年11月28日。 (23)^ モロッコ 都市人口(全体の%),1960-2020-knoema.com (24)^ abcdefghijken.m.wikipedia.org>Morroco (25)^ “La part des énergies renouvelables portée à 19,5% du mix électrique national, l’éolien principal contributeur”. le360 2023年6月5日閲覧。 (26)^ “Global Electricity Review 2023” (英語). ember climate. 2023年6月5日閲覧。 (27)^ “モロッコ基礎データ”. 外務省. 2023年6月5日閲覧。 (28)^ ab日経産業新聞﹁モロッコ 産業に厚み﹂2016年11月17日 (29)^ ﹁︻新興国ABC︼モロッコの産業フリーゾーン 車・航空機の産業集積﹂ 日経産業新聞 2018年5月14日︵グローバル面︶。 (30)^ abcdefgh二宮書店編集部 ﹃Data Book of The WORLD ︵2012年版︶﹄ p.317 二宮書店 2012年1月10日発行 ISBN 978-4-8176-0358-6 (31)^ ab二宮書店編集部 ﹃Data Book of The WORLD ︵2012年版︶﹄ p.316 二宮書店 2012年1月10日発行 ISBN 978-4-8176-0358-6 (32)^ ab二宮書店編集部 ﹃Data Book of The WORLD ︵2012年版︶﹄ p.124 二宮書店 2012年1月10日発行 ISBN 978-4-8176-0358-6 (33)^ フェルダウス投資担当閣外相によるコメント。﹃日経産業新聞﹄2018年5月29日︵環境・素材・エネルギー面︶掲載、モロッコ﹁再生エネ52%に﹂。 (34)^ ︻旅︼ケラア・ムグーナ︵モロッコ︶砂漠の中の﹁バラの谷﹂香り芳潤 美容にも一役﹃読売新聞﹄夕刊2018年5月16日。 (35)^ “モロッコで行くべき観光スポットTOP10とモロッコの基本情報”. ワンダーラスト (2016年1月15日). 2018年7月6日閲覧。 (36)^ 菅澤彰子. “モロッコのリヤドとは”. 2018年7月6日閲覧。 (37)^ ab“モロッコ基礎データ”. 外務省︵日本︶. 2018年7月6日閲覧。 (38)^ “Jews in Islamic Countries: Morocco” (英語). jewish virtual library. 2023年12月13日閲覧。 (39)^ "イスラエル、モロッコと国交正常化 米仲介". 日本経済新聞. 日本経済新聞社. 11 December 2020. 2023年12月13日閲覧。 (40)^ "イスラエル、西サハラに対するモロッコの主権を認める". ARAB NEWS JAPAN. ARAB NEWS. 18 July 2023. 2023年12月13日閲覧。 (41)^ ab外務省 モロッコ基礎データ (42)^ 2018年1月8日19時30分NHK総合放送﹁世界プリンス・プリンセス物語﹂ (43)^ ﹃世界年鑑2024﹄︵共同通信社︶224頁。 (44)^ “世界の医療事情 モロッコ”. 外務省. 2022年11月10日閲覧。 (45)^ abモロッコ海軍、﹁人工妊娠中絶船﹂の入港阻止 CNN.co.jp 2012年10月5日(金)12時53分配信 (46)^ abc石崎 まみ ﹃クスクスとモロッコの料理﹄ p.7 毎日コミュニケーションズ 2010年10月20日発行 ISBN 978-4-8399-3626-6 (47)^ 石崎 まみ ﹃クスクスとモロッコの料理﹄ p.6、p.7 毎日コミュニケーションズ 2010年10月20日発行 ISBN 978-4-8399-3626-6 (48)^ “祝日”. 日本貿易振興機構. 2024年3月13日閲覧。 (49)^ “モロッコがアフリカ勢史上初のW杯ベスト4進出!ポルトガルの猛攻耐えきり、歴史的偉業を達成”. Goal.com (2022年12月11日). 2022年12月12日閲覧。 (50)^ “アクラフ・ハキミ、パリ・サンジェルマン加入”. FCインテルナツィオナーレ・ミラノ (2021年7月7日). 2021年7月7日閲覧。参考文献[編集]
●川田順造﹃マグレブ紀行﹄中央公論社、東京︿中公新書246﹀、1971年1月。 ●私市正年、佐藤健太郎︵編著︶﹃モロッコを知るための65章﹄明石書店、東京︿エリア・スタディーズ﹀、2007年4月。ISBN 978-4-7503-2519-4。 ●佐藤次高︵編︶﹃西アジア史I──アラブ﹄山川出版社、東京︿新版世界各国史8﹀、2002年3月。ISBN 4634413809。 ●福井英一郎︵編︶﹃アフリカI﹄朝倉書店、東京︿世界地理9﹀、2002年9月。ISBN 4-254-16539-0。 ●宮治一雄﹃アフリカ現代史V﹄︵2000年4月第2版︶山川出版社、東京︿世界現代史17﹀。ISBN 4-634-42170-4。関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- モロッコ王国政府 (アラビア語)(フランス語)(スペイン語)(英語)
- 在日モロッコ大使館 (日本語)(英語)
- 日本外務省 - モロッコ (日本語)
- 在モロッコ日本国大使館 (日本語)(アラビア語)(フランス語)
- JCCME - モロッコ
- ウィキトラベル旅行ガイド - モロッコ
- モロッコに関連する地理データ - オープンストリートマップ
- モロッコのウィキメディア地図 (英語)
- 地図 - Google マップ
座標: 北緯34度02分 西経6度51分 / 北緯34.033度 西経6.850度
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