中臣益人
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中臣益人 | |
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時代 | 奈良時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 正五位下・神祇大副 |
主君 | 聖武天皇→孝謙天皇 |
氏族 | 中臣氏 |
父母 | 父:中臣人足 |
子 | 大中臣真魚 |
中臣 益人︵なかとみ の ますひと︶は、奈良時代の貴族。神祇伯・中臣人足の子。官位は正五位下・神祇大副。
経歴[編集]
天平18年︵746年︶従五位下・主税頭に叙任される。翌天平19年︵747年︶神祇大副に任ぜられると、聖武朝末から孝謙朝にかけてこれを務めた。またこの間の天平21年︵749年︶には4月に幣帛を伊勢大臣神宮に奉納した労により従五位上、11月に正五位下と続けて昇叙されている。 天平勝宝6年︵754年︶4月に造宮少輔に遷るが、6月には早くも神祇大副に再任されている。その後、相模守として地方官に転じたとされる。官歴[編集]
﹃続日本紀﹄による。 ●時期不詳‥正六位上 ●天平18年︵746年︶4月22日‥従五位下。8月8日‥主税頭 ●天平19年︵747年︶5月1日‥神祇大副 ●天平21年︵749年︶4月5日‥従五位上。8月10日‥兼民部大輔。11月26日‥正五位下 ●天平勝宝6年︵754年︶4月5日‥造宮少輔。6月1日‥神祇大副 ●時期不詳‥相模守[1]系譜[編集]
﹁中臣氏系図﹂︵﹃群書類従﹄巻第62所収︶による。- 父:中臣人足
- 母:不詳
- 生母不明の子女
- 男子:大中臣真魚