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北畠顕信

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凡例

北畠顕信
時代 南北朝時代
生誕 元応2年?(1320年?)
死没 天授6年/康暦2年?(1380年?))
墓所 不詳
官位 左近衛少将、従一位右大臣
鎮守府将軍(南朝)
主君 後醍醐天皇後村上天皇宗良親王守永親王
氏族 北畠家
父母 父:北畠親房、母:春日局
兄弟 顕家顕信顕能
唐橋顕雄後村上天皇女御、冷泉持定
北畠信親北畠守親北畠親統
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逸話[編集]

  • 北畠顕信の末葉とも、兄北畠顕家の子孫ともされる北畠天童丸天童城に拠り南朝側として勢力を誇ったが、斯波兼頼の圧力により文中年間(1372年1374年)天童城を捨て津軽浪岡方面へ去ったという。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『山形県の歴史』p.91-92
  2. ^ 山形の宝検索Navi「鳥海山大物忌神社文書」正平十三年八月三十日。

参考文献[編集]