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●68年
●4月‥ヒスパニア・タッラコネンシス総督ガルバ、ガリア・ルグドゥネンシス総督ウィンデクス、ネロに反逆。
●5月‥ライン軍団︵ゲルマニア軍団︶、ガリアでウィンデクスを破って殺害。
●6月‥元老院がネロを国家の敵であると宣言。ネロ、自殺。同日、ガルバが皇帝に承認される。
●11月‥ウィテッリウス、ゲルマニア・インフェリオル属州の総督に指名される。
●69年
●1月1日‥ライン軍団、ガルバへの忠誠宣誓を拒否。
●1月2日‥ライン軍団、ウィテッリウスを皇帝に推挙。
●1月15日‥ガルバ、プラエトリアニに殺害される。同日、オトー、元老院により皇帝に承認される。
●4月14日‥ウィテッリウス軍、オトー軍を破る。
●4月16日‥オトー、自殺。ウィテッリウスは皇帝に承認される。
●7月1日‥ユダヤ駐在のローマ軍隊の指揮官ウェスパシアヌス、帝位立候補を宣言。
●8月‥ドナウ軍団、シリア属州にいたウェスパシアヌスに対する支持を表明。
●9月‥ウェスパシアヌス、シリアに駐屯していた軍の半分︵残り半軍はティトゥスと共にユダヤ戦争へ︶を率いてイタリア本国へ向け進軍。
●10月‥ドナウ軍団、ウィテッリウス軍を破る。ウェスパシアヌス、エジプトを占領。
●12月20日‥ウィテッリウス、宮殿で兵士により殺される。
●12月21日‥ウェスパシアヌス、元老院より皇帝に承認される。
●70年
●ガリアにおいてバタウィ族のガイウス・ユリウス・キウィリス︵ラテン語:Gaius Iulius Civilis︶が反乱。ローマ帝国からの自立を宣言︵﹁ガリア帝国﹂と呼ばれることもある[1]︶するが、ウェスパシアヌスによって鎮圧される。
●6月‥ユダヤ戦争で、ティトゥス率いるローマ軍がエルサレムを陥落させる。
﹁四皇帝﹂一覧[編集]
●ガルバ ︵在位‥68年 - 69年︶
●オトー ︵在位‥69年︶
●アウルス・ウィテッリウス ︵在位‥69年︶
●ウェスパシアヌス ︵在位‥69年 - 79年︶
(一)^ 260年から274年まで存在した﹁ガリア帝国﹂とは別物。
関連項目[編集]
●五皇帝の年︵193年︶
●六皇帝の年︵238年︶
●ローマの簒奪者︵Roman usurper︶
●ユダヤ戦争