安岡正光
安岡 正光︵やすおか まさみつ、1896年︵明治29年︶2月15日 - 1962年︵昭和37年︶4月20日[1]︶は、日本の内務・警察官僚。官選山梨県知事。
経歴[編集]
福島県伊達郡梁川町︵現伊達市梁川町︶元陣内で、眼科医・安岡正熈︵せいき︶の二男として生まれる[1]。梁川小学校、福島中学校︵現福島県立福島高等学校︶を経て第一高等学校を卒業。1918年10月、高等試験に合格。1919年︵大正8年︶、東京帝国大学法学部法律学科︵英法︶を卒業。同年7月に 内務省に入省し内務属・会計課勤務となる[1][2][3]が休職となり、同年12月に一年志願兵として善通寺歩兵第43連隊に入隊し現役満期後に再び内務属となった。 以後、1921年︵大正10年︶4月に長崎県警視、同年12月神奈川県警視、1923年︵大正12年︶4月に愛媛県理事官となり、1925年︵大正14年︶5月に兵庫県に転じ、1929年︵昭和4年︶7月岡山県書記官・学務部長、1931年︵昭和6年︶1月長崎県書記官・学務部長、同年12月千葉県書記官・警察部長、1932年︵昭和7年︶8月京都府書記官・警察部長、1935年︵昭和10年︶1月広島県書記官・総務部長、1937年︵昭和12年︶7月兵庫県書記官・総務部長、1939年︵昭和14年︶4月神奈川県書記官・総務部長などを歴任[1][2]。 1940年︵昭和15年︶1月19日、山梨県知事に就任。体育奨励、学校教員・警察官の待遇改善、大政翼賛会県支部組織などに尽力[1][2]。1941年1月7日、依願免本官となり退官した[3][4]。 その後、千葉市松波町︵現中央区松波︶に住み、帝都高速度交通営団監事、東京商工経済会理事、関東地方厚生保護委員などを務めた[1][2]。親族[編集]
栄典[編集]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]