岩崎茂
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岩﨑 茂 | |
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統合幕僚長・岩崎空将(2012年8月) | |
生誕 |
1953年2月3日(71歳) 日本 岩手県 |
所属組織 | 航空自衛隊 |
軍歴 | 1975 - 2014 |
最終階級 | 統合幕僚長たる空将 |
除隊後 | 防衛大臣政策参与 |
岩崎 茂︵いわさき しげる、1953年︵昭和28年︶2月3日 - ︶は、日本の元航空自衛官。第31代航空幕僚長を経て、第4代統合幕僚長。
﹁いせ﹂艦上にて、オスプレイ発着艦の様子を確認する岩崎。共に写っ ているのは、アメリカ海兵隊のジョン・ウィスラー中将︵2013年11月12日撮影︶。
略歴[編集]
岩手県岩手郡岩手町土川出身[1]。一方井小、一方井中、盛岡第三高を経て防衛大学校︵第19期︶へ進む[1]。防大では航空工学を専攻し[2]、1975年︵昭和50年︶3月、防衛大学校を卒業後に航空自衛隊に入隊[1]。職種は操縦幹部︵戦闘機パイロット[2]︶。第201飛行隊長︵TACネーム"Garfield"︶、第2航空団司令、航空幕僚監部人事教育部長、西部航空方面隊司令官、航空幕僚副長等を経て、2009年︵平成21年︶7月に航空総隊司令官に就任。2010年︵平成22年︶12月24日に第31代航空幕僚長に就任。航空幕僚長時代には航空自衛隊次期主力戦闘機をF-35ライトニングⅡとする政府の決定を補佐した。2012年︵平成24年︶1月31日には第4代統合幕僚長に就任。竹河内捷次以来9年ぶりとなる空自出身の統合幕僚長であり︵統合幕僚監部に改編されてからは初︶、東北出身者として初の統合幕僚長である[1]。退官後は防衛大臣政策参与を務めた。年譜[編集]
●1971年︵昭和46年︶3月‥岩手県立盛岡第三高等学校卒業 ●1975年︵昭和50年︶3月‥防衛大学校卒業︵第19期︶ ●1986年︵昭和61年︶7月‥3等空佐 ●1989年︵平成元年︶7月‥2等空佐 ●1991年︵平成3年︶8月1日‥第201飛行隊長。TACネーム"Garfield"1993年7月31日まで。 ●1994年︵平成6年︶1月‥1等空佐に昇任 ●1996年︵平成8年︶3月25日‥航空幕僚監部防衛部防衛課防衛班長 ●1997年︵平成9年︶12月1日‥第7航空団飛行群司令 ●1999年︵平成11年︶12月10日‥航空幕僚監部人事教育部補任課長 ●2000年︵平成12年︶6月30日‥空将補に昇任 ●2001年︵平成13年︶1月11日‥第2航空団司令兼千歳基地司令 ●2003年︵平成15年︶3月27日‥航空総隊司令部防衛部長 ●2004年︵平成16年︶8月30日‥航空幕僚監部人事教育部長 ●2006年︵平成18年︶8月4日‥空将に昇任、第34代 西部航空方面隊司令官 ●2008年︵平成20年︶8月1日‥第40代航空幕僚副長︵田母神俊雄空幕長更迭に伴い、10月31日から11月7日まで航空幕僚長事務代理︶ ●2009年︵平成21年︶7月21日‥第40代 航空総隊司令官 ●2010年︵平成22年︶12月24日‥第31代 航空幕僚長 ●2012年︵平成24年︶1月31日‥第4代 統合幕僚長 ●2014年︵平成26年︶10月14日‥退官。同日付をもって防衛大臣政策参与 ●2015年︵平成27年︶10月1日‥ANAホールディングスに再就職︵顧問︶[3] ●2016年︵平成28年︶6月30日‥防衛大臣政策参与を退職[4] ●2019年︵平成31年︶8月23日‥実業之日本フォーラムに寄稿開始[5] ●2023年︵令和5年︶4月29日‥瑞宝大綬章受章[6]栄典[編集]
レジオン・オブ・メリット・コマンダー ●2023年︵令和5年︶4月29日‥ 瑞宝大綬章[6][7]画像[編集]
アメリカ軍の空軍兵学校を訪問した岩崎。
マーティン・デンプシーと談笑する岩崎
来日したホートン英国防参謀総長と、盾を送り合う岩崎
アメリカ空軍司令部学校にて、講演する岩崎
米軍を表敬訪問した岩崎
儀仗を受ける岩崎
脚注[編集]
- ^ a b c d 広報いわてまち No.637(平成24年7月1日)
- ^ a b 日本サイバーディフェンス チーム
- ^ 平成27年自衛隊員の営利企業への就職の承認に関する報告(防衛大臣承認)
- ^ 防衛省発令(政策参与人事:防衛省HP(2016/6/30))
- ^ 実業之日本フォーラム(白井一成エグゼクティブディレクター)岩崎茂執筆)
- ^ a b 令和5年春の叙勲受章者名簿(令和5年4月29日付)
- ^ 『官報』号外第93号、令和5年5月1日
出典[編集]
- 防衛年鑑(2010年版) ISBN 9784938468316 582頁
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