男性・女性
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男性・女性 | |
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Masculin, féminin: 15 faits précis | |
監督 | ジャン=リュック・ゴダール |
脚本 |
ギ・ド・モーパッサン ジャン=リュック・ゴダール |
製作 | アナトール・ドーマン |
出演者 |
ジャン=ピエール・レオ シャンタル・ゴヤ マルレーヌ・ジョベール |
音楽 | ジャン=ジャック・ドゥブー |
撮影 | ウィリー・クーラン |
編集 | アニエス・ギュモ |
製作会社 |
スヴェンスク・フィルムインドゥストリ アヌーシュカ・フィルム アルゴス・フィルム サンドリューズ |
配給 |
コロムビア・フィルム 東和/ATG |
公開 | |
上映時間 | 110分 |
製作国 |
フランス スウェーデン |
言語 |
フランス語 スウェーデン語 英語 |
﹃男性・女性﹄︵フランス語: Masculin féminin: 15 faits précis︶は、1966年のフランス・スウェーデン合作映画。監督はジャン=リュック・ゴダール。
概要[編集]
本作のとりあえずの原作は、19世紀の文豪ギ・ド・モーパッサンの短編小説﹃ポールの恋人﹄︵1881年︶と﹃合図﹄︵1886年︶である。﹁15の明白な真実 15 faits précis﹂と副題された通りの15のエピソードで、1965年冬のパリの若者の姿をダイレクトに捉える。 映画製作会社﹁アルゴス・フィルム﹂を率いる映画プロデューサーのアナトール・ドーマンは、アラン・レネ監督の﹃二十四時間の情事﹄︵1959年︶のヒットを持ち、人類学者で映画監督のジャン・ルーシュとおなじく社会学者のエドガール・モランの共同監督作﹃ある夏の記録﹄︵1961年︶や、ゴダールの﹃アルファヴィル﹄︵1965年︶に多くの啓示を与えたクリス・マルケル監督の﹃ラ・ジュテ﹄︵1962年︶といった作品を手がけたドキュメンタリー/実験映画畑のプロデューサーであった。ゴダールとは本作が初の顔合わせであったが、シネマ・ヴェリテの手法をとりたかったゴダールにはうってつけの人物であった。 さらに助監督として、1918年生まれでゴダールにとっての大先輩である、撮影当時47歳のジャック・バラティエ監督が本作をアシストした。のちに長編ドキュメンタリー映画﹃想い出のサンジェルマン﹄︵1967年︶として結実する、短編ドキュメンタリー映画﹃Désordre︵無秩序︶﹄︵1949年︶を撮った経験と手腕が必要だったからだ。バラティエは本作が撮影に入る1965年、﹃女と男のいる舗道﹄︵1962年︶の助監督だったベルナール・トゥブラン=ミシェルと共同監督で﹃L'Or du duc︵公爵の黄金︶﹄を撮ったばかりで、同作の20歳違いの監督ふたりが、豪華すぎる助監督として﹃男性・女性﹄の演出まわりを固めた。 これまで﹃アルファヴィル﹄や﹃気狂いピエロ﹄に脇役として出演し、助監督も兼務していたジャン=ピエール・レオが初めて主演した。 本作はスウェーデンとフランスの合作で、若者の文化と意識の問題を扱うのに、スウェーデン映画界の協力は必須であった。戦前からのスウェーデン映画を支えたスヴェンスク・フィルムインドゥストリ社とサンドリュース社は、当時、性先進国としていわゆる﹁スウェーデン・ポルノ﹂も製作していた。ゴダールとアンナ・カリーナが1964年に設立した製作会社﹁アヌーシュカ・フィルム﹂にとっての第3作であり、初めての合作映画であった。また﹁アヌーシュカ・フィルム﹂社は、ジャン・ユスターシュ監督に本作﹃男性・女性﹄の未使用フィルムを提供し、中篇映画﹃サンタクロースの眼は青い﹄︵1966年︶を製作した。一種のスピンアウト作である。 カメオ出演は多岐にわたる。まず、フランソワーズ・アルディ、ブリジット・バルドーが出演。バルドーといっしょにカフェにいる男役は、新婚早々のゴダールとカリーナがともに映画内映画出演しているアニエス・ヴァルダ監督の﹃5時から7時までのクレオ﹄︵1961年︶のクレオの相手役アントワーヌ・ブルセイエが務めた。地下鉄の中の女役に﹃はなればなれに﹄︵1964年︶のクロード・ブラッスールの叔母役シャンタル・ダルジェ、いっしょにいる男役にモーリタニア系フランス人映画監督のメド・オンド。のちにそろってクロード・シャブロル監督の﹃女鹿﹄︵1968年︶に出ることになるドミニク・ザルディとアンリ・アタルや、本作で俳優デビューし﹃メイド・インUSA﹄︵1966年︶や﹃ウイークエンド﹄︵1967年︶と立て続けにゴダール作品に出演することになるイヴ・アフォンソが出演している。またスウェーデン映画の中の女は歌手のエヴァ=ブリット・ストランドベルイ、﹃われらの恋に雨が降る﹄︵1946年︶に主演したイングマール・ベルイマン組の常連俳優ビルイェル・マルムステーンが起用されている。 撮影監督のウィリー・クーランはベルギー生まれのカメラマンで、本作に入る直前、マラン・カルミッツの映画監督時代の初期短編をいくつも手がけていた。カルミッツは﹃5時から7時までのクレオ﹄でトゥブラン=ミシェルとともに助監督をつとめていたので、撮影現場で出演者のゴダールとすでに顔をあわせている。カルミッツといえば、奇しくも1979年ゴダールの商業映画への復帰を果たした﹃勝手に逃げろ/人生﹄の製作総指揮を執った、のちのMK2グループの総帥である。 本作は、フランスのヌーヴェルヴァーグのイコン、ジャン=ピエール・レオを、ロマンティックな若い理想主義者で、売り出し中のポップ・スター、シャンタル・ゴヤ︵イエイエガールのマドレーヌ役︶を追っかける文字通り﹁ライオン・ワナビー﹂[2]な役どころ︵ポール役︶にキャスティングしている。明らかに違う音楽性︵ポールはバッハマニア︶と政治学習︵ポールはコミュニスト、マドレーヌは無関心︶にもかかわらず、ふたりはすぐにロマンティックな間柄になり、マドレーヌのふたりのルームメイト、カトリーヌ︵カトリーヌ=イザベル・デュポール︶とエリザベート︵マルレーヌ・ジョベール︶と4人で同居することになる。 表面上はギ・ド・モーパッサンの2つの作品に基づいているが、ゴダールはぶっつけ本番のルポルタージュと﹁演出︵Mise en scène︶﹂を混ぜ合わせ、若さと性︵フランスでは、18歳未満には禁じられた。﹁真の観客と考えていたのに﹂とゴダールはぼやいた。そのときベルリン国際映画祭は﹁若者のためのベストフィルム﹂と名づけた︶の著しく正直な肖像をつくりだそうとした。ゴダールのカメラは、愛とセックスと政治についての一連のシネマ・ヴェリテ・スタイル︵vérité-style ︶のインタビューにおいて、若い俳優たちを深く探った。 ここで抱いた若い世代への興味が、翌1967年のマオイストでシネフィルの青年ジャン=ピエール・ゴラン︵当時24歳︶との出逢いを生み、そして﹃中国女﹄︵1967年︶や﹃たのしい知識﹄︵1968年︶などの若い世代だけのための映画へと発展し、さらには毛沢東主義への思想傾倒へ、シネマ・ヴェリテを旨とした映像製作グループ﹁ジガ・ヴェルトフ集団﹂︵1968年 - 1972年︶の結成へ導くこととなった。 本作からのもっとも有名な引用句は、実際に章間にインサートされたタイトルにあるこのひと言である。﹁この映画は﹃マルクスとコカコーラの子どもたち﹄と呼ばれたい﹂。 1965年11月22日から12月13日にかけて撮影は行われた。ロケ地はパリとストックホルム[3]。公開[編集]
1966年3月22日、フランスで公開された[1]。 同年4月28日、ゴダールが初来日する。ミシェル・ボワロン監督の﹃OSS117/東京の切札﹄の撮影のため滞日中のマリナ・ヴラディと会い、次回作の出演を依頼することが目的の一つだった[4]。ゴダールは、日本では公開されていなかった﹃アルファヴィル﹄﹃気狂いピエロ﹄﹃男性・女性﹄の3作のフィルムを持参した[5]。滞在期間中の5月7日、日本フィルムライブラリー助成協議会の主催により、3本のうち﹃男性・女性﹄が東京国立近代美術館で上映された。上映会の来会者は日本映画ペンクラブ会員、日本映画監督協会員、日本シナリオ作家協会員などに限られ、上映後、ゴダールは質疑に応じた︵通訳は岩崎力︶[4][6]。 同年6月24日から7月5日にかけて開催された第16回ベルリン国際映画祭に出品され、青少年向映画賞を受賞。また、ジャン=ピエール・レオは最優秀男優賞を受賞した。 同年10月11日から19日にかけて第4回﹁フランス映画祭﹂が東京の東商ホールと草月ホールで開催された。﹃アルファヴィル﹄﹃気狂いピエロ﹄﹃男性・女性﹄のほか、﹃戦争は終った﹄﹃城の生活﹄﹃創造物﹄﹃悲しみの天使﹄﹃317小隊﹄﹃バルタザールどこへ行く﹄など計23本の映画が上映された。本作品は10月19日に上映された[7][8]。 1968年7月20日、日本で一般公開された[1]。スタッフ[編集]
●監督 ジャン=リュック・ゴダール ●脚本 ギ・ド・モーパッサン、ジャン=リュック・ゴダール ●撮影 ウィリー・クーラン ●音楽 ジャン=ジャック・ドゥブー ●編集 アニエス・ギュモ ●助監督 ジャック・バラティエ、ベルナール・トゥブラン=ミシェル ●製作主任 フィリップ・デュサール ●プロデューサー アナトール・ドーマン ●製作会社 スヴェンスク・フィルムインドゥストリ︵ストックホルム︶、アヌーシュカ・フィルム︵パリ︶、アルゴス・フィルム︵同︶、サンドリューズ︵ストックホルム︶キャスト[編集]
●ジャン=ピエール・レオ ︵ポール︶ ●シャンタル・ゴヤ ︵マドレーヌ︶ ●マルレーヌ・ジョベール ︵エリザベート︶ ●ミシェル・ドゥボール ︵ロベール︶ ●カトリーヌ=イザベル・デュポール ︵カトリーヌ︶ ●エヴァ=ブリット・ストランドベルイ ︵彼女、スウェーデン映画の中の女︶ ●ビルイェル・マルムステーン ︵彼、スウェーデン映画の中の男︶ ●イヴ・アフォンソ ︵自殺者︶ ●ブリジット・バルドー ︵カフェの女︶ ●アントワーヌ・ブルセイエ ︵カフェの男︶ ●フランソワーズ・アルディ ︵役人の妻︶ ●エルザ・ルロイ ︵19歳の少女︶ ●シャンタル・ダルジェ ︵地下鉄の女︶ ●メド・オンド ︵地下鉄の男︶ ●ドミニク・ザルディ ︵雑誌を読む男︶ ●アンリ・アタル評価[編集]
レビュー・アグリゲーターのRotten Tomatoesでは46件のレビューで支持率は96%、平均点は8.40/10となった[9]。Metacriticでは14件のレビューを基に加重平均値が93/100となった[10]。脚注[編集]
(一)^ abcMasculin féminin - IMDb︵英語︶
(二)^ 訳注:﹁ライオンになりたい︵lion-wannabe︶﹂=﹁レオ︵leo︶、子ライオンの意﹂と同発音の﹁レオ︵Léaud︶﹂とをかけている。英語版Wikipedia筆者のシャレと思われる。#解説の基調は、英語版Wikipedia﹁Masculin, féminin﹂の項の記述の和訳である。
(三)^ ベルガラ 2012, pp. 686–687.
(四)^ ab柴田駿、白井佳夫﹁ゴダール監督の日本の10日間﹂ ﹃キネマ旬報﹄1966年6月上旬号、50-54頁。
(五)^ ﹃映画評論﹄1966年7月号、7頁、﹁日本にやってきたゴダール﹂。
(六)^ ﹃映画評論﹄1966年7月号、68-72頁、﹁ゴダールへの質問状﹂。
(七)^ ﹃映画評論﹄1966年11月号、8-10頁、﹁秋は映画祭でオオ忙がし﹂。
(八)^ ﹃映画情報﹄1966年11月号、国際情報社、﹁フランス映画の粋を集めて 第4回フランス映画祭の参加作品﹂。
(九)^ “Masculin Féminin”. Rotten Tomatoes. Fandango Media. 2022年9月19日閲覧。
(十)^ “Masculin Féminin Reviews”. Metacritic. CBS Interactive. 2022年9月19日閲覧。
参考文献[編集]
- アラン・ベルガラ 著、奥村昭夫 訳『六〇年代ゴダール―神話と現場』筑摩書房〈リュミエール叢書〉、2012年9月25日。ISBN 978-4480873194。
外部リンク[編集]
- Masculin féminin - BiFi (フランス語)
- Criterion Collection essay by Adrian Martin(フランス語)
- 男性・女性 - allcinema
- 男性・女性 - KINENOTE
- Masculin, féminin: 15 faits précis - オールムービー(英語)
- Masculin, féminin - IMDb(英語)