臼井吉見
『新選現代日本文学全集 第36巻』(1959年) | |
誕生 |
1905年6月17日 日本・長野県南安曇郡三田村 (現・安曇野市) |
死没 |
1987年7月12日(82歳没) 日本・東京都杉並区下高井戸 |
墓地 | 八王子市の上川霊園 |
職業 | 小説家、編集者、評論家 |
最終学歴 | 東京帝国大学文学部 |
代表作 |
『安曇野』 『獅子座』 |
主な受賞歴 | 谷崎潤一郎賞(1970年) |
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臼井 吉見︵うすい よしみ、1905年︵明治38年︶6月17日 - 1987年︵昭和62年︶7月12日︶は、日本の編集者、評論家、小説家、日本藝術院会員。息子は映像作家の臼井高瀬。
臼井吉見文学館︵長野県安曇野市︶
長野県南安曇郡三田村︵現・安曇野市︶に、父貞吉・母きちの次男として生まれる。旧制松本中学︵現長野県松本深志高等学校︶、旧制松本高校文科甲類を経て、1929年東京帝国大学文学部卒業。松本中学では後に筑摩書房の創業者となる古田晁、俳優・演劇評論家の松本克平が同級であった。
旧制伊那中学︵現長野県伊那北高等学校︶、松本女子師範学校などで教員を務めた後、上京して東京女子大学でも教え、さらに、1946年創刊の総合雑誌﹃展望﹄︵筑摩書房︶の編集長を務め、文芸評論家としても活躍した。
﹃日本文学全集﹄﹃現代教養全集﹄などを編集した。
編集者としては、筑摩書房初の大型総合全集﹃現代日本文学全集﹄全九七巻+別巻二︵1953 - 59年︶を手掛け、倒産の危機から社を救うこととなった。また1965年から四半世紀がかりで完結した﹃明治文学全集﹄全九九巻+別巻一の編集チームの中心としても活躍した︵実態としては、ほとんど単独で編集作業を楽しんだ︶。[1]
1956年﹃近代文学論争﹄で芸術選奨文部大臣賞を受賞した。1964年から代表作となる大河小説﹁安曇野﹂の執筆を始め、1974年に完結し、谷崎潤一郎賞を受賞した。1975年日本藝術院会員。
1977年、﹃展望﹄5月号に掲載した﹃事故のてんまつ﹄︵まもなく単行本化︶は、川端康成の孤独な生い立ちから自殺までの背景を描いた作品で、川端家が抗議し、販売差止め仮処分の民事訴訟が提起された。結局、臼井が謝罪し和解が成立、単行本は絶版となった。
1987年7月12日、急性心不全のため東京都杉並区下高井戸の病院で死去[2]。
NHKのクイズ番組﹃それは私です﹄に、解答者として出演していたこともある。
安曇野市役所堀金支所に隣接する堀金中央公園に臼井吉見文学館がある。