近田春夫
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近田 春夫 | |
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出生名 | 近田 春夫 |
別名 |
近尾 春親 近田 ハルオ 塚田 みのる デューク 柏淵 President BPM 作詞センター 作曲研究所 東京アレンジサービス SCSI-TR NO CHILL OUT Rice 小諸鉄矢とCM NETWORK(※制作ユニットの一員)[1] |
生誕 | 1951年2月25日(73歳) |
出身地 | 日本・東京都 |
学歴 |
慶應義塾高等学校卒業 慶應義塾大学文学部中退[2] |
ジャンル |
ロック パンク・ロック 歌謡曲 ラップ トランス |
職業 |
歌手 作曲家 音楽評論家 |
担当楽器 |
ピアノ キーボード |
活動期間 | 1970年 - |
レーベル |
キングレコード 日本コロムビア 徳間ジャパン BPM ソリッドレコード ポニーキャニオン バンダイ・ミュージックエンタテインメント ミュージックマイン ビクターエンタテインメント |
事務所 |
渡辺プロダクション アミューズ 近田春夫事務所 |
共同作業者 |
谷啓 窪田晴男 沖山優司 |
近田 春夫︵ちかだ はるお、1951年︿昭和26年﹀2月25日 - ︶は、日本のミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー、音楽評論家、タレントである。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部ポピュラーカルチャー学科音楽コース教授[3]。別名は、近尾 春親︵ちかお はるちか︶、近田 ハルオ、塚田 みのる︵つかだ みのる︶[4][5]、デューク 柏淵︵デューク かしわぶち︶、President BPM︵プレジデント ビーピーエム︶、作詞センター︵さくしセンター︶、作曲研究所︵さっきょくけんきゅうじょ︶、東京アレンジサービス ︵とうきょうアレンジサービス︶、SCSI-TR︵スカジーティーアール︶、NO CHILL OUT︵ノーチルアウト︶、Rice︵ライス︶等多数。またCMソング作曲ユニット小諸鉄矢とCM NETWORKのメンバーの一人[1]。 東京都出身、慶應義塾大学文学部中退。スタイリストの近田まりこ︵1952年 - ︶は元妻。
経歴[編集]
●1951年︵昭和26年︶2月25日、東京都に生まれる。実家は世田谷区等々力にあり、3歳からピアノのレッスンを受けて育った[6]。 ●1957年︵昭和32年︶4月、慶應義塾幼稚舎に入学[7]。この小学校の中では実家が貧しく、そのことで暗い気分になった[8]。 ●1963年︵昭和38年︶4月、慶應義塾普通部に入学[7]。 ●1966年︵昭和41年︶4月、慶應義塾高等学校に進学。高校在学中に音楽活動を開始し、留年を重ねる。 ●1970年︵昭和45年︶、GS︵グループ・サウンズ︶末期のバンドロック・パイロットに参加する。また同じころ、元ザ・ビーバーズの平井正之・成田賢らのエモーションに参加する。同年12月、有楽町で開かれた第1回﹁日劇ロック・カーニバル﹂に、カルメン・マキ&タイムマシーンのキーボード奏者として参加。アルバイトとして参加していた﹃an・an﹄︵平凡出版︵現マガジンハウス︶︶の取材で知り合った立川直樹の紹介だった。[9] ●1971年︵昭和46年︶、2留して高校を卒業後、慶應義塾大学文学部に入学するもほとんど学校には顔を出さず、高校時代から関わっていた﹃an・an﹄︵平凡出版︵現マガジンハウス︶︶の編集部で働く[10]。クニ河内のバンド羅生門に参加、翌1972年1月、アルバム﹃インディアン、死よりも赤を選ぶ﹄を発表。 ●1972年︵昭和47年︶、元村八分の初代ドラマー恒田義見らとハルヲフォン︵のちの近田春夫&ハルヲフォン︶を結成する[11]。同年、アラン・メリル、金沢ジュンとゴジラを結成、同年、内田裕也の1815ロックンロールバンドに参加[12]。 ●1974年(昭和49年)、スタイリストの近田まりこと結婚。 ●1975年︵昭和50年︶、谷啓とザ・スーパーマーケット結成に近田ハルオ名義で参加。同年ハルヲフォンはメジャーデビューする。 ●1976年1月1日 - 7日、日本劇場で行われた﹁'76 小柳ルミ子★アグネス・チャン ハッピー ニュー イヤー ショー﹂に谷啓とザ・スーパーマーケットのメンバーとして出演。 ●1977年10月、﹃近田春夫のオールナイトニッポン﹄︵ニッポン放送、火曜2部: 1977年10月 - 1979年3月、金曜1部: 1979年4月 - 同年9月[13]︶放送開始。 ●1978年︵昭和53年︶、雑誌﹃POPEYE﹄︵平凡出版︵現マガジンハウス︶︶で連載コラム﹁THE 歌謡曲﹂を開始、1984年まで続いた。シングル﹃ロキシーの夜﹄でソロデビューする。同シングルのB面を最後にハルヲフォンは解散した[11]。 ●1979年︵昭和54年︶、近田春夫&BEEFを結成。BEEFは翌1980年、ジューシィ・フルーツとして分離、デビューした。同年、﹁THE 歌謡曲﹂などのコラムやインタビュー、対談等をまとめた単行本﹃気分は歌謡曲﹄︵雄山閣出版︶発売。 ●1980年︵昭和55年︶、ザ・ベンチャーズのアルバム﹁カメレオン﹂に加藤和彦、坂本龍一、ヒカシュー等と共に参加、ツアーにもゲストで参加している。 ●1981年︵昭和56年︶、窪田晴男、福岡ユタカらのバンド人種熱をとりこみ、近田春夫&ビブラトーンズを結成する。 ●1983年︵昭和58年︶、元ハルヲフォンの高木英一、元ピンナップスの野元貴子らとゲートボールを結成。 ●1986年︵昭和61年︶、ヒップホップ専門レーベルBPMを設立、President BPM名義で12インチシングル﹃MASS COMMUNICATION BREAKDOWN﹄を発表。 ●1987年︵昭和62年︶、JAGATARAのOTOらと人力ラップビッグバンド、ビブラストーンを結成。 ●1995年︵平成7年︶、ビブラストーン解散、ソロでゴアトランスを手がけ始める。 ●1997年︵平成9年︶1月、﹃週刊文春﹄︵株式会社文藝春秋︶で﹃考えるヒット﹄の連載を開始。 ●同年1月21日、Afromix名義でEP﹃444﹄、同年2月21日、EP﹃WORM﹄を発表。 ●同年3月21日、SCSI-TR名義でEP﹃SCUTTLE SHAKE﹄、同年5月21日、EP﹃HOT ROD 2001﹄を発表。 ●同年7月21日、NO CHILL OUT名義でゴアトランスEP﹃Black Light﹄、同年11月21日、EP﹃FUNKY-ZERO﹄を発表。 ●同年11月21日、CHAKAとのバンドDelicious Hipによるアルバム﹃Delicious Hip﹄を発表。 ●1998年︵平成15年︶、﹁THE 歌謡曲﹂全連載内容を含む﹃定本 気分は歌謡曲﹄を刊行。 ●2002年︵平成14年︶10月13日、Omb、UKIASHI、USCUSとトランス・バンドThe Lunatic Thunderを結成、川崎クラブチッタで初ライヴ。近田はテクノ・トランス・プロジェクトRice名義。 ●2003年︵平成15年︶2月26日、The Lunatic Thunderの初アルバム﹃KINGDOM COM﹄、同年9月26日、Rice名義で初アルバム﹃B.P.M.syndicate﹄をそれぞれ発表。 ●2006年︵平成18年︶4月29日 - 30日、近田春夫&ハルヲフォン・リローデッド名義でハルヲフォン再結成。 ●2008年︵平成20年︶8月、S字結腸のがんを開腹手術。 ●2010年︵平成22年︶12月2日、NHKラジオ第一放送にて、﹃ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?﹄開始︵1~2か月に1回の不定期放送︶。翌年、新年度4月6日より毎週金曜日、週1回の放送開始[14]。 ●2011年︵平成23年︶6月20日、The Lunatic Thunderのアルバム﹃Encounter﹄を発表。同年12月10日、The Lunatic Thunder名義で、ageHaで行われた﹃ageHa×Mother presents Mother 9th Anniversary Party﹁MUSIC IS CONNECTED TO UNIVERSE﹂﹄に出演。 ●2013年︵平成25年︶4月、京都精華大学にポピュラーカルチャー学部開設、教授に就任[3] ●2017年︵平成29年︶、元ハルヲフォンの恒田義見・高木英一と活躍中を結成。 ●2018年︵平成30年︶10月31日、近田春夫名義では38年ぶりのアルバム﹃超冗談だから﹄、12月19日には近田とOMBによるLUNASUNのアルバム﹃Organ Heaven﹄をリリース。名義歴[編集]
●ロック・パイロット ⇒ エモーション ⇒ 羅生門︵近尾春親︶ ⇒ ハルヲフォン ⇒ ゴジラ ⇒ 加藤ヒロシとそのグループ ⇒ 1815ロックンロールバンド ⇒ 谷啓とザ・スーパーマーケット︵近田ハルオ︶ ⇒ 近田春夫&ハルヲフォン ⇒ 近田春夫 ⇒ 近田春夫&BEEF ⇒ 人種熱+近田春夫 ⇒ 近田春夫&ビブラトーンズ ⇒ ビブラトーンズ ⇒ ゲートボール ⇒ President BPM ⇒ 近田春夫&ビブラストーン ⇒ ビブラストーン ⇒ Afromix ⇒ SCSI-TR ⇒ NO CHILL OUT ⇒ Delicious Hip ⇒ Rice ⇒ The Lunatic Thunder ⇒ 近田春夫&ハルヲフォン・リローデッド⇒ The Lunatic Thunder ⇒ 活躍中 / LUNASUN ●作詞センター / 作曲研究所 / 東京アレンジサービス / 小諸鉄矢とCM NETWORK(長戸大幸、吉江一男らとの作曲ユニット)人物・来歴[編集]
慶應義塾大学在学中から、内田裕也のバックバンドでキーボード奏者として活躍。また、創刊されたばかりの﹁anan﹂編集部にアルバイトとして出入りしていた[15]。また、内田に付き従うなかで、渡辺プロダクションのマネージャーだった大里洋吉と親しくなり[16]、大里に﹁ザ・ワイルドワンズ、ロック・パイロット、アラン・メリル、この3組のキーボードを全部やってくれたら、1組分のギャラを払うよ﹂と誘われ、理不尽な契約ながらも、日劇ウエスタンカーニバルステージに出られるとなると嬉しく、二つ返事で快諾したという[17][18]。なお、この縁から、後に近田が設立した近田春夫事務所のデスクは、渡辺プロから独立して大里が設立したアミューズ内にあった[19]。 1972年に﹁近田春夫&ハルヲフォン﹂を結成。1974年には、脚本家の荒井晴彦からの依頼で日活ロマンポルノ﹃濡れた賽ノ目﹄︵監督若松孝二、製作若松プロダクション︶の音楽を﹁塚田みのる﹂名義で手がけ、同年には同じく荒井の依頼で日本専売公社のPR映画︵監督渡辺護、主演竹井みどり・寺田農︶の劇伴を手がけた[4][5]。 1970年代後期から1980年代初期にかけては、ラジオパーソナリティやテレビ番組のコメンテーター、テレビドラマ﹃ムー一族﹄、﹃家路〜ママ・ドント・クライ﹄出演、アニメ映画﹃フリテンくん﹄の主役声優担当など、メディアを跨いだ幅広い仕事をこなす。 また、﹁日本の歌謡曲が持つ音楽性﹂にもっとも早く気がつき、1978年から1984年にかけて、雑誌﹁POPEYE﹂に伝説的なコラム﹁THE 歌謡曲﹂を連載。また、﹁近田春夫&ハルヲフォン﹂のアルバム﹃電撃的東京﹄︵1978年︶でも、歌謡曲のカバーを行った。1979年にソロ・アルバム﹃天然の美﹄を発表。アレンジ・演奏に結成直後のイエロー・マジック・オーケストラを起用する。﹃エレクトリック・ラブ・ストーリー﹄、﹃ああ、レディハリケーン﹄等で漫画家の楳図かずおを作詞家として起用した。 結成したバックバンド﹁BEEF﹂は茂木由多加とNOGERAを除いたメンバーが、1980年にテクノ歌謡バンドジューシィ・フルーツとしてデビュー、自らプロデューサーを務めた。近田が作曲を担当したジューシィ・フルーツの曲﹃恋のベンチ・シート﹄をもじったタイトルの﹃恋のぼんちシート﹄を当時人気絶頂だった漫才コンビ﹁ザ・ぼんち﹂に提供。近田にとってはジューシィの﹃ジェニーはご機嫌ななめ﹄に続く大ヒット曲となったが、ラジオ番組﹁ビートたけしのオールナイト・ニッポン﹂でこの曲がダーツ﹃ダディクール﹄の盗作ではないかとする投稿があり、聞き比べによる検証が行われた。翌週のラジオ番組で、近田はあっさり﹁パクった﹂と認め、その言い訳をしない姿勢と元来猥雑であった近田のキャラクターから大きな問題にはならなかった。 1981年には人種熱のメンバーをそのままバックバンドとして取り込む形で、﹁近田春夫&ビブラトーンズ﹂を結成、アルバム1枚とミニアルバム1枚を発表する。同年、植田まさし原作4コマ漫画のアニメ映画﹁フリテンくん﹂で主役のフリテンくんに抜擢で出演。 1984年には、近田の原案・製作総指揮で、手塚眞監督によるミュージカル映画﹃星くず兄弟の伝説﹄を製作。音楽も自ら担当した。 また、1986年ごろの高木完、藤原ヒロシの紹介により[20]1986年からはファンクやラップに注目、President BPM名義で活動。自身のレーベルBPMを率いて、タイニー・パンクスらと日本語ラップのパイオニアとも言える活動を行う。1987年には﹁バンド形式によるヒップホップ﹂というコンセプトでビブラストーンを結成。 2001年より自身のプロジェクト RICE等、サイケデリック・トランスの分野での活動を開始する。2006年には近田春夫&ハルヲフォン・リローデッドとしてイベントに出演。 CMソング仕事も大量に行っていたが、自伝によるとトランスやレイブの仕事を優先させるために、2007年ごろに終了させたとのこと[21]。また週刊文春での連載﹃考えるヒット﹄において歌謡曲の楽曲的分析を行うなど、活動は盛んである。エピソード等[編集]
●﹃タモリ倶楽部﹄の﹁空耳アワー﹂の年次総集編である﹁空耳アワード﹂の常連出演者で、自身も投稿した経験がある。ネタはストロベリー・パスの﹃イエローZ﹄から﹁オ〇〇コ やろうぜ!﹂という露骨な下ネタの空耳で、VTRを見た安齋肇から﹁近田さん50歳になったというのに…﹂と呆れられていた。また、この番組で共演したマーティ・フリードマンとはその後、ウェブや書籍の企画で対談するなど、交流がある[22][23]。 ●2022年1月、鳥取県が開催した﹁とっとり弥生の王国プレミアムイベント・青谷弥生人そっくりさんコンテスト﹂にて特別賞を受賞し﹁とっとり弥生の王国﹂の﹁国民認定証﹂が贈呈された[24]。 ●﹁セブンイレブン﹂がコンビニで、﹁麦とホップ﹂が第3のビールで﹁抜きん出ている﹂と語ったことがある[25]。 ●日本で最初にチョッパー奏法をやったベーシストはいかりや長介だというデマを流したのは近田である。出演[編集]
ラジオ[編集]
●午後のまりやーじゅ︵金曜︶﹁ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?﹂︵NHKラジオ第1、2013年3月までの﹁つながるラジオ﹂から継続︶ ●TOKYOロッキン・タイム︵TBSラジオ、1978年10月 - 1979年3月︶ ●近田春夫の赤坂センセーション︵TBSラジオ︶ ●近田春夫のオールナイトニッポン︵ニッポン放送︶ ●近田春夫とマナの西武ミュージック・フレンド・ショップ︵ニッポン放送︶ ●ヤング コネクション ポップアイランド︵ラジオ関西︶ ●MBSミュージックマガジン︵MBSラジオ、1979年10月 - 1980年3月︶ ●ザ・オーディション 〜才能救出計画︵TOKYO FM︶ ●TOKYO M.A.A.D SPIN︵J-WAVE、2021年10月 - 毎月最終木曜深夜 小泉今日子と共演︶バラエティー[編集]
●タモリ倶楽部︵テレビ朝日︶不定期出演 - 主に音楽企画・空耳アワード審査員 ●ラストアイドル in AbemaTV - Good Tears プロデューサーとしてテレビドラマ[編集]
●ムー一族︵1978年5月 - 1979年2月 TBS︶ - 夢先案内人・ヘホ 役ディスコグラフィ[編集]
シングル[編集]
1970年代[編集]
(一)FUNKYダッコNo.1 ︵1975年、ハルヲフォン名義︶ (二)シンデレラ ︵1976年、近田春夫&ハルヲフォン名義︶ (三)恋のT.P.O. ︵1976年、近田春夫&ハルヲフォン名義︶ (四)ロキシーの夜 ︵1977年、A面近田春夫名義、B面近田春夫&ハルヲフォン名義︶ (五)きりきりまい ︵1978年、近田春夫&ハルヲフォン名義︶ (六)恋のグンギン・ナイト ︵1979年発売予告 - 実現しなかったシングル︶ (七)エレクトリック・ラブ・ストーリー ︵1979年、ソロ︶ (八)ああ、レディハリケーン ︵1979年、ソロ / 近田春夫&BEEF︶ - 資生堂﹁レディバスボン﹂CMソング1980年代[編集]
(一)星くず兄弟の伝説 ︵1980年、ソロ︶ (二)Goin'にMy Way ︵1981年、青木美冴 / 人種熱+近田春夫名義︶ (三)金曜日の天使 ︵1981年、近田春夫&ビブラトーンズ名義︶ (四)スマートなゲートボール ︵1983年、ゲートボール名義︶ (五)星くず兄弟の伝説 ︵1985年、スターダスト・ブラザーズ名義︶ (六)MASS COMMUNICATION BREAKDOWN ︵1986年、President BPM名義︶ (七)NASU-KYURI ︵1986年、President BPM名義︶ (八)Hoo! Ei! Ho! ︵1987年、BPM PRESIDENTS featuring TINNIE PUNX名義︶ (九)COME★BACK ︵1987年、F.O.E. featuring HARUOMI HOSONO with President BPM and SEIKOH ITOH名義︶ (十)だからDESIRE ︵1987年、宮崎美子 / BPM名義︶1990年代[編集]
(一)ジェットコースター ︵1991年、ビブラストーン名義︶ (二)MIKKY-D / 金っきゃねぇ ︵1991年、ビブラストーン名義︶ (三)フーディスト村 ︵1992年、ビブラストーン名義︶ (四)やだ ︵1992年、ビブラストーン名義︶ (五)TVドラマはすべて現実? ︵1993年、ビブラストーン名義︶ (六)ナイトメア ︵1994年、ビブラストーン名義︶ (七)444 ︵1997年、Afromix名義︶ (八)WORM ︵1997年、Afromix名義︶ (九)SCUTTLE SHAKE ︵1997年、SCSI-TR名義︶ (十)HOT ROD 2001 ︵1997年、SCSI-TR名義︶ (11)Black Light ︵1997年、NO CHILL OUT名義︶ (12)FUNKY-ZERO ︵1997年、NO CHILL OUT名義︶アルバム[編集]
1970年代[編集]
●ロック・パイロット ︵1971年、ロック・パイロット名義︶ ●日本国憲法 平和・自由・愛︵1971年、羅生門名義︶ ●インディアン、死よりも赤を選ぶ ︵1972年、羅生門名義︶ ●ROCK IMPULSE! ゴーゴー大パーティー ︵1972年、ゴジラとイエロージプシー名義︶ ●神崎みゆき ファースト・アルバム ︵1973年、加藤ヒロシとそのグループ名義︶ ●ロックンロール放送局 ︵1973年、1815ロックンロールバンド名義︶ ●COME ON, LET'S GO ︵1976年、近田春夫&ハルヲフォン名義︶ ●リメンバー・グループ・サウンド ︵1976年、近田春夫&ハルヲフォンを含むオムニバス盤︶ ●ハルヲフォン・レコード ︵1977年、近田春夫&ハルヲフォン名義︶ ●グディー・グディー・オルディー・ミュージック ︵1977年、マイルド・メンソール&シガレット・カンパニー名義︶ ●電撃的東京 ︵1978年、近田春夫&ハルヲフォン名義︶ ●天然の美 ︵1979年、ソロ︶1980年代[編集]
●Time, Place & Occasion ︵1980年、近田春夫名義、ベスト盤︶ ●ハルヲフォン・メモリアル ︵1980年、近田春夫&ハルヲフォン名義、解散後のベスト盤︶ ●星くず兄弟の伝説 ︵1980年、ソロ︶ ●﹁悪魔と姫ぎみ﹂オリジナル・サウンド・トラック ︵1981年、人種熱+近田春夫名義︶ ●ミッドナイト・ピアニスト ︵1981年、近田春夫&ビブラトーンズ名義︶ ●鬼ヶ島 ︵1982年、平山みき、ビブラトーンズ名義︶ ●VIBRA-ROCK ︵1982年、ビブラトーンズ名義︶ ●スマートなゲートボール ︵1983年、ゲートボール名義︶ ●﹁星くず兄弟の伝説﹂オリジナル・サウンド・トラック ︵1985年︶ ●HEAVY ︵1987年、President BPM名義︶ ●ビブラトーンズFUN ︵1988年、近田春夫&ビブラトーンズ名義、解散後のCD化ベスト盤︶ ●Vibra is Back ︵1989年、CHIKADA HARUO & VIBRASTONE名義︶1990年代[編集]
●ENTROPY PRODUCTIONS ︵1991年、ビブラストーン名義︶ ●Smile!! It's not the end of the world ︵1993年、ビブラストーン名義︶ ●NATIONAL ︵1994年、ビブラストーン名義︶ ●BEST 1991→1994,→ ︵1995年、ビブラストーン名義︶ ●Delicious Hip ︵1997年、Delicious Hip名義︶2000年代[編集]
●KINGDOM COM ︵2003年、The Lunatic Thunder名義︶ ●B.P.M.syndicate ︵2003年、Rice名義︶ ●考えるベスト︵2004年、それまでのキャリアを総括したベスト盤︶ ●近田春夫&ハルヲフォンLIVE! 1975 - 77 ︵2006年、近田春夫&ハルヲフォン名義、解散後のCD化ライブ盤︶ ●Encounter ︵2011年、The Lunatic Thunder名義︶ ●超冗談だから ︵2018年、ソロ︶ ●Organ Heaven ︵2018年、LUNASUN名義︶ ●近田春夫ベスト~世界で一番いけない男︵2019年、ベスト盤︶おもな楽曲提供[編集]
おもなCM音楽[編集]
近田は﹁作曲研究所﹂などの名義でCM楽曲︵サウンドロゴ、コマーシャルソング、BGM︶を1,000曲以上作曲しており、日本のCM界では歴代3位の数にあたる︵1位は小林亜星で6,000曲以上、2位はキダ・タローで3,000曲以上︶とされる[26]が、本人は﹁俗説﹂と否定した上で、﹁確かにそのぐらい書いてたかなという実感はある[26]﹂ともしている。 下記は特記なき限りいずれもテレビCM[27]。 ●ロッテ﹁三角チップ﹂︵1978年︶[28] ●白元﹁ソックタッチ﹂︵1978年︶[28] ●明治製菓﹁明治マイレコード﹂DJ編︵1980年︶ ●服部セイコー﹁セイコーレディスファッション﹂︵1980年︶ ●白子のり となり編︵1981年︶ - 第21回ACCCMフェスティバル 秀作賞 ●TOTO﹁ウォシュレット﹂︵1982年︶[29] ●オリンパス﹁ピカソAF-1﹂ぬれてもピカソ編︵1986年︶ - 第26回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞 ●日清食品﹁シーフードヌードル﹂無念のスルメ編︵1987年︶ - 第27回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞 ●セブン-イレブン・ジャパン 企業CMよいことのある帰り道編︵1988年︶ - 第28回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞 ●公共広告機構 キャンペーン ペット公害編︵1988年︶ - 第28回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞 ●森永製菓﹁チョコボール﹂︵1987年 - ︶[29] - ﹁クエックエックエッ チョコボール﹂のフレーズで知られるCMソング ●入場行進編︵1990年︶ - 第30回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞 ●My First Sony﹁アニメーションコンピューター﹂︵1989年︶ ●ダイハツ﹁ミラ・パルコ﹂いつも仕事はつらいけど編︵1989年︶ ●﹁ミラ・パルコ90﹂サイパンじゃ美人編︵1990年︶ ●﹁ミラ・3ドアセダン﹂ミラ・ニッポン編︵1990年︶ ●山之内製薬﹁ギネスゴールド﹂座り寝編︵1990年︶ - 第30回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞 ●ライオン﹁ナテラ﹂ヤシからナテラ編︵1991年︶ ●出光興産﹁MOTION Mカード﹂とんねるず人形編︵1991年︶ - 第31回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞 ●NEC﹁新98MATE﹂︵1994年︶ - 第34回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞 ●NTT﹁キャッチホン﹂初恋編︵1994年︶ - 第34回ACC CMフェスティバル テレビCM部門優秀賞 ●日清食品﹁日清Spa王﹂︵1995年 - ︶[29] ●﹁日清Spa王・たらこ﹂あおい輝彦編︵1995年︶ - 第35回ACC CMフェスティバル テレビCM部門秀作賞 ●NTT﹁タウンページ﹂めくりかた編︵1995年︶ - 第35回ACC CMフェスティバル テレビCM部門秀作賞 ●日本コカ・コーラ﹁爽健美茶﹂︵1995年 - ︶[29] ●'98自然の精開花編︵1998年︶ - 第38回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞 ●ローソン 年賀状大作戦編︵1996年︶ - 第36回ACC CMフェスティバル テレビCM部門秀作賞 ●NTTドコモ﹁携帯電話﹂携帯があれば編/荷物編/タクシー編︵1996年︶ - 第36回ACC CMフェスティバル テレビCM部門秀作賞 ●サントリー﹁なっちゃん﹂︵1998年 - 2001年︶ - コンピレーションCD﹃ベストCM100﹄︵EMI TOCT-26122~3︶に収録[30] ●NTTドコモ﹁ポケットボードPLUS﹂宴会編︵1999年︶ - 第39回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC賞 ●サッポロビール﹁サッポロ生ビール黒ラベル﹂︵1999年 - 2003年︶[31] ●カラオケ編/合戦編/金魚編︵2000年︶ - 第41回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC銀賞 ●コンビニ帰りの男編/自転車置き場の男編/特急列車の男編︵2002年︶ - 第42回ACC CMフェスティバル テレビCM部門ACC銅賞 ●サントリー﹁DAKARA﹂︵2000年︶ - コンピレーションCD﹃ベストCM100﹄に収録[30] ●ライオン﹁エメロンアクアピュア﹂︵2000年︶ ●モンデリーズ・ジャパン﹁リカルデント﹂︵2000年︶ - コンピレーションCD﹃ベストCM100﹄に収録[30] ●タイアップ楽曲 ●資生堂﹁レディバスボン﹂︵1979年︶ - 近田春夫&BEEF﹃ああ、レディハリケーン﹄ ●レナウン﹁Addenda/AGASA﹂︵1983年︶ - ビブラトーンズ﹃AOR大歓迎﹄ ●宝酒造﹁タカラ本みりん﹂︵1987年︶ - President BPM﹃タカラ本みりん﹄ ※シングル﹃だからDESIRE﹄に収録おもな提供先アーティスト[編集]
●青木美冴﹃Goin'にMy Way﹄ ●EVE﹃恋はパッション﹄※作曲研究所名義 ●尾崎紀世彦﹃若者達の心にしみる歌の数々/本物のスター﹄※アトミック南名義 ●柏原よしえ﹃乙女心何色?﹄ ●川口雅代﹃最新情報﹄ ●貴島サリオ﹃忘れさせてあげる﹄ ●キャット・ミキ﹃こどもなんだよ!﹄︵フジテレビ系子供番組﹁ウゴウゴ・ルーガ﹂オープニングテーマ︶※キャット・ミキとの共作 ●クールス﹃シンデレラ﹄ ●小泉今日子﹃Fade Out﹄ ●小林千絵﹃ちぐはぐキッス﹄ ●西城秀樹﹃アメイジング・ガール﹄﹃スウィート・ソウル・アクション﹄︵ポップンガール・ヒデキ︶ ●ザ・ぼんち﹃恋のぼんちシート﹄ ●柴田恭兵﹃なんとなく、クリスタル﹄ ●ジューシィ・フルーツ﹃ジェニーはご機嫌ななめ﹄ ●ずうとるび﹃ウッカリBOY チャッカリGAL﹄﹃NOTHING TO DO﹄ ●スペクトラム﹃夜明け︵アルバ︶﹄︵シングルバージョン︶※スペクトラムとの共作 ●千日前ちなつ・ちあき﹃あきのくりづくしメニュー﹄︵フジテレビ系子供番組﹁ウゴウゴ・ルーガ﹂エンディングテーマ︶ ●戸川京子﹃悲しみはリアルすぎて…﹄ ●やくしまるえつこ﹃ジェニーはご機嫌ななめ﹄ ●ラジオっ娘﹃恐れちゃいけない﹄﹃ひとつになりましょ﹄﹃デートとは何か?﹄ ●Good Tears﹃へえ、そ〜お?﹄おもな楽曲[編集]
●みんなでハッピーバースデープロデュースしたアーティスト[編集]
●風見りつ子 ●桐島かれん ●クールス ●小泉今日子 ●ザ・ぼんち ●ジューシィ・フルーツ ●戸川京子 ●ピンナップス ●ヒカシュー ●平山みき - アルバム﹃鬼ヶ島﹄ ●The Fuse ●ザ・ベンチャーズ ●やくしまるえつこ ●Good Tearsフィルモグラフィ[編集]
特筆以外のクレジットはすべて﹁音楽﹂である[4][5]。- 『濡れた賽ノ目』 : 監督若松孝二、主演司美知子・山谷初男、製作若松プロダクション、配給日活、1974年9月11日公開(成人映画・映倫番号 17890) - 音楽・「塚田みのる名義」名義[4][5]
- 『(秘)肉体調教師』 : 監督白井伸明、主演渚りな、製作・配給にっかつ、1978年5月20日公開(成人映画・映倫番号 19400) - 音楽・「近田春夫&ハルヲフォン」名義
- 『餌食』 : 監督若松孝二、主演内田裕也、音楽ピーター・トッシュ/マトゥンビ、製作獅子プロダクション、配給東映、1979年6月23日公開(映倫番号 19809) - 出演
- 『暴行儀式』 : 監督根岸吉太郎、脚本荒井晴彦、主演紗貴めぐみ、製作・配給にっかつ、1980年2月16日公開(成人映画・映倫番号 110019) - 音楽・「近田春夫&ハルヲフォン」名義(挿入曲『いえなかったんだ』)、68分の上映用プリントをNFCが所蔵
- 『ピーマン80』 : 製作・監督居作昌果、主演谷隼人、製作東宝・AV企画、配給東宝、1979年9月8日公開(映倫番号 19799) - 主題曲・作詞・作曲
- 『ニッポン警視庁の恥といわれた二人 刑事珍道中』 : 監督斎藤光正、主演中村雅俊・勝野洋、製作角川春樹事務所・東映、配給東映、1980年10月4日公開(映倫番号 110198)
- 『悪魔と姫ぎみ』 : 監督高橋良輔、主演木ノ葉のこ、主題歌青木美冴、挿入歌ジューシィ・フルーツ、製作・配給スーパーウッド、1981年3月20日公開(映倫番号 不明)
- 『フリテンくん』 : 監督杉山卓、音楽監修松下治夫、主題歌中崎英也、製作東宝・ナック、配給東宝、1981年4月11日公開(映倫番号 110338) - 声の出演「フリテンくん」役
- 『星くず兄弟の伝説』 : 監督・脚本・編集手塚眞、主演久保田しんご・高木一裕、製作「星くず兄弟の伝説」プロジェクト、配給シネセゾン、1985年6月15日公開(映倫番号 111698) - 製作総指揮・原案・音楽監督・出演「おちぶれたミュージシャン」役
- 『バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ』「カラダだけの男」 : 監督明石知幸、主演沢田研二、製作光和インターナショナル、配給松竹、1991年9月14日公開(映倫番号 113591)
- 『ロック誕生 The Movement 70'S』 : 監督村兼明洋、主演内田裕也、製作「ロック誕生」Partners、配給「ロック誕生」Partners・日本出版販売、2008年10月25日公開(映倫番号 不明) - 出演
- 『ララピポ』 : 監督宮野雅之、主演成宮寛貴、製作「ララピポ」製作委員会、配給日活、2009年2月7日公開(映倫番号 118241)
- 『星くず兄弟の新たな伝説』監督・脚本・制作手塚眞、出演:三浦涼介、武田航平、配給マジックアワー、2018年1月20日に公開 - 原案・音楽
著書[編集]
- 『気分は歌謡曲』(インターソング / 雄山閣出版、1979年10月)
- 『定本 気分は歌謡曲』(文藝春秋、1998年)- 1979年版の復刻・新編版
- 『音楽が好きだ! (3) 演奏しよう! バンドっておもしろい』(ポプラ社、1994年4月)
- 『VIBE RHYME』(アイ・セクション、川勝正幸 編、1994年10月)(複製webサイト2012年2月1日開設-2018年1月サイト管理者の都合により一時閉鎖)
- 『考えるヒット』(文藝春秋、1998年4月)文春文庫、2000年
- 『考えるヒット2』(文藝春秋、1999年5月)文春文庫、2001年
- 『考えるヒット3』(文藝春秋、2000年5月)文春文庫、2002年)
- 『その意味は 考えるヒット4』(文藝春秋、2001年4月)文春文庫、2003年
- 『大きくふたつに分けるとすれば 考えるヒット5』(文藝春秋、2002年4月)
- 『いいのかこれで 考えるヒット6』(文藝春秋、2003年5月)
- 『僕の読書感想文』(国書刊行会、2008年12月)
- 『内田裕也 俺は最低な奴さ』(内田裕也・近田春夫プロデュース/白夜書房、2009年11月16日 ISBN 4861915252)[32]
- VIBE RHYME[復刻版] スモール出版 2019/3/18
- 『考えるヒット テーマはジャニーズ』スモール出版 2019/9
- 『調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝』(リトルモア、下井草秀構成、2021年1月 ISBN 4898155367)
- 『筒美京平 大ヒットメーカーの秘密』(文春新書、2021年8月)
- 『グループサウンズ』(文春新書、2023年2月)
脚注[編集]
(一)^ ab山崎努とトヨエツが出てた﹁黒ラベル﹂のCM音楽は“某ヒット曲”を逆から弾いてつくったんだ 文春オンライン 2021年2月11日配信 2022年6月1日閲覧。
(二)^ 泉麻人﹃けっこう凄い人﹄p.40
(三)^ ab京都精華大で佐久間正英、近田春夫、高野寛、Boseが教授、ナタリー、2012年4月25日付、2015年2月6日閲覧。
(四)^ abcd山田[2009], p.171-173.
(五)^ abcd濡れた賽ノ目、日活、2015年2月6日閲覧。
(六)^ 泉麻人﹃けっこう凄い人﹄p.41
(七)^ ab泉麻人﹃けっこう凄い人﹄p.42
(八)^ 泉麻人﹃けっこう凄い人﹄p.40-41
(九)^ ﹁調子悪くてあたりまえ 近田春夫自伝﹂
(十)^ 泉麻人﹃けっこう凄い人﹄p.44
(11)^ ab恒田義見の公式ブログ﹁ROCK'N ROLL MY WAY﹂内の﹁ハルヲフォン誕生﹂︵2008年12月14日付︶の記述を参照。
(12)^ ﹁ゴジラ (バンド)﹂の項、およびファンサイト﹁アラン・メリル﹂でのアラン・メリルインタヴューの記述を参照。
(13)^ ﹁オールナイトニッポンのパーソナリティ一覧﹂の項の記述を参照。
(14)^ “週1”化で、あなたはもう﹁ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ?﹂に“やみつき”!
(15)^ 近田の著書﹃僕の読書感想文﹄を参照。
(16)^ 正高, 近藤. “70歳になった近田春夫が憧れた“イカれたおとな”とは? 芸能界で﹁しがらみにとらわれない﹂生き方を振り返る”. 文春オンライン. 2022年3月29日閲覧。
(17)^ 秀, 下井草. “駆け出しプレイヤー時代の近田春夫に 内田裕也が激怒した理不尽な理由とは | 近田春夫が語る近田春夫”. CREA. 2022年3月29日閲覧。
(18)^ 秀, 下井草. “近田春夫がアラン・メリルから学んだ ロックにおける曲作りの奥義とは? | 近田春夫が語る近田春夫”. CREA. 2022年3月29日閲覧。
(19)^ “オカエリ ジューシィ・フルーツ”. [テクノポップ] All About. 2022年3月29日閲覧。
(20)^ ﹁近田春夫自伝﹂P.195
(21)^ ﹁近田春夫自伝﹂P.255
(22)^ “︻特別対談︼ 近田春夫×マーティ・フリードマン ~Perfumeのサウンドを語る~”. 音楽出版社. 2009年4月26日閲覧。Perfumeとは空耳アワード2009でマーティ・フリードマンらとともに出演している。
(23)^ ジャップ・ロック・サンプラー -戦後、日本人がどのようにして独自の音楽を模索してきたか-
(24)^ “﹁青谷弥生人﹂のそっくりさんと名前を発表しました!”. とリネット. 鳥取県 (2022年2月1日). 2022年2月1日閲覧。
(25)^ ﹃菊地成孔の粋な夜電波﹄第35回(2011年12月16日︶の写真館です。近田春夫さんと2時間サシで対談。
(26)^ ab山崎努とトヨエツが出てた﹁黒ラベル﹂のCM音楽は“某ヒット曲"を逆から弾いてつくったんだ︵3ページ目︶ 文春オンライン、2021年2月11日
(27)^ ﹁近田春夫﹂テレビCMの検索結果 放送ライブラリー
(28)^ ab山崎努とトヨエツが出てた﹁黒ラベル﹂のCM音楽は“某ヒット曲"を逆から弾いてつくったんだ︵1ページ目︶ 文春オンライン、2021年2月11日
(29)^ abcd山崎努とトヨエツが出てた﹁黒ラベル﹂のCM音楽は“某ヒット曲"を逆から弾いてつくったんだ︵2ページ目︶ 文春オンライン、2021年2月11日
(30)^ abc歴代CMソングをメドレーで100曲収録!コンピ﹃ベストCM100﹄発売 CDジャーナル、2006年11月21日
(31)^ 山崎努とトヨエツが出てた﹁黒ラベル﹂のCM音楽は“某ヒット曲"を逆から弾いてつくったんだ︵4ページ目︶ 文春オンライン、2021年2月11日
(32)^ 白夜書房HP﹃内田裕也 俺は最低な奴さ﹄︻近田春夫・プロデュース︼
参考文献[編集]
- 『山田広野の活弁半生劇場 - 活弁映画監督のつくりかた』、山田広野、ポット出版、2009年3月14日発行 ISBN 4780801222
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 近田春夫オフィシャルサイト
- 近田春夫 - ビクターエンタテインメント
- 近田春夫 - Webcat Plus
- 近田春夫 - Yahoo! ミュージック(ウェイバックマシン)
- 近田春夫 - 東京国立近代美術館フィルムセンター
- 近田春夫 - KINENOTE
- 近田春夫 - allcinema
- 近田春夫 - 日本映画データベース
- 近田春夫 - 文化庁日本映画情報システム
- 近田晴夫&ハルヲフォン - 文化庁日本映画情報システム (表記誤記)
- ロックンローラー近田春夫の歌謡曲って何だ? - ウェイバックマシン(2011年3月23日アーカイブ分) - NHKラジオ第一放送
- 近田春夫 - 京都精華大学
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