デジタル大辞泉
「技術」の意味・読み・例文・類語
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ぎ‐じゅつ【技術】
〘 名詞 〙 ① 物を取り扱ったり、事を処理したりする方法や手段。[初出の実例]「武芸にすぐれ奇特な技術のある者」(出典:玉塵抄(1563)三五) 「其人の技術を以て人民の智徳を進めたるに非ず」(出典:文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉二) 「特(ひと) り小説の脚色(しくみ) のみならず総じて美妙の技術(ギジュツ) に在ては」(出典:小説神髄(1885‐86)〈坪内逍遙〉下) [その他の文献]〔史記‐貨殖列伝〕 ② 科学の理論を実際に応用し、自然を人間生活に役立つように利用する手段。[初出の実例]「阿蘭之国精二 乎技術一 也」(出典:解体新書(1774)序) 「塩酸曹達は人々普く知る所の海塩にして日常の食味を調し百般の技術に用ること多し」(出典:舎密開宗(1837‐47)内)
出典 精選版 日本国語大辞典 精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
技術 ぎじゅつ
﹁ 技 術 ﹂ と い う こ と ば ほ ど 広 く 使 わ れ る 用 語 は 少 な い 。 手 法 あ る い は 手 段 と い う こ と ば に 置 き 換 え て も 差 し 支 え な い と こ ろ に 、 最 新 の 意 味 が 含 ま れ て い る か の よ う に 使 わ れ る 。 た と え ば 、 政 治 技 術 、 経 営 技 術 、 教 育 技 術 、 広 告 技 術 、 ス ポ ー ツ の 技 術 な ど で あ る 。 ﹁ 技 術 ﹂ は ま た ﹁ 科 学 技 術 ﹂ と い う よ う に ﹁ 科 学 ﹂ と 並 置 し て 使 う こ と が 多 く な っ て い る 。 こ れ は 、 科 学 的 な 技 術 と い う 意 味 で 使 う よ り は 、 科 学 と そ れ を 応 用 す る 技 術 と を ひ っ く る め て 使 う 用 語 で あ る 。 確 か に 科 学 は 技 術 と 接 近 し 、 現 代 で は 科 学 と 技 術 と を 計 画 的 に 結 合 す る こ と が 可 能 と な っ て お り 、 今 後 さ ら に ﹁ 科 学 技 術 ﹂ の 用 語 は 普 及 す る で あ ろ う 。 し か し ﹁ 技 術 ﹂ は ﹁ 科 学 ﹂ よ り 早 く 発 生 し 、 人 類 誕 生 以 来 の 長 い 歴 史 を も っ て い る 。 ﹁ 科 学 ﹂ と の 接 近 は 、 1 8 7 0 年 代 の 先 進 国 で 、 大 企 業 が 物 理 学 者 や 化 学 者 を 雇 用 し 、 政 府 が 軍 備 や 産 業 振 興 の た め に 研 究 所 を 設 置 す る よ う に な っ て か ら で あ る 。 そ れ ま で は ﹁ 芸 術 ﹂ や ﹁ 技 芸 ﹂ と よ ば れ 、 ﹁ 科 学 ﹂ は ﹁ 自 然 哲 学 ﹂ と よ ば れ て い た 。
こ の ﹁ 芸 術 ﹂ や ﹁ 技 芸 ﹂ は ギ リ シ ア 語 の テ ク ネ t e c h n ē 、 ラ テ ン 語 の ア ル ス a r s ︵ 英 ・ 仏 語 の a r t 、 独 語 の K u n s t ︶ を 語 源 と し 、 ﹁ わ ざ 、 業 、 技 、 芸 ﹂ の 意 味 に 使 わ れ て い た 。 そ の 最 初 の 定 義 は 、 フ ラ ン ス 百 科 全 書 派 の デ ィ ド ロ に よ る ﹁ 同 一 の 目 的 に 協 力 す る 道 具 と 規 則 ﹂ で あ る 。 彼 の 協 力 者 ダ ラ ン ベ ー ル は ﹃ 百 科 全 書 ﹄ の 序 論 で 、 F ・ ベ ー コ ン の ﹁ 変 化 さ せ ら れ 加 工 さ れ る 自 然 ﹂ と い う 概 念 を 用 い て 、 そ の 歴 史 を も 自 然 史 の 一 部 門 に 加 え た 。 こ の よ う に 、 あ る 目 的 を も っ て 活 動 す る 人 間 が 創 造 し た 手 段 ︵ 道 具 、 後 の 機 械 そ の 他 を 含 む ︶ と 知 識 ︵ 規 則 、 さ ら に 法 則 を 含 む ︶ の 体 系 s y s t e m と い う 概 念 が す で に 約 2 世 紀 前 に 確 立 し て い る の で あ る 。 こ の 時 代 の 啓 蒙 ( け い も う ) 思 想 の 影 響 を 受 け て 、 ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン 大 学 教 授 ベ ッ ク マ ン J o h a n n B e c k m a n n ︵ 1 7 3 9 ― 1 8 1 1 ︶ は 、 そ れ ま で ﹁ 技 芸 史 ﹂ K u n s t G e s c h i c h t e と よ ば れ て い た 科 目 に 、 1 7 7 2 年 ﹁ 技 術 学 ﹂ T e c h n o l o g i e と い う 呼 称 を 与 え 、 新 し い 学 問 領 域 を 提 唱 し た 。 内 容 は 合 目 的 手 段 の 体 系 的 目 録 で あ る 。 こ の ド イ ツ で 発 生 し た ﹁ 技 術 学 ﹂ は 、 英 語 の テ ク ノ ロ ジ ー t e c h n o l o g y で あ り 、 17 世 紀 か ら 使 わ れ て い た が 、 ア メ リ カ の ジ ャ ク ソ ニ ア ン ・ デ モ ク ラ シ ー 時 代 か ら 普 及 し た 。 技 術 学 の 概 念 は 、 啓 蒙 思 想 か ら 発 展 し た 民 主 主 義 の 成 立 と 深 い 関 係 が あ る と 同 時 に 、 人 工 的 自 然 史 と い う 概 念 が 伴 っ て い る こ と に 注 意 せ ね ば な ら な い 。
技 術 学 と の 区 別 が 問 わ れ る こ と ば に 工 学 が あ る 。 工 学 e n g i n e e r i n g の 語 源 は 、 ラ テ ン 語 の i n g e n i u m 、 す な わ ち 発 明 ま た は 天 才 の 所 産 を 意 味 す る 。 エ ン ジ ニ ア e n g i n e e r と は 、 17 世 紀 の 火 砲 職 人 仲 間 の こ と で あ り 、 巧 妙 な 兵 器 を 発 明 し て 、 こ れ を 取 り 扱 う 人 た ち を さ し て い る 。 と こ ろ が 、 イ ギ リ ス の 万 能 的 天 才 と い わ れ る ス ミ ー ト ン は 1 7 7 1 年 、 c i v i l e n g i n e e r と い う こ と ば を 初 め て 使 用 す る こ と に よ っ て 、 火 砲 職 人 と 区 別 し て 市 民 に 奉 仕 す る 職 業 人 の 役 割 を 強 調 し 、 同 年 、 そ の 組 織 S o c i e t y o f C i v i l E n g i n e e r i n g を 結 成 し た 。 イ ギ リ ス 産 業 革 命 の 末 期 、 1 8 1 8 年 、 世 界 最 初 の 工 業 専 門 家 の 学 会 I n s t i t u t i o n o f C i v i l E n g i n e e r s が 創 立 さ れ た 。 こ の 学 会 か ら 機 械 、 通 信 、 電 気 、 鉄 鋼 な ど の 諸 学 会 が 分 化 、 独 立 し た 。 最 初 の シ ビ ル ・ エ ン ジ ニ ア の 学 会 は 、 運 河 、 港 湾 、 橋 梁 ( き ょ う り ょ う ) 、 道 路 な ど 、 い わ ゆ る 土 木 関 係 の 職 業 人 が 多 か っ た た め 、 日 本 で は c i v i l を ﹁ 土 木 ﹂ 、 e n g i n e e r i n g を ﹁ 工 学 ﹂ と 訳 し て い る 。 ﹁ 工 学 ﹂ は そ の 成 立 の 起 源 か ら 、 職 業 的 な 技 術 を 意 味 す る 。 大 学 の 工 学 部 や さ ま ざ ま な 工 学 会 が 、 現 在 で は 一 般 市 民 と 縁 の 薄 い 特 殊 な 職 業 人 の 教 育 と 研 究 を 意 味 し て い る の は 、 そ う し た 歴 史 的 起 源 に よ る 。 一 方 、 ﹁ 技 術 ﹂ と ﹁ 技 術 学 ﹂ は 、 教 授 の 自 由 、 学 習 の 自 由 を 誇 り と し 、 職 業 教 育 を 求 め な い ゲ ッ テ ィ ン ゲ ン 大 学 の 一 般 教 育 か ら 誕 生 し た が 、 そ の 性 格 は 今 日 に も 及 ん で い る 。 し か し そ の 後 、 ド イ ツ 語 の テ ヒ ノ ロ ギ ー T e c h i n o l o g i e と テ ヒ ニ ー ク T e c h n i k 、 英 語 の テ ク ノ ロ ジ ー t e c h n o l o g y と テ ク ニ ク t e c h n i q u e 、 ロ シ ア 語 の テ フ ニ カ т е х н и к а と テ フ ノ ロ ギ ア т е х н о л о г и я 、 日 本 語 の ﹁ 技 術 ﹂ と ﹁ 技 術 学 ﹂ も 、 厳 密 に 区 別 し て 使 っ て い る わ け で は な い 。 ド イ ツ 語 の テ ヒ ニ ー ク を 即 物 的 、 テ ヒ ノ ロ ギ ー を 学 問 の 意 味 に 使 う こ と が 多 い が 、 英 語 や 日 本 語 で は ま す ま す 混 同 さ れ 、 普 通 、 英 語 で は t e c h n o l o g y 、 日 本 語 で は ﹁ 技 術 ﹂ が 使 わ れ る 。 し か し 、 こ の 混 同 は 、 ﹁ 技 術 ﹂ と は 何 か と い う 本 質 的 な 問 題 を 論 ず る と き に 混 乱 と な る 。 ﹁ 科 学 ﹂ が ﹁ 技 術 ﹂ に 接 近 し 、 ﹁ 科 学 技 術 ﹂ に 一 体 化 さ れ る 今 日 、 そ の 起 源 に 立 ち 返 っ て 考 え る こ と が 必 要 と な っ て き て い る 。
﹇ 山 崎 俊 雄 ﹈
技 術 と は 何 か 、 技 術 の 概 念 を ど の よ う に 規 定 す る か を 論 じ る 学 問 を ﹁ 技 術 論 ﹂ と よ ん で い る 。
産 業 革 命 に よ る 道 具 か ら 機 械 へ の 移 行 、 そ の 経 済 的 意 義 に つ い て 、 最 初 に 深 い 関 心 を 寄 せ た の は マ ル ク ス で あ る 。 マ ル ク ス は 、 ベ ッ ク マ ン の 後 継 者 を は じ め 、 ユ ー ア A n d r e w U r e ︵ 1 7 7 8 ― 1 8 5 7 ︶ の ﹃ 製 造 業 の 原 理 ﹄ ︵ 1 8 3 5 ︶ 、 そ の 他 の 技 術 学 文 献 を 広 く 読 み 、 ﹃ 経 済 学 批 判 ﹄ ︵ 1 8 6 1 ~ 1 8 6 3 、 草 稿 ︶ の な か に ﹁ 機 械 、 自 然 諸 力 と 科 学 の 応 用 ﹂ と 題 す る ノ ー ト を ま と め ︵ 1 9 6 8 公 表 ︶ 、 後 の 彼 の 主 著 ﹃ 資 本 論 ﹄ 第 1 巻 ︵ 1 8 6 7 ︶ の な か で 、 批 判 的 な 技 術 史 と は ﹁ 社 会 的 な 人 間 が 生 産 諸 器 官 を 形 成 す る 歴 史 で あ り 、 そ れ ぞ れ の 社 会 組 織 の 物 質 的 基 礎 を 形 成 す る 歴 史 で あ る ﹂ と 述 べ 、 道 具 か ら 機 械 へ 、 機 械 体 系 か ら 自 動 機 械 体 系 へ の 発 達 を 予 測 し て い る こ と は よ く 知 ら れ て い る 。
19 世 紀 70 年 代 以 降 、 新 興 工 業 国 ド イ ツ に 、 カ ン ト の ﹁ 物 自 体 の 考 え ﹂ を 継 承 し た 、 技 術 に つ い て の 哲 学 的 思 索 の 労 作 が 誕 生 す る 。 カ ッ プ E r n s t K a p p ︵ 1 8 0 8 ― 1 8 9 6 ︶ の ﹃ 技 術 の 哲 学 要 綱 ﹄ ︵ 1 8 7 7 ︶ 、 ノ ワ レ L u d w i g N o i r é ︵ 1 8 2 9 ― 1 8 8 9 ︶ の ﹃ 道 具 と 、 人 類 発 展 史 に 対 す る そ の 意 義 ﹄ ︵ 1 8 8 0 ︶ は 、 道 具 が 人 間 に 理 性 を も た ら し 、 道 具 は 人 間 の 器 官 が 外 へ 射 影 さ れ た も の で あ る と 唱 え た 。
20 世 紀 に 入 る と 、 第 一 次 世 界 大 戦 ま で は ド イ ツ 技 術 の 躍 進 と 歩 調 を あ わ せ 、 発 明 の 創 造 こ そ 技 術 の 本 質 で あ る と し 、 そ れ が 文 化 の 世 界 を 推 進 さ せ る と い う 楽 観 論 的 見 解 が 支 配 す る よ う に な る 。 ベ ン ト U l r i c h W e n d t の ﹃ 文 化 力 と し て の 技 術 ﹄ ︵ 1 9 0 6 ︶ 、 デ ュ ・ ボ ア ・ レ ー モ ン D u B o i s - R e y m o n d ︵ 1 8 1 8 ― 1 8 9 6 ︶ の ﹃ 発 明 と 発 明 家 ﹄ ︵ 1 9 0 6 ︶ 、 デ サ ウ エ ル F r i e d r i c h D e s s a u e r ︵ 1 8 8 1 ― 1 9 6 3 ︶ の ﹃ 技 術 的 文 化 ﹄ ︵ 1 9 0 8 ︶ 、 ツ ィ ン マ ー E b e r h a r d Z s c h i m m e r ︵ 1 8 7 3 ― 1 9 4 0 ︶ の ﹃ 技 術 の 哲 学 ﹄ ︵ 1 9 1 4 ︶ な ど が そ れ で あ る 。 つ い で 、 ゾ ン バ ル ト の ﹃ 技 術 と 文 化 ﹄ ︵ 1 9 1 0 ︶ は 、 技 術 を 合 目 的 な 手 段 体 系 に 拡 大 解 釈 し 、 ゴ ッ ト ル ・ オ ッ ト リ リ エ ン フ ェ ル ト の ﹃ 経 済 と 技 術 ﹄ ︵ 1 9 1 4 ︶ は 、 技 術 の 自 立 的 要 素 を 抽 出 し て み せ た 。 経 済 学 者 ゾ ン バ ル ト と ゴ ッ ト ル の 著 書 は ド イ ツ 技 術 論 の 双 璧 ( そ う へ き ) と よ ば れ る 。 そ の 技 術 的 合 理 主 義 は 、 産 業 合 理 化 を 進 め た 資 本 主 義 安 定 期 の 指 導 理 念 と な っ た 。 経 済 学 者 の 多 く は 、 そ の 後 の 技 術 的 改 良 に よ る 産 業 合 理 化 の 社 会 的 帰 結 で あ る 失 業 問 題 を 論 じ た 。 ホ ブ ソ ン の ﹃ 合 理 化 と 失 業 ﹄ ︵ 1 9 3 0 ︶ 、 レ ー デ ラ ー の ﹃ 技 術 的 進 歩 と 失 業 ﹄ ︵ 1 9 3 1 ︶ な ど が そ れ で あ る 。
第 一 次 世 界 大 戦 後 の ア メ リ カ で は 、 テ ク ノ ク ラ シ ー t e c h n o c r a c y ︵ 技 術 主 義 ︶ の 父 と 仰 が れ る ベ ブ レ ン が ﹃ 技 術 家 と 価 格 制 度 ﹄ ︵ 1 9 2 1 ︶ を 著 し 、 技 術 主 義 思 想 の ア メ リ カ 的 原 型 を つ く っ た 。 1 9 2 9 年 、 ア メ リ カ に 端 を 発 し た 世 界 大 恐 慌 と 、 ソ 連 の 五 か 年 計 画 の 発 端 は 、 テ ク ノ ク ラ シ ー に 代 表 さ れ る 技 術 主 義 的 社 会 改 造 論 を 課 題 と し た 。 1 9 3 2 年 、 電 気 工 学 者 ス タ イ ン メ ッ ツ ら を 中 心 に ﹁ 技 術 家 同 盟 ﹂ T e c h n i c a l A l l i a n c e が 結 成 さ れ 、 エ ネ ル ギ ー 決 定 論 に よ る 資 本 主 義 的 矛 盾 の 解 決 を 図 る 技 術 論 を 展 開 し た 。 こ の よ う な 風 潮 の な か で 生 ま れ た マ ン フ ォ ー ド の ﹃ 技 術 と 文 明 ﹄ ︵ 1 9 3 4 ︶ は 、 そ の 後 の ア メ リ カ 技 術 論 に 深 い 影 響 を 与 え て い る 。 彼 は 恩 師 の イ ギ リ ス の 生 物 学 者 ・ 社 会 学 者 ゲ デ ス P a t r i c k G e d d e s ︵ 1 8 5 4 ― 1 9 3 2 ︶ の 技 術 史 観 を 採 用 し 、 人 類 の 歴 史 を 動 力 と 原 料 の 技 術 的 複 合 体 か ら 説 明 し 、 機 械 文 明 に よ る 矛 盾 の 解 決 を ﹁ 生 ﹂ へ の 接 近 、 奉 仕 の 夢 に 託 し た 。 今 日 の バ イ オ テ ク ノ ロ ジ ー の 予 言 者 で あ る 。
1 9 3 0 年 代 が 進 む に つ れ て ふ た た び 戦 争 の 危 機 が 迫 り 、 多 く の 科 学 者 が 反 戦 ・ 反 フ ァ シ ズ ム 運 動 に 参 加 し た 。 イ ギ リ ス の 物 理 学 者 バ ナ ー ル は ﹃ 科 学 の 社 会 的 機 能 ﹄ ︵ 1 9 3 9 ︶ を 著 し 、 科 学 の 現 状 を 社 会 と の 関 連 に お い て 考 察 し 、 当 時 の 研 究 組 織 が い か に 科 学 と 技 術 の 自 由 な 発 展 を 阻 害 し て い る か を 指 摘 し 、 科 学 者 の 社 会 的 自 覚 を 促 し た 。 こ の 書 は 第 二 次 世 界 大 戦 中 に お け る 統 一 戦 線 の 結 成 に 大 き な 役 割 を 果 た し 、 そ の 趣 旨 は 第 二 次 世 界 大 戦 後 の 1 9 4 8 年 、 ﹁ 世 界 科 学 者 連 盟 ﹂ が 採 択 し た 科 学 者 憲 章 に 生 か さ れ て い る 。
﹇ 山 崎 俊 雄 ﹈
日本で「技術」の概念が論じられるようになったのは第一次世界大戦後の1920年代からである。ことばとしての「技術」は、西周(にしあまね)の『百学連環』(1870)に初めて使われたが、西欧と同様に「技術」も「芸術」もartに包括されていた。技術が社会問題として論じられ始めたのは、米騒動を起点とする1920年代の諸運動の一環としてである。第一次世界大戦中に、日本の工業は飛躍的に発展し、技術者の産業、行政における役割は増大した。それまでの法科万能主義に対して「技術者の覚醒(かくせい)、団結、社会的機会均等」を標語とする革新的な技術官僚、理工農科系出身経営者の諸団体が結成された。しかし日本のテクノクラット運動は、同時に発生した欧米の知識労働者の運動や科学者の反ファシズム運動と連帯する機会を失い、戦争に協力する科学技術動員体制に組み込まれていった。
技術の概念が理論的に研究されるようになったのは1930年代からである。三枝博音(さいぐさひろと)、岡邦雄(くにお)(1890―1971)、服部之総(はっとりしそう)、戸坂潤たちが、1932年(昭和7)に創立した唯物論研究会は、当時の国際的な技術主義と反技術主義の風潮を批判するために技術論を重要な課題とした。戸坂は、技術の領域こそ自然科学と社会科学とを共軛(きょうやく)しうる唯一の体系をなす哲学とみなし、『技術の哲学』(1933)を著した。1933~1935年、技術論をめぐって、戸坂のほか、岡、永田広志、梯(かけはし)明秀(1902―1996)、相川春喜(1909―1953)らが加わり、技術論争が展開された。論争の焦点は技術の主観的契機に置かれ、技術概念の主観化が永田により批判され、相川によって次の結論が与えられた。すなわち「人間社会の物質的生産力の一定の発展段階における社会的労働の物質的手段の複合体であり、一言にしていえば、労働手段の体系に外(ほか)ならない」(相川春喜『技術論』1935)。この帰結、いわゆる「労働手段体系」説は、ブハーリンの引用とされているが、実はブハーリンを批判したレーニンの意見であることがのちに明らかとなっている。この説の要点は、人間労働を可能にしたものの複合体(労働手段体系)に技術の本質をみいだしていることである。隣接概念の「科学」は自然と社会における法則を発見する創造活動であると同時に、その知識の体系(総体)である。科学に主体的要素をもたせるために、技術から主体的要素を取り除くのが労働手段体系のねらいである。もちろん芸術には主体的要素が含まれるから、技術と芸術がアートに一体化されていた近代以前では、技術にも主体性があったが、近代以後では主体性は技術から取り除かれた分だけ科学に与えられつつあるといってよい。
しかし、第二次世界大戦中、日本にも初めて科学技術政策が登場すると、人間主体の根源である労働の概念に技術の概念が代置される傾向が生まれた。相川は「実践的一者の立場」(『現代技術論』1940)に変質し、三木清は「技術は手段であるとともに自己目的であり」、そして「技術は行為であり、行為の形態である」(『技術哲学』1942)というように、技術に主体と客体との統一を求める立場が支配し始めた。この立場は労働手段体系を基本的に支持しながらも、技術を実体としてとらえることに同意できない人たちの見解を代表し、第二次世界大戦後も引き続き唱えられた。
[山崎俊雄]
第二次世界大戦後の日本では、人間行動の目的意識性と合法則性とを指摘し、その主体性を強調する技術論が自然科学系学者によって提唱された。物理学者の武谷三男(たけたにみつお)はすでに1940年に、「技術とは生産的実践における客観的法則性の意識的適用である」と述べた。この説は1942年相川によって批判されたが、労働を生産的実践に置き換え、意識的適用に技術の本質があるという見解として今日でも流布している。とくに技術は科学の応用であるという俗見に支持されている。
外国では、旧ソ連や東ヨーロッパがもっとも技術論に積極的であった。ズボルイキンA. A. Zworykin(1888―1982)は、かつて「社会的生産の体系における労働手段」(1938)と規定し、科学アカデミー版『技術の歴史』(1962)もこの規定を採用した。モスクワ動力大学のテキスト(1958)では「自然に関する認識に基づいて、人間によって創造される労働手段の総体」と規定している。このように、当時のソ連では、日本の唯物論研究会以来の「労働手段体系」説に近く、日本でいう適用説はまったくみいだせなかった。しかし、1962年の第22回共産党大会で定式化された党綱領に「科学技術革命」論が採用されてからは、この論を特徴づける「科学の直接生産力への転化」という命題をめぐって、当時のソ連国内はもとより国際的にも多くの議論がなされた。『ソビエト大百科事典 』(第3版)では、技術を「生産過程の遂行と社会の非生産的サービスのために創造された人間の活動手段の総体」としている。「科学技術革命論」のもう一つの特徴は、生産様式から生産関係の側面を捨象した「技術学的生産様式」を論じていることで、その技術学とは「労働手段と労働対象との結合様式」と定義される。生産力を構成する三つの要素である労働対象、労働手段および労働力と、技術および技術学との関連は1930年代からの国際的な研究課題である。
戦後の日本では、戦前の論者に次いで、山田坂仁(1908―1987)、吉岡金市(1902―1986)、原光雄(みつお)(1909―1996)、田辺振太郎(しんたろう)(1907―1987)、星野芳郎(よしろう)(1922―2007)らが、この技術論論争に加わり、最近でも自然科学と社会科学の両分野から多くの技術論が試みられ、百家争鳴の感がある。戸坂が1930年代初頭に述べたように、技術の本質を明らかにするには、自然科学と社会科学の協同研究によって自然と社会を貫く共通の法則性をとらえる方法論が必要である。なお、戦前・戦後の技術論論争は、中村静治(せいじ)により整理された『技術論論争史』(1975)および内外の技術論を整理した『技術論入門』(1977)のなかで述べられている。
[山崎俊雄]
技術史の研究と教育は、技術そのものが科学的研究の対象となった時代から始まる。「技術学」という学問領域を独立させたベックマンは、その学問体系の一環として『発明史への寄与』(1780~1805)を著した。彼の弟子ポッペJohann H. M. Poppeの『技術学史』(1807~1811)は技術史学を体系化した最初の文献である。
ドイツの技術史研究は、ドイツの統一後、1870年代から盛んになり、工科系学校の大学への昇格とともに、大学教授は積極的な意欲をもって個別技術学の講義に歴史的記述を採用した。リュールマン C. M. Rühlmannの『一般機械学』(1862~1875)、『工業力学史』(1885)、カールマルシュK. Karmarschの『技術学史』、ルーローの『理論運動学』(1875)、ベックL. Beckの『鉄の歴史』(1891~1903)、ベックT. Beckの『機械製作史への寄与』などが19世紀における代表作である。なかでも『鉄の歴史』は全5巻の膨大な文化史的名著とされている。1900年代初頭、技術史研究は大学教育ばかりでなく現場技術者の全国的組織の運動を母胎として新しい段階を迎える。1856年に数人の青年技術者によって創設された、後の「ドイツ技術者連盟」Verein Deutscher Ingenieure (VDI)が、技術者に歴史を親しませる運動方針をたて、マチョスC. Matschossを中心に技術史研究の組織化を図った。連盟はさらに科学技術文化財の保存に着手、1925年ミュンヘンに「ドイツ博物館」を完成させた。なお連盟は1909年から『技術・工業史年報』を刊行、第二次世界大戦で刊行を中断したが、1965年から季刊誌「技術史」として復刊している。
[山崎俊雄]
ドイツ歴史学派経済学の影響を受け、イギリスでは19世紀1870、1880年代より産業革命と個別技術史に関する著書が現れた。その研究の蓄積を受けて機械技術史家ディッキンソンH. Dickinsonらは「ニューコメン協会」を創立、1922年から会誌を発行、その研究には経済史家も参加し、イギリス産業革命の技術史的側面を実証的に解明することに寄与した。このようにイギリスでは、経済史家からの関心が深く、個別技術史家の層が厚い。第二次世界大戦中、弾道学の研究に従事、戦後、技術史やオートメーション の研究に携わったリリーS. Lilleyの『人間と機械の歴史』(1948)における技術を社会と歴史のなかに位置づける試みは、バナールと同様に戦前・戦中の反ファシズム統一戦線と無縁ではない。厚い技術史研究者層をイギリス最大の化学企業ICIが支援し、シンガーChales Singer(1876―1960)らの編集する『技術の歴史』全5巻(1957~1958、のちに2巻増補)が完成した。これは個別技術史家による実証的な個別技術史研究の集大成であり、権威ある定本となっている。
第二次世界大戦後の技術革新による技術記念物(遺物と遺跡)の破壊、消滅を防ぎ、文化財として調査、保存しようという国民運動の理論は産業考古学とよばれる。この学問は1955年イギリスで提唱され、産業革命期の工場や鉱山、鉄道、運河、橋、水車などの残存状態を調査し、その地域に復原して保存するという方法を重視し、時代の対象も古代から現代にまで拡大した。ナショナル・トラストその他の自然保護運動と結合して、1970年代から欧米、日本にもその研究と保存運動が進展し、技術史研究における文献依存の限界を突破し、地域の野外博物館創設を促進している。
[山崎俊雄]
1929年当時のソ連は高等教育機関の教授要目中に技術史の採用を初めて決議した。その最初の試みであるダニレフスキー W. W. Danilevskiyの『18~19世紀技術史概観』(1934)は、日本の技術史研究にも大きな刺激を与えている。1935年ソ連科学アカデミー自然科学史・技術史研究所が設立され、世界最初の技術史の通史テキスト『技術の歴史』(1962)が刊行された。
アメリカでは、フーバー大統領夫妻が16世紀のアグリコラ著『デ・レ・メタリカ』の英語訳を刊行し、1920年代のテクノクラシー時代には技術古典の研究が盛んであったが、技術史の重要性が認識されたのは1957年のスプートニク・ショック以後である。1958年「技術史学会」が創立され、会誌『技術と文化』が発行され、急速に研究と教育が盛んになり、工学教育での技術史の有効性が強調されている。軍大学校のテキスト『技術と西洋文明』(1967)では、発明の企業化inovationと技術の用途的・地域的普及transferの問題が重視されている。
フランスでは、世界最古の技術史博物館であるパリの国立工芸博物館が研究の中心であり、同館のドーマM. Daumasが編集した『通史』全4巻(1926~1978)が刊行されている。オランダでは、アムステルダム大学 のフォーブスR. J. Forbes (1900―1973)が古代技術史に他の追従を許さない著作を著している。近世日本と関係の深かったオランダとの技術史研究の交流が望まれる。
中国の技術史は、イギリス人ニーダムの『中国の科学と文明』(1961)が有名である。1957年中国科学院科学史研究所が創設され、会誌が発行されていたが、文化大革命のため停刊された。1980年中国科学技術史学会が創立され、翌年から会誌『自然科学史研究』が発行され、大学のテキストも出版されている。研究は古代の冶金(やきん)技術が多いが、近代化路線とともに近代、現代の研究が増加している。
[山崎俊雄]
明治初期、福沢諭吉に代表される啓蒙(けいもう)的文明史の時代ののち、横井時冬(ときふゆ)(1860―1906)『日本工業史』(1897)に始まり、日本工学会編『明治工業史』(1931)に至る民間史学者による工業史の独立と個別工学者の協力の時代があった。本格的に技術史が論じられたのは、1930年代の技術論論争ののち、前記のダニレフスキーの邦訳(『近代技術史』1937)が刊行されてからであり、岡邦雄は、技術史が労働手段体系の発達史であり、技術学史は自然科学史の一部門であると唱えた。
自然科学史とともに技術史を研究する唯一の学会「日本科学史学会」が1941年(昭和16)に創立され、同学会編『科学革命』(1961)、『日本科学技術史大系』全25巻(1964~1972)が刊行され、会誌『科学史研究』が季刊で発行されている。技術ないし技術学を自然科学の一部に置くことは国際的にも異論があるが、技術を対象とする技術科学は明らかに自然科学の一部門であり、科学・技術の発展の内的要因と外的要因とを統一した総合的な科学史の建設は、この学会に結集してきた研究者の共通の課題である。科学史から技術を切り離すことは相互の領域を非科学的にするおそれを招くといわざるをえない。
[山崎俊雄]
すべての起源は本質を研究するうえにもっとも重要である。技術が労働手段と関係があるとするならば、技術は労働の起源にさかのぼってその起源を探らなければならない。そこで想起されるのは、人間を「道具をつくる動物」と定義し、労働価値説の先駆者となったフランクリン である。この労働価値説は、スミス、マルクスの経済学に受け継がれ、人類の起源については、1876年エンゲルスが発表した論文「サルが人間になるにあたっての労働の役割」が現れた。エンゲルスによれば、直立歩行によって手は自由となり、手の自由は自然支配を可能にした。手が労働を生み、労働は人間の社会的協力を必要とした。この社会的な労働のなかから言語が発生し、脳髄とそれに奉仕する感覚器官が進化し、意識や抽象化力、推理力が発達し、これがさらに労働と言語とに反作用して発達を促進したという仮説である。
今日の先史人類学の考古学的実証研究によれば、人類には猿人、原人、旧人、新人の四つの進化の段階があり、放射能を利用して行う年代測定法によって、それぞれの段階の化石と石器の出現の時期が正確に判明するようになった。その結果、直立歩行と道具の創造が人類への進化に決定的役割を演じたという説がしだいに認められている。つまり人間の祖先の出現は数十万年ないし数百万年前、自由になった手で最初の道具をつくりだしたときにさかのぼる。換言すれば、人間は動物と異なり、自らの有機的な身体器官だけでなく、自然の物材を改造した非有機的生産器官を使用し、労働生産性を発展させ、その合目的的活動を拡大する。道具は合目的的活動としての人間労働を質的に規定し、その発達水準を示す客観的存在である。技術を客観的存在とする技術論の根拠はここにある。
[山崎俊雄]
人間は自然の対象に直接働きかけるのではなく、客観的物材である道具という労働手段を介して働きかける。このことは、労働対象と労働手段との間、両者間の関連を客観的に認識することを可能にする。労働のなかで最初に生まれるのは感性的な認識の成果として得られる経験的な知識である。その知識はさらに労働によって鍛えられて確実なものとなっていく。石器を目的に応じて使い分けているうちに、労働手段と労働対象との相互の関連、両者の結合に関する原始的な技術学の認識が生まれてきた。原始石器から打製石器への移行、火の使用法を習得するにつれて、簡単な分化した労働用具が使われた。弓と矢は、そのなかで最初のもっとも複雑な道具である。
弓矢の出現によって狩猟が基本的な生産部門の一つとなった時代に、もう一つの重要な発明は粘土の土器の焼成である。狩猟の発達は野獣の家畜化と原始的な牧畜の発生を促し、その結果、母系氏族共同体は崩れ始め、父権制家族が発生し、原始的な農業が形成され始めた。その時代は新人の出現する後期旧石器時代である。この時代の最大の発明は、弓の弾力を利用して往復運動を回転運動に変えて孔(あな)をあけるドリルであり、発火のための道具をつくるのにも利用された。漢字の「工」は、穿孔(せんこう)して柄(え)をつけた斧(おの)が字源である。石材は石製の道具ばかりでなく、住居や社会的構造物の建造にも必要となり、地下から計画的に石を採掘する過程で、自然銅を発見し、加工しているうちに、製陶用の炉を使って金属を製錬する方法を知った。磨製石斧(せきふ)を使う新石器時代に、一部の種族は採集生活から農耕生活へ、狩猟生活から牧畜生活へ移り、農業生産力の発展に伴って、性と年齢による自然的分業から、牧畜、農業、手工業の社会的分業が現れ、社会的分業と交換の拡大から、原始共同体のなかに私有財産と階級が発生する。ただし牧畜は日本にはなく、縄文文化が新石器時代にあたる。
[山崎俊雄]
原始共同体から奴隷制への移行は、オリエント、インド、中国、日本、ギリシア、ローマなどの古代社会においてなされ、この時代に石器から金属器への移行が最終的に行われた。この時代の最大の技術的成果は鉄の製錬法の習得である。金属の新しい加工法が開拓され、紡織、製陶その他の手工業が確立されていく。手工業と商業の発達につれて都市が形成され、都市と農村との対立が生まれ始める。都市の形成により、宮殿、寺院、城壁などの建築技術が発達し、建築材料に対する需要の増大から鉱山業が発達する。また奴隷の獲得をおもな目的とする戦争のために軍事技術が急速に発達した。しかし、社会の基礎的な生産は奴隷が担っていたので、奴隷所有者は奴隷の重労働を軽減する道具の改良には関心をもたず、一方、奴隷は自分の利益にならない労働生産性の向上には関心を払わなかった。ただ大型の重量物の移動を必要とする建設作業では、多数の奴隷の力を単純に結合するだけではすまなくなり、出力の小さい人間原動機と移動させる重量物との間の伝動機構を必要とし、てこ、斜面、楔(くさび)、ねじ、滑車などの組合せの使用が生まれた。
これらの要素の運動が理論的に解明され、アルキメデス によって固体の静力学が基礎づけられ、ウィトルウィウス とヘロンによって機械学の概念が生み出された。石器時代までは個別的な知識にすぎなかった労働手段への認識が初めて普遍的な知識として体系化・理論化されることとなった。機械学の概念は近代の技術学、さらに技術科学への発展の道を開くものである。力学、機械学のほかに、農業生産の要求に応じて、天文学、数学などの自然科学が誕生したが、肉体労働と精神労働との分離が始まり、両者の間に対立が生まれる。
[山崎俊雄]
封 建 制 下 で の 基 本 的 な 生 産 関 係 は 、 封 建 領 主 に よ る 生 産 手 段 の 私 的 所 有 と 生 産 労 働 者 で あ る 農 奴 の 不 完 全 私 有 で あ っ た 。 自 分 の 経 営 を 保 有 す る 農 奴 は 労 働 の 生 産 性 向 上 、 し た が っ て 労 働 用 具 の 改 良 に 関 心 を も っ て い た 。 こ れ は 奴 隷 制 度 に 比 べ て 大 き な 前 進 で あ っ た 。 手 工 業 は 同 業 組 合 に 組 織 さ れ 、 親 方 、 職 人 、 徒 弟 制 度 の 主 従 関 係 が 生 ま れ る 。 こ こ か ら 鉄 の 犂 ( す き ) と 織 機 が 普 及 し 、 家 畜 に よ る 農 耕 、 野 菜 の 栽 培 、 水 車 に よ る 製 粉 、 ぶ ど う 酒 の 醸 造 な ど が 発 達 し た 。 中 国 起 源 の 火 薬 、 紙 、 印 刷 術 、 羅 針 盤 が 広 く 使 わ れ る よ う に な る が 、 道 具 の 多 く は 手 動 で 、 そ の 発 達 は 緩 慢 で あ っ た 。
封 建 制 度 の も と で は 、 原 動 機 と し て の 水 車 と さ ま ざ ま な 伝 動 機 構 が 発 達 し た 。 水 車 は す で に 奴 隷 制 度 の も と で も 知 ら れ て い た が 、 奴 隷 制 が そ の 使 用 を 阻 ん で い た 。 水 車 の 出 力 は 人 間 の 出 力 よ り も ず っ と 大 き く 、 そ れ ま で 人 力 に よ っ て 動 い て い た 多 く の 道 具 が 一 台 の 水 車 で 動 い た 。 道 具 自 体 の 寸 法 や 重 量 も は る か に 大 き く す る こ と が で き た 。 し た が っ て 、 水 力 原 動 機 と 道 具 と を 結 び 付 け る 伝 動 機 構 が 大 い に 発 達 し た 。 と く に 、 往 復 運 動 を 回 転 運 動 に 転 換 す る ク ラ ン ク と 連 接 棒 が 重 要 と な り 、 は ず み 車 が 生 ま れ る に 至 っ た 。
封 建 制 度 の 末 期 、 地 理 上 の 大 発 見 が 相 次 ぎ 、 資 本 主 義 の 本 源 的 蓄 積 を 迎 え た 。 封 建 制 度 の な か に 資 本 主 義 的 生 産 様 式 が 発 生 し 、 労 働 生 産 性 を 大 幅 に 引 き 上 げ る 新 し い 形 態 の 生 産 組 織 と し て マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア ︵ 工 場 制 手 工 業 ︶ が 生 ま れ た 。 マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア は 、 部 品 別 ま た は 作 業 別 の 分 業 に よ る 協 業 に よ っ て 労 働 過 程 を 単 純 化 し 、 大 量 の 未 熟 練 労 働 者 を 生 産 に 引 き 入 れ る こ と を 可 能 に し た 。 労 働 者 は 一 定 の 単 純 な 部 分 作 業 を 繰 り 返 す こ と と な り 、 作 業 用 の 道 具 は 専 門 化 さ れ 、 種 類 が 大 い に 増 え 、 労 働 生 産 性 が 高 ま っ た 。 よ り 出 力 の 大 き い 水 力 原 動 機 の 使 用 に よ っ て 、 手 の 道 具 、 た と え ば ハ ン マ ー 、 臼 ( う す ) 、 鋸 ( の こ ぎ り ) 、 ふ い ご な ど の 寸 法 を 大 き く す る こ と が で き た 。 さ ら に こ れ ら の 道 具 は 、 そ れ ま で 人 間 の 筋 力 に よ っ て な さ れ て い た 作 業 を 、 人 間 の 手 に よ ら な い 機 械 に か え 始 め た 。 し か し マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア で の 機 械 の 使 用 は 、 補 助 的 な 生 産 過 程 、 た と え ば 粉 砕 、 混 合 、 送 風 、 揚 水 な ど に と ど ま っ た 。
マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア の 主 要 な 原 動 機 は 水 車 で あ り 、 後 の 機 械 の 発 達 に 大 き な 役 割 を 与 え た の は 時 計 の 構 造 で あ る 。 ま た 、 こ の 時 代 に は 金 属 に 対 す る 需 要 が ま す ま す 大 き く な り 、 鉱 山 業 と 冶 金 ( や き ん ) 業 が 一 段 と 発 達 し 、 火 器 の 普 及 に 伴 う 軍 事 技 術 者 が 誕 生 し た 。 冶 金 で は 溶 鉱 炉 の 高 さ が 増 し 、 送 風 が よ り 強 力 に な り 、 鉱 石 か ら 銑 鉄 の 連 続 的 な 高 炉 精 錬 法 が 出 現 し 、 18 世 紀 イ ギ リ ス で は 石 炭 か ら つ く ら れ る コ ー ク ス が 新 し い 燃 料 と し て 採 用 さ れ る よ う に な っ た 。 銑 鉄 を 精 錬 し て 錬 鉄 を つ く る 方 法 や 金 属 を 加 工 す る 諸 技 術 も 開 発 さ れ た 。
16 世 紀 な か ば 、 日 本 に 鉄 砲 が 伝 来 し 、 在 来 の 鉄 加 工 技 術 が そ の 普 及 に 役 だ っ た が 、 ま も な く 鎖 国 に よ っ て 西 欧 の 高 炉 へ の 発 達 の 道 が 閉 ざ さ れ た 。
奴 隷 制 度 時 代 の 科 学 は ア ラ ビ ア 人 に よ っ て 継 承 さ れ 、 イ ン ド 、 中 国 の 文 化 と 接 触 し て そ の 遺 産 は 豊 か に な っ た 。 ル ネ サ ン ス 期 、 レ オ ナ ル ド ・ ダ ・ ビ ン チ 、 コ ペ ル ニ ク ス 、 ア グ リ コ ラ ら に よ っ て 、 自 然 の 現 象 と 法 則 の 系 統 的 な 研 究 が 始 ま り 、 近 代 的 な 自 然 科 学 の 基 礎 が 築 か れ た 。 奴 隷 制 時 代 の 科 学 は ま す ま す 経 験 に 訴 え る よ う に な り 、 ベ ー コ ン は 経 験 と 実 験 的 研 究 こ そ が 科 学 的 認 識 の 源 泉 で あ る と 唱 え た 。 機 械 が 散 在 的 に 使 用 さ れ た マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア は 力 学 発 展 の 土 台 と な り 、 ガ リ レ イ に よ っ て 動 力 学 が 基 礎 づ け ら れ た 。 ニ ュ ー ト ン は 力 学 を さ ら に 広 く 体 系 化 し 、 物 体 の 一 般 的 な 運 動 法 則 を 定 式 化 し た 。 マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア の 要 求 と 、 力 学 、 天 文 学 そ の 他 の 科 学 部 門 で 得 ら れ た 成 果 が 数 学 の 発 展 を 促 し 、 代 数 学 、 対 数 の 発 見 に 次 い で 微 積 分 学 が 基 礎 づ け ら れ 、 18 世 紀 に は 数 学 が 科 学 の さ ま ざ ま な 部 門 で 応 用 さ れ 始 め た 。
﹇ 山 崎 俊 雄 ﹈
産 業 革 命 は 、 資 本 主 義 の マ ニ ュ フ ァ ク チ ュ ア 段 階 か ら 、 よ り 高 い 段 階 と し て の 産 業 資 本 主 義 の 段 階 に 移 行 す る 際 に 、 技 術 や 労 働 力 だ け で な く 、 社 会 そ の も の の 構 造 の 変 化 を も 伴 っ た 変 革 で あ る 。 産 業 革 命 は 道 具 か ら 機 械 へ の 移 行 を 妨 げ る 封 建 的 制 約 の な い イ ギ リ ス の 木 綿 ( も め ん ) 生 産 か ら 始 ま り 、 フ ラ ン ス 、 ア メ リ カ お よ び ド イ ツ で 19 世 紀 1 8 6 0 年 代 に 完 了 し た 。
産 業 革 命 の 第 一 段 階 は 、 繊 維 生 産 に お け る 作 業 機 の 出 現 で あ る 。 18 世 紀 の 中 ご ろ 、 新 興 の 木 綿 工 業 に お い て 、 ケ イ の 発 明 し た 飛 び 杼 ( ひ ) が 普 及 す る に つ れ て 深 刻 な 綿 糸 の 不 足 が も た ら さ れ 、 紡 績 部 門 に お け る ハ ー グ リ ー ブ ス の ジ ェ ニ ー 紡 績 機 ︵ 1 7 6 4 ご ろ ︶ 、 ア ー ク ラ イ ト の 水 力 紡 績 機 ︵ 1 7 6 9 ︶ 、 ク ロ ン プ ト ン の ミ ュ ー ル 紡 績 機 が 相 次 い で 開 発 さ れ 、 1 8 2 5 年 、 ロ バ ー ツ の 自 動 ミ ュ ー ル に よ っ て 自 動 化 さ れ た 作 業 機 が 手 労 働 に か わ っ た 。 一 方 、 立 ち 後 れ た 織 布 部 分 と の 不 均 衡 は カ ー ト ラ イ ト の 力 織 機 の 発 明 を 促 し 、 1 8 2 0 年 代 に は ほ ぼ 手 織 機 を 駆 逐 し た 。
産 業 革 命 の 第 二 段 階 は 、 万 能 的 原 動 機 、 す な わ ち 最 初 の 熱 機 関 で あ る 蒸 気 機 関 の 完 成 か ら 始 ま る 。 そ の 原 動 機 は 旧 来 の 揚 水 機 関 と 違 っ て 、 回 転 運 動 に よ る 動 力 を 供 給 す る も の で な け れ ば な ら な か っ た 。 す で に 実 用 化 さ れ て い た ニ ュ ー コ メ ン 機 関 が ワ ッ ト に よ り 改 良 さ れ 、 1 7 8 4 年 に 複 動 回 転 機 関 と し て 完 成 さ れ た 。 こ の 機 関 は 工 場 や 鉱 山 の 動 力 と し て ば か り で な く 、 輸 送 作 業 機 械 、 す な わ ち 汽 車 や 汽 船 に 利 用 さ れ 、 1 8 3 0 年 代 か ら 交 通 機 関 の 変 革 を も た ら し た 。
産 業 革 命 の 第 三 段 階 は 、 機 械 を 製 作 す る た め の 作 業 機 、 す な わ ち 工 作 機 械 の 出 現 を 促 し た 。 こ れ ま で も っ と も 広 く 使 用 さ れ て い た 工 作 道 具 は 弓 旋 盤 で あ り 、 そ の 作 業 に は 高 度 の 熟 練 と 緊 張 が 必 要 で あ っ た 。 刃 物 が わ ず か に 外 れ て も 加 工 の 精 度 が 損 な わ れ る 。 そ こ で モ ー ズ レ ー H e n r y M a u d s l a y ︵ 1 7 7 1 ― 1 8 3 1 ︶ は 、 刃 物 を 刃 物 台 に 取 り 付 け 、 刃 物 台 を 自 動 的 に 送 る と い う 送 り 台 付 き ね じ 切 り 旋 盤 を 1 7 9 7 年 に 製 作 し た 。 送 り 台 に よ っ て 初 め て 刃 物 は 人 間 の 手 か ら 離 れ 、 各 種 の 工 作 機 械 を 生 み 出 す 要 因 と な っ た 。 こ う し て 機 械 が 機 械 を 生 産 す る よ う に な っ た と き 、 初 め て 大 工 業 は 技 術 的 に 自 立 す る よ う に な っ た 。
こ う し て 原 動 機 が 同 種 の 、 あ る い は 異 種 の い く つ か の 機 械 を 動 か す と い う 機 械 の 協 業 が 発 生 す る 。 同 種 の 機 械 の 単 純 協 業 と 違 う 異 種 の 機 械 の 協 業 は 機 械 体 系 と よ ば れ る 。 機 械 体 系 の 出 現 は 機 械 材 料 と し て の 鉄 の 使 用 を 増 大 さ せ 、 冶 金 技 術 の 発 達 を 促 し た 。 こ れ ま で の 鉄 冶 金 は 木 炭 の 燃 料 と 水 力 の 送 風 に よ っ て 行 わ れ た が 、 コ ー ク ス の 燃 料 と 蒸 気 機 関 の 送 風 に よ る 冶 金 に 移 行 し た 。 さ ら に 力 織 機 の 発 達 は 、 織 物 仕 上 げ に 要 す る 染 色 、 漂 白 部 門 の 変 革 を 促 し 、 1 8 2 0 年 代 に 、 無 機 酸 、 ア ル カ リ 、 漂 白 剤 、 媒 染 剤 を 多 角 的 に 生 産 す る 無 機 化 学 コ ン ビ ナ ー ト が イ ギ リ ス に 出 現 し た 。
以 上 は 産 業 革 命 に お け る 工 業 発 展 の 技 術 的 側 面 で あ る が 、 産 業 革 命 の 背 景 に 農 業 改 革 お よ び 交 通 業 の 発 展 が あ っ た こ と を 見 逃 す こ と が で き な い 。 農 業 改 革 に よ っ て 農 業 が 合 理 化 さ れ 、 農 業 人 口 が 減 少 す る こ と に よ っ て 産 業 革 命 が お こ り え た の で あ る 。 産 業 革 命 の 開 始 と と も に 、 原 料 、 製 品 輸 送 量 の 増 大 、 農 業 改 革 に よ る 農 産 物 市 場 の 拡 大 に よ っ て 、 道 路 交 通 の 改 良 が 促 進 さ れ た 。 道 路 工 事 の 技 術 が 改 良 さ れ 、 有 料 道 路 が イ ギ リ ス 全 土 に 建 設 さ れ 、 四 輪 荷 馬 車 や 駅 馬 車 が 頻 繁 に 往 来 し た 。 水 路 交 通 は 道 路 交 通 よ り 早 く 発 達 し 、 と く に 沿 岸 航 行 は 産 業 革 命 前 ま で の 道 路 の 発 達 を 妨 げ る ほ ど で あ っ た 。 運 河 の 建 設 は フ ラ ン ス よ り 1 世 紀 も 後 れ て い た が 、 1 7 6 0 年 代 か ら 急 速 に 発 達 し 、 1 7 9 0 年 代 の い わ ゆ る 運 河 ブ ー ム 時 代 を 出 現 さ せ た 。 そ の 起 点 と な っ た の が 、 1 7 6 1 年 に 開 通 し た ワ ー ス リ 運 河 ︵ ブ リ ッ ジ ウ ォ ー タ ー 運 河 ︶ で あ る 。
産 業 革 命 は 、 イ ギ リ ス を は じ め 、 そ れ を 経 験 し た 国 で 社 会 全 般 に 大 き な 変 化 を も た ら し た 。 そ の 最 大 の 特 徴 は 、 産 業 に 機 械 の 使 用 が 普 及 し た こ と で あ る 。 し か し 、 す べ て の 産 業 に 同 時 に 均 一 に 普 及 し た わ け で は な い 。 羊 毛 、 麻 、 絹 は そ れ ぞ れ 緩 慢 な 変 化 を 示 し 、 衣 料 生 活 の 最 終 工 程 で あ る 裁 縫 機 械 の 発 明 と そ の 普 及 は ず っ と 後 の こ と で あ る 。 石 炭 業 で は 輸 送 機 械 や 排 水 機 械 は 発 達 し た が 、 採 炭 機 械 は は る か に 立 ち 後 れ た 。 機 械 が 普 及 し な か っ た 多 く の 産 業 部 門 で は 相 変 わ ら ず 労 働 者 の 熟 練 を 必 要 と し た 。 ま た 機 械 の 普 及 は 、 商 品 の 標 準 化 、 価 格 の 低 下 な ど に 役 だ っ た が 、 反 面 、 生 産 者 の 個 性 を 製 品 に 表 現 す る こ と を 困 難 に し 、 芸 術 を 大 衆 か ら 奪 い 去 る と い う 一 面 が あ っ た 。 ま た 産 業 革 命 と と も に 機 械 に 対 す る 反 感 か ら 数 多 く の 機 械 破 壊 運 動 も 誘 発 し た 。 ケ イ 、 ハ ー グ リ ー ブ ス 、 ア ー ク ラ イ ト 、 カ ー ト ラ イ ト ら の 発 明 し た 機 械 も す べ て 破 壊 さ れ 、 工 場 は 焼 き 打 ち に あ っ た 。 こ の 機 械 破 壊 運 動 の 最 高 潮 は 1 8 1 1 ~ 1 8 1 6 年 の ラ ッ ダ イ ト 運 動 で あ る 。 こ れ は 、 機 械 制 大 工 業 の 発 生 に よ っ て 失 業 に 直 面 し た 手 工 業 労 働 者 の 初 期 の 反 資 本 主 義 運 動 で あ っ た 。 機 械 が 労 働 者 を 貧 窮 に 陥 れ る の で は な く 、 生 産 手 段 の 所 有 者 で あ る 資 本 家 階 級 が 労 働 者 を 窮 乏 に 陥 れ る こ と を 労 働 者 が 知 る ま で に は 、 時 間 と 経 験 と を 必 要 と し た 。
﹇ 山 崎 俊 雄 ﹈
1 8 7 0 年 代 以 降 、 技 術 の 進 歩 お よ び 技 術 学 の 発 展 に 、 あ る 飛 躍 的 段 階 が 訪 れ た 。 1 8 7 3 年 の 恐 慌 以 来 、 資 本 主 義 は 独 占 の 段 階 に 入 り 、 1 9 0 0 年 恐 慌 後 、 さ ら に 資 本 の 集 中 が 大 規 模 に 行 わ れ た 。 恐 慌 は 生 産 の 社 会 的 性 格 と 取 得 と の 矛 盾 で あ る 。 独 占 段 階 に お け る 資 本 主 義 の 特 徴 は 、 生 産 力 発 展 の 不 均 等 性 が 著 し く な り 、 技 術 が 質 ・ 量 と も に 発 達 す る 大 き な 可 能 性 が 生 ま れ た こ と で あ る 。 同 時 に 資 本 主 義 が 帝 国 主 義 の 段 階 に 移 っ た こ と に よ っ て 国 際 間 の 結 び 付 き が 強 ま り 、 商 品 輸 出 の ほ か に 資 本 輸 出 が 盛 ん と な り 、 資 本 主 義 的 最 強 国 に よ る 世 界 市 場 の 再 分 割 が 始 ま っ た 。
技 術 学 は 大 学 に も 制 度 化 さ れ 、 企 業 の 独 占 化 が 技 術 の 研 究 投 資 を 可 能 に し た 。 ベ ッ セ マ ー 、 ジ ー メ ン ス 、 ト ー マ ス ら に よ る 製 鋼 技 術 の 変 革 、 パ ー キ ン 、 バ イ ヤ ー に よ る 合 成 染 料 を 中 心 と す る 合 成 化 学 工 業 の 発 展 、 ジ ー メ ン ス に よ る 発 電 機 の 実 用 化 、 高 圧 交 流 に よ る 遠 距 離 電 力 輸 送 の 開 始 、 発 電 機 駆 動 用 の 蒸 気 タ ー ビ ン 、 水 力 タ ー ビ ン の 発 達 は 、 し だ い に 電 動 機 を 基 礎 と す る 機 械 体 系 の 発 達 を 促 し た 。
科 学 者 と 研 究 機 関 を 自 己 の 手 中 に 収 め 、 巨 大 な 生 産 手 段 を 所 有 す る 独 占 資 本 は 、 技 術 学 の 最 新 の 成 果 を 生 産 に 導 入 し や す い 立 場 に あ っ た 。 資 本 が 技 術 学 の 成 果 を 利 用 す る の は 最 大 限 に 利 潤 を 獲 得 す る た め で あ る 。 ま た 帝 国 主 義 の も と で は 技 術 の 発 達 は 軍 事 技 術 の 役 割 を 増 大 さ せ る 。 こ れ ま で に 例 の な い ほ ど 大 規 模 な 軍 備 拡 大 競 争 が 始 ま り 、 軍 事 技 術 の 全 部 門 が 急 速 に 発 達 し た 。 銃 砲 の 自 動 化 、 化 学 生 産 と 結 び 付 い た 無 煙 火 薬 、 内 燃 機 関 と 無 限 軌 道 を 利 用 し た 装 甲 戦 車 、 ガ ソ リ ン 機 関 を 利 用 し た 軍 用 航 空 機 の 大 量 生 産 、 デ ィ ー ゼ ル 機 関 で 推 進 し 無 線 機 器 を 装 備 す る 巨 大 な 鋼 製 の 軍 艦 、 電 動 機 を 併 用 す る 潜 水 艦 な ど が そ れ で あ る 。 他 方 、 独 占 企 業 の 威 力 を 象 徴 す る 鋼 材 利 用 の 高 層 建 築 、 海 洋 で の 軍 事 的 発 言 力 を 増 大 さ せ る 大 運 河 工 事 な ど も 進 み 、 技 術 進 歩 の 本 来 の 目 標 が ゆ が め ら れ 、 技 術 が 死 と 破 壊 を も た ら す た め に 使 わ れ る 。
日 本 に 西 欧 の 技 術 が 初 め て 本 格 的 に 移 植 さ れ た の は 幕 末 に お け る 軍 事 工 業 に お い て で あ る 。 佐 賀 藩 を は じ め 、 各 地 に 反 射 炉 が 建 造 さ れ 、 造 兵 、 造 船 な ど の 洋 式 軍 事 工 業 が 幕 府 や 各 雄 藩 に よ っ て 経 営 さ れ た 。 た と え ば 、 薩 摩 ( さ つ ま ) 藩 の 集 成 館 、 幕 府 の 長 崎 製 鉄 所 、 横 須 賀 ( よ こ す か ) 製 鉄 所 な ど で あ る 。 ま た 長 崎 に は 海 軍 伝 習 所 が 設 け ら れ 、 日 本 最 初 の 軍 事 技 術 学 の 教 育 機 関 と な っ た 。 江 戸 に は 洋 学 所 ︵ の ち 蕃 書 調 所 ( ば ん し ょ し ら べ し ょ ) ︶ が 設 け ら れ 、 洋 学 の 振 興 が 図 ら れ た 。 こ れ ら の 洋 式 軍 事 工 業 を 主 体 と す る 近 代 技 術 の 移 植 は 、 そ の 後 も 日 本 技 術 の 軍 事 的 性 格 を 決 定 し て い る 。 1 8 7 0 年 ︵ 明 治 3 ︶ 工 部 省 が 設 置 さ れ 、 明 治 維 新 政 府 の 殖 産 興 業 政 策 が 開 始 さ れ た 。 電 信 、 鉄 道 、 鉱 山 、 冶 金 、 造 船 、 窯 業 な ど の 技 術 が 積 極 的 に 移 植 さ れ 、 常 備 軍 と 警 察 網 の 結 集 に 政 策 の 重 点 が 置 か れ た 。 殖 産 興 業 の 中 心 は や が て 工 部 省 か ら 内 務 省 に 移 り 、 貿 易 に 関 係 の 深 い 繊 維 工 業 に 模 範 工 場 が 設 け ら れ た 。 し か し 機 械 の 本 格 的 導 入 は 紙 幣 整 理 に 始 ま る 官 業 払 下 げ の 後 で あ る 。
殖 産 興 業 に お け る お 雇 い 外 人 教 師 の 役 割 は き わ め て 大 き い 。 工 部 省 に 世 界 に 類 例 の な い 工 部 大 学 校 が 設 け ら れ 、 蕃 書 調 所 に 源 を も つ 東 京 大 学 は 1 8 7 7 年 に 開 設 さ れ た 。 こ こ に も 外 人 教 師 が 招 か れ 、 研 究 と 教 育 に 深 い 影 響 を 与 え た 。 東 京 大 学 は 1 8 8 6 年 に 工 部 大 学 校 と 合 併 し て 帝 国 大 学 と な り 、 ま も な く 日 本 人 自 身 に よ る 科 学 の 研 究 、 教 育 制 度 が 確 立 さ れ た 。 東 京 大 学 を 中 心 と す る 近 代 科 学 の 移 植 は 1 8 9 0 年 代 か ら 成 果 を 現 し 、 国 際 的 な 業 績 が 続 出 し た 。 各 分 野 の 学 会 も こ の 時 期 に 結 成 さ れ 、 国 際 交 流 も し だ い に 活 発 に な っ た 。
第 一 次 世 界 大 戦 は 、 日 本 の 諸 産 業 、 と く に 電 力 、 化 学 部 門 を 発 展 さ せ た 。 動 力 は 汽 力 か ら 電 力 に 転 換 し 、 遠 距 離 、 超 高 圧 電 力 輸 送 技 術 の 発 達 は 電 動 機 を 普 及 さ せ 、 中 小 工 業 を 土 台 と す る 重 化 学 大 工 業 地 帯 を 形 成 さ せ た 。 ま た 、 大 戦 中 、 多 数 の 研 究 機 関 が 官 公 私 と も 増 設 さ れ 、 な か で も 民 間 の 大 研 究 所 と し て 研 究 に 必 要 な 条 件 を 備 え た 理 化 学 研 究 所 と そ の 出 身 者 か ら 多 く の 国 際 的 業 績 が 生 み 出 さ れ た 。 た と え ば 、 本 多 光 太 郎 ( こ う た ろ う ) の 創 立 し た 東 北 帝 国 大 学 金 属 材 料 研 究 所 で は KS 鋼 、 MK 鋼 な ど の 磁 性 材 料 が 発 明 さ れ 、 八 木 ‐ 宇 田 空 中 線 、 岡 部 金 治 郎 の 磁 電 管 の よ う な 独 創 的 な 研 究 が 現 れ た 。 1 9 2 9 年 ︵ 昭 和 4 ︶ 、 日 本 で 最 初 の 国 際 学 会 で あ る 万 国 工 業 会 議 が 開 か れ 、 こ の 年 、 産 業 合 理 化 政 策 が 開 始 さ れ 、 金 融 資 本 の 支 配 の も と で 各 産 業 に 新 技 術 が 採 用 さ れ た 。 や が て 戦 時 体 制 の 進 展 と と も に 、 資 本 家 や 商 工 官 僚 に か わ っ て 軍 官 僚 が 先 頭 に た っ て 合 理 化 政 策 を 進 め 、 鉄 鋼 、 軽 金 属 、 航 空 機 、 兵 器 な ど 軍 需 生 産 に つ な が る 技 術 と 技 術 学 に あ る 程 度 の 進 歩 が み ら れ た 。 し か し 、 日 本 の 資 本 主 義 の も つ 構 造 的 矛 盾 は 拡 大 さ れ 、 科 学 の 創 意 性 は 摘 み 取 ら れ 、 そ の 結 果 招 い た も の は 、 貴 重 な 生 命 を 犠 牲 と す る 特 殊 兵 器 の 乱 造 で あ っ た 。
﹇ 山 崎 俊 雄 ﹈
第二次世界大戦後、日本の技術の復興は傾斜生産方式に始まり、ドッジ・ライン、朝鮮戦争特需を経て軌道にのった。1952年(昭和27)の講和条約発効に始まる合理化はその後の技術の進歩に大きな影響を与えた。史上空前の技術の導入、設備の合理化から、機械の自動化、装置の連続化が重化学工業を進行させ、巨大電力網の再開発、動力の石炭から石油への転換はコンビナートを発展させた。さらにトランジスタの利用、電子顕微鏡・ビニロンの開発、東海道新幹線の建設、産業用ロボット、NC工作機械の普及など国際的な技術革新を生み出した。一方、独占企業本位の地域開発、高度経済成長政策は、日本で最初の石油化学コンビナートである四日市をはじめとして各地に公害をもたらし、産業廃棄物や有毒物による環境汚染は絶望的なまでに進行している。1970年代以降は原子力発電の事故による放射能汚染が心配されている。
第二次世界大戦後の技術革新は、戦争中の反ファシズム諸国における軍事技術学、とくにアメリカ、イギリスにおける電子工学、航空機工学、合成高分子化学、原子力工学などの諸科学の発展が民需に転用されたものである。しかし、戦後の独占企業は、この時期に匹敵する諸科学の成果を生み出しえていない。旧ソ連の人工衛星に対抗するアメリカのアポロ計画が、戦争中のオペレーションズ・リサーチ(OR)を起源とするシステム工学を生み出しただけである。このシステムとは、ギリシア語の「ともに置く」に由来し、日本語では体系・総体とよばれた概念に近い。全体を部分に分解することなく、つねに全体的連関を考慮しつつ最適化を図る設計手法とされる。システムの解析、制御、設計は、これも戦争中に開発されたロケットと電子計算機、とくに後者の革新がそれを可能にし、コンピュータ・ネットワークによる情報工学とともに未来技術の夢が託されている。
日本の技術水準の向上とともに、先進技術輸出国は門戸を閉ざし、資本輸出を条件とする傾向が増えている。1960年代から国際競争の激化とともに日本でもようやく研究投資が本格化し、産学協同の合いことばで基礎研究、開発研究が進められたが、科学を基礎とする自主研究は立ち後れており、技術の自立化にはほど遠い。国内環境を無視した外国技術の導入、軍事技術の無計画な民需転換は自然破壊につながり、技術の自主性と安全性を損なうことは技術史の教えるところである。
技術は人類の誕生以来、人間労働の肉体的制約からの解放をもたらす方向へ発達してきた。道具から機械へ、機械体系から自動機械体系(オートメーション)へと発達するのがその動向である。最近のコンピュータと自動管理システムの発達がそうした動向を保証する技術的基礎である。科学と技術の発達は高い生産力をもたらすことによって、人間の生産的労働を最小限とすることを可能にする。その結果、すべての人々は大きな自由時間を得て、科学や芸術の創造、スポーツを楽しむことができる。そこでは労働は人間に課せられた苦しみではなく、創造に満ちた楽しみとなる。しかし、このような展望は、現代世界の階級的収奪、民族的抑圧の克服を前提とするものである。この克服なくしては、オートメーションも原子力もいっそう大きな災禍を人類にもたらさないとの保証はないのである。
[山崎俊雄]
『戸坂潤著『技術の哲学』(1933・時潮社)』 ▽『三枝博音著『技術の哲学』(1951・岩波書店)』 ▽『マンフォード著、生田勉訳『技術と文明』全3巻(1953~1954・鎌倉書房)』 ▽『ペリキンド他著、野中昌夫訳『人間と技術の歴史』(1960・東京図書)』 ▽『ズボルイキン他著、山崎俊雄他訳『技術の歴史』(1966・東京図書)』 ▽『中村静治編『現代技術論』(1973・有斐閣)』 ▽『リリー著、鎮目恭夫他訳『人類と機械の歴史』(1968・岩波書店)』 ▽『フォーブス著、田中実訳『技術の歴史』(1956・岩波書店)』 ▽『シンガー他著、高木純一他訳・編『技術の歴史』全14巻(1978~1982・筑摩書房)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) 日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
技術 (ぎじゅつ) technology engineering
目次 技術と科学 技術と工学 技術と社会
技 術 を ど う 定 義 す る か を め ぐ っ て , か つ て 日 本 で は 有 名 な 論 争 が 展 開 さ れ た 。 こ の 技 術 論 論 争 は , ︿ 技 術 は 労 働 手 段 の 体 系 で あ る ﹀ と す る 労 働 手 段 体 系 説 と , ︿ 技 術 は 人 間 実 践 ︵ 生 産 的 実 践 ︶ に お け る 客 観 的 法 則 性 の 意 識 的 適 用 で あ る ﹀ と す る 意 識 的 適 用 説 と の 間 で 争 わ れ た 。 前 者 の 概 念 規 定 を 提 唱 し た の は , 1 9 3 0 年 代 の 唯 物 論 研 究 会 で , 相 川 春 喜 , 戸 坂 潤 , 岡 邦 雄 ら が そ の 代 表 的 論 客 で あ っ た 。 後 者 の 創 始 者 は 物 理 学 者 の 武 谷 三 男 で あ り , 太 平 洋 戦 争 敗 戦 直 後 に , こ の 学 説 が 広 く 知 ら れ る よ う に な っ た 。 ど ち ら の 学 説 も そ れ ぞ れ , 技 術 と 呼 ば れ る 現 象 の も つ 基 本 的 特 徴 を と ら え て お り , そ れ ぞ れ 有 効 な 定 義 で あ る 。 ま た 両 者 は 互 い に 矛 盾 す る こ と も な い 。 分 析 視 角 に 応 じ て 使 い 分 け れ ば よ い の で あ る 。 に も か か わ ら ず 日 本 で , 概 念 規 定 を め ぐ る 技 術 論 論 争 が 起 こ っ た の は , ど ち ら の 学 説 を 支 持 す る 人 々 も , 技 術 の 概 念 規 定 を , 包 括 的 な も の で な け れ ば な ら な い と 考 え た こ と に よ る 。 実 際 に は , 技 術 と 呼 ば れ る 現 象 の も つ 基 本 的 特 徴 を 余 す と こ ろ な く , 一 節 の 文 章 で 記 述 す る こ と は 不 可 能 で あ る 。 技 術 論 論 争 が 当 事 者 以 外 の 関 心 を ほ と ん ど 喚 起 す る こ と な く , 忘 れ 去 ら れ よ う と し て い る の も 無 理 は な い 。
日 常 語 と し て の 用 法 を み る か ぎ り , 技 術 と は 最 も 広 義 に は , 人 間 が あ る 目 標 を も っ た 行 為 を な す と き , 行 為 を 目 標 の 実 現 に 結 び つ け る た め に 用 い る わ ざ , を 意 味 す る 。 た と え ば 論 争 の 技 術 と い っ た 用 法 が あ る 。 し か し よ り 限 定 的 に は , も っ ぱ ら 生 産 活 動 に 関 連 づ け て 技 術 と い う 言 葉 が 用 い ら れ る 。 人 間 に と っ て 有 用 な な ん ら か の 生 産 物 を 作 り 出 す こ と を 目 標 と す る 行 為 に お い て 動 員 さ れ る 道 具 立 て , お よ び そ れ ら の 使 用 法 に つ い て の 知 識 の 体 系 , ま た は そ の 個 々 の 構 成 要 素 が , 技 術 と 呼 び な ら わ さ れ て い る の で あ る 。 こ れ 以 上 分 析 的 に , 技 術 の 概 念 規 定 を 行 う こ と は , 特 殊 な 目 的 を も つ 場 合 を 除 い て , 必 要 で は な い 。
技 術 と 科 学
過 去 に は 技 術 は , も っ ぱ ら 経 験 的 知 識 の 蓄 積 の う え に 発 達 し て き た 。 そ れ を 担 っ て き た の は 職 人 で あ り , そ の 習 得 方 法 は , 徒 弟 制 度 の も と で の 実 務 を 通 し て の 修 練 で あ っ た 。 職 人 と 学 者 と は 明 確 に 区 別 さ れ て い た 。 学 者 的 伝 統 に お い て は 主 た る 対 象 は ︿ 書 物 ﹀ で あ っ た の だ が , 職 人 的 伝 統 で は ︿ 自 然 ﹀ が 仕 事 の 対 象 と さ れ た 。 ま た 学 問 を 担 っ た 人 々 が 社 会 的 地 位 の 高 い 知 識 人 で あ っ た の に 対 し , 技 術 の 担 い 手 は 下 層 の 職 人 で あ っ て , 両 者 の 間 の 交 流 は あ ま り な か っ た 。 こ れ を 一 言 で い え ば , 科 学 と 技 術 と が 別 々 の 社 会 活 動 と し て 併 存 し て い た , と い う こ と で あ る 。
技 術 と い う も の は 有 用 な 生 産 物 を 作 り 出 す た め の 手 段 で あ る が , そ う し た 手 段 は 必 ず し も 出 来 合 い の も の ば か り で は な く , あ る 現 実 的 目 標 を 達 成 し よ う と す る 行 為 の 途 上 で , 新 た に 生 み 出 さ ね ば な ら な い も の で あ る 。 こ の 場 合 , 直 接 的 に 役 立 た ず と も , 技 術 そ の も の を 有 用 な 生 産 物 と み な し う る 。 そ れ を 実 現 す る た め の 人 間 活 動 が , 技 術 開 発 に ほ か な ら な い 。 科 学 研 究 と 技 術 開 発 と は , か つ て は ほ と ん ど 結 び つ い て い な か っ た が , 今 日 で は 密 接 に 結 び つ い て い る 。 科 学 研 究 の 目 標 は , 自 然 界 に つ い て の 新 し い 知 識 を 学 術 論 文 と い う 形 で 発 表 す る こ と で あ り , 技 術 開 発 の 目 標 は , 有 用 な 生 産 物 を 作 り 出 す こ と で あ る 。 し か し 実 際 に は , 科 学 研 究 が 論 文 発 表 と 同 時 に , 実 用 的 成 果 の 獲 得 を 目 標 と し て 追 求 す る こ と は な ん ら 差 支 え な い し , ま た 技 術 者 が 技 術 開 発 の 途 上 で 得 ら れ た 新 知 識 を 論 文 と し て 発 表 す る こ と に は , 種 々 の 制 約 が つ き ま と う け れ ど も , 原 則 的 に は 可 能 で あ る 。 こ の よ う に 今 日 で は , 科 学 と 技 術 と の 間 に 大 規 模 な 相 互 浸 透 が 起 き て い る 。 そ し て , 一 つ の 研 究 開 発 プ ロ ジ ェ ク ト の な か で , 科 学 と 技 術 が 同 時 に 追 求 さ れ る こ と も 珍 し く な く な っ て い る 。
た と え ば 制 御 核 融 合 の プ ロ ジ ェ ク ト に つ い て み る と , そ の 究 極 目 標 は , 商 業 的 に 他 の 電 力 生 産 方 式 と 競 合 で き る 核 融 合 発 電 炉 を 完 成 す る こ と で あ り , そ の 意 味 で こ れ は 技 術 開 発 プ ロ ジ ェ ク ト で あ る 。 し か し そ れ は 同 時 に , プ ラ ズ マ 物 理 学 を は じ め と す る 多 く の 科 学 分 野 の 専 門 家 の 参 加 を 必 要 と し , ま た 彼 ら は そ の 研 究 成 果 を 学 術 論 文 と い う 形 で 発 表 す る こ と が で き る 。 つ ま り そ れ は 同 時 に 科 学 研 究 プ ロ ジ ェ ク ト で も あ る 。 ま た X 線 天 文 学 を 例 に と る と , こ の 科 学 分 野 は 宇 宙 の X 線 源 の 物 理 的 性 質 の 解 明 を 目 標 と し て お り , そ れ は 生 産 活 動 と 直 接 の つ な が り は な い 。 し か し 人 工 飛 翔 体 ︵ ロ ケ ッ ト , 人 工 衛 星 ︶ を は じ め , さ ま ざ ま の 宇 宙 技 術 を 道 具 立 て と し て 存 分 に 活 用 す る こ と に よ っ て は じ め て , X 線 天 文 学 が 可 能 と な る 。 そ し て そ う し た 宇 宙 技 術 は 出 来 合 い の も の で は な く , 科 学 研 究 に 効 果 的 に 役 立 つ た め に , 同 時 並 行 的 に 開 発 さ れ る の で あ る 。 以 上 二 つ の プ ロ ジ ェ ク ト の う ち 核 融 合 の 場 合 は , 技 術 が 目 的 で 科 学 が 手 段 と い う 性 格 が 強 く , X 線 天 文 学 の 場 合 は 逆 に , 科 学 が 目 的 で 技 術 が 手 段 で あ る と み る こ と が で き る 。 だ が い ず れ も , 一 つ の プ ロ ジ ェ ク ト の な か で 科 学 と 技 術 と が 連 携 し て い る 好 例 で あ る 。
こ の よ う に 現 代 で は , 科 学 と 技 術 と の 関 係 は き わ め て 密 接 と な り , 科 学 技 術 と い う 言 葉 が 日 常 語 と し て 使 わ れ て い る こ と に も 象 徴 さ れ る よ う に , 両 者 は し ば し ば 混 同 さ れ て い る 。 そ れ は 現 実 の 趨 勢 ︵ す う せ い ︶ を 反 映 し た も の で あ る か ら , と く に 不 都 合 を き た さ な い か ぎ り 非 難 す る に は 当 た ら な い が , い く つ か の 問 題 点 を は ら ん で い る こ と も 否 定 で き な い 。 そ の 一 つ は , 科 学 と 技 術 と の か か わ り 合 い の 変 化 を 歴 史 的 に ふ り か え る こ と が 不 可 能 に な る , と い う こ と で あ る 。 科 学 技 術 は す ぐ れ て 20 世 紀 の 産 物 で あ り , 近 代 的 な 工 学 の 成 立 以 前 は , 科 学 と 技 術 と の 関 係 は 疎 遠 で あ っ た 。 両 者 を 一 つ の プ ロ ジ ェ ク ト の な か で 同 時 並 行 的 に 進 め る , と い う ス タ イ ル が 興 隆 す る の は , さ ら に の ち の 第 2 次 大 戦 期 か ら で あ る 。 そ し て 将 来 に わ た っ て 科 学 と 技 術 と の 間 に 密 接 な 関 係 が 保 た れ る 必 然 性 は な い 。 ま た , い き な り 科 学 と 技 術 と を 一 体 の も の と し て と ら え る よ り も , 両 者 を ひ と ま ず 分 析 的 に 区 別 し て そ の 絡 み あ い の 構 造 を 解 析 し た ほ う が , 現 代 技 術 に つ い て よ り 深 い 理 解 に 到 達 で き る こ と も ま た 明 ら か で あ る 。
技 術 と 工 学
科 学 と 技 術 と の 中 間 に 位 置 す る の が 工 学 で あ る 。 工 学 と は 学 問 分 野 化 し た 技 術 の こ と で あ る 。 公 共 的 な 言 葉 ︵ 数 学 お よ び 厳 密 に 定 義 さ れ た 専 門 用 語 の 体 系 ︶ で も っ て 定 式 化 で き る 理 論 体 系 を 確 立 し , か つ そ れ を 習 得 さ せ る た め の 教 育 制 度 を 樹 立 す る こ と に よ っ て , 技 術 は 工 学 と な る 。 た だ し 技 術 が す べ て 工 学 に 吸 収 さ れ る わ け で は な い 。 技 術 と テ ク ノ ロ ジ ー t e c h n o l o g y , 工 学 と エ ン ジ ニ ア リ ン グ e n g i n e e r i n g を そ れ ぞ れ 対 応 づ け よ う と す る 流 儀 が あ る が , こ れ は あ ま り 適 切 で は な い 。 日 本 語 の 工 学 と い う 言 葉 に は , 学 問 分 野 化 し た 技 術 と い う 含 蓄 が 顕 著 に あ ら わ れ て い る が , エ ン ジ ニ ア リ ン グ と テ ク ノ ロ ジ ー と の 間 に は , そ れ ほ ど 明 確 な 境 界 線 は 引 け な い 。 テ ク ノ ロ ジ ー と い え ば ︿ 学 ﹀ と し て の 性 格 が 強 調 さ れ る と は 必 ず し も い え な い 。 そ の 意 味 で は 日 本 語 の ほ う が , 現 代 技 術 を 分 析 的 に と ら え る う え で 適 し て い る 。 た と え ば 日 本 語 で 技 術 者 と 工 学 者 と は は っ き り 意 味 が 異 な る が , 英 語 で は エ ン ジ ニ ア e n g i n e e r が 双 方 の 意 味 を 兼 ね て 使 わ れ て い る 。 工 学 の ほ か に 技 術 学 と い う 言 葉 が あ り , 工 学 と 技 術 と の 中 間 項 と し て 用 い ら れ る こ と が 多 い が , し か し こ れ は 技 術 論 の 世 界 で の み 通 用 し て き た 言 葉 で あ り , 実 社 会 で 使 わ れ る こ と は ま れ で あ る 。 ま た 分 析 的 に も , 工 学 と 技 術 の 区 別 ほ ど 有 効 性 を も つ と は 考 え ら れ な い 。 し た が っ て 一 般 に は , 技 術 学 と い う 言 葉 は 不 要 で あ る 。
学 問 分 野 化 さ れ る こ と に よ っ て , 技 術 は 科 学 と 類 似 し た 多 く の 特 徴 を 帯 び て く る 。 そ れ は ま ず 技 術 の 自 律 a u t o n o m y を 助 長 す る 。 か つ て は 技 術 は 有 用 な 生 産 物 を 作 る た め の 手 段 で あ っ た が , 近 代 工 学 の 成 立 以 後 は , 自 然 界 の 法 則 性 の 解 明 が そ れ 自 体 と し て 目 標 と な る 傾 向 が あ ら わ れ , 工 学 者 に 対 す る 評 価 基 準 が , 有 用 な 製 品 を 開 発 す る こ と か ら , 新 し い 知 見 を 論 文 の 形 で 発 表 す る こ と へ と 移 行 す る 。 こ こ で 業 績 評 価 の 担 い 手 と な る の は , 工 学 者 の コ ミ ュ ニ テ ィ ︵ 同 業 者 仲 間 ︶ で あ っ て , そ の 新 技 術 に 基 づ く 製 品 の 売 手 や 買 手 で は な い 。 し か し 技 術 の 自 律 に も お の ず と 限 度 が あ る 。 大 局 的 に み れ ば 技 術 は 科 学 と は 異 な り , 生 産 活 動 の な か に 組 み 込 ま れ て お り , 自 足 的 な シ ス テ ム を 形 づ く る こ と は で き な い 。
技 術 と 社 会
技 術 は 現 実 的 目 標 を 達 成 す る た め の 道 具 立 て で あ る 。 一 方 , 人 間 社 会 を 支 配 す る 価 値 観 は , き わ め て 多 様 で あ り , し た が っ て そ れ ぞ れ の 社 会 ご と に , 目 標 と な る こ と が ら は 異 な っ て く る 。 そ し て 目 標 が 異 な れ ば , そ の 達 成 の た め に 援 用 さ れ る ︵ ま た は 新 規 に 開 発 さ れ る ︶ 道 具 立 て の 組 合 せ も , そ れ ぞ れ の 目 標 に 適 し た , 互 い に 異 な っ た も の と な る 。 つ ま り 技 術 は 社 会 に よ っ て 方 向 づ け ら れ る 。 技 術 に は 時 代 と 地 域 を 超 越 し た 必 然 的 な 発 展 経 路 は 存 在 し な い 。 た し か に 技 術 は , 同 一 の 用 途 を 満 た す た め の 製 品 が , 時 代 を 経 る に つ れ て , ま す ま す 高 性 能 と な り , ま た 量 的 に も 増 大 す る , と い う 意 味 で 累 積 的 な 性 格 を も つ 。 そ う し た 累 積 的 発 展 が 効 果 的 に 行 わ れ る よ う に な っ た の は , 近 代 工 学 の 成 立 以 後 と 考 え ら れ る 。 専 門 家 集 団 の 成 立 と , そ の 内 部 に お け る 技 術 情 報 の 公 共 的 な 言 葉 で の 伝 達 シ ス テ ム - - そ れ を 可 能 に す る の が , 近 代 科 学 と 共 通 す る 数 量 的 ・ 実 証 的 方 法 で あ る - - の 確 立 が , 累 積 的 発 展 を も た ら し た の で あ る 。 一 足 早 く 科 学 と い う 人 間 活 動 の 領 域 で 確 立 さ れ た , 累 積 的 発 展 を 可 能 と す る シ ス テ ム が , 工 学 を 媒 介 と し て , 技 術 へ と 波 及 し た わ け で あ る 。 し か し 技 術 が 累 積 的 発 展 の 性 格 を も つ こ と は 必 ず し も , そ の 発 展 が 単 線 的 に 進 め ら れ る こ と を 意 味 し な い 。 複 数 の 路 線 が あ っ て , そ れ ぞ れ が 累 積 的 発 展 の パ タ ー ン を 示 す こ と が あ っ て も よ い し , ま た 一 つ の 社 会 で 路 線 の 切 替 え が 行 わ れ て も か ま わ な い 。
︿ も う 一 つ の 技 術 a l t e r n a t i v e t e c h n o l o g y ﹀ ︵ 略 称 AT ︶ の 思 想 は , そ の よ う な 見 地 に 基 づ い て 登 場 し て き た 。 そ の 提 唱 者 に よ れ ば 既 成 慣 行 の 技 術 は , 生 態 系 を 無 視 し て 大 量 生 産 を 指 向 す る も の で あ り , そ れ に よ っ て 環 境 破 壊 や 資 源 浪 費 が も た ら さ れ る 。 そ う し た 現 代 技 術 に 基 づ く 工 業 文 明 は 永 続 性 を も た な い 。 ま た 現 代 技 術 は , 自 然 と 人 間 と の 関 係 を 敵 対 的 な も の と す る だ け で な く , 人 間 相 互 の 社 会 的 関 係 に も ひ ず み を も た ら し て い る 。 そ れ は 利 潤 と 戦 争 に よ っ て 動 機 づ け ら れ た , 中 央 集 権 的 な 社 会 体 制 を 維 持 す る た め に 好 適 な 技 術 で は あ る が , 人 間 の 主 体 性 と そ れ に 基 づ く 自 由 な 協 同 関 係 の 形 成 を 保 障 す る 分 権 的 社 会 に は そ ぐ わ な い 。 ま た 現 代 技 術 の 開 発 と 運 用 そ れ 自 体 が , 少 数 の エ リ ー ト 専 門 家 に よ っ て 独 占 的 に 進 め ら れ て お り , 一 般 人 は そ れ に 異 議 を さ し は さ む こ と は で き ず , い や お う な し に 技 術 革 新 に 適 応 さ せ ら れ る 。 そ の 意 味 で 既 成 慣 行 の 技 術 は , 反 民 主 的 な 社 会 体 制 を 支 え る 主 要 な 動 因 で あ る ば か り で な く , そ れ 自 体 と し て も 反 民 主 的 で あ る 。
︿ も う 一 つ の 技 術 ﹀ の 提 唱 者 た ち は , 現 代 技 術 の 特 徴 を 上 述 の よ う に と ら え , そ れ と は 異 な る 選 択 肢 と し て , 生 態 学 的 に 健 全 で , 人 間 ど う し の 敵 対 的 関 係 を 生 み 出 さ ず , 農 村 型 の 分 権 的 社 会 の 維 持 に 貢 献 す る 新 し い 等 身 大 の 技 術 の 可 能 性 を 説 く 。 そ れ は す べ て の 人 間 が 開 発 と 運 用 に 参 加 す る こ と の で き る 技 術 で あ る 。 具 体 的 に は , 風 力 発 電 や ソ ー ラ ー ハ ウ ス な ど の 代 替 エ ネ ル ギ ー 技 術 が , そ の 代 表 例 と し て 挙 げ ら れ る こ と が 多 い 。 た し か に そ れ ら は , 現 代 文 明 を 象 徴 す る 巨 大 な 原 子 力 発 電 所 と 好 対 照 を な す 。 ︿ も う 一 つ の 技 術 ﹀ の 思 想 を , エ ネ ル ギ ー 問 題 に 即 し て 具 体 化 し た 一 つ の 試 み と し て , イ ギ リ ス の ロ ビ ン ス A m o r y B . L o v i n s の ︿ ソ フ ト ・ エ ネ ル ギ ー ・ パ ス s o f t e n e r g y p a t h ﹀ が 挙 げ ら れ る 。 一 方 , 第 三 世 界 の 開 発 戦 略 に 関 し て は , 先 進 工 業 国 か ら 先 進 技 術 の 粋 を こ ら し た 巨 大 な 生 産 設 備 を 導 入 し て 一 挙 に 近 代 化 を は か る よ り も , そ れ ぞ れ の 地 域 の 要 求 に 見 合 っ た 中 小 規 模 の 技 術 を 広 め て い く こ と を 重 視 す べ き で あ る と い う 見 解 を , ︿ も う 一 つ の 技 術 ﹀ の 提 唱 者 た ち は と っ た 。 こ れ は ︿ 適 正 技 術 a p p r o p r i a t e t e c h n o l o g y ﹀ と 呼 ば れ る 。
︿ も う 一 つ の 技 術 ﹀ の 思 想 的 意 義 は , 技 術 発 展 に も 複 数 の 路 線 が あ り , ま た 技 術 の 選 択 と 社 会 の 選 択 と が 不 可 分 の 関 係 に あ る こ と を , 単 純 明 快 な 図 式 に よ っ て 示 し た こ と に あ る 。 エ コ ロ ジ カ ル な 分 権 的 社 会 を 理 想 化 し , 既 成 慣 行 の 工 業 文 明 と の 二 者 択 一 を 迫 る と い う , 社 会 運 動 に 特 有 の 行 き 方 を と っ た た め , 技 術 と 社 会 の か か わ り に つ い て の 緻 密 ︵ ち み つ ︶ な 分 析 は 妨 げ ら れ た が , 以 前 か ら マ ル ク ス 主 義 者 の 間 で 支 持 を 得 て き た , 技 術 進 歩 と 社 会 進 歩 と を 同 盟 関 係 に あ る と み な す 思 想 - - そ こ で は , 技 術 進 歩 が 資 本 主 義 と い う 経 済 体 制 を 揺 る が す 動 因 と な り , ま た 反 対 に 資 本 主 義 の も と で は 技 術 進 歩 が 著 し く ゆ が め ら れ る , と 考 え ら れ た - - を 否 定 し た こ と の 意 義 は 大 き い 。 ︿ も う 一 つ の 技 術 ﹀ の 思 想 が , そ れ 自 体 と し て い か に 粗 雑 で あ る に せ よ , 技 術 の 階 級 性 に つ い て の 過 去 の あ ら ゆ る 議 論 に つ き ま と っ て い た 技 術 進 歩 性 善 説 を 乗 り 越 え , 技 術 進 歩 へ の よ り 幅 広 い 理 解 を 可 能 に し た こ と は 特 筆 さ れ る 。
ど ん な 種 類 の 社 会 問 題 も , 技 術 的 手 段 に よ っ て 解 決 す る こ と が で き , 技 術 進 歩 に よ っ て 引 き 起 こ さ れ た 社 会 問 題 も ま た , 究 極 的 に は 技 術 進 歩 に よ っ て 克 服 さ れ る , と い う 見 解 が あ る 。 こ れ を 技 術 万 能 主 義 と い う 。 だ が こ れ は 技 術 が 人 間 の 社 会 的 行 為 に 組 み 込 ま れ た 形 で し か 存 在 し な い も の で あ る こ と を 看 過 し た 思 想 で あ る 。 社 会 の す べ て の 成 員 の 間 で 目 標 に 関 す る 合 意 が 得 ら れ て い な け れ ば , 共 通 の 目 標 を 達 成 す る た め の 技 術 的 手 段 を 動 員 す る こ と は で き な い 。 も ち ろ ん 社 会 の な か に 利 害 対 立 が た と え 存 在 し な く て も , 社 会 問 題 を 解 決 す る 技 術 的 手 段 が 見 つ か る 保 障 は ま っ た く な い 。 以 上 の 議 論 は , 技 術 進 歩 の も た ら し た 社 会 問 題 に も 当 て は ま る 。 し か し , 技 術 の 生 み 出 し た 問 題 は 技 術 に よ っ て 解 決 さ れ る と い う 思 想 に は , 上 記 の 困 難 に 加 え て , 技 術 開 発 と い う 行 為 の 本 質 に 基 づ く 困 難 が あ る 。 有 用 な 生 産 物 を 作 り 出 す こ と が 技 術 開 発 の 目 標 で あ る 。 し か し 何 が 有 用 で あ る か の 判 断 は 近 視 眼 的 に 下 さ れ る の が 常 で あ る 。 当 座 の 目 標 を 達 成 で き れ ば よ い か ら で あ る 。 そ れ ゆ え 技 術 開 発 は 刹 那 的 に 進 め ら れ る 。 そ れ に よ っ て 明 白 か つ 顕 著 な 災 害 が 発 生 し た 場 合 に の み , そ れ を 解 決 す る た め の 技 術 的 手 段 が 開 発 さ れ 運 用 さ れ る が , そ れ は つ ね に 後 追 い に と ど ま り , ま た 当 座 の 問 題 が 目 だ た な く な れ ば そ の 任 務 を 終 え る 。 し か る に 現 代 技 術 は 時 と と も に , 自 然 お よ び 社 会 に ま す ま す 大 き な イ ン パ ク ト を 与 え て お り , 後 追 い の 対 策 だ け で そ の 悪 影 響 を 断 つ こ と は で き な い 。 そ こ で 登 場 し た の が , テ ク ノ ロ ジ ー ・ ア セ ス メ ン ト ︵ 略 称 TA ︶ の 考 え 方 で あ る 。
テ ク ノ ロ ジ ー ・ ア セ ス メ ン ト の 考 え 方 を 提 唱 し た の は , ア メ リ カ の 政 治 家 エ ミ リ オ ・ ダ ダ リ オ で あ る 。 こ の 考 え 方 は , 技 術 進 歩 に 社 会 的 制 御 を 加 え る た め の 現 実 的 提 案 と し て 意 義 が あ る 。 し か し そ の 背 景 に あ る の は , 技 術 開 発 の 成 果 を 社 会 的 摩 擦 を な る べ く 引 き 起 こ さ ず に 社 会 に 定 着 さ せ る た め に , 技 術 開 発 の ネ ガ テ ィ ブ な 副 作 用 を 事 前 に 察 知 し そ の 打 開 策 を 講 じ よ う , と い う 思 想 で あ る 。 そ れ は 技 術 開 発 の 推 進 者 の 立 場 か ら の , そ の 社 会 的 制 御 の た め の 提 案 な の で あ る 。
技 術 は 社 会 発 展 の 主 要 な 動 因 で あ る と い わ れ る 。 発 展 と い う こ と が 必 ず し も ポ ジ テ ィ ブ な 価 値 を も つ と は 限 ら な い と 断 り 書 を つ け れ ば , こ の 見 解 は 正 し い 。 と り わ け 現 代 で は , 経 済 的 ・ 軍 事 的 繁 栄 が 技 術 に よ っ て 支 え ら れ て い る 。 国 際 関 係 に お い て 技 術 は , 経 済 的 ・ 政 治 的 ・ 軍 事 的 な パ ワ ー と し て 機 能 す る 。 そ う し た 現 実 を ふ ま え て , ︿ 技 術 立 国 ﹀ ︵ テ ク ノ ・ ナ シ ョ ナ リ ズ ム ︶ の 思 想 が 19 世 紀 以 降 , 技 術 に 関 す る 支 配 的 な イ デ オ ロ ギ ー の 一 つ と な り , 今 日 に 至 っ て い る 。 先 進 国 か ら の ︿ 技 術 移 転 ﹀ を 促 進 し 先 進 国 と の 間 の ︿ 技 術 格 差 ﹀ を 縮 め よ う と 後 発 国 が 努 め る の は , 現 代 技 術 が パ ワ ー と し て 絶 大 な 影 響 力 を ふ る っ て い る こ と の 反 映 で あ る 。 あ ら ゆ る 種 類 の パ ワ ー に つ い て 成 り 立 つ こ と は , そ れ が 無 制 限 に 是 認 さ る べ き で は な く , 国 際 的 に 規 制 さ れ ね ば な ら ぬ と い う こ と で あ る 。 他 国 に 脅 威 を 与 え る と い う 点 で は , 軍 事 力 と 技 術 力 と の 間 に 本 質 的 な 差 異 は な い 。 日 本 で は 明 治 以 来 , 技 術 立 国 の 思 想 が 自 明 の 真 理 と し て 理 解 さ れ て い る が , そ れ が 弱 肉 強 食 の イ デ オ ロ ギ ー で あ る こ と は 留 意 さ れ ね ば な ら ぬ 。
技 術 は 元 来 , 軍 事 と き わ め て 深 い か か わ り を も っ て い る 。 人 類 文 明 が 拡 張 指 向 を と り つ づ け る か ぎ り , そ の 手 段 と し て の 技 術 が , 強 さ を 不 断 に 追 求 し つ づ け る こ と は 避 け が た く , そ の こ と が ま た 技 術 と 軍 事 と を 結 び つ け る き ず な と な っ て い る 。 と く に 第 2 次 大 戦 期 の 科 学 動 員 ︵ 正 し く は 科 学 技 術 動 員 ︶ を 契 機 と し て , 多 く の 先 進 工 業 国 で , 国 家 の 主 導 性 の も と で 技 術 と 軍 事 と が 緊 密 に 結 び つ け ら れ る シ ス テ ム が 作 ら れ , 現 在 に 至 っ て い る 。 そ こ で は 科 学 と 技 術 と を 合 わ せ た 研 究 開 発 費 の 過 半 が 国 家 に よ っ て 支 出 さ れ , 国 家 負 担 分 の 過 半 が 軍 事 目 的 に 使 わ れ る こ と が 常 識 と な っ て い る 。 現 在 , 世 界 の 研 究 開 発 費 総 額 の 2 0 % が 軍 事 目 的 に 投 入 さ れ て い る と 推 測 さ れ て い る が , こ の 数 字 は , 軍 事 を つ か さ ど る 政 府 機 関 が 支 出 す る 研 究 開 発 費 の み を あ ら わ し て お り , 軍 需 産 業 が 兵 器 開 発 の た め に 自 前 で 投 入 す る 資 金 ︵ そ れ は 兵 器 の 売 却 に よ っ て 回 収 す る ︶ が 含 ま れ て い な い 。 そ れ を 加 算 す れ ば , 研 究 開 発 費 に 占 め る 軍 需 の 比 率 は 大 幅 に 増 加 す る 。 こ の よ う に 現 代 技 術 は , 他 の 人 間 活 動 と 比 較 に な ら な い ほ ど 深 く 戦 争 準 備 と 結 び つ い て い る 。 そ う し た 国 家 主 導 ・ 軍 事 中 心 と い う 現 代 技 術 の 基 本 的 性 格 を , 最 も よ く 体 現 し て い る の は , ア メ リ カ の 技 術 で あ る 。 そ れ と 比 較 す る と 日 本 の 技 術 は , 民 間 依 存 ・ 経 済 中 心 と い う 基 本 的 性 格 を 有 す る 。 こ れ は 世 界 の 主 要 先 進 国 の う ち , 日 本 だ け が も つ 特 異 な 性 格 で あ る 。 そ れ は 戦 後 日 本 に 形 成 さ れ た き わ め て 特 殊 な 歴 史 的 環 境 の 所 産 で あ る 。 日 米 安 全 保 障 条 約 の も と で 日 本 の 軍 事 力 が , 経 済 力 と 比 較 に な ら な い ほ ど 弱 体 で あ り つ づ け た た め , 軍 事 技 術 へ の 動 機 づ け が 働 か な か っ た の で あ る 。 し か し こ う し た 歴 史 的 環 境 は き わ め て 不 安 定 で あ る 。 こ れ か ら の 日 本 技 術 の 構 造 が 欧 米 型 へ と 接 近 し て い く 可 能 性 は 大 き い 。 そ の と き 商 品 化 に 強 い と い わ れ る 日 本 技 術 が , そ の 性 格 を ど の よ う に 変 え て い く か は , 興 味 深 い 問 題 で あ る 。 日 本 近 代 技 術 史 を 国 際 的 視 野 か ら 見 直 せ ば , 技 術 発 展 が い か に 社 会 に よ っ て 深 く 方 向 づ け ら れ る か を 考 え る た め の 恰 好 の 素 材 が , 数 多 く 見 つ か る は ず で あ る 。 な お 技 術 の 歴 史 に つ い て は , 年 表 ︿ 技 術 の 歴 史 ﹀ と 各 個 別 技 術 関 連 項 目 を 参 照 さ れ た い 。
執 筆 者 ‥ 吉 岡 斉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」 改訂新版 世界大百科事典について 情報
技術 ぎじゅつ technique
人類の利益のために,随意にエネルギーを創出・制御し,また自然には存在しない「もの」をつくりだす人間の営為。木の摩擦で火を得たのはおそらく人類最初の自然支配,「技術」の淵源である。それらは次第に複雑化したが,こういう人間の知能行為を,初めて形而上学の思考対象としてとらえたのはギリシアのアリストテレスである。彼によれば,精神の働きは観想 thēoria,実践 praxis,制作 poiēsisの3つであり,また事物には本質 (形相) eidosと物質 (質料) matériaがある。それで質料によって制作を行う技術 tékhnēは最も下等な営為で,技術者は職人であり下層階級であった。これに対し数学と自然科学は観想の学だから,アルキメデス,ユークリッドらの業績は不朽の名をとどめたが,それは技術とは無縁であった。アリストテレス的観念は以後長くヨーロッパの思想を支配したが,一方アラビアでは,中世の錬金術の発達から,自然科学と方法とを結びつける新しい「実用」の学の観念が萌芽し,中世後期ヨーロッパにも伝播した。 18世紀の第1次産業革命は,社会に対する技術参加の比重の著しい増大を示したが,科学と技術との意識的結合はまだ不十分であった。しかし次代の第2次産業革命は,まさに自然科学と技術との輝かしい出会いの結果であり,その結合は現在もいよいよ強くなりつつある。この近代の経過からみると,技術は自然科学に対する応用の学であり,自然科学の進歩とともに無限の進展の可能性をもつ。しかし一方,人口問題・労働問題の面からみる社会科学的観点から,技術は人間が賃金を得るための一つの手段体系で,その進展は人間に幸福をもたらすものでなければならないとする考え方がある。これからすれば技術の進歩は恣意的であることは許されず,社会問題としての制約を受けることになる。今日の環境問題や原子力問題論議はある意味でその端的な現れであるといえる。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
普及版 字通
「技術」の読み・字形・画数・意味
【技術】ぎじゆつ
わ ざ 。 ︹ 漢 書 、 芸 文 志 ︺ 方 技 な る は 、 皆 生 生 の 、 王 官 の 一 守 な り 。 ~ 興 り て よ り 倉 り 。 今 其 の 技 昧 ( あ ん ま い ) な り 。 故 に 其 の 書 を 論 じ 、 以 て 方 技 を 序 し て 四 種 と 爲 す 。
字 通 ﹁ 技 ﹂ の 項 目 を 見 る 。
出典 平凡社「普及版 字通」 普及版 字通について 情報
世界大百科事典(旧版)内の 技術の言及
【工学】より
…工学は,古くは軍事技術military engineeringだけを意味した。しかし,18世紀以来,軍事以外の技術civil engineering(現在は土木工学の意味)が発展し,それ以来,工学とは,エネルギーや資源の利用を通じて便宜を得る技術一般を意味するようになった。本項では,後者の意味での近代工学の形成とその教育体制の整備に関して歴史的概観を示す。[近代工学教育の形成と展開] フランスの土木工学校École des Ponts et Chausées(1747設立)やフライベルク鉱山学校Bergakademie Freiberg(1765設立)など,18世紀中葉以降,ヨーロッパ各地では各種の技術学校が設立されはじめた。…
【工学】より
…工学は,古くは軍事技術military engineeringだけを意味した。しかし,18世紀以来,軍事以外の技術civil engineering(現在は土木工学の意味)が発展し,それ以来,工学とは,エネルギーや資源の利用を通じて便宜を得る技術一般を意味するようになった。本項では,後者の意味での近代工学の形成とその教育体制の整備に関して歴史的概観を示す。[近代工学教育の形成と展開] フランスの土木工学校École des Ponts et Chausées(1747設立)やフライベルク鉱山学校Bergakademie Freiberg(1765設立)など,18世紀中葉以降,ヨーロッパ各地では各種の技術学校が設立されはじめた。…
【科学技術】より
…[科学]および[技術]の総称。科学については技術とのかかわり深い自然科学をおもに対象とする。…
【技術移転】より
…ある技術が,国境をこえ,あるいは企業から別の企業に,移転または伝播する現象をさす。技術伝播,テクノロジー・トランスファーともいう。…
【技術史】より
…技術は他の分野と違ってその進歩が明確で蓄積的なので,技術の歴史に対する関心は早くからあったように思われるが,必ずしもそうではない。他の分野と同じく最初の技術史は事物の起源を問う神話的なものであった。…
【工芸】より
…宋代の百科事典,《太平御覧(たいへいぎよらん)》の工芸の部によると,それは射(弓を射ること),御(馬を御すこと),書,数(算数),画,巧,そして囲碁などの勝負を争う各種遊戯,これらにかかわる広い範囲での技能のことであった。ただし,このうち抽象的な言語である巧は,今日いうところの工芸技術をも含む,工作に関する技能を意味していた。《周礼(しゆらい)》によれば,巧とは,知者が創造した物(器物)をたくみに述べ,守る技能であった。…
※「技術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」