コンテンツにスキップ

九条良経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

凡例

九条 良経
天子摂関御影』九条良経(後京極摂政)
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 仁安4年(1169年)3月
死没 元久3年3月7日1206年4月16日
別名 後京極摂政、中御門摂政
官位 従一位摂政太政大臣
主君 高倉天皇安徳天皇後鳥羽天皇土御門天皇
氏族 九条家
父母 父:九条兼実、母:藤原兼子(藤原季行の娘)
兄弟 良通良経任子良円良平良快良輔、良尋、良海、良恵、玉日
一条能保の娘、藤原寿子(松殿基房の娘)
左馬助政綱の娘、大膳大夫信成の娘
立子慶政道家教家基家、良尊、道慶
養子:良平
テンプレートを表示

  2殿 

[]


3117921185[ 1]411886119511

1199212031241204312063738

[]


4

1201殿殿

91    

[]




11793417826殿109

11804421

1182124

1182寿1117

1183寿217

11851231220

118527216120

118712621215

11873123

1188416

1189548710

119051230

1190718

119561141112

11989119

1199622

1203211271225

12044151116127

12051541214

12052427

120633738

[]




 - 

1167-1200 - 
1193-1252

1194-1255

1192-1248 - 

寿?-1222 - 殿
1203-1280 - 

 - 






 - 


関連作品[編集]

テレビドラマ

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『玉葉』文治5年11月11日条によれば、「良経」の名前が刑人(犯罪者)となった源義経と同じ読みになることから、兼実は良経を改名させるべきと考えて兄・良通の諱を選んだ藤原長光(永光)に改名案を出させているが、最終的には行われなかった[1]

出典[編集]

  1. ^ 柳川響「藤原長光と泰山府君都状-『玉葉』を中心に-」小原仁 編『変革期の社会と九条兼実 『玉葉』をひらく』勉誠出版、2018年。ISBN 978-4-585-22217-0

参考文献[編集]


1976

1976

︿231975

 1976

︿2020

︿2012

[]