国鉄60系客車

日本国有鉄道(国鉄)木造客車を改造した客車の形式群

国鉄60系客車(こくてつ60けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1949年(昭和24年)から木造客車を改造して鋼製客車とした客車の形式群である。このグループを総称する形で鋼体化改造車(こうたいかかいぞうしゃ)とも呼ばれる。

オハフ61 182(1985年)
オハフ61 791(1984年)

製造の背景

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194722225 - 1842[1]

192722010,800611948231011,3235,924 (52.3%)[]

使[1][2][]

1910192020[3]使19493使稿[2]

CTSCivil Transportation Section19491950[3]

CTS[3]

[4][][5]50940063,300[]

19522760No.131952819492444194911pp.15 - 17稿

17m19493,2913,292822[2][4]

CTS[5]194924CTS[]

54%[2]55%[]

60便60

構造上の特徴

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61便使便便



TR11AAV調

台枠

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1919819272,800 mm[6]UF12UF152200019176UF12TR1119209[6]

217 m1929420 m20 m191043191982,500 - 2,600 mm[7]UF1144

220 mUF120UF127

8

17m41520m4

6060 1 - 16使[7]195631117127UF11TR10使[8]171271914192413[8]61 77427703[8]

17 m (UF12)  (UF15UF16) 2860使[9][9][8]

使[]195361 37920 m2840033ABUF41UF42

192514

台車

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TR13形台車。TR11形に準ずる基本構造を持つが、荷物車用のため、大荷重に備え強化されている

TR11[10]TR11調20 m []

[11]63TR11使[12]

使6060TR13使[12]

6042TR40TR40B[12]

連結器

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使[13]192514[13][13]

[13]602[]

暖房装置

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7060[9]17 m20 m195025

車体

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20 m19,370 mm17,500 mm840 mm95 mm[14]UF219UF220使20 m19,500 mm[14]

19,370 mm60使195090 mm使[15]UF219220606019,500 mm使[15]

接客設備

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古風なデザインが残るオハユニ61の客室網棚
 
オハユニ61の座席脚台。座席の背もたれはモケットもクッションもない板張り

43

12 mm 10 mm [][10]21[11]

6060700 mm351 mCTS[16][17]231870mm660mm35800mm740mm[]

[]

19501,000 mm[18]60700mm[18]

3220 m 88 (1,335 mm )1968088調311,300mm

便4[12]

[13]

優等列車向け車両

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63使43TR11TR23TR23TR52

25060 (TR4047) 606150

製造とその過程

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194924195631







[14][15]194924602700 mm31950253511,000 mm61262



601650[7]

1951265300 %[16]使454258[19][4]便61[20]

17m20m20m1953便19488,26919497,91419507,63119517,437[21]使195114350[22]

1952276使使[23][23]

19551956593,534615010使[20]196593201979

60

運用

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臨時急行「いよ52号」機関車次位にオハフ61が入った編成(1985年)。標準客車に比べ客室側窓が1ボックス分多いことで鋼体化客車と識別できる



1960354360[]

198560152西611768200511p.3p.55DE106131985605261

6060[24]

系列

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三等車(本州以南向け)

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オハ60形

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194924195025390 (1 - 390) 96700 mm23

1096010001563使
> 番号新旧対照

オハフ61形

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オハフ61 2751 会津若松駅(1981年)車端にある車掌室の側から見る

1950795 (1 - 795) 88351,000 mm[25][26]42

[17]194722[25]

1,000 mm1,000 mm380 mm1951380 mm[27][25]

便43便7001

21611500264196561 (370 - 379) 262 (31 - 40) 
> 番号新旧対照

オハ61形

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オハ61 2717 会津若松駅(1981年)

19511,052 (1 - 1052) 9661611,000 mm[28]

11461619261150071611000564
> 番号新旧対照

三等車(北海道向け)

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195060700 mm195162

使使

オハフ60形

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19502570881 m611 m

197449190
> 番号新旧対照

オハ62形

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1951130611,000 mm61[29]60[29]

640451974190
> 番号新旧対照

オハフ62形

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19543061621,000 mm[30][30]

54561 (370 - 379)  (31 - 40) 62
> 番号新旧対照

優等車(グリーン車)

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当初から優等車として製造されたスロ60形・スロ50形と、後年オハ61から改造されたもの、および和式客車がある。

スロ60形

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195030GHQ ()424432[31]

60[31]GHQ11413[32]

222441,000mm

便17002

TR40

6 (13 - 18) 100113 - 118+100

50
> 番号新旧対照

スロ61形→スロ50形

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1950106150[26]

6048700便25152

60503637
> 番号新旧対照

計画のみの形式

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木造二等車の代替用としてリクライニングシートを装備しない三等合造車「オロハ61形」が計画されていたが、戦時中に三軸ボギー優等寝台車を三等客車に格下げ改造したマハ47形を元に、二・三等合造客車のスロハ38形に再改造する方が改造費用が安いために増備策として選択され、鋼体化改造車としての実際の増備には至らなかった。[要出典]

座席郵便荷物合造車(本州以南用)

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座席郵便荷物合造車は当初の計画では17m級のままでの鋼体化が計画されたが、結局全形式とも20m級として改造工事が実施された。

オハユ61形

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3等座席郵便合造車で、1955年に11両が鋼体化改造により製造された。

オエ61形に改造された1両を除き、1967年 - 1973年の間に全廃された。

> 番号新旧対照

オハユニ61形

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オハユニ61 107(碓氷峠鉄道文化むらに保存)

3便1952195613019516便

3便3106便

1960198421061072使1987107107
> 番号新旧対照

オハユニ63形

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3等座席郵便荷物合造車で、オハユニ61形と異なり、郵便室・荷物室が共用構造となっている。1954年に40両が鋼体化改造により製作されたが、1960年から1962年にかけて全車マニ60形に改造された。

> 番号新旧対照

スハニ61形→オハニ61形

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1950年 - 1955年に475両が鋼体化改造により製造された3等座席荷物合造車。荷物室の荷重は5 tでス級であったが、ローカル線での牽引両数確保に問題があるため、1954年に4 tに削減され、全車がオハニ61形に形式変更された。形式変更以降の製造車は当初からオハニ61形。

この形式のうちの14両(501 - 514) は、北海道向け車として1重窓ながら蓄電池の大型化などの対策を実施の上で製造されたが、1重窓であったことなど耐寒耐雪が徹底されていなかったことが災いし、登場後数年で水戸や秋田などに転属したものが存在した。車掌用の後部確認窓がなく、後部標識灯が高い位置に設置された車両が存在している。

> 番号新旧対照

オハニ63形

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43TR11631955195630431950TR23[33]
> オハニ63形番号新旧対照

座席郵便荷物合造車(北海道用)

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スハユニ62形

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61195220611 - 105[34]

606162 101984
> 番号新旧対照

オハユニ64形

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オハユニ63の北海道向け車で、1954年に10両が鋼体化改造により製造されたが、1962年・1963年に全車マニ60形(電気暖房付2000番台)に改造され、本州各地に転属した。

> 番号新旧対照

スハニ62形

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スハニ61形の北海道向け車で、1952年から1956年の間に45両が鋼体化改造により製造された。

> 番号新旧対照

郵便・荷物車

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17m20m

便4便61便便便[35]

オユ60形

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郵政省所有の郵便車で、1950年に2両が鋼体化改造により製作された。1955年に、全車がオユ61形と同構造に改造され、オユ61形に編入された。

> 番号新旧対照

オユ61形

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郵政省所有の郵便車で、1952年に2両が鋼体化改造により製作された。1955年にオユ60形改造車が編入された。

> 番号新旧対照

スユニ60形

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便1954195567便4t6t

20201 - 218301 - 302301 - 302UF15UF219301 - 30225760UF16UF220
> 番号新旧対照

マニ60形

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荷重14トンの荷物車で、565両が製造された。当初から鋼体化改造により全室荷物車として製造されたグループと、1960年以降に鋼体化客荷合造車などから全室荷物室化改造で編入されたグループに大別される。最終的には合造車改造グループの方が多数派となった。

当初は1953年から1955年の間に205両が鋼体化改造により製造され、このグループは狭窓が多用されているのが外観上の特徴である。

本州向け長形台枠車 (1 - 44) 、青函航送用魚腹台枠車 (201 - 240) 、北海道内用魚腹台枠車 (241 - 245) 、本州向け魚腹台枠車 (301 - 307, 351 - 459) がある。スユニ60形同様に魚腹台枠は2種類存在し、301 - 307がUF220形、それ以外がUF219形である。

改造車

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特別二等車への格上げ車

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オロ61形・オロフ61形

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1959196261[36]196032

6050[]

便便11441,335mm1,270mm1,160mm110mm[18][]

10TR52A

106050 - 54611061[]

[19]

61
612000961001561

> 

61
616161

> 

冷房化改造による形式変更

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スロ62形・スロフ62形

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スロ62 2052
 
スロ62 2056

61615[20]

26262

62500 (501 - 506) 
> スロ62形番号新旧対照
> スロフ62形番号新旧対照

電気暖房設置による形式変更

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スハニ64形

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オハニ61形の電気暖房取付け改造車。改造による自重増で重量等級が変更されたために、別形式が起こされた。

> 番号新旧対照

和式客車への改造車

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オハフ80形→オロフ80形

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国鉄初の団体用和式客車スハ88形(1960年に3軸ボギー式客車を改造)に続いて、1961年にオハ61から改造された和式客車。1両が製作され、主として定期旅客列車に団体用として増結する形で運用された。改造当初は普通車扱いだったが、1972年にグリーン車に改形式された。1975年3月に廃車となった。なおオハフ80形にはこれ以外に35系客車からの改造車もある。

> オハフ80形番号新旧対照
> オロフ80形番号新旧対照

スロ81系和式客車

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スロフ81形(川中島駅)

62621972478181[37]62197062

便便62622000

[37]81816使[38]15122[38]

19838

128161986126JR198919907

スロ81形

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スロ81形は1972年から1980年にかけて28両が改造された。種車にはスロ62形26両のほかスロフ62形2両も含まれている[37]

> スロ81形番号新旧対照

スロフ81形

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スロ81形に対応する緩急車で、スロフ62形を種車に14両が改造された[37]。緩急車となった以外はスロ81形とほぼ同一である[39]

> スロフ81形番号新旧対照

緩急車化改造車

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オハフ61形1000番台

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オハフ61 3044(1981年)車掌室がデッキの内側

オハ61形に緩急車化改造を施し、オハフ61形に編入したもの。1965年から1966年(昭和41年)の間に71両 (1001 - 1071) が改造された。定員は0番台車と変わらないが、車掌室が乗降デッキの内側に設置されているため、外観は0番台車と異なる。のちに、2両が1500番台に改造された。

> 番号新旧対照

台車振替車

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オハニ36・スハニ37形

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オハニ36 7

63TR11[21]19561957使TR50TR52363637
> オハニ36形番号新旧対照
> スハニ37形番号新旧対照

マニ61形

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マニ61 354

60TR113232TR23196419674132563235

1960323260[]

 (1 - 2007)  (101)  (201 - 212) 301 - 303351 - 2368
> 番号新旧対照

通勤形改造車

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オハ60形1000番台

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オハ60形のセミクロスシート化改造車で、1963年(昭和38年)から1965年(昭和40年)の間に109両 (1001 - 1109) が製作された。洗面所と出入台付近の座席8ボックス分(前後4ボックスずつ)が撤去され、この部分にロングシートが設置された。この改造により、定員が120名(立席を含む)となった。

> 番号新旧対照

オハ61形1500番台

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0番台車にオハ60形1000番台と同様の改造を施したセミクロスシート車で、1965年から1968年(昭和43年)の間に92両 (1501 - 1592) が改造された。

> 番号新旧対照

オハフ61形1500番台

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1500番台 (1501 - 1523) は0番台車と1000番台車にセミクロスシート化改造を施したもので、1965年から1968年の間に23両が改造された。種車の内訳として、0番台車を改造したものが21両(1501 - 1519・1522・1523)、1000番台車を改造したものが2両(1520・1521)となっている。改造法は、他のセミクロスシート改造車と変わらないが、車掌室があるため、定員は112名となっている。

> 番号新旧対照

オハ63形

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通勤用として、オハ60形の座席を全てロングシートに改造し、吊革を設置したものである。デッキとの仕切り壁は存置され、客室側に灰皿(計4箇所)を備える。仕切扉(通路幅)も拡大されていない。1963年より15両が製作された。一部の車輌は、座席が車端まで設置されていないのが確認されている。

和田岬線用改造車(オハ64系)

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オハ64ホーム側
 
オハ64車内

 - 使30312196961[40][41]

DD13DE10[42]1987西JR西 (JR) 199093535300[43]

オハ64形

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64615[40]120

20便[43]1,500 mm[44][40]2[43]

TR11TR23[43]TR11[?]

1973[43]5[40][44]

オハフ64形

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6464612[43][45]111

641973[46]5[46]4[46]

郵便・荷物車の改造車

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マニ60形(合造車改造車)

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マニ60 103

1960年から1972年の間に合造車の改造編入により360両が改造されたもので、改造種車の広窓が残っているのが外観上の特徴である。以下のようなものがある。

  • オハユニ63形改造車 (2051 - 2090) 、オハユニ64形改造車 (2091 - 2100)
  • オハニ61・スハニ62形改造車(2101 - 2200・2501 - 2570・2573 - 2575・2578 - 2585・2587 - 2603・2605 - 2640・2651 - 682・2687・2688・2693 - 2695)
  • オハユニ61・スハユニ62形改造車(2571・2572・2576・2577・2586・2604・2641 - 2650・2683 - 2686・2689 - 2692・2696 - 2699・700 - 707)
  • スユニ61形改造車 (711 - 713)
> 番号新旧対照

マニ36形300番台

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マニ36 305

1966237501 (331) 6011302 - 3281967TR47TR2330330 48
> 番号新旧対照

マニ37形

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マニ37 2014

19673715508342005 - 20106012122011 - 2020TR47TR231 - 41

1 - 4197414201 - 204
> 番号新旧対照

スユニ61形

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スユニ61 2012

客荷合造車などの改造により製造された郵便荷物合造車で、1965年から1968年間に90両が製造された。荷重は、郵便室5t・荷物室5tである。オハニ61から改造された基本番台 (1 - 49) のほか、TR23形を装着した100番台(101 - 2120:オハニ61・オハユニ61形改造)、500番台(501 - 516:オハニ61・スハニ62形改造)がある。

300番台 (301 - 305) は、43系に属するスロフ53形からの改造であるため、鋼体化客車ではない。

> 番号新旧対照

事業用車への改造車

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オヤ33形

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ED75形電気機関車用の教習車。オハニ36・スハニ37形の改造で53 - 56の4両である。

> 番号新旧対照

オヤ60形

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職員輸送用の職用車。オハフ61形の改造で1 - 5の5両である。

> 番号新旧対照

オヤ61形

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オヤ61形へは3両が改造された。1は門司局の信号機器教習車でオハユニ61形の改造、2は長野局の信号機器教習車でオハフ61形(オハ61形改造)の改造、2021は金沢局のEF81形電気機関車用教習車でスロフ62形の改造である。

> 番号新旧対照

スヤ61形

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スヤ61形 (スヤ61 2001) は鉄道労働科学研究所の試験車で、スロフ62形の改造である。

> 番号新旧対照

オヤ62形

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オハニ61形改造の工事用宿泊車で、オヤ61 1, 2の2両である。

> 番号新旧対照

オヤ90形

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62 12760 48

1972使197462 12760 160 4860 2[47]90 1[48]90 2[48]

 - [47]

1978[48]961200[47]
> 番号新旧対照

オル60形

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オル60形はマニ60改造の配給車で、オル60 1の1両である。

> 番号新旧対照

オエ36形

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オエ36形はオハニ36形改造の救援車で、オエ36形1 - 3の3両である。

> 番号新旧対照

オエ61形

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オエ61 67(豊富駅前に保存)
オエ61 309

61 (1 - 39, 41 - 101, 308, 601)61616162616160616036603760[49]

JR61 146721990[48]
> 番号新旧対照

新幹線939形

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939-202は新幹線用の工事用宿泊車で、1983年にスロ62形から改造。JR東海に引き継がれ1994年に廃車。

> 番号新旧対照

気動車への改造車

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キハ08 3(加悦SL広場、2005年)

[50]

6240624561456245[50]196019621440450809[50]

使1971[50]08 3[50]

改造工事

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スロ50・60形の近代化改造

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スロ50形とスロ60形は1957年度から1959年度にかけて近代化改造が施工された[51]。改造内容は室内灯の白熱灯から蛍光灯への交換、窓のアルミサッシ化、車内の化粧板交換などである[51]

電気暖房設置改造

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1959[51]1 t0.5 t36376164[51]2000[51]

[51]

東海顔前頭部の前面強化試験車

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60 14414521963165使[51]D51[51][51]

遠隔制御試験車

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197161 2559[50]19719[50]

「ふるさと列車 おくのと号」用改造

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1970 604[50]61 263061 226643510314[50]61 436調61 1031[50]

601970[50]使

「日立ポンパ号」用改造

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1970年にオハフ61 2028・2068・562とオハユニ61 72・74の5両が「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーン列車「日立ポンパ号」用に改造され、全国を巡回した[50]

JRへの承継・他社譲渡車

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本系列では、2両のオハニ36形が動態保存されている。

JR北海道

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北海道旅客鉄道(JR北海道)には救援車オエ61形のうちオエ61 14・67の2両が承継されたが、1990年度に廃車となった[48]

JR東日本

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動態保存されたオハニ36 11(高崎駅、1989年)

JR36 1143[52]

2011C61 20[53]LED

JR西日本

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西日本旅客鉄道(JR西日本)には和田岬線の定期列車用としてオハ64系が承継され、1990年の気動車化まで運用された[54]。運用末期はスハ43系も一般車のまま連結されることがあった[54]

大井川鐵道

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国鉄で廃車となったオハニ36 7が日本ナショナルトラストの所有となり、大井川鐵道で保存運転に使用されている。

保存車

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各地で静態保存されたり、店舗や倉庫等に利用されたりしているものがある。

60系客車静態保存車一覧
画像 番号 所在地 備考
  オハ62 91 北海道紋別郡湧別町計呂地2620
計呂地交通公園
(旧計呂地駅跡)
C58 139およびスハ45 17と連結され、夏期には簡易宿泊施設として営業する。
以前は左写真のように青色に塗装されていたが現在ではぶどう色に塗り直されている。
  スユニ60 218 北海道空知郡上砂川町中央北1条1丁目
上砂川駅跡(悲別駅)
オエ61 301 北海道旭川市 市内の自動車整備会社に保存されている[55]
オハフ61 2527 宮城県柴田郡柴田町船岡中央1丁目
船岡駅前緑地
ED71 37と連結されている。
  オハフ61 2752 福島県喜多方市熱塩加納町熱塩
日中線記念館
(旧日中線熱塩駅跡)
  オハユニ61 107 群馬県安中市松井田町横川
碓氷峠鉄道文化むら
  オハ61 930 奈良県天理市田井庄町
田井庄池公園
D51 691と連結されている。
マニ60 2387 広島県廿日市市大野387-3
ちゅーピーパーク
敷地内で倉庫として利用
  オハ61 1030 福岡県北九州市小倉北区金田3丁目1-1
九州旅客鉄道小倉総合車両センター
D51 542と並べられているが、台車以外の床下機器は撤去されている。
当初は塗色を変更し記念資料館として使用されていたが、現在はぶどう色に戻され車内は公開されていない。
保存後に解体された車両
  オエ61 67 北海道天塩郡豊富町豊富西3条7丁目
豊富駅
2024年4月、解体された[要出典]
オハ62 95 北海道釧路市阿寒町
炭鉱と鉄道館
2007年10月解体。台車のみが同所に残っていたが、別の保存車両と組み合わせて使用するために2020年に岩手県遠野市へ移動。
スユニ60 301
オハ62 76
北海道広尾郡大樹町寿通一丁目
広尾線大樹駅
2000年頃解体
オハ62 94 北海道河東郡上士幌町上士幌町鉄道記念館
(旧士幌線上士幌駅
2010年6月頃解体
オエ61 80 北海道旭川市 1995年時点では現存[55]。解体時期不明
オエ61 71
オエ61 59
北海道深川市 解体業者で保管されていたが、2009年頃解体された。
オハフ61 3055 福島県郡山市
JR東日本郡山総合車両センター
2002年解体
  オハフ61 2542 群馬県高崎市 高崎駅前に設置され当初は喫茶「ヴォワチュール」、のちに「ジパング倶楽部高崎」として使用された。
オヤ62 11
オヤ62 12
三重県松阪市大津町
レジャー施設ポッポーパルコ
カラオケハウスとして使用された。2004年3月解体。
スロフ81 2111 大阪府大阪市淀川区
JR西日本宮原客車区
1996年2月29日解体[56]
スロ81 2122 兵庫県加古川市
健康ひろば加古川
敷地内でサシ581とともにレストラン(すし屋→お好み焼き屋)として利用される(2008年解体)
オハ61 1549
オハ61 1570
愛媛県喜多郡五十崎町
吉田ホテルWHEEL
2007年5月解体

脚注

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注釈

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(一)^ 19472419499

(二)^ 西1911

(三)^ 177196511p.271949334083%28222000NHK

(四)^ 506219349 - 194419

(五)^ 319803418037050519399194015

(六)^ 201002050020600208502130022000240002200020 m32AB17 m2

(七)^ 18230182601800018430185001130011600100001200013000

(八)^ 195217 m[]20 m

(九)^ 20 m使  : Discussion PaperNo.88201541pp.15-16[]

(十)^ 

(11)^ []

(12)^ 

(13)^ 

(14)^ 194823103,2981,720

(15)^ 194823103972528退

(16)^ 1925180mm27I19517pp.28 - 29

(17)^ ()()1954[]

(18)^ 1,160mm19505360JR[]

(19)^ 210111975

(20)^ 54

(21)^ TY 8(No.6719572pp.16 - 17殿634335TR1190

出典

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  1. ^ 鉄道保安要史その6 1986, p. 118
  2. ^ a b c 井澤克己 1949, pp. 15–17.
  3. ^ a b 鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.1
  4. ^ a b 宮島三郎「木製客車鋼体化と客車事情」『国鉄線』1952年7月号、交通協力会、pp.6 - 7
  5. ^ 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.1 - 2
  6. ^ 瀬古龍雄「木製客車通観(6)」『鉄道ピクトリアル』1956年1月号、鉄道図書刊行会、p.23
  7. ^ a b 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.2
  8. ^ a b c 瀬古龍雄「木製客車通観(終)」(『鉄道ピクトリアル』1956年9月号、鉄道図書刊行会、p.40
  9. ^ a b 岩崎清、ほか「鉄道技術の進展 1953」『交通技術』増刊第94号、交通協力会、1954年6月、p.11
  10. ^ 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.102
  11. ^ 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.103
  12. ^ a b c 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.104
  13. ^ a b c d 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.131
  14. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.107
  15. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.133
  16. ^ 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.5
  17. ^ 『鉄道データファイル』111号、デアゴスティーニ、2006年4月、p.1
  18. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 上巻』p.113
  19. ^ 『交通年鑑 昭和27年度』交通協力会、1952年、p.151
  20. ^ a b 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.3
  21. ^ 土井厚「ディーゼル・カー増発について」『国鉄線』1953年11月号、交通協力会、p.17
  22. ^ 土井厚「年末の荷物輸送」『国鉄線』1953年12月号、交通協力会、p.3
  23. ^ a b 岡田誠一「鋼体化客車 車両の歩み 前編」『鉄道ピクトリアル』700号(2001年5月号)、電気車研究会、pp.22-23
  24. ^ 『鉄道データファイル』107号、デアゴスティーニ、2006年3月、p.7
  25. ^ a b c 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.160
  26. ^ a b 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【前編】」『鉄道ピクトリアル』2001年5月号、p.17
  27. ^ 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.161
  28. ^ 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.150
  29. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.156
  30. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.165
  31. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.143
  32. ^ 『国鉄線』1951年9月合併号、交通協力会、p.22
  33. ^ 『鉄道ピクトリアル』700号(2001年5月号)、電気車研究会、p.29
  34. ^ 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【前編】」『鉄道ピクトリアル』2001年5月号、p.24
  35. ^ 『鉄道データファイル』285号、デアゴスティーニ、2009年8月、p.19
  36. ^ 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.11
  37. ^ a b c d 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.13
  38. ^ a b 岡田誠一『国鉄鋼製客車I』2011年、p.182
  39. ^ 岡田誠一『国鉄鋼製客車I』2011年、p.185
  40. ^ a b c d 岡田誠一 2008, p. 191.
  41. ^ 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.15
  42. ^ 和田岬線のオハ64 RMMスタッフ徒然ブログ、2006年4月8日。
  43. ^ a b c d e f 岡田誠一 2011, p. 62.
  44. ^ a b 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.235
  45. ^ オハフ64 随時アップ:消えた車輌写真館(鉄道ホビダス)、2013年3月8日。
  46. ^ a b c 岡田誠一 2008, p. 195.
  47. ^ a b c 三橋・葛・藤本『オハ61形の一族 下巻』p.254
  48. ^ a b c d e 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.23
  49. ^ 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.24
  50. ^ a b c d e f g h i j k l 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.26
  51. ^ a b c d e f g h i 岡田誠一「鋼体化客車 車両のあゆみ【後編】」『鉄道ピクトリアル』2001年6月号、p.25
  52. ^ 「平成〜令和の旧形客車」『鉄道ピクトリアル』2021年7月号、p.112
  53. ^ 『鉄道ジャーナル』通巻537号、p.116
  54. ^ a b 「平成〜令和の旧形客車」『鉄道ピクトリアル』2021年7月号、p.108
  55. ^ a b 鉄道ファン』1998年1月号(通巻441号)、交友社、p.112
  56. ^ 『鉄道ファン』1996年7月号(通巻423号)、交友社、p.148

参考文献

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19491119491115-17 

  10  19502006

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 19518 No.2 pp.34 - 37

 6019528 No.13 pp.40 - 43

 19521011 No.1516 pp.44 - 53

20015 No.700 60 (I)

20016 No.702 60 (II)

20217 No.987 

便 502004

32<32800> :  ︿ 32007

61  72009

61  72010

I3143JTB︿200812ISBN 978-4-53307318-2 

 196119908442011256-65 

関連項目

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