青山学院大学
青山学院大学 | |
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間島記念館(2011年4月) | |
大学設置 | 1949年 |
創立 | 1874年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人青山学院 |
本部所在地 |
東京都渋谷区渋谷四丁目4番25号 北緯35度39分37.3秒 東経139度42分34.5秒 / 北緯35.660361度 東経139.709583度座標: 北緯35度39分37.3秒 東経139度42分34.5秒 / 北緯35.660361度 東経139.709583度 |
学生数 | 20,285 |
キャンパス |
青山(東京都渋谷区) 相模原(神奈川県相模原市中央区) |
学部 | |
研究科 |
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ウェブサイト |
www |
大学ランキング | |
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全世界 | |
QS[1] | 1201-1400 |
アジア | |
QS (全世界版)[2] QS (Asia version)[3] |
351-400 |
概説
編集大学全体
編集校名の由来
編集青山学院の創立者たち
編集-
女子小学校(海岸女学校)を創立したドーラ・E・スクーンメーカーの石碑
-
耕教学舎を創立したジュリアス・ソーパーの石碑
-
美會神学校を創立したロバート・S・マクレイ(初代学院長)の石碑
1870年代に創設された3つの学校は、移転・校名変更・合同など様々な変遷を遂げながら 1927年に男女の教育機関としての「青山学院」を形成した。源流の3校を開校した3名の宣教師が、青山学院の直接的な創立者である。
なお、3人は帰国後それぞれにカリフォルニア州ロサンゼルス市で布教活動を続けた後、晩年を迎え、同市の墓地に眠っている。現在、それぞれの墓所は、青山学院校友会ロサンゼルス支部が墓守の役割を担い、毎年11月の創立記念日に近い土曜日に同支部の有志が墓参している。学院長、校友会長、理事長、大学学長らが日本から来て墓参に加わることもある[16]。
教育および研究
編集沿革
編集略歴
編集大学昇格の遅れ
編集神学教育の盛衰
編集戦前
編集氏名 | 在任期間 | 備考 |
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ロバート・S・マクレイ | 1883年 - 1887年 | 東京英和学校総理との兼任 |
G・カクラン | 1888年 - 1889年 | |
M・S・ヴェイル | 1889年 - 1892年 | |
ジョン・ワイア | 1892年 - 1896年 | |
ベンジャミン・チャペル | 1896年 - 1901年 | |
ジュリアス・ソーパー | 1901年 - 1908年 | |
A・D・ベリー | 1908年 - 1931年 | 1908年から15年まで神学科長 |
阿部義宗 | 1931年 - 1937年 | 1933年から院長兼任 |
大村勇 | 1937年 - 1939年 | |
渡辺善太 | 1939年 - 1943年 |
戦後
編集年表
編集年表 | 沿革 |
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1872年 | 米国メソジスト監督教会、伝道局会議で日本伝道開始を決議[51] |
1873年 | ロバート・S・マクレイらが来日し、日本宣教部を設立[52] |
1874年 | 麻布に女子小学校設立 |
1875年 | 女子小学校を救世学校に改称 |
1877年 | 救世学校を築地に移転し海岸女学校へ改称 |
1878年 | 築地に耕教学舎設立 |
1879年 | 横浜に美會神学校設立 |
1881年 | 耕教学舎が東京英学校と改称 |
1882年 | 美會神学校を東京英学校に合同 |
1883年 | 東京英学校が赤坂区青山南町の官園跡地(現在地)へ移り、「東京英和学校」と改称[53] |
1888年 | 海岸女学校の上級生を青山に移し、東京英和女学校と改称 |
1891年 | 英語師範科を開設[54] |
1894年 | 東京英和学校を青山学院に改称 青山キャンパスに神学部・普通部(高等普通学部・英語師範科・予備学部)を設置 海岸女学校を閉鎖し、東京英和女学校に合同 |
1895年 | 東京英和女学校を青山女学院に改称。神学部・普通学部(高等科・予備科・普通科)手芸部、幼稚園を置く |
1899年 | 幼稚園を閉園 青山女学院手芸部が独立し、青山女子手芸学校となる |
1900年 | 尋常中学部を中等科、高等普通学部を高等科と改称[55] 高等科卒業生の英語科中等教員無試験検定を認可される[56] |
1901年 | 高等科が徴兵猶予の特典を得る[55] |
1904年 | 青山学院高等科・神学部は専門学校の認可を受ける 青山女学院英文専門科は専門学校の認可を受ける |
1906年 | 青山学院財団法人設立 校旗と校章を制定[57] 「青山学院大学部設立の趣旨」を発表[58] |
1908年 | 神学部を神学科と改称[59] |
1912年 | 閉鎖された東京クリスチャン神学校の学生が青山学院神学科に編入[60] |
1914年 | 青山女子手芸学校を青山女学院に合同 関西学院神学部教授会との共同編集で『神学評論』を創刊(1941年終刊)[61] |
1915年 | 神学科を神学部、高等科を高等学部、中等科を中学部と改称[62] |
1916年 | 高等学部人文科・英語師範科・実業科を設置[62] |
1918年 | 勝田銀次郎の寄付により高等学部校舎(勝田館)落成[63] |
1920年 | 青山学院理事会、大学設置案を可決(関東大震災により計画停止)[64] |
1922年 | 人文科を廃し、英文科を設置する[65] |
1923年 | 聖学院神学校を吸収統合する[66] 関東大震災により大講堂、高等学部、中学部、神学部の各校舎大破 |
1925年 | 高等学部英文科を文科、実業科を商科と改称し、修業年限を4年とする[67] |
1926年 | 高等学部校舎、同学部講堂、中学部校舎竣工[68] |
1927年 | 青山女学院を青山学院に合同(青山学院は神学部、高等学部、中学部、高等女学部(専攻科・本科)を置く) |
1928年 | 神学部に女子部を設置[69] |
1929年 | 高等学部と神学部の総合名称を「専門部」と定める[69] 間島記念図書館落成 |
1931年 | 神学部校舎竣工[70] |
1933年 | 高等女学部の専攻科(家政科)は専門学校の認可を受け、女子専門部(家政科)と改称 創立50周年記念祝賀式を開催、駐日米国大使などが祝辞[71] |
1934年 | 玉川運動場を開設[72] |
1935年 | 高等学部を文学部と高等商業学部に改組し、文学部に英文科、英語師範科、高等商業学部に商科を設置(高等学部の名称廃止) |
1937年 | 関東学院神学部を吸収統合する 御真影奉戴式を挙行[73] |
1940年 | 皇紀二千六百年奉祝全国基督教信徒大会を開催 |
1941年 | 日米関係悪化により青山学院在勤の外国人宣教師が本国に帰国[74] 青山学院報国隊を結成[75] |
1942年 | 青山学院財団法人を財団法人青山学院に変更 『青山学院報』で大学設置案を発表(同年秋の理事会により計画停止)[76] |
1943年 | 神学部を閉鎖[注釈 6] 教員人事問題に端を発する学内混乱により笹森順造院長辞任[77] 出陣学徒壮行会に参加[78] |
1944年 | 専門部(文学部、高等商業学部)を閉鎖し、明治学院専門学校に合同 青山学院工業専門学校(航空機科・発動機科・土木建築科)を開校 |
1945年 | 5月25日の空襲により校舎・諸施設の約7割が罹災する[79] |
1946年 | 青山学院工業専門学校から青山学院専門学校と改称 青山学院専門学校に英文科・経済科・機械科・土木建築科を設置 女子専門部を青山学院女子専門学校に改称 米海軍第7艦隊横須賀基地第4代司令官であるデッカー大佐が、従軍牧師のリッカーを介しキリスト教学校を通じた平和と民主主義の教育を提案 神奈川県横須賀市に古坂嵓城が分校の設立を決定 |
1947年 | 海軍工機学校の設備を利用し、青山学院横須賀分校専門部機械科・土木建築科を設立 |
1948年 | 高等部、女子高等部(1952年廃止)、第二高等部(横須賀分校)が設立される 東京農業大学常磐松校地その他を購入[80] |
1949年 | 青山学院大学開学、文学部英米文学科・基督教学科、商学部商学科、工学部機械専修、土木専修を設置 渋谷キャンパス復興で維持困難のため、横須賀分校を閉鎖 |
1950年 | 工学部を関東学院大学へ譲渡 横須賀分校跡地を地元教会関係者に譲渡 文学部第二部英米文学科、文学部教育学科、第二部教育学科、第二部基督教学科、商学部第二部商学科を設置 |
1951年 | 「財団法人青山学院」を「学校法人青山学院」に組織変更 |
1952年 | 大学院文学研究科を設置 |
1953年 | 商学部を経済学部(商学科・経済学科・第二部経済学科)に改組 大学院経済学研究科、基督教学専攻科を設置 |
1954年 | 関西学院大学神学部との間に交換教授制度を設ける[81] 桜新町グラウンドを開設[82](1958年売却) |
1956年 | 基督教学専攻科を廃止 |
1959年 | 法学部(法律学科)を設置 |
1960年 | 学生の政治活動を禁ずる「三公示」を掲示[44] |
1961年 | 基督教学科を神学科に改組、第二部基督教学科を廃止 大学院法学研究科を設置 綱島グラウンドを開設[83](2001年閉鎖)[84][85] |
1962年 | 文学部フランス学科を設置 現在の青山キャンパス正門が竣工 11月、第17代駐日米国大使のエドウィン・ライシャワーが講演のため来校[86] |
1963年 | 法学部法律学科を私法学科・公法学科に改組 神学科後援会を設立[87] |
1965年 | 廻沢キャンパスを開設 理工学部(物理学科・化学科・電気電子工学科・機械工学科・経営工学科)を設置 |
1966年 | 商学科を移行し、経営学部(商学科・経営学科・第二部商学科・第二部経営学科)を設置 文学部日本文学科を設置 |
1968年 | 文学部史学科を設置 青学全共闘が「三公示」撤回を要求して大学をバリケード封鎖(翌年「三公示」撤回)[45] |
1969年 | 大学院理工学研究科修士課程を設置 |
1970年 | 大学院経営学研究科を設置 |
1971年 | 大学院理工学研究科博士課程を設置 廻沢キャンパスを世田谷キャンパスに改称 東京神学大学除籍者の文学部神学科への編入学をめぐって文学部教授会と理事会が対立し、学長が抗議辞職する[45] |
1973年 | 経営学部商学科・第二部商学科を廃止 |
1974年 | 青山学院創立100周年記念式典を挙行[88] |
1977年 | 文学部神学科を廃止 |
1980年 | 新校地として神奈川県厚木市の厚木ニューシティ森の里の一角を購入[89] |
1982年 | 厚木キャンパスを開設 国際政治経済学部(国際政治学科・国際経済学科)を設置 |
1986年 | 大学院国際政治経済学研究科を設置 |
1987年 | 国際政治経済学部国際経営学科を設置 |
1990年 | 大学院国際政治経済学研究科に国際ビジネス専攻修士課程(夜間)を設置 |
1992年 | 前ソ連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフ夫妻が大学主催の学生対話集会のため来校[90] |
1994年 | ドイツ連邦前首相ヘルムート・シュミット、中国国家副主席栄毅仁が 青山学院創立120周年記念シンポジウムのため来校[91] |
2000年 | 理工学部機械工学科・経営工学科を機械創造工学科・経営システム工学科・情報テクノロジー学科に改組 |
2001年 | 文学部教育学科心理学専修コースを文学部心理学科へ改組 法学部私法学科・公法学科を法学部法学科へ改組 専門大学院国際マネジメント研究科を設置 |
2003年 | 国際政治経済学部国際経営学科を廃止 国際マネジメント研究科が専門職大学院に移行 厚木キャンパス及び世田谷キャンパスを閉鎖し、相模原キャンパスを開設 |
2004年 | 理工学部物理学科・化学科を物理・数理学科、化学・生命化学科に改組 理工学研究科を5専攻から1専攻8コースへ再編 大学院法務研究科(法科大学院)を設置 |
2005年 | 大学院会計プロフェッション研究科(会計専門職大学院)を設置 法学研究科ビジネス法務専攻を設置 |
2006年 | 国際政治経済学部国際コミュニケーションコースを国際政治経済学部国際コミュニケーション学科に改組 |
2008年 | 経済学部第二部経済学科を廃止 経営学部第二部経営学科を廃止 総合文化政策学部総合文化政策学科を設置 社会情報学部社会情報学科を設置 経済学部に現代経済デザイン学科を設置 大学院総合文化政策研究科を設置 大学院社会情報研究科を設置 10月、オランダ外相マキシム・フェルハーヘンが日蘭外交樹立150周年記念講演のため来校[92] |
2009年 | 第二部教育学科を廃止 文学部教育学科と文学部心理学科を教育人間科学部教育学科、教育人間科学部心理学科に改組 経営学部にマーケティング学科を設置 学校法人横須賀学院と教育提携協定を締結 |
2011年 | 文学部第二部英文学科の募集停止 |
2012年 | 文学部に比較芸術学科を設置 |
2013年 | 大学の就学キャンパスを再配置し、学部は4年間一貫教育体制となる |
2015年 | 地球社会共生学部地球社会共生学科を設置 |
2016年 | 横浜英和女学院中学高等学校が大学の系属校として青山学院横浜英和中学高等学校となる 静岡英和女学院と教育提携協定を締結 |
2018年 | 青山学院横浜英和中学高等学校が男女共学化 大学院法務研究科を学生募集停止 |
2019年 | コミュニティ人間科学部コミュニティ人間科学科を設置した 横浜英和小学校が青山学院横浜英和小学校と改称し、大学の系属校となる 浦和ルーテル学院小学校・中学校・高等学校が大学の系属校となる |
2022年 | 大学院法務研究科を廃止 |
基礎データ
編集所在地
編集- 青山キャンパス(東京都渋谷区渋谷4-4-25、北緯35度39分40秒 東経139度42分38秒)
- 相模原キャンパス(神奈川県相模原市中央区淵野辺5-10-1、北緯35度34分0秒 東経139度24分11秒)
- 緑ヶ丘グラウンド(神奈川県相模原市中央区緑ヶ丘2-6097-1、北緯35度32分55秒 東経139度23分9秒)
- 町田グラウンド(東京都町田市小野路町小谷1571、北緯35度35分54秒 東経139度26分40秒)
象徴
編集校歌
編集- 校歌(作詞:大木金次郎 作曲:平岡精二、青山学院全体の校歌に当たる)
- カレッジソング(作詞:松本休 編曲:高橋繁、青山学院大学の校歌に当たる)
- 学生間では『カレッジソング』が歌われる機会も多いが、東都大学野球連盟のパンフレットなど大学の代表歌として校歌が記載されているものも少なくない。
- 旧『青山学院の歌』(1910年制定、作詞:別所梅之助 作曲:楠美恩三郎)[93]
- 1番が中等科の歌、2番が高等科の歌、3番が神学部の歌、4番が全学院の歌だった。
- 『青山学院の歌』(1952年制定、作詞:豊田実 作曲:團伊玖磨)[94]
- 1番が初等部の歌、2番が中等部の歌、3番が高等部の歌、4番が女子短大の歌、5番が大学の歌、6番が全学院の歌で、現校歌が制定される前に歌われた。
- 応援歌
- 3曲(白亜の城・見よ東の・第三応援歌)存在する[95]。
- ペギー葉山の曲『学生時代』(作詞・作曲:平岡精二〈同学院OB〉)は「第二の校歌」と呼ばれ、2009年には学内に歌碑が建立された。
- サザンオールスターズの『Ya Ya (あの時代を忘れない)』も「第二のカレッジソング」となっている[96]。
大学のマスコット
編集1999年に大学創立50周年記念として、オリジナルマスコットの「イーゴ」 (EAGO) が制定された。手に聖書を持った、緑色の二足歩行の鷲(イーグル)の姿で、聖書の一節(イザヤ書第40章31節)で比喩される鷲がモチーフになっている。
校章
編集スクールカラー
編集教育および研究
編集組織
編集学部
編集- 文学部
- 英米文学科
- フランス文学科
- 日本文学科
- 史学科
- 比較芸術学科
- 教育人間科学部
- 教育学科
- 心理学科
- 経済学部
- 経済学科
- 現代経済デザイン学科
- 法学部
- 法学科
- ヒューマンライツ学科
- 経営学部
- 経営学科
- マーケティング学科
- 国際政治経済学部
- 国際政治学科
- 国際経済学科
- 国際コミュニケーション学科
- 総合文化政策学部
- 総合文化政策学科
- 理工学部
- 物理科学科
- 数理サイエンス学科
- 化学・生命科学科
- 電気電子工学科
- 機械創造工学科
- 経営システム工学科
- 情報テクノロジー学科
- 社会情報学部
- 社会情報学科
- 地球社会共生学部
- 地球社会共生学科
- コミュニティ人間科学部
- コミュニティ人間科学科
-
青山学院大学正門
-
高層化が進む青山キャンパス
-
「学生時代」歌碑、舞台となった青山キャンパスのチャペル前
-
青山学院大学17号館臨床心理学コース
研究科
編集- 文学研究科
- 英米文学専攻
- フランス文学・語学専攻
- 日本文学・日本語専攻
- 史学専攻
- 比較芸術学専攻
- 教育人間科学研究科
- 教育学専攻
- 心理学専攻
- 博士前期課程のコース
- 心理学コース
- 博士前期課程のコース
- 経済学研究科
- 経済学専攻
- 公共・地域マネジメント専攻
- 法学研究科
- 私法専攻
- 公法専攻
- ビジネス法務専攻
- 修士課程のプログラム
- 知財法務プログラム
- 人事労務法務プログラム
- 税法務プログラム
- 金融法務プログラム
- 博士後期課程のプログラム
- ビジネスロー・ドクター養成プログラム
- リーガルリスクマネジメント・ドクター養成プログラム
- 知財クリニック・ドクター養成プログラム
- 金融ロー・ドクター養成プログラム
- 修士課程のプログラム
- 経営学研究科
- 経営学専攻
- 国際政治経済学研究科
- 国際政治学専攻
- 国際経済学専攻
- 国際コミュニケーション専攻
- 総合文化政策学研究科
- 総合文化政策学専攻(一貫制博士課程)
- 文化創造マネジメント専攻(修士課程)
- 理工学研究科
- 理工学専攻
- 基礎科学コース
- 化学コース
- 機能物質創成コース
- 生命科学コース
- 電気電子工学コース
- 機械創造コース
- 知能情報コース
- マネジメントテクノロジーコース
- 理工学専攻
- 社会情報学研究科
- 社会情報学専攻
- 前期課程のコース
- 社会情報学コース
- ヒューマンイノベーションコース
- 前期課程のコース
- 社会情報学専攻
専門職大学院
編集- 国際マネジメント研究科(ビジネススクール、MBA)
- 国際マネジメント専攻(専門職学位課程)
- 国際マネジメント・サイエンス専攻(一貫制博士課程)
- 会計プロフェッション研究科(アカウンティングスクール、会計専門職大学院)
- 会計プロフェッション専攻(専門職学位課程)
- プロフェッショナル会計学専攻(博士後期課程のみ)
附属機関
編集- 図書館
- 青山学院大学図書館
- 青山学院大学万代記念図書館(相模原分館)
- 大学附置教育研究施設
- 情報メディアセンター
- 外国語ラボラトリー
- 青山学院宗教センター
- 青山学院資料センター
- 学部附置研究施設
- 経済研究所(経済学部)
- 判例研究所(法学部)
- グローバル・ビジネス研究所(経営学部)
- 学部附置教育研究施設
- 国際研究センター(国際政治経済学部)
- 青山コミュニティ・ラボ(総合文化政策学部)
- 先端技術研究開発センター(理工学部)
- 機器分析センター(理工学部)
- 社会情報学研究センター(社会情報学部)
- リエゾン・ラボ(社会情報学部)
- 生涯学習ラボ
- 地域連携ラボ
- 史学科考古学資料室(文学部)
- 研究科附置教育研究施設
- 心理相談室(教育人間科学研究科)
- 国際マネジメント学術フロンティア・センター(国際マネジメント研究科)
- ビジネスロー・センター(法学研究科)
- 会計プロフェッション研究センター(会計プロフェッション研究科)
- 総合研究所
- 総合文化研究部門
- 課題別研究部
- キリスト教文化研究部
- 領域別研究部門
- 人文科学研究部
- 社会科学研究部
- 自然科学研究部
- 総合研究課(事務室)
- 総合文化研究部門
- 社会連携機構
- 社学連携研究センター
- WTO研究センター
- ヒューマン・イノベーション研究センター
- 国際交流共同研究センター
- アジア国際センター
研究
編集21世紀COEプログラム
編集21世紀COEプログラムとして、1件のプロジェクトが採択された。
- 2002年
- 化学・材料科学系
- エネルギー効率化のための機能性材料の創製
私立大学学術研究高度化推進事業
編集- ハイテク・リサーチ・センター整備事業
- 先端技術研究開発センター「材料科学の新展開:環境調和型機能性物質の創製を目指して」
教育
編集ランキング
編集学生生活
編集自治活動
編集年間行事(2017年度)
編集- 4月
- 5月
- 6月
- ペンテコステ礼拝 ★
- アドバイザー・グループ・デー
- 7月
- 8月
- 前期授業終了
- 夏期休業日期間
- 清里サマー・カレッジ ★
- オープンキャンパス
- 9月
- 後期授業開始
- 9月学部・大学院学位授与式
- 10月
- 相模原祭
- チャペル・ウィーク (後期) ★
- 宗教改革記念礼拝 ★
- 11月
- 青山祭
- 創立記念日 (16日)
- 創立記念礼拝 ★
- 12月
- 1月
- 後期授業再開
- 後期定期試験
- 2月
- 後期授業終了
- 3月
- 学部・大学院学位授与式
- 卒業礼拝 ★
- ※★は宗教行事。
部活動・サークル活動
編集学友会直属組織
編集学友会附置委員会
編集- 青山祭実行委員会
- 相模原祭実行委員会
文化連合会加盟組織
編集- 音楽系の部会が多い。その他に放送系や芸術系など多く存在する。
体育連合会加盟組織
編集サークル
編集大学内での正式名称は「愛好会」。公認の条件として
- 会員に2学部2学科20名以上の本学学生がいる
- 青学の専任教員が顧問に付く(1人1団体)
アドバイザー・グループ
編集学園祭
編集- 青山キャンパスで開かれる「青山祭」と、相模原キャンパスで開かれる「相模原祭」がある。
クリスマスツリー点火祭
編集関係者組織と出身者
編集大学関係者組織
編集校友会員数約20万人。登録団体数約200。 また、OB/OG組織(通称アイビーグループ)として、「マスコミ青山会」や、「金融青山会」「青山法曹会」「青学会計人クラブ」などがある。マスコミ青山会の会員数は2,600名に上る。
大学出身者
編集キャンパス
編集現在のキャンパス
編集-
B棟
-
ウェスレー・チャペル、E棟、F棟
-
キャンパス内チャペル
過去に存在したキャンパス
編集施設
編集学生食堂
編集青山学院購買会・ショップ
編集青山学院大学では大学生協に代えて、青山学院購買会の運営する購買店舗・ショップが各キャンパスに設けられている。
総合研究所ビル
編集ガウチャー・メモリアル・ホール
編集青山学院アスタジオ
編集青山学院記念館
編集概要 | |
---|---|
所有者 | (学)青山学院 |
経営者 | (学)青山学院 |
種類 | Arena |
座席数 | 5000名 |
開業 | 1964年 |
利用 | |
青山学院大学 関東大学バレーボール連盟(女子1部主会場) サンロッカーズ渋谷 |
青山学院講堂
編集青山キャンパス内にある大型ホール。席数は1701席。中等部の礼拝堂としても使用される。略称「青講(あおこう)」。各種イベント、コンサート、セミナーが行われる。青山学院管弦楽団は定期公演を開催している。
青学会館
編集青山キャンパス内にあり式場やレストランが運営されているほか、校友会の本部や校友スペース等も設置されている。アイビーホールと呼ばれる。創業は、1968年(昭和43年)。結婚式は、キリスト教挙式のみを行っている。
本多記念国際会議場
編集2012年に新設された17号館校舎の6階に、4ヵ国語対応の国際会議場兼大講義室として設備され「本多記念国際会議場」と命名された。名前を冠された本多庸一は、当学院における初の日本人院長で第二代院長を務めた人物であり、2012年は本多の死去100年に当たる。562席(机・イス)。
ウェスレー・ホール
編集1968年(昭和43年)に青山学院宗教センターの建物として完成。現在は文学部の史学科考古学資料室が入っている[139]。
登録有形文化財
編集間島記念館
編集ベリーホール
編集対外関係
編集他大学との協定
編集活動
編集- 2020年と2021年の定期戦は新型コロナウイルス感染症拡大により中止となり、2022年に日程と競技数を限って再開された[151]。
- 過去に明治学院大学体育会との「総合定期戦」が1970年(昭和45年)の第1回から1987年(昭和62年)の第18回まで実施されたが、申し合わせ(青山学院大学側からの申し出)により廃止された[要出典]。
地域交流
編集産学連携
編集企業や地域社会との連携を図る「リエゾンプロジェクト」を相模原キャンパスで2017年に開始[152]。初の産学連携イベント「Meet up in AGU2018@SAGAMIHARA」を2018年12月5日に開催した[153]。
系列学校
編集下記の教育機関は学校法人青山学院が設置する学校で、大学「附属学校」ではない。
企業からの評価
編集出世力
編集- ダイヤモンド社の2006年年9月23日発行のビジネス誌『週刊ダイヤモンド』94巻36号(通巻4147号)「出世できる大学」と題された特集の出世力ランキング(日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査[154][155])で、青山学院大学は、2006年時点で存在する全国の744大学中、第35位にランキングされた[156]。
- 週刊ダイヤモンドの2023.9.16.23合併号にて、400社就職率直近10年間平均(理系大学、女子大除く)のランキングで、青山学院大学は26.5%(大学院卒除)で総合私大第5位にランキングされた。
脚注
編集注釈
編集出典
編集参考文献
編集- 塚本与三郎 『青山の学風』 文川堂書店、1922年
- 青山学院五十年史編纂委員会 『青山学院五十年史』 1932年
- 気賀重躬 『青山学院生活』 現代新潮社、1953年
- 青山学院 『青山学院八十五年史』 1959年
- 青山学院 『青山学院九十年の歩み』 1964年
- 青山学院 『青山学院九十年史』 1965年
- 青山学院 『青山学院100年 1874-1974』 1975年
- 青山学院150年史編纂本部・編纂委員会、青山学院資料センター150年史編纂室 『青山学院一五〇年史』 資料編Ⅰ、学校法人青山学院、2019年
- 青山学院150年史編纂本部・編纂委員会、青山学院資料センター150年史編纂室 『青山学院一五〇年史』 資料編Ⅱ、学校法人青山学院、2021年
- 青山学院150年史編纂本部・編纂委員会、青山学院資料センター150年史編纂室 『青山学院一五〇年史』 通史編Ⅰ、学校法人青山学院、2023年