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2016年2月7日 (日) 09:46時点における版
カターレ富山 | |
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原語表記 | カターレ富山 |
呼称 | カターレ富山 |
愛称 | カターレ |
クラブカラー | 青[1] |
創設年 | 2008年 |
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ |
所属ディビジョン | J3リーグ |
クラブライセンス | J1 |
ホームタウン | 富山市を中心とする富山県全県[1] |
ホームスタジアム | 富山県総合運動公園陸上競技場[1] |
収容人数 | 18,588人[1] |
運営法人 | 株式会社カターレ富山[1] |
代表者 | 酒井英治[1] |
監督 | 三浦泰年 |
公式サイト | 公式サイト |
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
939-8234[1] 富山県富山市南中田368番地 富山県総合運動公園陸上競技場内[1] |
設立 | 2007年11月[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 1230001006146 |
事業内容 | サッカークラブの運営 |
代表者 |
代表取締役会長 永原功[2] 代表取締役社長 酒井英治[2] |
資本金 | 9,650万円[2] |
売上高 | 7億3,500万円 (2015年1月期)[3] |
営業利益 | 2,900万円 (2015年1月期)[3] |
経常利益 | 3,000万円 (2015年1月期)[3] |
純利益 | 3,000万円 (2015年1月期)[3] |
純資産 | 8,400万円 (2015年1月期)[3] |
総資産 | 2億4,600万円 (2015年1月期)[3] |
決算期 | 1月期 |
主要株主 |
北陸電力[2] YKK[2] インテック[2] 他 |
関係する人物 |
中尾哲雄(初代社長) 清原邦彦(第2代社長) |
外部リンク | http://www.kataller.co.jp/ |
カターレ富山︵カターレとやま、Kataller Toyama︶は、日本の富山市を中心とする富山県全県をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ︵Jリーグ︶に加盟するプロサッカークラブ。
概要
富山県からの日本プロサッカーリーグ︵Jリーグ︶参入を目指すため、2007年に北陸電力サッカー部アローズ北陸とYKK APサッカー部が富山県サッカー協会の要請で統合して発足[4]。2008年2月にJリーグ準加盟クラブとして承認され[5]、2009年にJリーグへ加盟した[1]。 名称のカターレは、愛するチームを共に﹁語れ﹂、﹁歌え﹂︵イタリア語で﹁カンターレ﹂cantare︶、﹁勝たれ﹂︵富山の方言で﹁勝て﹂︶という意味が込められている[1]。また、頂点を目指してサポーターと肩︵カタ︶を組んで共に﹁行こう﹂︵フランス語で﹁アレ﹂aller︶というチームの姿勢を表している[1]。 チームエンブレムには立山連峰、富山湾、富山県の県花チューリップがあしらわれている。クラブマスコットは﹁ライカくん﹂で、デザインは富山県の県鳥である﹁ライチョウ﹂と県獣の﹁ニホンカモシカ﹂を合わせたものである[1]。 ホームスタジアムは富山県総合運動公園陸上競技場[1]、練習場は北陸電力総合運動公園である[1]︵詳細は#スタジアムを参照︶。 運営会社は株式会社カターレ富山で[1]、株主は統合前2チームの親会社である北陸電力とYKKを含めた地元資本32社である[2]。歴史
クラブ発足まで
詳細は「YKK APサッカー部」および「アローズ北陸」を参照
2005年にJFLでYKK APが2位、アローズ北陸が3位の成績を残し、この年より富山県サッカー協会はJリーグクラブ設立を検討するJリーグスタディグループを設置し採算性などを調査した。その結果、アローズ北陸とYKK APを母体とした新クラブチームを設立し、Jリーグを目指す構想に至った。県サッカー協会は、両クラブを保有する北陸電力とYKKに対してトップチームの統合を要請し、両社の同意を得たことにより、2007年9月10日に翌2008年シーズンからの統合および新クラブチームの設立が発表された。
2007年11月に運営法人として﹁元気なとやまを創る株式会社﹂が発足。クラブ名の募集が行われ1,086件の応募の中から﹁カターレ富山﹂が決定した。クラブ名に合わせ社名を株式会社カターレ富山に変更した。12月には初代監督として2007年シーズンまでYKK APの監督を務めていた楚輪博が就任した。
2008年(JFL)
- チームスローガン : 融合、そして躍進! Challenge J
2月にJリーグ準加盟が承認された。
選手は、合併前の両クラブの主力を中心とした24名︵アローズ北陸より13名、YKK APより11名︶に加え、京都から橋田聡司、札幌から川崎健太郎などのJリーグクラブからの移籍加入︵5名︶で構成された。
シーズン序盤は、一時14位まで順位を落とすなど結果が出なかったが、その後順調に勝点を積み上げ、11月23日のMIOびわこ草津戦に2対1で勝利したことで勝点を61とし、Jリーグ加盟条件の4位以内を確定。チーム初年度を年間成績3位でシーズンを終えた。Jリーグ加盟の条件である観客動員数も、ホームゲーム全17試合で73,205人、1試合平均4,306人と昇格規定の平均3,000人を超え、リーグ2位の観客動員数となった。
12月1日、Jリーグ臨時理事会でJリーグ加盟が全会一致で承認され、2009年からのJリーグ ディビジョン2︵J2︶への参加が決定した。これによりアルビレックス新潟に次ぐ北信越地方で2つ目、北陸三県では初のJリーグクラブが誕生した。
2009年 - 2014年(J2)
2009年
- チームスローガン : 調和と闘志、そして感動!- For Next Stage
J2加盟1年目。新たな戦力として東京Vから足助翔を、新卒選手として舩津徹也、江﨑一仁、桜井正人を獲得。リーグ戦は、豊富な運動量を生かした組織的な守備が機能し、第1クールを6勝5分6敗、第2クールを6勝7分4敗の成績で、第31節時点で9位に付けた。しかし第3クールに入ると失速し3勝4分10敗と振るわず、シーズンを15勝16分20敗の13位で終えた。
J1経験を持つ東京V、湘南、甲府、C大阪からも勝利を収め、8戦負けなしの期間︵第28節-第35節︶には、湘南監督の反町康治が﹁今は富山が一番強い﹂[6] とコメントしている。なお、失点数はリーグ7位であったが、得点数はリーグワースト4位であった。
2010年
- チームスローガン : 躍進 さらに躍進!!
楚輪体制3年目。福岡から元日本代表の黒部光昭、鳥栖から元アローズ北陸の谷田悠介、C大阪から苔口卓也が完全移籍で加入。C大阪から江添建次郎を期限付き移籍で獲得した。シーズンが始まると、攻撃面では補強が奏功し、前年の課題であった得点力は向上した反面、守備力の弱さが露呈した。結果的に8月から9月にかけて公式戦7連敗を喫するなど成績は低迷。
9月29日、楚輪が監督を解任され、ヘッドコーチの安間貴義が監督に就任した。監督交代後はこれまで出場機会に恵まれなかった今シーズン加入の新卒選手を積極的に登用しチーム内競争を促進。また、3-3-3-1の新フォーメーションを採用するなどしたが、シーズン終了時点で失点数はリーグワーストの71点、第13節から最終節までリーグ戦26試合連続失点を記録した。
12月2日、14名の退団︵引退8名、契約満了6名︶を発表。主将の濱野勇気や中川雄二、石田英之らクラブ創設時より在籍し、J昇格に貢献した多くの選手が含まれており、チームの約半数が退団した。
2011年
- チームスローガン : 一歩一歩 〜For the WIN with ALL〜
昨シーズン途中より指揮を執った安間と3年契約を結んだ。甲府から池端陽介と大西容平、愛媛から鶴田達也、栃木SCから飯田健巳、大宮からソ・ヨンドクが完全移籍で、愛媛から吉川健太、FC東京から平出涼が期限付き移籍で加入。また、新卒選手を4名を獲得し、計11名が入団。さらに、シーズン中の6月30日、大宮から福田俊介が期限付き移籍で加入した。
開幕戦に勝利したものの、前半戦は4勝5分10敗。しかし、後半戦は戦術が浸透したこともあり、FC東京や東京Vに勝利するなど調子を上げ、7勝5分7敗の成績を上げ、シーズンを終えての最終順位は16位となった。このシーズンはアウェイゲームにおいて、選手登録枠を2人余らせて16人で遠征を行なっている。これによって遠征費を削減し、その分をサブメンバーの練習試合の遠征費に当てている[7]。
シーズン終了後、江添建次郎が佐川印刷SC、内藤圭佑が草津へそれぞれ完全移籍、舩津徹也がC大阪へ期限付き移籍した。さらに前身のアローズ北陸時代からの選手だった永冨裕也が引退した。
2012年
- チームスローガン : 漸進 〜次なる一歩へ〜
安間体制3年目。補強は、FC岐阜から西川優大、鳥栖から山瀬幸宏、京都から加藤弘堅、松本から木村勝太を完全移籍で獲得。愛媛から期限付き移籍していた吉川健太が完全移籍。かつて新潟に在籍していた明堂和也が加入した。
チームは年間10位という目標を掲げたものの、開幕から5戦勝ちなし、第17節から第31節まで15試合連続勝ちなし︵6分9敗︶を喫し、第29節に最下位へ転落。その後、第32節︵愛媛戦︶から3連勝、第33節で最下位を脱出。第38節の京都戦に勝利して19位に浮上。なお、最終節までJ2残留争いを続けたが、最終節︵水戸戦︶に勝利し最終成績19位となり、J2残留を確定させた。
シーズン終了後、福田俊介が期限付き移籍満了で大宮に復帰した。吉川拓也がツエーゲン金沢へ期限付き移籍し、松原優吉がAC長野パルセイロ、加藤弘堅が群馬、関原凌河がカマタマーレ讃岐、そして平野甲斐がブリーラム・ユナイテッドFCへそれぞれ完全移籍した。鶴田達也、西野誠、酒井貴政、および明堂和也が現役を引退した。
2013年
- チームスローガン : BREAKTHROUGH 〜心をひとつに〜
安間体制4年目。C大阪へ期限付き移籍していた舩津徹也が復帰し、群馬から御厨貴文、愛媛から大山俊輔が完全移籍で、新潟からキム・ヨングン、京都から三根和起が期限付き移籍で加入した。他に新卒選手3名を獲得した。
8月に、清水より白崎凌兵︵FW︶が期限付き移籍で、金沢星稜大学の内田錬平︵DF︶がクラブ初[8] の特別指定選手として加入した。
2015年に北陸新幹線が開業することを受けて、同じ2015年にJ1昇格プレーオフ進出を目指すという中間目標が発表された[9]。また2012年から導入されたクラブライセンス制度の承認を得るために黒字化が必須とされ[9]、2013年シーズンは降格圏からの脱出、15位が目標とされた[10]。
戦術面では、本シーズンからこれまでの方針を転換して後ろからつなぐサッカーを指向し、3-1-4-1-1というフォーメーションを採用した[11]。
開幕戦で勝利し、連勝はないものの第9節終了時点で4勝2分3敗の8位と中位につけていたが、第10節のG大阪戦に0-4で敗れてから7戦勝ちなし︵2分5敗︶、その後1勝をはさんで9戦勝ちなし︵5分4敗︶と低迷、19位まで順位を落とした。
シーズン序盤を過ぎると負傷者が続出し、戦術やフォーメーションの変更を余儀なくされ、DFラインの主力御厨と平出が離脱すると﹁マークが機能しない﹂との判断で9月7日の天皇杯山形戦から4バックに変更[12]、さらに9月30日の第35節にはMF︵前所属クラブまではFW︶登録でDF経験のない木村がサイドバックに起用される事態となった[13]︵後にセンターバックにも起用された︶。
シーズン終盤に負傷者が復帰し、また夏に加入した白崎と苔口との連係が機能しだすと[14] 成績も持ち直し、第39節の東京V戦に2-1で勝利してJ2残留が確定、シーズンを11勝11分20敗の18位で終えた。
集客面では、第10節のホームG大阪戦でチケット︵18,471席分[注 1]︶が完売[15]、試合当日は天候に恵まれず気温6.8℃と4月下旬とは思えない寒さ[16] であったが、入場者数は過去最高の13,639人となった。これによりシーズンのホーム平均入場者数数も過去最高の4,474人を記録した。収益面でも黒字の見通しとなった[17]。
シーズン目標の15位を達成できなかったが、クラブ側はゲーム内容の良化を評価し安間監督に続投を要請、安間監督も他クラブからコーチやユース監督などのオファーがあった[18] が、続投を決めた[19]。
シーズン終了後、足助翔と谷田悠介が現役を引退、黒部光昭がタイのTTMカスタムズFCへ、舩津徹也が山形へ、金井大樹が熊本へ、山瀬幸宏がFC大阪へ完全移籍した。守田達弥、三根和起、舘野俊祐は期限付き移籍満了で復帰し︵復帰後守田は新潟へ完全移籍、三根は長野へ期限付き移籍︶、吉井直人が町田へ、山本祥輝がV大分へ、森泰次郎が佐川印刷京都へ期限付き移籍した。
2014年
- チームスローガン : 蒼力結蹴
安間体制5年目。琉球および金沢へ期限付き移籍していた棚橋雄介と吉川拓也が復帰、福岡から水谷雄一、藤枝から柴田大地、京都から秋本倫孝、札幌から三上陽輔を、そして期限付き移籍で在籍していた平出涼とキム・ヨングンを完全移籍で、FC東京からU-21日本代表の中島翔哉︵前年まで東京V所属︶、清水から内田健太を期限付き移籍で獲得した。新卒から前年特別指定選手として在籍していた内田錬平、他に山梨学院大学から田中寛己、ジュビロ磐田U-18から梅村晴貴を獲得した。
本シーズンも前年と同じく3バックのフォーメーションを採用する予定だったが、中島の加入によって4バックに変更された[20]。
2015年にJ1昇格プレーオフ進出をという中間目標まで1年となる本シーズンの順位目標は10位とされ、集客目標はG大阪戦のチケット完売により過去最高を記録した前シーズンのレベルを維持するホーム1試合平均4,500人とされた[17] ものの、開幕から9試合未勝利で、第3節終了時以降順位は20位以下と低迷、第9節終了時に一旦最下位となり、第10節対松本戦でシーズン初勝利を挙げ再び21位に浮上するも、第15節、それまで開幕から14試合未勝利だった最下位讃岐との直接対決で讃岐にJ2初勝利を献上、同時に再び最下位に転落し、10位以内の目標達成が困難となるばかりか、J3降格の危機に立たされた。
第17節対湘南戦前に、監督の安間がクラブ側に﹁︵前半戦残り︶5試合で3勝︵出来なければ︶あとは会社の判断﹂という進退伺を出していたことが判明[21]、その後、湘南戦を含め第20節までの時点で1勝3敗と、安間自ら課した条件を満たしていない中、7月3日にクラブより残りのシーズンも安間が引き続き指揮を継続することが発表された[22]。
さらにシーズン中に、中島翔哉がFC東京へ復帰、ソ・ヨンドクが蔚山現代FCへ、村松知輝がHonda FCへ、西川優大が栃木へ期限付き移籍、ヤン・ヘジュンが退団した。
そこで、YFCMDのパク・テホンを完全移籍で、甲府から井澤惇、京都から宮吉拓実、FC東京から廣永遼太郎、札幌から前貴之期限付き移籍で獲得。さらに佐川印刷京都へ期限付き移籍していた森泰次郎が復帰した。しかしチームはその後も低迷。11月1日に最下位が確定しJ3に自動降格が決定した[23]。
さらに、チューリップテレビの独自の取材[24] で、クラブの主力スポンサーであるYKKがメインスポンサーから撤退し、支援規模を縮小すると報じられた。これまで北陸電力とともに、毎年1億円を出資していたが、これを2015年から半分の5000万円程度まで減らし、さらに減額することも検討しているとされている。すでにYKKはカターレへのスタッフ出向派遣を2010年で終了するなどしており、﹁2大スポンサーに頼らない、幅広い企業からの支援獲得こそが、県民クラブとしてのあるべき姿﹂とする方針を持っており、これまで黒字決算を維持してきたクラブ経営が、赤字決算[注 2]、更にJ3降格によって中期強化計画で最大目標とされてきた﹁2015年のJ1昇格プレーオフ進出﹂がこの時点で達成不可能となったため、強化3か年計画の大幅な見直しを迫られる可能性もある。
シーズン終了後、安間が契約満了により監督を退任[25]、水谷雄一が引退、キム・ヨングン、パク・テホン︵横浜FC︶、木村勝太︵盛岡︶、秋本倫孝、棚橋雄介︵関東1部・VONDS市原FC︶、柴田大地、御厨貴文が契約満了、井澤惇、宮吉拓実、廣永遼太郎、前貴之、白崎凌兵、内田健太の期限付き移籍期間が満了、高准翼が福岡へ、西川優大が期限付き移籍先の栃木へ完全移籍した。
2015年 - (J3)
2015年
- チームスローガン : 萬進~ONE SPIRIT
鳥栖や横浜FC元監督の岸野靖之が監督に就任[26]。札幌から日高拓磨、大宮から江角浩司、エスペランサSCから古川頌久、福岡からタム・シイアンツン新外国人選手の李在原を完全移籍で、松本から永井堅梧、北井佑季を期限付き移籍で獲得、吉井直人、山本祥輝、村松知輝が期限付き移籍先から復帰、大学生4名が入団した。さらに富山の下部組織から初めて馬渡隼暉がトップチームに昇格した。
シーズン開幕直前に、吉川健太がJFL・滋賀へ期限付き移籍、シーズン開幕後には、梅村晴貴がJFL・マルヤス、中田大貴が関西1部・アミティエへ期限付き移籍、また今季新加入した古川頌久、李在原が契約満了に伴い退団、古川は古巣のエスペランサSCに移籍したが、松本から椎名伸志を期限付き移籍で獲得。
J3降格に伴って2019年までの5か年強化計画を策定。短期の目標として、1年でのJ2復帰を目指すこと、その上でこの強化計画の中での中期目標として、J1昇格プレーオフ圏内進出を狙い、若手選手の育成、チーム力の基盤強化、スタッフ体制の強化、更に地元・富山出身の選手やユースチームからの昇格者など﹁地元エリート選手の発掘・育成﹂を進めることを計画として挙げた[27]。しかし、チームはJ3の中位に順位が低迷、8月岸野監督を解任、暫定監督としてGMの澤入重雄が兼任することになったが、それでもチーム状態は変わらず、10月4日の第32節・秋田戦で敗れた事により、3位以下が確定して1年でのJ2復帰を逃し、最終的には5位でシーズンを終えた。
天皇杯はJ3に降格したのに伴い、チームが創設されたJFL時代の2008年以来となる予選会からの出場となったが、富山県サッカー選手権大会の決勝で富山新庄クラブに敗れ、チーム創設後初めて天皇杯への出場を逃した。
シーズン終了後、滋賀に期限付き移籍していた吉川健太、日髙拓磨、大西容平が引退、池端陽介、村松知輝︵カンボジア・カンボジアンタイガーFC︶、山本祥輝、南部健造︵JFL・浦安︶、タム・シイアンツンが契約満了、森泰次郎が自分自身の海外挑戦のために契約を解除した。そして前身のYKK AP時代から所属していた朝日大輔が現役を引退を発表。これによりYKK APからカターレに入団したプロ選手は消滅した[注 3]。
2016年
チームスローガン ‥ 覚悟 新監督にタイのチエンマイFCで北九州や東京Vで監督だった三浦泰年が就任[28]。徳島から衛藤裕、愛媛から昨シーズン山口でプレーした代健司、栃木SCから2シーズンぶりの復帰となる西川優大を完全移籍で、岐阜から小見恵吾、徳島から窪田良を期限付き移籍で獲得。中田大貴、梅村晴貴が期限付き移籍先から復帰、北井佑季が期限付き移籍から完全移籍に移行、永井堅梧、椎名伸志の期限付き移籍期間を延長、大学生4名が加入した。成績
詳細は「カターレ富山の年度別成績一覧」を参照
タイトル
クラブ
- 富山県サッカー選手権大会(兼天皇杯富山県予選):1回
- 2008年
個人
スタジアム
ホームゲーム
J2︵2008年 - 2014年︶ ●富山県総合運動公園陸上競技場︵富山市・18,588人収容[1][注 1]、北緯36度37分30.24秒 東経137度11分44.51秒︶ 富山県内でJ2クラブライセンスの施設基準を満たす施設が当スタジアムのみのため、J2での全ホームゲームを開催している。 J3︵2015年︶ ●富山県総合運動公園陸上競技場 ●魚津市桃山運動公園陸上競技場︵魚津市・8,000人収容、北緯36度47分47.53秒 東経137度25分58.1秒︶ J3降格となった2015年は、広く県民に応援してもらうという観点で、J3の開催基準を満たしている魚津でも3試合主催することになった[31]。 JFL︵2008年︶ ●富山県総合運動公園陸上競技場 ●富山県五福公園陸上競技場︵富山市・20,000人収容、北緯36度41分48.22秒 東経137度11分17.95秒︶ ●魚津市桃山運動公園陸上競技場年度別入場者数
略記について ●富山‥富山県総合運動公園陸上競技場、五福‥富山県五福公園陸上競技場、桃山‥魚津市桃山運動公園陸上競技場 ●スタジアム欄の太字はホームスタジアムに登録されている競技場。 ●太字は歴代最多および最少 ●試合数および観客入場者数データはリーグ戦のみ︵関連‥日本プロサッカーリーグ#試合入場者数︶。年度 | 所属 | 合計 入場者数 |
最多入場者数 | 最少入場者数 | 平均 入場者数 |
試合数 | ホームゲーム 開催スタジアム |
備考 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
入場者数 | 節 | 相手 | 会場 | 入場者数 | 節 | 相手 | 会場 | ||||||||||
2008 | JFL | 73,205 | 10,704 | 前1 | 北九州 | 富山 | 2,008 | 前11 | 流経大 | 五福 | 4,306 | 17 | 富山14、五福2、桃山1 | ||||
2009 | J2 | 93,507 | 5,520 | 43 | 仙台 | 1,862 | 8 | 水戸 | 富山 | 3,740 | 25 | 富山25 | |||||
2010 | 80,327 | 10,726 | 3 | 大分 | 2,542 | 6 | 北九州 | 4,463 | 18 | 富山18 | |||||||
2011 | 62,233 | 8,663 | 26 | FC東京 | 1,716 | 2 | 徳島 | 3,275 | 19 | 富山19 | |||||||
2012 | 69,807 | 6,549 | 28 | 松本 | 1,692 | 5 | 北九州 | 3,324 | 21 | 富山21 | |||||||
2013 | 93,960 | 13,639 | 10 | G大阪 | 2,315 | 7 | 栃木 | 4,474 | 21 | 富山21 | |||||||
2014 | 89,596 | 8,018 | 14 | 磐田 | 2,622 | 20 | 長崎 | 4,266 | 21 | 富山21 | |||||||
2015 | J3 | 56,392 | 4,542 | 1 | 秋田 | 1,870 | 29 | 福島 | 桃山 | 2,820 | 20 | 富山17、桃山3 | |||||
2016 |
練習場
●北陸電力総合運動公園︵北緯36度45分13.31秒 東経137度12分53.56秒︶ メインスポンサーの1つである北陸電力が所有する運動施設︵北陸電力富山火力発電所に隣接︶内にある。ピッチ2面分以上の広さがあり、オールシーズングリーンの天然芝と夜間照明を備えている。また近隣にクラブハウス機能を備えた選手寮がある。これらは前身のアローズ北陸が使用していたものである。 ●アイザックスポーツドーム︵富山市屋内競技場︶︵北緯36度35分41.69秒 東経137度13分8.93秒︶ ●富山県総合運動公園屋内グラウンド 冬季の降雪時などピッチコンディションが悪い際には、県内最大級の人工芝を敷設した富山市屋内競技場︵アイザックスポーツドーム︶[32] および富山県総合運動公園内の屋内グラウンドで練習が行われる。下部組織
アカデミー
将来のJリーグ選手養成を目的とし、U-15︵ジュニアユース︶、U-18︵ユース︶からトップチームへと繋がる選手育成を行っている。2009年に中学年代となるU-15、2012年に高校年代となるU-18が発足している。サッカースクール
詳細は、公式サイト を参照
幼児(U-6)から高校生以上を対象とした「大人」までを対象とした5つのコースから成るサッカースクールを運営。なお、会場は草島(富山市)、新保、高岡、砺波、魚津、立山、射水、朝日の県内8ヶ所である。
ユニフォーム
| ||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||
|
チームカラー
- 、 青[1]
ユニフォームスポンサー
- トップチーム
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
胸 | YKK | YKK AP | 2008年 - | |
背中上部 | 北陸電力 | 北陸電力 | 2008年 - | |
背中下部 | 北日本新聞 | 北日本新聞 | 2016年 - | 2008年、2010年 - 2015年は袖 |
袖 | アイザック | izak | 2016年 - | 2015年はパンツ |
パンツ | なし | - | - |
- 下部組織
提出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 提出年 | 備考 |
---|---|---|---|---|
胸 | インテック | INTEC | 2009年 - | |
背中 | 北陸銀行 | 北陸銀行 | 2009年 - | |
袖 | 太陽スポーツ | TS | 2009年 - | |
パンツ | 北陸銀行 | 北陸銀行 | 2009年 - |
ユニフォームサプライヤー
- 2008年 - 現在:ゴールドウイン
トレーニングウェアスポンサー
- 北陸電力、YKKグループ
歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 胸 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ | サプライヤー |
2008 | YKK AP | 北陸電力 | 解禁前 | 北日本新聞 | 日医工 | GOLDWin |
2009 | - / 日医工 | |||||
2010 | 北日本新聞 | |||||
2011 | ||||||
2012 | - | |||||
2013 | ベルコ | |||||
2014 | ||||||
2015 | izak | |||||
2016 | 北日本新聞 | izak | - |
スポンサー
スポンサーについては、公式サイト を参照
スタジアムDJ
メディア
- テレビ
- ケーブルテレビ富山他 - 「週刊 激スポ!」(不定期、放送局によって放送日時が異なる)
- ラジオ
- 北日本放送 - 「行こうよJ1 Viva!カターレ」(「でるラジ」内、2012年4月9日 - 、毎週月曜 15:45頃から5分間)[33]
- FMとやま - 「カターレ富山 キックオフ・ドリーム・ナビゲーション」(「WEEKLY CHART EXPRESS –TOYAMA TOP 30-」内、2014年3月14日 -、毎ホームゲーム開催前の金曜日 18:55〜19:00)[34]
- 雑誌
- 月刊タウン情報とやま(TJとやま)(スポーツコーナー)
- Favo富山版(月刊カターレ)
- 終了した番組(テレビ)
- 北日本放送 - 「いっちゃんカターレ!」 (2009年4月 - 2009年12月、毎週木曜 21:54 - 22:00)
- チューリップテレビ - 「@スポ天 SOCCER PASSION」 (2009年4月 - 2011年4月、毎週月曜日19:50 - )
- 富山テレビ放送 - 「マンスリーカターレ」(2009年4月 - 2014年、毎月最終土曜日11:15〜11:30)
脚注
注釈
出典
(一)^ abcdefghijklmnopqrstuvwx“クラブ・選手名鑑:カターレ富山”. 日本プロサッカーリーグ. 2016年2月7日閲覧。
(二)^ abcdefgh“会社概要”. カターレ富山. 2013年5月5日閲覧。
(三)^ abcdef“2014年度︵平成26年度︶Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2015年8月27日閲覧。
(四)^ "待望のJを目指す"県民クラブチーム"誕生!!" (Press release). 富山県サッカー協会.
(五)^ "Jリーグ準加盟審査結果について" (Press release). 日本プロサッカーリーグ. 19 February 2008.
(六)^ “J2 第36節 プレビュー”. J's GOAL (2009年8月28日). 2013年8月10日閲覧。
(七)^ “帯同メンバー減らし“一石二鳥”となるか”. サッカー専門新聞 エル・ゴラッソ web版 BLOGOLA. 2012年4月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月12日閲覧。
(八)^ “﹇富山﹈内田錬平、クラブ史上初の特別指定選手に”. BLOGOLA. エル・ゴラッソ (2013年8月29日). 2014年1月19日閲覧。
(九)^ ab"﹁安全・必勝祈願祭﹂および﹁新体制・新加入選手発表記者会見﹂を行いました" (Press release). カターレ富山. 15 January 2013.
(十)^ “カターレ富山、J2中位目指す 13年シーズン始動”. 富山新聞 (2013年1月16日). 2014年1月19日閲覧。
(11)^ “11人を12人に見せる超戦術! 異端者・安間貴義監督が富山で起こす日本サッカー革命”. フットボールチャンネル (2013年4月13日). 2013年12月12日閲覧。
(12)^ “︻富山︼4バックで山形封じる!2年ぶり天皇杯3回戦だ”. スポーツ報知. 2013年9月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年1月19日閲覧。
(13)^ “﹇富山﹈ディフェンス起用にも柔軟に対応する木村勝太”. BLOGOLA. エル・ゴラッソ (2013年10月31日). 2014年1月14日閲覧。
(14)^ “︻富山︼スピードキング・苔口、今年も2ケタ弾!”. スポーツ報知 (2014年1月19日). 2014年1月19日閲覧。
(15)^ "4/21︵日︶ J2第10節﹇ガンバ大阪戦﹈全席種チケット完売のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 10 April 2013.
(16)^ “4/21︵日︶ JL10〇4-0カターレ富山@富山”. ガンバ大阪 (2013年4月21日). 2014年1月19日閲覧。
(17)^ ab"︻2014シーズン始動!︼富山‥新体制・新加入選手記者会見での出席者コメント" (Press release). J's GOAL. 20-14-01-14.
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(18)^ “J2富山 安間監督の来季続投を発表…下位低迷も来季が5年目”. スポーツニッポン (2013年11月29日). 2014年1月19日閲覧。
(19)^ “﹇富山﹈安間貴義監督、続投要請を受諾﹁ここで勝ちたい、ここで強くなりたいという気持ちがすべて﹂”. BLOGOLA. エル・ゴラッソ (2013年11月30日). 2014年1月19日閲覧。
(20)^ “︻J2‥第1節 岡山vs富山︼安間貴義監督︵富山︶記者会見コメント”. J's GOAL (2014年3月2日). 2014年3月5日閲覧。 “合宿の時は以前ここでやった時︵昨年の第41節︶の3枚のシステムでやっていたんですが、中島が入ってきたので急遽2次合宿から﹁4﹂を試していて、それを思い切って今日試してみました。”
(21)^ “︻富山︼安間監督、進退伺出していた!ノルマ﹁5戦3勝﹂早くも1敗”. スポーツ報知. (2014年6月8日) 2014年7月3日閲覧。
(22)^ “続投条件満たさずも…安間監督指揮継続、富山が異例の発表”. ゲキサカ (講談社). (2014年7月3日) 2014年7月3日閲覧。
(23)^ 富山 J3降格が決定…3試合ぶり勝利も最下位が確定︵スポーツニッポン2014年11月1日 11月1日閲覧︶
(24)^ 独自 カターレに新たな問題 YKKメインスポンサー撤退へ︵チューリップテレビ2014年6月27日 同8月21日閲覧︶
(25)^ "安間貴義監督 退任のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 5 November 2014. 2014年12月25日閲覧。
(26)^ "岸野靖之氏 監督就任のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 22 December 2014. 2014年12月25日閲覧。
(27)^ 第4回カターレ富山﹁2015ファン・サポーターカンファレンス﹂議事録
(28)^ "三浦泰年氏 監督就任のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 22 December 2014. 2015年12月26日閲覧。
(29)^ “富山県陸上競技場”. 富山県総合運動公園陸上競技場. 2016年2月7日閲覧。
(30)^ “Jリーグ規約” (PDF). 日本プロサッカーリーグ. p. 24. 2015年9月27日閲覧。
(31)^ “カターレ・魚津で3試合 今季日程を発表”. 北日本新聞 (2015年1月23日). 2015年1月23日閲覧。
(32)^ 北日本新聞社 (2008-04-09 朝刊) - 大沢野に屋内運動場23年完成、﹁カターレ﹂練習に協力
(33)^ "KNBラジオにてカターレ富山応援コーナー﹁行こうよJ1!Vivaカターレ!!﹂スタートのお知らせ" (Press release). カターレ富山. 6 April 2012.
(34)^ "FMとやまにてカターレ富山情報番組﹁カターレ富山 キックオフ・ドリーム・ナビゲーション﹂開始のお知らせ" (Press release). カターレ富山. 13 March 2014.
関連項目
- カターレ富山の選手一覧
- ライカくん - マスコットキャラクター
- TOP OF 北アルプス
- 前身となったクラブ
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- カターレ富山/Kataller Toyama (katallertoyama.official) - Facebook
- カターレ富山【公式】 (@katallertoyama) - X(旧Twitter)
- カターレ富山 - YouTubeチャンネル
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