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「チャールズ・ダーウィン」の版間の差分

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ダーウィンの調査結果を議論するために行われた最初の会合で、グールドは異なる島から集められた[[ガラパゴスマネシツグミ]]が亜種ではなく別の種だったこと、フィンチのグループに[[ミソサザイ]]が含まれていたことを告げた。ダーウィンはどの標本をどの島から採集したか記録を付けていなかったが、フィッツロイを含む他の乗組員のメモから区別する事ができた。動物学者[[トーマス・ベル]]はガラパゴスゾウガメが島の原産であると述べた。3月中旬までにダーウィンは絶滅種と現生種の地理的分布の説明のために、「種が他の種に変わる」可能性を考え始めた。7月中旬に始まる「B」ノートでは変化について新しい考えを記している。彼はラマルクの「一つの系統がより高次な形態へと前進する」という考えを捨てた。そして生命を一つの[[系統樹|進化樹]]から分岐する系統だと見なし始めた。「一つの動物が他の動物よりも高等だと言うのは不合理である」と考えた。

ダーウィンの調査結果を議論するために行われた最初の会合で、グールドは異なる島から集められた[[ガラパゴスマネシツグミ]]が亜種ではなく別の種だったこと、フィンチのグループに[[ミソサザイ]]が含まれていたことを告げた。ダーウィンはどの標本をどの島から採集したか記録を付けていなかったが、フィッツロイを含む他の乗組員のメモから区別する事ができた。動物学者[[トーマス・ベル]]はガラパゴスゾウガメが島の原産であると述べた。3月中旬までにダーウィンは絶滅種と現生種の地理的分布の説明のために、「種が他の種に変わる」可能性を考え始めた。7月中旬に始まる「B」ノートでは変化について新しい考えを記している。彼はラマルクの「一つの系統がより高次な形態へと前進する」という考えを捨てた。そして生命を一つの[[系統樹|進化樹]]から分岐する系統だと見なし始めた。「一つの動物が他の動物よりも高等だと言うのは不合理である」と考えた。



種の変化に関する研究を発展させると同時に、研究の泥沼に入り込んでいった。まだ航海記を書き直しており、コレクションに関する専門家のレポートの編集も行っていた。ヘンズローの協力でビーグル号航海の動物記録の大著を完成させるための1000[[スターリング・ポンド|ポンド]]の資金援助を政府から引き出した。ダーウィンは南アメリカの地質に関する本を通してライエルの斉一説を支持する、気の遠くなるような長い時間が存在したことを認めた。[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]が即位したちょうどその日、[[1837年]]6月20日に航海記を書き終えたが修正のためにまだ出版できなかった。その頃ダーウィンは体の不調に苦しんでいた。9月20日に「心臓に不快な動悸」を覚えた。医者は全ての仕事を切り上げて2、3週間は[[田舎]]で療養するよう勧めた。ウェッジウッド家の親戚を訪ねるためにシュールズベリーを尋ねたが、ウェッジウッド家の人々は航海の土産話を聞きたがり休む暇を与えなかった。9ヶ月年上のいとこエマ・ウェッジウッドは病床の叔母を看護していた。ジョスおじ(ジョサイア・ウェッジウッド2世)は地面に沈み込んだ燃えがらを指して、[[ミミズ]]の働きであることを示唆した。11月にロンドン地質学会でこの話を発表したが、これは[[土壌]]の生成にミミズが果たす役割を実証的に指摘した最初のケースだった。

種の変化に関する研究を発展させると同時に、研究の泥沼に入り込んでいった。まだ航海記を書き直しており、コレクションに関する専門家のレポートの編集も行っていた。ヘンズローの協力でビーグル号航海の動物記録の大著を完成させるための1000[[スターリング・ポンド|ポンド]]の資金援助を政府から引き出した。ダーウィンは南アメリカの地質に関する本を通してライエルの斉一説を支持する、気の遠くなるような長い時間が存在したことを認めた。[[ヴィクトリア (イギリス女王)|ヴィクトリア女王]]が即位したちょうどその日、[[1837年]]6月20日に航海記を書き終えたが修正のためにまだ出版できなかった。その頃ダーウィンは体の不調に苦しんでいた。9月20日に「心臓に不快な動悸」を覚えた。医者は全ての仕事を切り上げて2、3週間は[[田舎]]で療養するよう勧めた。ウェッジウッド家の親戚を訪ねるためにシュールズベリーを尋ねたが、ウェッジウッド家の人々は航海の土産話を聞きたがり休む暇を与えなかった。1つ年上の従姉エマ・ウェッジウッドは病床の叔母を看護していた。ジョスおじ(ジョサイア・ウェッジウッド2世)は地面に沈み込んだ燃えがらを指して、[[ミミズ]]の働きであることを示唆した。11月にロンドン地質学会でこの話を発表したが、これは[[土壌]]の生成にミミズが果たす役割を実証的に指摘した最初のケースだった。



[[ウィリアム・ヒューウェル]]は地質学会の事務局長にダーウィンを推薦した。一度は辞退したが、[[1838年]]3月に引き受けた。ビーグル号の報告書の執筆と編集に苦しんでいたにもかかわらず、種の変化に関して注目に値する前進をした。プロの博物学者からはもちろん、習慣にとらわれずに農民やハトの育種家などからも実際の経験談を聞く機会を逃さなかった。親戚や[[召使い|使用人]]、隣人、入植者、元[[船員]]仲間などからも情報を引き出した。最初から人類を推論の中に含めており、1838年3月に動物園で[[オランウータン]]が初めて公開されたとき、その子どもに似た振る舞いに注目した。6月まで何日も胃炎、頭痛、心臓の不調で苦しんだ。残りの人生の間、胃痛、[[嘔吐]]、激しい[[尋常性痤瘡|吹き出物]]、[[動悸]]、震えなどの症状でしばしば何もすることができなくなった。この病気の原因は当時何も知られておらず、治癒の試みは成功しなかった。現在、[[シャーガス病]]、あるいはいくつかの[[精神疾患|心の病]]が示唆されているが、明らかになっていない。6月末には[[スコットランド]]に地質調査のために出かけた。平行な「道」が山の中腹に三本走っていることで有名な[[グレン・ロイ]]を観察した。後に、これは海岸線の痕だ、と発表したが、氷河期にせき止められてできた湖の痕だと指摘され自説を撤回することになった。この出来事は性急に結論に走ることへの戒めとなった。体調が完全に回復すると7月にシュールズベリーに戻った。

[[ウィリアム・ヒューウェル]]は地質学会の事務局長にダーウィンを推薦した。一度は辞退したが、[[1838年]]3月に引き受けた。ビーグル号の報告書の執筆と編集に苦しんでいたにもかかわらず、種の変化に関して注目に値する前進をした。プロの博物学者からはもちろん、習慣にとらわれずに農民やハトの育種家などからも実際の経験談を聞く機会を逃さなかった。親戚や[[召使い|使用人]]、隣人、入植者、元[[船員]]仲間などからも情報を引き出した。最初から人類を推論の中に含めており、1838年3月に動物園で[[オランウータン]]が初めて公開されたとき、その子どもに似た振る舞いに注目した。6月まで何日も胃炎、頭痛、心臓の不調で苦しんだ。残りの人生の間、胃痛、[[嘔吐]]、激しい[[尋常性痤瘡|吹き出物]]、[[動悸]]、震えなどの症状でしばしば何もすることができなくなった。この病気の原因は当時何も知られておらず、治癒の試みは成功しなかった。現在、[[シャーガス病]]、あるいはいくつかの[[精神疾患|心の病]]が示唆されているが、明らかになっていない。6月末には[[スコットランド]]に地質調査のために出かけた。平行な「道」が山の中腹に三本走っていることで有名な[[グレン・ロイ]]を観察した。後に、これは海岸線の痕だ、と発表したが、氷河期にせき止められてできた湖の痕だと指摘され自説を撤回することになった。この出来事は性急に結論に走ることへの戒めとなった。体調が完全に回復すると7月にシュールズベリーに戻った。

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== 家族と子孫 ==

== 家族と子孫 ==

[[ファイル:Charles and William Darwin.jpg|thumb|left|長男ウィリアムとの写真(1842年)。ウィリアムの[[幼児]]期の[[観察]]記録が、のちに『幼児の伝記的記述』として発表され、観察という研究法方法の[[古典]]として知られている。]]

[[ファイル:Charles and William Darwin.jpg|thumb|left|長男ウィリアムとの写真(1842年)。ウィリアムの[[幼児]]期の[[観察]]記録が、のちに『幼児の伝記的記述』として発表され、観察という研究法方法の[[古典]]として知られている。]]

ダーウィン家には、10人の子供がいた。ダーウィンは熱心な父で子供たちの面倒をよく見たが、そのうち2人は幼くして死亡。かねてより病弱だった長女[[アン・ダーウィン|アニー]]に(巷で)よく効くという水治療を受けさせるが治療の甲斐無く1851年に病に臥せったまま10歳で病死し、夫妻をひどく悲しませた。特にいとこを妻としていたので[[近親婚]]の弊害ではないかとひどくおそれ、最期の手段として水治療に縋った自分とその療法に落胆する。彼の息子のうちウィリアムは銀行家、[[ジョージ・ハワード・ダーウィン|ジョージ]]は天文学者、[[フランシス・ダーウィン|フランシス]]は数学者、医者となった。ホリスは土木技師、実業家、そして1896年から1897年まで[[ケンブリッジ]]市長を務めた。彼らはそれぞれ王立協会の会員もつとめた。レオナルドは兄たちと異なる道を選んだ。軍人、政治家で優生学者でもあり、また[[ロナルド・フィッシャー]]の親しい友人となった。ジョージの孫の孫に映画「[[ナルニア国物語]]」出演で有名な俳優の[[スキャンダー・ケインズ]]がいる。この世を去るまで夫婦仲も睦まじく、子供らに対しても父チャールズなりの愛情で甲斐甲斐しく可愛がられ育てられ、子の内の一人によると「邪魔臭く感じるくらいに子供全員を分け隔てなく溺愛し子としてどう対処すれば良いのか分からず父子の関係にしばしば難渋していた、子供心には愛情を家族へ熱心に注ぐ父は風変わりに映った」と回想している。

ダーウィン家には、10人の子供がいた。ダーウィンは熱心な父で子供たちの面倒をよく見たが、そのうち2人は幼くして死亡。かねてより病弱だった長女[[アン・ダーウィン|アニー]]に(巷で)よく効くという水治療を受けさせるが治療の甲斐無く1851年に病に臥せったまま10歳で病死し、夫妻をひどく悲しませた。特に従姉を妻としていたので[[近親婚]]の弊害ではないかとひどくおそれ、最期の手段として水治療に縋った自分とその療法に落胆する。彼の息子のうちウィリアムは銀行家、[[ジョージ・ハワード・ダーウィン|ジョージ]]は天文学者、[[フランシス・ダーウィン|フランシス]]は数学者、医者となった。ホリスは土木技師、実業家、そして1896年から1897年まで[[ケンブリッジ]]市長を務めた。彼らはそれぞれ王立協会の会員もつとめた。レオナルドは兄たちと異なる道を選んだ。軍人、政治家で優生学者でもあり、また[[ロナルド・フィッシャー]]の親しい友人となった。ジョージの孫の孫に映画「[[ナルニア国物語]]」出演で有名な俳優の[[スキャンダー・ケインズ]]がいる。この世を去るまで夫婦仲も睦まじく、子供らに対しても父チャールズなりの愛情で甲斐甲斐しく可愛がられ育てられ、子の内の一人によると「邪魔臭く感じるくらいに子供全員を分け隔てなく溺愛し子としてどう対処すれば良いのか分からず父子の関係にしばしば難渋していた、子供心には愛情を家族へ熱心に注ぐ父は風変わりに映った」と回想している。



== 社会思想 ==

== 社会思想 ==

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=== 優生学 ===

=== 優生学 ===

ダーウィンはいとこの[[フランシス・ゴルトン]]の1865年の議論に興味を覚えた。ゴルトンは遺伝の統計分析が道徳や精神的能力は遺伝することを明らかにし、動物の[[品種改良]]の原則は人間に応用できると主張した。『人間の由来』でダーウィンは弱い者が生きて家族を持つことは自然選択の利益を失うことになると指摘したが、弱者への援助を控えることはわれわれの同情の本能を危険にさらすと警告した。彼は人の共感能力や[[道徳|道徳心]]も自然選択によって形作られたと考え、現代でも道徳心が薄い人間は成功できないではないかと述べた。またダーウィンにとって教育はより重要だった。

ダーウィンは従弟の[[フランシス・ゴルトン]]の1865年の議論に興味を覚えた。ゴルトンは遺伝の統計分析が道徳や精神的能力は遺伝することを明らかにし、動物の[[品種改良]]の原則は人間に応用できると主張した。『人間の由来』でダーウィンは弱い者が生きて家族を持つことは自然選択の利益を失うことになると指摘したが、弱者への援助を控えることはわれわれの同情の本能を危険にさらすと警告した。彼は人の共感能力や[[道徳|道徳心]]も自然選択によって形作られたと考え、現代でも道徳心が薄い人間は成功できないではないかと述べた。またダーウィンにとって教育はより重要だった。



ゴルトンが研究を出版し、「生まれつき能力がある人」の中で近親婚を推奨したとき、ダーウィンは実際的な困難を予想して「唯一実現可能な人種の改善計画だが、まだ夢想的だと恐れる」と述べ、単に遺伝の重要性を公表して個人に決定を任せる方を好んだ。ダーウィンの死後1883年にゴルトンはこの考えを[[優生学]]と名付け、同時に[[生物測定学]]を発展させた。自然選択説が[[遺伝学|メンデル遺伝学]]によって一時的に失墜していたとき優生学運動は広範囲にひろがった。ベルギー、ブラジル、カナダ、スウェーデン、アメリカ合衆国を含むいくつかの国で[[断種法]]の強制となった。特に[[ナチス・ドイツ|ナチ]]の優生学はダーウィンのアイディアの信用を傷つけた。

ゴルトンが研究を出版し、「生まれつき能力がある人」の中で近親婚を推奨したとき、ダーウィンは実際的な困難を予想して「唯一実現可能な人種の改善計画だが、まだ夢想的だと恐れる」と述べ、単に遺伝の重要性を公表して個人に決定を任せる方を好んだ。ダーウィンの死後1883年にゴルトンはこの考えを[[優生学]]と名付け、同時に[[生物測定学]]を発展させた。自然選択説が[[遺伝学|メンデル遺伝学]]によって一時的に失墜していたとき優生学運動は広範囲にひろがった。ベルギー、ブラジル、カナダ、スウェーデン、アメリカ合衆国を含むいくつかの国で[[断種法]]の強制となった。特に[[ナチス・ドイツ|ナチ]]の優生学はダーウィンのアイディアの信用を傷つけた。

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[[Category:19世紀イングランドの動物学者]]

[[Category:19世紀イングランドの動物学者]]

[[Category:19世紀イングランドの博物学者]]

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[[Category:19世紀の地質学者]]

[[Category:イギリスの人類学者]]

[[Category:イギリスの人類学者]]

[[Category:イングランドの地質学者]]

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[[Category:ロンドン・リンネ協会フェロー]]

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[[Category:オランダ王立芸術科学アカデミー会員]]

[[Category:オランダ王立芸術科学アカデミー会員]]

[[Category:アメリカ哲学協会会員]]

[[Category:アメリカ哲学協会外国人会員]]

[[Category:国立科学アカデミー・レオポルディーナ会員]]

[[Category:国立科学アカデミー・レオポルディーナ会員]]

[[Category:プロイセン科学アカデミー会員]]

[[Category:プロイセン科学アカデミー会員]]

[[Category:バイエルン科学アカデミー会員]]

[[Category:バイエルン科学アカデミー会員]]

[[Category:ベルギー王立アカデミー会員]]

[[Category:ベルギー王立アカデミー会員]]

[[Category:アッカデーミア・デイ・リンチェイ会員]]

[[Category:プール・ル・メリット勲章平和章受章者]]

[[Category:プール・ル・メリット勲章平和章受章者]]

[[Category:ダーウィン=ウェッジウッド家|ちやあるす]]

[[Category:ダーウィン=ウェッジウッド家|ちやあるす]]


2024年2月28日 (水) 13:41時点における最新版

チャールズ・ダーウィン
Charles Darwin
1881年のダーウィン
生誕 1809年2月12日
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドシュロップシャー州シュルーズベリー
死没 1882年4月19日(1882-04-19)(73歳没)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドケント州ダウン英語版
居住 イギリスの旗 イギリス
国籍 イギリスの旗 イギリス
研究分野 博物学
自然科学
研究機関 ロンドン地理学協会
出身校 エディンバラ大学
ケンブリッジ大学
主な業績 種の起源
ビーグル号航海記
自然選択説
主な受賞歴 ロイヤル・メダル (1853)
ウォラストン・メダル (1859)
コプリ・メダル (1864)
署名

"Charles Darwin", with the surname underlined by a downward curve that mimics the curve of the initial "C"

プロジェクト:人物伝
テンプレートを表示

Charles Robert Darwin ([tʃɑːlz 'dɑː.wɪn]), 1809212 - 1882419



1930[1][2]

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ダーウィンの進化論[編集]

自然選択説[編集]



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18421952調1851

 Angraecum sesquipedale 186227cm

1880The Power of movement in plants

188140[15]

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2009[]


200150200200820092008

20097220089

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18291832. [Records of captured insects, in] Stephens, J. F., Illustrations of British entomology [21]

1835: Extracts from Letters to Henslow (read at a meeting of the Cambridge Philosophical Society on 16 November 1835, with comments by John Stevens Henslow and Adam Sedgwick, and printed for private distribution dated 1 December 1835.[22] Selected remarks had been read by Sedgwick to the Geological Society of London on 18 November 1835, and these were summarised in Proceedings of the Geological Society published in 1836.[23] Further extracts were published in the Entomological Magazine and, with a review, in the Magazine of natural history.[22] A reprint was issued in 1960, again for private distribution)

1836: A LETTER, Containing Remarks on the Moral State of TAHITI, NEW ZEALAND, &c.  BY CAPT. R. FITZROY AND C. DARWIN, ESQ. OF H.M.S. 'Beagle.'[24]

1838-43: Zoology of the Voyage of H.M.S. Beagle: published between 1839 and 1843 in five Parts (and nineteen numbers) by various authors, edited and superintended by Charles Darwin, who contributed sections to two of the Parts:
1838: Part 1 No. 1 Fossil Mammalia, by Richard Owen (Preface and Geological introduction by Darwin)

1838: Part 2 No. 1 Mammalia, by George R. Waterhouse (Geographical introduction and A notice of their habits and ranges by Darwin)

1839: Journal and Remarks (The Voyage of the Beagle︿)

1842: The Structure and Distribution of Coral Reefs

1844: Geological Observations on the Volcanic Islands visited during the voyage of H.M.S. Beagle

1846: Geological Observations on South America

1849: Geology from A Manual of scientific enquiry; prepared for the use of Her Majesty's Navy: and adapted for travellers in general., John F.W. Herschel ed.

1851: A Monograph of the Sub-class Cirripedia, with Figures of all the Species. The Lepadidae; or, Pedunculated Cirripedes.

1851: A Monograph on the Fossil Lepadidae, or, Pedunculated Cirripedes of Great Britain

1854: A Monograph of the Sub-class Cirripedia, with Figures of all the Species. The Balanidae (or Sessile Cirripedes); the Verrucidae, etc.

1854: A Monograph on the Fossil Balanidæ and Verrucidæ of Great Britain

1858: On the Tendency of Species to form Varieties; and on the Perpetuation of Varieties and Species by Natural Means of Selection (Extract from an unpublished Work on Species)

1859: On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life

1862: On the various contrivances by which British and foreign orchids are fertilised by insects|Fertilisation of Orchids|On the various contrivances by which British and foreign orchids are fertilised by insects

1865: The Movements and Habits of Climbing Plants (Linnean Society paper, published in book form in 1875)

1868: The Variation of Animals and Plants under Domestication

1871: The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex

1872: The Expression of Emotions in Man and Animals

1875: Insectivorous Plants

1876: en:The Effects of Cross and Self Fertilisation in the Vegetable Kingdom

1877: The Different Forms of Flowers on Plants of the Same Species

1879: "Preface and 'a preliminary notice'" in Ernst Krause's Erasmus Darwin

1880: The Power of Movement in Plants

1881: The Formation of Vegetable Mould through the Action of Worms



1887: Autobiography of Charles Darwin (Edited by his son Francis Darwin)

1958: Autobiography of Charles Darwin (Barlow, unexpurgated)



1887: Life and Letters of Charles Darwin, (ed. Francis Darwin)

1903: More Letters of Charles Darwin, (ed. Francis Darwin and A.C. Seward)

en:Correspondence of Charles Darwin

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︿1990
︿ISBN 4003391241 ︿ISBN 400339125X

  1997

 6 2009

︿ 20099-12

︿ 1959-1961
︿ISBN 4003391217 ︿ISBN 4003391225 ︿ISBN 4003391233

 
19792010 ISBN 4062919818

 ︿ 20136-7︿ISBN 4582541380 ︿ISBN 4582541399

 1994 ISBN 4582760562

 2020 ISBN 4334754287

  2000 ISBN 4480085580

12 1999-2000ISBN 4829901217ISBN 4829901225
 ︿20169-10

3  ISBN 4829901233

 19912009 ISBN 4627260792

 19311991ISBN 4003391276

︿121937 

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ 18382010417

(二)^ 18251827

(三)^ 調 

(四)^ R[10][]1859[]

出典[編集]



(一)^ The Complete Works of Darwin Online - Biography. darwin-online.org.uk. Dobzhansky 1973

(二)^ van Wyhe, John (2008), Charles Darwin: gentleman naturalist: A biographical sketch

(三)^  ISBN 978-4000023962, P.207 40-  Trinder B. (1998) A History of Shropshire (West Sussex: Phillimore, 2nd) P.79.

(四)^   2004 211

(五)^   2004 213

(六)^  50201674ISBN 978-4-562-05333-9 

(七)^ Darwin, C. R. 'This is the Question Marry Not Marry' [Memorandum on marriage]. (7.1838) CUL-DAR210.8.2
 WIRED.jp Archives []

(八)^ "Darwin; Charles Robert (1809 - 1882)". Record (). The Royal Society. 20111211

(九)^  .  AFP (202246). 202245

(十)^ p.125

(11)^ Noguera-Solano R1, Ruiz-Gutiérrez R.NCBI Darwin and inheritance: the influence of Prosper Lucas.J Hist Biol. 2009 Winter;42(4):685-714.

(12)^ R. ,   ISBN 4003391241, P.12

(13)^ P.56

(14)^ C.  1997

(15)^ S.J."9 "  ISBN 4-15-050219-6

(16)^ http://www.nytimes.com/learning/general/onthisday/bday/0212.html

(17)^ . oasis.andrew.ac.jp. 2020629

(18)^ The evolution of a misquotation (). Darwin Correspondence Project (20161125). 2020629

(19)^ .  . 2020629

(20)^ Browne, E. Janet (2002), Charles Darwin: vol. 2 The Power of Place, London: Jonathan Cape, ISBN 0-7126-6837-3  : 

(21)^ Darwin Online: Darwin's insects in Stephens' Illustrations of British entomology (1829-32)

(22)^ abExtracts from letters addressed to Professor Henslow. Cambridge: [privately printed]

(23)^ Proceedings of the Geological Society 2: 210-212

(24)^ South African Christian Recorder 2 (4) (Sept. 1836): 221-238

参考文献[編集]


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  The Lying Stones of Marrakech2005

[]

外部リンク[編集]