「バリー・ラーキン」の版間の差分
PhiladelphiaPhilliesFan (会話) による ID:75065704 の版を取り消し タグ: 取り消し |
編集の要約なし |
||
(10人の利用者による、間の14版が非表示) | |||
2行目: | 2行目: | ||
|選手名 = バリー・ラーキン |
|選手名 = バリー・ラーキン |
||
|英語表記 = Barry Larkin |
|英語表記 = Barry Larkin |
||
|所属球団 = |
|所属球団 = ムンバイ・コブラス |
||
| |
|役職 = GM |
||
|選手写真ファイル名 = Barry Larkin |
|選手写真ファイル名 = Barry Larkin (32803083773) (cropped).jpg |
||
|写真サイズ = 280 |
|写真サイズ = 280 |
||
|写真のコメント = |
|写真のコメント = 2017年3月22日 |
||
|国籍 = {{USA}} |
|国籍 = {{USA}} |
||
|出身地 = [[オハイオ州]][[シンシナティ]] |
|出身地 = [[オハイオ州]][[シンシナティ]] |
||
36行目: | 36行目: | ||
{{MedalCountry|{{USA}}}} |
{{MedalCountry|{{USA}}}} |
||
{{MedalCompetition|[[オリンピックの野球競技|オリンピック]]}} |
{{MedalCompetition|[[オリンピックの野球競技|オリンピック]]}} |
||
{{MedalSilver|[[1984年ロサンゼルスオリンピック|1984]] |
{{MedalSilver|[[1984年ロサンゼルスオリンピック|1984]]}} |
||
{{MedalBottom}} |
{{MedalBottom}} |
||
'''バリー・ルイス・ラーキン'''('''Barry Louis Larkin''', [[1964年]][[4月28日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]][[シンシナティ]]出身の元[[プロ野球選手]]([[遊撃手]])。右投右打。 |
'''バリー・ルイス・ラーキン'''︵'''Barry Louis Larkin''', [[1964年]][[4月28日]] - ︶は、[[アメリカ合衆国]][[オハイオ州]][[シンシナティ]]出身の元[[プロ野球選手]]︵[[遊撃手]]︶。右投右打。[[ベースボール・ユナイテッド]]の[[ムンバイ・コブラス]]のGMを務める。プロ入りから19年間すべてのシーズンを[[シンシナティ・レッズ]]で過ごした[[フランチャイズ・プレイヤー]]である。
|
||
9歳下の実弟{{仮リンク|スティーブン・ラーキン|en|Stephen Larkin}}も元メジャーリーガー。息子の[[シェーン・ラーキン]]はバスケットボール選手。 |
9歳下の実弟{{仮リンク|スティーブン・ラーキン|en|Stephen Larkin}}も元メジャーリーガー。息子の[[シェーン・ラーキン]]はバスケットボール選手。 |
||
44行目: | 44行目: | ||
== 経歴 == |
== 経歴 == |
||
=== プロ入り前 === |
=== プロ入り前 === |
||
子供の頃は地元[[シンシナティ・レッズ]]の遊撃手である[[デーブ・コンセプシオン]]が憧れの選手だった。{{by|1982年}}の[[1982年のMLBドラフト|MLBドラフト]]2巡目(全体51位)でレッズから指名を受けるが契約せず、[[ミシガン大学]]へ進学。{{by|1984年}}には第13回[[日米大学野球選手権]]に出場<ref>[https://www.jubf.net/us/index13.html 第13回 日米大学野球選手権](2018年10月1日閲覧)</ref>、さらに[[1984年ロサンゼルスオリンピックの野球競技|ロサンゼルスオリンピック]]に[[野球アメリカ合衆国代表|アメリカ代表]]として出場し[[銀メダル]]を獲得した。 |
子供の頃は地元[[シンシナティ・レッズ]]の遊撃手である[[デーブ・コンセプシオン]]が憧れの選手だった。{{by|1982年}}の[[1982年のMLBドラフト|MLBドラフト]]2巡目(全体51位)でレッズから指名を受けるが契約せず、[[ミシガン大学]]へ進学。{{by|1984年}}には第13回[[日米大学野球選手権]]に出場<ref>[https://www.jubf.net/us/index13.html 第13回 日米大学野球選手権](2018年10月1日閲覧)</ref>、さらに[[1984年ロサンゼルスオリンピックの野球競技|ロサンゼルスオリンピック]]に[[野球アメリカ合衆国代表|アメリカ合衆国代表]]として出場し、[[銀メダル]]を獲得した。 |
||
=== プロ入りとレッズ時代 === |
=== プロ入りとレッズ時代 === |
||
{{by|1985年}}の[[1985年のMLBドラフト|MLBドラフト]]1巡目(全体4位)で再びレッズから指名され、プロ入り。 |
{{by|1985年}}の[[1985年のMLBドラフト|MLBドラフト]]1巡目(全体4位)で再びレッズから指名され、プロ入り。 |
||
{{by|1986年}}はAAA級[[ニューオーリンズ・ベビーケークス|デンバー・ゼファーズ]]で打率.329 |
{{by|1986年}}はAAA級[[ニューオーリンズ・ベビーケークス|デンバー・ゼファーズ]]で打率.329、10本塁打、10三塁打を記録し<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id=larkin001bar|title=Barry Larkin Minor League Statistics & History|language=英語|work= Baseball-Reference.com |accessdate=2013-07-21}}</ref>、[[8月13日]]の[[サンフランシスコ・ジャイアンツ]]戦でメジャーデビュー<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/players/gl.cgi?id=larkiba01&t=b&year=1986|title=1986 Batting Gamelogs|language=英語|work= Baseball-Reference.com |accessdate=2013-07-21}}</ref>。憧れだったコンセプシオンを押しのけてショートのレギュラーに定着し、[[8月17日]]の[[サンディエゴ・パドレス]]戦で[[ラマー・ホイト]]からメジャー初本塁打を放つ<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/players/event_hr.cgi?id=larkiba01&t=b|title=Career Home Runs|language=英語|work= Baseball-Reference.com |accessdate=2013-07-21}}</ref>など打率.283、3本塁打の成績。[[ルーキー・オブ・ザ・イヤー (MLB)|ルーキー・オブ・ザ・イヤー]]の投票では1ポイントを獲得した<ref>{{cite web |url=http://www.baseball-reference.com/awards/awards_1986.shtml#NLroy|title=NL Rookie of the Year Voting|language=英語|work= Baseball-Reference.com |accessdate=2013-07-21}}</ref>。
|
||
{{by|1988年}}11月には[[日米野球]]で[[グレッグ・マダックス]]、[[ラファエル・パルメイロ]]らと共に来日。打率.476を記録しMVPに選ばれている。 |
{{by|1988年}}11月には[[日米野球]]で[[グレッグ・マダックス]]、[[ラファエル・パルメイロ]]らと共に来日。打率.476を記録しMVPに選ばれている。 |
||
55行目: | 55行目: | ||
{{by|1990年}}にはチームの中心選手として[[1990年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]制覇に貢献。 |
{{by|1990年}}にはチームの中心選手として[[1990年のワールドシリーズ|ワールドシリーズ]]制覇に貢献。 |
||
{{by|1995年}}には[[打率]].319、15[[本塁打]]、66[[打点]]の成績だったが、本塁打・打点の |
{{by|1995年}}には[[打率]].319、15[[本塁打]]、66[[打点]]の成績だったが、本塁打・打点の二冠王[[ダンテ・ビシェット]]を抑えて[[ナショナルリーグ]]の[[最優秀選手 (MLB)|MVP]]を受賞。成績以上にチームリーダーとしての役割が評価されての受賞だった。 |
||
{{by|1996年}}には33本塁打 |
{{by|1996年}}には33本塁打、36[[盗塁]]を記録し、遊撃手としては史上初の「[[30-30クラブ|30・30]]」を達成した。さらに彼は[[ヒスパニック]]のチームメイトと関係を構築するために[[スペイン語]]を学んだ。 |
||
{{by|1997年}}、チームではコンセプシオン以来となるキャプテンに就任。 |
{{by|1997年}}、チームではコンセプシオン以来となるキャプテンに就任。 |
||
{{by|1998年}}、シーズン最終戦の |
{{by|1998年}}、シーズン最終戦の9月27日に弟の{{仮リンク|スティーブン・ラーキン|en|Stephen Larkin}}が1試合だけ[[一塁手]]で出場し、兄弟同時出場が実現した。この試合で、当時レッズに所属していた[[ブレット・ブーン]]、[[アーロン・ブーン]]兄弟もそれぞれ[[二塁手]]、[[三塁手]]で出場し、史上初の兄弟2組同時出場が実現した。 |
||
{{by|2000年}} |
{{by|2000年}}8月21日に[[ピート・ローズ]]、コンセプシオン、[[ジョニー・ベンチ]]に次いで球団史上4人目の通算2000本安打を達成。 |
||
{{by|2004年}} |
{{by|2004年}}10月2日に引退式が予定されていたが、まだ引退の意思が無かったため辞退した。 |
||
[[File:CincinnatiReds11.png|right|thumb|150px|ラーキンの背番号﹁'''11'''﹂。<br/>シンシナティ・レッズの[[メジャーリーグベースボールの永久欠番|永久欠番]]に[[2012年]]指定。]]
|
|||
=== 引退後 === |
=== 引退後 === |
||
{{by|2005年}}2月に正式に引退を表明。その後、[[ワシントン・ナショナルズ]]の[[ゼネラルマネージャー#メジャーリーグにおけるGM|GM]]特別補佐に就任した。 |
{{by|2005年}}2月に正式に引退を表明。その後、[[ワシントン・ナショナルズ]]の[[ゼネラルマネージャー#メジャーリーグにおけるGM|GM]]特別補佐に就任した。 |
||
{{by|2012年}} |
{{by|2012年}}1月9日に[[全米野球記者協会]]の投票により86%の得票率を得て[[アメリカ野球殿堂]]表彰が決定した<ref>[http://www.asahi.com/sports/update/0110/TKY201201100077.html ラーキン氏、米野球殿堂入り 90年代を代表する遊撃手] 朝日新聞 2012年1月10日閲覧</ref>。 |
||
[[File:CincinnatiReds11.png|right|thumb|150px|ラーキンの背番号﹁'''11'''﹂。<br/>シンシナティ・レッズの[[メジャーリーグベースボールの永久欠番|永久欠番]]に[[2012年]]指定。]]
|
|||
また、同年8月に古巣レッズはラーキンの現役時代につけていた[[野球の背番号|背番号]]'''11'''を[[野球界の永久欠番|永久欠番]]に指定することを発表した。9月20日にブラジル野球連盟はラーキンが[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回]][[ワールド・ベースボール・クラシック|WBC]]予選の[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック・ブラジル代表|ブラジル代表]]の監督に就任したことを発表した<ref>[https://web.archive.org/web/20120920052234/http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/etc/news/20120919-OHT1T00290.htm ブラジル監督にラーキン氏…WBC] - スポーツ報知、2012年9月20日配信、2012年9月22日閲覧</ref>。 |
|||
{{by|2014年}}に南米野球を普及強化するため行われた『エリートキャンプ』にコーチとして参加した<ref>[http://www.nikkeyshimbun.jp/2014/140308-54colonia.html メジャーリーグ=50年先見て指導] - ニッケイ新聞、2014年10月21日閲覧</ref>。 |
|||
{{by|2016年}}9月に行われた[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|第4回WBC]]予選に、前大会に引き続き[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック・ブラジル代表|ブラジル代表]]監督を務めた<ref>[http://www.cbbs.com.br/images/fotos_nikkey/WBCQ_500.jpg] {{en icon}} 2016年10月25日閲覧</ref>。 |
|||
{{by|2021年}}からレッズの専属解説者を務める<ref>{{Cite web|url=https://www.wcpo.com/sports/baseball/reds/hall-of-famer-barry-larkin-to-join-reds-broadcast-team|title=Hall of Famer Barry Larkin to join Reds broadcast team|publisher=WCPO.com|date=2021-02-16|accessdate=2021-04-24}}</ref>。 |
|||
{{by|2022年}}7月26日に[[マリアノ・リベラ]]と共に[[ステークホルダー]]としてインド、パキスタン、中東にて[[ベースボール・ユナイテッド|ユナイテッド・インターナショナル・ベースボール・リーグ]] の発足を発表した<ref>{{cite news|title=United International Baseball League to serve Middle East, India and Pakistan |url=https://gulfnews.com/sport/uae-sport/united-international-baseball-league-to-serve-middle-east-india-and-pakistan-1.89522596 |agency=Gulf News |date=July 26, 2022}}</ref>。 |
|||
{{by|2014年}}に南米野球を普及強化するため行われる『エリートキャンプ』にコーチとして参加している<ref>[http://www.nikkeyshimbun.jp/2014/140308-54colonia.html メジャーリーグ=50年先見て指導] - ニッケイ新聞、2014年10月21日閲覧</ref>。 |
|||
{{by|2023年}}5月22日に[[ベースボール・ユナイテッド]]の[[ムンバイ・コブラス]]のGMに就任した<ref>{{cite web|url=https://www.baseballunited.com/news/barry-larkin-named-honorary-gm-baseball-uniteds-mumbai-franchise|title=BARRY LARKIN NAMED HONORARY GM OF BASEBALL UNITED’S MUMBAI FRANCHISE|work=Baseball United|language=en|date=May 22, 2023|accessdate=June 19, 2023}}</ref>。 |
|||
{{by|2016年}}9月に[[2017 ワールド・ベースボール・クラシック|第4回WBC]]予選に全大会に引き続き[[野球ブラジル代表|ブラジル代表]]監督を務めた<ref>[http://www.cbbs.com.br/images/fotos_nikkey/WBCQ_500.jpg] {{en icon}} 2016年10月25日閲覧</ref>。 |
|||
== 選手としての特徴 == |
== 選手としての特徴 == |
||
81行目: | 88行目: | ||
== 人物 == |
== 人物 == |
||
[[松井稼頭央]]とは面識があり、2013年のワールド・ベースボール・クラシックでは練習の際に「カズ!」と自ら呼びかけ抱擁と握手を行った<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/sports/wbc/2013/news/20130307-OYT1T00936.htm 松井「覚えていてくれた」WBCで懐かしい再会] - YOMIURI ONLINE、2014年10月21日閲覧</ref>。 |
[[松井稼頭央]]とは面識があり、2013年のワールド・ベースボール・クラシックでは練習の際に「カズ!」と自ら呼びかけ抱擁と握手を行った<ref>[https://web.archive.org/web/20130310040129/http://www.yomiuri.co.jp/sports/wbc/2013/news/20130307-OYT1T00936.htm 松井「覚えていてくれた」WBCで懐かしい再会] - YOMIURI ONLINE、2014年10月21日閲覧</ref>。 |
||
== 詳細情報 == |
== 詳細情報 == |
||
148行目: | 155行目: | ||
|2180||9057||7937||1329||2340||441||76||198||3527||960||379||77||59||67||939||66||55||817||178||.295||.371||.444||.815 |
|2180||9057||7937||1329||2340||441||76||198||3527||960||379||77||59||67||939||66||55||817||178||.295||.371||.444||.815 |
||
|} |
|} |
||
=== 年度別守備成績 === |
|||
{| class="wikitable" style="text-align: right; font-size: small; border-collapse:collapse; padding: 1px;" |
|||
!rowspan="2"|年<br />度!!rowspan="2"|球<br />団!!colspan="6"|[[遊撃手|遊撃(SS)]]!!colspan="6"|[[二塁手|二塁(2B)]] |
|||
|-style="line-height:1.25em; text-align:center;" |
|||
!試<br /><br />合!![[刺殺|刺<br /><br />殺]]!![[補殺|補<br /><br />殺]]!![[失策|失<br /><br />策]]!![[併殺|併<br /><br />殺]]!![[守備率|守<br />備<br />率]]!!試<br /><br />合!!刺<br /><br />殺!!補<br /><br />殺!!失<br /><br />策!!併<br /><br />殺!!守<br />備<br />率 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1986 |
|||
|rowspan="19" style="text-align: center; white-space:nowrap;"|CIN |
|||
|36||47||119||4||21||.976||3||4||6||0||1||1.000 |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1987 |
|||
|119||168||358||19||72||.965||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1988 |
|||
|148||231||470||'''29'''||67||.960||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1989 |
|||
|82||142||267||10||31||.976||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1990 |
|||
|156||254||'''469'''||17||'''86'''||.977||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1991 |
|||
|119||226||372||15||65||.976||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1992 |
|||
|140||233||408||11||67||.983||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1993 |
|||
|99||159||281||16||56||.965||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|'''1994''' |
|||
|'''110'''||'''178'''||312||10||62||.980||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|'''1995''' |
|||
|130||192||341||11||72||.980||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|'''1996''' |
|||
|151||'''230'''||426||17||80||.975||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1997 |
|||
|63||77||171||5||33||.980||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1998 |
|||
|145||207||361||12||79||.979||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|1999 |
|||
|'''161'''||220||401||14||77||.978||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|2000 |
|||
|102||153||249||11||43||.973||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|2001 |
|||
|44||65||108||9||23||.951||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|2002 |
|||
|135||191||370||12||89||.979||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|2003 |
|||
|60||71||159||9||36||.962||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
|style="text-align:center;"|2004 |
|||
|85||106||216||4||33||.988||colspan="6"style="text-align:center;"|- |
|||
|- |
|||
!colspan="2"|MLB |
|||
|2085||3150||5858||235||1092||.975||3||4||6||0||1||1.000 |
|||
|} |
|||
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高 |
|||
* 各年度の'''太字年'''は[[ゴールドグラブ賞]]受賞 |
|||
=== 表彰 === |
=== 表彰 === |
||
* [[最優秀選手 (MLB)|MVP]]:1回(1995年) |
* [[最優秀選手 (MLB)|シーズンMVP]]:1回(1995年) |
||
* [[シルバースラッガー賞]]([[シルバースラッガー賞受賞者一覧 (遊撃手)|遊撃手部門]]):9回(1988年 - 1992年、1995年、1996年、1998年、1999年) |
|||
* [[ゴールドグラブ賞]]:3回(1994年 - 1996年) |
|||
* [[ |
* [[ゴールドグラブ賞]]([[ゴールドグラブ賞受賞者一覧 (遊撃手)|遊撃手部門]]):3回(1994年 - 1996年) |
||
* [[ロベルト・クレメンテ賞]]:1回(1993年) |
* [[ロベルト・クレメンテ賞]]:1回(1993年) |
||
* [[ルー・ゲーリッグ賞]]:1回(1994年) |
* [[ルー・ゲーリッグ賞]]:1回(1994年) |
||
=== 記録 === |
=== 記録 === |
||
* [[MLBオールスターゲーム]]選出:12回([[1988年のMLBオールスターゲーム|1988年]] - [[1991年のMLBオールスターゲーム|1991年]]、[[1993年のMLBオールスターゲーム|1993年]] - [[1997年のMLBオールスターゲーム|1997年]]、[[1999年のMLBオールスターゲーム|1999年]] |
* [[MLBオールスターゲーム]]選出:12回([[1988年のMLBオールスターゲーム|1988年]] - [[1991年のMLBオールスターゲーム|1991年]]、[[1993年のMLBオールスターゲーム|1993年]] - [[1997年のMLBオールスターゲーム|1997年]]、[[1999年のMLBオールスターゲーム|1999年]]、[[2000年のMLBオールスターゲーム|2000年]]、[[2004年のMLBオールスターゲーム|2004年]]) |
||
* [[30-30クラブ|30本塁打30盗塁]]:1回(1996年) |
* [[30-30クラブ|30本塁打30盗塁]]:1回(1996年) |
||
=== 背番号 === |
=== 背番号 === |
||
* '''15'''(1986年 - 1987年) |
* '''15'''(1986年 - 1987年) |
||
* '''11'''(1988年 - 2004年 |
* '''11'''(1988年 - 2004年)※[[シンシナティ・レッズ]]の[[メジャーリーグベースボールの永久欠番|永久欠番]] |
||
=== 代表歴 === |
=== 代表歴 === |
||
180行目: | 257行目: | ||
* [[メジャーリーグベースボールの選手一覧 L]] |
* [[メジャーリーグベースボールの選手一覧 L]] |
||
* [[兄弟スポーツ選手一覧#野球|兄弟スポーツ選手一覧]] |
* [[兄弟スポーツ選手一覧#野球|兄弟スポーツ選手一覧]] |
||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
{{commonscat|Barry Larkin}} |
|||
{{bbhof|larkin-barry}} |
{{bbhof|larkin-barry}} |
||
{{MLBstats|mlb=117501|espn=1768|br=l/larkiba01|fangraphs=335|cube=Barry-Larkin|brm=larkin001bar}} |
{{MLBstats|mlb=117501|espn=1768|br=l/larkiba01|fangraphs=335|cube=Barry-Larkin|brm=larkin001bar}} |
||
193行目: | 272行目: | ||
{{ロベルト・クレメンテ賞}} |
{{ロベルト・クレメンテ賞}} |
||
}} |
}} |
||
{{Cincinnati Reds}} |
|||
{{1990 シンシナティ・レッズ}} |
{{1990 シンシナティ・レッズ}} |
||
{{Cincinnati Reds}} |
|||
{{2009 ワールド・ベースボール・クラシックアメリカ合衆国代表}} |
{{2009 ワールド・ベースボール・クラシックアメリカ合衆国代表}} |
||
{{2013 ワールド・ベースボール・クラシックブラジル代表}} |
{{2013 ワールド・ベースボール・クラシックブラジル代表}} |
||
{{2017 ワールド・ベースボール・クラシックブラジル代表}} |
{{2017 ワールド・ベースボール・クラシックブラジル代表}} |
||
{{authority control}} |
|||
{{Baseball-biography-stub}} |
{{Baseball-biography-stub}} |
||
{{DEFAULTSORT:らあきん はりい}} |
{{DEFAULTSORT:らあきん はりい}} |
||
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]] |
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]] |
||
[[Category:アメリカ合衆国の野球監督]] |
|||
[[Category:アフリカ系アメリカ人の野球選手]] |
[[Category:アフリカ系アメリカ人の野球選手]] |
||
[[Category:ミシガン大学出身の野球選手]] |
|||
[[Category:シンシナティ・レッズの選手]] |
[[Category:シンシナティ・レッズの選手]] |
||
[[Category:ワシントン・ナショナルズ関連人物]] |
|||
[[Category:アメリカ野球殿堂表彰者]] |
|||
[[Category:MLBオールスターゲーム選出選手]] |
[[Category:MLBオールスターゲーム選出選手]] |
||
[[Category:ナショナルリーグMVP]] |
[[Category:ナショナルリーグMVP]] |
||
[[Category:野球アメリカ合衆国代表選手]] |
|||
[[Category:オリンピック野球アメリカ合衆国代表選手]] |
[[Category:オリンピック野球アメリカ合衆国代表選手]] |
||
[[Category:アメリカ合衆国のオリンピック銀メダリスト]] |
[[Category:アメリカ合衆国のオリンピック銀メダリスト]] |
||
[[Category:野球のオリンピックメダリスト]] |
[[Category:野球のオリンピックメダリスト]] |
||
[[Category:日米大学野球選手権大会アメリカ合衆国代表選手]] |
[[Category:日米大学野球選手権大会アメリカ合衆国代表選手]] |
||
[[Category:20世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手]] |
|||
[[Category:21世紀のアフリカ系アメリカ人のスポーツ選手]] |
|||
[[Category:アメリカ合衆国の野球監督]] |
|||
[[Category:野球ブラジル代表]] |
|||
[[Category:ムンバイ・コブラス関連人物]] |
|||
[[Category:アメリカ野球殿堂表彰者]] |
|||
[[Category:MLB永久欠番保持者]] |
|||
[[Category:シンシナティ出身の人物]] |
[[Category:シンシナティ出身の人物]] |
||
[[Category:ミシガン大学出身の人物]] |
|||
[[Category:1964年生]] |
[[Category:1964年生]] |
||
[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
2024年4月5日 (金) 16:31時点における最新版
ムンバイ・コブラス GM | |
---|---|
2017年3月22日 | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | オハイオ州シンシナティ |
生年月日 | 1964年4月28日(60歳) |
身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 185 lb =約83.9 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 遊撃手 |
プロ入り | 1985年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 | 1986年8月13日 |
最終出場 | 2004年10月3日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | アメリカ合衆国 |
五輪 | 1984年 |
選出年 | 2012年 |
得票率 | 86% |
選出方法 | BBWAA[:en]選出 |
この表について
|
オリンピック | ||
---|---|---|
男子 野球 | ||
アメリカ合衆国 | ||
オリンピック | ||
銀 | 1984 |
経歴[編集]
プロ入り前[編集]
子供の頃は地元シンシナティ・レッズの遊撃手であるデーブ・コンセプシオンが憧れの選手だった。1982年のMLBドラフト2巡目︵全体51位︶でレッズから指名を受けるが契約せず、ミシガン大学へ進学。1984年には第13回日米大学野球選手権に出場[1]、さらにロサンゼルスオリンピックにアメリカ合衆国代表として出場し、銀メダルを獲得した。プロ入りとレッズ時代[編集]
1985年のMLBドラフト1巡目︵全体4位︶で再びレッズから指名され、プロ入り。 1986年はAAA級デンバー・ゼファーズで打率.329、10本塁打、10三塁打を記録し[2]、8月13日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でメジャーデビュー[3]。憧れだったコンセプシオンを押しのけてショートのレギュラーに定着し、8月17日のサンディエゴ・パドレス戦でラマー・ホイトからメジャー初本塁打を放つ[4]など打率.283、3本塁打の成績。ルーキー・オブ・ザ・イヤーの投票では1ポイントを獲得した[5]。 1988年11月には日米野球でグレッグ・マダックス、ラファエル・パルメイロらと共に来日。打率.476を記録しMVPに選ばれている。 1990年にはチームの中心選手としてワールドシリーズ制覇に貢献。 1995年には打率.319、15本塁打、66打点の成績だったが、本塁打・打点の二冠王ダンテ・ビシェットを抑えてナショナルリーグのMVPを受賞。成績以上にチームリーダーとしての役割が評価されての受賞だった。 1996年には33本塁打、36盗塁を記録し、遊撃手としては史上初の﹁30・30﹂を達成した。さらに彼はヒスパニックのチームメイトと関係を構築するためにスペイン語を学んだ。 1997年、チームではコンセプシオン以来となるキャプテンに就任。 1998年、シーズン最終戦の9月27日に弟のスティーブン・ラーキンが1試合だけ一塁手で出場し、兄弟同時出場が実現した。この試合で、当時レッズに所属していたブレット・ブーン、アーロン・ブーン兄弟もそれぞれ二塁手、三塁手で出場し、史上初の兄弟2組同時出場が実現した。 2000年8月21日にピート・ローズ、コンセプシオン、ジョニー・ベンチに次いで球団史上4人目の通算2000本安打を達成。 2004年10月2日に引退式が予定されていたが、まだ引退の意思が無かったため辞退した。引退後[編集]
2005年2月に正式に引退を表明。その後、ワシントン・ナショナルズのGM特別補佐に就任した。 2012年1月9日に全米野球記者協会の投票により86%の得票率を得てアメリカ野球殿堂表彰が決定した[6]。選手としての特徴[編集]
スピードとパワー、ずば抜けた運動能力を持ち合わせ、﹁1990年代のナショナルリーグを代表するベスト・ショートストップ﹂と評される[13]。19シーズンに及ぶ現役生活において通算2340安打、198本塁打、379盗塁と言う数字を積み重ね、シルバースラッガー賞に9度、ゴールドグラブ賞に3度輝いた。人物[編集]
松井稼頭央とは面識があり、2013年のワールド・ベースボール・クラシックでは練習の際に﹁カズ!﹂と自ら呼びかけ抱擁と握手を行った[14]。詳細情報[編集]
年度別打撃成績[編集]
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1986 | CIN | 41 | 169 | 159 | 27 | 45 | 4 | 3 | 3 | 64 | 19 | 8 | 0 | 0 | 1 | 9 | 1 | 0 | 21 | 2 | .283 | .320 | .403 | .723 |
1987 | 125 | 488 | 439 | 64 | 107 | 16 | 2 | 12 | 163 | 43 | 21 | 6 | 5 | 3 | 36 | 3 | 5 | 52 | 8 | .244 | .306 | .371 | .677 | |
1988 | 151 | 652 | 588 | 91 | 174 | 32 | 5 | 12 | 252 | 56 | 40 | 7 | 10 | 5 | 41 | 3 | 8 | 24 | 7 | .296 | .347 | .429 | .776 | |
1989 | 97 | 357 | 325 | 47 | 111 | 14 | 4 | 4 | 145 | 36 | 10 | 5 | 2 | 8 | 20 | 5 | 2 | 23 | 7 | .342 | .375 | .446 | .821 | |
1990 | 158 | 681 | 614 | 85 | 185 | 25 | 6 | 7 | 243 | 67 | 30 | 5 | 7 | 4 | 49 | 3 | 7 | 49 | 14 | .301 | .358 | .396 | .754 | |
1991 | 123 | 527 | 464 | 88 | 140 | 27 | 4 | 20 | 235 | 69 | 24 | 6 | 3 | 2 | 55 | 1 | 3 | 64 | 7 | .302 | .378 | .506 | .884 | |
1992 | 140 | 609 | 533 | 76 | 162 | 32 | 6 | 12 | 242 | 78 | 15 | 4 | 2 | 7 | 63 | 8 | 4 | 58 | 13 | .304 | .377 | .454 | .831 | |
1993 | 100 | 440 | 384 | 57 | 121 | 20 | 3 | 8 | 171 | 51 | 14 | 1 | 1 | 3 | 51 | 6 | 1 | 33 | 13 | .315 | .394 | .445 | .839 | |
1994 | 110 | 501 | 427 | 78 | 119 | 23 | 5 | 9 | 179 | 52 | 26 | 2 | 5 | 5 | 64 | 3 | 0 | 58 | 6 | .279 | .369 | .419 | .788 | |
1995 | 131 | 567 | 496 | 98 | 158 | 29 | 6 | 15 | 244 | 66 | 51 | 5 | 3 | 4 | 61 | 2 | 3 | 49 | 6 | .319 | .394 | .492 | .886 | |
1996 | 152 | 627 | 517 | 117 | 154 | 32 | 4 | 33 | 293 | 89 | 36 | 10 | 0 | 7 | 96 | 3 | 7 | 52 | 20 | .298 | .410 | .567 | .977 | |
1997 | 73 | 276 | 224 | 34 | 71 | 17 | 3 | 4 | 106 | 20 | 14 | 3 | 1 | 1 | 47 | 6 | 3 | 24 | 3 | .317 | .440 | .473 | .913 | |
1998 | 145 | 626 | 538 | 93 | 166 | 34 | 10 | 17 | 271 | 72 | 26 | 3 | 4 | 3 | 79 | 5 | 2 | 69 | 12 | .309 | .397 | .504 | .901 | |
1999 | 161 | 687 | 583 | 108 | 171 | 30 | 4 | 12 | 245 | 75 | 30 | 8 | 5 | 4 | 93 | 5 | 2 | 57 | 12 | .293 | .390 | .420 | .810 | |
2000 | 102 | 447 | 396 | 71 | 124 | 26 | 5 | 11 | 193 | 41 | 14 | 6 | 2 | 0 | 48 | 0 | 1 | 31 | 10 | .313 | .389 | .487 | .876 | |
2001 | 45 | 185 | 156 | 29 | 40 | 12 | 0 | 2 | 58 | 17 | 3 | 2 | 0 | 0 | 27 | 2 | 2 | 25 | 2 | .256 | .373 | .372 | .745 | |
2002 | 145 | 567 | 507 | 72 | 124 | 37 | 2 | 7 | 186 | 47 | 13 | 4 | 6 | 7 | 44 | 9 | 3 | 57 | 13 | .245 | .305 | .367 | .672 | |
2003 | 70 | 265 | 241 | 39 | 68 | 16 | 1 | 2 | 92 | 18 | 2 | 0 | 1 | 0 | 22 | 0 | 1 | 32 | 7 | .282 | .345 | .382 | .727 | |
2004 | 111 | 386 | 346 | 55 | 100 | 15 | 3 | 8 | 145 | 44 | 2 | 0 | 2 | 3 | 34 | 1 | 1 | 39 | 16 | .289 | .352 | .419 | .771 | |
MLB:19年 | 2180 | 9057 | 7937 | 1329 | 2340 | 441 | 76 | 198 | 3527 | 960 | 379 | 77 | 59 | 67 | 939 | 66 | 55 | 817 | 178 | .295 | .371 | .444 | .815 |
年度別守備成績[編集]
年 度 |
球 団 |
遊撃(SS) | 二塁(2B) | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
1986 | CIN | 36 | 47 | 119 | 4 | 21 | .976 | 3 | 4 | 6 | 0 | 1 | 1.000 |
1987 | 119 | 168 | 358 | 19 | 72 | .965 | - | ||||||
1988 | 148 | 231 | 470 | 29 | 67 | .960 | - | ||||||
1989 | 82 | 142 | 267 | 10 | 31 | .976 | - | ||||||
1990 | 156 | 254 | 469 | 17 | 86 | .977 | - | ||||||
1991 | 119 | 226 | 372 | 15 | 65 | .976 | - | ||||||
1992 | 140 | 233 | 408 | 11 | 67 | .983 | - | ||||||
1993 | 99 | 159 | 281 | 16 | 56 | .965 | - | ||||||
1994 | 110 | 178 | 312 | 10 | 62 | .980 | - | ||||||
1995 | 130 | 192 | 341 | 11 | 72 | .980 | - | ||||||
1996 | 151 | 230 | 426 | 17 | 80 | .975 | - | ||||||
1997 | 63 | 77 | 171 | 5 | 33 | .980 | - | ||||||
1998 | 145 | 207 | 361 | 12 | 79 | .979 | - | ||||||
1999 | 161 | 220 | 401 | 14 | 77 | .978 | - | ||||||
2000 | 102 | 153 | 249 | 11 | 43 | .973 | - | ||||||
2001 | 44 | 65 | 108 | 9 | 23 | .951 | - | ||||||
2002 | 135 | 191 | 370 | 12 | 89 | .979 | - | ||||||
2003 | 60 | 71 | 159 | 9 | 36 | .962 | - | ||||||
2004 | 85 | 106 | 216 | 4 | 33 | .988 | - | ||||||
MLB | 2085 | 3150 | 5858 | 235 | 1092 | .975 | 3 | 4 | 6 | 0 | 1 | 1.000 |
- 各年度の太字はリーグ最高
- 各年度の太字年はゴールドグラブ賞受賞
表彰[編集]
- シーズンMVP:1回(1995年)
- シルバースラッガー賞(遊撃手部門):9回(1988年 - 1992年、1995年、1996年、1998年、1999年)
- ゴールドグラブ賞(遊撃手部門):3回(1994年 - 1996年)
- ロベルト・クレメンテ賞:1回(1993年)
- ルー・ゲーリッグ賞:1回(1994年)
記録[編集]
背番号[編集]
- 15(1986年 - 1987年)
- 11(1988年 - 2004年)※シンシナティ・レッズの永久欠番
代表歴[編集]
- 第13回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1984年)
代表でのコーチ歴[編集]
代表での監督歴[編集]
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- Baseballhalloffame.org(英語)– アメリカ野球殿堂(National Baseball Hall of Fame)による紹介
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
業績 |
---|