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「ルネサンス建築」の版間の差分

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[[Image:TempipiettoSPiMROM.jpg|thumb|350px|right|サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会のテンピエット]]

[[ファイル:Tempietto di San Pietro in Montorio.jpg|サムネイル|528x528ピクセル|サン・ピエトロ・イン・モントリオ教会のテンピエット]]



== 概説 ==

== 概説 ==

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1450年以降、スフォルツァ家がフィレンツェと同盟関係を結んだことによって、それまでゴシック様式の段階に留まっていた都市には、まずミケロッツォ・ディ・バルトロメオ、[[アントニオ・フィラレーテ]]、[[ジョヴァンニ・アントニオ・アマーデオ]]らによってルネサンス建築が取り入れられた。当時のミラノにはまだ多くのローマ建築の遺構が遺っていたらしく、これらがルネサンス建築の発展に果たした役割は大きいと考えられている。しかし、これらの遺物があるにもかかわらず、初期のルネサンス導入にあたっては、職人たちの間にかなりの抵抗があり、彼らが設計したポルティナーリ礼拝堂、オスペダーレ・マッジョーレ、コッレオーニ礼拝堂などは、かなりの修正が加えられ、結果的にルネサンスとは言えない建築に改変された。

1450年以降、スフォルツァ家がフィレンツェと同盟関係を結んだことによって、それまでゴシック様式の段階に留まっていた都市には、まずミケロッツォ・ディ・バルトロメオ、[[アントニオ・フィラレーテ]]、[[ジョヴァンニ・アントニオ・アマーデオ]]らによってルネサンス建築が取り入れられた。当時のミラノにはまだ多くのローマ建築の遺構が遺っていたらしく、これらがルネサンス建築の発展に果たした役割は大きいと考えられている。しかし、これらの遺物があるにもかかわらず、初期のルネサンス導入にあたっては、職人たちの間にかなりの抵抗があり、彼らが設計したポルティナーリ礼拝堂、オスペダーレ・マッジョーレ、コッレオーニ礼拝堂などは、かなりの修正が加えられ、結果的にルネサンスとは言えない建築に改変された。



[[Image:leonardo'sdrawingdome.jpg|thumb|200px|right|レオナルドによる集中式教会のドローイング]]

<!-- [[Image:leonardo'sdrawingdome.jpg|thumb|200px|right|レオナルドによる集中式教会のドローイング]] -->

ルネサンス建築の本格的な導入は、[[1481年]]頃に、[[ドナト・ブラマンテ]]と[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]という二人の芸術家がこの街に滞在したことによって始まる。ブラマンテは[[1477年]]頃にサンタ・マリア・プレッソ・サン・サーティロ聖堂の建設で建築の仕事をはじめており、レオナルドは、スケッチなどから[[1480年]]代に建築に関心を持つようになったと考えられる。彼らは相互に影響を与えあい、[[1492年]]には、ブラマンテの設計によるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂東部が起工され、その食堂ではレオナルドが盛期ルネサンス最初の作品とされる『最後の晩餐』に着手した。<br>

ルネサンス建築の本格的な導入は、[[1481年]]頃に、[[ドナト・ブラマンテ]]と[[レオナルド・ダ・ヴィンチ]]という二人の芸術家がこの街に滞在したことによって始まる。ブラマンテは[[1477年]]頃にサンタ・マリア・プレッソ・サン・サーティロ聖堂の建設で建築の仕事をはじめており、レオナルドは、スケッチなどから[[1480年]]代に建築に関心を持つようになったと考えられる。彼らは相互に影響を与えあい、[[1492年]]には、ブラマンテの設計によるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ聖堂東部が起工され、その食堂ではレオナルドが盛期ルネサンス最初の作品とされる『最後の晩餐』に着手した。<br>





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ブラマンテの壮大さは[[インノケンティウス8世 (ローマ教皇)|インノケンティウス8世]]が建設したヴィッラ・ディ・ベルヴェデーレとヴァティカーノ宮殿を結ぶ宮殿の増築においても遺憾なく発揮された。ブラマンテはその中庭に[[パレストリーナ]]のフォルトナ・プリミゲニア神域のモティーフを取り入れ、壮大なファサードをデザインした。しかし、ブラマンテのデザインは、後世の増築などによって、今日ではほとんど分からなくなっている。邸宅については、もうひとつ主要な作品が伝えられる。[[1517年]]に[[ラファエロ・サンティ]]が購入した通称「ラファエロの家」ことパラッツォ・カプリーニである。こちらも現存はしていないが、文献と図版から知られるその構成は、1階を[[ルスティカ]]とし、2階の[[ピアノ・ノービレ]]を、[[ペディメント]]付きの開口部とオーダーで装飾したもので、以後の邸宅建築はほとんど全てこのデザインを模倣または下敷きにしていると言っても過言ではない。

ブラマンテの壮大さは[[インノケンティウス8世 (ローマ教皇)|インノケンティウス8世]]が建設したヴィッラ・ディ・ベルヴェデーレとヴァティカーノ宮殿を結ぶ宮殿の増築においても遺憾なく発揮された。ブラマンテはその中庭に[[パレストリーナ]]のフォルトナ・プリミゲニア神域のモティーフを取り入れ、壮大なファサードをデザインした。しかし、ブラマンテのデザインは、後世の増築などによって、今日ではほとんど分からなくなっている。邸宅については、もうひとつ主要な作品が伝えられる。[[1517年]]に[[ラファエロ・サンティ]]が購入した通称「ラファエロの家」ことパラッツォ・カプリーニである。こちらも現存はしていないが、文献と図版から知られるその構成は、1階を[[ルスティカ]]とし、2階の[[ピアノ・ノービレ]]を、[[ペディメント]]付きの開口部とオーダーで装飾したもので、以後の邸宅建築はほとんど全てこのデザインを模倣または下敷きにしていると言っても過言ではない。



[[Image:bramante'sdrawingsanpietro.jpg|thumb|200px|left|ブラマンテによるサン・ピエトロ大聖堂「羊皮紙プラン」]]

<!-- [[Image:bramante'sdrawingsanpietro.jpg|thumb|200px|left|ブラマンテによるサン・ピエトロ大聖堂「羊皮紙プラン」]] -->

ブラマンテがユリウス2世とともに[[サン・ピエトロ大聖堂]]の再建計画を練ったのは[[1505年]]頃から死に至る[[1514年]]までの間である。基石は[[1506年]]に置かれはしたが、旧聖堂はすでに1000年以上の歴史を持ち、それ自体が神聖視されていたため、再建行程は困難を極め、また慎重に行われた。ブラマンテの計画案は、ウフィッツィ美術館に収蔵されている、いわゆる「羊皮紙プラン」と呼ばれるもので、これは完全な[[ギリシャ十字|ギリシア十字]]平面であった可能性が高い(発見されたメダルの立面図からそのように推定されている)。工事はブラマンテによってドームを支える四本の主柱の位置とこれに架けるアーチが決定され、実行されたが、「羊皮紙プラン」の構造体では強度が全く足りなかった。さらにブラマンテの死去によって、建設は完全に混乱に陥り、ブラマンテの死後、作業は20年以上もほとんど進展しなかった。<br>

ブラマンテがユリウス2世とともに[[サン・ピエトロ大聖堂]]の再建計画を練ったのは[[1505年]]頃から死に至る[[1514年]]までの間である。基石は[[1506年]]に置かれはしたが、旧聖堂はすでに1000年以上の歴史を持ち、それ自体が神聖視されていたため、再建行程は困難を極め、また慎重に行われた。ブラマンテの計画案は、ウフィッツィ美術館に収蔵されている、いわゆる「羊皮紙プラン」と呼ばれるもので、これは完全な[[ギリシャ十字|ギリシア十字]]平面であった可能性が高い(発見されたメダルの立面図からそのように推定されている)。工事はブラマンテによってドームを支える四本の主柱の位置とこれに架けるアーチが決定され、実行されたが、「羊皮紙プラン」の構造体では強度が全く足りなかった。さらにブラマンテの死去によって、建設は完全に混乱に陥り、ブラマンテの死後、作業は20年以上もほとんど進展しなかった。<br>

ブラマンテの死後、サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家となったのは、彼の理念を継承した[[フラ・ジョコンド]]、[[ラファエロ・サンティ]] 、[[バルダッサーレ・ペルッツィ]]、[[アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネ]]である。ラファエロはブラマンテのもとで設計を行い、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂やサンテリージョ・デッリ・オレーフィチ聖堂など、ブラマンテのものとされるいくつかの建築について、彼の名が結び付けられている。サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のキージ家礼拝堂では、純粋な形態のなかに装飾の豊かさを見ることができ、盛期ルネサンスに女性的な繊細さと優雅さを与えたラファエロの嗜好が現れている。<br>

ブラマンテの死後、サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家となったのは、彼の理念を継承した[[フラ・ジョコンド]]、[[ラファエロ・サンティ]] 、[[バルダッサーレ・ペルッツィ]]、[[アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネ]]である。ラファエロはブラマンテのもとで設計を行い、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂やサンテリージョ・デッリ・オレーフィチ聖堂など、ブラマンテのものとされるいくつかの建築について、彼の名が結び付けられている。サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のキージ家礼拝堂では、純粋な形態のなかに装飾の豊かさを見ることができ、盛期ルネサンスに女性的な繊細さと優雅さを与えたラファエロの嗜好が現れている。<br>


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De architectura libri decem141514

1432De re aedificatoria[17]調1485Trattato di Archiettura civile e militare1482

Trattato di Archietttura875  1425

151615371551LArchitettura5
5Regola delli Cinque Ordini dArchitettura1562

Quattro Libri dell Architettura1570殿[18]調
1615Lidea dell architettura universale

主要建築物[編集]

初期ルネサンス[編集]

  • サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム(フィリッポ・ブルネレスキ フィレンツェ 1418年設計・1436年完成)
  • サン・ロレンツォ聖堂と古聖器室(フィリッポ・ブルネレスキ フィレンツェ 1419年設計・1461年完成)
  • サンタ・クローチェ聖堂のパッツィ家礼拝堂(フィリッポ・ブルネレスキ フィレンツェ 1430年設計・1444年完成)
  • サント・スピリト聖堂(フィリッポ・ブルネレスキ フィレンツェ 1436年設計・1487年完成)
  • パラッツォ・メディチ・リッカルディ(ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ フィレンツェ 1444年起工・1464年完成)
  • パラッツォ・ルチェッライ(レオン・バッティスタ・アルベルティ フィレンツェ 1446年頃起工・1451年完成)
  • テンピオ・マラスティアーノ(レオン・バッティスタ・アルベルティ リミニ 1446年起工・1468年完成)
  • サンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂正面(レオン・バティスタ・アルベルティ フィレンツェ 1448年起工・1470年完成)
  • オスペダーレ・マッジョーレ(アントニオ・フィラレーテ ミラノ 1456年起工・1465年完成)
  • パラッツォ・ピッコロミーニとピエンツァ大聖堂(ピウス2世およびベルナルド・ロッセリーノ ピエンツァ 1459年起工・1464年完成)
  • パラッツォ・ドゥカーレ(ルチアーノ・ラウラーナ ウルビーノ 1465年起工・1479年完成)
  • サンタンドレア聖堂(レオン・ティスタ・アルベルティ マントヴァ 1471年設計・1494年完成)
  • サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂のコレオーニ礼拝堂(ジョヴァンニ・アントニオ・アマーデオ ベルガモ 1473年起工・1499年完成)
  • ヴィラ・メディチ(ジュリアーノ・ダ・サンガッロ ポッジョ・ア・カイヤーノ 1480年起工・1485年完成)
  • サンタ・マリア・デッレ・カルチェッリ聖堂(ジュリアーノ・ダ・サンガッロ プラート 1484年起工・1491年完成)
  • サンタ・マリア・デル・カルチナイオ聖堂(フランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニ コルトーナ 1485年起工・1501年完成)
  • サント・スピリト聖堂の聖器室(ジュリアーノ・ダ・サンガッロ フィレンツェ 1489年起工・1495年完成)
  • パラッツォ・ストロッツィ(ベネデット・ダ・マイアーノおよびイル・クローナカ フィレンツェ 1489年起工・1539年完成)

盛期ルネサンス[編集]

  • サンタ・マリア・プレッソ・サン・サーティ教会(ドナト・ブラマンテ ミラノ 1478年起工・1486年完成)
  • サンタ・マリア・デッレ・グラーツィエ教会(グイニフォルテ・ソラーリおよびドナト・ブラマンテ ミラノ 1466年起工・1499年完成)
  • サンタンブロージョ教会のクロイスター(ドナト・ブラマンテおよびクリストフォロ・ソラーリ ミラノ 1497年起工・1513年完成)
  • サンタ・マリア・デッラ・パーチェ聖堂のクロイスター(ドナト・ブラマンテ ローマ 1500年起工・1504年完成)
  • サン・ピエトロ・イン・モントリオ聖堂のテンピエット(ドナト・ブラマンテ ローマ 1502年起工・1512年成)
  • ヴァティカーノ宮殿のベルヴェデーレの中庭(ドナト・ブラマンテ ローマ  1504年起工・1550年頃完成)
  • サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のアプス(ドナト・ブラマンテ ローマ 1505年起工・1509年完成)
  • サン・ピエトロ大聖堂計画案(ドナト・ブラマンテ ローマ 1506年頃設計)
  • サンタ・マリア・デッラ・コンソラツィオーネ教会(コーラ・ダ・カプラローラ トーディ 1508年起工・1524年完成)
  • サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂のキージ家礼拝堂(ドナト・ブラマンテ ローマ 1513年頃起工)
  • パラッツォ・ファルネーゼ(アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネおよびミケランジェロ・ブオナローティ ローマ 1517年起工・1549年完成)
  • ヴィラ・マダマ(ラファエロ・サンティおよびジュリオ・ロマーノ ローマ 1518 年起工・1525年完成)
  • マドンナ・ディ・サン・ビアージョ聖堂(アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ヴェッキオ モンテプチャーノ 1518年起工・1545年完成)
  • パラッツォ・マッシモ・アッレ・コロンネ(バルダッサーレ・ペルッツィ ローマ 1532年起工・1536年完成)

後期ルネサンス[編集]

マニエリスム[編集]

  • サン・ロレンツォ聖堂の新聖器室(ミケランジェロ・ブオナローティ フィレンツェ 1520年起工・1534年完成)
  • パラッツォ・ドゥカーレのコルテ・ヌォヴァ(ジュリオ・ロマーノ マントヴァ 1524年起工・1546年完成)
  • ロレンツォ図書館(ミケランジェロ・ブオナローティ フィレンツェ 1524年頃起工・1559年完成)
  • パラッツォ・デル・テ(ジュリオ・ロマーノ マントヴァ 1526年起工・1535年完成)
  • カンピドリオ広場とパラッツォ・セナトリオおよびパラッツォ・ヌォヴォ(ミケランジェロ・ブオナローティおよびジャコモ・デッラ・ポルタ ローマ 1536年頃設計・1655年完成)
  • サント・スピリト・イン・サッシァ聖堂(アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョヴァネ ローマ 1540年起工)
  • ジュリオ・ロマーノ自邸(ジュリオ・ロマーノ マントヴァ 1544年起工・1546年完成)
  • サン・ピエトロ大聖堂(ミケランジェロ・ブオナローティ ローマ 1546年設計・1589年完成)
  • サンタ・マリア・ディ・カリニャーノ聖堂(ガレアッツォ・アレッシ ジェノヴァ 1549年設計・1603年完成)
  • サンタンドレア・ヴィア・フラミア聖堂(ジャコモ・パロッツィ・ダ・ヴィニョーラ ローマ 1550年起工・1554年完成)
  • ヴィラ・ジュリア(ジャコモ・パロッツィ・ダ・ヴィニョーラおよびバルトロメオ・アンマナーティ ローマ 1550年設計・1555年完成)
  • パラッツォ・マリーノ(ガレアッツォ・アレッシ ミラノ 1553年起工・1892年完成)
  • パラッツォ・ピッティ(バルトロメオ・アンマナーティ フィレンツェ 1558年起工・1640年完成)
  • パラッツォ・ファルネーゼ(ジャコモ・パロッツィ・ダ・ヴィニョーラ カプラローラ 1559年起工・1573年完成)
  • パラッツォ・ウフィッツィ(現ウフィッツィ美術館 ジョルジョ・ヴァザーリ フィレンツェ 1560年起工)
  • サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のスフォルツァ家礼拝堂(ミケランジェロ・ブオナローティ ローマ 1560年頃設計)
  • イル・ジェス聖堂(ジャコモ・パロッツィ・ダ・ヴィニョーラ ローマ 1568年着工・1577年完成)
  • パラッツォ・ラテラセンネ(ドメニコ・フォンターナ ローマ 1586年起工・1589年完成)
  • サンタ・トリニタ聖堂(ベルナルド・ブオンタレンティ フィレンツェ 1593年起工・1594年完成)

北イタリアの後期ルネサンス[編集]

  • パラッツォ・ポンペイ(ミケーレ・サンミケーリ ヴェローナ 1527年起工・1535年完成)
  • カ・グランデ(ヤーコポ・サンソヴィーノ ヴェネツィア 1533年起工・1556年完成)
  • 造幣局(ヤーコポ・サンソヴィーノ ヴェネツィア 1535年起工・1547年完成)
  • サンソヴィノ図書館とロジェッタ(ヤーコポ・サンソヴィーノ ヴェネツィア 1537年起工・1591年完成)
  • ポルタ・パーリオ(ミケーレ・サンミケーリ ヴェローナ 1548年起工・1559年完成)
  • バシリカ・パラディアーナ(アンドレーア・パッラーディオ ヴィチェンツァ 1549年着工・1617年完成)
  • パラッツォ・グリマーニ(ミケーレ・サンミケーリ ヴェネツィア 1556年起工・1575年完成)
  • ヴィッラ・バルバロ(アンドレーア・パッラーディオ マゼール 1557年起工・1558年完成)
  • マドンナ・ディ・カンパーニア聖堂(ミケーレ・サンミケーリ ヴェローナ 1559年起工・1561年完成)
  • サン・ジョルジョ・マッジョーレ修道院聖堂(アンドレーア・パッラーディオ ヴェネツィア 1564年起工・1589年完成)
  • ヴィラ・ロトンダ(アンドレーア・パッラーディオおよびヴィンチェンツォ・スカモッツィ ヴィチェンツァ 1565年起工・1569年完成)
  • イル・レデントーレ教会(アンドレーア・パッラーディオ ヴェネツィア 1577年起工・1592年完成)
  • テアトロ・オリンピコ(アンドレーア・パッラーディオ ヴィチェンツァ 1579年設計・1583年完成)

脚注[編集]

注釈[編集]



(一)^ [4][5]1420[6][7]

(二)^ [8][9][10]

(三)^ 1435

出典[編集]



(一)^ 201123

(二)^ 1989p149-p150

(三)^ 2011p91

(四)^ 1989pp116-117

(五)^ 2003p133

(六)^ 1989pp127-128

(七)^ 2003pp135-136 p144

(八)^ 1989pp81-85

(九)^ 2003pp111-112

(十)^ 1981p17

(11)^ 2003pp146-147

(12)^ 2011pp215-216

(13)^ 2011pp198-201

(14)^  2004

(15)^ p189

(16)^ p120-p1311979

(17)^  1988

(18)^ 19861994

参考文献[編集]

関連項目[編集]