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* [[武田薬品工業]] 大阪本社・関西支店 |
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* [[アリナミン製薬]] 大阪オフィス |
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* [[田辺三菱製薬]] 本社・営業本部・大阪支店・ヘルスケア事業部 |
* [[田辺三菱製薬]] 本社・営業本部・大阪支店・ヘルスケア事業部 |
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* [[吉富薬品]] 本社・営業本部(田辺三菱製薬系列) |
* [[吉富薬品]] 本社・営業本部(田辺三菱製薬系列) |
2021年3月31日 (水) 09:43時点における版
道修町 | |
---|---|
小林製薬本社 | |
北緯34度41分19.42秒 東経135度29分54.67秒 / 北緯34.6887278度 東経135.4985194度 | |
国 |
![]() |
都道府県 |
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市町村 |
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区 | 中央区 |
面積 | |
• 合計 | 0.097914587 km2 |
人口 | |
• 合計 | 272人 |
• 密度 | 2,800人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
541-0045[3] |
市外局番 | 06(大阪MA)[4] |
ナンバープレート | なにわ |
道修町︵どしょうまち︶は、大阪府大阪市中央区の町名。現行行政地名は道修町一丁目から道修町四丁目。
概要
船場のうち北から5番目の町で、北は高麗橋・伏見町、南は平野町、東は東横堀川を挟んで東高麗橋、西は西横堀川跡の阪神高速1号環状線北行きを挟んで西区江戸堀・京町堀とそれぞれ接する。 かつては薬問屋があった名残から現在でも多くの製薬会社が軒を連ね、東京都中央区の日本橋本町とともに日本を代表する﹁薬の街﹂として知られる。河川
●東横堀川歴史
1872年︵明治5年︶まで、現在の4丁目のうち御霊筋以西は古手町、西横堀川沿いは七郎右衛門町2丁目という町名だった。 江戸時代に、清やオランダからの輸入薬︵唐薬種︶を一手に扱う薬種問屋が店を出し、幕府公認の株仲間﹁薬種中買仲間﹂を結成する[5]。また、享保7年︵1721年︶には日本を産地とする薬︵和薬種︶を検査する和薬種改会所が設けられた。日本で商われる薬は、いったん道修町に集まり、品質と目方を保証されて全国に流通していった[5]。その関係で現在でも製薬会社や薬品会社のオフィスが道修町通りの両側に多いことで知られている。武田薬品工業、塩野義製薬、田辺三菱製薬が本社を構えている。薬種問屋には、コニシのように、狭義の医薬品でなく化成品の道に進んだ企業もある。医薬品業界に関しては外資系も近畿を拠点とするところが多く、バイエル︵大阪府大阪市北区︶、アストラゼネカ︵大阪市北区︶、P&G︵兵庫県神戸市中央区︶、イーライー・リリー︵神戸市中央区︶などが挙げられる。 道修町にある少彦名神社は、薬の神様︵薬祖神︶として安永9年︵1780年︶に勧請された[5]。人々はそれ以前から中国の薬神である神農を祀っていたため、双方を祀ることになった地元では少彦名命と合祀して﹁神農さん﹂と呼び、長く親しまれている[5]。 日本初の薬学専門学校︵現在の薬科大学に相当する︶が設置されたのも道修町である︵大阪道修薬学校、現:大阪薬科大学︶。地名の由来
町名の由来は、このあたりに﹁道修寺﹂という寺院があったからとする説や[5]、江戸時代初期に北山道修︵きたやま・どうしゅう︶という薬学者がいたことにちなむとする説[5]、江戸時代中頃まで上町台地と洲島との谷間にあたる道修町一丁目周辺が﹁道修谷﹂と呼ばれていたことに由来するという説[5]、本願寺の教如上人がこの地に渡辺御堂という寺を建てたことから多くの堂衆が住むようになり、﹁堂衆﹂が﹁道修﹂に変じたという説などがある[5]。
祭事
毎年11月23日に少彦名神社の祭祀である神農祭があり、前日の11月22日が宵宮である。付近は大阪市の中心街でありオフィス街としての無機質な町並みに突如として堺筋から御堂筋までのおまつり屋台街が出現する。市街地ど真ん中であるため周囲はほとんど子供の居ない地域であり、屋台は大人向けの﹁居酒屋﹂的な屋台で占められており、その中に挟まれるように普通のお祭りらしい屋台が存在する。通りには道修町に本社やオフィスを構える製薬会社の製品が笹にぶら下げられ、11月23日は休日なので宵宮はスーツ姿のサラリーマンやOLで遅くまで賑わい異様な雰囲気がある。世帯数と人口
2019年︵平成31年︶3月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
道修町一丁目 | 62世帯 | 71人 |
道修町二丁目 | 41世帯 | 47人 |
道修町三丁目・四丁目 | 66世帯 | 154人 |
計 | 169世帯 | 272人 |
人口の変遷
国勢調査による人口の推移。
1995年(平成7年) | 75人 | [6] | |
2000年(平成12年) | 61人 | [7] | |
2005年(平成17年) | 41人 | [8] | |
2010年(平成22年) | 157人 | [9] | |
2015年(平成27年) | 260人 | [10] |
世帯数の変遷
国勢調査による世帯数の推移。
1995年(平成7年) | 30世帯 | [6] | |
2000年(平成12年) | 26世帯 | [7] | |
2005年(平成17年) | 20世帯 | [8] | |
2010年(平成22年) | 95世帯 | [9] | |
2015年(平成27年) | 177世帯 | [10] |
事業所
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[11]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
道修町一丁目 | 138事業所 | 3,017人 |
道修町二丁目 | 170事業所 | 2,747人 |
道修町三丁目 | 132事業所 | 4,062人 |
道修町四丁目 | 92事業所 | 3,084人 |
計 | 532事業所 | 12,910人 |
施設
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/2/2a/Konishi_Gisuke_Shoten.jpg/280px-Konishi_Gisuke_Shoten.jpg)