ジョイフルトレイン
ジョイフルトレイン (Joyful Train) とは、主に国鉄やJRグループが団体専用列車などに使用するために保有している鉄道車両のことである。
1983年(昭和58年)に、国鉄東京南鉄道管理局が製作した欧風列車「サロンエクスプレス東京」がその嚆矢とされ、それ以前に製作された同種の車両をも総称するようになった。なお名称としては国鉄・大阪局所属のスロ81系和式客車に「ジョイフルトレイン」の名称が与えられていたのが原点である。
車両の定義[編集]
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485系「宴」車内
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485系「やまなみ」車内
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485系「ニューなのはな」の座席
現状[編集]
車両一覧[編集]
各社、登場時期順に記載。JR北海道[編集]
お座敷列車(JR北海道)[編集]
1999年(平成11年)に登場した、苗穂運転所に所属するキハ183系気動車6000番台のお座敷気動車。キハ183-6001・6101の2両が存在した。
かつては赤い専用塗色をまとい「くつろぎ」の愛称があったが、2021年現在は一般車と同じ特急色となっている。2022年5月31日に廃車。
JR東日本[編集]
びゅうコースター風っこ[編集]
貨車改造のトロッコ車両を置き換えるため、2000年に登場したキハ40系気動車改造のトロッコ車両。キハ48 547・1541で構成。
なごみ(和)[編集]
2007年に登場した、お召し列車と兼用の座席車。専用形式としてE655系電車1編成が製造された。皇室用の「特別車両」1両と「ハイグレード車両」5両で構成され、特別車両を抜いた5両編成で一般の団体も利用可能な構造としている。
発電用のディーゼルエンジンを装備しており非電化区間にも機関車牽引で乗り入れが可能であるが、2018年9月現在営業運転での非電化区間乗り入れ実績はない。
JR西日本[編集]
サロンカーなにわ[編集]
過去のジョイフルトレイン[編集]
国鉄[編集]
和式客車[編集]
簡易寝台装置付き客車︵リラックスカー︶[編集]
旧型客車を改造したジョイフルトレインである。 1969年、団体旅行客の夜行輸送サービスを目的として宮原客車区所属のスハ43・スハフ42・オハ46各3両を高砂工場にて改造した。寝台の形態としては開放型A寝台を簡易にした物で、ボックスシート2つ︵8席分・通常は6人で使用︶を1組として座面を引き出して下段の寝台︵1ボックスあたり2人使用︶とし、上段は1ボックスあたり1人分のステンレス製フレームにビニールシートを張った、組み立て式のハンモック形寝台を背ずり枠の上に設置し︵座席使用時は折りたたんで車内の一角に収容︶、転落防止ベルトを設置した。一般形客車の普通車の座席間隔は1,470 mmと通常の寝台と比較して狭く、そのままでは体を伸ばせないことから1組のボックス間の背もたれ下部は素通しとし、上段寝台もその部分の仕切りがなく、寝台使用時には1組内の隣接するボックス及び寝台で足を交互に突き出して寝る形だった[6]。なお、隣の組のボックスとの間の背もたれ下部は板張りで仕切られていた[7][1][2]。 関西地区を中心として使用されたが、1978年に原型に復元、その後も背ずりの金具などに痕跡を残していた。らくだ[編集]
1983年登場したキハ58系気動車改造の2両編成。1984年と1986年に2両ずつ増備された。キハ58 140・190︵1983年改造︶、キハ28 2420・2436︵1984年改造︶、キハ58 1131、キハ28 3015︵1986年改造︶で構成され、鹿児島運転所に所属していた。 座席はそのころ廃車が進行していた481系普通車の回転クロスシートを流用し、カラオケ装置も設置した。愛称名の﹁らくだ﹂とは、当時の国鉄の﹁トクトクきっぷ﹂のイメージキャラクターであったラクダからの命名である。1986年に 185系電車を模した斜めストライプを車体の両サイドに配した塗色に一新されている。 団体列車のほか定期普通列車にも使用されたが民営化直前に引退し、一部は﹁ゆ〜とぴあ﹂﹁吉四六﹂といったジョイフルトレインに再改造された。ばってんNAGASAKI[編集]
1985年に登場した、キハ28形気動車改造のカーペットカー。キハ28 2006・ 2114からなる2両編成であった。
麻雀卓やカラオケが設置されていたが、翌1986年に廃車となった。
みやび[編集]
14系客車を改造したジョイフルトレインである。
1986年に登場し、14系初の和式客車の7両編成であった。老朽化したスロ81系客車の置換え用として1986年2月から4月にかけて国鉄鷹取工場で改造された。オロフ14 801・802、オロ14 801 - 805で構成されていた。
オロ14 803は、車内に日本庭園を設けたサロンカーとなっていた。しかし、1986年12月28日に余部鉄橋から強風にあおられて転落、1987年2月10日付で事故廃車となり[8]、JRに引継がれることはなかった。
JR北海道(過去)[編集]
くつろぎ(JR北海道)[編集]
アルファコンチネンタルエクスプレス[編集]
1985年に登場した、キハ56系気動車改造の4両編成。キハ59 1・2・101、キハ29 1で構成されていた。1995年に廃車された。
フラノエクスプレス[編集]
1986年に登場したキハ82系気動車改造の4両編成で、キハ84 1・キハ80 501・キハ83 1・キハ84 2で構成されていた。
翌1987年に全日空とタイアップとして「ANAビックスニーカー号」としても運転され、この年にはジョイフルトレインとして2度目のブルーリボン賞を受賞した。本編成専用のキハ183系改造車を増結していたこともあった。1998年には「ラストラン・フラノ」を最後に引退した。引退後、長らく保留車となっていたが2004年に廃車された。
トマムサホロエクスプレス[編集]
1987年に登場したキハ82系気動車改造の5両編成で、キハ84 101・キハ83 102・キシ80 501・キハ83 101・キハ84 102で構成されていた。
1988年にキハ83 102、キシ80 501 を挿入し5両編成となった(登場時は3両編成であった)。1999年にその2両を脱車し再び3両編成とし「マウントレイク大沼」用として塗装を変更した。2002年には引退を前に再び登場時の塗装へ戻された。食堂車であるキシ80 501が苗穂運転所に保留車として在籍していたが、2007年6月6日付で廃車された。
ニセコエクスプレス[編集]
クリスタルエクスプレス トマム & サホロ[編集]
ノースレインボーエクスプレス[編集]
JR東日本(過去)[編集]
お座敷列車(東京北鉄道管理局) → なごやか[編集]
1981年5月に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 803・804、オロ12 805 - 808で構成されていた。東京北鉄道管理局に配置後、JR東日本が引き継いで尾久客車区に所属されていた。当初愛称名がなく「オク座」とも呼ばれた。
各車には関東地方の旧国名にちなんだ愛称名が付けられた。登場当初の外観は一般の12系と同じ塗装であったが、後に白と赤の斜めのストライプが配され、このときに初めて編成に愛称名が付いた。1992年に青と白の対角線に塗分けられ、駒や折鶴などが描かれたデザインに変更された。1997年に485系改造の「華」に置換えられ廃車となった。
お座敷列車(新潟鉄道管理局)[編集]
1981年9月に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 805・806、オロ12 809 - 812で構成されていた。国鉄新潟鉄道管理局に配置後、JR東日本が引き継いで上沼垂運転区(略号:新カヌ)に所属していた。愛称はなく、鉄道ファンからは「カヌ座」と呼ばれていた。
各車には新潟の山にちなんだ愛称名が付けられた。1985年に内装が洋風仕様のサロンカー「サロン佐渡」(オロ12 706)を新たに連結し7両編成になった。需要に応じて3両と4両に分割されて運転されることも多く、後にオロ14 702(後述)が増備されたことにより、短期間ではあったが4両ずつの運転も見られた。
1988年に白ベースに濃淡のオレンジ色の帯を巻く塗装へと変更、さらに1996年には深緑色を基調に金帯を配した塗装変更された。1999年には元「サロンエクスプレス東京」のオロ14 702を「サロン佐渡」として組込み最大8両編成へと増強した。
2000年から「サロン佐渡」を除く6両が普通車扱いとなった(スハフ12 1805・1806、オハ12 1809 - 1812 に改番)が長く続かず「サロン佐渡」を含む3両が廃車され晩年は5両編成に短縮された。2002年2月3日のさよなら運転をもって引退した[11]。
白樺[編集]
1983年8月に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 819・820、オロ12 837 - 840で構成されていた。国鉄長野鉄道管理局に配置後、JR東日本が引き継いだ。
各車には中部6県の県花にちなんだ「すいせん」「つつじ」「かきつばた」「れんげ」「くろゆり」「りんどう」の愛称名が付けられた。両端部には展望室はないものの1号車にソファ、6号車に2人掛リクライニングシートを配したサロンルーム構造となっている。
老朽化により、1995年11月に「浪漫」へと置換えられ廃車された。
サロンエクスプレス東京[編集]
くつろぎ(JR東日本)[編集]
1983年に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 821・822、オロ12 841 - 844で構成されていた。国鉄高崎鉄道管理局に配置後、JR東日本が引き継いだ。
各車には高崎局および周辺の山にちなんだ愛称名が付けられた。3・4号車の一部に、ソファテーブルを配したサロン風のコーナーが設けられていた。登場当時の外観塗装は青を基調に太い白帯をまいて登場したが、1987年3月からぶどう色を基調に車体中央に白帯・窓周りと車体裾が金のシックな塗装とされ、これにあわせ電気機関車EF64 1001が牽引指定機としてぶどう色に白帯の塗装に変更された。後に登場した「やすらぎ」との併結運転もしばしば見られたが、老朽化により485系電車改造の「やまなみ」に代替される形で1999年9月29日に蒸気機関車D51 498牽引によるさよなら運転を行った。
スロフ12 822とオロ12 841の2両は、「碓氷峠鉄道文化むら」で休憩施設を兼ねて静態保存されている。残る4両も横川駅構内に留置されていたが、2006年1月に解体された。
お座敷列車(秋田鉄道管理局) → こまち → おばこ[編集]
うみねこ[編集]
1984年に登場したキハ58系気動車改造の座席車。キハ58 416・486・1511、キハ28 336・390の5両が改造された。 三陸鉄道乗り入れ列車用として改造されたが、定期列車での乗り入れが始まると団体用ジョイフルトレインに転用された[12]。﹁Kenji﹂の登場により1996年ごろに引退した。 なお﹁うみねこ﹂の愛称はのちにキハ48形改造の観光列車にも採用されている。エレガンスアッキー[編集]
1985年に登場したキハ58系気動車改造の欧風車両。キロ59 503・504、キロ29 502で構成される3両編成であった。愛称は旧国鉄秋田鉄道管理局のマスコットである豹の「アッキー」に由来する。
室内は1・2人掛のリクライニングシートを配置された。団臨・多客臨の他、1986年には新幹線連絡急行として運転された実績がある。ディーゼル機関の更新をしたが、老朽化により1997年に廃車された。
カーペット車(新潟鉄道管理局)[編集]
1985年に登場したキハ58系気動車改造のカーペット車[13]。キハ58 120・446・1021、キハ28 2032の4両が改造された。
カーペット車の「NO.DO.KA」に置き換えられて2002年に廃車となった。
ふれあい[編集]
先述したスロ81系のお座敷列車のうち、最後まで残った東京南鉄道管理局所属のスロ81-2125 - 2128・スロフ81-2113・2114編成(いわゆる「シナ座」)が1986年に水戸鉄道管理局に転属し、「ふれあい」の愛称を与えられたもの。スロ81系で唯一JRに引き継がれ、JR東日本に所属した。晩年は茶色に緑帯に塗装変更されて活躍したが老朽化が著しく、「リゾートエクスプレスゆう」の導入決定に伴い1990年に廃車され、スロ81系客車は形式消滅した。
なのはな[編集]
江戸[編集]
1986年3月に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 825・826、オロ12 849 - 852で構成されていた。
各車には江戸情緒あふれる愛称名が付けられた。1・6号車の両端は「サロンエクスプレス東京」に準じた展望サロンが設けられていた。しかし老朽化により2000年3月31日に「スーパーエクスプレスレインボー」とともに引退した。
やすらぎ[編集]
1986年4月に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 827・828、オロ12 853 - 856で構成されていた。国鉄高崎鉄道管理局に配置後、JR東日本が引き継いだ。
各車には高崎局管内の川の名前が愛称名として付けられた。「江戸」と同様に1・6号車の両端が展望サロンになっている。「くつろぎ」と同様、老朽化により485系電車改造の「せせらぎ」に代替される形で2001年3月31日にさよなら運転を行った。
その後わたらせ渓谷鐵道に譲渡され、スロフ12 827・828、オロ12 853の3両が「サロン・ド・わたらせ」に再改造されて使用されていた。また、オロ12 855は二つに切断され、半分は栃木県にある「スーパーカーミュージアム」に展示、もう半分は群馬県安中市で飲食店に利用されている。なお、電気機関車EF60 19が「やすらぎ」と同色の、白地に赤・青の細帯の専用塗装とされていた。
ふれあいみちのく[編集]
1986年8月に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 823・824、オロ12 845 - 848で構成されていた。国鉄盛岡鉄道管理局に配置後、JR東日本が引き継いだ。
両端は洋風・和風の展望室で、6号車の和風仕様では囲炉裏が設けられている。老朽化により2002年5月に臨時列車としてさよなら運転を実施した。この編成の引退によりJR東日本に所属していた12系改造の和式客車は消滅した。
サロンエクスプレスアルカディア[編集]
1987年登場のキハ58系気動車改造の欧風車両。キロ59 508・509、キロ29 505で構成され、キロ59形はアルファコンチネンタルエクスプレスと同形態であった。旧国鉄新潟鉄道管理局に配置後、JR東日本新潟支社が引き継いだ。
しかし運用開始直後の1988年3月30日に上越線越後中里駅 - 岩原スキー場前駅間で火災を起こし、被災した2両のうちキロ59 508が全焼したため廃車された。残りの2両は盛岡支社に転属し、1992年に再改造されて「Kenji」(普通車扱いのため旧車号に復した)として復帰している。
オリエントサルーン[編集]
1987年1月に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 829・830、オロ12 857 - 860で構成されていた。国鉄仙台鉄道管理局に配置後、JR東日本が引き継いだ。内装は和洋折衷の構造で、他の和式編成のように各車両ごとの愛称は付けられていない。
老朽化により、2000年10月30日から11月5日にかけてさよなら運転を行い、廃車となった。専用牽引電気機関車としてED75 707・711・751・766・767が専用塗装となっていたが、最後まで残っていたED75 767が2005年に一般色に変更され、専用機は消滅した。
スーパーエクスプレスレインボー[編集]
パノラマエクスプレスアルプス[編集]
エーデルワイス[編集]
1988年に登場したキハ58系気動車改造の座席車。改造に伴う改番はされず、JR東日本初の普通車ジョイフルトレインとなった。内装は洋風仕様で、当初は明るい塗装だったが1991年に白を基調とした外装に変更。多客臨時列車としても活躍したが2001年に廃車された。
グラシア[編集]
1989年に登場したキハ58系気動車改造の欧風車両。キロ59 510・511、キロ29 506で構成された。
当初はグリーン車扱いだったが普通車扱いに変更(キロ59 → キハ59、キロ29 → キハ29・車番は同じ)。2003年5月を最後に「グラシア」としては引退し、同年7月に「こがね」としてリニューアルされた。
シルフィード[編集]
1990年8月に登場した485系電車の欧風車両。クモロ485-1、クロ484-1、モロ484-1で構成される3両編成であった。485系ではあるが、車体は当時計画されたものの開発中止となった「187系」用に確保されていたサロ189形のものが改造されている。新潟車両センターに所属していた。
ディーゼル機関車に牽引されての非電化区間走行に対応しており、専用塗装のDE10形が用意されていた。
2001年1月に3両とも普通車に格下げされた後、同年6月24日に運用終了し、カーペットカーに改造されて「NO.DO.KA」と改称された。
リゾートエクスプレスゆう[編集]
「ふれあい」の置換え用として1991年3月に登場した、485系電車改造のジョイフルトレイン。勝田車両センターに所属していた。
デビュー当初の内装は欧風仕様だったが、首都圏の和式列車の需要が高まり、1998年10月に先頭車のラウンジおよびイベントカーを除き畳敷きのお座敷列車に改装された。専用塗装の専用電源車(マニ50形・水郡線営業所所属)を連結のうえで、ディーゼル機関車牽引による非電化区間への入線も可能としていた。このマニ50形は通称ゆうマニと呼ばれる。
2018年9月5日に長野総合車両センターに回送された[14]。
Kenji[編集]
宴[編集]
漫遊 → ふるさと[編集]
1995年に登場した、キハ40系気動車改造のお座敷列車。キロ40 2501・キロ48 2501・キロ48 2502で構成されていた。当初は「漫遊」の名称であったたが、2000年に普通車に格下げのうえ「ふるさと」に改称された。
2016年8月28日をもって営業運転を終了した。
アルファ[編集]
1995年に登場した165系電車改造の座席車。クモハ165-129・モハ164-852・クハ165-194で構成されていた。
元々京葉線で「シャトル・マイハマ」専用車両として運用されていた車両で、1995年に上沼垂運転区(現・新潟車両センター)へ転属した際、塗装と愛称が変更された。以後、新潟地区にとどまらず首都圏や長野地区でも運用されたが、車両の老朽化により2001年5月8日に廃車された。
浪漫[編集]
ゆとり[編集]
1997年に「サロンエクスプレス東京」から1両(オロ14 702)を脱車のうえ和式車両にリニューアルして登場した14系客車の6両編成である。スロフ14701・702、オロ14 701・703・704・705で構成されていた。尾久車両センターに所属していた。
2008年3月9日をもって引退し、31日に中間車オロ14 705が土崎工場、10月23日にオロ14 701・703・704が長野工場へ廃車回送された。スロフ14701・702の2両のみが所属していた尾久車両センターにて長らく留置されていたが2015年に長野工場へと廃車回送された。
ニューなのはな [編集]
1997年に「なのはな」の後継として登場した、485系電車改造のジョイフルトレイン。お座敷列車であるが、座席車への転換も可能になっている。幕張車両センター所属。
老朽化により2016年8月に運行を終了し、同年9月25日に長野総合車両センターへの廃車回送を兼ねた「さよなら運転」をもって引退した。
華[編集]
「なごやか」の置換え用として1997年3月に大宮工場で改造されたお座敷車両。高崎車両センターに所属していた。485系電車を改造した6両編成で、クロ485-2、クロ484-4、モロ485-4・5、モロ484-6・7 で構成されている。
老朽化により2022年10月に運行を終了し、同年11月に郡山総合車両センターに廃車回送された。
やまなみ[編集]
せせらぎ[編集]
「日本の四季を巡る空間」をコンセプトに、2001年3月に登場した485系電車改造のお座敷列車。クロ485-5・モロ485-9・モロ484-11・クロ484-7で組成され、高崎車両センターに所属していた[16]。
前述の「やまなみ」と併結運転が可能となっており、号車番号は「やまなみ」の1 - 4号車に続く形で5 - 8号車とされていた。
2010年1月で営業運転を終了し、全車「リゾートやまどり」に再改造された。
四季彩[編集]
2001年4月に登場した201系電車を改造した4両編成で、クハ201-134・モハ201-263・モハ200-263・クハ200-134 で構成されていた。豊田車両センターに所属。通勤用車両を改造した初のジョイフルトレインで、改番はされていない。2005年7月に外観塗装が白を基調に一新された。
改造当初から青梅線で運転されていた。また、四季彩河口湖号として富士急行線にも頻繁に乗り入れていた。しかし老朽化のため2009年6月28日をもって定期運用から退き、7月20日の団体臨時列車を最後に運用を終了し[17]、廃車された。
NO.DO.KA[編集]
2001年10月に「シルフィード」を再改造して登場したカーペット車のジョイフルトレインで、新潟車両センターに所属していた。
2018年1月7日の臨時団体列車「惜別 NO.DO.KA」をもって運行を終了した[18]。
こがね[編集]
2003年7月に「グラシア」をリニューアルして登場したキハ58系気動車改造の欧風車両。キハ59 510・511・キハ29 506で構成されていた。小牛田運輸区に所属していた。
団体臨時列車のほか東北地区の臨時列車にも多数使用されたが、老朽化に伴い2010年12月26日で運転終了となった。
彩野[編集]
2003年に登場した189系電車改造の座席車。クハ189-2・モハ188-43・モハ189-43・モハ188-45・モハ189-45・クハ189-511で構成されていた。内装や外観の変更・改番はされていない。当初は小山車両センターに所属していたが、2006年3月からは大宮総合車両センターに所属していた。
日光方面への臨時列車のほか、京葉線方面への臨時列車として舞浜駅発着列車にも充当された。2006年からは1編成しかない485系を使用していた東武線直通特急の予備車となり、車体の塗装を485系と同様に塗り分けている。
2011年6月より東武線直通特急に253系1000番台が投入されたことにより、8月31日に廃車となった[16]。
彩[編集]
「浪漫」の後継として2006年に登場した485系電車改造の座席車。長野総合車両センターに所属していた。
クロ481-1503(1号車:紫)・モロ484-1024(2号車:黄)・モロ485-1024(3号車:ピンク)・モロ484-1007(4号車:水色)・モロ485-1007(5号車:紫)・クロ481-1502(6号車:ピンク)で構成された6両編成であった。
狭小トンネル区間である中央本線・篠ノ井線への入線対策として、改造時に運転台上のヘッドライトの撤去、静電アンテナの移設が行われた。パンタグラフもシングルアーム式のPS32形に変更された。ヘッドマーク掲出部は市販の40インチ液晶テレビをそのまま使用し、表示情報はDVDやCD-Rで読取る仕組みとなっている。
2015年7月1日付で直流固定化されたのに伴い、車両番号が元番号+4000された。
2017年9月30日の「ありがとういろどり号」をもって営業運転を終了した[19][20]。
リゾートやまどり[編集]
ジパング[編集]
お座敷電車「やまなみ」のうち先頭の2両と、485系3000番台中間車2両の全4両を2012年に再改造した座席車である[22][23]。盛岡運転所に所属していた。
クハ485-704・モハ485-3014・モハ484-3014・クハ484-704で構成された6両編成で、700番台の先頭車は観光型構造、3000番台の中間車は特急型時代そのままの回転リクライニングシートとなっていた。
いわてデスティネーションキャンペーンに合わせて2012年4月に登場し、期間中は「平泉世界遺産号」(盛岡 - 一ノ関間)などで運行された。終了後は主に同区間で「ジパング平泉」として運行されていた。
2021年10月10日の団体専用列車「ありがとうジパング」をもって運行を終了した[24]。
あきたクルーズ号[編集]
クルージングトレイン[編集]
JR東海(過去)[編集]
いこい(JR東海)[編集]
1982年に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 811・812、オロ12 821 - 824で構成されていた。沼津運輸区のちに、名古屋車両区に所属していた。JR東海の和式客車は他の編成とは違い、引退するまで12系客車塗装のまま活躍。1997年2月に最終運用を終え、3月に廃車となった。
国鉄・静岡局に所属していたスロ81系和式客車に「いこい」の名称が与えられていたため、名称としては2代目となる。
お座敷列車(名古屋鉄道管理局)[編集]
1983年4月に登場した12系客車改造の6両編成。4月10日から営業を開始。スロフ12 915・916、オロ12 829 - 832で構成されていた。名古屋車両区に所属していた。
ジョイフルトレインとしては初めて、窓ガラスのないオープンデッキの展望車を連結したことで知られる。展望車は、後の改造車では車掌室を連結面側に方向転換のうえでトイレ・洗面所部分を台枠から切断して、そこに新規に製作した構体を接合させる工法をとっていたが、この車では車掌室を後位出入台部へ移設させて、元の車掌室部をデッキに改造する手法をとっていた。そのため発電機関の排気管がデッキに立ち上がっているなど、少々苦しいレイアウトとなっていた。配置区所の略号から「ナコ座」とも呼ばれたが、正式な愛称はなかった。1999年度に廃車となった。
ユーロライナー[編集]
リゾートライナー[編集]
1988年に登場したキハ80系気動車改造の欧風車両。キロ80 701・801、キロ82 801で構成されており、名古屋車両区に所属していた。
先頭車はハイデッキ構造で中間車の中央部にイベントステージが設置されている。エンジンの換装は行われなかったため、出力不足を補う意味でキハ58形・キハ65形との併結運転もしばしば見られた。1995年3月に廃車された。
ゆうゆう東海[編集]
ユーロピア[編集]
JR西日本︵過去︶[編集]
ジョイフルトレイン[編集]
旅路[編集]
お座敷列車(金沢鉄道管理局) → わくわく団らん[編集]
ホリデーパル[編集]
いこい︵JR西日本︶[編集]
ゆうゆうサロン岡山[編集]
ゆぅトピア[編集]
1986年に登場したキハ65形気動車改造の座席車。キロ65 1・1001で構成されていた。
外観は先に登場した「アルファコンチネンタルエクスプレス」に似たデザインのハイデッカー式で、デビュー当時は、大阪駅 - 金沢駅間は、同区間で運転されているエル特急「雷鳥」の後部に併結されて無動力で牽引され、当時の未電化区間であった金沢から和倉温泉までは自力走行して運転された。この運転方法があとに登場する「ゴールデンエクスプレスアストル」「エーデル丹後」にも受継がれる。しかし1991年に金沢駅 - 和倉温泉駅間が電化され「雷鳥」との併結運転は終了した。その後はもっぱら団体臨時列車として運転されてきたが、団体臨時列車運転中にエンジンの不具合が発生し、修復されず1995年3月31日に廃車された。
ふれあいパル[編集]
1986年に登場したキハ58系気動車改造のお座敷列車。キロ29 504、キロ59 507で組成されている。広島支社が保有、山口鉄道部に所属していた。助士側前面の窓が大きくなっており、前方の景色が見やすくなっていた。車内は掘ごたつ式であった。
利用率の低下と車両の老朽化のため、2007年10月28日に広島駅 - 新山口駅間で運転された臨時快速列車「さよならふれあいパル号」をもって運用を離脱し、11月9日付で廃車された。
ふれあいSUN-IN[編集]
ほのぼのSUN-IN[編集]
1987年に登場した、キハ58系気動車改造のお座敷列車。キロ29 551、キロ59 551で組成されていた。米子支社が保有、後藤総合車両所に所属していた。車内は「ふれあいSUN-IN」に似ている。山陰地方を拠点として運転することが比較的多かった。
2009年10月から11月にかけての土日に運転された「ありがとうお座敷ほのぼのSUN-IN」と、11月28日 - 29日に運転された「さよならお座敷ほのぼのSUN-IN」での運用をもって引退した[32]。
あすか[編集]
リゾートサルーン・フェスタ[編集]
ゴールデンエクスプレスアストル[編集]
リゾートトレイン[編集]
1988年に登場した、14系客車改造の座席車。オハ14 201 - 208・251 - 258・スハフ14 201 - 204・オハフ15 201 - 203・251の24両が改造され、両数をフレキシブルに変更して使用されていた。
団体列車のほか「ムーンライト九州」でも運用されたが、2009年までに全車が廃車となった。
スーパーサルーンゆめじ[編集]
1988年に登場した211系・213系電車の座席車。クモロ211-1・モロ210-1・クロ212-1001で構成される3両編成で、岡山支社が保有し岡山電車区に所属していた。臨時列車以外では瀬戸大橋線の快速「マリンライナー」のグリーン車でも使用されていた。
「マリンライナー」運用終了後は団体専用列車を中心に使用されていたが、2010年3月7日に岡山駅 - 大野浦駅間で実施されたさよなら運転「ファイナルラン さよなら! スーパーサルーンゆめじ号」での運用をもって引退[35]、同年6月30日付けで廃車となった。
ビバ・ウエスト[編集]
1989年8月に登場したキハ58系気動車改造の座席車。キハ59 501、キハ29 501で構成されていた。なお、この車番は「おばこ」の普通車扱となったあとのものと重複していた。「ふれあいパル」と同じく小郡運転区に所属していた。
団臨のみならず多客臨としても運転されていたが1999年3月に廃車された。
セイシェル[編集]
1989年11月に登場した、キハ58系気動車・12系客車改造の欧風車両。キロ59 554・555、キサロ59 501(12系「いこい」からの再改造車)で構成される3両編成であった。通常のキハ58系の2両編成に客車を挟んだのでやや出力不足ぎみとなっており、ほかの一般車を伴って運用されることも多かった。
キロ59形は長い連続窓で構成され、前面は改造車種であるキハ58形1100番台のままで貫通扉に小型の表示板が付いていた。2号車であるキサロ59形は、1両のみで構成するスハフ12形701号車「いこい」から再改造された車両で、室内は「くつろぎコーナー」というコーナーが設置されていた。
所属区は当初福知山運転所だったが後に豊岡鉄道部に転属。団臨以外にも多客臨時列車にも使用されていたが、2005年1月の団臨を最後に引退、3月31日付で廃車になった。
いきいきサロンきのくに[編集]
1989年に登場した12系客車改造のお座敷列車。スロフ12 807・808、オロ12 813 - 816で構成されていた。元は1981年7月に登場したお座敷列車「ジョイフルトレイン」である。大阪支社が保有、宮原総合運転所に所属。車内は掘ごたつ式。
12系のトップナンバー車を含むため車齢が高く、また利用率の低下もあったため2007年6月限りで運用を離脱し、11月5日付で廃車となった。
JR四国(過去)[編集]
アイランドエクスプレス四国[編集]
旅立ち[編集]
レインボー[編集]
アイランドエクスプレス四国II[編集]
JR九州(過去)[編集]
海編成・山編成[編集]
サウンドエクスプレスひのくに[編集]
吉四六[編集]
ゆ〜とぴあ[編集]
BUNBUN[編集]
1987年3月に登場したキハ58系気動車改造のお座敷列車[39]。キハ58 8001、キハ28 8001で構成されていた[39]。 塗装に凝った編成で、前面に愛称名を英文字で描かれているのが特徴。車内は掘ごたつ式の和式列車だった[39]。JR九州ジョイフルトレイン全面廃止の1994年6月まで活躍した。パノラマライナーサザンクロス[編集]
1987年4月に登場した12系客車改造の欧風車両。スロフ12 705・706、オロ12 711 - 714 で構成され、門司港運転区に所属していた。
両端展望車の展望室部分が客車として初めてハイデッキ構造となったのが特徴。専用牽引機にED76 78とDE10 1131があった。専用機関車を2両用意するなど新生JR九州のフラッグシップを担った車両であり、稼働率が高く九州内のみならず本州・四国にも入線した実績がある。JR九州のジョイフルトレイン廃止を受け1994年3月24日に廃車された。
ジョイフルトレイン長崎 → ジョイフルトレイン熊本[編集]
1988年に登場した、キハ58系・65形気動車改造の欧風車両。キハ58 7002、キハ65 7002で構成されていた。長崎運転所のちに、熊本運転所に所属していた。
白を基調に大きく描かれた龍(ドラゴン)が特徴。1992年に長崎から熊本に転じ、愛称も変更されたが外観はそのまま維持された。1994年3月に廃車となった。
サルーンエクスプレス[編集]
1988年に登場したキハ58系・キハ65形気動車改造の座席車。キハ58 7001、キハ65 7001で構成され、熊本運転所に所属していた。
室内は山小屋風に改造されているのが特徴でダミーのペチカのあるロビーも完備され、客室からの展望を良くするため、座席は通路よりやや高くしている。広いシートピッチのボックスシートの間に回転クロスシートを配置するという非常に珍しい内装であった。団体臨時列車のほか臨時列車にも活躍し、晩年は普通列車として運用されたが1994年3月に廃車された。
ふれあいGO[編集]
1988年10月に登場したキハ58系・キハ65形気動車改造のジョイフルトレイン。キハ58 8002・キハ65 8001で構成されていた。筑豊気動車区に所属していた。
車体は、白を基調にそよ風が舞うようなデザインだった。和洋折衷の室内が特徴で、JR九州ジョイフルトレイン全面廃止の1994年6月まで活躍した。
ジョイフルトレイン大分[編集]
1990年に「吉四六」から改造された、キハ58系気動車のお座敷列車。車内は全て和式に更新され、塗装も緑地に金色の帯が入ったものに変更された。
1993年にキハ58 190が「しらぬい」に再改造され、キハ28 2487は廃車になった。
しらぬい[編集]
1993年8月に「ゆ〜とぴあ」のキハ28 2436と「ジョイフルトレイン大分」のキハ58 190の2両を再改造して登場したお座敷列車。熊本運転所に所属していた。
しかし、1994年6月のジョイフルトレイン全面廃止に伴いわずか1年足らずで廃車された。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 所属局により改装内容に違いがあり、編成端部からの乗客の転落防止として木製柵(金沢局)・飾り扉(門司局)・愛称表示器を設置(東京局→水戸局)、1両に半室をサロン室(大阪局)・売店を設置(門司局)などがある。塗色は当時の客車グリーン車に準拠した青15号に緑帯であったが、1979年の塗色改訂でグリーン車の緑帯が廃止された事から金沢局・静岡局所属の車両を除いて抹消され、その後登場した大阪局・東京南局は青15号に白帯2本となった。なお、静岡局の車両には「いこい」、大阪局の車両には「ジョイフルトレイン」という愛称名が独自に付けられていた。
- ^ 車番は同時期に存在しないものの、旧国鉄の「みやび」と重複していた。
- ^ リニューアル前は増結車としてオハ14 62も組成された