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古市古墳群

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古市古墳群

古市古墳群 概観
高尾山より。画像中央左から右下に誉田御廟山古墳(伝応神天皇陵)・仲津山古墳(伝仲姫命陵)・市野山古墳(伝允恭天皇陵)、右端に岡ミサンザイ古墳(伝仲哀天皇陵)。
所属 百舌鳥・古市古墳群
所在地 大阪府羽曳野市誉田、大阪府藤井寺市藤井寺ほか
位置 北緯34度33分54.2秒 東経135度36分31.3秒 / 北緯34.565056度 東経135.608694度 / 34.565056; 135.608694座標: 北緯34度33分54.2秒 東経135度36分31.3秒 / 北緯34.565056度 東経135.608694度 / 34.565056; 135.608694
形状 前方後円墳円墳方墳
築造時期 5世紀6世紀
史跡 国の史跡
特記事項 百舌鳥古墳群に並ぶ、国内最大規模の古墳群。世界文化遺産
地図
古市古墳群の位置(大阪府内)
古市古墳群

古市古墳群

大阪府内の位置
地図
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西2.5420061238724西[1]



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一覧[編集]

墳形別の内訳[編集]

  • 前方後円墳31基(現存26基)
  • 円墳30基(現存5基)
  • 方墳48基(現存22基)
  • 墳形不明14基(現存34基)
  • 合計123基(現存計87基)

主な古墳[編集]

主な古墳の一覧[4]
古墳名 形状 墳丘長 史跡指定 宮内庁治定 備考
誉田御廟山古墳(誉田山古墳) 前方後円墳 425m 国の史跡(外濠外提) 応神天皇 世界遺産
仲ツ山古墳(仲津山古墳) 前方後円墳 290m 国の史跡(周堤) 仲姫命 世界遺産
岡ミサンザイ古墳 前方後円墳 242m 仲哀天皇 世界遺産
市ノ山古墳(市野山古墳) 前方後円墳 230m 允恭天皇 世界遺産
墓山古墳 前方後円墳 225m 国の史跡 応神天皇陵陪冢 世界遺産
津堂城山古墳 前方後円墳 210m 国の史跡 藤井寺陵墓参考地 世界遺産
軽里大塚古墳(前の山古墳/白鳥陵古墳) 前方後円墳 200m 国の史跡(周堤) 白鳥陵(日本武尊墓) 世界遺産
野中宮山古墳 前方後円墳 154m
古室山古墳 前方後円墳 150m 国の史跡 世界遺産
野中ボケ山古墳 前方後円墳 122m 仁賢天皇
高屋築山古墳 前方後円墳 122m 安閑天皇
白髪山古墳 前方後円墳 115m 清寧天皇
大鳥塚古墳 前方後円墳 110m 国の史跡 世界遺産
二ツ塚古墳 前方後円墳 110m 応神天皇陵陪冢 世界遺産
はざみ山古墳 前方後円墳 103m 国の史跡 世界遺産
峯ヶ塚古墳 前方後円墳 96m 国の史跡 世界遺産
高屋八幡山古墳 前方後円墳 90m 春日山田皇女
島泉丸山古墳 円墳 75m 雄略天皇
鍋塚古墳 方墳 70m 国の史跡 世界遺産
向墓山古墳 方墳 68m 応神天皇陵陪冢 世界遺産
浄元寺山古墳wikidata 方墳 67m 国の史跡 世界遺産
青山古墳wikidata 円墳 62m 国の史跡 世界遺産
鉢塚古墳 前方後円墳 60m 国の史跡 世界遺産
唐櫃山古墳 帆立貝形古墳 59m 国の史跡
稲荷塚古墳 帆立貝形古墳 50m 国の史跡
東山古墳wikidata 方墳 50m 国の史跡 世界遺産
八島塚古墳 方墳 50m 仲姫命陵陪冢 世界遺産、三ツ塚古墳の1つ
中山塚古墳 方墳 50m 仲姫命陵陪冢 世界遺産、三ツ塚古墳の1つ
島泉平塚古墳 方墳 50m 雄略天皇
誉田丸山古墳 円墳 50m 応神天皇陵陪冢 世界遺産
小白髪山古墳 前方後円墳 46m 清寧天皇陵陪冢
西馬塚古墳wikidata 方墳 45m 応神天皇陵陪冢 世界遺産
栗塚古墳wikidata 方墳 43m 応神天皇陵陪冢 世界遺産
宮の南塚古墳 円墳 40m 允恭天皇陵陪冢
野中古墳 方墳 37m 国の史跡 世界遺産
助太山古墳 方墳 36m 国の史跡 世界遺産、三ツ塚古墳の1つ
割塚古墳 方墳 30m 国の史跡
サンド山古墳 30m? 応神天皇陵陪冢
東馬塚古墳wikidata 方墳 23m 応神天皇陵陪冢 世界遺産
蕃所山古墳 円墳 22m 国の史跡
松川塚古墳 方墳 20m 国の史跡
隼人塚古墳 方墳 20m 雄略天皇陵陪冢
野々上古墳 方墳 20m 仁賢天皇陵陪冢
衣縫塚古墳 円墳 20m 允恭天皇陵陪冢
赤面山古墳 方墳 15m 国の史跡


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  • 古墳の周囲に巡らされた濠の存在は東アジアでは見られず、がもつ意味(水稲稲作の普及と王権の関係や濠の水が灌漑に役立てられていた可能性といった実利性)を追求することで差別化が図れる
  • 前方後円墳は日本独自のものではなく韓国にもあるという説に関し、ユネスコが重視する文化循環の証拠とし、日韓問題文化摩擦を解決する手段の一つとすることで文化的価値を高める
  • 古墳周辺に迫る住宅景観に関し、場合によっては古墳が破壊され宅地造成されていた可能性もあるが、古墳が残ったのはそれが墓であることを理解し手を付けてはいけないという日本人の宗教観による畏怖の念の表れとする潜在意識での保護感覚を主張する

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 高句麗古墳群の推薦で日本の古墳と対比したのは、平山郁夫が関わったことによる(『ユネスコ世界遺産年報2005』)

出典[編集]



(一)^  161 19691

(二)^  . : pp. 1-3. (2011123). 2011125. https://web.archive.org/web/20110125200828/http://sankei.jp.msn.com/life/news/110123/art11012302010010-n1.htm 

(三)^   23. . (201976). https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190706-00000046-mai-cul 

(四)^ 

(五)^ 1312913

(六)^ 26106140273104328313328103144332644

(七)^  (PDF) 

(八)^ abc 西2013

(九)^ 

(十)^  .  . 2019514

(11)^ 5 2016821

(12)^  2017528

(13)^ 2   2017324
 59 4 2017329

(14)^   20161124

(15)^    2017731

関連項目[編集]

外部リンク[編集]