奈良県立五條高等学校
奈良県立五條高等学校 | |
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北緯34度22分11.8秒 東経135度41分39.9秒 / 北緯34.369944度 東経135.694417度座標: 北緯34度22分11.8秒 東経135度41分39.9秒 / 北緯34.369944度 東経135.694417度 | |
過去の名称 |
奈良県尋常中学校五條分校 奈良県郡山中学校五條分校 奈良県五條中学校 奈良県立五條中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 奈良県 |
学区 | 全県一学区 |
併合学校 | 奈良県立五條高等女学校 |
校訓 | 質実、剛健、礼節 |
設立年月日 | 1896年 |
創立記念日 | 11月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 |
普通科 商業科 |
学校コード | D129210000218 |
高校コード | 29128F |
所在地 | 〒637-0092 |
奈良県五條市岡町1428 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
奈良県立五條高等学校︵ならけんりつ ごじょうこうとうがっこう、英称‥Nara Prefectural Gojo Senior High School︶は、奈良県五條市岡町に所在する公立の高等学校。略称は﹁五高﹂︵ごこう︶。
概要
歴史 1896年︵明治29年︶に奈良県尋常中学校︵奈良県立郡山高等学校の前身、旧制中学校︶の分校として開校。1899年︵明治32年︶に独立し、1948年︵昭和23年︶4月の学制改革により、新制高等学校となった。同年9月には高等女学校を前身とする奈良県立宇智高等学校と統合され、男女共学を開始した。奈良県内の公立高等学校としては、旧制中学校時代も含めると、奈良県立郡山高等学校に次いで、2番目に歴史が長い古い高等学校といえる。 設置課程・学科 全日制課程 ●普通科 ●まなびの森コース︵進学重視、特色選抜︶ ●商業科 校訓 ﹁質実・剛健・礼節﹂ 校章 金剛山と吉野川を図案化して組み合わせたものを背景にして、中央に﹁高﹂の文字を配している。制定当時の美術科教諭、花野五壌によって制作された。 校歌 作詞は西尾芳喬、作曲は信時潔による。歌詞は2番まであり、校名は登場しない。 制服 全日制課程の男子冬服はブレザー・ズボンにネクタイ着用。女子冬服はブレザー・スカートにリボンを着用。定時制課程︵夜間︶の服装は自由となっている。 姉妹校 ガートン・グラマー・スクール︵Girton Grammar School Bendigo、オーストラリア ビクトリア州 ベンディゴ市︶ - 毎年3月に短期派遣留学を行っている。 同窓会 ﹁金陽会﹂︵きんようかい︶と称している。沿革
旧制中学校・新制高等学校︵男子校︶時代 ●1896年︵明治29年︶ ●4月 - 奈良県尋常中学校五條分校として、五條町垣内229番地に仮校舎を設置して開校。当初は教員5名、生徒94名が在籍。 ●5月 - 五條町須恵に新校舎が完成。 ●1899年︵明治32年︶ ●4月 - 中学校令の改正により、奈良県郡山中学校五條分校と改称︵﹁尋常﹂が除かれる︶。 ●7月 - 奈良県郡山中学校から分離し、奈良県五條中学校として独立。 ●1900年︵明治33年︶2月 - 校舎を焼失。 ●1901年︵明治34年︶ ●3月 - 第1回卒業式を挙行。24名が卒業。 ●5月 - 寄宿舎が完成。 ●6月 - 奈良県立五條中学校と改称︵県の後に﹁立﹂が加えられる︶。 ●9月 - 新校舎が完成。 ●1921年︵大正10年︶10月 - 同窓会﹁金陽会﹂が発足。 ●1925年︵大正14年︶12月 - 校訓﹁五中精神﹂を制定。 ●1936年︵昭和11年︶11月 - 創立40周年を記念し、同窓会館が完成。 ●1941年︵昭和16年︶5月 - 食糧増産特設農場の経営を開始。 ●1944年︵昭和19年︶7月 - 勤労動員が始まる。 ●1945年︵昭和20年︶ ●3月 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行の前倒しが決定され、5年生と4年生の合同卒業式を挙行[1]。 ●4月 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。 ●8月 - 終戦。 ●9月 - 授業を再開。 ●1947年︵昭和22年︶4月1日 - 学制改革︵六・三制の実施︶により、旧制中学校の生徒募集を停止。 ●1948年︵昭和23年︶4月1日 - 学制改革︵六・三・三制の実施︶により、旧制中学校が廃止され、新制高等学校奈良県立五條高等学校︵男子校︶が発足。 高等女学校・新制高等学校︵女子校︶時代 ●1903年︵明治36年︶4月 - 奈良県宇智郡五條町外八ヶ村組合立宇智郡女子手芸学校が開設。教員5名。生徒定員を150名とする。 ●1906年︵明治39年︶6月 - 奈良県宇智郡五條町外八ヶ村組合立五條実業学校と改称。農科木工科を設置し、男子生徒も収容。 ●1907年︵明治40年︶4月 - 組合を解消し五條町立五條実業学校と改称。農科を廃止。 ●1913年︵大正2年︶4月 - 五條町立五條実科高等女学校と改称。 ●1916年︵大正5年︶4月 - 五條町立五條高等女学校と改称。 ●1917年︵大正6年︶6月 - 保育参考館を設置。 ●1920年︵大正9年︶4月 - 移管により、宇智郡立五條高等女学校と改称。 ●1923年︵大正12年︶4月 - 移管により、奈良県立五條高等女学校と改称。 ●1924年︵大正13年︶6月 - 新校舎が完成。 ●1929年︵昭和4年︶12月 - 雨天体操場︵体育館︶が完成。 ●1933年︵昭和8年︶10月 - 校旗を制定。 ●1934年︵昭和9年︶6月 - 生徒図書閲覧室を新設。 ●1935年︵昭和10年︶ ●4月 - 専攻科を開設。 ●12月 - 寄宿舎を改築し、﹁藤花寮﹂と命名。 ●1947年︵昭和22年︶4月1日 - 学制改革︵六・三制の実施︶により、高等女学校の生徒募集を停止。 ●1948年︵昭和23年︶4月1日 - 学制改革︵六・三・三制の実施︶により、高等女学校が廃止され、新制高等学校奈良県立宇智高等学校︵女子校︶が発足。 新制高等学校︵男女共学︶ ●1948年︵昭和23年︶9月1日 - 高校三原則に基づく公立高校統合・再編が行われる。 ●奈良県立五條高等学校︵男子校︶と奈良県立宇智高等学校︵女子校︶が統合され、総合制の奈良県立五條高等学校︵男女共学︶が発足。普通科と商業科を設置。 ●1950年︵昭和25年︶ ●4月 - プールが完成。 ●5月 - 夜間定時制商業科を設置。賀名生村の賀名生中学校に併設する形で賀名生分校︵昼間定時制農業科・家庭科︶を設置。 ●1956年︵昭和31年︶ ●2月 - 創立60周年を記念して本館が完成。 ●4月 - 女子科︵家庭科︶を設置。 ●1959年︵昭和34年︶9月26日 - 伊勢湾台風により校地の一部に被害を受ける。授業を中止し救援活動にあたる。 ●1962年︵昭和38年︶- 講堂兼体育館が完成。 ●1968年︵昭和43年︶3月31日 - 女子科︵家庭科︶の募集を停止。定時制課程の商業科を廃止し、普通科を設置。 ●1972年︵昭和47年︶3月 - 管理棟と寄宿舎女子棟が完成。 ●1973年︵昭和48年︶2月 - 寄宿舎男子棟が完成。 ●1979年︵昭和54年︶3月 - 北校舎を改築。 ●1990年︵平成2年︶4月 - この年の入学生から制服を改定。 ●1992年︵平成4年︶9月 - 現在地に新校舎が完成し、旧・岡口校舎から移転を完了。 ︵旧校舎跡地は令和3年に新市役所が移転︶ ●1995年︵平成7年︶2月 - 商業科で分割選抜を開始。 ●1993年︵平成5年︶- ガートン・グラマー・スクールと姉妹校を締結。 ●1996年︵平成8年︶11月 - 創立100周年を記念し、金陽会館︵同窓会館︶が完成。 ●2001年︵平成13年︶9月 - 寄宿舎男子棟の耐震工事と改築を実施。 ●2003年︵平成15年︶9月 - 寄宿舎女子棟の耐震工事を実施。 ●2004年︵平成16年︶9月 - 寄宿舎女子棟の大規模改造を実施。 ●2007年︵平成19年︶3月1日 - スクールバスの運行を開始。奈良県内の公立高校では初めて、そして全国でも2例目[2]。 ●2021年︵令和3年︶3月31日 - 賀名生分校を五條市立西吉野農業高等学校として独立校となる。 ●2022年︵令和4年︶3月 - 定時制課程閉課程[3]。 賀名生分校 五條市立西吉野農業高等学校#沿革を参照。学校行事
●創立記念日は11月1日 1学期 ●4月 - 離任式・始業式、着任式、入学式、対面式、生徒総会、単車実技講習会 ●生徒総会 かつては﹁生徒自治﹂の名の下、体育館のシャッターを閉めて教員を一切排除し、生徒のみで総会を行っていたが、現在では教員も参加している。生徒会がオープニングやエンディングなどに趣向を凝らし、一種のレクリエーションイベント的な色彩も強い。 ●5月 - 遠足、中間考査、学校別進路相談会︵専門学校編︶、育友会総会、球技大会 ●6月 - 生活安全講話 ●7月 - 期末考査、学校別進路相談会︵大学・短期大学編︶、三者懇談、終業式、前期進路講習 ●8月 - 中学生の高校見学会︵商業科︶、夏期学習会、後期進路講習 2学期 ●9月 - 始業式、教育実習、文化祭、体育大会、オープンキャンパス ●10月 - 中間考査 ●11月 - カルチャー講座、中学校招待英語暗唱大会、2年進路講演会 ●12月 - 修学旅行、期末考査、パワーアップフォーラム、三者懇談、終業式 ●パワーアップフォーラム - 大学教員による出前授業 3学期 ●1月 - 始業式、生徒会リーダー研修会、1年新春かるた大会、初釜 ●初釜 - 茶道の稽古始めにあたる日 ●2月 - 耐寒金剛登山、特色選抜入試、同窓会入会式・表彰 ●耐寒金剛登山 奈良県と大阪府の県境にそびえる金剛山に登山する行事。山頂付近は雪が残るので、アイゼンを着用して登山する。下山後は、父母達が豚汁やコロッケを振舞う。 ●3月 - 学年末考査、卒業式、オーストラリア短期派遣留学、一般選抜入試、終業式、2年春期学習会部活動
水泳部は男子はインターハイ総合優勝1回。女子は1950年代の10連覇を含む、14回のインターハイ総合優勝経験がある
●運動部 - 剣道、柔道、弓道、水泳、陸上競技、卓球、ソフトテニス、サッカー、バスケットボール、バレーボール、野球、ソフトボール、ゴルフ
●文化部 - 茶道、華道、書道、文芸、美術、生物、科学、ESS、コーラス、吹奏楽、軽音楽、ビジネス、食物、漫画研究、写真、演劇
●部局 - 解放研、放送、新聞
著名な出身者
スポーツ ●東美代子 - 競泳選手、東京オリンピック代表 ●川西繁子 - 競泳選手、メキシコ・ミュンヘンオリンピック代表 ●菊谷多鶴子 - 競泳選手、東京オリンピック代表 ●坂口文子 - 競泳選手、ヘルシンキオリンピック代表 ●坂本和子 - 競泳選手、ヘルシンキオリンピック代表 ●佐藤喜子 - 競泳選手、メルボルン・ローマオリンピック代表 ●島田節子 - 競泳選手、メルボルンオリンピック代表 ●宮部シズエ - 競泳選手、ヘルシンキ・ローマオリンピック代表 ●山下貞子 - 競泳選手、ヘルシンキオリンピック代表 ●和田映子 - 競泳選手、メルボルン・ローマオリンピック代表 政官界 ●木村篤太郎 - 元検事総長、東京弁護士会会長、参議院議員。司法大臣、法務大臣、法務総裁、行政管理庁長官、保安庁長官、防衛庁長官を歴任。正三位勲一等旭日大綬章受章。 ●前田正男 - 元科学技術庁長官 ●田野瀬良太郎 - 元衆議院議員、自由民主党統括副幹事長。元学校法人西大和学園理事長。大和大学学長。 ●藤岡長和 - 内務官僚。官選知事等を歴任。 ●藤岡長敏 - 内務官僚。藤岡長和の弟。官選知事等を歴任。 ●槇野勇 - 警視総監等 ●森本康敬 - ソロモン諸島駐箚特命全権大使。元釜山総領事。 芸術 ●花岡大学 - 児童文学者。中退 ●川村たかし - 児童文学者。著作に﹁山へいく牛﹂、﹁新十津川物語﹂など。 ●楳図かずお - 漫画家。著作に﹁まことちゃん﹂、﹁漂流教室﹂など。 その他 ●鬼追明夫 - 弁護士。元日本弁護士連合会会長、元整理回収機構代表取締役社長 ●北川桃雄 - 奈良県立五條中学校時代の英語科教諭、美術史家。 ●久野収 - 哲学者。学習院大学教授。 ●笑福亭竹林 - 1975年卒、落語家。 ●辻井正 - 医師。元奈良県立医科大学学長 ●寺本熊市 - 陸軍軍人。陸軍航空本部長 ●七浦広志 - 医師。トヨタ自動車統括産業医。 ●平田進也 - 伝説的添乗員。日本旅行。 ●古谷真吾 - 阪神電鉄本社から阪神タイガース球団代表。アクセス
●JR和歌山線五条駅 徒歩25分 ●奈良交通﹁五條高校前﹂停留所 ●近鉄吉野線福神駅との間にスクールバスが運行されている。脚注
(一)^ 本来、中等学校令の施行された1943年︵昭和18年︶に入学した生徒が卒業する1947年︵昭和22年︶3月に修業年限4年が施行されることになっていた。しかし戦況の悪化によって、中等学校令施行前に入学した1941年︵昭和16年︶入学生および1942年︵昭和17年︶入学生にも修業年限4年が前倒しで実施されることとなった。このため1940年︵昭和15年︶入学の5年生と1941年︵昭和16年︶入学の4年生の合同卒業式が挙行された。
(二)^ スクールバス - 奈良県立五條高等学校
(三)^ 五條高校の夜間定時制、72年の歴史に幕 - 朝日新聞︵2022年3月2日︶