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江戸時代の三貨制度

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江戸時代の三貨制度
小判 丁銀・豆板銀 銭貨
一両小判
両替
丁銀 小玉銀
両替
寛永通寳一貫文
寛永通寳
寛永通寳真鍮四文銭

Tokugawa coinage



121815[1]

816031868516006160141871270[2]使

[]


1=7.5=1500使[3][4]

[5]

35貿[6]

760[7][8]

[編集]

慶長小判
慶長小判
慶長一分判
慶長一分判

1/41/44[9]

1/41/8[10][11]

使[12][13]1600[14][15]

[13]


1/1000111

[編集]

慶長丁銀
慶長丁銀
慶長豆板銀
慶長豆板銀

110001102020020

使[16][17][18]500[19]便[20]

退[21]

使[22]

16貿使使使[23]

[23]

[編集]

寛永通寳
寛永通寳
寛永通寳文銭
寛永通寳文銭

10001

貿[24]

使[25]3131636[26][27]

10100

96100[28][29][30]

[]




[31][32]

[33][34][32]

111698[35]

2176521790121800[36]

[]


使西西[25]西[37]

[20]

[25]

調 [38][39][40]31706417141736

小判および定位貨幣の流通高[編集]

元禄8年(1695年 10,627,055両

宝永3年(1706年 14,036,220両

宝永7年(1710年 13,512,484両

正徳4年(1714年 11,995,610両

元文元年(1736年 8,742,096両

安永元年(1772年 18,698,215両

小判

文政元年(1818年 24,631,215両

天保3年(1832年 40,206,600両

安政元年(1854年 48,556,952両

万延元年(1860年 82,262,552両

明治2年(1869年 126,837,932両

定位金貨

定位銀貨

丁銀・豆板銀の流通高[編集]

元禄8年(1695年) 157,059貫

宝永3年(1706年) 405,850貫

宝永7年(1710年) 394,175貫

正徳4年(1714年) 777,563貫

元文元年(1736年) 331,025貫

安永元年(1772年) 526,783貫

文政元年(1818年) 526,783貫

天保3年(1832年) 381,448貫

安政元年(1854年) 234,091貫

万延元年(1860年) 234,558貫

明治2年(1869年) 210,702貫

銭貨の鋳造高[編集]

寛永年間(銅一文銭) 2,750,000貫文

明暦万治(銅一文銭) 500,000貫文

寛文天和(銅一文銭) 1,970,000貫文

元禄・宝永(銅一文銭) 2,080,000貫文

正徳(銅一文銭) 680,000貫文

享保(銅一文銭) 2,000,000貫文

元文〜延享(一文銭) 6,760,000貫文

明和天明(鉄一文銭) 5,250,000貫文

明和〜天明(四文銭) 22,150,000貫文

ママ

文政(四文銭) 320,000貫文

天保(百文銭) 3,973,520貫文

弘化〜万延(百文銭) 35,647,710貫文

慶應・明治(百文銭) 8,859,175貫文


調

[]


4.41[41][42]

80%1[33]

[43]

便[44]

81695

退[45][46]

[47] 61859

[]


[48]

[49][50]

[34]

退1736退[51][52]

[53][ 1]1859

[55]21[56]貿

小判の量目と品位の変遷[編集]

慶長金 (1601年)4.76匁

元禄金 (1695年)4.76匁

宝永金 (1710年)2.50匁

正徳金 (1714年)4.76匁

享保金 (1714年)4.76匁

元文金 (1736年)3.50匁

文政金 1819年)3.50匁

天保金 1837年)3.00匁

安政金 1859年)2.40匁

万延金 1860年)0.88匁

丁銀の品位の変遷[編集]

慶長銀 (1601年)

元禄銀 (1695年)

二ツ宝銀 1706年

永字銀 (1710年)

三ツ宝銀 (1710年)

四ツ宝銀 1711年

正徳銀 (1714年)

元文銀 (1736年)

文政銀 1820年

天保銀 (1837年)

安政銀 (1859年)

鋳造高および改鋳高[編集]


調21869[38]
小判・一分判
鋳造高 改鋳高 国外流出高 世上流通高
慶長金 14,727,055両 10,527,055両 4,100,000両 100,000両
元禄金 13,936,220両1分 13,213,943両3分2朱 523,736両 198,540両1分2朱
宝永金 11,515,500両 11,202,703両1分 31,930両 280,866両3分
正徳金 213,500両 196,704両3分 16,795両1分
享保金 8,280,000両 7,324,044両1分 134,106両 821,849両3分
元文金 17,435,711両1分 14,278,251両 155,548両 3,001,912両1分
文政金 11,043,360両 8,883,521両 2,159,839両
天保金 8,120,450両 4,670,772両1分 3,449,677両3分
安政金 351,000両 276,829両3分 74,170両1分
万延金 625,050両 625,050両
丁銀・豆板銀
鋳造高 改鋳高 国外流出高 世上流通高
慶長銀 1,200,000貫 157,059貫 1,042,941貫
元禄銀 405,850貫 326,045貫400目 79,804貫600目
二ツ宝銀 278,130貫 278,130貫
永字銀 5,836貫 5,836貫
三ツ宝銀 370,487貫 370,487貫
四ツ宝銀 401,240貫 401,240貫
正徳銀 331,420貫 331,025貫 395貫
元文銀 525,465貫900目 490,810貫730目 489貫270目 34,165貫900目
文政銀 224,981貫900目 207,165貫 17,816貫900目
天保銀 182,108貫 102,440貫 79,668貫
安政銀 102,907貫 23,856貫 79,051貫
定位金貨
鋳造高 改鋳高 国外流出高 世上流通高
真文二分判 2,986,022両 2,860,985両2分 125,036両2分
草文二分判 2,033,061両2分 1,909,127両2分 123,934両
文政一朱判 2,920,192両 2,901,939両1分3朱 18,252両2分1朱
天保二朱判 12,883,700両1分 5,439,061両1分2朱 7,444,638両3分2朱
五両判 172,275両 125,445両 46,830両
安政二分判 3,551,600両 1,441,471両 2,110,129両
万延二分判 53,240,576両 53,240,576両
定位銀貨
鋳造高 改鋳高 国外流出高 世上流通高
五匁銀 1,806貫400目 1,806貫400目
明和南鐐二朱銀 5,933,000両 5,460,500両 472,500両
文政南鐐二朱銀 7,587,000両 7,474,800両 112,200両
南鐐一朱銀 8,744,500両 8,524,800両 219,700両
一分銀 19,729,100両 8,719,000両 11,010,100両
新一分銀 28,480,900両 101,300両 28,379,600両
一朱銀 9,952,800両 9,952,800両
二朱銀 88,300両 81,600両 6,700両
貨幣司一分銀 1,066,833両2分 1,066,833両2分
貨幣司一朱銀 1,171,400両 1,171,400両
銭貨
鋳造高 改鋳高 国外流出高 世上流通高
寛永通寳銅一文銭 2,114,246,283枚 1,420,200,000枚 600,000,000枚 94,046,283枚
寛永通寳鉄一文銭 6,332,619,404枚 6,332,619,404枚
真鍮四文銭 157,425,360枚 157,425,360枚
天保通寳 484,804,054枚 484,804,054枚
文久永寳 891,515,631枚 891,515,631枚
寛永通寳鉄四文銭 101,887,062枚 101,887,062枚

寛永通寳銅一文銭の鋳造高として挙げた数値は安政年間に回収され幕府庫に集積された数であり、実際にはこれより1桁多い。

両替相場の変遷[編集]

寛永通寳鉄一文銭
寛永通寳鉄一文銭
真鍮四文銭
真鍮四文銭
天保通寳百文銭
天保通寳百文銭

1416091=50=1=41317001=60=4[57]

1431602/34/5150[58]

16110

稿  [1][59][60][61][37]
  
  

[]


13411211



1/3

[1][59][37]
 


241616[62]

18331=1639=1

3571=20=11

248

936

2435

164[63]

31657[64]

118

2761761=39=22

137

130

135

33271766[37]

16382

115191=4201

1609

1745

31867[60]20[37]
  • 金1両:銀107匁1分
  • 銭1貫文:銀12匁6分6厘(金1両=銭8460文)
  • 肥後米1石:銀1貫213匁5分
  • 岡大豆1石:銀810匁

計数銀貨の台頭[編集]

南鐐二朱銀
南鐐二朱銀
天保一分銀
天保一分銀

21765917728使[65][66]

[67]318328183761853退

[68]

1000

三貨制度の終焉[編集]

嘉永一朱銀
嘉永一朱銀
安政一分銀
安政一分銀
万延二分判
万延二分判

618536185911131使1:51:153123[69]

使121866[70]

4591868628271218698195使

451871617718749[71]211888[72]16187312241891使28195312[73]


貨幣の種類 明治維新以降の扱い
金貨(小判・分金・大判)
金貨単位の銀貨(一分銀など)
明治7年(1874年) - 通用停止、純金および純銀の含有量によって定められた割合によって新貨との交換が開始される。
明治21年(1888年) - 新貨との交換終了。ただし、国庫に対する公納の際には使用可とされる。
明治32年(1899年) - 国庫に対する公納廃止、貨幣としての役割は完全に終了。
丁銀・豆板銀・五匁銀 慶応4年(1868年) - 銀目廃止令により通用停止。銀品位に応じた割合(安政丁銀の項目を参照)によって両・分・朱単位の金貨・銀貨との交換が開始される。
明治7年(1874年) - 交換終了、地金扱いとなる。
寛永通宝銅一文銭
寛永通宝真鍮四文銭
文久永宝
明治4年(1871年) - 太政官布告により新貨の単位による通用価値が定められる。寛永通宝銅一文銭:1厘、寛永通宝真鍮四文銭:2厘、文久永宝:1厘5毛。
昭和28年(1953年) - 小額通貨整理法により通用停止。
寛永通宝鉄銭 明治5年(1872年) - 太政官布告により新貨の単位による通用価値が定められる。鉄一文銭:1/16厘、鉄四文銭:1/8厘。
明治6年(1873年) - 太政官からの指令で、勝手に鋳潰しても差し支えないとされ、事実上の貨幣の資格を失う。
明治30年(1897年) - 貨幣法により正式に通用停止となる。
天保通宝 明治4年(1871年) - 太政官布告により8厘通用と定められる。
明治24年(1891年) - 通用停止。
明治29年(1896年) - 交換停止。
藩札・太政官札・民部省札 明治5年(1872年) - 新紙幣(明治通宝)発行開始に伴い通用停止、新紙幣との交換開始。交換割合は、藩札については藩の財政状態による当時の相場によって定められ、太政官札・民部省札は1両=1円で交換される。
明治12年(1879年) - 交換停止。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 文政元年に二分金改鋳の議が起こったときに、岡本花亭は勘定方の小吏として反対の意見を具申していれられず、そのまま職を退いている[54]

出典[編集]



(一)^ abc(1815).

(二)^ (1996), p52.

(三)^ (1958), p107.

(四)^ (1996), p132-137.

(五)^ 西   1999 

(六)^ 西(1999), p268-269.

(七)^   1983

(八)^ (2001), p38-40.

(九)^ (1996), p56.

(十)^ 便

(11)^ 西(1999), p277-291.

(12)^ (1998)p158.

(13)^ ab(1996), p71-80.

(14)^ (1958), p106-107.

(15)^ (1982), p83.

(16)^ (1963), p124-143.

(17)^ (1996), p214-219.

(18)^ 西(1999), p117-118.

(19)^   1963

(20)^ ab(1940), p39.

(21)^ (1996), p215.

(22)^ 西(1999), p96-98.

(23)^ ab(1963), p124-131.

(24)^ (1996), p56-108.

(25)^ abc  2014

(26)^ (1996), p123-133.

(27)^ (1996), p89-101.

(28)^ (1996), p144-146.

(29)^ 西(1999), p55-57.

(30)^ (1996), p97-99.

(31)^ (1963), p1-2.

(32)^ ab(1996), p93-94.

(33)^ ab(1963), p38-40.

(34)^ ab西(1999), p98-99.

(35)^ 西(1999), p244-245.

(36)^ (1958), p223.

(37)^ abcde(1989)

(38)^ ab(1875).

(39)^  2(1973).

(40)^   1873

(41)^ (1982), p89.

(42)^ (1998)p50.

(43)^ (1996), p117-119.

(44)^ (1982), p106.

(45)^ (1996), p207-209.

(46)^ (1933), p200-202.

(47)^    1999 

(48)^ 西 200411Vol.29, No.11, p18-27.

(49)^ (1963), p186-194.

(50)^ (1996), p204-207.

(51)^ (1932), p220-222.

(52)^ (2006), p128-133.

(53)^ (1976), p101-106.

(54)^ 1966129 

(55)^ (1975), p74-77.

(56)^ (1968), p51-52.

(57)^ (1933), p221-227.

(58)^ (1996), p181-183.

(59)^ ab西(1999), p328-329.

(60)^ ab(1933), p285-362.

(61)^ (1986).

(62)^ (1815), p759-760.

(63)^ (1958), p129.

(64)^ (1815), p776.

(65)^ (1996), p226-227.

(66)^ 西(1999), p278-283.

(67)^ (1996), p230-234.

(68)^ (1996), p230-246.

(69)^ (1996), p248-285.

(70)^ (1976), p166-168.

(71)^ (1905), p388-399.

(72)^ (1971), p44.

(73)^ (1976), p216-217.

[]


 1982 

1958 

1968 

1976ASIN B000J9VAPQ 

 --2001ISBN 978-4-09-626124-8 

1815 

2006 

1996ISBN 978-4-492-37082-7 

  1986 

1996ISBN 978-4-642-06652-5 

西1999ISBN 978-4-490-20353-0 

1963ISBN 978-4-6420-3029-8 

 1940 

 1971 

 調1875  

 111905  

 111972-1976 

 121975 

 --1998 

 1989 

   1932 

 稿  1933 

[]