細川利寿
表示
細川 利寿︵利壽、ほそかわ としほぎ[1] / としほき[2]、1890年︵明治23年︶10月1日[1] - 1946年︵昭和21年︶6月18日[1][2]︶は、大正・昭和期の農林官僚、政治家、華族。貴族院子爵議員。
経歴[編集]
子爵細川利文︵細川利永の婿養子︶の長男として生まれる[1][3][4]。父の死去に伴い、1944年︵昭和19年︶5月15日、子爵を襲爵した[1][5]。 学習院を経て、1915年︵大正4年︶5月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2][4][6][7]。1918年︵大正7年︶10月、高等試験行政科試験に合格[6]。1919年︵大正8年︶農商務省に入省し山林局属に任官した[2][4][6]。 以後、山林事務官、特許局事務官、農商務事務官、農林事務官兼農林大臣秘書官、農林書記官、外務書記官、農林省畜産局長、同蚕糸局長などを歴任し、1928年︵昭和3年︶に退官した[2][4][6]。その後、国策パルプ専務取締役、同常任監査役、大日本再生製紙取締役などを務めた[2][4]。 1946年︵昭和21年︶5月10日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[8][9]、研究会に所属したが、翌月に死去した[2][10]。親族[編集]
脚注[編集]
(一)^ abcdefghi﹃平成新修旧華族家系大成﹄下巻、479-480頁。
(二)^ abcdefg﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄54頁。
(三)^ ﹃華族畫報﹄上、240頁。
(四)^ abcde﹃人事興信録﹄第14版 下、ホ15頁。
(五)^ ﹃官報﹄第5199号、昭和19年5月17日。
(六)^ abcd﹃日本官僚制総合事典‥1868 - 2000﹄222頁。
(七)^ ﹃東京帝国大学一覧 從大正4年 至大正5年﹄東京帝国大学、1916年、学士及卒業生姓名121頁。
(八)^ ﹃貴族院要覧︵丙︶﹄昭和21年12月増訂、56頁。
(九)^ ﹃官報﹄第5815号、昭和21年6月5日。
(十)^ ﹃貴族院要覧︵丙︶﹄昭和21年12月増訂、54頁。
参考文献[編集]
●人事興信所編﹃人事興信録﹄第14版 下、1943年。 ●﹃貴族院要覧︵丙︶﹄昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。 ●衆議院・参議院編﹃議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑﹄大蔵省印刷局、1990年。 ●霞会館華族家系大成編輯委員会﹃平成新修旧華族家系大成﹄下巻、霞会館、1996年。 ●秦郁彦編﹃日本官僚制総合事典‥1868 - 2000﹄東京大学出版会、2001年。 ●杉謙二編﹃華族畫報﹄上、吉川弘文館、2011年︵華族画報社大正2年刊の複製︶。日本の爵位 | ||
---|---|---|
先代 細川利文 |
子爵 (高瀬)細川家第3代 1944年 - 1946年 |
次代 栄典喪失 |