肥後新田藩
肥後新田藩︵ひごしんでんはん︶は、熊本藩の支藩。熊本新田藩とも。末期に高瀬藩︵たかせはん︶と称す。
寛文6年︵1666年︶、熊本藩3代藩主・細川綱利の弟・利重が熊本藩の蔵米より3万5千石を分与され立藩した。江戸鉄砲洲に住み参勤交代を行わない定府大名であった。しかし、明治維新により慶応4年︵1868年︶に仮藩庁を高瀬町奉行所︵玉名市︶に置いた。これにより、高瀬藩と改称した。明治3年︵1870年︶、玉名郡岩崎村︵玉名市︶に正規の陣屋が完成し移った。しかし、同年には熊本藩に合併し廃藩となった。
歴代肥後新田藩主[編集]
細川家 外様 3万5千石 ︵1666年 - 1870年︶外部リンク[編集]
- 細川新田(細川能登守利庸) - 武鑑全集(人文学オープンデータ共同利用センター)