花札
歴史[編集]
日本にカードゲームが初めて上陸したのは安土桃山時代で、南蛮貿易を契機にポルトガル人によって、鉄砲やキリスト教、カステラ等と共に伝えられた。﹁かるた︵歌留多,加留多,骨牌︶﹂は外来語で、ポルトガル語でカードを意味する﹁carta・カルタ﹂である。札が裏貼りされていることやゲームの進行が反時計回りなのもこの頃の名残である。天正年間︵1573〜1591年︶には早くも国産化され、その当時の札が1枚だけが現存し、兵庫県の滴翠美術館が所蔵している。江戸時代には、製造元の物流事情により、様々なローカルルールが生み出され、それらの札を﹁地方札﹂と呼んでいる。 カルタを用いる賭博行為は、江戸時代を通じて一貫して禁止されていたが、それでも一向に減らないため、安永年間︵1772〜1781年︶に江戸幕府は小売店や製造元を摘発して、以降は公然と売買できなくなった。一方、百人一首などの歌かるたは教育的にも良いものとして公許されていたため、花かるたは、禁制からの抜け道として、一部のカス札に古歌を入れて歌かるたに偽装、メクリかるたの代用品として、京都の山口屋儀助︵井上家春︶により﹁武蔵野﹂という名称で商品化され、主に江戸を中心とする武蔵国へ供給された。それまで4スート×12枚であったメクリかるたを、花かるたでは12か月×4枚にして数字を隠してしまったわけで、本質的には変わっていない。﹃摂陽奇観﹄によると、1816年︵文化13年︶には花合︵= 花かるた︶が禁止されており[1]、この頃までにかなり普及していたことが窺える。 違法賭博の用具ということで、明治の警察当局は﹁花かるた﹂のことを﹁花札﹂と蔑称で呼んでいた。製造元の広告や価格表では﹁花かるた﹂と表記していたのだが、侮蔑的な意味合いが込められていたという認識は次第に薄れ、現代では製造元の任天堂や大石天狗堂のサイトでも﹁花札﹂と表記されており、﹁花札﹂という呼称は一般名詞化している。 1975年から2009年夏まで、京都の松井天狗堂が日本唯一の手摺り花かるたを製作販売していたが、2010年︵平成22年︶に閉店。その後 2016年︵平成26年︶12月5日に三代目・松井重夫が死去したことで、後継者がいない等の理由により、手摺り花かるたは途絶えた。 現在、花札を製作販売している企業としては、大石天狗堂、任天堂、田村将軍堂、エンゼルプレイングカードがある。 明治期に八々花の図柄が確定されて以降、製造元も新機軸を打ち出すことは少ないが、任天堂は同社が運営するポイントのグッズ交換用の景品として、自社のコンピューターゲームに登場する看板キャラクター﹁マリオ﹂をあしらった︵通常の花札48枚のうち16枚の札がオリジナル柄︶﹁マリオ花札︵非売品︶﹂を製造した。2015年︵平成25年︶11月から装いを新たに、全ての札がオリジナル柄︵景品版とは異なる︶の﹁マリオ花札[2]﹂を商品化している。様々なキャラクターを用いたデザインの花札が、任天堂以外の製造元からも販売されている。種類[編集]
日本各地の花札[編集]
八々花︵はちはちはな︶ 江戸時代や明治時代の人たちは、﹁武蔵野﹂の柳に描かれた妖怪・雨降小僧を﹃仮名手本忠臣蔵・五段目﹄に登場する盗賊・斧定九郎と認識しており、1886年︵明治19年︶に、花かるたを合法的な商品として一般販売しようと目論む前田喜兵衛が、イメージアップを図るため、京都や大阪の製造元に掛け合って、斧定九郎から小野道風へと図柄を差し替えた。﹁武蔵野﹂が考案された当初は、メクリカルタの偽装品であることを隠すために鬼札が付属されなかった。地域によっては柳の札を鬼札や化札として遊んでおり、次第に柳のカス札が赤色に彩色されるようになった。それで﹁八々花﹂では、柳のカス札の図柄を﹁雷太鼓に鬼の手﹂に変更している。明治に大流行した技法に﹁八十八﹂があり、関西では﹁八々﹂、関東では﹁横浜花﹂﹁吟味花﹂﹁綿羊花︵らしゃめんばな︶﹂と呼んでおり、この﹁八十八﹂を主に遊ぶための商品として、金銀彩を排除してシンプルな図柄にリニューアルされた﹁八々花﹂は、急速に全国へと波及した。 虫花︵むしはな︶ 大阪を中心に遊ばれた﹁むし﹂という技法では、花札の6月・7月の札を抜いて使用しなかった。そのため、札の厚さは48枚と合致させつつ﹁むし﹂専用札として製造された。﹁六七︵むしち︶を無視﹂することから、﹁虫札﹂と呼ばれるようになったと考えられている。﹁八々花﹂と差別化するため、鶯が小さい、鹿が前脚を曲げているなど、﹁武蔵野﹂の図柄が採用されている[3]。 越後花︵えちごはな︶ 新潟県で使われていた花札。﹁武蔵野﹂に金銀彩を施した豪華版で、歌かるたに偽装するために一部のカス札には古歌が記されており、柳の光札は妖怪の雨降り小僧︵江戸時代の人たちは斧定九郎として認識︶である。新潟県で製造されていたわけではなく、京都から供給されていた。﹁金画花﹂とも呼ばれ、﹁北海花﹂や﹁備前花﹂の祖型にあたる。 主に﹁大役﹂﹁小役﹂という技法で遊ばれたが、﹁小役﹂の遊び方が分からなくなっている。現在では大石天狗堂から復刻版が販売されている。 越後小花︵えちごこはな︶ 新潟県の上越および佐渡地方[注釈 1]で使われていた花札。一般的な花札のサイズより一回り小さく、柳の光札には、蓑笠を被った妖怪・雨降小僧が描かれており、狸の尻尾が見えている。芒のカスの1枚には小さな月が描かれ、桐にも短冊の札があり、﹁鬼札﹂が3枚あるのが特徴。新潟県で製造されていたわけではなく、京都から供給されていた。 オランダロッテルダムに収蔵されている江戸時代に製造されたと考えられる現存最古の﹁越後小花﹂は、越後花同様の古歌が記されており、鬼札は1枚のみ。どのような遊び方だったのかは伝承されていない。昭和後期︵1945年以降︶までは大石天狗堂や任天堂で製造しており、得意先は上越、糸魚川の色町の芸者衆であったと伝承されている[注釈 2]。現在では大石天狗堂から復刻版が販売されている。 北海花︵ほっかいはな︶ 北海道で使われていた花札。﹁金画花﹂とも呼ばれる。明治時代に屯田兵として全国から北海道へ人々が集まったため、出身地によって札の月順が異なる不都合が生じていた。それを解決するために﹁越後花﹂の図柄をベースに月数を丸印で入れることで対処した。札に月数を入れるスペースの関係で鶴の首が短くなり、鹿の脚が真っ直ぐになるなどの特徴がある。また短冊札にも月数が書かれている。北海道で製造されていたわけではなく、京都から供給されていたが、﹁八々花﹂の普及により、昭和初期の時点では絶版となっている。 備前花︵びぜんはな︶ 岡山県を中心に使われていた花札。﹁金画花﹂とも呼ばれ、﹁北海花﹂から古歌を排除したもの。岡山県で製造されていたわけではなく、京都から供給されていたが、現在では絶版。 越前花︵えちぜんはな︶ つちや書店の﹃花札を初めてやる人の本﹄﹃マンガで覚える 図解 花札の基本﹄﹃イラストでまるわかり!花札であそぼう!!﹄では、まるで﹁越前花﹂が存在したかのように書かれており、その根拠は、大正9年の製造元・赤田猩々屋の﹃御注文便覧﹄に﹁越前花﹂と記載されているからであろうが、これは﹁備前花﹂の誤植であって実在しない。 松引花︵まつひきはな︶ ﹁武蔵野﹂の図柄をベースにしながらも古歌を排して、松と芒、梅と桜を区別できるように、赤や青の横線が複数引かれている。金銀彩の入った﹁備前花﹂をより簡素にしたタイプ。昭和初期の時点では絶版となっている。 阿波花︵あわはな︶または金時花︵きんときはな︶ 短冊札と素札︵カス札︶に月数が書かれている。現在の徳島北東部が発祥地であることから﹁阿波花﹂と呼ばれ、金太郎の札があることから﹁金時花﹂とも呼ばれる。1886年︵明治19年︶以降に、阿波市の坂東笑和堂が製造して、四国、中国地方で流通されていた花札だが、坂東笑和堂の廃業に伴い京都の製造元が製造するようになった。基本的な図柄は﹁北海花﹂を模倣しつつ、札を識別するために、古歌は簡略化され、松と芒のカス札だけになっている。鶴は左向き、桜の幔幕には菊の紋章が描かれ、柳の光札は﹁八々花﹂を真似て小野道風を採用している。山城與三郎商店が明治初期に製造していたメクリカルタの﹁赤八﹂には、金太郎の図柄の鬼札が付属していたことから、坂東笑和堂が阿波花を製造するにあたり、それを真似て採用したと考えられる。阿波市の製造者の廃業に伴い、京都で製造するようになったが、それも絶版となり、現在では大石天狗堂から復刻版が販売されている。 奥州花︵おうしゅうはな︶または山形花︵やまがたはな︶ 山形県を中心とする東北地方で使われていた花札で、江戸時代から山形で製造されていた。﹁越後小花﹂と同様に、桐のカスの1枚に短冊が描かれ、芒のカス札の一枚には小さな月が描かれているので、短冊扱いだった可能性が考えられる。また2枚あるカス札のうち1枚には黒点が打たれ、ぽっちゃりとした彩色が特徴。山形市の製造者の廃業に伴い、京都で製造するようになったが、現在では絶版。 花巻花︵はなまきはな︶ 岩手県を中心とする東北地方で使われていた花札で、江戸時代から花巻で製造されていた。﹁奥州花﹂と同系統で、骨擦りは﹁武蔵野﹂を忠実に再現しているが、芒の満月そのものを赤く着色するなどの特徴を持つ。鶴田屋が製造した豪華な金彩を施した﹁金入花巻花﹂も販売され、芒のカス札の一枚には小さな月が描かれていることから、この札は短冊扱いだった可能性が考えられる。花巻市の製造者の廃業に伴い、京都で製造するようになったが、現在では絶版。外国に伝播した花札[編集]
大連花︵だいれんはな︶→鱗花︵うろこはな︶ 日本から満洲国の大連や奉天へ輸出され、在住邦人が使っていた花札。短冊札に背景模様が描かれているのが特徴。赤短は﹁青海波﹂、くさは﹁射線﹂、青短は﹁三崩し﹂と背景模様が異なる。骨牌税が免税とされたため、日本へのお土産品として重宝がられた。元々は明治期に大阪の製造元が作っていた﹁鱗花﹂と呼ばれていたもので、国内で大量に売れ残っていた関係で、租界地や外国への輸出用となった。最初期のタイプは柳の短冊にも背景模様が描かれていたが、租界地用に製造されるようになると柳の短冊札からは背景模様がなくなっている。製造元や供給地においても﹁大連花﹂とは誰も呼んでおらず、後世に研究者がつけた呼称であり、大連に限定して供給されていたわけでもないので適切な呼称とは言えない。満洲国で製造されていたわけではなく、京都、大阪の製造元から供給されていたが、現在では絶版。 花闘︵ファトゥ‥화투 / 花鬪 / hwatu︶ 朝鮮半島に李氏朝鮮末期に伝えられた花札。日本から最初に伝えられた製品は任天堂製の花札であるという。[要出典] 日本統治時代の八月札には、芒のうえの満月に﹁餅を搗く兎﹂の絵が描かれる[4]。 現在はプラスチック製で、商標が桐ではなく、薄の光札︵20点札︶の満月内に書かれている︵メーカーによる︶、藤の札が逆向きになっている︵これもメーカーによる︶といった細かい違いがある。赤短には﹁紅短︵ホンダン、홍단 / 紅短 / hongdan︶﹂・青短には﹁青短︵チョンダン、청단 / 靑短 / cheongdan︶﹂という字がそれぞれハングルで書かれている。光札には漢字で﹁光﹂と書かれた赤い丸印が入っている。また桐を11月、柳︵雨︶を12月とみなす。ほかにパックの中に柳のカス札の予備や、ジョーカーに似た特殊なカス札がはいっていることがあるが、実際のゲームには使わないことも多い。特殊なカス札は、手札やめくり札の中に出てきたら、それを自分の取った札に追加して︵カス2枚または3枚に相当する︶、山からもう一枚引くことができる。日本では伝統的なカードゲームといった地位に落ち着いている花札であるが、韓国では現在でも﹁3人集まれば必ず花札をする﹂と言われるほど人気があり、﹁国民ゲーム﹂と称されるほどである。 こいこいを元にした﹁ゴーストップ﹂がもっとも盛んであるが、ほかに六百間や、おいちょかぶ系統の﹁ソッタ﹂なども行われる。花札は延辺朝鮮族自治州などの中国:の間でも行われている。戦後、韓国で花札賭博が横行し社会問題になったほか、北朝鮮では花札は禁止されているという。 サクラ︵ハワイの花札︶ 各札の点数や、どの役に使えるかを示すインデックスが札の上に書かれていることがある。ハワイでは短冊が10点・日本で通常10点とする札が逆に5点になる。また、柳に小野道風の札も5点と数える。カス札は0点である。ハワイの花合わせは﹁さくら﹂と呼ばれ︵肥後花とも︶、不如帰・八橋・猪︵クサと同じ月の5点札︶のように、見慣れない役がある。花札トランプ[編集]
花札・株札︵10月までを使用︶・トランプのいずれにも使えるもの。任天堂はじめ複数の製造業者で作られている。13月=閏︵雪︶は八重垣姫︵光︶、竹に雀︵タネ︶、黄短冊︵タン︶、黄雪[注釈 3]の4枚、0月=ジョーカー︵蓮︶はカス札2枚。何も書かれていない予備の白札。業者によってはキングとジョーカー用のタネ札の絵柄︵虎や龍ほか︶や花種、短冊の文字︵﹁さゝめゆき﹂など︶が異なる。構成[編集]
花かるたの絵柄は以下の通り。札の名称や漢字はもっとも一般的なもの。﹁短冊・赤短・青短﹂は﹁丹札・赤丹・青丹﹂とも書く。 なお、札の絵は昔は手書きだったものもあるので細かい違いは多数あるが、現在よく見られる任天堂などの札と構図が大きく違うものは特筆した。月 | 花 | 20点札(光) | 10点札(種) | 5点札(短冊)[絵札 1][5][6] | 1点札(カス) | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1月 | 松(まつ) | 松に鶴(つる)[絵札 2][5] | - | 松に赤短[絵札 3] | 松のカス(2枚) | ||||
2月 | 梅(うめ)[絵札 4][5] | - | 梅に鴬(うぐいす)[絵札 5][5] | 梅に赤短[絵札 3] | 梅のカス(2枚) | ||||
3月 | 桜(さくら) | 満開の桜に幔幕(まんまく) | - | 桜に赤短[絵札 6] | 桜のカス(2枚) | ||||
4月 | 藤(ふじ)[絵札 7][5] | - | 藤に時鳥(じちょう)[絵札 8][7] | 藤に短冊 | 藤のカス(2枚) | ||||
5月 | 杜若(かきつばた) | - | 杜若に八橋(やつはし)[絵札 9] | 杜若に短冊 | 杜若のカス(2枚) | ||||
6月 | 牡丹(ぼたん)[絵札 10][5] | - | 花王(かおう)に蝶(ちょう) | 牡丹に青短 | 牡丹のカス(2枚) | ||||
7月 | 萩(はぎ)[絵札 11][5] | - | 山萩(やまはぎ)に山猪(やまじし) | 萩に短冊 | 萩のカス(2枚) | ||||
8月 | 芒(すすき)[絵札 12][5] | 芒に望月(もちづき)[絵札 13][5] | 芒に雁(かり)[絵札 14][8] | - | 芒のカス(2枚) | ||||
9月 | 菊(きく)[絵札 15][5] | - | 菊に盃(さかずき) | 菊に青短 | 菊のカス(2枚) | ||||
10月 | 紅葉(もみじ) | - | 楓(かえで)に鹿(しか)[絵札 16] | 紅葉に青短 | 紅葉のカス(2枚) | ||||
11月 | 柳(やなぎ)[絵札 17] | 柳に小野道風[絵札 18]<[9] | 柳に燕(つばめ)[絵札 19][5] | 柳に短冊 | 柳のカス(鬼札)[絵札 20][5][10]。 | ||||
12月 | 桐(きり) | 梧桐(ごとう)に鳳凰(ほうおう) | - | - | 桐のカス(3枚)[絵札 21] |
絵柄に関する注釈[編集]
(一)^ 現存最古の江戸時代中期の花かるたでは短冊は紐で枝や茎などにぶら下げられた構図で、青短冊は青︵紺︶だが赤短冊は白っぽい︵太陽・幕の一部・盃や植物の赤色はそのまま残っている︶もので文字なども書かれていなかった、明治の初期に桜の短冊に﹁みよしの﹂と書かれたものが現れるが、松や梅が﹁宇良す︵うらす︶﹂、立三本の役が成り立つ月︵藤・杜若・萩︶の短冊に﹁たてさん﹂、すべての短冊に﹁〇月︵1月は正月︶﹂表記など、最初のうちは様々なパターンが存在した。また明治時代中期ごろから紐が省略されて短冊が宙に浮いた様な現在の構図になった。 (二)^ 現在の札は﹁松の隙間から鶴が見える﹂だが、現存最古の江戸時代中期の札では﹁松の手前に鶴がいる﹂という構図だった。 (三)^ ab﹁あかよろし﹂と書かれている。︵﹁の﹂のように見える2文字目は﹁可﹂の草書体、いわゆる変体仮名の﹁か﹂︵︶である。︶﹁赤はまあ良い﹂という意味。 (四)^ 江戸時代中期では鶯の札のみ紅梅で後は白っぽい花だった。 (五)^ 現在の花札ではこの鳥の背中側の体色が鮮やかな緑でメジロに似ている︵ただし目は赤い︶ものが多いが、江戸時代中期の花札ではかなり鈍い色︵杜若 や桐の葉よりも黒っぽい︶で実際のウグイスに近い色だった。江橋崇・著﹃花札﹄のカラー口絵3によると、明治24年以前には現在のカラーリングのものが出現している。 (六)^ ﹁みよしの﹂と書かれている。古くから桜の名所とされた、奈良県吉野地方の美称である。 (七)^ 黒豆︵くろまめ︶とも言う。ただし江戸時代中期の頃はかなり淡い花の色で後期頃から色が濃くなってくる。 (八)^ 江戸時代中期の花札では背景が無く藤の花とホトトギスのみだった。その後明治時代前期に赤い雲が現れるようになり、明治20年代頃に現在の﹁赤い三日月﹂が出現するようになった。 (九)^ 八橋とは愛知県知立市にある地名である。構図は杜若の名所で知られる無量寿寺の庭園に因み、在原業平の歌でも有名である。もっとも花札では菖蒲と呼んでいる人が多く、杜若と菖蒲が混同されているが正しくは杜若である。 (十)^ 江戸時代中期の頃は得点札は白牡丹、カス札は紅牡丹のものと紅白2本という構図だった。 (11)^ 赤豆︵あかまめ︶とも言う。ただし江戸時代中期の頃はかなり淡い花の色で後期頃から色が濃くなってくる。 (12)^ ﹁薄﹂とも書く。坊主︵ぼうず︶とも言う。 現在のものは芒の丘だが、江戸時代中期の頃は芒の原の構図だった。 (13)^ 現在のものは﹁真っ赤な夜空﹂というものが主流だが江戸時代中期の頃はほぼ紙の地色で月に色を塗ってあるだけだった。江橋崇・著﹃花札﹄P124-125ではこれの変化について詳しく述べられており、﹁無地or薄青︵初期︶→黄色or薄紅︵幕末︶→真っ赤︵明治︶﹂と変化したとされる。 また印刷の都合で木版合羽刷り時代は下か左端の裾が隠れた月︵三日月の場合もある︶だった︵白は印刷しない部分の色なので木版合羽刷りでは周囲を塗ってそこだけ残すのが難しかったため︶︵同書P125︶。 (14)^ 江戸時代と現在は3羽の雁が﹁く﹂の字に飛んでいるが、明治20年代頃の一時期漢数字の﹁三﹂のように並列に並び空を覆いつくすように飛ぶ姿に描かれ、このため雁は大きな鳥とみなされ、鶴と鳳凰の札の3枚で﹁大鳥﹂という役があった。 (15)^ 江戸時代中期の頃はカス札の1枚︵赤菊︶以外白菊だった、江戸時代後期頃から黄赤の花のものが現れてくる。 (16)^ 無視したりすることを意味する隠語の﹁しかと﹂は、10月の札の鹿がそっぽを向いているので、﹁鹿十﹂︵しかとお︶が語源である。 (17)^ 雨︵あめ︶とも言う。 (18)^ 元々は﹁柳に番傘をさして走る奴﹂は妖怪であったが、江戸時代の人たちは﹃仮名手本忠臣蔵・五段目﹄に登場する﹁斧定九郎﹂と認識していた。 (19)^ 現在は﹁黄色に赤﹂と派手な色の燕になっているが、江戸時代中期の頃は普通の燕の色︵黒で喉が赤い︶だった。 (20)^ この札のみ他の雨札とデザインが大きく異なるが、江戸時代から明治初期にかけては他のカス札同様に﹁柳の木だけ描かれている﹂という札であった。明治20年代前半にべったり赤を塗るようになり、明治20年代後半には背後の絵が﹁晴れた柳の木﹂から﹁雨の降る中で﹃雷光の太鼓釣り﹄﹂に代わった (21)^ 桐のカス札のうち1枚にはよく製造元が印刷されている︵例‥任天堂など︶。桐のカス札の1枚は色違いとなっており、ゲームの種類によっては特別な点数を持つ。点数[編集]
花合わせおよび八八では、札の点数は以下の通りである。種類 | 枚数 | 点数 | 備考 |
---|---|---|---|
光 | 5 | 20 | 松に鶴(日の光)、桜に幕(春の光)、芒に月(月の光)、柳に小野道風(雷の光)、桐に鳳凰(星の光) |
種 | 9 | 10 | 動物や鳥の描かれている札と杜若に八橋、菊に盃。語源は種籾で、種とは主要な札という意味。 |
短冊 | 10 | 5 | 短冊が描かれている札 |
カス | 24 | 1 | 植物だけが描かれている札(0点とする場合がある)。語源は粕籾で、粕とは最も下等な札という意味。 |
この点数がもっとも一般的だが、地域やゲームの種類によって札の点数は異なる。例えば、六百間では光および﹁梅に鴬﹂は50点、短冊と桐の黄色のカス札は10点、カス札は0点として計算する。ただし青丹3枚あるいは文字入りの赤丹3枚を揃えると加点がある。
ややこしいケースでは﹁すだおし﹂というルールでは手役の時点ではカス・5・10・20点判定は八八のものを使用し[注釈 4]、競技開始後は﹁短冊札=1点﹂、﹁動物や鳥の描かれているもの︵桜に幕・桐に鳳凰除外︶=5点﹂、﹁植物だけ+桜に幕・桐に鳳凰=10点﹂と計算する。
また、こいこいでは役を作る時にどれがタネでどれがカスであるかの区別が必要なだけで、得点を計算するときは札の点数は無視される。
植物の種類と月名との対応[編集]
もっとも普通に行われている﹁めくり﹂系のゲームでは、植物と月名の対応に関する知識はほとんど必要ないが、おいちょかぶを花札でやる場合には月名との対応を覚えていないとプレイできない。 月名は旧暦によっている。しかし、﹁柳に燕﹂や桐のように季節に植物が一致しないものがある。 地域やゲームの種類によっては、上の表とは異なる対応になっているものがある。たとえば、ひよこでは、柳が2月、桐が6月、牡丹が11月、梅が12月である。これは名古屋地方では一般的な対応であった[11]。競技種目、遊技法[編集]
めくり系[編集]
場札と手札を合わせ、さらに山札をめくって場札と合わせるもの。合わせた札は自分のものになる。取った札によって役を作ることができる。花かるたのゲームとしてはもっともよく行われている。 イタリアのスコパ・英語圏のカシノや、中国で牌九牌を使った釣魚・トランプを使った撿紅点というゲームに類似している。 ●花合わせ︵別名﹃ばかっ花﹄︶ ●こいこい ●六百間 ●八八 ●二人八八 ●遠州花︵別名﹃猪牡忠臣﹄静岡のゲーム︶ ●須原花 ●はち ●むし花 ●大役︵新潟のゲーム︶ ●さくら ︵ハワイのゲーム︶ ●ゴーストップ ︵韓国のゲーム︶よみ系[編集]
台札に対して、1つ上の月の札を出していき、手札を早くなくした側を勝ちとするもの。トランプの﹁ポープ・ジョーン﹂などに類似する。 ●ポカ ●ひよこきんご系[編集]
札の月の合計を15以下で最大の数に近づけるもの。広義のかぶ系であり、かぶ系に含める場合もある。ブラックジャックに似ている。 ●きんごかぶ系[編集]
札の月の合計の1の位を9に近づけるもの。バカラ・牌九などに似ている。株札を使う地域もあるので、株札のゲームもここに含めた。 ●おいちょかぶ ●京カブ ●引きカブ ●三枚カブ ●五枚カブ ●十枚カブ ●かちかち/じゅんじゅん/ドンドン ●ソッタ ︵韓国のゲーム︶ ●アトサキ/バッタ撒き/ジャンガーホンビキ系[編集]
親が選んだ札を、子が当てると勝ちとするもの。 ●絵本引き用語[編集]
特定のゲームで使用する用語は除く。 差し︵さし︶ 2人競技のこと。差し向かって勝負をすることから。 三つ︵みつ︶ 3人競技のこと。三つ巴で勝負をすることから。 月︵つき︶ ラウンドのこと。通常は12ヶ月戦行うが、6ヶ月戦のことを﹁半どん﹂と言う。あるいは、同じ種類の月札のこと。例‥松は1月 年︵ねん︶ 12ヶ月戦のゲームのこと。 親︵おや︶ 最初に手番を行う人。親はみんなに札を配るディラーであり、スタートプレイヤーでもある。 中︵なか︶/胴二︵どうに︶ 二番目に手番を行う人。 尾季︵びき︶/退︵ひけ︶/大引︵おおびき︶ 最後に手番を行う人。:ポルトガル語で﹁vicke︵下っ端︶﹂が語源で、﹁退﹂﹁末﹂という字が充てて﹁ビキ﹂とルビが振られている。必ず最終手番は尾季が行うので、最後まで残した手札は必ず自分が獲得できる。 親決︵おやぎめ︶/親定︵おやさだめ︶/親めくり 各自が山札から札をめくって、親を決めること。基本的には一番早い月数の人が親になる。 切る/繰る︵くる︶/練る︵ねる︶ 札を混ぜること。トランプで言う﹁シャッフル﹂。通常は尾季が行う。 望む︵のぞむ︶/望み︵のぞみ︶ 山札の上下を入れ替えること。トランプで言う﹁カット﹂。通常は胴二が行う。山札の一番上を指でチョコンと触れてカットしないことを﹁ケチをつける﹂と言う。 撒く︵まく︶ 札を配ること。トランプで言う﹁ディール﹂。通常は親が行う。 手札︵てふだ︶ 最初に親が各自に配った札のこと。単に﹁手﹂とも。 場札︵ばふだ︶/晒札︵さらしふだ︶ 場に表向きで並べられた札のこと。単に﹁場﹂とも。 山札︵やまふだ︶ めくり札が積まれている札のこと。単に﹁山﹂とも。 取札︵とりふだ︶ 合わせ取った札のこと。自分の前に点数ごとのまとめて置いて、公開しなければならない。 捨札︵すてふだ︶ 場札と合わない1枚を手札から出して、それが場札となること。 死札︵しにふだ︶ そのラウンドでは使用されない札のこと。 化札︵ばけふだ︶/鬼札︵おにふだ︶ 他の札の代わりになる札のこと。菊に盃、柳の札にその機能を持たせることがある。別に専用札を使う場合もある。 上札︵じょうふだ︶ 得点の高い光札や種札のこと。 素札︵すふだ︶ 得点の低いカス札のこと。 役札︵やくふだ︶ 出来役を構成する札のこと。 影札︵かげふだ︶ 役札が取れるカス札のこと。 決札︵きまりふだ︶ 必ず自分が獲得できる札のこと。 床札︵とこふだ︶ 自分専用の山札のこと。 場四︵ばし︶ 場に4枚の同月札が出ている状態のこと。配り直しになるルールが一般的だが、親が全て獲得するルールの場合もある。 場三︵ばさん︶/しっぽり 場に3枚の同月札が出ている状態のこと。﹁しっぽり﹂とは落ち着いた状態のことを意味する。 ヒコ札/一引︵いちひき︶/一丁引︵いっちょうびき︶/引ずり︵ひきずり︶ 場に3枚の同月札が出ている時、残る1枚の札のこと。無理矢理に引っぱるという意味の﹁ひこずる﹂が語源。ヒコ札を出すことで、その月札4枚全てを獲得する。 初代 場に初めて出た月札のこと。 二代 初代が合わせ取られ、残りのもう一方の同月札のこと。 手役 最初に配られた手札の組み合わせによって決まる役のこと。 出来役 取札の組み合わせで決まる役のこと。 王手/立直︵リーチ︶ 残り1枚で出来役が完成する状態のこと。 お手つけ 特に指針もないまま、取り敢えず場札を取っておくこと。 尻︵しり︶/尻餅︵しりもち︶/ケツを舐める 札を合わせてから、山札をめくると、同月札が出てくること。 打ち当て/ぶち当て/起こし 捨札にした同月札を山札からめくり、ズバリ合わせ取ること。:合わせることができないと﹁起きが悪い﹂と言う。 定︵さだめ︶ 捨札にすると、相手に出来役が完成しかねないため、安易には捨てられない運命にあること。 叩く 光札や種札がまだ出ていない状態で、カス同士、あるいは、カスと短冊を合わせ取ること。 踏む 山札から場に出たばかりの札、もしくは、相手が出したばかりの札を合わせ取ること。 割る/壊す 相手の目指す出来役を妨害すること。 割れる ひとつの出来役を構成する札が2人に分かれて、その出来役がすでに成立しなくなっていること。 打ち分かれ 妨害し合った結果、互いに出来役ができない状態のこと。 押さえる/押さえ札 自分より先に手番が回る人が目指している出来役に関係する札を最後まで手札から出さずに完成を阻止すること。 袖引き 出来役が2つも作れそうな手札を持ちながら、結局どちらの役も完成せずに終わること。語源は両袖を引っ張られることから。 掴み 出来役を構成する札が、全て手札にある状態のこと。 割り出す 同月札2枚が手札にある状態で、そのうち1枚を場に出すこと。 引っ掛け 同月札2枚が手札にある状態で、場札に3枚目が出た時に合わせ取り、最後の1枚も取れる状態にすること。 お手から小判 同月札2枚が場にある状態で、まず影札を出して、次の手番で高得点の同月札を出して合せ取ること。 手卸し/付け打ち 同月札2枚が場にある状態で、残り2枚が手札にある場合、手札の2枚とも出して、全ての同月札を獲得してしまうこと。もしくは、すでに初代がいずれかに獲得されている状態で、二代の2枚が手札にある場合、それら見せて両方の札を獲得してしまうこと。どちらも手順を省略したもので、他の人よりも手札が1枚減ってしまうため、最終手番には山札からめくるだけになる。 手渡し 手札に役札を持ちながら、合わせ取るチャンスのないまま場に出して、それを相手に取られてしまうこと。 お土産 仕方なく捨てる光札のこと。出す側は﹁お土産をつける﹂、取る側は﹁お土産を貰う﹂というように使う。 手詰まり/手詰まる 手札に場札と合せられる札がなく、しかも迂闊に札を捨てられない状態のこと。 なめ 山札の一番下にある札のこと。下→舌→舐める。 中なめ 山札の下から二番目にある札のこと。 持ちなめ 山札の一番下の札を合わせ取る札が手札にあること。 半どん 12ヶ月戦の半分、6ヶ月戦のこと。:語源は、1876年︵明治9年︶から公官庁で土曜日半休のことを﹁半ドン﹂と呼んだことから。 基準点 全ての札点を合計を競技人数で割った点数のこと。これを基準に得失点を求めることが多い。例‥3人競技では88点など 目勝ち 札点の合計が一番高いこと。 掃除 その月の勝負が終わったら、札を集めて、次の月︵ラウンド︶に備えること。黒裏と赤裏のかるたをそれぞれ用意しておけば、次の尾季が先ほどまで使っていた札を回収してシャッフルしておく、その間に新たな親はもう一組のかるたを配れば、スムーズに進行することができる。花かるたの不正行為[編集]
俗に言うイカサマやインチキ。
目じるし
特定の札に傷や染みなどの細工を施す、俗に言う﹁ガン札﹂。厚みを変える﹁あつうすガン﹂、手触りを変える﹁ざらすべガン﹂等がある。
さくら
競技に参加していない第三者が、競技に参加している者と組んで対戦者の手札を覗き、それを相手に手振りなどの動作で伝える行為のこと。
尻のぞき
山札の一番下を覗き見る行為のこと。
おかる
相手の札を盗み見すること。﹃仮名手本忠臣蔵﹄で遊女のお軽が由良之助にきた密書を二階から鏡を使って覗き見する場面から発生した言葉。
脚注[編集]
注釈[編集]
出典[編集]
(一)^ 浜松歌国 (1833)﹃摂陽奇観﹄巻46︵文政二年︶﹁当春花合停止、武蔵野ともいふ歌留多也﹂
(二)^ マリオ花札任天堂 その他の商品 花札・株札
(三)^ ﹃花札を初めてやる人の本﹄, ただし、通常の花札でも該当の札を抜けば遊べる。.
(四)^ ﹃近代カルタ文化の研究﹄より﹁︵二︶植民地朝鮮における花札の流行﹂︵日本かるた文化館︶
(五)^ abcdefghijkl江橋崇 2014, カラー口絵1
(六)^ 江橋崇 2014, p. 71-77,132-133,220-221,231-232.
(七)^ 江橋崇 2014, p. 132.
(八)^ 江橋崇 2014, p. 126-127.
(九)^ 江橋崇 2014, p. 127.
(十)^ 江橋崇 2014, p. 128.
(11)^ 司法省調査課﹃名古屋管内賭博要覧︵司法資料第121号︶﹄1927年、8頁。 ︵国会図書館近代デジタルライブラリー︶
参考文献[編集]
●渡部小童﹃花札を初めてやる人の本 : 入門書の決定版!﹄土屋書店、2010年。ISBN 9784806915232。国立国会図書館書誌ID:026793797。 ●江橋崇﹃花札﹄法政大学出版局︿ものと人間の文化史﹀、2014年。ISBN 9784588216718。国立国会図書館書誌ID:025479159。関連文献[編集]
●尾佐竹猛﹃賭博と掏摸の研究﹄総葉社書店、1925年。doi:10.11501/1018555。NDLJP:1018555。"国立国会図書館デジタルコレクション"。 ●シャウマン・ヴェルナー (Werner Schaumann)﹁風雅論としての花札﹂﹃比較文学﹄第26巻、日本比較文学会、1984年、5-18頁、CRID 1390001205835119232、doi:10.20613/hikaku.26.0_5、ISSN 0440-8039。 ●池間里代子﹁花札の図像学的考察﹂﹃流通経済大学社会学部論叢﹄第19巻第2号、龍ケ崎 : 流通経済大学社会学部、2009年3月、11-26頁、CRID 1050282677919781504、ISSN 0917222X。関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 歴史・遊びかた|花札・株札 - 任天堂
- 『花札』 - コトバンク