長谷川等伯

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凡例

長谷川 等伯
時代 安土桃山時代から江戸時代初期
生誕 天文8年(1539年
能登国七尾(現石川県七尾市
死没 慶長15年2月24日1610年3月19日
改名 又四郎(幼名)→帯刀→信春
墓所 本法寺
主君 畠山氏
氏族 奥村氏
父母 父:奥村文之丞宗道
妙浄、妙清
久蔵、宗宅、左近、宗也
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「雪舟五代」[編集]


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等伯画説[編集]


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40代以前[編集]

作品名 技法 員数 所蔵者 年代 備考
一塔両尊 紙本著色 1幅 富山・大法寺 永禄7年(1564年) 重要文化財
日蓮聖人像 紙本著色 1幅 富山・大法寺 永禄7年(1564年) 重要文化財
鬼子母神十羅刹女図 紙本著色 1幅 富山・大法寺 永禄7年(1564年) 重要文化財
弁財天十五童子像 紙本著色 1幅 個人蔵 永禄7年(1564年)
善女龍王図 絹本著色 1幅 石川県七尾美術館 室町時代末期 石川県指定有形文化財[15]

「信春」朱文袋形印

十二天図 絹本著色 12幅(額装3面に改装) 羽咋・正覚院 永禄7年(1564年) 石川県指定有形文化財[16]
日蓮聖人像 絹本著色 1幅 石川・實相寺 永禄8年(1565年) 七尾市指定有形文化財
三十番神図 絹本著色 1幅 富山・大法寺 永禄9年(1566年) 重要文化財
仏涅槃図 絹本著色 1幅 羽咋・妙成寺 永禄11年(1568年) 石川県指定有形文化財[17]
法華経本尊曼荼羅図 絹本著色 1幅 京都・妙傳寺 永禄11年(1568年)
鬼子母神十羅刹女像 絹本著色 1幅 富山・妙傳寺 元亀2年(1571年)
鬼子母神十羅刹女像 絹本著色 1幅 新潟・本成寺
愛宕権現図 絹本著色 1幅 石川県七尾美術館 室町時代末期〜桃山時代初期 石川県指定有形文化財[18]

「信春」朱文袋形印

日乗上人像 絹本著色 1幅 羽咋・妙成寺 室町時代 石川県指定有形文化財[19]
日蓮聖人像 絹本著色 1幅 珠洲・本住寺 室町時代
日堯上人像 絹本著色 1幅 京都・本法寺 元亀3年(1572年) 重要文化財。早世した本法寺第八世日堯を描いた像。江戸時代には「信春」は息子の久蔵のことだと考えられたが、本図に墨書された款記によって信春と等伯が同一人物だと提唱され、現在ほぼ定説となっている[20]
伝名和長年像 絹本著色 1幅 東京国立博物館[21] 重要文化財。素襖に帆掛舟の紋があることから、旧蔵者福岡孝弟が箱に「伯耆守名和長年像」と記し、この名で呼ばれている。しかし、等伯が日蓮宗の祖師以外で過去の人物の肖像画を描くとは考え難く、等伯と同時代の武将を描いたとする説も有力。候補として、大坪流の馬術家で能登に領地を持ち、足利義輝の馬術師範であった斉藤好玄(よしはる)、『武田信玄像』との関係から武田家の家臣で水軍を担った伊丹康道、或いは帆掛舟はただの文様で太刀の目貫とに梅鉢紋が描かれている事からこれを家紋とする能登平氏とする説[22]、などがある。
武田信玄 絹本著色 1幅 高野山・成慶院 重要文化財。近年、この肖像画の像主について異論が出ている。詳しくは武田信玄#肖像画を参照。
日禛上人像 絹本著色 1幅 個人蔵
花鳥図屏風 紙本著色 六曲一隻 岡山・妙覚寺 室町時代 重要文化財
花鳥図屏風 紙本金地著色 六曲一隻 米国・個人蔵
十六羅漢図 紙本墨画淡彩 8幅 七尾・霊泉寺 室町時代 石川県指定有形文化財[23]
陳希夷睡図 紙本墨画 1幅 石川県七尾美術館 桃山時代 石川県指定有形文化財[24]

「長谷川」朱文長方形印、「信春」朱文鼎形印

達磨図 紙本墨画 1幅 七尾・龍門寺 桃山時代 石川県指定有形文化財[25]
猿猴図屏風 紙本墨画 二曲一隻 石川県七尾美術館 桃山時代 石川県指定有形文化財[26]
松竹図屏風 紙本墨画 二曲一隻 石川県七尾美術館 桃山時代 石川県指定有形文化財[27]
牧馬図屛風 紙本著色 六曲一双 東京国立博物館 桃山時代 重要文化財
海棠に雀図 紙本著色 1幅 個人蔵
恵比寿大黒・花鳥図 紙本著色 3幅 京都国立博物館
芦葉達磨図 梵芳賛 紙本墨画 1幅 岡山県立美術館
春耕図 紙本淡彩 1幅 京都国立博物館
山水図 紙本墨画淡彩 1幅 石川県七尾美術館 室町時代 七尾市指定有形文化財
西王母図 紙本淡彩 1幅 京都・本隆寺
寒江渡舟図 紙本淡彩 1幅 個人蔵
山水図 紙本淡彩 2幅 個人蔵

50代[編集]

作品名 技法 員数 所蔵者 年代 備考
稲葉一鉄 絹本著色 1幅 京都・智勝院 天正17年(1589年) 玉甫紹琮賛、重要文化財。天正16年(1588年)に亡くなった美濃国の武将・稲葉一鉄の一周忌に際して描かれたものとされる。
大徳寺山門天井画・柱絵 板絵著色 京都・大徳寺 天正17年(1589年) 内訳は、中央に「雲龍図」と「蟠竜図」、その外側にそれぞれ「昇竜図」と「降竜図」、柱に阿吽の「仁王像」、さらに両サイドに「天人像」と「迦陵頻伽像」を一体ずつ描く。等伯が大絵師への道を辿る契機となった記念碑的作品。この絵でのみ「等白」と署名しており、等伯と名乗る前の画号とみなされている。なおこれらの絵画は、温湿度の影響を非常に受けやすいため、作品保護の観点から一切の拝観が禁止されている。
羅漢図 絹本著色 1幅 京都・大徳寺 桃山時代
臨済・徳山像 紙本淡彩 2幅 京都・衡梅院 桃山時代
旧三玄院襖絵(山水図襖) 紙本墨画 襖32面 京都・圓徳院 天正17年(1589年)頃 重要文化財。元は大徳寺塔頭三玄院の方丈を飾るものだったが、廃仏毀釈によって流出し、現在は上記のように分蔵されている。等伯はかねてより方丈の襖絵制作を懇願していたが、住持春屋宗園は修業の場である方丈に絵は不要と断られ続けた。そこで等伯は春屋の留守を狙って止める雲水達を振り切って上がり込み、一気呵成に描いたのがこの襖絵だったと言う。戻ってきた宗園は初め激怒するも、絵の出来栄えに感心し、結局襖絵を認めてそのままにした[28]。襖絵の料紙が作画に不向きな雲母刷り胡粉文様の唐紙であることから、この逸話はおおよそ事実に近かったと考えられる。等伯は、桐紋を降りしきる雪に見立て、雪景色の山水として描いた。
旧三玄院襖絵(松林山水図襖) 紙本墨画 襖4面 京都・楽美術館 天正17年(1589年)頃
松に鴉・柳に白鷺図屏風 紙本墨画 六曲一双 出光美術館 桃山時代
楓図 紙本金地著色 襖4面 京都・智積院 文禄2年(1593年)頃 国宝 旧祥雲寺障壁画『楓図』は日本障壁画の最高傑作と評されている[29]
松に秋草図 紙本金地著色 二曲一双 京都・智積院 文禄2年(1593年)頃 国宝 旧祥雲寺障壁画
松に黄蜀葵図 紙本金地著色 襖4面 京都・智積院 文禄2年(1593年)頃 国宝 旧祥雲寺障壁画
松に梅図 紙本金地著色 襖4面 京都・智積院 文禄2年(1593年)頃 重要文化財 旧祥雲寺障壁画
春屋宗園 絹本著色 1幅 京都・三玄院 文禄3年(1594年) 重要文化財
春屋宗園像 絹本著色 1幅 京都・三玄院 文禄3年(1594年)
牛図座屏 紙本墨画 2基 京都・三玄院 桃山時代
千利休像 絹本著色 1幅 京都・不審庵 文禄4年(1595年) 春屋宗園賛 重要文化財。等伯と利休の交流の一端が垣間見える作品。正木美術館にも等伯筆といわれる利休の肖像画があるが、面貌表現の相違から、等伯の作でない可能性が高い。
松林図屏風 紙本墨画 六曲一双 東京国立博物館 桃山時代 国宝。その伝来、製作の事情など不明な点が多い(完成作でない下絵を屏風に仕立てたものだという説もある)。
妙蓮寺障壁画 紙本金地著色 京都・妙蓮寺 文禄4年(1595年)頃 重要文化財 京都国立博物館寄託
樹下仙人図屏風 紙本淡彩 六曲一双 京都・壬生寺 桃山時代 重要文化財
妙法尼像 紙本墨画 1幅 京都・本法寺 慶長3年(1598年) 重要文化財
竹林猿猴図屏風 紙本墨画 六曲一双 京都・相国寺蔵、承天閣美術館保管 桃山時代 重要文化財
老松図 紙本墨画 襖6面 京都・金地院 桃山時代 重要文化財

金地院障壁画

猿猴捉月図 紙本墨画 襖4面 京都・金地院 桃山時代 重要文化財

金地院障壁画

枯木猿猴図 紙本墨画 2幅 京都・龍泉庵 桃山時代 重要文化財 京都国立博物館委託。表具背面墨書銘によると、元は前田利長遺愛の六曲一双の屏風絵であったが、ある時利長が恍惚としていると、絵の中の猿が腕を延ばし髪を引っ張ったので、利長は短刀でその腕を切り落とし、以後「腕切猿猴」と呼ばれたという逸話が記されている。利長死後、一隻ずつ分け寄進され、左隻は焼失、右隻も右側4扇分を掛け軸2幅に改装されて現在の状態になっている。
波濤図 紙本金地墨画 12幅 京都・禅林寺 桃山時代 重要文化財 京都国立博物館寄託
瀟湘八景図屏風 紙本墨画淡彩 六曲一双 東京国立博物館 桃山時代
竹虎図屏風 紙本墨画 六曲一双 出光美術館 桃山時代
竹鶴図屏風 紙本墨画 六曲一双 出光美術館 桃山時代
山水図屏風 紙本墨画 六曲一双 三重・等観寺 桃山時代 三重県指定有形文化財
柳橋水車図屏風 紙本金地著色 六曲一双 香雪美術館 桃山時代 重要美術品。「絵屋」としての等伯を考える上で指標となる作品。当時この図様は非常に流行したらしく、類似作が20点前後も現存し、志野焼織部焼といった焼物の絵付けや、蒔絵などの工芸品デザインや衣装の文様にも確認することができる。
檜原図屏風 紙本墨画 六曲一隻 京都・禅林寺 桃山時代 近衛信伊和歌

京都市指定・登録文化財

黄初平図 紙本墨画 3幅 大阪・久本寺 桃山時代 大阪市指定文化財
陶淵明愛菊図屏風 紙本墨画 二曲一隻 個人蔵 桃山時代
高士騎驢図屏風 紙本墨画 二曲一隻 京都・高桐院 桃山時代
波龍図屏風 紙本墨画 六曲一隻 京都・本法寺 桃山時代
四季花鳥図屏風 紙本金地著色 六曲一双 個人蔵 桃山時代
四季柳図屏風 紙本金地著色 六曲一双 個人蔵 桃山時代
四愛図襖 紙本淡彩 襖6面 愛知・有楽苑 桃山時代
四愛図座屛 紙本淡彩 2基 京都・聚光院 桃山時代
豊干・寒山拾得・

草山水図座屛

紙本淡彩・墨画 2基 京都・妙心寺 桃山時代

60代以後[編集]

作品名 技法 員数 所蔵者 年代 備考
大涅槃図 紙本著色 1幅 京都・本法寺 慶長4年(1599年) 重要文化財。画面だけでも縦8m弱・横約5,2m、画面周囲の華やかな描表装を含めれば、高さ10m・横6mにも及ぶ大作。東福寺明兆作、大徳寺の狩野松栄作と共に、三大涅槃図と呼ばれる。等伯自らが願主となり、本法寺に寄進した。現存する中で初めて「雪舟五代」と署名した作品である。本法寺奉納前に宮中で後陽成天皇の叡覧に供され、京中で評判となった。絵の裏には、日蓮と祖師たちの名、本法寺開山の日親以下日通までの歴代住職、さらに養祖父母や養父母、若死した久蔵たち等伯一族の名が記されている。
水墨山水図 紙本墨画 襖20面 京都・ 隣華院 慶長4年(1599年) 重要文化財
商山四晧図 紙本墨画 襖4面 京都・真珠庵 慶長6年(1601年) 重要文化財
蜆子猪頭図 紙本墨画 襖4面 京都・真珠庵 慶長6年(1601年) 重要文化財
梅に叭々鳥図 紙本墨画 襖2面 京都・真珠庵 慶長6年(1601年) 重要文化財
禅宗祖師図 紙本墨画 襖16面 京都・天授庵 慶長7年(1602年) 重要文化財
商山四皓図 紙本墨画 襖8面 京都・天授庵 慶長7年(1602年) 重要文化財
松鶴図 紙本淡彩 襖8面 京都・天授庵 慶長7年(1602年) 重要文化財
龍虎図屏風 紙本墨画 六曲一双 ボストン美術館 慶長11年(1606年) 落款「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆 六十八歳」、「長谷川」朱文重廓長方印、「等伯」朱文方印
探梅騎驢図屏風 紙本墨画淡彩 六曲一双 京都・相国寺蔵、承天閣美術館保管 慶長11年(1606年) 落款「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆 六十八歳」、「長谷川」朱文重廓長方印、「等伯」朱文方印
竹林七賢図屏風 紙本墨画淡彩 六曲一双 京都・両足院 慶長12年(1607年) 落款「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆 六十九歳」、「長谷川」朱文重廓長方印、「等伯」朱文方印
梟烏図屏風 紙本墨画 二曲一隻 大阪市立美術館 慶長12年(1607年) 落款「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆 六十九歳」、「長谷川」朱文重廓長方印、「等伯」朱文方印
日通上人像 絹本著色 1幅 京都・本法寺 慶長13年(1608年) 重要文化財。落款「自雪舟五代/長谷川法眼/等伯筆/七十歳/戒名日妙」、「長谷川」朱文重廓長方印、「等伯」朱文方印
弁慶・昌俊図絵馬 板絵金地著色 1面 京都・北野天満宮 慶長13年(1608年) 重要文化財。落款「自雪舟五代/長谷川法眼等伯七十歳筆」
烏鷺図屏風 紙本墨画 六曲一双 個人蔵(DIC川村記念美術館旧蔵) 重要文化財。落款「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆」、「長谷川」朱文重廓長方印、「等伯」朱文方印
萩芒図屏風 紙本金地著色 六曲一双 京都・相国寺蔵、承天閣美術館保管 京都市指定・登録文化財[30]、「等伯」朱文方印
故事人物図屏風 紙本墨画淡彩 六曲一双 MOA美術館 落款「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆」、「長谷川」朱文重廓長方印、「等伯」朱文方印
黄初平図屏風 紙本墨画淡彩 二曲一隻 福田美術館 落款「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆」、「長谷川」朱文重廓長方印、「等伯」朱文方印
十六羅漢図屏風 紙本墨画淡彩 六曲一双 京都・智積院 慶長14年(1609年) 落款「自雪舟五代長谷川法眼等伯筆 七十一歳」、「長谷川」朱文重廓長方印、「等伯」朱文方印

その他[編集]

  • 月夜松林図屏風(個人蔵) 第2の松林図といわれている。京都国立博物館寄託。松の配置やその姿形が原本に忠実過ぎ、細部の表現がやや鈍重なことから、等伯周辺の有力絵師の作とするのが妥当。

ギャラリー[編集]

七尾市と長谷川等伯[編集]


71995[ 3]

2010400調調27400[31]

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   1970

 [ 4]2003ISBN 978-4-6230-3927-2 

  2006 ISBN 978-4-0615-9757-0

   ABC20102 ISBN 978-4-8087-0823-8



 87 1973

  41997 ISBN 978-4-1060-1524-3

 6 1998 ISBN 978-4-8055-1452-8

  20101 ISBN 978-4-5829-2166-3



寿 3  1994 ISBN 978-4-0625-3923-4

 400  20102-34-5



25  1992

 No.14  2002

 20103︿400

 No.318   !! 20103

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200811ISBN 978-4-5321-7089-9
20082

20129ISBN 978-4-5321-7113-1ISBN 978-4-5321-7114-8
2013148


 SP1 ISBN 978-4845850013

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(一)^ [2]

(二)^ [5]

(三)^ 

(四)^ 61

出典


(一)^ 2003p.12.10 19741979p.122-123 

(二)^ 

(三)^ HP2016219

(四)^ 2.  . 20211110

(五)^ 2003P.49-50

(六)^ 2016220

(七)^ ab2016220

(八)^ 2016220

(九)^ 

(十)^ 寿101670 

(11)^ ab 2016220

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(30)^ . . 2023811

(31)^ []2016220

外部リンク[編集]