五山(読み)ゴサン

デジタル大辞泉 「五山」の意味・読み・例文・類語

ご‐さん【五山】

 

1 ()()()()鹿()()()()()
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精選版 日本国語大辞典 「五山」の意味・読み・例文・類語

ご‐さん【五山】

 

(一)   (  ) 
(二) 鹿160408
(三) ()()()
(四) ()寿寿
(一)[]()(14)
(五) 
(一)[](1436)



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日本大百科全書(ニッポニカ) 「五山」の意味・わかりやすい解説

五山
ござん

禅宗寺院で最上の寺格を示す五つの官寺(政府が住持を任命する寺)。十刹(じっせつ)の上に位置する。中国・南宋(なんそう)代に、政府が特別の保護を与え管理するために設けられたのが始まりで、政治家史彌遠(しびえん)の奏上により、インドの五精舎(しょうじゃ)に倣って行われた。すなわち、(1)径山(きんざん)興聖(こうしょう)万寿寺、(2)北山景徳霊隠(りんにん)寺、(3)太白山(たいはくさん)天童景徳寺、(4)南山浄慈(じんず)報恩光孝寺、(5)阿育王山(あいくおうさん)広利(こうり)寺の5か寺で、それらを官寺の最上位とした。日本では1253年(建長5)建長寺を「五山第一」と称したのが五山の語の初出で、鎌倉中心に制定された形跡があるが、どの寺が五山に列せられていたかの確証はない。建武(けんむ)年間(1334~38)、第一南禅寺(大徳寺と同格)、第二東福寺、第三建仁寺、第四建長寺、第五円覚(えんがく)寺と、京都中心に制定されたのが、五山全部の名前の判明する最初のものである。足利尊氏(あしかがたかうじ)が政権を握り室町幕府が成立すると、京都派と鎌倉派、公家(くげ)派と武家派の対立緩和を目ざし、暦応(りゃくおう)年間(1338~42)、京・鎌倉の諸寺を、第一建長・南禅、第二円覚(えんがく)・天竜、第三寿福、第四建仁、第五東福、準五山浄妙と定めた。ここに五大官寺という五山本来の意味が失われ、最高位の官寺のなかにおける5段階の寺格という意味に転化した。以後しばしば五山の選択・位次の改定が行われたが、1386年(元中3・至徳3)、最終的に、五山之上南禅寺、五山第一天竜寺・建長寺、五山第二相国(しょうこく)寺・円覚寺、五山第三建仁寺・寿福寺、五山第四東福寺・浄智(じょうち)寺、五山第五万寿寺・浄妙寺という、京・鎌倉対等の各五山の位次が確定した。

 一方、五山の語は広義には、五山・十刹・諸山という禅宗官寺に住持を出しうる資格をもつ禅宗各派の総称として用いられる。それは林下(りんか)に対して五山派あるいは五山叢林(そうりん)(単に叢林ともいう)などとよばれるもので、夢窓(むそう)派と聖一(しょういち)派がその主軸となって、官寺の止住、幕府の文化・外交の顧問として機能した。また五山派は日本漢文学史上きわめて重要な足跡を残し、五山文学を大成させ、近世儒学の母胎ともなった。さらに五山版と称される多数の出版物を開版するなど、五山禅僧によって形成された諸文化は、衣食住一般の文化にも多大な影響を与えた。

[石川力山]

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百科事典マイペディア 「五山」の意味・わかりやすい解説

五山【ござん】

禅宗の臨済宗で最高の寺格を示す代表的寺院の称。中国では南宋の寧宗(ねいそう)がインドの五精舎(しょうじゃ)にならって,13世紀初頭,杭州・明州地方に定めた,1.杭州臨安府径山(きんざん)興聖万寿禅寺,2.杭州臨安府北山景徳霊隠禅寺,3.明州慶元府太白山天童景徳禅寺,4.杭州臨安府南山浄慈報恩光孝禅寺,5.明州慶元府阿育王山広利禅寺の5山である。日本ではこれにならって1251年鎌倉五山の制が定められ,1334年改めて京都五山,さらに1386年京都五山,鎌倉(関東)五山の制が定められた。
→関連項目官寺義堂周信五山版五山文学御料所春屋妙葩抄物絶海中津大徳寺藤原惺窩仏教

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五山」の意味・わかりやすい解説

五山
ござん

禅の臨済宗において最高の格式をもつ5つの寺院のこと。インドの五精舎にならって中国,南宋の寧宗が建立した,興聖万寿禅寺以下景福霊隠寺,浄慈寺,景徳寺,広利寺の5寺。日本では,建長3 (1251) 年に鎌倉五山が制定されたが,鎌倉幕府の滅亡により,鎌倉中心の五山をやめ,建武1=正慶2 (1334) 年には,京都中心の五山が定められた。すなわち,南禅寺,建仁寺,東福寺,建長寺,円覚寺である。さらに元中3=至徳3 (86) 年に京都,鎌倉 (関東) 五山の制が定められた。それは五山の上に南禅寺をおき,以下次のような寺格となっている。天竜寺,建長寺 (五山第1) ,相国寺,円覚寺 (第2) ,建仁寺,寿福寺 (第3) ,東福寺,浄智寺 (第4) ,万寿寺,浄妙寺 (第5) 。五山文学,五山版などは中世文化の中心として宋学発展の温床となったが,室町幕府とともに衰えた。ほかにも,尼五山の制が定められた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「五山」の解説

五山
ござん

南宋の制にならった禅宗寺院の寺格。鎌倉幕府により始められたが,建武新政権は鎌倉中心の五山を改め,南禅寺を第1とし大徳寺を同格として建仁寺・東福寺などを加えた。室町幕府は1342年(康永元・興国3)第1を建長寺・南禅寺,第2を円覚寺・天竜寺,第3を寿福寺,第4を建仁寺,第5を東福寺と定めたが,86年(至徳3・元中3)南禅寺を五山の上に昇格させ,第1を天竜寺・建長寺,第2を相国寺・円覚寺,第3を建仁寺・寿福寺,第4を東福寺・浄智寺,第5を万寿寺・浄妙寺とし,これが以後の基準となった。

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普及版 字通 「五山」の読み・字形・画数・意味

【五山】ござん

五嶽。

字通「五」の項目を見る

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とっさの日本語便利帳 「五山」の解説

五山

鎌倉五山▽建長寺、円覚寺、寿福寺、浄智寺、浄妙寺
京都五山▽天竜寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺

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世界大百科事典(旧版)内の五山の言及

【五山・十刹・諸山】より


()3

【精舎】より


 

※「五山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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