京浜急行バス
京浜急行バス株式会社(けいひんきゅうこうバス、英: Keihin Kyuko Bus Co., Ltd.)は、京急グループのバス事業者である。子会社の東洋観光と共に京浜急行バスグループを形成している。
![]() 京浜急行バス 空港リムジンバス H6340 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
略称 | 京急バス |
本社所在地 |
![]() 〒220-0011 神奈川県横浜市西区高島一丁目2番8号 (京急グループ本社) |
設立 | 2003年(平成15年)4月10日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 4010401050085 |
事業内容 |
一般乗合旅客自動車運送事業 一般貸切旅客自動車運送事業 特定旅客自動車運送事業 他 |
代表者 | 代表取締役社長 野村 正人 |
資本金 | 1億円 |
売上高 |
207億52百万円 (2018年3月期) |
純利益 |
33億5500万円 (2023年3月期)[1] |
純資産 |
57億1700万円 (2023年3月期)[1] |
総資産 |
139億1500万円 (2023年3月期)[1] |
従業員数 | 1,094名(2016年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 |
京浜急行電鉄 100% (同社の連結子会社) |
外部リンク | http://www.keikyu-bus.co.jp/ |
沿革
編集この節の加筆が望まれています。 |
京浜急行バスは2003年に設立された会社であるが、ここでは前身の京浜急行電鉄、京浜電気鉄道のバス事業を含めて記述することとする。
京浜電気鉄道のバス事業
編集京浜急行電鉄の前身である京浜電気鉄道がバスの営業を始めたのは、1927年(昭和2年)8月27日のことである。最初の路線は八丁畷駅 - 川崎住宅地(現在の京町・平安町付近の自社開発住宅地)間であった。もともと京浜電気鉄道は1922年(大正11年)以来、自社の鉄道に沿った形での京浜間連絡をバスによっても行うべく、数度にわたり路線免許の申請を行っていたが、すでに高輪八ツ山 - 六郷橋間の旧国道(旧東海道)上には東京乗合自動車(通称青バス。現・都営バス)系列の京浜乗合自動車が1920年(大正9年)より運行しており、認可はなかなか下りなかった。そこで、まずは競合のない川崎市内において運行し、バスの営業実績を作ることを優先させたのである。
この頃、東京府内では鉄道沿線の大森町や蒲田町(どちらも現・大田区)から森ヶ崎鉱泉への足として人力車や乗合自動車を運行していた都南自動車商会と森ヶ崎人力自動車の競争が激化していた。京浜電気鉄道は国道線免許獲得への種蒔きを狙って両社間の調整に割って入り、1928年(昭和3年)11月24日、両社を統合した会社梅森自動車を誕生させる。翌1929年(昭和4年)に京浜間連絡の足がけとなる高輪 - 六郷間・新国道経由路線の認可をようやく得ることができ、同年10月29日より営業を開始した。
また、この年の12月28日には鉄道の大師線に並行する古家達三経営のつるや自動車商会による川崎駅 - 大師間の路線(1927年開業)を継承し、翌1930年(昭和5年)4月10日には穴守線に沿った蒲田 - 稲荷橋間にも路線を設けている。一方、京浜乗合自動車は1929年7月31日に親会社の東京乗合自動車に合併されており、旧国道上の路線も青バスの手で運行されていたが、1930年10月10日にはこの路線も京浜電気鉄道が譲り受け、この地域における営業基盤を確立した。
その後、国道線の横浜方面への拡張を進め、1932年(昭和7年)4月12日に生麦まで開業するも、その先は横浜市電と競合することから免許を得ることが出来なかった。このため、委託契約により横浜市の免許区間に乗り入れを行うという苦肉の策をとり、ようやく京浜間の連絡を果たすことができたのが同年10月1日のことであった。
1941年(昭和16年)11月1日、京浜電気鉄道は湘南電気鉄道と湘南半島自動車を合併、横浜市杉田と鎌倉市を結ぶ線から南の三浦半島のバス路線をほぼ一元化した。以下、この2社のバス事業について触れる。
湘南電気鉄道のバス事業
編集湘南半島自動車
編集年譜
編集京浜電気鉄道時代
編集京浜急行電鉄時代
編集京浜急行バス設立後
編集子会社
編集種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒108-8625 東京都港区高輪二丁目20番20号[11] |
設立 |
1999年(平成11年)4月1日[11] (京急バス株式会社)[6] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7010401037575 |
事業内容 | 旅客自動車運送事業、運輸業の運行受託[11] |
代表者 | 取締役社長 岩田信夫[11] |
資本金 | 2億円[11] |
発行済株式総数 | 4,000株[11] |
純資産 | 7億600万円[11] |
従業員数 | 248名[11] |
支店舗数 | 1(営業所数)[11] |
決算期 | 3月[11] |
主要株主 | 京浜急行バス 100%[11] |
特記事項:情報は2017年3月31日現在[11]。 1999年10月1日営業開始[6]。2003年3月20日商号変更[6]。2018年(平成30年)4月1日付で京浜急行バスへ吸収合併[11]。 |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒108-8625 東京都港区高輪二丁目20番20号[11] |
設立 | 2000年(平成12年)12月26日[11] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 6010401043319 |
事業内容 | 旅客自動車運送事業、運輸業の運行受託[11] |
代表者 | 取締役社長 勝間繁男[11] |
資本金 | 5,000万円[11] |
発行済株式総数 | 1,000株[11] |
純資産 | 4億1,700万円[11] |
従業員数 | 296名[11] |
支店舗数 | 3(営業所数)[11] |
決算期 | 3月[11] |
主要株主 | 京浜急行バス 100%[11] |
特記事項:情報は2017年3月31日現在[11]。 2001年6月1日営業開始[6]。2018年4月1日付で京浜急行バスへ吸収合併[11]。 |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒108-8625 東京都港区高輪二丁目20番20号[11] |
設立 |
2000年(平成12年)12月26日[11] (横須賀京急バス株式会社)[6] |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 4010401043320 |
事業内容 | 旅客自動車運送事業、運輸業の運行受託[11] |
代表者 | 取締役社長 松本行彦[11] |
資本金 | 5,000万円[11] |
発行済株式総数 | 1,000株[11] |
純資産 | 5億2,900万円[11] |
従業員数 | 197名[11] |
支店舗数 | 2(営業所数)[11] |
決算期 | 3月[11] |
主要株主 | 京浜急行バス 100%[11] |
特記事項:情報は2017年3月31日現在[11]。 2001年6月1日営業開始[6]。2006年6月1日商号変更[6]。2018年4月1日付で京浜急行バスへ吸収合併[11]。 |
京浜急行バスの子会社として、東洋観光株式会社(本社:神奈川県横須賀市)がある。かつては分離子会社の羽田京急バス・横浜京急バス・湘南京急バスの3社と、バス事業を撤退した京急観光バスを子会社とし、合計6社で京浜急行バスグループを形成していた。
なお、川崎鶴見臨港バスは京浜急行電鉄の完全子会社ではあるが、設立時の事情から当社傘下の「京浜急行バスグループ」ではない。
過去の子会社
編集- 京急観光バス株式会社
- 本社所在地:神奈川県横浜市鶴見区鶴見中央二丁目16番24号
- 2008年にバス事業撤退。2016年に「京急バスリアルエステート株式会社」へ商号変更。
分離子会社の発足と再統合
編集かつては以下の分離子会社が存在したが、3社とも2018年4月1日付で京浜急行バスに吸収合併され、解散した。
- 羽田京急バス株式会社(京急バス株式会社から商号変更)
- 東京営業所(記号:NH)
- 横浜京急バス株式会社
- 湘南京急バス株式会社(横須賀京急バスから商号変更)
分離子会社が設立された直後は、京浜急行電鉄直営であった路線バス部門を、最終的には羽田京急バス・横浜京急バス・湘南京急バスへ移管し、京浜急行バスはこれらの管理統括会社(持株会社)となるという、東武鉄道(東武バス)が取ったのと同一の手法を採用する予定であった。
営業所
編集営業所は都内に2箇所、神奈川県に9箇所の計11箇所ある。このうち新子安営業所は主に空港リムジンや高速路線を担当し、その他の営業所は主に一般路線を担当する。所属車両の判別等のため、営業所ごとに英字の略記号が設けられている。
ここでは、京浜急行バスの前身各社および子会社だった羽田京急バス・横浜京急バス・湘南京急バスについてもあわせて触れることにする。
現行営業所
編集- 大森営業所(記号:M、ナンバー:品川)
- 羽田営業所(記号:H、ナンバー:品川)
- 新子安営業所(記号:J、ナンバー:横浜)
- 杉田営業所(記号:Y、ナンバー:横浜)
- 能見台営業所(記号:N、ナンバー:横浜)
- 追浜営業所(記号:A、ナンバー:横浜)
- 鎌倉営業所(記号:C、ナンバー:横浜)
- 逗子営業所(記号:D、ナンバー:横浜)
- 衣笠営業所(記号:E、ナンバー:横浜)
- 久里浜営業所(記号:F、ナンバー:横浜)
- 三崎営業所(記号:G、ナンバー:横浜)
営業所の変遷
編集大東急時代
編集戦前、1941年(昭和16年)頃の営業所は、京浜電気鉄道の品川・雑色・川崎、湘南電気鉄道の横浜・田浦・平坂・衣笠・堀之内・浦賀、湘南半島自動車の逗子・三崎・鎌倉・大船の計13箇所に、梅森蒲田自動車本社を加えた14カ所であった。東京急行電鉄成立しばらくは営業所の配置は変わらなかったが、1942年(昭和17年)までに品川営業所が高輪営業所に変更されている。なお梅森蒲田自動車は同年中に遅れて東急に合併し、同社の機構は雑色営業所に吸収された。
1943年(昭和18年)には、横浜営業所を杉田営業所に、雑色営業所を蒲田区糀谷町へ移転した上大鳥居営業所にそれぞれ名称を変更し、大船営業所を鎌倉営業所に統合した。また川崎営業所は旧東横電鉄のバス営業所だった小杉営業所に統合され、川崎の名前は小杉が引き継いだ。
1944年(昭和19年)に入ると、高輪営業所が廃止され大鳥居営業所に引き継がれたほか、浦賀営業所が久里浜に移転し久里浜営業所と名称を変更した。前年に移転改称した大鳥居営業所は、建物を疎開することとなったため、蒲田区東六郷に移転し名称を雑色営業所へ戻した。なお詳しい時期はわからないが、この頃、田浦営業所および平坂営業所が堀之内営業所に統合されている。終戦後、雑色営業所は高輪営業所へ変更され、大東急解体前年の1947年(昭和22年)には、川崎が旧東横電鉄由来の神奈川営業所を吸収し、東急からの分離独立を迎える。
川崎営業所をめぐる複雑な経緯
編集この際に川崎営業所については、もともとの所管路線であった川崎住宅地線が戦時中に休止されていた上、東急から免許を継承した京浜急行電鉄も自社での再開を見送った。
京浜急行電鉄発足直後の1948年(昭和23年)12月、折からの財閥解体もあって浅野財閥系だった川崎鶴見臨港バスの株式を京急も取得して経営に参加し、1954年に臨港バスは京急の子会社になったが、京急は現在の川崎区内にあたる東海道線以南のバス路線について、都内直通などの一部を除いて臨港バスに任せる意向であったとされる。
これにより川崎住宅線の沿線は臨港バスの営業範囲となり、1949年(昭和24年)9月上旬臨港バスが川崎住宅線の代替となる「京町循環線」を開通させて、以降同線は川崎市民の重要な足となった。一方の京急は1952年(昭和27年)に他の休止線とともに川崎住宅線を正式に廃止した。
なお、川崎営業所の名称を継承した東京急行電鉄川崎営業所は、1992年(平成4年)の子会社化で東急バスに分社した後、2010年(平成22年)10月に閉鎖され、路線は高津営業所と東山田営業所へ移管されて現在に至る。
京浜急行電鉄時代
編集1948年の分離独立時、高輪営業所は品川営業所に名称を変更し、杉田営業所は堀之内営業所へと統合された。また同年、三浦営業所が新設され、衣笠・久里浜・三崎の各営業所がその支所となった。しかしこの体制は長くは続かず、1954年(昭和29年)に三浦営業所は廃止され、衣笠と三崎は営業所へ、久里浜は三崎営業所久里浜支所へと変更されている。また業務の効率化を図るため、1952年(昭和27年)に、雑色操車場および杉田操車場を開設した。
一方都内の営業所については名称変更や統廃合が頻繁に行われた。まず1954年に品川営業所が東京営業所と名称を変更し、大鳥居支所を置いた。その後1959年(昭和34年)には東京営業所を蒲田営業所と名称を変更し、大鳥居支所を羽田営業所に昇格させている。
1964年(昭和39年)に六郷営業所を新設し、蒲田営業所は雑色車庫となった。しかし1970年(昭和45年)の大森営業所新設後は徐々に所管路線を減らし、1973年(昭和48年)に六郷営業所と雑色車庫は大森・羽田両営業所へと統合された。
神奈川県内については、1959年(昭和34年)に杉田が営業所として復活し、久里浜も1963年(昭和38年)に営業所に昇格している。杉田営業所はその後1971年(昭和46年)に横浜営業所に名称を変更するも、1978年(昭和53年)の追浜営業所新設の際、車庫に降格した。また1987年(昭和62年)には能見台車庫が開設され、追浜営業所の所管となった。車庫に降格した杉田も1990年(平成2年)に再び営業所に昇格し、横浜営業所となり、能見台車庫も横浜営業所の所管となった。
都内では1994年(平成6年)に羽田営業所京浜島車庫が開設され、1998年(平成10年)より独立して営業所となった。
京急バスグループ時代
編集2018年(平成30年)4月1日、横浜、能見台、追浜、堀内、鎌倉の各営業所が子会社から京浜急行バス本体に復帰し、羽田京急バス東京営業所は京浜急行バス羽田営業所となった。
高速バス・深夜急行バス
編集長距離高速路線
編集廃止・撤退路線
編集近中距離高速路線
編集近県へ向けての高速路線は以下のものがある。
現行路線
編集東扇島線は日祝日は運休。
◆印の路線は PASMO・Suicaが利用可能。
- 横浜ロイヤルパークホテル・山下公園前・横浜駅東口 - 東京ディズニーリゾート ◆ <京成バス>
- 川崎駅 - 蒲田駅 - TDR ◆ <京成バス>
- 横浜駅東口(YCAT) - 東扇島西地区・東扇島地区 ◆ <川崎鶴見臨港バス>
- 横浜駅東口(YCAT) - 葉山・横須賀西地区 ◆
- 2020年10月1日より葉山線と横須賀西地区線を統合し、バス利用特典サービスを終了
- 横浜駅東口(YCAT) - 横浜・八景島シーパラダイス ◆
- 品川駅東口(港南口) - 御殿場プレミアム・アウトレット ◆
休廃止・撤退路線
編集- ベイライナー水戸・横浜号 <ジェイアールバス関東・茨城交通>
- 横浜 - 水戸線は2006年1月28日に開業した路線であり、共同運行会社ではベイライナー水戸・横浜号の愛称を有したが、京急側では案内上使用していない(2007年6月15日をもって廃止)。
- 大江戸温泉物語・東京テレポート駅 (- ホテルイースト21東京) - 錦糸町駅・東京スカイツリータウン <東武バスセントラル・東武バスイースト>
- 2019年3月31日をもって撤退、翌日からは東武バスセントラル・東武バスイーストの単独運行、2021年9月30日を持って路線廃止。
- 横浜駅東口 - 品川プリンスホテル - 軽井沢72ゴルフ - 軽井沢プリンスホテルウエスト - 軽井沢駅 <西武観光バス>
- 2019年1月14日をもって休止。
- 横浜駅東口 - 羽田空港 - 下今市駅 - 東武日光駅 - 東武ワールドスクウェア駅 - 鬼怒川温泉駅 ◆ <東武バス日光>
- 2021年3月15日をもって撤退、2022年2月28日をもって廃止。
- 横浜駅東口(YCAT) - お台場 - 臨海副都心地区・東京ビッグサイト ◆
- 2023年2月28日をもって廃止。
- 横浜駅東口(YCAT) - 幕張メッセ中央 <京成バス>
- 現在は京成グループのバス会社のみでの運行となっている。
- 横浜駅東口 - 浮島・小島地区 ◆ <川崎鶴見臨港バス>
- 2024年2月29日をもって撤退、翌3月1日より川崎鶴見臨港バスの単独運行[27]。
アクアライン路線
編集1997年12月に開通した東京湾アクアラインを使用し、横浜・川崎・羽田空港 - 木更津線の開業を皮切りに路線を展開している。
なお、以下のほかに羽田空港発着・経由の路線があるが、これについては空港リムジン路線千葉県方面を参照のこと。
現行路線
編集◆印の路線は PASMO・Suicaが利用可能。
- 品川駅東口(港南口) - 袖ヶ浦BT - 木更津駅◆ <小湊鉄道・日東交通>
- 品川駅東口(港南口) - 袖ヶ浦BT - 袖ケ浦駅 - 長浦駅◆ <小湊鉄道・日東交通>
- 横浜駅東口 - 袖ヶ浦BT - 木更津駅 - かずさアーク◆ <小湊鉄道・日東交通>
- 横浜駅東口 - 三井アウトレットパーク木更津 ◆ <小湊鉄道>
撤退路線
編集- 川崎駅 - 袖ヶ浦駅
- 川崎駅 -(海ほたる)- 袖ヶ浦BT - 木更津駅 ※2019年4月1日以降は川崎鶴見臨港バス・小湊鉄道・日東交通・東京湾横断道路サービス[注釈 4]が運行。かつては川崎市交通局も運行していた
- 川崎駅 - 三井アウトレットパーク木更津 ※2019年4月1日以降は川崎鶴見臨港バス・小湊鉄道が運行
- 品川駅東口 - 三井アウトレットパーク木更津 ※2020年10月1日以降は小湊鉄道が運行
空港リムジン路線
編集東京都内発着
編集神奈川・静岡県方面
編集千葉県方面
編集埼玉県方面
編集埼玉方面への路線は以下の5路線。
- 羽田空港 - 王子駅南口 - 赤羽駅東口 - 川口駅東口 - 川口元郷駅<国際興業バス・東京バス[注釈 10]>
- 現在、臨時ダイヤにより、川口市内の乗り入れと京浜急行バス・国際興業バスの便が休止中である[38]。
- 羽田空港 - 八潮駅北口 -草加駅東口- 新越谷駅西口 ◆ <東武バスセントラル>
- 羽田空港 - 朝霞台駅南口 - 志木駅南口 - 新座車庫(- ふじみ野駅西口) ◆ <東武バスウエスト>
山梨県方面
編集山梨県方面は、以下の1路線のみ。トイレ付き車両で運行される。
- 羽田空港 - 品川駅 - 中央道小形山 - 中央道都留 - 中央道都留 - 中央道西桂 - 中央道下吉田 - 富士急ハイランド - 富士北麓駐車場 - 河口湖駅 - 富士山駅(- 富士山五合目[注釈 11]) <富士急バス>
成田空港発着
編集成田空港発着路線は横浜を起点とする以下の1路線が運行されている。横浜成田線の一部はみなとみらい21地区発着となる。首都高速湾岸線混雑時には東京湾アクアラインを経由する場合がある。トイレ付き車両で運行される。
- 成田空港 - 横浜シティ・エア・ターミナル( - みなとみらい21地区)<京成バス>
かつて運行していた空港バス路線
編集深夜急行バス
編集車両
編集車両概説
編集長距離高速バス・リムジンバスなどの観光系は三菱ふそう製が6 - 7割ほどを占めているのに対し、路線バスでは元来、営業エリア内に本社を置いているいすゞ自動車の大型バスの大量投入と、車種選択において両者で大きく異なっている。
車体更新工事
編集京急ファインテック金沢事業所で既存車両の車体更新工事(車内外のリニューアル工事)も、製造からおおむね7 - 8年程度経過した車両を対象に行われている。
主な工事内容は内装、床面の貼り替え、座席およびモケットの交換、ポールのゴム取り替え(2005年以降はオレンジ色のものを採用)、降車ボタンの交換、吊革の交換(2011年以降に更新時期を迎えた車両では持ち手を丸型からおにぎり型の三角形に、ベルトを灰色から白色に変更。2004年以降導入車両が対象)などのほか、行先表示が方向幕の2002年度前期導入車までは一部を除いてLED式の表示器に交換されている(2002年度後期以降は当初からLED式)。
この車体更新工事により、京浜急行バスでは古参車においても新車と比較しても遜色のない車内設備が保たれているのが特徴である。近年でここまで大規模な更新工事を現在も受けるのは、ほかに関東バスなどのみである。
カラーリング
編集高速・観光車
編集ワンロマ車
編集-
空港リムジンカラー
いすゞ・ガーラ
K2420 -
空港リムジンカラー
日野・セレガ
H4258 -
空港リムジンカラー
三菱ふそう・エアロエース
J5130 -
高速カラー
三菱ふそう・エアロクィーン
KK5643(当時) -
ワンロマ車(既に廃車)
SNY6820
一般路線車
編集大型・中型車
編集金沢文庫駅周辺の狭隘路線で運用されていた狭幅車(大型ナロー車)
-
いすゞ・エルガ
M1217 -
いすゞ・エルガLT
大型ショート車
C2355(除籍済) -
日産ディーゼル・RP
大型ショート車
C7655(除籍済) -
路線車後部の塗りわけ
E4531(除籍済)
小型車
編集1995年10月16日、京急では初のデマンドバスとして鎌倉営業所管内で運行開始した「京急ポニー号」では、同年8月に発売されたリエッセが専用車として5台(C4544~C4548)導入されたが、これはリエッセの路線バスとしての日本初の稼働例である[49][50](武蔵野市コミュニティバス「ムーバス」の運行開始は同年11月26日)[51][52][53]。
-
日野・リエッセ
京急ポニー号の初代車両
C4546(除籍済) -
日野・リエッセ
逗子営業所の車両
D4125 -
日野・ポンチョ
京急ポニー号
C3834 -
日野・レインボーHR(7m車)
フクちゃん号
C4172
特徴的な仕様
編集京急型ワンステップバス
編集三菱ふそう・エアロスター
H5670(除籍済)
日野・ブルーリボン
E4531(除籍済)
スーパーワイドドア
編集いすゞ・キュービック
M1414(除籍済)
りんどう号
編集-
初代りんどう号
C3274(除籍済) -
函館バス譲渡後の初代りんどう号
-
2代目りんどう号
C3868
その他の仕様
編集社番
編集F | 2 | 0 | 23 |
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営業所 | メーカー | 年式 | 固有番号 |
羽田空港連絡バスにおけるハイブリッドバスの運行
編集-
日野・ブルーリボンシティIPTハイブリッド(NH3799)
-
日野・ブルーリボンシティハイブリッド(NH3801)
-
三菱ふそう・エアロスターエコハイブリッド(NH5802)
廃車車両の譲渡
編集また、一部の車両はミャンマー・スリランカなど海外へも輸出されている。北朝鮮の経済特区・羅先特別市で京浜急行バスの譲渡車両が走ったという事例もある。
-
京浜急行バスから東急トランセへ譲渡されたエアロクィーンI(SI3561)
運賃・乗車券類
編集一般路線運賃
編集普通運賃
編集定期券
編集企画券
編集発売終了した乗車券
編集- 都内1日乗車券(2023年8月31日発売終了[65])。
- 東京都内の一般路線のみ利用できる「都内1日乗車券」(大人500円、小児250円)を大森営業所、羽田営業所、大森案内所と当該営業所のバス車内で発売していた。乗車券は紙式となっており、利用の際は利用日をコインで削ったうえで乗務員に見せる。羽田空港エリアを越えて利用(280円区間)の場合、1回の乗車毎に60円の追加運賃が必要。また、川崎市内では利用できないため、「空51」など、川崎市内にまたがって乗車の場合は通常運賃(220円、羽田空港内とまたがって利用の場合は280円)を支払わなければならなかった。また、「大森~羽田線」と「蒲田~羽田線」の早朝・深夜便も利用できなかった(差額を払っても利用不可)。
福祉優待制度
編集プリンセスラインの商標問題
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集関連項目
編集外部リンク
編集- 京浜急行バス
- 京浜急行バスクロニクル 沿革図 - 京浜急行バス
- 京浜急行バスクロニクル 年譜 - 京浜急行バス