「アレクサンドリア」の版間の差分
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{{世界の市 |
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|正式名称 =アレクサンドリア |
|正式名称 =アレクサンドリア |
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|公用語名称 = |
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|愛称 =Pearl of the Mediterranean |
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|位置図の見出し =エジプトにおけるアレクサンドリアの位置 |
|位置図の見出し =エジプトにおけるアレクサンドリアの位置 |
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|位置図の見出し2 =アレクサンドリアの衛星写真 |
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|緯度度 =31 |緯度分 =11 |緯度秒 =52.80 |N(北緯)及びS(南緯) =N |
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|規模 =市 <!--必須--> |
|規模 =市 <!--必須--> |
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|最高行政執行者称号 =知事 |
|最高行政執行者称号 =知事 |
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|最高行政執行者名 =Mohamed Taher Elsherief |
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|最高行政執行者所属党派 = |
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|総面積(平方マイル) = |
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|人口に関する備考 =推計値<ref>{{citeweb|url=https://www.citypopulation.de/en/egypt/cities/|title=Citypopulation.de|accessdate= Apr 2023}}</ref> |
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|人口に関する備考 = |
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|総人口 = |
|総人口 =5,263,542 |
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|人口密度(平方キロ当たり) = |
|人口密度(平方キロ当たり) = |
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|人口密度(平方マイル当たり) = |
|人口密度(平方マイル当たり) = |
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|備考 = |
|備考 = |
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'''アレクサンドリア'''([[ラテン語|羅]]/{{lang-en-short|Alexandria}}, {{lang-ar-short|الإسكندرية}}, {{lang-grc-short|Ἀλεξάνδρεια}})は、[[カイロ]]に次ぐ[[エジプト]]第2の都市で人口は約526万人(2021年)。[[アレクサンドリア県]]の県庁所在地である。 |
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[[File:PHAROS2006.jpg|middle|thumb|[[アレクサンドリアの大灯台|ファロス島の大灯台]]の想像図]] |
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'''アレクサンドリア''' ([[ラテン語|羅]]/{{lang-en-short|Alexandria}}, {{lang-ar-short|الإسكندرية}}, {{lang-grc-short|Ἀλεξάνδρεια}}) は、[[カイロ]]に次ぐ[[エジプト]]第2の都市で、[[アレクサンドリア県]]の県庁所在地である。[[2010年]]の[[世界の都市的地域の人口順位|都市的地域]]の人口は429万人である<ref>http://www.demographia.com/db-worldua.pdf</ref>。[[マケドニア王国|マケドニア]]国王[[アレクサンドロス3世]](アレクサンダー大王)が、その遠征行の途上で[[オリエント]]の各地に自らの名を冠して建設したギリシア風の[[都市]]の第一号であった。 |
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⚫ | 世界的な企業や組織の支部、支社が置かれ、現在は[[北アフリカ]]有数の大都市にまで成長。2019年にアメリカのシンクタンクが発表したグローバル都市指標では第126位の[[世界都市]]と評価されている。 |
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建設当時の[[ギリシア語]]︵[[古典ギリシア語]][[再建|再建音]]︶では'''アレクサンドレイア''' ({{lang|grc|Ἀλεξάνδρεια}}, Alexandreia)。現代の現地語である[[アラビア語]]においても﹁アレクサンドロス︵イスカンダル︶の町﹂を意味する名で呼ばれており、文語の[[フスハー]]では'''アル=イスカンダリーヤ''' ({{lang|ar|الإسكندرية}}, al-Iskandariyya︶、口語の[[アラビア語エジプト方言|エジプト方言]]では'''エスケンデレイヤ''' ({{lang|ar|اسكندريه}}, Eskendereyya) という。
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近現代の世界では﹁アレクサンドリア﹂と言えば当地を指す場合が多い。[[マケドニア王国|マケドニア]]国王[[アレクサンドロス3世]]︵アレクサンダー大王︶が、その遠征行の途上で[[オリエント]]の各地に自らの名を冠して建設したギリシア風の[[都市]]の第一号であった。建設当時の[[ギリシア語]]︵[[古典ギリシア語]][[再建|再建音]]︶では'''アレクサンドレイア''' ({{lang|grc|Ἀλεξάνδρεια}}, Alexandreia)。現代の現地語である[[アラビア語]]においても﹁アレクサンドロス︵イスカンダル︶の町﹂を意味する名で呼ばれており、文語の[[フスハー]]では'''アル=イスカンダリーヤ''' ({{lang|ar|الإسكندرية}}, al-Iskandarīya ないしはal-Iskandarīyah, al-Iskandariyya︶、口語の[[アラビア語エジプト方言|エジプト方言]]では'''エスケンデレイヤ''' ({{lang|ar|اسكندريه}}, Eskendereyya) という。
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⚫ | 世界的な企業や組織の支部、支社が置かれ、現在は[[北アフリカ]]有数の大都市にまで成長 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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エジプトのアレクサンドリア(アレクサンドレイア)はギリシアのマケドニア王であったアレクサンドロス大王によって、紀元前332年に建設された。アレクサンドロスの死後は、その部下だった[[プトレマイオス1世]]がエジプトを支配し、古代エジプト最後の王朝である[[プトレマイオス朝]]の首都として発展した。一時は人口100万人を超えたともいわれ、そのため「世界の結び目」と呼ばれた。 |
エジプトのアレクサンドリア(アレクサンドレイア)はギリシアのマケドニア王であったアレクサンドロス大王によって、紀元前332年に建設された。アレクサンドロスの死後は、その部下だった[[プトレマイオス1世]]がエジプトを支配し、古代エジプト最後の王朝である[[プトレマイオス朝]]の首都として発展した。一時は人口100万人を超えたともいわれ、そのため「世界の結び目」と呼ばれた。 |
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古代のアレクサンドリアは[[世界の七不思議]]の一つに数えられる巨大な[[アレクサンドリアの大灯台|ファロス島の大灯台]](現[[カーイト・ベイの要塞]])や、各地から[[詩人]]や[[学者]]たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、[[文学]]・[[歴史]]・[[地理学]]・[[数学]]・[[天文学]]・[[医学]]など世界中のあらゆる分野の書物を集め、70万冊の蔵書を誇りながらも歴史の闇に忽然と消えた[[アレクサンドリア図書館]]があり、ヘレニズム時代の商業(地中海貿易)と[[文化]]の中心地として栄えた。『[[幾何学原論]]』で知られる数学者の[[エウクレイデス]]や、[[地球]]の大きさを正確に測ったアレクサンドリア図書館長[[エラトステネス]]、[[アルキメデス]]、[[ヘロン]]、[[クラウディオス・プトレマイオス]]などが活躍した。 |
古代のアレクサンドリアは[[世界の七不思議]]の一つに数えられる巨大な[[アレクサンドリアの大灯台|ファロス島の大灯台]](現[[カーイト・ベイの要塞]])や、各地から[[詩人]]や[[学者]]たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、[[文学]]・[[歴史]]・[[地理学]]・[[数学]]・[[天文学]]・[[医学]]など世界中のあらゆる分野の書物を集め、70万冊の蔵書を誇りながらも歴史の闇に忽然と消えた[[アレクサンドリア図書館]]があり、[[ヘレニズム時代]]の商業(地中海貿易)と[[文化]]の中心地として栄えた。『[[幾何学原論]]』で知られる数学者の[[エウクレイデス]]や、[[地球]]の大きさを正確に測ったアレクサンドリア図書館長[[エラトステネス]]、[[アルキメデス]]、[[ヘロン]]、[[クラウディオス・プトレマイオス]]などが活躍した。 |
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[[1世紀]]には世界最大の[[ディアスポラ]]を擁し、哲学者[[アレクサンドリアのフィロン|フィロン]]らが活躍した。また[[キリスト教]]の初期から重要な拠点となり、古代神学の中心地のひとつともなった。[[ローマ]]・[[コンスタンティノポリス]]・[[アンティオキア]]・[[エルサレム]]とともに[[アレクサンドリア総主教庁|総主教座]]が置かれ、五大総主教座の一角を占めた<ref>[http://www.britannica.com/EBchecked/topic/450372/pentarchy pentarchy (Christianity) -- Britannica Online Encyclopedia]</ref>。[[アレクサンドリア総主教庁]]は[[ギリシャ正教]]と[[コプト正教会]]のものが現在も存続している。 |
[[1世紀]]には世界最大の[[ディアスポラ]]を擁し、哲学者[[アレクサンドリアのフィロン|フィロン]]らが活躍した。また[[キリスト教]]の初期から重要な拠点となり、古代神学の中心地のひとつともなった。[[ローマ]]・[[コンスタンティノポリス]]・[[アンティオキア]]・[[エルサレム]]とともに[[アレクサンドリア総主教庁|総主教座]]が置かれ、五大総主教座の一角を占めた<ref>[http://www.britannica.com/EBchecked/topic/450372/pentarchy pentarchy (Christianity) -- Britannica Online Encyclopedia]</ref>。[[アレクサンドリア総主教庁]]は[[ギリシャ正教]]と[[コプト正教会]]のものが現在も存続している。 |
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[[4世紀]]以降は[[アレクサンドリア学派]]と呼ばれる神学者たちが活躍した。[[641年]]には[[アムル・イブン・アル=アース]] |
[[4世紀]]以降は[[アレクサンドリア学派]]と呼ばれる神学者たちが活躍した。[[641年]]には[[アムル・イブン・アル=アース]]がアレクサンドリアを攻略し、[[イスラム世界|イスラーム世界]]に組みこんだ。アラブ時代当初は東ローマ帝国から切り離されたため、経済的に沈滞したが、学芸の都として性格は残り続け、古代ギリシア・ローマ文明にイスラーム文明が融合した[[アラビア科学]]揺籃の地のひとつとなった。
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やがて、[[紅海]]から[[カイロ]]を経てアレクサンドリアにもたらされたインドの香辛料を求めて、[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]など[[イタリア半島]]の諸都市から商人が訪れるようになると、地中海交易の重要拠点として再び経済的に繁栄した。[[16世紀]]にヨーロッパ諸国がアフリカ回りの[[インド洋]]航路を開拓するとイタリア諸都市とともに再び衰えを見せ始めるが、[[19世紀]]に[[ムハンマド・アリー]]の近代化改革の一環として輸出商品としてナイル・デルタで[[綿花]]が大々的に栽培されるようになるとその積み出し港となり、国際貿易都市として三たび繁栄を始める。
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やがて、[[紅海]]から[[カイロ]]を経てアレクサンドリアにもたらされたインドの[[香辛料]]を求めて、[[ヴェネツィア共和国|ヴェネツィア]]など[[イタリア半島]]の諸都市から商人が訪れるようになると、[[地中海]]交易の重要拠点として再び経済的に繁栄した。[[16世紀]]にヨーロッパ諸国がアフリカ回りの[[インド洋]]航路を開拓するとイタリア諸都市とともに再び衰えを見せ始めるが、[[19世紀]]に[[ムハンマド・アリー]]の近代化改革の一環として輸出商品としてナイル・デルタで[[綿花]]が大々的に栽培されるようになるとその積み出し港となり、国際貿易都市として三たび繁栄を始める。
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現在ではエジプト・アラブ共和国の工業や[[経済]]の中心地、そして化学産業などが進出し、エジプト屈指の工業都市として発展を続けている。 |
現在ではエジプト・アラブ共和国の工業や[[経済]]の中心地、そして化学産業などが進出し、エジプト屈指の工業都市として発展を続けている。 |
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== 地理 == |
== 地理 == |
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エジプト北部、[[ナイル川デルタ]]の北西端に位置する。 |
エジプト北部、[[ナイル川デルタ]]の北西端に位置する。市街地は海岸に沿って細長く延びており、都市圏は[[アレクサンドリア県]]と一致する。首都[[カイロ]]からの距離は約190キロメートルで[[東京]]―[[静岡市|静岡]]の距離に相当する。
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== 気候 == |
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南西に40km離れた位置に[[ボルグ・エル・アラブ空港]]がある。[[アレクサンドリア国際空港|エル・ヌーザ空港]]は2014年に閉鎖された。{{-}} |
南西に40km離れた位置に[[ボルグ・エル・アラブ空港]]がある。[[アレクサンドリア国際空港|エル・ヌーザ空港]]は2014年に閉鎖された。{{-}} |
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{{wide image|Alexandria_panorama.jpg|1100px}} |
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都市交通としては地下鉄はなく、[[トラム]]と[[ライトレール]]が重用されている。 |
都市交通としては地下鉄はなく、[[トラム]]と[[ライトレール]]が重用されている([[アレクサンドリア市電]])。 |
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== 建築 == |
== 建築 == |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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== 関連文献 == |
== 関連文献 == |
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* [[アレクサンドリアのフィロン]] |
* [[アレクサンドリアのフィロン]] |
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* 映画『[[アレクサンドリア (映画)|アレクサンドリア]]』([[アレハンドロ・アメナーバル]]監督、2009年) |
* 映画『[[アレクサンドリア (映画)|アレクサンドリア]]』([[アレハンドロ・アメナーバル]]監督、2009年) |
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*{{仮リンク|アレクサンドリア海軍無名戦士の記念碑|en|Alexandria Naval Unknown Soldier Memorial}} |
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*{{ill2|アレキサンドリア・スクール|de|Alexandrinische Schule}} ‐ 古代世界の学校。 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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*[http://www.alexandria.gov.eg/ |
*[http://www.alexandria.gov.eg/mainhome.aspx アレクサンドリア公式サイト] |
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*[http://wikitravel.org/ja/アレクサンドリア ウィキトラベル旅行ガイド - アレクサンドリア] |
*[http://wikitravel.org/ja/アレクサンドリア ウィキトラベル旅行ガイド - アレクサンドリア] |
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*{{Googlemap|アレクサンドリア}} |
*{{Googlemap|アレクサンドリア}} |
2024年5月16日 (木) 03:55時点における最新版
アレクサンドリア الإسكندرية Alexandria ![]() | |||||
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![]() アレクサンドリア | |||||
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愛称 : Pearl of the Mediterranean | |||||
位置 | |||||
![]() アレクサンドリアの衛星写真 | |||||
![]() | |||||
座標 : 北緯31度11分52.80秒 東経29度55分9.12秒 / 北緯31.1980000度 東経29.9192000度 | |||||
行政 | |||||
国 | ![]() | ||||
県 | アレクサンドリア県 | ||||
市 | アレクサンドリア | ||||
知事 | Mohamed Taher Elsherief | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 1,661 km2 | ||||
標高 | 7 m | ||||
人口 | |||||
人口 | (2021年現在) | ||||
市域 | 5,263,542人 | ||||
備考 | 推計値[1] | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
夏時間 | なし | ||||
公式ウェブサイト : http://www.alexandria.gov.eg/ |
歴史[編集]
エジプトのアレクサンドリア︵アレクサンドレイア︶はギリシアのマケドニア王であったアレクサンドロス大王によって、紀元前332年に建設された。アレクサンドロスの死後は、その部下だったプトレマイオス1世がエジプトを支配し、古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝の首都として発展した。一時は人口100万人を超えたともいわれ、そのため﹁世界の結び目﹂と呼ばれた。 古代のアレクサンドリアは世界の七不思議の一つに数えられる巨大なファロス島の大灯台︵現カーイト・ベイの要塞︶や、各地から詩人や学者たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、文学・歴史・地理学・数学・天文学・医学など世界中のあらゆる分野の書物を集め、70万冊の蔵書を誇りながらも歴史の闇に忽然と消えたアレクサンドリア図書館があり、ヘレニズム時代の商業︵地中海貿易︶と文化の中心地として栄えた。﹃幾何学原論﹄で知られる数学者のエウクレイデスや、地球の大きさを正確に測ったアレクサンドリア図書館長エラトステネス、アルキメデス、ヘロン、クラウディオス・プトレマイオスなどが活躍した。 1世紀には世界最大のディアスポラを擁し、哲学者フィロンらが活躍した。またキリスト教の初期から重要な拠点となり、古代神学の中心地のひとつともなった。ローマ・コンスタンティノポリス・アンティオキア・エルサレムとともに総主教座が置かれ、五大総主教座の一角を占めた[2]。アレクサンドリア総主教庁はギリシャ正教とコプト正教会のものが現在も存続している。 4世紀以降はアレクサンドリア学派と呼ばれる神学者たちが活躍した。641年にはアムル・イブン・アル=アースがアレクサンドリアを攻略し、イスラーム世界に組みこんだ。アラブ時代当初は東ローマ帝国から切り離されたため、経済的に沈滞したが、学芸の都として性格は残り続け、古代ギリシア・ローマ文明にイスラーム文明が融合したアラビア科学揺籃の地のひとつとなった。 やがて、紅海からカイロを経てアレクサンドリアにもたらされたインドの香辛料を求めて、ヴェネツィアなどイタリア半島の諸都市から商人が訪れるようになると、地中海交易の重要拠点として再び経済的に繁栄した。16世紀にヨーロッパ諸国がアフリカ回りのインド洋航路を開拓するとイタリア諸都市とともに再び衰えを見せ始めるが、19世紀にムハンマド・アリーの近代化改革の一環として輸出商品としてナイル・デルタで綿花が大々的に栽培されるようになるとその積み出し港となり、国際貿易都市として三たび繁栄を始める。 現在ではエジプト・アラブ共和国の工業や経済の中心地、そして化学産業などが進出し、エジプト屈指の工業都市として発展を続けている。地理[編集]
エジプト北部、ナイル川デルタの北西端に位置する。市街地は海岸に沿って細長く延びており、都市圏はアレクサンドリア県と一致する。首都カイロからの距離は約190キロメートルで東京―静岡の距離に相当する。気候[編集]
砂漠気候に属しているが、地中海の影響でカイロに比べて湿度が高い。夏は比較的過ごし易いが、冬はエジプトの他の地域に比べて雨が多く降り、寒くなる。年間平均気温は20.4度、年間最高気温は24.9度、年間最低気温は15.8度、年間降水量は195.9ミリメートルである[3]。アレクサンドリアの気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 29 (84) |
33 (91) |
40 (104) |
41 (106) |
45 (113) |
44 (111) |
43 (109) |
39 (102) |
41 (106) |
38 (100) |
36 (97) |
29 (84) |
45 (113) |
平均最高気温 °C (°F) | 18.4 (65.1) |
19.3 (66.7) |
20.9 (69.6) |
24 (75) |
26.5 (79.7) |
28.6 (83.5) |
29.7 (85.5) |
30.4 (86.7) |
29.6 (85.3) |
27.6 (81.7) |
24.1 (75.4) |
20.1 (68.2) |
24.9 (76.8) |
日平均気温 °C (°F) | 13.4 (56.1) |
13.9 (57) |
15.7 (60.3) |
18.5 (65.3) |
21.2 (70.2) |
24.3 (75.7) |
25.9 (78.6) |
26.3 (79.3) |
25.1 (77.2) |
22 (72) |
18.7 (65.7) |
14.9 (58.8) |
20 (68) |
平均最低気温 °C (°F) | 9.1 (48.4) |
9.3 (48.7) |
10.8 (51.4) |
13.4 (56.1) |
16.6 (61.9) |
20.3 (68.5) |
22.8 (73) |
23.1 (73.6) |
21.3 (70.3) |
17.8 (64) |
14.3 (57.7) |
10.6 (51.1) |
15.8 (60.4) |
最低気温記録 °C (°F) | 0 (32) |
0 (32) |
2 (36) |
4 (39) |
7 (45) |
12 (54) |
17 (63) |
18 (64) |
14 (57) |
11 (52) |
1 (34) |
1 (34) |
0 (32) |
雨量 mm (inch) | 52.8 (2.079) |
29.2 (1.15) |
14.3 (0.563) |
3.6 (0.142) |
1.3 (0.051) |
0.01 (0.0004) |
0.03 (0.0012) |
0.1 (0.004) |
0.8 (0.031) |
9.4 (0.37) |
31.7 (1.248) |
52.7 (2.075) |
195.94 (7.7146) |
平均降雨日数 (≥0.01 mm) | 11 | 8.9 | 6 | 1.9 | 1.0 | 0.04 | 0.04 | 0.04 | 0.2 | 2.9 | 5.4 | 9.5 | 46.92 |
% 湿度 | 69 | 67 | 67 | 65 | 66 | 68 | 71 | 71 | 67 | 68 | 68 | 68 | 67.92 |
平均月間日照時間 | 192.2 | 217.5 | 248 | 273 | 316.2 | 354 | 362.7 | 344.1 | 297 | 282.1 | 225 | 195.3 | 3,307.1 |
出典1:World Meteorological Organization (UN),[4] Hong Kong Observatory for sunshine and mean temperatures,[5] Climate Charts for humidity[6] | |||||||||||||
出典2:Voodoo Skies and Bing Weather[7] for record temperatures |
交通[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/a0/Misr_Station_Alexandria.jpg/220px-Misr_Station_Alexandria.jpg)
南西に40km離れた位置にボルグ・エル・アラブ空港がある。エル・ヌーザ空港は2014年に閉鎖された。
建築[編集]
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/57/Fort_Qaytbey.jpg/220px-Fort_Qaytbey.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7d/Bundesarchiv_Bild_102-12200%2C_Alexandria%2C_Ras-El-Tine-Palast.jpg/220px-Bundesarchiv_Bild_102-12200%2C_Alexandria%2C_Ras-El-Tine-Palast.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/77/Bibliotheca_Alexandria.jpg/220px-Bibliotheca_Alexandria.jpg)
教育[編集]
エジプト第二の規模を誇るアレクサンドリア大学がある。同大出身者には、ノーベル化学賞受賞者アフマド・ズウェイル、考古学者ザヒ・ハワス、ムスリム同胞団副団長ハイラト・シャーティルなどがいる。姉妹都市[編集]
ブラチスラヴァ、スロヴァキア
クリーブランド、アメリカ合衆国
コンスタンツァ、ルーマニア
ボルチモア、アメリカ合衆国
テッサロニキ、ギリシャ
ジッダ、サウジアラビア
ダーバン、南アフリカ共和国
リマソール、キプロス共和国