マラウイ
- マラウイ共和国
- Dziko la Malaŵi (チェワ語)
Republic of Malawi (英語) -
(国旗) (国章) - 国の標語:Unity and Freedom
(英語: 統一と自由) - 国歌:Mlungu dalitsani Malaŵi(チェワ語)
おお、神よ、マラウイに祝福を -
公用語 チェワ語、英語 首都 リロングウェ 最大の都市 リロングウェ 独立
- 日付イギリスより
1964年7月6日通貨 マラウイ・クワチャ(MWK) 時間帯 UTC+2 (DST:なし) ISO 3166-1 MW / MWI ccTLD .mw 国際電話番号 265
概要[編集]
マラウイはアフリカ大地溝帯に位置する内陸国で、アフリカではボツワナと並んで独立以来対外戦争や内戦を経験していない数少ない国でもある。﹁アフリカの温かい心︵The Warm Heart of Africa︶﹂という別称を持つ[3]。 マラウイ湖の西岸にあり、東西の幅は90 - 161 km、南北の長さは900 kmと南北に細長い形をしている。国土はほとんど高原上にあり、マラウイ湖が大きな面積を占める。国民はチェワ族が主流となっている。国名[編集]
正式名称は、チェワ語で、Dziko la Malaŵi。 英語ではRepublic of Malawi︵リパブリック・オブ・マラウィ︶。通称はMalawi。 日本語の表記は、マラウイ共和国。マラウイはチェワ語で﹁炎﹂を意味する。歴史[編集]
独立[編集]
1964年7月6日にニヤサランドはイギリス連邦内の英連邦王国の形式で独立、国際連合にも加盟した。初代大統領はヘイスティングズ・カムズ・バンダ。バンダは民主化がなされた1994年まで大統領職にあった。バンダは就任後すぐに独裁傾向を強め、1966年にマラウイはマラウイ会議党 (MCP) による一党制国家になり、1970年にはバンダは終身大統領の座についた。外交的には、経済発展の必要性から、マラウイ国民の主要な出稼ぎ先であったアパルトヘイト時代の南アフリカ共和国とも外交関係を維持した。ほかにも、アフリカにおける植民地帝国を維持しようとしていたポルトガルとも連携してモザンビーク経由で沿岸部との繋がりを持とうとするなど、アフリカ南部の白人政権への接近がみられた[5]。そのため、首都改造や鉄道網整備に際して、南アフリカ共和国から経済支援を受けた。また、この時代には反共の観点から台湾︵中華民国︶との友好関係が保たれた。 1992年になるとバンダの圧政に対し国内の反発が強くなり、1993年の国民投票で複数政党制が認められ、民主的に行われた1994年の選挙では統一民主戦線のバキリ・ムルジが大統領に当選した[6]。 2004年の選挙では同じ統一民主戦線のビング・ワ・ムタリカが大統領に当選。ムタリカは、2005年に民主進歩党︵DPP︶を旗揚げし、2009年に再選されたが、2012年4月5日に急死した[7]。4月7日に副大統領で民主進歩党から除名されて人民党を立ち上げていたジョイス・バンダが憲法の規定により大統領に昇格し、マラウイ初の女性大統領となった[8]。しかし、2014年5月20日に実施された2014年の選挙で、ビング・ワ・ムタリカ元大統領の実弟で、民主進歩党のピーター・ムタリカが当選して第5代大統領に就任した[9]。2019年の大統領選ではムタリカ大統領が再選されたが僅差での勝利となり、野党が選挙不正を訴え抗議する事態となった[10]。政治[編集]
マラウイは共和制、大統領制を採る立憲国家である。現行憲法は1995年5月18日に公布されたもの。
行政[編集]
国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出される。任期は5年。3選は禁止。閣僚は大統領により任命される。首相職は1966年に廃止された。
立法[編集]
政党[編集]
1994年から複数政党制が認められており、旧一党支配政党でありチェワ族主体で中部に地盤を持つマラウイ会議党︵MCP︶のほか、ピーター・ムタリカ前大統領が率いる自由主義政党の民主進歩党︵DPP︶、ヤオ族主体で南部に地盤を持ちムタリカ前大統領が2005年にDPPを設立するまで所属していた統一民主戦線︵UDF︶、ジョイス・バンダ元大統領が率いる人民党、共和党︵RP︶を中心とする政党連合ムグウイリザノ連合︵MC︶などが活動している。司法[編集]
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国際関係[編集]
日本との関係[編集]
日本はマラウイを独立と同時に承認し、現在では相互に大使館を開設している。
国家安全保障[編集]
マラウイ軍は陸軍、海軍、空軍の三軍から構成され、総人員は約5,300人である。兵制は志願制を採用している。2000年度の軍事予算は950万ドルでGDPの0.76%である。
地理[編集]
生態系[編集]
マラウイ国内では約187種の哺乳類の生息が確認されている。湖や川には約500種の魚類が生息しており、その多くは固有種である。また鳥類は約648種の存在が記録されている。
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マラウイ湖[編集]
地方行政区分[編集]
北部州、中部州、南部州の3つの州(Region)に分かれており、その下にさらに28の県(District)がある。
北部州は、チティパ(Chitipa)、カロンガ(Karonga)、ルンピ(Runphi)、ムジンバ(Mzimba)、カタベイ(Nkhata Bay)、リコマ(Likoma)の6県に分かれている。
中部州は、カスング(Kasungu)、ンチシ(Ntchisi)、ドーワ(Dowa)、ムチンジ(Mchinji)、コタコタ(Nkhotakota)、サリマ(Salima)、リロングウェ(Lilongwe)、デッザ(Dedza)、ンチェウ(Ntcheu)の9県に分かれている。
南部州は、マンゴチ(Mangochi)、バラカ(Balaka)、マチンガ(Machinga)、ゾンバ(Zomba)、チラズル(Chiradzulu)、ムワンザ(Mwanza)、チョロ(Tyolo)、ムランジェ(Mulanje)、パロンベ(Phalombe)、チクワワ(Chikwawa)、ンサンジェ(Nsanje)、ブランタイヤ(Blantyre)、ネノ(Neno)の13県に分かれている。
主要都市[編集]
- 北部:カロンガ (Karonga)
- 中部:カスング (Kasungu)、サリマ (Salima)、デッザ (Dedza)
- 南部:バラカ (Balaka)、リウォンデ (Liwonde)、マンゴチ (Mangochi)
経済[編集]
産業[編集]
主要産業は農業であり、人口の84.5%(1998年︶が第一次産業に従事している[9]が、ほとんどが天水農業であるために生産性が低く、また気候変動に収穫が大きく左右される。主な作物としてはトウモロコシ、サツマイモ︵世界生産量2位の6.4%、2019年︶が全土で広く栽培されるが、自給作物としての性格が強い。商品作物として最も有力なものは葉タバコで、2013年には総輸出の46.6%を占める最大輸出品となっていた。このほか商品作物としては、砂糖(総輸出の9.5%、2013年︶、茶(総輸出の7.1%、2013年︶、落花生(総輸出の5.0%、2013年︶などが生産されている[9]。主力作物のタバコに頼る率が高い上に禁煙運動などによって先行きに不安があるため、商品作物の多角化が進められ、マカダミアナッツなどいくつかの小規模な輸出作物が開発された[27]。マカダミアナッツは日本向け輸出の50.4%(2014年︶を占めており、42.5%を占める葉たばことともに日本向けの主力商品となっている。ただし対日貿易はマラウイからの輸出が輸入の3分の1以下であり、マラウイの大幅な貿易赤字となっている[9]。可耕地の多くが農地とされているため牧畜はあまり行われていない[28]。インフラ整備[編集]
90%の地域には未だ電気が通っていない。発電はシーレ川などマラウイ湖の流出・流入河川における水力発電に依存しており、2012年には発電量の89.1%が水力発電によって占められた[9]。このため、特に乾季は電力不足や停電が深刻である[34]。 2001年にウィリアム・カムクワンバが独力で発電用の風車を完成させたことは、マラウイ中、さらには全世界から強い関心を集め、自伝である﹁風をつかまえた少年﹂は2018年には映画化され、2019年には日本でも公開された[35]。交通[編集]
道路[編集]
幹線道路の舗装率は約50%となっている[36]。長距離移動では、主要都市を拠点として長距離バスが各地を結んでおり、国外主要都市に向かうバスもある。近距離で市民の足として広く利用されているのはミニバスである[37]。この節の加筆が望まれています。 |
鉄道[編集]
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空港[編集]
空運は、リロングウェのリロングウェ国際空港とブランタイヤのチレカ国際空港の2つの国際空港が存在し、そのほかムズズ空港など小規模な空港がいくつか存在する。
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科学技術[編集]
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国民[編集]
人口[編集]
民族[編集]
マラウイ最大の民族集団はチェワ族であり、総人口の32.6%(2008年︶を占める[9]。そのほか、トゥンブーカ族︵トゥンブカ族︶、ンゴニ族︵アンゴニ族︶、ヤオ族、ニャンジャ族、チポカ族、トンガ族、アマゴロゴロ族、ンセンガ族、ズールー族、コーサ族、スワジ族、ンデベレ族などが存在する。マラウィ内には40程度の民族集団が存在するといわれるが、それぞれの民族集団の輪郭は曖昧である。言語[編集]
国語はチェワ語であり、英語も公用語となっている。その他にも、チェワ語はほぼ同じ言語であるニャンジャ語[45]と合わせると人口の半数以上の母語となっており[42]、主に中南部で広く使用される[45]。このほか、北部で広く使用されるトゥンブカ語︵トゥンブーカ語︶[45]をはじめ、トンガ語、ヤオ語、マラウイ・ロムウェ語︵ロムウェ語︶、Kokola︵マクア語︶、マラウイ・セナ語︵セナ語︶、ランブヤ語、ンコンデ語︵ニャキュサ語︶、ニイカ語、その他諸部族語が話され、少数だがフランス語、スワヒリ語を話す人々も存在する。婚姻[編集]
マラウイにおいては、婚姻時に改姓する法的な必要はない。とくに北部においては伝統的に改姓しない(夫婦別姓)[46]。宗教[編集]
1998年のセンサスによれば、国民の79.9%がキリスト教、12.8%がイスラーム、その他が3%、無宗教が4.8%である[47]。キリスト教はカトリックよりもプロテスタント各派のほうが多い。マラウイのイスラームにおいてはムスリムはマラウイ湖畔や北部に比較的多い。
教育[編集]
保健[編集]
医療[編集]
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治安[編集]
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人権[編集]
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マスコミ[編集]
マラウイでは携帯電話の所持率は10%弱である。インターネット普及率も低く、通信環境に恵まれていない面が強い。
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文化[編集]
食文化[編集]
マラウイ人の多くは、ンシマと呼ばれるトウモロコシ粉を湯で練って作ったものを主食として食べる[55]。多くの場合、魚・牛肉・鶏肉や調理された野菜を副菜にして一緒に食べる。米やキャッサバ粉から作られた食物なども好んで食べる。また、畑などに現れるネズミもよく食べる。マラウイではネズミはポピュラーな食糧で、よく市場で売られているという。
文学[編集]
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音楽[編集]
マラウイにおける音楽文化は、歴史的に英国とアメリカの音楽文化からの影響を受けている面がある。
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映画[編集]
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世界遺産[編集]
マラウイ共和国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件、自然遺産が1件存在する。
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マラウイ湖国立公園 - (1984年、自然遺産)
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チョンゴニの岩絵地域 - (2006年、文化遺産)
祝祭日[編集]
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
1月1日 | 元日 | ||
1月15日 | ジョン・チレンブウェ記念日 | バプテストの牧師兼教育者であったジョン・チレンブウェを称えて制定された。 チレンブウェは第一次世界大戦においての強制労働と当時のアフリカの関与に抗議して1914年~1915年に最初の国民主義者の蜂起を主導した人物である。 | |
3月3日(3月4日交互) | 殉教者の日 | イギリスの植民地主義との闘いで戦死した政治的英雄を称える日である。 | |
3月から5月、年により移動 | 復活祭 | 前日に聖金曜日を祝い、終了後にはイースターマンデーを祝う。 | |
5月1日(5月2日または3日交互) | 労働者の日 | メーデーに該当する。 | |
5月14日 | カムズ・バンダ記念日 | 同国の初代大統領であるヘイスティングズ・カムズ・バンダの誕生日を記念したものである。 | |
7月6日 | 独立記念日 | 1966年のイギリスからの独立を記念したもの。 | |
10月15日 | 母の日 | この休日は、世界農山漁村女性の日ともなっている。 | |
12月25日 | クリスマス | ||
12月26日 | ボクシングデー | ||
ヒジュラ暦第10月 | シャウワール |
スポーツ[編集]
サッカー[編集]
マラウイ国内でも他のアフリカ諸国同様に、サッカーが最も人気のスポーツとなっており、1986年にサッカーリーグのマラウイ・プレミアディビジョンが創設された。ニャサ・ビッグ・ブレットFCがリーグ最多14度の優勝に輝いている。サッカーマラウイ代表はFIFAワールドカップへの出場歴こそないものの、アフリカネイションズカップには3度出場しており、2021年大会では初めてグループリーグを突破しベスト16入りを果たした。
オリンピック[編集]
著名な出身者[編集]
参考文献[編集]
書籍[編集]
- 栗田和明、『マラウィを知るための45章』、明石書店、2004年。
脚注[編集]
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
- 政府
- 日本政府
- 日本外務省 - マラウイ (日本語)
- 駐日マラウイ大使館