チェルニウツィー
チェルニウツィー Чернівці | |||||
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文化宮殿 | |||||
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位置 | |||||
チェルニウツィーの位置 | |||||
位置 | |||||
座標 : 北緯48度18分 東経25度56分 / 北緯48.300度 東経25.933度 | |||||
行政 | |||||
国 | ウクライナ | ||||
行政区画 | チェルニウツィー州 | ||||
ラヨン | Chernivtsi City Municipality | ||||
市 | チェルニウツィー | ||||
市長 | Mykola Fedoruk | ||||
地理 | |||||
面積 | |||||
市域 | 153 km2 | ||||
人口 | |||||
人口 | (2001年現在) | ||||
市域 | 242,300人 | ||||
その他 | |||||
等時帯 | 東ヨーロッパ時間 (UTC+2) | ||||
夏時間 | 東ヨーロッパ夏時間 (UTC+3) | ||||
郵便番号 | 58000 | ||||
市外局番 | +380 372 | ||||
ナンバープレート | CE | ||||
公式ウェブサイト : http://www.city.cv.ua/ |
チェルニウツィー︵ウクライナ語: Чернівці︶は、ウクライナ西部の都市で、チェルニウツィー州の州都。北ブコヴィナの代表的な都市。かつてユダヤ文化の中心であった。
ドイツ語でチェルノヴィッツ(Czernowitz)、ルーマニア語でチェルナウツィ(Cernăuţi)、ロシア語でチェルノフツィー(Черновцы)、ポーランド語でチェルニョフツェ(Czerniowce)と呼ばれる。﹁黒い町﹂という意味の名前に由来すると言われる。
標高248m。プルト川の上流に位置し、ブコヴィナの北部にある。リヴィウとともにウクライナ西部の文化の中心地である。
チェルニウツィー大学。写真は旧ブコビナ・ダルマチア府主教の邸宅︵ 世界遺産︶
歴史[編集]
チェルニウツィー近辺には新石器時代より人が居住していた形跡がある。ハールィチ・ヴォルィーニ大公国の時代にプルト川左岸に砦が作られ入植が行われた。砦はオークに地元の黒色土を塗り固めて築かれ、その城壁の色から町もChern(黒い町)と呼ばれた。1259年、モンゴルによって砦は破壊される。辛うじて破壊を免れた箇所を17世紀に強化・拡張し、要塞が作られた。その一部は現存している。その後、チェルニウツィーへの入植は、より高地で戦略的に有利なプルト川右岸が中心となった。1359年から400年間はモルダヴィア公国の版図であった。やがて、オスマン帝国やポーランド・リトアニア共和国、ウクライナ・コサック、モスクワ公国などの勢力が伸びてくる。1775年以降、この地方はハプスブルク君主国に領有され、チェルニウツィーはそのブコヴィナ州の州都となった。直後にマクデブルク法が適用された。19世紀から20世紀にかけて、ルーマニアやウクライナの民族主義運動の中心となる。 1908年にイディッシュ語世界会議︵ナータン・ビルンバウム主催︶が開かれた。1918年、オーストリア=ハンガリー帝国が解体すると、ルーマニア王国に譲渡された。第二次世界大戦の開始後、1940年にソ連によって占領され、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国に編入された。1941年、ナチス・ドイツとルーマニア王国の軍勢がチェルニウツィー、及びウクライナ南部に侵攻して占領、1944年にソビエトが奪還すると再びウクライナ・ソビエト社会主義共和国に組み込まれた。1991年にウクライナが独立すると、チェルニウツィーはそのチェルニウツィーの州都となった。民族構成[編集]
歴史的にチェルニウツィーは様々な民族が行き交ってきたが、1870年から第二次世界大戦末まで、チェルニウツィー最大の民族集団はユダヤ人であった。1930年にルーマニア王国が実施した調査では26.8%がユダヤ人であった。ルーマニア人は23.2%、ドイツ人は20.8%の順であった。ルーマニア人は1950年以降、急激に減少した。ルーマニアに移住するか、シベリアに追放になったためである。大戦前は50,000人以上いたユダヤ人は戦後、3分の1も生き残らなかった。戦後、チェルニウツィーは、ユダヤ人のパレスチナ帰還を支援する﹁Berihah﹂の拠点となった。1991年のソビエト崩壊で、市内に残っていたユダヤ人はイスラエルやアメリカ合衆国に移住した。2001年のウクライナの国勢調査では、チェルニウツィーの民族構成は、ウクライナ人が79.8%、ロシア人が11.3%となっており、ルーマニア人もユダヤ人も1%台しか占めていない。関連人物[編集]
●アルセニー・ヤツェニュク - 政治家。元ウクライナ首相。 ●クリーゲル・アリアブ・ルト - イスラエル諜報特務局所属。 ●オイゲン・エールリヒ - 法学者。ユダヤ系。 ●エルヴィン・シャルガフ - 化学者。DNAの二重螺旋構造の発見に大きな貢献。ユダヤ系。 ●ゼルマ・メーアバウム=アイジンガー - ホロコースト犠牲者。[1] ●ダン・パギス - イスラエルの作家。 ●トラヤン・ポポヴィチ - ルーマニアの法律家で、第二次大戦中のチェルニウツィーの市長。ホロコーストの義人で、イオン・アントネスクに働きかけて許可を得、市内外のユダヤ人を2万人近く救った。 ●パウル・ツェラーン - ユダヤ系ドイツ語作家。 ●ミラ・クニス - アメリカ合衆国の女優。 ●ユーリ・オメルチェンコ - ウクライナのオリエンテーリング選手。東欧出身者として初めてオリエンテーリングの世界チャンピオンとなった。 ●ヨーゼフ・シュミット - テノール歌手・カントル。ユダヤ系。 ●ヨハン・フォン・ミクリチ=ラデツキ - 医者。 ●ローゼ・アウスレンダー - ユダヤ系ドイツ語作家。姉妹都市[編集]
ソルトレイクシティ、アメリカ合衆国 コニン、ポーランド スチャヴァ、ルーマニア en:Nazareth Illit、イスラエル サスカトゥーン、カナダ クラーゲンフルト、オーストリア ポドリスク、ロシア脚注[編集]
- ^ ゼルマ・メーアバウム=アイジンガー 著、秋山宏 訳『ゼルマの詩集』岩波ジュニア新書(119)、1986年12月19日。ISBN 978-4005001194。