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「ウィンザーの陽気な女房たち」の版間の差分

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{{Otheruses|シェイクスピアの戯曲|オットー・ニコライ作曲のオペラ|ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)}}

{{Otheruses|シェイクスピアの戯曲|オットー・ニコライ作曲のオペラ|ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)}}

[[Image:FirstFolioMerryWives.jpg|thumb|right|200px|[[ファースト・フォリオ]]([[1623年]])の『ウィンザーの陽気な女房たち』のタイトルページ]]

[[Image:FirstFolioMerryWives.jpg|thumb|right|200px|[[ファースト・フォリオ]]([[1623年]])の『ウィンザーの陽気な女房たち』のタイトルページ]]

{{文学}}

{{Portal|文学}}{{Portal|舞台芸術}}

『'''ウィンザーの陽気な女房たち'''』(ウィンザーのようきなにょうぼうたち、''The Merry Wives of Windsor'')は、[[ウィリアム・シェイクスピア]]作の[[喜劇]]である。

『'''ウィンザーの陽気な女房たち'''』('''The Merry Wives of Windsor''')は[[ウィリアム・シェイクスピア]]作の[[喜劇]]。出版は[[1602年]]だが、書かれたのは[[1597年]]より前だと考えられている。太っちょ[[騎士]][[フォルスタッフ]]が主人公で、同時代の[[エリザベス朝]][[イングランド]]の[[中流階級]]の生活を扱ったシェイクスピア唯一の「現代劇」である。[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]『[[ファルスタッフ]]』([[1893年]])、[[オットー・ニコライ]]『[[ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)|ウィンザーの陽気な女房たち]]』([[1849年]])など、たびたび[[オペラ]]化されている。



==材源==

== 概説 ==

出版は[[1602年]]だが、書かれたのは[[1597年]]より前だと考えられている。

『ウィンザーの陽気な女房たち』のいくつかの要素はセル・ジョヴァンニ・フィオレンティーノ(Ser Giovanni Fiorentino)の短編集『愚か者(Il Pecorone)』の翻案から取られている。その中の1つは、ウィリアム・ペインター([[:en:William Painter|William Painter]])の『快楽の宮殿(The Palace of Pleasure)』の中にも含まれている<ref>Van Santvoord, George, editor, The Merry Wives of Windsor (New Haven: Yale University Press, 1922): 119.</ref>。



太っちょ[[騎士]][[フォルスタッフ]]が主人公で、フォルスタッフは既に『[[ヘンリー四世 第1部]]』と『[[ヘンリー四世 第2部]]』に登場している。

==創作年代とテキスト==

作品が作られた時期はわかっていない。出版の登録がされたのは[[1602年]]だが、おそらくそれより数年前だったと思われる。[[ガーター勲章]]への言及は、[[1597年]]5月の[[ウィンザー (イングランド)|ウィンザー]]でのガーター勲爵騎士の任命式の叙任に先立つ春にこの劇の上演を目論んでいたことを暗示している。もしそうなら、おそらくこの劇は[[4月23日]]の祝宴に[[エリザベス1世 (イングランド女王)|エリザベス1世]]が出席した際に上演されたのであろう。しかし、それは初演でなかったかも知れない。一般の劇場で上演されたことも考えられる。



タイトルに含まれている「ウィンザー」は[[イングランド]]、[[バークシャー]]にある[[ウィンザー城]]への言及である。

もっともガーター説は推測でしかないが、[[1702年]]にジョン・デニス([[:en:John Dennis (dramatist)|John Dennis]])が『ウィンザーの陽気な女房たち』を脚色した劇(後述)の序文に書いた記述もそれを裏付けている。さらに最初の現代版シェイクスピア全集を編集したニコラス・ロウ([[:en:Nicholas Rowe (writer)|Nicholas Rowe]])によると、「恋するフォルスタッフ」を見たいと願ったエリザベス1世の依頼でシェイクスピアがこの劇を書いたことになっている。しかし、これは100年後の記述なので疑わしくもある。



[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]の治世頃を扱っているはずであるが、一切辻褄合わせなどはせずに同時代の[[エリザベス朝]]イングランドの中流階級の生活を扱っており、シェイクスピアとしては唯一の「現代劇」である。

[[Image:Merry Wives of Windsor.jpg|thumb|left|200px|1602年の四折版(Q1)の表紙]]


[[ 1]][[ 2]] 1[[|]][[]] 2


[[ジュゼッペ・ヴェルディ|ヴェルディ]]『[[ファルスタッフ]]』([[1893年]])、[[オットー・ニコライ]]『[[ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)|ウィンザーの陽気な女房たち]]』([[1849年]])など、たびたび[[オペラ]]化されている。

さらに登場人物の設定における矛盾や、結末のいい加減なところも多数見受けられる。それらはエリザベス1世がシェイクスピアに劇を書かせたという説を裏付けるものだが、『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』以降に書かれたことを意味しているようにも見える。たとえば、登場人物ページのファーストネームは、ある箇所では「トーマス」ある箇所では「ジョージ」と呼ばれている。同様に第5幕でアン・ページが着る妖精の衣裳にも「白衣」と「緑衣」がある。韻文の台詞もシェイクスピアにしては出来が良くない。



== 登場人物 ==

[[1602年]][[1月18日]]は『ウィンザーの陽気な女房たち』が[[書籍出版業組合]]の[[書籍出版業組合記録|記録]]に登録された日付で、その後、書籍商アーサー・ジョンソンによって粗悪なテキストの最初の四折版(Q1)が出版された。第二の四折版(Q2)は[[1619年]]にウィリアム・ジャガードによって「[[フォールス・フォリオ]]」に収められた。優れたストである[[ファースト・フォリオ]]が出版されたのは[[1623年]]のことである。


Q1の表紙には、この劇が「女王陛下の御前で、それ以外の場所で」宮内大臣一座([[:en:Lord Chamberlain's Men|Lord Chamberlain's Men]])によって演じられたと書かれてある。はっきりわかっているうちで最も早い公演は[[1604年]][[11月4日]]の[[ホワイトホール宮殿]]である。他にも、[[1638年]][[11月15日]]にコックピット座([[:en:Cockpit Theatre|Cockpit Theatre]])で上演された。


この劇では[[ドイツ]]のある公爵に言及していて、その公爵は一般に[[1592年]]にイングランドを訪問し、[[1597年]]にガーター勲爵騎士に選ばれた([[1603年]][[11月16日]]に[[シュトゥットガルト]]にて任命)[[フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク公)|ヴュルテンベルク公フリードリヒ1世]]([[:en:Frederick I, Duke of Württemberg|Frederick I, Duke of Württemberg]])だと考えられている。


==上演史==

『ウィンザーの陽気な女房たち』はイングランドの王の空位期間([[:en:English Interregnum|English Interregnum]])後の[[1660年]]に再開された劇場で上演された最初のシェイクスピア劇の1つである。[[サミュエル・ピープス]]は、1660年12月6日、[[1661年]]、[[1667年]]にキングス・カンパニー([[:en:King's Company|King's Company]])で上演されたのを見た(しかしどれも好きではなかった)と書いている。1702年、デニスがこの劇の脚色(それは「改悪」と呼ばれた)を依頼され、『滑稽な伊達男(The Comical Gallant, or the Amours of Sir John Falstaff) 』を書いたが、それは失敗作だった。[[1824年]]はフレデリック・レイノルズが[[ヘンリー・ローリー・ビショップ]]とのオペラ翻案シリーズに『ウィンザーの陽気な女房たち』を加えた。チャールズ・キーン([[:en:Charles Kean|Charles Kean]])は[[1851年]]にシェイクスピアのテキストに戻して公演した<ref>F. E. Halliday, A Shakespeare Companion 1564-1964, Baltimore, Penguin, 1964; p. 314.</ref>。



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==登場人物==

[[Image:Eduard von Grützner Falstaff mit Handschuhen.jpg|thumb|right|200px|フォルスタッフ([[:de:Eduard von Grützner|Eduard von Grützner]]画)]]

[[Image:Eduard von Grützner Falstaff mit Handschuhen.jpg|thumb|right|200px|フォルスタッフ([[:de:Eduard von Grützner|Eduard von Grützner]]画)]]

*サー・ジョン・フォルスタッフ(Sir John Falstaff)

*[[フォルスタッフ|サー・ジョン・フォルスタッフ]](Sir John Falstaff)

*フェントン(Fenton) - 若い紳士。

*フェントン(Fenton) - 若い紳士。

*シャロウ(Shallow) - 治安判事。

*シャロウ(Shallow) - 治安判事。

*スレンダー(Slender) - シャロウの従兄弟。

*スレンダー(Slender) - シャロウの従兄弟。

*フォード(Ford) - ウィンザーに住む紳士。

*フォード(Ford) - ウィンザーに住む紳士。

*ペジ(Page) - ウィンザーに住む紳士。

*ペジ(Page) - ウィンザーに住む紳士。

*ウィリアム・ペジ(William Page) - 少年。ペジの息子。

*ウィリアム・ペジ(William Page) - 少年。ペジの息子。

*サー・ヒュー・エヴァンズ(Sir Hugh Evans) - [[ウェールズ]]人牧師。

*サー・ヒュー・エヴァンズ(Sir Hugh Evans) - [[ウェールズ]]人牧師。

*キーズ(カイアス)医師(Doctor Caius) - [[フランス人]]医師。

*キーズ(カイアス)医師(Doctor Caius) - [[フランス人]]医師。

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*ラグビー(Rugby) - キーズ医師の召使い。

*ラグビー(Rugby) - キーズ医師の召使い。

*フォード夫人(Mistress Ford)

*フォード夫人(Mistress Ford)

*ペジ夫人(Mistress Page)

*ペジ夫人(Mistress Page)

*アン・ペジ(Mistress Anne Page) - その娘。フェントンに恋する。

*アン・ペジ(Mistress Anne Page) - その娘。フェントンに恋する。

*クックリー夫人(Mistress Quickly) - キーズ医師の使用人。

*[[ックリー夫人]](Mistress Quickly) - キーズ医師の使用人。

*ペジ、フォードの召使いたち

*ペジ、フォードの召使いたち



==あらすじ==

== あらすじ ==

この劇では、[[中世]](1400年頃)が舞台の『ヘンリー四世』の登場人物だったサー・ジョン・フォルスタッフを、執筆当時(1600年頃)に登場させている。

この劇では、[[中世]](1400年頃)が舞台の『ヘンリー四世』の登場人物だったサー・ジョン・フォルスタッフを、執筆当時(1600年頃)に登場させている。




2

{{ネタバレ}}


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ジ夫妻の娘アン・ペジを得ようとする3人の男(フェントン、スレンダー、キーズ医師)がいる。ペジ夫人はフランス人のキーズ医師との結婚を望むが、ペジはスレンダーがいいと思っている。しかし、アン本人が好きなのはフェントンである。ペジは財産を食いつぶしたことでフェントンが気に入らない。

ジ夫妻の娘アン・ペジを得ようとする3人の男(フェントン、スレンダー、キーズ医師)がいる。ペジ夫人はフランス人のキーズ医師との結婚を望むが、ペジはスレンダーがいいと思っている。しかし、アン本人が好きなのはフェントンである。ペジは財産を食いつぶしたことでフェントンが気に入らない。




使

使[[]]


[[Image:Johann Heinrich Füssli 039.jpg|thumb|left|260px|[[ヨハン・ハインリヒ・フュースリー]]画『洗濯籠のフォルスタッフ』(1792年)]]

[[Image:Johann Heinrich Füssli 039.jpg|thumb|left|260px|[[ヨハン・ハインリヒ・フュースリー]]画『洗濯籠のフォルスタッフ』(1792年)]]




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女房たちは自分たちのやったことを夫たちに打ち明け、今度は全員でフォルスタッフを懲らしめることにする。

女房たちは自分たちのやったことを夫たちに打ち明け、今度は全員でフォルスタッフを懲らしめることにする。



フォード夫人から、「狩人ハーン([[:en:Herne the Hunter|Herne the Hunter]])」の恰好をして、ウィンザーの森(現在のウインザー・グレート・パーク [[:en:Windsor Great Park|Windsor Great Park]])のオークの木の下で待つように言われ、やってきたフォルスタッフだが、そこに[[フェアリー]]に変装したアンや子供たちが現れ、仰天する。この時、ペジはスレンダーに、ペジ夫人はキーズ医師に、妖精に扮したアンを連れ出し教会で結婚式を挙げるように言われるが、アンを連れ出したのはフェントンだった。

フォード夫人から、「狩人ハーン([[:en:Herne the Hunter|Herne the Hunter]])」の恰好をして、ウィンザーの森(現在のウインザー・グレート・パーク [[:en:Windsor Great Park|Windsor Great Park]])のオークの木の下で待つように言われ、やってきたフォルスタッフだが、そこに[[フェアリー]]に変装したアンや子供たちが現れ、仰天する。この時、ペジはスレンダーに、ペジ夫人はキーズ医師に、妖精に扮したアンを連れ出し教会で結婚式を挙げるように言われるが、アンを連れ出したのはフェントンだった。



==テーマ==

== 材源 ==

『ウィンザーの陽気な女房たち』のいくつかの要素はセル・ジョヴァンニ・フィオレンティーノ(Ser Giovanni Fiorentino)の短編集『愚か者(Il Pecorone)』の翻案から取られている。その中の1つは、ウィリアム・ペインター([[:en:William Painter|William Painter]])の『快楽の宮殿(The Palace of Pleasure)』の中にも含まれている<ref>Van Santvoord, George, editor, The Merry Wives of Windsor (New Haven: Yale University Press, 1922): 119.</ref>。


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== 創作年代とテキスト ==

作品が作られた時期はわかっておらず、出版の登録がされた[[1602年]]より数年前だったと思われる。劇中でミストレス・クィックリーによる[[ガーター勲章]]への言及があり、さらに1592年イングランドを訪れ、1597年にガーター勲章を受けたドイツの公爵[[ヴュルテンベルク公]][[フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク公)|フリードリヒ1世]]についての言及がある<ref name="DJ2001" />。このため、1790年に[[エドモンド・マローン]]はこの芝居はガーター騎士団の叙任式のために書かれ、上演されたのではないかと考えた<ref>{{cite book|last=Craik |first=T. W. (ed.) |editor-last=Shakespeare |editor-first=William |title=The Merry Wives of Windsor |year=2008 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |isbn=978-0-19-953682-5 |page=3 |chapter=Introduction}}</ref>。ウィリアム・グリーンは、シェイクスピアの一座のパトロンであった宮内大臣ジョージ・ケアリーが1597年4月にガーター勲章を授かった時のために書かれたと考えている<ref>{{cite book|last=Green|first=William|title=Shakespeare's 'Merry Wives of Windsor'|year=1962|publisher=Princeton|pages=58–59}}</ref>。もしそうなら、おそらくこの劇は[[4月23日]]の祝宴に[[エリザベス1世]]が出席した際に上演されたのであろう。しかし、それは初演でなかったかも知れない。一般の劇場で上演されたことも考えられる。


本作がガーター勲章の式典のために書かれた芝居であるという説は推測でしかないが、[[1702年]]にジョン・デニス([[:en:John Dennis (dramatist)|John Dennis]])が『ウィンザーの陽気な女房たち』を脚色した劇(後述)の序文に書いた記述もそれを裏付けている。さらに最初の現代版シェイクスピア全集を編集したニコラス・ロウ([[:en:Nicholas Rowe (writer)|Nicholas Rowe]])によると、『ヘンリー四世』二部作を見て「恋するフォルスタッフ」を見たいと願ったエリザベス1世の依頼でシェイクスピアがこの劇を書いたことになっている。しかし、これは100年後の記述なので疑わしくもある。登場人物の設定における矛盾や、結末のいい加減なところは、エリザベス1世がシェイクスピアに劇を書かせたという説を裏付けるものだが、『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』以降に書かれたことを意味しているようにも見える。たとえば、登場人物ページのファーストネームは、ある箇所では「トーマス」ある箇所では「ジョージ」と呼ばれている。同様に第5幕でアン・ペイジが着る妖精の衣裳にも「白衣」と「緑衣」がある。韻文の台詞もシェイクスピアにしては出来が良くない。T・W・クレイクは、エリザベス女王に関する逸話はクォート版のタイトルページに御前上演の記述があることから生まれた単なるファンタジーであると考えている<ref>{{cite book|last=Craik |first=T. W. (ed.) |editor-last=Shakespeare |editor-first=William |title=The Merry Wives of Windsor |year=2008 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |isbn=978-0-19-953682-5 |pages=4–5 |chapter=Introduction}}</ref>。しかし、ケアリーは女王の望みを役者たちに伝えることができる立場ではあったので、このせいでこうした伝説が生まれたのかもしれない<ref name=DJ2001>{{cite book|last=Duncan-Jones|first=Katherine|title=Ungentle Shakespeare: scenes from his life|year=2001|publisher=[[Arden Shakespeare]]|location=London|isbn=1-903436-26-5|pages=97–8}}</ref>。


[[Image:Merry Wives of Windsor.jpg|thumb|left|200px|1602年の四折版(Q1)の表紙]]


[[ 1]][[ 2]] 2 1[[|]][[]] 215TW 2<ref>T.W. Craik (ed.), The Merry Wives of Windsor (Oxford: Oxford University Press, 1990), 113. See also H.J. Oliver (ed.). The Merry Wives of Windsor (London: Arden, 1972), lv and Leslie Hotson Shakespeare versus Shallow (London: Kessinger, 2003), 111122.</ref> 2[[ ()|]]<ref name="Bate2011">{{cite book|last1=Bate|first1=Jonathan|last2=Rasmussen|first2=Eric|title=The Merry Wives of Windsor|year=2011|publisher=Macmillan|location=Basingstoke, England|isbn=978-0-230-28411-1|pages=56}}</ref>

少なくともこの芝居の一部は1597年の『ヘンリー四世 第1部』初演の前後に書かれた。フォルスタッフは当初、歴史上の人物であるサー・[[ジョン・オールドカースル]]の名をもらうはずであったが、おそらくこれがオールドカースルの子孫の気分を害したため議論が巻き起こり、シェイクスピアはキャラクターの名前を変更した。第五幕第五場85-90行目や、第四幕第五場6行目あたりに、おそらく「オールドカースル」という名前を想定して書かれたと思われる形跡があるからである<ref>Scoufos, ''Shakespeare's Typological Satire,'' p. 191.</ref>。


[[1602年]][[1月18日]]は『ウィンザーの陽気な女房たち』が[[書籍出版業組合]]の[[書籍出版業組合記録|記録]]に登録された日付で、その後、書籍商アーサー・ジョンソンによって粗悪なテキストの最初の四折版(Q1)が出版された。第二の四折版(Q2)は[[1619年]]にウィリアム・ジャガードによって「[[フォールス・フォリオ]]」に収められた。より良いストである[[ファースト・フォリオ]]が出版されたのは[[1623年]]のことである。


Q1の表紙には、この劇が「女王陛下の御前で、それ以外の場所で」宮内大臣一座([[:en:Lord Chamberlain's Men|Lord Chamberlain's Men]])によって演じられたと書かれてある。はっきりわかっているうちで最も早い公演は[[1604年]][[11月4日]]の[[ホワイトホール宮殿]]である。他にも、[[1638年]][[11月15日]]にコックピット座([[:en:Cockpit Theatre|Cockpit Theatre]])で上演された。


== 分析と批評 ==

[[File:Falstaff and the Wives.jpg|thumb|[[1902年]]、ハーバート・ビアボーム・トゥリーがフォルスタッフ、[[エレン・テリー]]がペイジ夫人、マッジ・ケンダルがフォード夫人を演じた再演の絵]]


14<ref>Leslie Hotson, ''Shakespeare Versus Shallow'', Little, Brown, and Company,1931, p.112.</ref>

== テーマ ==


[[|]]


『ウィンザーの陽気な女房たち』はイングランド中流階級の階級偏見を中心に置いている。下層階級を代表するのはバードルフ、ピストル、ニム(いずれもフォルスタッフの仲間)であり、上流階級を代表するのはサー・ジョン・フォルスタッフ、フェントンらである。作品の中でシェイクスピアは[[ラテン語]]と英語の誤用を使って、フランス人やウェールズ人の語り口を表現している。また、喜劇的効果のほとんどは登場人物間の誤解から生じている。


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==批評==

== 上演史 ==

『ウィンザーの陽気な女房たち』はイングランドの王の空位期間([[:en:English Interregnum|English Interregnum]])後の[[1660年]]に再開された劇場で上演された最初のシェイクスピア劇の1つである。[[サミュエル・ピープス]]は、1660年12月6日、[[1661年]]、[[1667年]]にキングス・カンパニー([[:en:King's Company|King's Company]])で上演されたのを見た(しかしどれも好きではなかった)と書いている。1702年、デニスがこの劇の脚色(それは「改悪」と呼ばれた)を依頼され、『滑稽な伊達男(The Comical Gallant, or the Amours of Sir John Falstaff) 』を書いたが、それは失敗作だった。[[1824年]]はフレデリック・レイノルズが[[ヘンリー・ローリー・ビショップ]]とのオペラ翻案シリーズに『ウィンザーの陽気な女房たち』を加えた。チャールズ・キーン([[:en:Charles Kean|Charles Kean]])は[[1851年]]にシェイクスピアのテキストに戻して公演した<ref>F. E. Halliday, A Shakespeare Companion 1564-1964, Baltimore, Penguin, 1964; p. 314.</ref>。[[アーサー・サリヴァン]]は1874年、ロンドンのゲイエテイ座の公演で第五幕で使用するための付随音楽を作曲し、これは1889年の[[ヘイマーケット座]]の公演でも使われた<ref>[http://math.boisestate.edu/GaS/other_sullivan/windsor/index.html Sullivan's incidental music to ''The Merry Wives of Windsor''], The Gilbert and Sullivan Archive, accessed 5 January 2010</ref>。


114



[[]][[|]][[|]][[]][[]][[]][[2 ()|2]]<ref>Geoffrey Dennis, ''Coronation Commentary'', Dodd, Mead and Company, New York, 1937, p.40.</ref>

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==アダプテーション==

== アダプテーション(脚色・翻案) ==

*滑稽な伊達男(1702年) - ジョン・デニスによる改訂・脚色版。

*滑稽な伊達男(1702年) - ジョン・デニスによる改訂・脚色版。

*ファルスタッフ([[1799年]]) - [[アントニオ・サリエリ]]作曲の[[オペラ・ブッファ]]。台本はCarlo Prospers Defranchesi。

*『[[ファルスタッフ (サリエリ)|ファルスタッフ]]』([[1799年]]) - [[アントニオ・サリエリ]]作曲の[[オペラ・ブッファ]]。台本はCarlo Prospers Defranchesi。

*『フォルスタッフ』(1838年) - [[マイケル・ウィリアム・バルフ]]のオペラ。

*[[ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)|ウィンザーの陽気な女房たち]]([[1849年]]) - [[ドイツ]]の[[作曲家]][[オットー・ニコライ]]作曲のオペラ。

*『[[ウィンザーの陽気な女房たち (オペラ)|ウィンザーの陽気な女房たち]]』([[1849年]]) - [[ドイツ]]の[[作曲家]][[オットー・ニコライ]]作曲の[[ジングシュピール]]。このオペラ(ジングシュピール)はドイツ語の台詞を多数含み、登場人物の場前もドイツ風に変えられている。物語はフェントンとアンのロマンスをより強調している。フォルスタッフの女装の場面を含む唯一の翻案である。

*[[ファルスタッフ]]([[1893年]]) - [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]の最後の[[オペラ]]。台本は[[アッリーゴ・ボーイト]]。この劇を基にしたものだが、大部分のオペラ同様に登場人物と筋に相違がある。

*『[[ファルスタッフ]]』([[1893年]]) - [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]の最後のオペラ。台本は[[アッリーゴ・ボーイト]]。この劇を基にしたものだが、大部分のオペラ同様に登場人物と筋に相違がある。例えば、アン(ナネッタと呼ばれている)はペイジ夫人ではなくフォード夫人の娘で、父によってカイアス医師と婚約させられており、フォード夫人とペイジがフェントンとの駆け落ちを手助けしようとたくらむ。ペイジ氏、スレンダー、シャロー。サー・ヒュー・エヴァンズなどの多くの人物は出てこない。フォルスタッフのキャラクターを具体的にするため、台本作家のボーイトは『ヘンリー四世』二部作からいくつか素材をとってきており、『ヘンリー四世 第1部』第一幕第二場の「名誉」に関する有名な独白なども台本に含んでいる。本作は広く『ウィンザーの陽気な女房たち』の最良のオペラ化であり、偉大な喜劇的オペラのひとつと広く見なされている。

*恋するサー・ジョン([[1924年]] - [[1928年]]) - [[イギリス]]の作曲家[[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ]]のオペラ。

*『恋するサー・ジョン』([[1924年]] - [[1928年]]) - [[イギリス]]の作曲家[[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ]]のオペラ。台本の大部分はシェイクスピアのテクストから直接とられており、オペラ化としては最も原作に忠実である。全てのキャラクターを登場させ胃、カイアス医師とサー・ヒュー・エヴァンズの決闘などの脇筋も保持している唯一の版である。

* 『法螺侍』(1999年) - [[高橋康也]]による[[狂言]]への翻案であり、新宿のスペース・ゼロで1999年に[[野村万作]]及び[[野村萬斎]]の出演で初演され、2009年に[[東京芸術劇場]]で再演された<ref>{{Cite web|和書|date=2009-07-22 |url=http://www.mansaku.co.jp/news/2009/07/10-1.html |title=シェイクスピア×狂言『法螺侍』 10年振りに再演! |publisher=万作の会 |accessdate=2016-04-29}}</ref>。

*2012年、ロンドンの[[シェイクスピアズ・グローブ]]で実施されたグローブ・トゥ・グローブ・フェスティバルで、ジョシュア・オグトゥによる[[スワヒリ語]]版が上演された。

*2012年の[[オレゴン・シェイクスピア・フェスティバル]]で、アリソン・ケアリが本作を政治諷刺劇『[[アイオワ州]]ウィンザーのとても陽気な女房たち』(''The Very Merry Wives of Windsor, Iowa'')として翻案し、上演した。

*2012年、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|ヴァンクーヴァー]]のバード・オン・ザ・ビーチのシーズンに、演出家のジョナ・ライトが1968年の[[オンタリオ州]][[ウィンザー (オンタリオ州)|ウィンザー]]に設定を移して上演した。

*『不破留寿之太夫』(2014年) - 『ヘンリー四世』二部作及び『ウィンザーの陽気な女房たち』をもとにした文楽の新作で、[[河合祥一郎]]が脚本を執筆し、[[国立劇場]]で2014年9月6日から22日まで上演された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu/h26/falstaff.html |title=不破留寿之太夫 |publisher=[[日本芸術文化振興会]] |accessdate=2016-04-29}}</ref>。


*[[ FBI]] ("Heathridge Manor") [[]][[]]使[[]]調使


==参考文献==

== 参考文献 ==

===日本語訳テキスト===

=== 日本語訳テキスト ===

*ウィンザーの陽気な女房 - 訳:[[坪内逍遥]]([[新樹社]])

*ウィンザーの陽気な女房 - 訳:[[坪内逍遥]]([[中央公論社]] 1934 [[新樹社]])

*ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:[[三神勲]]・[[西川正身]]([[河出書房]]・市民文庫、[[筑摩書房]]・筑摩世界文学大系16)

*訳:[[三神勲]]・[[西川正身]]([[河出書房]]・市民文庫、1952 [[筑摩書房]]・筑摩世界文学大系16)

*訳:[[大山敏子]]([[旺文社文庫]])1978

*ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:[[小田島雄志]]、解説:[[村上淑郎]]([[白水社]]・白水Uブックス)、訳:小田島雄志(シェイクスピア全集3)

*訳:[[小田島雄志]]、解説:[[村上淑郎]]([[白水社]],1978のち[[白水Uブックス]]

*ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:[[松岡和子]]([[ちくま文庫]])

*ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:[[大山敏子]]([[旺文社文庫]]

*訳:[[松岡和子]]([[ちくま文庫]])2001



==脚注==

== 脚注 ==

{{Reflist}}

{{Reflist}}



==外部リンク==

== 外部リンク ==

{{wikiquote|en:The Merry Wives of Windsor|ウィンザーの陽気な女房たち (英語)}}

{{wikiquote|en:The Merry Wives of Windsor|ウィンザーの陽気な女房たち (英語)}}

{{wikisource|en:The Merry Wives of Windsor|ウィンザーの陽気な女房たち (英語)}}

{{wikisource|en:The Merry Wives of Windsor|ウィンザーの陽気な女房たち (英語)}}

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{{シェイクスピア}}

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[[Category:イングランドを舞台とした作品]]

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[[de:Die lustigen Weiber von Windsor (Schauspiel)]]

[[en:The Merry Wives of Windsor]]

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2023年11月18日 (土) 04:51時点における最新版

ファースト・フォリオ1623年)の『ウィンザーの陽気な女房たち』のタイトルページ

The Merry Wives of Windsor

[]


16021597

 1 2



4

18931849

[]

Eduard von Grützner

Sir John Falstaff

Fenton - 

Shallow - 

Slender - 

Ford - 

Page - 

William Page - 

Sir Hugh Evans - 

Doctor Caius - 

The Host of the Garter Inn


Bardolph

Pistol

Nym

Robin - 

Simple - 使

Rugby - 使

Mistress Ford

Mistress Page

Mistress Anne Page - 

Mistress Quickly - 使

使

[]


14001600

2

3

使
1792





使





Herne the Hunter Windsor Great Park

[]


Ser Giovanni FiorentinoIl Pecorone1William Painter殿The Palace of Pleasure[1]

[]


1602159215971[2]1790[3]15974[4]4231

1702John DennisNicholas Rowe110015TW[5][2]
1602Q1

 1 2 2 1 215TW 2[6] 2[7]

1597 185-906[8]

1602118Q1Q216191623

Q1Lord Chamberlain's Men1604114殿16381115Cockpit Theatre

[]

1902

14[9]

[]




使調(5.5.135)

wear hornsbuck-basketbuck鹿

[]


English Interregnum16601166012616611667King's Company1702The Comical Gallant, or the Amours of Sir John Falstaff 1824Charles Kean1851[10]1874使1889使[11]

2[12]

[]


1702 - 

1799 - Carlo Prospers Defranchesi

1838 - 

1849 - ()調

1893 -  1

1924 - 1928 - 

1999 - 宿19992009[13]

2012

2012(The Very Merry Wives of Windsor, Iowa)

20121968

寿2014 - 20149622[14]

 FBI ("Heathridge Manor") 使調使

[]

[]


 -  1934 

西1952 16

1978

,1978U

2001

[]

  1. ^ Van Santvoord, George, editor, The Merry Wives of Windsor (New Haven: Yale University Press, 1922): 119.
  2. ^ a b Duncan-Jones, Katherine (2001). Ungentle Shakespeare: scenes from his life. London: Arden Shakespeare. pp. 97–8. ISBN 1-903436-26-5 
  3. ^ Craik, T. W. (ed.) (2008). “Introduction”. In Shakespeare, William. The Merry Wives of Windsor. Oxford: Oxford University Press. p. 3. ISBN 978-0-19-953682-5 
  4. ^ Green, William (1962). Shakespeare's 'Merry Wives of Windsor'. Princeton. pp. 58–59 
  5. ^ Craik, T. W. (ed.) (2008). “Introduction”. In Shakespeare, William. The Merry Wives of Windsor. Oxford: Oxford University Press. pp. 4–5. ISBN 978-0-19-953682-5 
  6. ^ T.W. Craik (ed.), The Merry Wives of Windsor (Oxford: Oxford University Press, 1990), 1–13. See also H.J. Oliver (ed.). The Merry Wives of Windsor (London: Arden, 1972), lv and Leslie Hotson Shakespeare versus Shallow (London: Kessinger, 2003), 111–122.
  7. ^ Bate, Jonathan; Rasmussen, Eric (2011). The Merry Wives of Windsor. Basingstoke, England: Macmillan. pp. 5–6. ISBN 978-0-230-28411-1 
  8. ^ Scoufos, Shakespeare's Typological Satire, p. 191.
  9. ^ Leslie Hotson, Shakespeare Versus Shallow, Little, Brown, and Company,1931, p.112.
  10. ^ F. E. Halliday, A Shakespeare Companion 1564-1964, Baltimore, Penguin, 1964; p. 314.
  11. ^ Sullivan's incidental music to The Merry Wives of Windsor, The Gilbert and Sullivan Archive, accessed 5 January 2010
  12. ^ Geoffrey Dennis, Coronation Commentary, Dodd, Mead and Company, New York, 1937, p.40.
  13. ^ シェイクスピア×狂言『法螺侍』 10年振りに再演!”. 万作の会 (2009年7月22日). 2016年4月29日閲覧。
  14. ^ 不破留寿之太夫”. 日本芸術文化振興会. 2016年4月29日閲覧。

外部リンク[編集]