「ウィンザーの陽気な女房たち」の版間の差分
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==創作年代とテキスト== |
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作品が作られた時期はわかっていない。出版の登録がされたのは[[1602年]]だが、おそらくそれより数年前だったと思われる。劇中でミストレス・クィックリーによる[[ガーター勲章]]への言及があり、さらに1592年イングランドを訪れ、1597年にガーター勲章を受けたドイツの公爵、[[フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク公)|ヴュルテンベルク公フリードリヒ1世]]についての言及がある<ref name="DJ2001" />。このため、1790年にエドモンド・マローンはこの芝居はガーター騎士団の叙任式のために書かれ、上演されたのではないかと考えた<ref>{{cite book|last=Craik |first=T. W. (ed.) |editor-last=Shakespeare |editor-first=William |title=The Merry Wives of Windsor |year=2008 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |isbn=978-0-19-953682-5 |page=3 |chapter=Introduction}}</ref>。ウィリアム・グリーンは、シェイクスピアの一座のパトロンであった宮内大臣ジョージ・ケアリーが1597年4月にガーター勲章を授かった時のために書かれたと考えている<ref>{{cite book|last=Green|first=William|title=Shakespeare's 'Merry Wives of Windsor'|year=1962|publisher=Princeton|pages=58–59}}</ref>。もしそうなら、おそらくこの劇は[[4月23日]]の祝宴に[[エリザベス1世]]が出席した際に上演されたのであろう。しかし、それは初演でなかったかも知れない。一般の劇場で上演されたことも考えられる。 |
作品が作られた時期はわかっていない。出版の登録がされたのは[[1602年]]だが、おそらくそれより数年前だったと思われる。劇中でミストレス・クィックリーによる[[ガーター勲章]]への言及があり、さらに1592年イングランドを訪れ、1597年にガーター勲章を受けたドイツの公爵、[[フリードリヒ1世 (ヴュルテンベルク公)|ヴュルテンベルク公フリードリヒ1世]]についての言及がある<ref name="DJ2001" />。このため、1790年に[[エドモンド・マローン]]はこの芝居はガーター騎士団の叙任式のために書かれ、上演されたのではないかと考えた<ref>{{cite book|last=Craik |first=T. W. (ed.) |editor-last=Shakespeare |editor-first=William |title=The Merry Wives of Windsor |year=2008 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |isbn=978-0-19-953682-5 |page=3 |chapter=Introduction}}</ref>。ウィリアム・グリーンは、シェイクスピアの一座のパトロンであった宮内大臣ジョージ・ケアリーが1597年4月にガーター勲章を授かった時のために書かれたと考えている<ref>{{cite book|last=Green|first=William|title=Shakespeare's 'Merry Wives of Windsor'|year=1962|publisher=Princeton|pages=58–59}}</ref>。もしそうなら、おそらくこの劇は[[4月23日]]の祝宴に[[エリザベス1世]]が出席した際に上演されたのであろう。しかし、それは初演でなかったかも知れない。一般の劇場で上演されたことも考えられる。
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本作がガーター勲章の式典のために書かれた芝居であるという説は推測でしかないが、[[1702年]]にジョン・デニス([[:en:John Dennis (dramatist)|John Dennis]])が『ウィンザーの陽気な女房たち』を脚色した劇(後述)の序文に書いた記述もそれを裏付けている。さらに最初の現代版シェイクスピア全集を編集したニコラス・ロウ([[:en:Nicholas Rowe (writer)|Nicholas Rowe]])によると、『ヘンリー四世』二部作を見て「恋するフォルスタッフ」を見たいと願ったエリザベス1世の依頼でシェイクスピアがこの劇を書いたことになっている。しかし、これは100年後の記述なので疑わしくもある。登場人物の設定における矛盾や、結末のいい加減なところは、エリザベス1世がシェイクスピアに劇を書かせたという説を裏付けるものだが、『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』以降に書かれたことを意味しているようにも見える。たとえば、登場人物ページのファーストネームは、ある箇所では「トーマス」ある箇所では「ジョージ」と呼ばれている。同様に第5幕でアン・ペイジが着る妖精の衣裳にも「白衣」と「緑衣」がある。韻文の台詞もシェイクスピアにしては出来が良くない。T・W・クレイクは、エリザベス女王に関する逸話はクォート版のタイトルページに御前上演の記述があることから生まれた単なるファンタジーであると考えている<ref>{{cite book|last=Craik |first=T. W. (ed.) |editor-last=Shakespeare |editor-first=William |title=The Merry Wives of Windsor |year=2008 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |isbn=978-0-19-953682-5 |pages=4–5 |chapter=Introduction}}</ref>。しかしながら、ケアリーは女王の望みを役者たちに伝えることができる立場ではあったので、このせいでこうした伝説が生まれたのかもしれない<ref name=DJ2001>{{cite book|last=Duncan-Jones|first=Katherine|title=Ungentle Shakespeare: scenes from his life|year=2001|publisher=[[Arden Shakespeare]]|location=London|isbn=1-903436-26-5|pages=97–8}}</ref>。 |
本作がガーター勲章の式典のために書かれた芝居であるという説は推測でしかないが、[[1702年]]にジョン・デニス([[:en:John Dennis (dramatist)|John Dennis]])が『ウィンザーの陽気な女房たち』を脚色した劇(後述)の序文に書いた記述もそれを裏付けている。さらに最初の現代版シェイクスピア全集を編集したニコラス・ロウ([[:en:Nicholas Rowe (writer)|Nicholas Rowe]])によると、『ヘンリー四世』二部作を見て「恋するフォルスタッフ」を見たいと願ったエリザベス1世の依頼でシェイクスピアがこの劇を書いたことになっている。しかし、これは100年後の記述なので疑わしくもある。登場人物の設定における矛盾や、結末のいい加減なところは、エリザベス1世がシェイクスピアに劇を書かせたという説を裏付けるものだが、『[[ヘンリー五世 (シェイクスピア)|ヘンリー五世]]』以降に書かれたことを意味しているようにも見える。たとえば、登場人物ページのファーストネームは、ある箇所では「トーマス」ある箇所では「ジョージ」と呼ばれている。同様に第5幕でアン・ペイジが着る妖精の衣裳にも「白衣」と「緑衣」がある。韻文の台詞もシェイクスピアにしては出来が良くない。T・W・クレイクは、エリザベス女王に関する逸話はクォート版のタイトルページに御前上演の記述があることから生まれた単なるファンタジーであると考えている<ref>{{cite book|last=Craik |first=T. W. (ed.) |editor-last=Shakespeare |editor-first=William |title=The Merry Wives of Windsor |year=2008 |publisher=Oxford University Press |location=Oxford |isbn=978-0-19-953682-5 |pages=4–5 |chapter=Introduction}}</ref>。しかしながら、ケアリーは女王の望みを役者たちに伝えることができる立場ではあったので、このせいでこうした伝説が生まれたのかもしれない<ref name=DJ2001>{{cite book|last=Duncan-Jones|first=Katherine|title=Ungentle Shakespeare: scenes from his life|year=2001|publisher=[[Arden Shakespeare]]|location=London|isbn=1-903436-26-5|pages=97–8}}</ref>。 |
2017年1月17日 (火) 06:39時点における版
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/5f/FirstFolioMerryWives.jpg/200px-FirstFolioMerryWives.jpg)
登場人物
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e7/Eduard_von_Gr%C3%BCtzner_Falstaff_mit_Handschuhen.jpg/200px-Eduard_von_Gr%C3%BCtzner_Falstaff_mit_Handschuhen.jpg)
あらすじ
ウィンザーにやってきたフォルスタッフは金に困っている。そこで、ウィンザーの裕福な女房たち、フォード夫人とペイジ夫人に言い寄ることにする。フォルスタッフは名前だけ変えて内容はまったく同じラブレターを送ることにし、子分のピストルとニムに届けさせようとしたが、2人がそれを拒んだので首にする。ピストルとニムはフォルスタッフの企みを夫のフォードとペイジにばらす。ペイジはさほど心配しないが、嫉妬深いフォードは気にする。そこでフォードは﹁ブルック﹂と偽って、フォルスタッフに紹介してくれるようガーター亭の主人に頼む。 ペイジ夫妻の娘アン・ペイジを得ようとする3人の男︵フェントン、スレンダー、キーズ医師︶がいる。ペイジ夫人はフランス人のキーズ医師との結婚を望むが、ペイジはスレンダーがいいと思っている。しかし、アン本人が好きなのはフェントンである。ペイジは財産を食いつぶしたことでフェントンが気に入らない。 ウェールズ人牧師のヒュー・エヴァンズはスレンダーのために、アンと親しいキーズ博士の使用人クィックリー夫人に協力を求めるが、それをキーズ医師に知られる。キーズ医師はエヴァンズに決闘を申し込む。しかし、ガーター亭の主人がエヴァンズに違う場所を告げ、決闘はなんとか回避される。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e1/Johann_Heinrich_F%C3%BCssli_039.jpg/260px-Johann_Heinrich_F%C3%BCssli_039.jpg)
材源
『ウィンザーの陽気な女房たち』のいくつかの要素はセル・ジョヴァンニ・フィオレンティーノ(Ser Giovanni Fiorentino)の短編集『愚か者(Il Pecorone)』の翻案から取られている。その中の1つは、ウィリアム・ペインター(William Painter)の『快楽の宮殿(The Palace of Pleasure)』の中にも含まれている[1]。
創作年代とテキスト
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/40/Merry_Wives_of_Windsor.jpg/200px-Merry_Wives_of_Windsor.jpg)
分析と批評
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/45/Falstaff_and_the_Wives.jpg/220px-Falstaff_and_the_Wives.jpg)
テーマ
上演史
第一次世界大戦中のイングランドの反独感情の時代には、王家のサクス=コバーグ=ゴータ家がウィンザー家になるなど、多くのドイツ語名とタイトルが英語的な響きのものに改められた。ヴィルヘルム2世は、﹁ザクセン=コーブルク=ゴータの陽気な女房たち﹂の公演を見るために出かけた、という冗談でそれに対抗した[12]。
アダプテーション
参考文献
日本語訳テキスト
- ウィンザーの陽気な女房 - 訳:坪内逍遥(新樹社)
- ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:三神勲・西川正身(河出書房・市民文庫、筑摩書房・筑摩世界文学大系16)
- ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:小田島雄志、解説:村上淑郎(白水社・白水Uブックス)、訳:小田島雄志(シェイクスピア全集3)
- ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:松岡和子(ちくま文庫)
- ウィンザーの陽気な女房たち - 訳:大山敏子(旺文社文庫)
脚注
- ^ Van Santvoord, George, editor, The Merry Wives of Windsor (New Haven: Yale University Press, 1922): 119.
- ^ a b Duncan-Jones, Katherine (2001). Ungentle Shakespeare: scenes from his life. London: Arden Shakespeare. pp. 97–8. ISBN 1-903436-26-5
- ^ Craik, T. W. (ed.) (2008). “Introduction”. In Shakespeare, William. The Merry Wives of Windsor. Oxford: Oxford University Press. p. 3. ISBN 978-0-19-953682-5
- ^ Green, William (1962). Shakespeare's 'Merry Wives of Windsor'. Princeton. pp. 58–59
- ^ Craik, T. W. (ed.) (2008). “Introduction”. In Shakespeare, William. The Merry Wives of Windsor. Oxford: Oxford University Press. pp. 4–5. ISBN 978-0-19-953682-5
- ^ T.W. Craik (ed.), The Merry Wives of Windsor (Oxford: Oxford University Press, 1990), 1–13. See also H.J. Oliver (ed.). The Merry Wives of Windsor (London: Arden, 1972), lv and Leslie Hotson Shakespeare versus Shallow (London: Kessinger, 2003), 111–122.
- ^ Bate, Jonathan; Rasmussen, Eric (2011). The Merry Wives of Windsor. Basingstoke, England: Macmillan. pp. 5–6. ISBN 978-0-230-28411-1
- ^ Scoufos, Shakespeare's Typological Satire, p. 191.
- ^ Leslie Hotson, Shakespeare Versus Shallow, Little, Brown, and Company,1931, p.112.
- ^ F. E. Halliday, A Shakespeare Companion 1564-1964, Baltimore, Penguin, 1964; p. 314.
- ^ Sullivan's incidental music to The Merry Wives of Windsor, The Gilbert and Sullivan Archive, accessed 5 January 2010
- ^ Geoffrey Dennis, Coronation Commentary, Dodd, Mead and Company, New York, 1937, p.40.
- ^ “シェイクスピア×狂言『法螺侍』 10年振りに再演!”. 万作の会 (2009年7月22日). 2016年4月29日閲覧。
- ^ “不破留寿之太夫”. 日本芸術文化振興会. 2016年4月29日閲覧。
外部リンク
- The Merry Wives of Windsor - HTML version of this title.
- The Merry Wives of Windsor - plain vanilla text from Project Gutenberg
- The Merry Wives of Windsor - Searchable, scene-indexed version of the play.
- Photographs of a production of The Merry Wives of Windsor
- Royal Shakespeare Company photos and information relating to performances and background of The Merry Wives of Windsor through the years
- RSC Plot Summary and list of performances and actors
- The Merry Wives at Shakespeares Globe (Daily Mail UK)
- 劇団シェイクスピア・シアター