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*『[[ファルスタッフ]]』([[1893年]]) - [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]の最後のオペラ。台本は[[アッリーゴ・ボーイト]]。この劇を基にしたものだが、大部分のオペラ同様に登場人物と筋に相違がある。例えば、アン(ナネッタと呼ばれている)はペイジ夫人ではなくフォード夫人の娘で、父によってカイアス医師と婚約させられており、フォード夫人とペイジがフェントンとの駆け落ちを手助けしようとたくらむ。ペイジ氏、スレンダー、シャロー。サー・ヒュー・エヴァンズなどの多くの人物は出てこない。フォルスタッフのキャラクターを具体的にするため、台本作家のボーイトは『ヘンリー四世』二部作からいくつか素材をとってきており、『ヘンリー四世 第1部』第一幕第二場の「名誉」に関する有名な独白なども台本に含んでいる。本作は広く『ウィンザーの陽気な女房たち』の最良のオペラ化であり、偉大な喜劇的オペラのひとつと広く見なされている。 |
*『[[ファルスタッフ]]』([[1893年]]) - [[ジュゼッペ・ヴェルディ]]の最後のオペラ。台本は[[アッリーゴ・ボーイト]]。この劇を基にしたものだが、大部分のオペラ同様に登場人物と筋に相違がある。例えば、アン(ナネッタと呼ばれている)はペイジ夫人ではなくフォード夫人の娘で、父によってカイアス医師と婚約させられており、フォード夫人とペイジがフェントンとの駆け落ちを手助けしようとたくらむ。ペイジ氏、スレンダー、シャロー。サー・ヒュー・エヴァンズなどの多くの人物は出てこない。フォルスタッフのキャラクターを具体的にするため、台本作家のボーイトは『ヘンリー四世』二部作からいくつか素材をとってきており、『ヘンリー四世 第1部』第一幕第二場の「名誉」に関する有名な独白なども台本に含んでいる。本作は広く『ウィンザーの陽気な女房たち』の最良のオペラ化であり、偉大な喜劇的オペラのひとつと広く見なされている。 |
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*『恋するサー・ジョン』([[1924年]] - [[1928年]]) - [[イギリス]]の作曲家[[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ]]のオペラ。台本の大部分はシェイクスピアのテクストから直接とられており、オペラ化としては最も原作に忠実である。全てのキャラクターを登場させ胃、カイアス医師とサー・ヒュー・エヴァンズの決闘などの脇筋も保持している唯一の版である。 |
*『恋するサー・ジョン』([[1924年]] - [[1928年]]) - [[イギリス]]の作曲家[[レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ]]のオペラ。台本の大部分はシェイクスピアのテクストから直接とられており、オペラ化としては最も原作に忠実である。全てのキャラクターを登場させ胃、カイアス医師とサー・ヒュー・エヴァンズの決闘などの脇筋も保持している唯一の版である。 |
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* 『法螺侍』(1999年) - [[高橋康也]]による[[狂言]]への翻案であり、新宿のスペース・ゼロで1999年に[[野村万作]]及び[[野村萬斎]]の出演で初演され、2009年に[[東京芸術劇場]]で再演された<ref>{{Cite web |
* 『法螺侍』(1999年) - [[高橋康也]]による[[狂言]]への翻案であり、新宿のスペース・ゼロで1999年に[[野村万作]]及び[[野村萬斎]]の出演で初演され、2009年に[[東京芸術劇場]]で再演された<ref>{{Cite web|和書|date=2009-07-22 |url=http://www.mansaku.co.jp/news/2009/07/10-1.html |title=シェイクスピア×狂言『法螺侍』 10年振りに再演! |publisher=万作の会 |accessdate=2016-04-29}}</ref>。 |
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*2012年、ロンドンの[[シェイクスピアズ・グローブ]]で実施されたグローブ・トゥ・グローブ・フェスティバルで、ジョシュア・オグトゥによる[[スワヒリ語]]版が上演された。 |
*2012年、ロンドンの[[シェイクスピアズ・グローブ]]で実施されたグローブ・トゥ・グローブ・フェスティバルで、ジョシュア・オグトゥによる[[スワヒリ語]]版が上演された。 |
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*2012年の[[オレゴン・シェイクスピア・フェスティバル]]で、アリソン・ケアリが本作を政治諷刺劇『[[アイオワ州]]ウィンザーのとても陽気な女房たち』(''The Very Merry Wives of Windsor, Iowa'')として翻案し、上演した。 |
*2012年の[[オレゴン・シェイクスピア・フェスティバル]]で、アリソン・ケアリが本作を政治諷刺劇『[[アイオワ州]]ウィンザーのとても陽気な女房たち』(''The Very Merry Wives of Windsor, Iowa'')として翻案し、上演した。 |
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*2012年、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|ヴァンクーヴァー]]のバード・オン・ザ・ビーチのシーズンに、演出家のジョナ・ライトが1968年の[[オンタリオ州]][[ウィンザー (オンタリオ州)|ウィンザー]]に設定を移して上演した。 |
*2012年、[[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|ヴァンクーヴァー]]のバード・オン・ザ・ビーチのシーズンに、演出家のジョナ・ライトが1968年の[[オンタリオ州]][[ウィンザー (オンタリオ州)|ウィンザー]]に設定を移して上演した。 |
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*『不破留寿之太夫』(2014年) - 『ヘンリー四世』二部作及び『ウィンザーの陽気な女房たち』をもとにした文楽の新作で、[[河合祥一郎]]が脚本を執筆し、[[国立劇場]]で2014年9月6日から22日まで上演された<ref>{{Cite web |
*『不破留寿之太夫』(2014年) - 『ヘンリー四世』二部作及び『ウィンザーの陽気な女房たち』をもとにした文楽の新作で、[[河合祥一郎]]が脚本を執筆し、[[国立劇場]]で2014年9月6日から22日まで上演された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ntj.jac.go.jp/kokuritsu/h26/falstaff.html |title=不破留寿之太夫 |publisher=[[日本芸術文化振興会]] |accessdate=2016-04-29}}</ref>。 |
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*﹃[[クリミナル・マインド FBI行動分析課]]﹄のエピソード﹁ヒースリッジ・マナー﹂ ("Heathridge Manor") で、行動分析課が女性を[[ニコチン]]にひたしたドレスで殺害する[[シリアルキラー]]を追う。行動分析課は後でドレスが﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄を上演した地元のプロダクションで使われたものに基づいていることことをつきとめる。ドクター・スペンサー・リードは被害者の顔の化粧がふつうは上流階級のメンバーがするようなものであったこと、﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄は[[ミドルクラス]]についての芝居であることに気付く。さらなる調査で、殺人犯の母は同じ劇団の﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の上演で小さな役を演じたことがあり、テキスタイル業界の女相続人であったことがわかる。殺人犯の母は精神的に問題をかかえており、芝居に出演している他の女優が悪魔の女房であるという妄想を抱いてこの芝居で共演した女優を刺殺していた。この妄想を息子と娘にもうつしていたことがわかる。母は触法精神障害者として病院に収容され、子どもたちは悪魔の女房だと信じて、ニコチンにひたした舞台衣装に基づくドレスを使って女性たちを殺し始めた。
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*﹃[[クリミナル・マインド FBI行動分析課]]﹄のエピソード﹁ヒースリッジ・マナー﹂ ("Heathridge Manor") で、行動分析課が女性を[[ニコチン]]にひたしたドレスで殺害する[[シリアルキラー]]を追う。行動分析課は後でドレスが﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄を上演した地元のプロダクションで使われたものに基づいていることことをつきとめる。ドクター・スペンサー・リードは被害者の顔の化粧がふつうは上流階級のメンバーがするようなものであったこと、﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄は[[ミドルクラス]]についての芝居であることに気付く。さらなる調査で、殺人犯の母は同じ劇団の﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の上演で小さな役を演じたことがあり、テキスタイル業界の女相続人であったことがわかる。殺人犯の母は精神的に問題をかかえており、芝居に出演している他の女優が悪魔の女房であるという妄想を抱いてこの芝居で共演した女優を刺殺していた。この妄想を息子と娘にもうつしていたことがわかる。母は触法精神障害者として病院に収容され、子どもたちは悪魔の女房だと信じて、ニコチンにひたした舞台衣装に基づくドレスを使って女性たちを殺し始めた。
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2023年10月8日 (日) 10:02時点における版
概説
出版は1602年だが、書かれたのは1597年より前だと考えられている。 太っちょ騎士フォルスタッフが主人公で、フォルスタッフは既に﹃ヘンリー四世 第1部﹄と﹃ヘンリー四世 第2部﹄に登場している。 タイトルに含まれている﹁ウィンザー﹂はイングランド、バークシャーにあるウィンザー城への言及である。 ヘンリー4世の治世頃を扱っているはずであるが、一切辻褄合わせなどはせずに同時代のエリザベス朝イングランドの中流階級の生活を扱っており、シェイクスピアとしては唯一の﹁現代劇﹂である。 ヴェルディ﹃ファルスタッフ﹄︵1893年︶、オットー・ニコライ﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄︵1849年︶など、たびたびオペラ化されている。登場人物
あらすじ
この劇では、中世︵1400年頃︶が舞台の﹃ヘンリー四世﹄の登場人物だったサー・ジョン・フォルスタッフを、執筆当時︵1600年頃︶に登場させている。 ウィンザーにやってきたフォルスタッフは金に困っている。そこで、ウィンザーの裕福な女房たち、フォード夫人とペイジ夫人に言い寄ることにする。フォルスタッフは名前だけ変えて内容はまったく同じラブレターを送ることにし、子分のピストルとニムに届けさせようとしたが、2人がそれを拒んだので首にする。ピストルとニムはフォルスタッフの企みを夫のフォードとペイジにばらす。ペイジはさほど心配しないが、嫉妬深いフォードは気にする。そこでフォードは﹁ブルック﹂と偽って、フォルスタッフに紹介してくれるようガーター亭の主人に頼む。 ペイジ夫妻の娘アン・ペイジを得ようとする3人の男︵フェントン、スレンダー、キーズ医師︶がいる。ペイジ夫人はフランス人のキーズ医師との結婚を望むが、ペイジはスレンダーがいいと思っている。しかし、アン本人が好きなのはフェントンである。ペイジは財産を食いつぶしたことでフェントンが気に入らない。 ウェールズ人牧師のヒュー・エヴァンズはスレンダーのために、アンと親しいキーズ博士の使用人クィックリー夫人に協力を求めるが、それをキーズ医師に知られる。キーズ医師はエヴァンズに決闘を申し込む。しかし、ガーター亭の主人がエヴァンズに違う場所を告げ、決闘はなんとか回避される。材源
﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄のいくつかの要素はセル・ジョヴァンニ・フィオレンティーノ︵Ser Giovanni Fiorentino︶の短編集﹃愚か者︵Il Pecorone︶﹄の翻案から取られている。その中の1つは、ウィリアム・ペインター︵William Painter︶の﹃快楽の宮殿︵The Palace of Pleasure︶﹄の中にも含まれている[1]。創作年代とテキスト
作品が作られた時期はわかっておらず、出版の登録がされた1602年より数年前だったと思われる。劇中でミストレス・クィックリーによるガーター勲章への言及があり、さらに1592年イングランドを訪れ、1597年にガーター勲章を受けたドイツの公爵ヴュルテンベルク公フリードリヒ1世についての言及がある[2]。このため、1790年にエドモンド・マローンはこの芝居はガーター騎士団の叙任式のために書かれ、上演されたのではないかと考えた[3]。ウィリアム・グリーンは、シェイクスピアの一座のパトロンであった宮内大臣ジョージ・ケアリーが1597年4月にガーター勲章を授かった時のために書かれたと考えている[4]。もしそうなら、おそらくこの劇は4月23日の祝宴にエリザベス1世が出席した際に上演されたのであろう。しかし、それは初演でなかったかも知れない。一般の劇場で上演されたことも考えられる。 本作がガーター勲章の式典のために書かれた芝居であるという説は推測でしかないが、1702年にジョン・デニス︵John Dennis︶が﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄を脚色した劇︵後述︶の序文に書いた記述もそれを裏付けている。さらに最初の現代版シェイクスピア全集を編集したニコラス・ロウ︵Nicholas Rowe︶によると、﹃ヘンリー四世﹄二部作を見て﹁恋するフォルスタッフ﹂を見たいと願ったエリザベス1世の依頼でシェイクスピアがこの劇を書いたことになっている。しかし、これは100年後の記述なので疑わしくもある。登場人物の設定における矛盾や、結末のいい加減なところは、エリザベス1世がシェイクスピアに劇を書かせたという説を裏付けるものだが、﹃ヘンリー五世﹄以降に書かれたことを意味しているようにも見える。たとえば、登場人物ページのファーストネームは、ある箇所では﹁トーマス﹂ある箇所では﹁ジョージ﹂と呼ばれている。同様に第5幕でアン・ペイジが着る妖精の衣裳にも﹁白衣﹂と﹁緑衣﹂がある。韻文の台詞もシェイクスピアにしては出来が良くない。T・W・クレイクは、エリザベス女王に関する逸話はクォート版のタイトルページに御前上演の記述があることから生まれた単なるファンタジーであると考えている[5]。しかし、ケアリーは女王の望みを役者たちに伝えることができる立場ではあったので、このせいでこうした伝説が生まれたのかもしれない[2]。分析と批評
テーマ
﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の鍵となるテーマは、﹁愛﹂﹁結婚﹂﹁嫉妬﹂﹁報復﹂﹁階級﹂﹁富﹂である。アイロニー、性的ほのめかし、嫌み、階級や国民性に対するステレオタイプな見方などである。シェイクスピア劇としては通常より現代に近いようなものの見方をテーマとして扱っているとも言える。 ﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄はイングランド中流階級の階級偏見を中心に置いている。下層階級を代表するのはバードルフ、ピストル、ニム︵いずれもフォルスタッフの仲間︶であり、上流階級を代表するのはサー・ジョン・フォルスタッフ、フェントンらである。作品の中でシェイクスピアはラテン語と英語の誤用を使って、フランス人やウェールズ人の語り口を表現している。例えば、カイアス医師やサー・ヒュー・エヴァンズの訛りは強調されており、非常にユーモラスなものになっている。カイアスは大げさなフランス風の訛りで話し、エヴァンズはフォルスタッフが文句を言うほど強いウェールズ訛りで話す(5.5.135)。喜劇的効果のほとんどは登場人物間の誤解から生じている。 この芝居においては、性的な嫉妬の扱いが﹃オセロー﹄や﹃冬物語﹄のようなシェイクスピアの他の芝居と違っていると考える学者もいる。レオンティーズやオセローの嫉妬は根深く危険なものであるが、フォードの嫉妬は笑いものにされている。エリザベス朝の突出したテーマとして﹁寝取られ﹂があり、エリザベス朝人は嬉々として夫を裏切って浮気する女性、結婚した男が妻に騙されるといったモチーフを好んでいた。寝取られた夫は﹁wear horns︵嫉妬の角を生やす︶﹂と呼ばれ、たとえそれがフォルスタッフが隠れるbuck-basket︵洗濯籠︶のbuck︵牡鹿︶という言葉であっても、角もしくは角の生えた動物への言及は満場を唸らせたことであろう。上演史
﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄はイングランドの王の空位期間︵English Interregnum︶後の1660年に再開された劇場で上演された最初のシェイクスピア劇の1つである。サミュエル・ピープスは、1660年12月6日、1661年、1667年にキングス・カンパニー︵King's Company︶で上演されたのを見た︵しかしどれも好きではなかった︶と書いている。1702年、デニスがこの劇の脚色︵それは﹁改悪﹂と呼ばれた︶を依頼され、﹃滑稽な伊達男︵The Comical Gallant, or the Amours of Sir John Falstaff︶ ﹄を書いたが、それは失敗作だった。1824年はフレデリック・レイノルズがヘンリー・ローリー・ビショップとのオペラ翻案シリーズに﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄を加えた。チャールズ・キーン︵Charles Kean︶は1851年にシェイクスピアのテキストに戻して公演した[10]。アーサー・サリヴァンは1874年、ロンドンのゲイエテイ座の公演で第五幕で使用するための付随音楽を作曲し、これは1889年のヘイマーケット座の公演でも使われた[11]。 第一次世界大戦中のイングランドの反独感情の時代には、王家のサクス=コバーグ=ゴータ家がウィンザー家になるなど、多くのドイツ語名とタイトルが英語的な響きのものに改められた。ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、﹁ザクセン=コーブルク=ゴータの陽気な女房たち﹂の公演を観るために出かけた、という冗談でそれに対抗した[12]。アダプテーション︵脚色・翻案︶
●﹃滑稽な伊達男﹄︵1702年︶ - ジョン・デニスによる改訂・脚色版。 ●﹃ファルスタッフ﹄︵1799年︶ - アントニオ・サリエリ作曲のオペラ・ブッファ。台本はCarlo Prospers Defranchesi。 ●﹃フォルスタッフ﹄︵1838年︶ - マイケル・ウィリアム・バルフのオペラ。 ●﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄︵1849年︶ - ドイツの作曲家オットー・ニコライ作曲のジングシュピール。このオペラ(ジングシュピール)はドイツ語の台詞を多数含み、登場人物の場前もドイツ風に変えられている。物語はフェントンとアンのロマンスをより強調している。フォルスタッフの女装の場面を含む唯一の翻案である。 ●﹃ファルスタッフ﹄︵1893年︶ - ジュゼッペ・ヴェルディの最後のオペラ。台本はアッリーゴ・ボーイト。この劇を基にしたものだが、大部分のオペラ同様に登場人物と筋に相違がある。例えば、アン︵ナネッタと呼ばれている︶はペイジ夫人ではなくフォード夫人の娘で、父によってカイアス医師と婚約させられており、フォード夫人とペイジがフェントンとの駆け落ちを手助けしようとたくらむ。ペイジ氏、スレンダー、シャロー。サー・ヒュー・エヴァンズなどの多くの人物は出てこない。フォルスタッフのキャラクターを具体的にするため、台本作家のボーイトは﹃ヘンリー四世﹄二部作からいくつか素材をとってきており、﹃ヘンリー四世 第1部﹄第一幕第二場の﹁名誉﹂に関する有名な独白なども台本に含んでいる。本作は広く﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の最良のオペラ化であり、偉大な喜劇的オペラのひとつと広く見なされている。 ●﹃恋するサー・ジョン﹄︵1924年 - 1928年︶ - イギリスの作曲家レイフ・ヴォーン・ウィリアムズのオペラ。台本の大部分はシェイクスピアのテクストから直接とられており、オペラ化としては最も原作に忠実である。全てのキャラクターを登場させ胃、カイアス医師とサー・ヒュー・エヴァンズの決闘などの脇筋も保持している唯一の版である。 ●﹃法螺侍﹄︵1999年︶ - 高橋康也による狂言への翻案であり、新宿のスペース・ゼロで1999年に野村万作及び野村萬斎の出演で初演され、2009年に東京芸術劇場で再演された[13]。 ●2012年、ロンドンのシェイクスピアズ・グローブで実施されたグローブ・トゥ・グローブ・フェスティバルで、ジョシュア・オグトゥによるスワヒリ語版が上演された。 ●2012年のオレゴン・シェイクスピア・フェスティバルで、アリソン・ケアリが本作を政治諷刺劇﹃アイオワ州ウィンザーのとても陽気な女房たち﹄(The Very Merry Wives of Windsor, Iowa)として翻案し、上演した。 ●2012年、ヴァンクーヴァーのバード・オン・ザ・ビーチのシーズンに、演出家のジョナ・ライトが1968年のオンタリオ州ウィンザーに設定を移して上演した。 ●﹃不破留寿之太夫﹄︵2014年︶ - ﹃ヘンリー四世﹄二部作及び﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄をもとにした文楽の新作で、河合祥一郎が脚本を執筆し、国立劇場で2014年9月6日から22日まで上演された[14]。 ●﹃クリミナル・マインド FBI行動分析課﹄のエピソード﹁ヒースリッジ・マナー﹂ ("Heathridge Manor") で、行動分析課が女性をニコチンにひたしたドレスで殺害するシリアルキラーを追う。行動分析課は後でドレスが﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄を上演した地元のプロダクションで使われたものに基づいていることことをつきとめる。ドクター・スペンサー・リードは被害者の顔の化粧がふつうは上流階級のメンバーがするようなものであったこと、﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄はミドルクラスについての芝居であることに気付く。さらなる調査で、殺人犯の母は同じ劇団の﹃ウィンザーの陽気な女房たち﹄の上演で小さな役を演じたことがあり、テキスタイル業界の女相続人であったことがわかる。殺人犯の母は精神的に問題をかかえており、芝居に出演している他の女優が悪魔の女房であるという妄想を抱いてこの芝居で共演した女優を刺殺していた。この妄想を息子と娘にもうつしていたことがわかる。母は触法精神障害者として病院に収容され、子どもたちは悪魔の女房だと信じて、ニコチンにひたした舞台衣装に基づくドレスを使って女性たちを殺し始めた。参考文献
日本語訳テキスト
●ウィンザーの陽気な女房 - 訳‥坪内逍遥︵中央公論社 1934 新樹社︶ ●訳‥三神勲・西川正身︵河出書房・市民文庫、1952 筑摩書房・筑摩世界文学大系16︶ ●訳‥大山敏子︵旺文社文庫︶1978 ●訳‥小田島雄志、解説‥村上淑郎︵白水社,1978・のち白水Uブックス︶ ●訳‥松岡和子︵ちくま文庫︶2001脚注
- ^ Van Santvoord, George, editor, The Merry Wives of Windsor (New Haven: Yale University Press, 1922): 119.
- ^ a b Duncan-Jones, Katherine (2001). Ungentle Shakespeare: scenes from his life. London: Arden Shakespeare. pp. 97–8. ISBN 1-903436-26-5
- ^ Craik, T. W. (ed.) (2008). “Introduction”. In Shakespeare, William. The Merry Wives of Windsor. Oxford: Oxford University Press. p. 3. ISBN 978-0-19-953682-5
- ^ Green, William (1962). Shakespeare's 'Merry Wives of Windsor'. Princeton. pp. 58–59
- ^ Craik, T. W. (ed.) (2008). “Introduction”. In Shakespeare, William. The Merry Wives of Windsor. Oxford: Oxford University Press. pp. 4–5. ISBN 978-0-19-953682-5
- ^ T.W. Craik (ed.), The Merry Wives of Windsor (Oxford: Oxford University Press, 1990), 1–13. See also H.J. Oliver (ed.). The Merry Wives of Windsor (London: Arden, 1972), lv and Leslie Hotson Shakespeare versus Shallow (London: Kessinger, 2003), 111–122.
- ^ Bate, Jonathan; Rasmussen, Eric (2011). The Merry Wives of Windsor. Basingstoke, England: Macmillan. pp. 5–6. ISBN 978-0-230-28411-1
- ^ Scoufos, Shakespeare's Typological Satire, p. 191.
- ^ Leslie Hotson, Shakespeare Versus Shallow, Little, Brown, and Company,1931, p.112.
- ^ F. E. Halliday, A Shakespeare Companion 1564-1964, Baltimore, Penguin, 1964; p. 314.
- ^ Sullivan's incidental music to The Merry Wives of Windsor, The Gilbert and Sullivan Archive, accessed 5 January 2010
- ^ Geoffrey Dennis, Coronation Commentary, Dodd, Mead and Company, New York, 1937, p.40.
- ^ “シェイクスピア×狂言『法螺侍』 10年振りに再演!”. 万作の会 (2009年7月22日). 2016年4月29日閲覧。
- ^ “不破留寿之太夫”. 日本芸術文化振興会. 2016年4月29日閲覧。
外部リンク
- The Merry Wives of Windsor - HTML version of this title.
- The Merry Wives of Windsor - plain vanilla text from Project Gutenberg
- The Merry Wives of Windsor - Searchable, scene-indexed version of the play.
- Photographs of a production of The Merry Wives of Windsor
- Royal Shakespeare Company photos and information relating to performances and background of The Merry Wives of Windsor through the years
- RSC Plot Summary and list of performances and actors
- The Merry Wives at Shakespeares Globe (Daily Mail UK)
- 劇団シェイクスピア・シアター