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「エリザベス1世 (イングランド女王)」の版間の差分

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| 各国語表記 = Elizabeth I

| 各国語表記 = Elizabeth I

| 君主号 = [[イングランド君主一覧|イングランド女王]]

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| 出生日 = [[1533年]][[9月7日]]

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| 生地 = {{ENG927}}<br />[[グリニッジ]]<br />プラセンティア宮殿

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| 死亡日 = [[1603]][[324]] 69歳

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| 没地 = {{ENG927}}<br />[[ロンドン]]<br />リッチモンド宮殿

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| 埋葬日 = [[1603年]][[4月28日]]

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| 父親 = [[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]

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| 母親 = [[アン・ブーリン]]

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| サイン = Autograph of Elizabeth I of England.svg

| サイン = Autograph of Elizabeth I of England.svg

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'''エリザベス1世'''({{lang-en-short|Elizabeth I}}、[[ユリウス暦]][[1533年]][[9月7日]] - [[グレゴリオ暦]][[1603年]][[4月3日]](ユリウス暦1602/3年[[3月24日]]<ref>{{Cite web |title=Elizabeth I {{!}} Biography, Facts, Mother, & Death {{!}} Britannica |url=https://www.britannica.com/biography/Elizabeth-I |website=www.britannica.com |access-date=2023-04-08 |language=en}}</ref>{{Efn|エリザベス1世在位中の[[1582年]]に、[[ローマ教皇]][[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]はユリウス暦から[[グレゴリオ暦]]に{{仮リンク|インテル・グラヴィッシーマス|en|Inter gravissimas|label=改暦}}を行っており、Wikipedia日本語版表記ガイドでは、西暦年月日について改暦日(1582年10月15日)より前についてはユリウス暦を、改暦日以後についてはグレゴリオ暦を表記することとしている。しかしイングランド王国はグレゴリオ暦を採用しようとせず、最終的に[[グレートブリテン王国]]としての{{仮リンク|1750年改暦法|en|Calendar (New Style) Act 1750}}の施行([[1751年]])まで、ユリウス暦を使用していたという顕著な歴史を持つ。そこで、本記事においては、断り書きが無い限り、原則としてすべて1月1日を年初とするユリウス暦を用いて記述することにする。なお、現実にイングランド王国の用いていたユリウス暦は伝統的に3月25日を年初としており、1月1日から3月24日までの出来事に関しては、資料によっては、本記事の記載より西暦年が1年小さく記述されていることに注意が必要である。

'''エリザベス1世'''({{lang-en-short|Elizabeth I}}、[[ユリウス暦]][[1533年]][[9月7日]] - [[グレゴリオ暦]][[1603年]][[4月3日]](ユリウス暦1602/3年[[3月24日]]<ref>{{Cite web |title=Elizabeth I {{!}} Biography, Facts, Mother, & Death {{!}} Britannica |url=https://www.britannica.com/biography/Elizabeth-I |website=www.britannica.com |access-date=2023-04-08 |language=en}}</ref>{{Efn|エリザベス1世在位中の[[1582年]]に、[[ローマ教皇]][[グレゴリウス13世 (ローマ教皇)|グレゴリウス13世]]はユリウス暦から[[グレゴリオ暦]]に{{仮リンク|インテル・グラヴィッシーマス|en|Inter gravissimas|label=改暦}}を行っており、Wikipedia日本語版表記ガイドでは、西暦年月日について改暦日(1582年10月15日)より前についてはユリウス暦を、改暦日以後についてはグレゴリオ暦を表記することとしている。しかしイングランド王国はグレゴリオ暦を採用しようとせず、最終的に[[グレートブリテン王国]]としての{{仮リンク|1750年改暦法|en|Calendar (New Style) Act 1750}}の施行([[1751年]])まで、ユリウス暦を使用していたという顕著な歴史を持つ。そこで、本記事においては、断り書きが無い限り、原則としてすべて1月1日を年初とするユリウス暦を用いて記述することにする。なお、現実にイングランド王国の用いていたユリウス暦は伝統的に3月25日を年初としており、1月1日から3月24日までの出来事に関しては、資料によっては、本記事の記載より西暦年が1年小さく記述されていることに注意が必要である。

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この期間の出来事に関しては、冒頭の死去日に示した1602/3年のように記すのが誤解を招かない丁寧な表記であるが、記事中すべての該当年表記に付すのは煩雑に過ぎるため、他の部分では省略する。}}))は、[[イングランド王国|イングランド]]と[[アイルランド王国|アイルランド]]の女王(在位:[[1558年]] - [[1603年]])。[[テューダー朝]]第5代{{Efn|ごく短期間在位した[[ジェーン・グレイ]]を加えれば第6代。}}にして最後の君主。彼女の統治した時代は、とくに'''[[エリザベス朝]]'''と呼ばれ、イングランドの黄金期と言われている。

この期間の出来事に関しては、冒頭の死去日に示した1602/3年のように記のが誤解を招かない丁寧な表記であるが、記事中ての該当年表記に付すのは煩雑に過ぎるため、他の部分では省略する。}}))は、[[イングランド王国|イングランド]]と[[アイルランド王国|アイルランド]]の女王(在位:[[1558年]] - [[1603年]])。[[テューダー朝]]第5代{{Efn|ごく短期間在位した[[ジェーン・グレイ]]を加えれば第6代。}}にして最後の君主。彼女の統治した時代は、とくに'''[[エリザベス朝]]'''と呼ばれ、イングランドの黄金期と言われている。




[[8 ()|8]][[1 ()|1]][[6 ()|6]][[]]''''''''The Virgin Queen'' / ''''''''Gloriana'' / ''''''''Good Queen Bess'' / 

[[8 ()|8]][[1 ()|1]][[6 ()|6]][[]]''''''''The Virgin Queen'' / ''''''''Gloriana'' / ''''''''Good Queen Bess'' / 


== 概要 ==

== 概要 ==

[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の王女として生まれたが、2年半後に母[[アン・ブーリン]]が処刑されたため、[[庶子]]とされた。弟の[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]は[[ジェーン・グレイ]]への王位継承に際して姉たちの王位継承権を無効としている。続くカトリックの[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]の治世ではエリザベスは[[プロテスタント]]の反乱を計画したと疑われて1年近く投獄されたものの、1558年にメアリー1世が[[崩御]]すると王位を継承した。

[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の王女としてたが、2年半後に母[[アン・ブーリン]]が処刑されたため、[[庶子]]とされた。弟の[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]は[[ジェーン・グレイ]]への王位継承に際して姉たちの王位継承権を無効としている。続く[[カトリック教会|カトリック]]の[[メアリー1世 (イングランド女王)|メアリー1世]]の治世ではエリザベスは[[プロテスタント]]の反乱を計画したと疑われて1年近く投獄されたものの、1558年にメアリー1世が[[崩御]]すると王位を継承した。




[[ ()|]][[]]{{||en|Act_of_Uniformity_1559}}[[]]

[[ ()|]][[]]{{||en|Act_of_Uniformity_1559}}[[]]
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エリザベスの洗礼式は[[9月10日]]にグリニッジ宮殿で挙行された。大主教[[トマス・クランマー]]が名親に{{ill|エリザベス・スタッフォード|en|Elizabeth Stafford, Duchess of Norfolk|label=ノーフォーク公爵未亡人}}そして{{ill|マーガレット・ワットン (ドーセット侯爵夫人)|en|Margaret Wotton, Marchioness of Dorset|label=ドーセット侯爵夫人}}、{{ill|ガートルード・コートニー|en|Gertrude Courtenay, Marchioness of Exeter|label=エクセター侯爵夫人}}が[[代父母|代母]]となった{{Sfn|ヒバート|1998a|p=22}}。

エリザベスの洗礼式は[[9月10日]]にグリニッジ宮殿で挙行された。大主教[[トマス・クランマー]]が名親に{{ill|エリザベス・スタッフォード|en|Elizabeth Stafford, Duchess of Norfolk|label=ノーフォーク公爵未亡人}}そして{{ill|マーガレット・ワットン (ドーセット侯爵夫人)|en|Margaret Wotton, Marchioness of Dorset|label=ドーセット侯爵夫人}}、{{ill|ガートルード・コートニー|en|Gertrude Courtenay, Marchioness of Exeter|label=エクセター侯爵夫人}}が[[代父母|代母]]となった{{Sfn|ヒバート|1998a|p=22}}。




[[1534]][[1536]]2[[]][[1536]][[519]][[]]{{sfn|Loades|2003|pp=6-7}}{{sfn|Haigh|2000|pp=1-3}}

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この時、2歳8か月だったエリザベスは庶子とされ、王女の称号を剥奪された{{Efn|1536年法はこう定めている:エリザベスは「庶子である。…国王の直系の…いかなる合法的な継承者としての主張、異議申し立て、請求も完全に剥奪、除外そして禁止する。」エリザベスは彼女の母親が死に彼女の名前が変わったことを知らされていなかった。非常に利口な子供だった彼女は養育係にこう尋ねている「先生、何があったの?昨日の私は王女様 (Lady Princess)。今日の私はレディ・エリザベス (Lady Elizabeth)?」{{sfn|Somerset|2003|p=10}}}}。 アン・ブーリンの死の11日後にヘンリー8世は[[ジェーン・シーモア]]と再婚したが{{efn|「ヘンリー8世が妻を姦通罪で処分し、何人かの彼女の友人を断頭台へ送り、彼女の子を私生児とし、新たな王妃を得るのに1カ月で済んだ。これが枢密院、教会そして法律を己の意思で動かすテューダー王家の権力である。」{{sfn|Haigh|2000|p=1}}}}、彼女は王子[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード]]を生んだ12日後に死去している。エリザベスはエドワードの邸宅に住まい、彼の洗礼式の際には白衣{{enlink|chrisom}}または洗礼衣を捧持している{{sfn|Loades|2003|pp=7-8}}。

この時、2歳8か月だったエリザベスは庶子とされ、王女の称号を剥奪された{{Efn|1536年法はこう定めている:エリザベスは「庶子である。…国王の直系の…いかなる合法的な継承者としての主張、異議申し立て、請求も完全に剥奪、除外そして禁止する。」エリザベスは彼女の母親が死に彼女の名前が変わったことを知らされていなかった。非常に利口な子供だった彼女は養育係にこう尋ねている「先生、何があったの?昨日の私は王女様 (Lady Princess)。今日の私はレディ・エリザベス (Lady Elizabeth)?」{{sfn|Somerset|2003|p=10}}}}。 アン・ブーリンの死の11日後にヘンリー8世は[[ジェーン・シーモア]]と再婚したが{{efn|「ヘンリー8世が妻を姦通罪で処分し、何人かの彼女の友人を断頭台へ送り、彼女の子を私生児とし、新たな王妃を得るのに1カ月で済んだ。これが枢密院、教会そして法律を己の意思で動かすテューダー王家の権力である。」{{sfn|Haigh|2000|p=1}}}}、彼女は王子[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード]]を生んだ12日後に死去している。エリザベスはエドワードの邸宅に住まい、彼の洗礼式の際には白衣{{enlink|chrisom}}または洗礼衣を捧持している{{sfn|Loades|2003|pp=7-8}}。

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=== エドワード6世の治世とトマス・シーモア事件 ===

=== エドワード6世の治世とトマス・シーモア事件 ===

[[File:Thomas Seymour, Baron Seymour from NPG.jpg|thumb|200px|トマス・シーモア]]

[[File:Thomas Seymour, Baron Seymour from NPG.jpg|thumb|200px|トマス・シーモア]]

[[1547年]]、エリザベスが13歳の時に父ヘンリー8世が崩御し、幼異母弟の[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]が即位した。母方の伯父[[エドワード・シーモア (初代サマセット公)|ハフォード伯エドワード・シーモア]]はサマセット公爵に叙され[[護国卿|保護卿]](摂政)となって実権を握り、その弟の[[トマス・シーモア]]はスードリーのシーモア男爵に叙され[[海軍本部 (イギリス)#主な役職|海軍卿]]になった。プロテスタント貴族に取り巻かれたエドワード6世は急進的なプロテスタント化政策を推し進めることになる{{sfn|松田|1961|pp=493-495}}。

[[1547年]]、エリザベスが13歳の時に父ヘンリー8世が崩御し、幼少である異母弟の[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]が即位した。母方の伯父[[エドワード・シーモア (初代サマセット公)|ハフォード伯エドワード・シーモア]]はサマセット公爵に叙され[[護国卿|保護卿]](摂政)となって実権を握り、その弟の[[トマス・シーモア]]はスードリーのシーモア男爵に叙され[[海軍本部 (イギリス)#主な役職|海軍卿]]になった。プロテスタント貴族に取り巻かれたエドワード6世は急進的なプロテスタント化政策を推し進めることになる{{sfn|松田|1961|pp=493-495}}。



ヘンリー8世最後の王妃であったキャサリン・パーは程なくトマス・シーモアと再婚する。夫妻はエリザベスを[[チェルシー (ロンドン)|チェルシー]]の邸宅に引き取った。シーモアは40歳に近かったが魅力的で「強いセックスアピール」を有しており{{sfn|Loades|2003|p=11}}、14歳のエリザベスも彼に強く惹かれ{{sfn|スターキー|2006|p=106}}、シーモアは寝間着姿でエリザベスの寝室に入り込んだり、馴れ馴れしく彼女の臀部を叩いたり{{sfn|ヒバート|1998a|pp=56-58}}といった性的な悪戯に興じていた。キャサリンも当初は二人の関係を黙認どころか積極的に手を貸していた{{sfn|スターキー|2006|p=101}}が、あまりに度を越した二人の親密ぶりに我慢がならなくなり{{efn|ケイト・アシュリーはもう一人のエリザベスの召使トマス・パリーに「王妃様(キャサリン)は夫がエリザベスを抱いているところに偶然出会った時、彼女は2人を我慢ならなくなった」と語っている{{sfn|Somerset|2003|p=11}}。}}、[[1548年]]5月にエリザベスは追い出されチェシャントにある{{仮リンク|アンソニー・デニー|en|Anthony Denny}}(ケイト・アシュリーの義兄)の屋敷に移った{{sfn|Loades|2003|p=16}}。歴史家の中にはこの事件が彼女の人生に悪影響を残したと考える者もいる{{sfn|Loades|2003|p=11}}。

ヘンリー8世最後の王妃であったキャサリン・パーは程なくトマス・シーモアと再婚する。夫妻はエリザベスを[[チェルシー (ロンドン)|チェルシー]]の邸宅に引き取った。シーモアは40歳に近かったが魅力的で「強いセックスアピール」を有しており{{sfn|Loades|2003|p=11}}、14歳のエリザベスも彼に強く惹かれ{{sfn|スターキー|2006|p=106}}、シーモアは寝間着姿でエリザベスの寝室に入り込んだり、馴れ馴れしく彼女の臀部を叩いたり{{sfn|ヒバート|1998a|pp=56-58}}といった性的な悪戯に興じていた。キャサリンも当初は二人の関係を黙認どころか積極的に手を貸していた{{sfn|スターキー|2006|p=101}}が、あまりに度を越した二人の親密ぶりに我慢がならなくなり{{efn|ケイト・アシュリーはもう一人のエリザベスの召使トマス・パリーに「王妃様(キャサリン)は夫がエリザベスを抱いているところに偶然出会った時、彼女は2人を我慢ならなくなった」と語っている{{sfn|Somerset|2003|p=11}}。}}、[[1548年]]5月にエリザベスは追い出されチェシャントにある{{仮リンク|アンソニー・デニー|en|Anthony Denny}}(ケイト・アシュリーの義兄)の屋敷に移った{{sfn|Loades|2003|p=16}}。歴史家の中にはこの事件が彼女の人生に悪影響を残したと考える者もいる{{sfn|Loades|2003|p=11}}。

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=== 宗教問題の解決 ===

=== 宗教問題の解決 ===

[[File:Bishops Bible Elizabeth I 1569.jpg|thumb|200px|1596年版[[主教聖書]]{{enlink|Bishops' Bible}}の表紙に描かれたエリザベス1世。]]

[[File:Bishops Bible Elizabeth I 1569.jpg|thumb|200px|1596年版[[主教聖書]]{{enlink|Bishops' Bible}}の表紙に描かれたエリザベス1世。]]


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エリザベスと枢密院はカトリックにとっての異端であるイングランドへの[[十字軍]]の脅威を認識していた。それ故にエリザベスはカトリックを大きく刺激せずにイングランド・プロテスタントの希望を処理する解決法を模索した。そのために彼女はより急進的な改革を求める[[ピューリタン]]思想には寛容ではなかった<ref>{{citebook |title=[[:en:This Sceptred Isle]] 1547-1660 |chapter=Disc 1 |isbn=0563557699 |last1=Lee |first1=Christopher |date=1995, 1998}}</ref>。その結果、1559年議会はエドワード6世のプロテスタント政策{{enlink|Edward VI of England#Reformation|en}}(国王を教会の首長とするが、聖職者の法衣などに多くのカトリックの要素を残している)に基づく教会法の制定に着手した{{sfn|Loades|2003|p=46}}。

エリザベスと枢密院はカトリックにとっての異端であるイングランドへの[[十字軍]]の脅威を認識していた。それ故にエリザベスはカトリックを大きく刺激せずにイングランド・プロテスタントの希望を処理する解決法を模索した。そのために彼女はより急進的な改革を求める[[ピューリタン]]思想には寛容ではなかった<ref>{{citebook |title=[[:en:This Sceptred Isle]] 1547-1660 |chapter=Disc 1 |isbn=0563557699 |last1=Lee |first1=Christopher |date=1995, 1998}}</ref>。その結果、1559年議会はエドワード6世のプロテスタント政策{{enlink|Edward VI of England#Reformation|en}}(国王を教会の首長とするが、聖職者の法衣などに多くのカトリックの要素を残している)に基づく教会法の制定に着手した{{sfn|Loades|2003|p=46}}。

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1563年には[[39箇条|39カ条信仰告白]]がつくられ、イングランド国教会体制が確立した{{Sfn|成瀬|1978|p=177}}。

1563年には[[39箇条|39カ条信仰告白]]が制定され、イングランド国教会体制が確立した{{Sfn|成瀬|1978|p=177}}。



=== 結婚問題 ===

=== 結婚問題 ===

[[File:Elizabeth1England.jpg|thumb|200px|right|ウィリアム・シーガーまたはジョージ・ガワーが描いたエリザベスの肖像(1585年)]]

エリザベスの治世から彼女の結婚が待望されたが、誰と結婚するかが問題となっていた。数多くの求婚があったものの彼女が結婚することはなく、その理由は明らかではない。歴史家たちはトマス・シーモアとの一件が彼女に性的関係を厭わせた、もしくは自身が[[不妊|不妊体質]]であると知っていたと推測している{{sfn|Loades|2003|p=38}}{{sfn|Haigh|2000|p=19}}。

エリザベスの治世初から彼女の結婚が待望されたが、誰が女王の婿になるかが問題となっていた。数多くの男性からの求婚があったものの彼女が結婚することはなく、生涯独身を貫いた理由は明らかではない。歴史家たちはトマス・シーモアとの一件が彼女に性的関係を厭わせた、もしくは自身が[[不妊|不妊体質]]であると知っていたと推測している{{sfn|Loades|2003|p=38}}{{sfn|Haigh|2000|p=19}}。




1{{sfn||2000a|pp=404-405}}{{Sfn|西|1988}}{{Sfn||1979|p=40}}[[]]8{{Sfn||1979|p=38}}{{sfn|Loades|2003|p=39}}

1{{sfn||2000a|pp=404-405}}{{Sfn|西|1988}}{{Sfn||1979|p=40}}[[]]8{{Sfn||1979|p=38}}{{sfn|Loades|2003|p=39}}
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[[ファイル:Robert Dudley Elizabeth Dancing.jpg|250px|thumb|ダドリーと踊るエリザベス]]

[[ファイル:Robert Dudley Elizabeth Dancing.jpg|250px|thumb|ダドリーと踊るエリザベス]]


[[1560]]9{{sfn|Somerset|2003|pp=166-167}}{{Efn| {{Sfn|Doran|1996|p=44}}[[]]2000{{||en|The National Archives}}{{sfn|Skidmore|2010|pp=230-233}}}} [[]]{{||en|Nicholas Throckmorton}}<ref>Wilson, 126-128</ref>{{Sfn|Doran|1996|p=45}}

[[1560]]9{{sfn|Somerset|2003|pp=166-167}}{{Efn| {{Sfn|Doran|1996|p=44}}[[]]2000{{||en|The National Archives}}{{sfn|Skidmore|2010|pp=230-233}}}} [[]]{{||en|Nicholas Throckmorton}}<ref>Wilson, 126-128</ref>{{Sfn|Doran|1996|p=45}}


この後、他に幾つか結婚の話はあったが、ロバート・ダドリーは10年近く候補と見なされ続けている{{Sfn|Doran|1996|p=212}}。エリザベス自身は彼と結婚する意志が無くなった後でも、彼の恋愛にはひどく嫉妬した{{Sfn|Adams|2002|pp=146, 384}}。[[1564年]]にエリザベスはダドリーを[[レスター伯|レスター伯爵]]に叙した。結局、彼は[[1578年]]に再婚しており、この結婚にエリザベスは幾度も不機嫌を示し、彼の妻である{{仮リンク|レティス・ノウルズ|en|Lettice Knollys}}を生涯憎んだ{{Sfn|Hammer|1999|p=46}}{{Sfn|Jenkins|2002|pp=245, 247}}。しかし依然としてダドリーは「(エリザベスの)情緒生活の中心であり続けた」と歴史家{{仮リンク|スーザン・ドーラン|en|Susan Doran}}は述べている{{Sfn|Doran|2003a|p=61}}。彼は[[アルマダの海戦]]のすぐ後に死去し、そしてエリザベスの死後、彼女の私物の中から「彼からの最後の手紙」と自筆されたダドリーからの手紙が発見されている<ref>Wilson, 303.</ref>。

この後、他に幾つか結婚の話はあったが、ロバート・ダドリーは10年近く候補と見なされ続けている{{Sfn|Doran|1996|p=212}}。エリザベス自身は彼と結婚する意志が無くなった後でも、彼の恋愛にはひどく嫉妬した{{Sfn|Adams|2002|pp=146, 384}}。[[1564年]]にエリザベスはダドリーを[[レスター伯|レスター伯爵]]に叙した。結局、彼は[[1578年]]に再婚しており、この結婚にエリザベスは幾度も不機嫌を示し、彼の妻である{{仮リンク|レティス・ノウルズ|en|Lettice Knollys}}を生涯憎んだ{{Sfn|Hammer|1999|p=46}}{{Sfn|Jenkins|2002|pp=245, 247}}。しかし依然としてダドリーは「(エリザベスの)情緒生活の中心であり続けた」と歴史家{{仮リンク|スーザン・ドーラン|en|Susan Doran}}は述べている{{Sfn|Doran|2003a|p=61}}。彼は[[アルマダの海戦]]のすぐ後に死去し、そしてエリザベスの死後、彼女の私物の中から「彼からの最後の手紙」と自筆されたダドリーからの手紙が発見されている<ref>Wilson, 303.</ref>。

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この時期がしばしば、エリザベスの「第二期治世」と呼ばれる由縁<ref>{{harvnb|Adams|2002|p=7}}; {{Harvnb|Hammer|1999|p=1}}; {{Harvnb|Collinson|2007|p=89}}</ref>は[[1590年代]]のエリザベスの統治体制である[[枢密院 (イギリス)|枢密院]]の性格の違いによる。新たな世代が台頭していた。バーリー卿を別として、ほとんどの有力な政治家が1590年前後に世を去り、レスター伯は1588年、フランシス・ウォルシンガム卿は1590年、{{仮リンク|クリストファー・ハットン|en|Christopher Hatton}}卿は[[1591年]]に死去していた{{sfn|Collinson|2007|p=89}}。1590年代以前には目立っては存在しなかった{{Sfn|Doran|1996|p=216}}政府内の派閥闘争が際立った特徴となっている{{Sfn|Hammer|1999|pp=1-2}}。国家における最有力の地位をめぐるエセックス伯と[[ロバート・セシル (初代ソールズベリー伯)|ロバート・セシル]](バーリー卿の子息)そして各々の支持者間の激しい闘争が政治を損なった{{Sfn|Hammer|1999|pp=1, 9}}。エリザベスが信頼する医師ロペス博士の事件でも明らかなように、女王個人の権威は軽んじられていた{{Sfn|Hammer|1999|pp=9-10}}。エセックス伯の個人的な悪意によってロペス博士が反逆罪で告発された時、彼女はこの逮捕を怒り、無実であると信じていたにもかかわらず、処刑を止めることができなかった{{sfn|Lacey|1971|pp=117-120}}。

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2024年5月18日 (土) 18:45時点における版

エリザベス1世
Elizabeth I
イングランド女王

在位 1558年11月17日 - 1603年3月24日
戴冠式 1559年1月15日
別号 アイルランド女王

出生 1533年9月7日
イングランド王国の旗 イングランド王国
グリニッジ
プラセンティア宮殿
死去 (1603-03-24) 1603年3月24日(69歳没)
イングランド王国の旗 イングランド王国
ロンドン
リッチモンド宮殿
埋葬 1603年4月28日
イングランド王国の旗 イングランド王国
ウェストミンスター寺院
家名 テューダー家
王朝 テューダー朝
父親 ヘンリー8世
母親 アン・ブーリン
宗教 イングランド国教会
サイン
テンプレートを表示

1: Elizabeth I153397 - 1603431602/3324[1][ 1]1558 - 16035[ 2]

816The Virgin Queen / Gloriana / Good Queen Bess / 


8261115581





[2]"video et taceo" [3]

158820[4]



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1546

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[ 4]15339734殿[14]82[15][16]

910殿[17]

15341536221536519[18][19]

28[ 5] 118[ 6]12 (chrisom) [22]

821543[23][24]1544 (The Miroir or Glasse of the Synneful Soul) [25][26]

[ 7][28]1537退15451546[ 8]15371565[30]1544[ 9]1548[32]1550[33]

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155812[67]101161[68][69][66]111117殿[70]

1

1使[71][72]11823 "A Domino factum est istud, et est mirabile in oculis nostris"

[73] (Master of the Horse) 

15581120

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[74] 1559115姿[75][76]

1596 (Bishops' Bible) 1



[77]15596 (en) [78]

[ 17][ 18] (Supreme Head)  (Supreme Governor) [81]155958[82]11552使使[83]

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戦争と外交


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アルマダの海戦

『スペイン無敵艦隊の敗北』フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ画。
背景に描かれているスペイン無敵艦隊に対する勝利(1588年)を祝うエリザベス1世の肖像画。エリザベスの手は地球儀に置かれ、彼女の国際的な力を象徴している。

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殿42841 Regno consortes & urna, hic obdormimus Elizabetha et Maria sorores, in spe resurrectionis

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  • 1582年10月15日(グレゴリオ改暦日)以降における参考事項の日付のみグレゴリオ暦とした。残りの日付は、1月1日を年初とするユリウス暦である。
  • 年齢は満年齢。
西暦

エリザベス1世 / イングランド関連事項 参考事項
1533年 0 (9月7日)グリニッジ宮殿で出生。

(11月)ヘンリー8世国王至上法を発布し、ローマ教皇と断絶。

1535年 2 (7月6日)トマス・モア処刑。
1536年 3 (5月19日)母アン・ブーリンが処刑される。

(5月30日)父・ヘンリー8世がジェーン・シーモアと結婚。 (7月)第一継承法により庶子となり、王位継承権を剥奪される。

1537年 4 10月12日)弟エドワード出生。数日後に王妃ジェーン・シーモアが死去。
1540年 7 (1月6日)ヘンリー8世がアン・オブ・クレーヴズと結婚。

(7月9日)ヘンリー8世が王妃アン・オブ・クレーヴズを離婚。 (7月28日)ヘンリー8世がキャサリン・ハワードと結婚。

9月27日)ローマ教皇パウルス3世イエズス会を認可。
1541年 8 ジャン・カルヴァンが教会規則を制定。ジュネーヴでの宗教改革に着手。
1542年 9 (2月13日)王妃キャサリン・ハワードが姦通罪で処刑される。 (12月8日)メアリー・ステュアート出生。生後6日でスコットランド王位を継承。
1543年 10 (7月12日)ヘンリー8世がキャサリン・パーと結婚。

(7月)第三継承法により、王位継承権が復活。

1544年 11 (12月20日)王妃キャサリン・パーへ『罪深い魂の鏡英語版』の英訳書を贈呈。
1545年 12 (3月15日)トリエント公会議召集。
1547年 14 (1月28日)ヘンリー8世死去。異母弟エドワード6世即位。

(5月ごろ)王太后キャサリン・パーが海軍卿トマス・シーモアと再婚。 (5月以降)トマス・シーモア夫妻に引き取られる。

1548年 15 (9月5日)キャサリン・パー死去。
1549年 16 (1 - 3月)トマス・シーモア事件。関与を疑われる。
1553年 20 (7月6日)エドワード6世死去。

(7月10日 - 19日)ジェーン・グレイが即位するが9日で廃位。異母姉メアリー1世即位。

1554年 21 (1 - 2月)ワイアットの乱

318 522

71015
1555年 22 メアリー1世のプロテスタント迫害が始まる。

(5月)軟禁を解かれ、ハットフィールドハウスへ移る。

(9月25日)ドイツでアウクスブルクの和議
1556年 23 (1月16日)フェリペ2世、スペイン王に即位。
1558年 25 (1月)大陸領土カレーがフランス軍に奪回される。

(11月17日)メアリー1世死去。王位を継承する。

1559年 26 (1月15日)ウェストミンスター寺院戴冠式を挙行。

5 6

12
(4月3日)カトー・カンブレジ条約イタリア戦争終結。

(7月10日)フランス王アンリ2世死去。フランソワ2世即位。メアリー・ステュアートがフランス王妃となる。

1560年 27 (7月5日)スコットランド、フランスとの和議を締結(エディンバラ条約英語版)。

(9月8日)ロバート・ダドリーの夫人エイミー・ロブサート英語版変死。

(8月)フランス王フランソワ2世死去。シャルル9世即位。
1561年 28 (3月)フランスでユグノー戦争勃発。

(8月20日)スコットランド女王メアリー帰国。

1562年 29 (10月)ユグノーハンプトン・コート条約英語版を結んでフランスへ派兵し、ル・アーヴルを占領。
1563年 30 39箇条信仰告白を制定。

(7月28日)ル・アーヴルのイングランド軍降伏。

1565年 32 (7月29日)スコットランド女王メアリー、ダーンリー卿と再婚。
1566年 33 (6月19日)スコットランド女王メアリーが王子ジェームズを出産。
1567年 34 (2月10日)ダーンリー卿が暗殺される。

(5月15日)スコットランド女王メアリーがボスウェル伯と再婚。 (6月)スコットランドで反乱が発生し、スコットランド女王メアリー退位。ジェームズ6世即位。

1568年 35 (5月)イングランドに亡命したメアリー・ステュアートを幽閉。 オランダ独立戦争(八十年戦争)勃発。
1569年 36 (11月 - 1月)北部諸侯の乱英語版
1570年 37 (2月25日)教皇ピウス5世により破門される (レグナンス・イン・エクスケルシス)。
1571年 38 (2月25日)リドルフィ陰謀事件英語版 (10月7日)レパントの海戦
1572年 39 (6月2日)ノーフォーク公を処刑。 (8月24日)サン・バルテルミの虐殺
1574年 41 (5月30日)フランス王シャルル9世死去。アンリ3世即位。
1579年 46 (8月)来英したフランス王の弟アンジュー公フランソワから求婚を受ける。
1580年 47 (11月)スペイン王フェリペ2世がポルトガル王に即位。スペイン=ポルトガル同君連合成立。
1581年 48 (7月26日)ネーデルラント北部諸州が独立宣言。
1583年 50 (11月)スロックモートン陰謀事件英語版
1585年 52 (8月20日)オランダ人反乱軍とノンサッチ条約英語版を締結し、オランダ独立戦争に介入。英西戦争開戦。
1586年 53 (8月)バビントン陰謀事件英語版。メアリー・ステュアートの関与を示す証拠を摘発。
1587年 54 (2月8日)メアリー・ステュアート処刑。
1588年 55 (7月 - 8月)アルマダの海戦でスペイン無敵艦隊を撃退。

(9月4日)レスター伯ロバート・ダドリー死去。

1589年 56 アイルランドでティロン伯が反乱を起こす。(アイルランド九年戦争)

(4月 - 6月)イングランド艦隊がポルトガルを攻撃するが失敗に終わる。(イングランドの無敵艦隊英語版) (9月)アンリ4世支援のためにフランスへ派兵。

(8月2日)フランス王アンリ3世が暗殺される(ヴァロワ朝断絶)。アンリ4世即位(ブルボン朝)。
1593年 60 (7月25日)フランス王アンリ4世がカトリックに改宗。
1596年 63 (6月)イングランド艦隊がカディス港を襲撃。
1598年 65 (8月4日)バーリー卿ウィリアム・セシル死去。 (4月13日)フランス王アンリ4世がナント勅令を発する。(ユグノー戦争終結)

(9月13日)スペイン王フェリペ2世死去。

1600年 67 (9月)アイルランド総督エセックス伯が反乱鎮圧に失敗して無断帰国。

(12月31日)イギリス東インド会社設立。

1601年 68 エリザベス救貧法を制定。

(2月)エセックス伯がロンドンで反乱を起こすが、失敗して処刑される。 (11月30日)議会で黄金演説英語版を行う。

1603年 69 (3月24日)リッチモンド宮殿英語版で死去。スコットランド王ジェームズ6世が王位を継承。(イングランド王ジェームズ1世)

称号

  • 1533年9月7日-1536年7月: 王女エリザベス (The Princess Elizabeth)
  • 1536年7月-1558年11月17日: レディ・エリザベス (The Lady Elizabeth)
  • 1558年11月17日-1603年3月24日:女王陛下 (Her Majesty The Queen)

系図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エドマンド・テューダー
リッチモンド伯

 

マーガレット・ボーフォート

 

トマス・スタンリー
ダービー伯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘンリー7世

 

エリザベス・オブ・ヨーク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジェームズ4世
スコットランド王

 

マーガレット・テューダー

 

アーチボルド・ダグラス
アンガス伯

 

アーサー・テューダー
ウェールズ公

 

 

フアナ
カスティーリャ女王

 

マリア・デ・アラゴン
ポルトガル王妃

 

 

キャサリン・オブ・アラゴン

 

 

メアリー・ブーリン

 

アン・ブーリン

 

ヘンリー8世

 

ジェーン・シーモア

 

 

キャサリン・パー

 

トマス・シーモア

 

エドワード・シーモア
サマセット公

 

チャールズ・ブランドン
サフォーク公

 

メアリー・テューダー

 

ルイ12世
フランス王

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジェームズ5世
スコットランド王

 

マシュー・ステュアート
レノックス伯

 

マーガレット・ダグラス

 

 

 

 

 

カール5世
スペイン王・神聖ローマ皇帝

 

イサベル・デ・ポルトゥガル

 

 

 

キャサリン・キャリー

 

 

メアリー1世

 

エリザベス1世

 

エドワード6世

 

ジョン・ダドリー
ノーサンバランド公

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘンリー・グレイ
サフォーク公

 

フランセス・ブランドン

 

エレノア・ブランドン

 

ヘンリー・クリフォード
カンバーランド伯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メアリー1世
スコットランド女王

 

ヘンリー・ステュアート
ダーンリー卿

 

チャールズ・ステュアート
レノックス伯

 

 

 

 

 

マリア
神聖ローマ皇后

 

 

 

フェリペ2世
スペイン王・ポルトガル王

 

 

 

 

 

 

 

ウォルター・デヴァルー
エセックス伯

 

レティス・ノウルズ

 

ロバート・ダドリー
レスター伯

 

ギルフォード・ダドリー

 

ジェーン・グレイ

 

エドワード・シーモア
ハートフォード伯

 

キャサリン・グレイ

 

メアリー・グレイ

 

マーガレット・クリフォード

 

ヘンリー・スタンリー
ダービー伯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジェームズ6世/1世
スコットランド王・イングランド王

 

 

 

アラベラ・ステュアート

 

 

 

 

 

 

アナ

 

 

フェリペ3世
スペイン王・ポルトガル王

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロバート・デヴァルー
エセックス伯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エドワード・シーモア

 

トマス・シーモア

 

 

 

 

 

ファーディナンド・スタンリー
ダービー伯

 

ウィリアム・スタンリー
ダービー伯

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フランセス・デヴァルー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウィリアム・シーモア
サマセット公

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アン・スタンリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







1


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 (Maria Stuart) 


 - 

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 (Roberto Devereux) 

 (Gloriana)  - 


 2014/2017/


︿X1996ISBN 4062552736 






 - 15Civilization 5[237]

注釈



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1602/3

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外部リンク

先代
メアリー1世
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1558年 - 1603年
次代
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