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退位

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廃位から転送)

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20世紀以降に退位した主な君主[編集]

20世紀前半[編集]

日付 後継者
オスカル2世 ノルウェーの旗 ノルウェー国王 1905年10月26日[注釈 1] ホーコン7世
高宗 大韓民国の旗 韓国皇帝 1907年7月20日 純宗
純宗 1910年8月29日 韓国併合
マヌエル2世 ポルトガルの旗 ポルトガル国王 1910年10月4日 君主制廃止
宣統帝 清の旗 大清皇帝 1912年2月12日[注釈 2]
ニコライ2世 ロシアの旗 ロシア皇帝 1917年3月15日
コンスタンティノス1世 ギリシャの旗 ギリシャ国王 1917年6月11日 アレクサンドロス1世
宣統帝 清の旗 大清皇帝 1917年7月12日[注釈 3] 君主制廃止
フェルディナント ブルガリアの旗 ブルガリア国王 1918年10月3日 ボリス3世
カール1世  オーストリア=ハンガリー皇帝 1918年11月12日 君主制廃止
ニコラ1世 モンテネグロの旗 モンテネグロ国王 1918年11月26日 セルビア王国と統合
ヴィルヘルム2世 ドイツの旗 ドイツ皇帝 1918年11月28日 君主制廃止
マリー=アデライド ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク女大公 1919年1月14日 シャルロット
コンスタンティノス1世 ギリシャの旗 ギリシャ国王 1922年9月27日 ゲオルギオス2世
ゲオルギオス2世 1924年3月25日 第二共和政[注釈 4]
ミハイ1世 ルーマニアの旗 ルーマニア国王 1930年6月8日 カロル2世
アルフォンソ13世 スペインの旗 スペイン国王 1931年4月14日 第二共和政[注釈 5]
タイムール オマーンの旗 オマーン・スルタン 1932年2月10日 サイード
プラチャーティポック タイ王国の旗 タイ国王 1935年3月2日 アーナンタマヒドン
エドワード8世 イギリスの旗 イギリス国王 1936年12月11日 ジョージ6世
カロル2世 ルーマニアの旗 ルーマニア国王 1940年9月6日 ミハイ1世
康徳帝 満洲国の旗 満州国皇帝 1945年8月18日 ソ連占領下
保大帝 ベトナム ベトナム皇帝 1945年8月25日 君主制廃止
ペータル2世 ユーゴスラビア王国の旗 ユーゴスラビア国王 1945年12月29日
ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世 イタリア イタリア国王 1946年5月9日 ウンベルト2世
ウンベルト2世 1946年6月12日 君主制廃止
ヴァイナー サラワク州の旗 サラワク・ラージャ 1946年7月1日 イギリスに割譲
シメオン2世 ブルガリアの旗 ブルガリア国王 1946年9月15日 君主制廃止
ミハイ1世 ルーマニアの旗 ルーマニア国王 1947年12月30日
ウィルヘルミナ オランダの旗 オランダ女王 1948年9月4日 ユリアナ
アブドゥッラー カタールの旗 カタール首長 1949年8月20日 アリー

20世紀後半[編集]

日付 後継者
トリブバン ネパールの旗 ネパール国王 1950年11月7日 ギャネンドラ
ギャネンドラ 1951年1月7日 トリブバン
レオポルド3世 ベルギーの旗 ベルギー国王 1951年7月16日 ボードゥアン
ファールーク1世 エジプトの旗 エジプト国王 1952年7月26日 フアード2世
タラール1世 ヨルダンの旗 ヨルダン国王 1952年8月11日 フセイン1世
フアード2世 エジプトの旗 エジプト国王 1953年6月18日 君主制廃止
シハヌーク カンボジアの旗 カンボジア国王 1955年3月2日 スラマリット
アリ― カタールの旗 カタール首長 1960年10月24日 アフマド
サウード サウジアラビアの旗 サウジアラビア国王 1964年11月2日 ファイサル
シャルロット ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク女大公 1964年11月12日 ジャン
サイフディン3世 ブルネイの旗 ブルネイ・スルタン 1967年10月4日 ハサナル・ボルキア
サイード オマーンの旗 オマーン・スルタン 1970年7月23日 カーブース
アフマド カタールの旗 カタール首長 1972年2月22日 ハリーファ
コンスタンティノス2世 ギリシャの旗 ギリシャ国王 1973年6月1日 君主制廃止
サワーンワッタナー ラオスの旗 ラオス国王 1975年12月2日
ユリアナ オランダの旗 オランダ女王 1980年4月30日 ベアトリクス
モショエショエ2世 レソトの旗 レソト国王 1990年11月12日 レツィエ3世
レツィエ3世 1995年1月25日 モショエショエ2世
ハリーファ カタールの旗 カタール首長 1995年6月27日 ハマド

21世紀前半[編集]

日付 後継者
ジャン ルクセンブルクの旗 ルクセンブルク大公 2000年10月7日 アンリ
シハヌーク カンボジアの旗 カンボジア国王 2004年10月7日 シハモニ
サアド クウェートの旗 クウェート首長 2006年1月23日 サバーハ
シンゲ ブータンの旗 ブータン国王 2006年12月15日 ケサル
ギャネンドラ ネパールの旗 ネパール国王 2008年5月28日 君主制廃止
ベネディクト16世[注釈 6] バチカン市国の旗 ローマ教皇 2013年2月28日 フランシスコ
ベアトリクス オランダの旗 オランダ女王 2013年4月30日 ウィレム=アレクサンダー
ハマド カタールの旗 カタール首長 2013年6月25日 タミーム
アルベール2世 ベルギーの旗 ベルギー国王 2013年7月21日 フィリップ
フアン・カルロス1世 スペインの旗 スペイン国王 2014年6月19日 フェリペ6世
ムハンマド5世 マレーシアの旗 マレーシア国王 2019年1月6日 アブドゥラ
明仁 日本の旗 天皇[注釈 7] 2019年4月30日 徳仁
マルグレーテ2世 デンマークの旗 デンマーク女王 2024年1月14日 フレゼリク10世

日本[編集]

天皇[編集]


2[ 8]

2

188922退

退 退

(一)

(二)退

(三)退

退[ 9]

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[4]

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エドワード8世国王陛下の退位宣言への効力付与等のための法律(英国)
(制定文)
:本年(注:1936 年)12月10日に発せられた国王勅語をもって現国王陛下(注:エドワード8世)は王位を放棄する不退転の決断をされた旨謹んで宣言し、この法律の附則に付した退位宣言書を作成され、それに効力がただちに付されるよう要望された。(中略) それゆえ、この上なく優れる国王陛下により、また、召集された現議会における聖職及び世俗の貴族並びに庶民の助言と承認により、さらにこれらの者の権限によって、以下のように法律を制定する。

1 退

1193612108退

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2

1936退 193612113



8退退

19361210

(Rex Imperator ) 

   [6]


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(一)

(二)

(三)8退

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28 退[6]

191退215

退

19481890 - 194850退

1980退

2013退
退752002退退退[5]

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1978575退[6]

退[6]
ブルボン家フアン・カルロス一世国王陛下の退位につき定める組織法(組織法3/2014)
;フアン・カルロス一世
スペイン国王
この組織法を読み、理解するすべての者は、国会の承認を終えた上、私が以下の組織法を裁可することにつき承知されたい。
前文
2014年6月2日、フアン・カルロス一世国王陛下は首相に対し、首相の前で署名された文書を通じ、自発的意思に基づき退位する考えを伝えた。その内容は以下のとおり。
「既に40年近く前になる私の王位宣誓において、国民が自らの将来を築き上げる主役となり、また我々の国家が現代的かつ欧州において完全に統合された民主主義国家になることを切望し、スペインの国益のために仕えることを堅く約束しました。
スペイン国民が自らの代表者を法に基づき選ぶことを可能にした魅力的な国家的取組を主導し、我々が必要としていた偉大かつ前向きな変化をスペインにもたらすことを約束しました。
今日、振り返ってみるとスペイン国民に対する誇りと感謝の気持ちにたえません。
この年月の中、様々なことがあった中で、我々が成し遂げた多くの成果について、誇り高く思います。私の若年時に、そして情勢が非常に不安定かつ困難な中始まった私の統治期間でしたが、国民の支援により、長きに亘る平和、自由、安定、そして進歩が成し遂げられました。国民の協力に対し、感謝の念が募ります。
スペイン王位という歴史的遺産を私に相続した私の父であるバルセロナ伯の政治的熱意に忠実に、私はすべての国民の王でありたいと願ってきました。国民と願いを共にし、責任意識を持ち、国民の成功を喜び、国民が痛みや不満に悩まされているときは私もその苦しみを感じてきました。
我々が経験した長く深刻な経済危機は、社会基盤に大きな傷跡を残してきましたが、大きな期待で満ちた将来の道筋が見えてきたところでもあります。
過去数年の困難な時期により、我々は、社会としての我々の誤りや限界につき自己批判的に分析することが可能になりました。
また、対照的に、我々が過去にできたこと及び現在できること、また我々が偉大な国家を過去に形成し、現在も形成しているという、誇り高き認識を我々の中に再び呼び覚ましました。
これらすべては、革新する、克服する、そして誤りを正し、強い意志をもって良い未来を切り拓くという、我々の中にある推進力を呼び覚ましました。
このような未来を創造していく中で、新たな世代は、我々の歴史上重要な転換点において私の世代が果たした主導的役割と同じ役割を担うことを、正当な主張の下で求めています。
今日、新たな熱意とともに、現在必要とされる変化や改革を実行し、将来の課題に新たな努力、決意をもって立ち向かおうとする意思の堅い、より若い世代が最前線を担うことは適切なことです。
過去にも、現在にも、未来にも、私の唯一の望みは常に、全ての国民が自由に繁栄、進歩を成し遂げることに貢献することです。
私の人生の全てを注ぎ、また私の能力、喜び、そして努力のすべてを捧げた、スペインにとっての最善を願っています。
我が息子、皇太子フェリペは、王室を特徴付ける要素である安定性を体現しています。
本年1月に 76歳の誕生日を迎えた際に、その安定性を維持するのにこれ以上なく適切な状況にある人に引き継ぐ準備を、これから数ヶ月の間で行うときが来たと考えました。
皇太子は、人間として成熟しており、準備もできており、責任感もあります。これらは、国家元首の役割を完全に担うため、そして得られた経験と若い世代の勢いを組み合わせた、期待に満ちた新たな時代を切り拓くために必要な素質です。このために、レティシア皇太子妃からの助けを常に受けることができると確信しています。
その結果、国民に最も良い形で奉仕するという信念に導かれ、また体調も回復し王室行事に再び戻ることもできるようになったこともあり、私の統治期間に終止符を打ち、王位を退くことを決断しました。私の王位・王権については、憲法の規定に基づき王位継承に係る判断を行う、政府及び国会に託しました。
全てのスペイン国民に、私の統治期間の内で国家権力及び国家機関を体現した全ての人に、私が自らの役目を果たすために賜った寛大かつ忠実な多大な支援に、感謝の意を表したいと思います。
常に私に協力してくれて、寛大な助けを頂いた王妃に対しても、感謝の意を表します。
私の心の最も深いところに、これからもスペインはあり続けます。」
国王陛下は、この内容を下院上院両議長に通知し、首相はこの文書を閣議に送付した。
スペイン憲法第57条第5項は、「退位及び王位放棄、並びに王位継承順序につき生じる事実上または法的な疑義は、組織法によりこれを解決するものとする」と規定している。この規定は、各事案に応じた特別法を通じた場合も含め、継承や退位の承認に係る問題を解決する権限を立法府へ付与した 1845 年憲法、1869 年憲法、1876年憲法、及び違いはあるが他の前例にあるように、スペインの立憲主義の歴史上の先例に従っている。現行憲法はこの最後の点に言及はないが、王位の権限に係る問題は組織法で解決されるという前述の先例及び第57条の趣旨は、国王陛下によりなされた決断を実施するための規定を定める最も適した法的な手段となる。
結果として、この組織法の発効により、退位は実行され、憲法で定める順序に従い、自動的にスペイン王位の継承が行われる。

1 退
1 退

2 退

 



 2014618

 

 

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1974566退[6]

171654退10退

181720退1

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1919

1964

2000

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186443 32[6]

2006122 退[5]

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195228 使退[6]

1退[5]

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2004 15 Council of Ruling Family [6]

退[5]

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20082665退

20退退[6]

2008[5]2006退

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退使使[5]

1910

1947

1912



8退1936

退退

退2017

125退退

[]

注釈[編集]



(一)^ 1905

(二)^ 退

(三)^ 退

(四)^ 1935

(五)^ 19751

(六)^ 16退16

(七)^ 

(八)^ 

(九)^ 59417

(十)^ 退12

(11)^ 退2

(12)^ 退3

(13)^ 2019430125退2

出典[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]