二条院讃岐
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二条院讃岐︵にじょういんのさぬき、永治元年︵1141年︶頃? - 建保5年︵1217年︶頃?︶は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての女流歌人。内讃岐、中宮讃岐とも称される。父は源頼政、母は源斉頼の娘。
二条天皇︵二条院︶に仕え、天皇が崩御した後、藤原重頼と結婚している。その頃には歌人として評判を得ており﹁歌仙落書﹂に入っている。建久元年︵1190年︶頃、後鳥羽上皇の中宮任子︵宜秋門院︶に再出仕したが、後に出家。隠棲後も後鳥羽上皇、順徳上皇の歌壇に迎えられ、﹁正治二年初度百首﹂﹁千五百番歌合﹂に歌が乗せられている。家集に﹁二条院讃岐集﹂がある。
﹁小倉百人一首﹂から
わが袖は 潮干︵しおひ︶に見えぬ 沖の石の 人こそ知らぬ 乾く間もなし︵﹁千載和歌集﹂恋二759︶
﹁沖の石の讃岐﹂はこの歌によりつけられた異名である。