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* 1995年(平成7年) |
* 1995年(平成7年) |
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** 1 - 鈴木幸保、第68回全日本学生スキー選手権大会ジャンプ(ノーマルヒル)および複合優勝。 |
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** 2 - 服部正中理事、学長に就任。 |
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** 6 - 硬式野球部一部復帰。 |
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** 8 - テニス部、全日本学生テニス選手権大会で男子シングルスおよびダブルス優勝。 |
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** 10 - セパ・タクロー愛好会、第3回全日本学生セパ・タクロー選手権大会優勝︵3連覇︶。吹奏楽団、第43回全日本吹奏楽コンクール全国大会で、3年ぶり5度目の金賞受賞。
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* 1995年 経済学部国際関係学科を廃止 |
* 1995年 経済学部国際関係学科を廃止 |
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* 2001年 教養部を廃止 |
* 2001年 教養部を廃止 |
2013年4月26日 (金) 00:42時点における版
亜細亜大学 | |
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![]() 亜細亜大学 | |
大学設置 | 1950年 |
創立 | 1941年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人亜細亜学園 |
本部所在地 |
東京都武蔵野市境5丁目24番10号 北緯35度42分19.5秒 東経139度32分3.2秒 / 北緯35.705417度 東経139.534222度座標: 北緯35度42分19.5秒 東経139度32分3.2秒 / 北緯35.705417度 東経139.534222度 |
キャンパス |
武蔵野キャンパス 日の出キャンパス |
学部 |
経営学部 経済学部 法学部 国際関係学部 |
研究科 |
経営学研究科 経済学研究科 法学研究科 アジア・国際経営戦略研究科 |
ウェブサイト | http://www.asia-u.ac.jp/ |
亜細亜大学︵あじあだいがく、英語: Asia University︶は、東京都武蔵野市境5丁目24番10号に本部を置く日本の私立大学。1941年創立、1950年大学設置。大学の略称は亜大︵あだい - 英語での略称はAU︶、または亜細亜︵あじあ︶。
![](//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/86/Asia-University-Japan.JPG/250px-Asia-University-Japan.JPG)
亜細亜大学構内にある太田耕造記念館(2006年5月撮影)
●1995年 経済学部国際関係学科を廃止 ●2001年 教養部を廃止 ●2004年 短期大学部経営科の経営管理専攻と経営情報処理専攻を廃止 ●2004年 経営学部経営学科にホスピタリティ専攻を開設、亜細亜大学にアジア夢カレッジを開設 ●2006年 大学院経営学研究科︵前期博士課程︶を改編し、アジア・国際経営戦略研究科︵修士課程︶を開設 ●2007年 亜細亜大学アメリカプログラム︵略称‥AUAP︶参加学生数が1万人を突破 ●2008年 アジア・国際経営戦略研究科を博士課程前期・後期に改編 ●2009年 経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科を開設 ●2011年 建学七十周年を迎えた。 ●2012年 国際関係学部多文化コミュニケーション学科を開設予定
概観
大学全体
旧制興亜専門学校を前身とする大学。戦後、日本経済専門学校、日本経済短期大学を経て亜細亜大学となった。初代学長兼理事長には、終戦時の文部大臣だった太田耕造が就任した。その後、理事長に就任した東京急行電鉄の創業者五島慶太の経営協力の下で組織整備などがなされてきた。五島慶太逝去後は、後継者の五島昇が就任した。その後は、元伊藤忠商事会長瀬島龍三に引き継がれ、現在は東京急行電鉄の清水仁が理事長に就任している。建学の精神(校訓・理念・学是)
建学の精神は﹁自助協力﹂ 太田耕造初代学長の著書によると建学精神の﹁自助﹂とは、一人ひとりが自らの内面を深く見つめ、自分自身のしっかりとしたアイデンティティを確立し、自らの力でそれぞれの道を切り拓くこと。さらに﹁協力の花は自助の根から﹂とし、真の協力関係とは自立した人間同士の協力関係であると書かれている。亜細亜大学第一学生歌 ︵第一番︶
若 人 作詞 田中 佳正 作曲 大島 祐一 一 新しき世紀に立ちて 新しきアジアをつくる 若人よ まなじりあげよ 富士の峯遠く残雪の ゆるぎなき歴史に映えて つちかわんとす若き世代を 自助をかかげる若人が 集うは アジア おおアジア亜細亜大学応援歌
応 援 歌 作詞 駒崎 洋二 作曲 鎌田 袷和 若き力のあこがれの 無敵の誉 武蔵野に 精鋭 我等ゆく所 おゝ覇者 亜細亜 勝利の凱歌 闘志 闘志 闘志をもって 打って 打って 進め亜細亜 亜細亜 王座は我に教育および研究
学風および特色
衞藤瀋吉が学長時代(1987-95年)に一芸入試など独自の入試スタイルや語学留学プログラム、スチューデントカンパニー・プログラムなど、日本の大学としては初めてとなる入試制度や教育プログラム、テレビコマーシャル (CM) を実施したことがある。国際関係学部では1年次後期にAUAP︵後述︶への参加が原則として必修となっており、他学部の学生も希望者は全員参加する事が可能である。また、大学では14か国語、短大部では5か国語の外国語授業を開講している。アジア地域を中心に、中東や欧米など世界各地域の言語を学ぶことができる。外国語専門の学部を持つ大学を除けば、この数と幅広さは屈指の充実ぶりである。沿革
略歴
●1940年︵昭和15年︶ ●10月 - 東京都北多摩郡武蔵野町境字上水南1243番地、他所在3960坪︵現在地︶の土地賃貸借契約成立︵1967年買収︶。 ●11月4日 - 旧制興亜専門学校設立の為、現キャンパスにおいて地鎮祭を挙行。また、この日を創立記念日とす。 ●1941年︵昭和16年︶ - 財団法人興亜協会が創設され、同時に付属の旧制興亜専門学校設置認可および開校。 ●1943年︵昭和18年︶ - 興亜神社造営。興亜神社鎮座祭挙行。 ●1945年︵昭和20年︶ - 大東亜戦争の終結に伴い、旧制興亜専門学校より、旧制日本経済専門学校へと校名を改称。 ●1950年︵昭和25年︶ - 学制改革に伴い、旧制日本経済専門学校より、日本経済短期大学へ改組および設置認可並びに開学。 ●1951年︵昭和26年︶ - 財団法人から学校法人に改組および興亜協会から﹁猶興学園﹂と改称。 ●1954年︵昭和29年︶ - 学校法人﹁猶興学園﹂を﹁亜細亜学園﹂と改称。 ●1955年︵昭和30年︶ ●2月 - 日本経済短期大学経営科第1部および貿易科第1部、第2部を廃止。 ●3月 - 亜細亜大学﹁商学部﹂設置認可され、﹁日本経済短期大学附属中国留学生部﹂を﹁亜細亜大学附属留学生部﹂と改称し、一連の形式的手続を以って、実質的に日本経済短期大学から亜細亜大学への移行が完了し、現在の学校法人﹁亜細亜学園﹂﹁亜細亜大学﹂の基礎ができる。 ●4月 - 亜細亜大学入学式挙行。 ●1956年︵昭和31年︶ - ﹁亜細亜学園﹂経営に関し、太田耕造理事長兼学長が東京急行電鉄株式会社会長五島慶太と会談。 ●1957年︵昭和32年︶ - 日本経済短期大学経営科第1部を再度設置。 ●1993年︵平成5年︶ - 日本経済短期大学が亜細亜大学﹁短期大学部﹂に校名変更。内容詳細なる年表なり
●1940年︵昭和15年︶ ●10月 - 東京都北多摩郡武蔵野町境字上水南1243番地、他所在3960坪︵現在地︶の土地賃貸借契約成立︵1967年買収︶。 地主 高橋次平、高橋尚敏 借主 菊池武夫、岩田愛之助 代理人 藤原繁 ●1941年︵昭和16年︶ ●4月 - 興亜専門学校設置認可。財団法人興亜協会設立、旧制興亜専門学校開校。 名称 財団法人興亜協会興亜専門学校 設立者名 岩田愛之助、松尾忠二郎、太田耕造 所在地 東京都北多摩郡武蔵野町境字上水南1243番地 理事長 菊池武夫 常務理事 岩田愛之助 校長 菊池武夫 学監 藤原繁 八紘塾︵1964年取壊し︶、食堂140坪︵1957年取壊し︶、武道館42.5坪︵1964年取壊し︶竣工。 第一部︵満蒙支科︶・第二部︵南方科︶・第三部︵内地科︶を設置。[要出典] ●5月 - 興亜専門学校開校入学式を挙行︵受験者970名、入学者207名︶。 ●6月 - 大正塾88.5坪竣工︵1959年取壊し︶。 ●9月 - 教室153坪竣工︵1967年取壊し︶。明光塾200坪移築竣工︵1960年取壊し︶。 ●10月 - 隣接地武蔵野町西原1577の1番地 3199坪︵現1号館敷地︶につき地主高橋杉太郎氏と賃貸借契約成立︵1954年買収︶。 ●11月 - 都下三鷹町大字新川に6町6反9畝11歩を本校農場として津村順天堂より借用。 ●12月 - 第1回卒業式︵卒業生11名︶。 ●1942年︵昭和17年︶ ●3月 - 教室120坪竣工︵1968年取壊し︶。 ●4月 - 昭々寮194.5坪、誠明寮194.5坪、他36坪︵1965年全て取壊し︶竣工。 ●7月 - 浦和市外秋ケ瀬河川敷地約30町歩を本校農場として使用許可を受く。 ●10月 - 隣接地武蔵野町1597の4番地1789坪︵亜細亜会館、体育館敷地︶を校地として地主高橋杉太郎氏と賃貸借契約成立︵1987年買収︶。 ●1943年︵昭和18年︶ ●1月 - 興亜神社造営。興亜神社鎮座祭挙行。 ●8月 - 興亜会館285坪竣工︵旧浅野侯邸本郷より移築-1963年取壊し︶。 ●9月 - 講堂兼体育館285坪竣工︵1968年取壊し︶。 ●10月 - 専修科設置︵第1回入学生30名︶。学徒応召155名︵在学生︶大東亜戦争が過激となり徴兵猶予を廃止。 ●1944年︵昭和19年︶ ●5月 - 勤労動員のため三菱製鋼深川工場へ学生移住。 ●12月 - 空襲烈しきため、中島飛行機製作所︵武蔵野工場︶の疎開工場として本学講堂、第1号館、八紘塾を貸与す。 ●1945年︵昭和20年︶ ●9月 - 第二次世界大戦の終結に伴い、終戦理事会。 一、 校名を日本経済専門学校と改称。 一、 理事長、校長菊池武夫辞任。後任太田耕造理事を選任。 ●11月 - 校名変更認可。第1部︵大陸科︶第2部︵南洋科︶解消。第3部︵経済科・商科︶拡充。入学定員220名。 ●12月 - 理事変更。 辞任-菊池武夫、岩田愛之助、松尾忠二郎、太田耕造、井田磐楠、田中正之輔、匝嵯胤次、栗田徳一。 新任-宮島綱男、青木晋、赤神良譲、伊藤一。 ●1946年︵昭和21年︶ ●1月 - 須藤斉治理事、校長事務取扱に就任。 ●1947年︵昭和22年︶ ●2月 - 須藤斉治校長事務取扱、日本経済専門学校長に就任。 ●3月 - 相馬堅次、中原稔、平田四郎の3氏が理事に就任。 ●1948年︵昭和23年︶ ●1月 - 日本経済専門学校に夜間部の経済科及び商科設置認可。 ●1949年︵昭和24年︶ ●2月 - 須藤斉治校長辞任。校長代理相馬堅次。 ●1950年︵昭和25年︶ ●3月 - 学制改革により、同専門学校を日本経済短期大学へ改組及び設置認可。 ●4月 - 学長笹森順造。理事長長鍬塚巌就任。 設置学科-経営科︵第1部、第2部︶、貿易科︵第1部、第2部︶ ●1951年︵昭和26年︶ ●3月 - 学校法人に改組し、﹁猶興学園﹂と改称。 ●7月 - 寄付行為による役員決定。 理事長 鍬塚巌 常務理事 三輪健児 理事 笹森順造、中原稔、相馬堅次 監事 松本国雄、菊池武英 ●1952年︵昭和27年︶5月 - 公職追放解除に伴い、太田耕造、松尾忠二郎、藤原繁が理事に就任!その際、藤原繁が常務理事に就任。 ●1953年︵昭和28年︶ ●2月 - 武道館︵猶興館︶が改修完成し、道場開き挙行。これに伴い、国際柔道学校を開設。 ●10月 - 留学生受け入れの為、八紘塾、明光塾、正大塾の改修着工。さらに、留学生用食堂60坪、浴場および便所25坪を新築着工︵1959年取壊し︶。 ●12月 - 日本経済短期大学附属中国留学生部設置認可。中国留学生第1期生96名入国許可を法務省より下付される。 ●1954年︵昭和29年︶ ●1月 - 留学生用寄宿舎改修。食堂、浴場、便所竣工。華僑子弟96名が香港から来日入学。 ●4月 - 賃貸借契約中の校地、境1577の1所在︵3199坪︶を買収。 ●5月 - 学校法人﹁猶興学園﹂を﹁亜細亜学園﹂と名称変更す。鍬塚理事長、笹森学長辞任。太田耕造理事が理事長兼学長に就任。 ●9月 - 国際善隣倶楽部より本学に対し2000万円寄附決定。本館︵旧4号館中央部︶鉄筋コンクリート造3階建503坪着工︵三井建設株式会社︶せるも中止。 新役員 理事長 太田耕造 理事 有光次郎、伊藤義雄、井上〇磨、五郎丸保、佐藤道次、高木睦郎、田代重徳、中西近蔵、中山優、長沼弘毅、三輪健児、新関八州太郎、奥村綱雄 監事 中原稔、江戸英雄 ●1955年︵昭和30年︶ ●2月 - 亜細亜大学設置の為、日本経済短期大学経営科第1部、貿易科第1部、第2部を廃止︵貿易科及び貿易科を亜細亜大学へ改組︶。留学生寮2棟271坪鉄筋ブロック造平屋建竣工︵1967年体育館建設の為取壊し︶。 ●3月 - 亜細亜大学﹁商学部﹂設置認可。﹁日本経済短期大学附属中国留学生部﹂を﹁亜細亜大学附属留学生部﹂と改称。 ●5月 - 亜細亜大学入学式︵入学者127名︶。 ●1956年︵昭和31年︶ ●6月 - ﹁亜細亜学園﹂経営に関し、太田耕造理事長兼学長が東京急行電鉄株式会社会長五島慶太と会談。 ●7月 - ﹁亜細亜学園﹂と﹁五島育英会﹂の提携決定。 ●8月 - 五島慶太が理事長に就任。 役員改選 理事 五島慶太、八木勇平、大川博、唐沢俊樹、五島昇、高橋禎二郎、八木秀次、吉次利次、伊勢憲三郎、太田耕造、有光次郎、江戸英雄、田代重徳、長沼弘毅、三輪健児、新関八州太郎 監事 木下久雄、伊藤義雄 ●9月 - 中止中の本館建設着工。 ●1957年︵昭和32年︶ ●2月 - 本館503坪鉄筋コンクリート造3階建竣工︵旧4号館中央部︶。 ●4月 - 日本経済短期大学経営科第1部を再度設置、開設。 ●1958年︵昭和33年︶ ●1月 - 借地︵高橋尚敏分︶800坪買収。 ●7月 - 香港新亜書院︵中文大学︶と本学との第1回交換留学生香港へ出陣。東側隣接地300坪買収し、校地編入す。 ●10月 - 東側隣接地589坪買収し、校地編入す。 ●1959年︵昭和34年︶ ●4月 - 校舎204坪︵1965年取壊し︶、武道館147坪、食堂94坪︵1967年取壊し、体育館建設︶計445坪竣工。 ●7月 - 北側隣接地1496坪買収し、校地編入す。 ●8月 - 五島慶太理事長逝去。 ●9月 - 理事五島昇が理事長に就任。 ●11月 - 第1回アジア祭開催。第1回全国高等学校雄弁大会開催。 ●1960年︵昭和35年︶ ●6月 - 北側隣接地1556坪買収し、校地編入す。 ●10月 - 本館鉄筋コンクリート造3階建延557.56坪︵旧4号館西側部︶竣工。 ●11月 - 創立20年記念式典挙行。野球場竣工︵1965年取壊し︶。第1回体育祭開催。 ●1962年︵昭和37年︶ ●2月 - 第1次南西アジア学術踏査隊出発。 ●3月 - 留学部を﹁亜細亜大学留学生別科﹂と改称。短期大学2部募集停止。 ●11月 - 教室増築工事︵4号館東側部650坪4階建︶竣工。 ●1963年︵昭和38年︶ ●3月 - 短期大学2部廃止。 ●10月 - アジア会館469坪竣工。 ●1964年︵昭和39年︶︻亜細亜大学経済学部経済学科および亜細亜大学教養部を開設︼ ●1月 - ﹁経済学部﹂設置認可。 ●6月 - 硬式野球部、東都大学一部・二部入替え戦で一部昇格。 ●11月 - 第1次ボルネオ調査隊出発。 ●1965年︵昭和40年︶ ●5月 - 都下西多摩郡日の出村に新校地を買収し、野球場を開設す。2号館︵会談教室他︶竣工。 ●1966年︵昭和41年︶︻亜細亜大学法学部法律学科を開設︼ ●1月 - 文部省をして、﹁法学部﹂設置認可せしめたり。 ●3月 - 大教室558坪︵3号館︶竣工。日の出学生寮359坪竣工せり。 ●4月 - 新本館2521坪︵1号館︶竣工せり。 ●10月 - 硬式野球部、東都大学一部リーグ戦で初優勝せり。 ●11月 - 第1回戦没校友慰霊大祭挙行せり。 ●1967年︵昭和42年︶ ●1月 - 日の出校地買収拡張23847坪。 ●4月 - 賃貸借中の校地境1243番地、他所在の3960坪︵地主 高橋過杉太郎︶を買収。 ●5月 - 日の出グラウンド整地、野球場整備。明治百年特別連続講座開講︵第1回、林房雄氏︶。 ●7月 - ﹁アジア山荘﹂敷地として、長野県北安曇郡小谷村大字千国字親の原乙に647坪買収。 ●8月 - 新食堂250坪竣工。 ●11月 - 硬式野球部、東都大学一部リーグ戦で2度目の優勝。 ●1968年︵昭和43年︶ ●3月 - 体育館︵1250坪︶竣工。﹃建学精神を語る﹄初版発行。 ●5月 - 日の出校地︵現在、26651坪︶拡張。 ●8月 - 本校北側隣接地︵1162坪︶を買収す。 ●11月 - 明治百年記念特別連続講座終講︵第15回、太田耕造学長︶。 ●1969年︵昭和44年︶ ●4月 - 図書館︵668坪︶竣工。 ●5月 - 日の出校地︵現在、28316坪︶拡張。第1回FOC︵新入生オリエンテーションキャンプ︶実施。 ●6月 - 第1回文連祭開催。広報紙﹃THE ASIA﹄1号発行。 ●8月 - 第1回洋上大学実施︵東南アジア各地︶。 ●1970年︵昭和45年︶︻亜細亜大学商学部を改組し、経営学部経営学科を開設︼ ●1月 - ﹁経営学部﹂設置認可。 ●4月 - 協助会制度発足。売店︵51坪︶竣工。 ●5月 - セミナーハウス︵547坪︶竣工。陸上競技場︵400Mトラック・フィールド造成︶竣工。日の出校地︵現在、30134坪︶拡張。 ●8月 - 第1回大韓民国研修団実施。 ●11月 - 創立30周年記念式典挙行︵第12回アジア祭において30周年記念写真展開催︶。 ●その他、日本経済短期大学経営科第2部を廃止。 ●1971年︵昭和46年︶ ●5月 - 硬式野球部、東都大学リーグ戦で3度目の優勝︵山本和行投手奪三振記録を達成︶。 ●6月 - 第20回全日本大学野球選手権で硬式野球部初出場初優勝。映画﹃亜細亜大学﹄完成︵カラー・上映時間42分︶。 ●1972年︵昭和47年︶︻亜細亜大学附属アジア研究所開設︼ ●5月 - 全国27会場で父兄会実施︵5月~11月︶。 ●1973年︵昭和48年︶ ●1月 - 学友会館︵3階建433坪︶、5号館︵3階建934坪︶竣工。 ●6月 - 亜細亜大学附属アジア研究所開設︵初代所長筑紫平蔵教授︶。 ●1974年︵昭和49年︶︻亜細亜大学経営・経済・法の各学部に大学院修士課程を開設︼ ●2月 - 第1回中華民国研修団実施。 ●4月 - 経営学部、経済学部、法学部に﹁大学院修士課程﹂を開設。 ●5月 - アジア基金設置︵学生の海外活動助成目的︶。 ●1975年︵昭和50年︶ ●5月 - 創立35年記念事業開始。 ●1976年︵昭和51年︶︻亜細亜大学経営・経済・法の各学部に大学院博士課程を開設、経済学部に国際関係学科を併設︼ ●2月 - 第1回アメリカ語学研修団実施︵フリーモント市︶。 ●4月 - 経済学部に﹁国際関係学科﹂開設︵第1期生94名入学︶。亜細亜大学経営・経済・法の各学部に﹁大学院博士課程﹂を開設。学生健康保険制度発足。 ●9月 - 綜合研修館︵10階建1647坪︶竣工。 ●10月 - 創立35周年特別記念講演会開講︵第1回、太田耕造学長︶。 ●11月 - 第2回戦没校友慰霊大祭挙行。 ●1977年︵昭和52年︶ ●3月 - 映画﹃亜細亜大学﹄第2作完成︵カラー・上映時間31分︶。中華民国淡江大学と﹁学術文化交流協定﹂を締結。 ●9月 - 4号館改修工事完成。 ●1978年︵昭和53年︶ ●2月 - 図書館別館︵5階建257坪︶竣工。中華民国淡江大学第1回派遣留学生決定。 ●6月 - 創立35周年特別記念講演会終講︵第4回高田良胤師︶ ●10月 - 吹奏楽団全国コンクール金賞受賞。 ●11月 - 藤原繁理事逝去︵大学葬︶。 ●1979年︵昭和54年︶ ●1月 - ボウリング部全国大学選手権優勝。 ●10月 - アメリカ西ワシントン大学と﹁学術文化交流協定﹂を締結。﹃藤原繁先生追悼集﹄を刊行。 ●11月 - 亜細亜学園シンボルマーク決定。 ●1980年︵昭和55年︶ ●1月 - 米国西ワシントン大学との第1回交換教授決定。米国西ワシントン大学第1回派遣留学生決定。 ●4月 - 創立40周年記念﹃亜細亜学園の歩み﹄を刊行。﹃﹁私のプロフィル﹂︵先生の自己紹介︶﹄第1回刊行。 ●6月 - 第2アジア会館︵3階建731.7坪︶竣工。 ●10月 - 硬式野球部、東都大学リーグ戦で4度目の優勝︵完全優勝︶。 ●11月 - チベットのダライ・ラマ14世来学、講演。栗屋義純理事逝去。武部啓理事が学長事務取扱に就任。 ●12月 - アジア山荘︵地下1階、地上2階建291.5坪︶竣工。 ●1981年︵昭和56年︶ ●6月 - 硬式野球部、東都大学リーグ戦で5度目の優勝。アジア研究所主催第1回公開講座開講。創立40周年記念﹃太田耕造先生講説集﹁自助協力-亜細亜学園生に与う-﹂﹄を刊行。 ●10月 - 創立40周年記念映画﹃亜細亜大学﹄第3作完成︵カラー・上映時間32分︶。 ●11月 - 創立40周年記念式典挙行。吹奏楽団全国コンクール金賞受賞。創立40周年記念特別講演会終講︵シンポジウム︶。太田耕造学長逝去。 ●12月 - 太田耕造学長の学園葬。 ●1982年︵昭和57年︶ ●1月 - 大韓民国訪日研修団︵65人︶来学。 ●2月 - 故 太田耕造学長の遺言により、宅地、図書などが亜細亜大学へ寄贈。 ●4月 - 学長に早川祟が就任。男子寮を五寮から三寮︵清風、明知、直心︶に統合。 ●6月 - 第1回﹁国際大学交流セミナー﹂︵台湾淡江大学︶実施。 ●11月 - 太田耕造初代学長胸像除幕式。﹃太田耕造全集第1巻﹄刊行。 ●12月 - 早川祟学長逝去。武部啓理事が学長代行に就任。早川祟学長の学園葬。 ●1983年︵昭和58年︶ ●2月 - 武部啓学長代行が学長に就任。 ●3月 - ﹃亜細亜学園四十年史﹄刊行。 ●5月 - 五島昇理事長が会長に就任。瀬島龍三理事が、理事長に就任。 ●11月 - 故 藤原繁理事顕彰碑建立。﹃太田耕造全集第2巻﹄刊行。 ●1984年︵昭和59年︶ ●3月 - 西ワシントン大学との﹁学術文化交流協定﹂再締結。 ●4月 - 日の出校地、171平方メートル買収。 ●5月 - 瀬島龍三理事長、勲一等叙勲。第14世ダライ・ラマ猊下来学、講演︵2回目︶。硬式野球部、東都大学一部リーグ戦で6度目の優勝。 ●6月 - ﹁太田奨学基金﹂設定。第2回﹁国際大学交流セミナー﹂︵香港中文学新亜書院︶実施。 ●8月 - 日の出校地868平方メートル買収。 ●11月 - ﹃太田耕造全集第3巻﹄刊行。 ●1985年︵昭和60年︶ ●1月 - 熊本修治︵経済学部3年︶第3回﹁正力松太郎杯﹂国際学生柔道大会60キロ以下級で優勝。 ●2月 - 大学院経営学研究科、明治大学大学院との﹁単位相互協定﹂締結。 ●4月 - 日の出校地1127平方メートル買収。 ●6月 - 日の出校地3553平方メートル買収。 ●10月 - 新3号館竣工。北京師範大学との﹁学術文化交流協定﹂締結。 ●11月 - 日本経済短期大学、第1回指定校推薦入試を実施。﹃太田耕造全集第4巻︵補遺︶﹄刊行。日本経済短期大学、2専攻︵経営管理・経営情報処理︶設置受理。 ●1986年︵昭和61年︶︻日本経済短期大学経営科に2専攻(経営管理・経営情報処理)を開設︼ ●1月 - 熊本修治︵経済学部4年︶第4回﹁正力松太郎杯﹂国際学生柔道大会60キロ以下級で優勝︵2連覇︶。 ●2月 - インドネシアナショナル大学と﹁学術交流協定﹂締結。 ●3月 - 大学紹介ビデオ﹃君を待つキャンパス﹄︵15分・受験生向け︶、﹃21世紀の人づくりを目ざして﹄︵30分・一般向け︶完成。 ●11月 - 学園史展示室開設。第3回戦没校友慰霊大祭挙行。戦没校友銘碑建立。 ●1987年︵昭和62年︶ ●2月 - 衛藤瀋吉理事、学長に就任。 ●3月 - 創立50周年記念事業委員会発足。 ●4月 - ﹁聴講生制度﹂制定。 ●5月 - 広報紙﹃THE ASIA﹄紙名を﹃アジア﹄に変更。 ●8月 - 吹奏楽団﹁中日︵ママ︶友好演奏団﹂中国北京で日本の大学生として初のチャリティ・コンサートを開催。 ●9月 - 2セメスター制の導入を決定。 ●10月 - 亜細亜大学﹁西ワシントン大学派遣留学﹂実施決定とそれに伴う記者発表会を開催。 ●11月 - 日本経済短期大学﹁パシフィック・ルセラン大学派遣留学生﹂実施決定。﹁衛藤賞﹂制定。 ●1988年︵昭和63年︶ ●2月 - 日本経済短期大学﹁パシフィック・ルセラン大学派遣留学生﹂46名出発。 ●3月 - 亜細亜大学﹁西ワシントン大学派遣留学﹂59名出発。国際女子寮﹁萌和﹂竣工。﹁清風寮﹂改築竣工。キャンパス改造を検討する﹁マスタープラン推進委員会﹂発足。 ●4月 - 企画広報部に﹁校友課﹂設置。FOCを廃止し、これに代わって鬼怒川温泉で全学新入生を対象に﹁出会いの広場﹂を開催。 ●5月 - 朝日テレビ系列において、大学のCF放送開始。 ●1989年︵平成元年︶︻亜細亜大学アメリカプログラム︵AUAP︶開始︼ ●3月 - 五島昇会長逝去。亜細亜大学アメリカプログラム︵米国派遣留学・AUAP︶を開始し︵前年には実験的にこれを実施した︶559名出発︵8月帰国︶。 ●11月 - 太田耕造先生生誕100年記念式典挙行。 ●12月 - 山崎史子、全日本学生室内テニス選手権優勝。 ●1990年︵平成2年︶︻亜細亜大学国際関係学部国際関係学科を開設︼ ●5月 - 硬式野球部、東都大学春季リーグ戦で7度目の優勝!︵小池秀郎投手、111個の奪三振大学新記録を樹立。︶ ●6月 - 硬式野球部、全日本大学選手権大会で2度目の優勝!。 ●7月 - 森稔詞、全日本学生テニス大会シングルス優勝!。岡田岳二、坂口雄二、同ダブルス優勝!。創立50周年記念事業資金募集開始!! ●10月 - 硬式野球部、東都大学リーグ戦で8度目の優勝!。 ●11月 - 経営学部開設20周年記念式典挙行。 ●12月 - 山崎史子、全日本学生室内テニス選手権優勝!︵2連覇!!︶。 ●1991年︵平成3年︶ ●4月 - 日の出校地に、トレーニングセンター竣工。 ●5月 - 衛藤瀋吉学長紫綬褒章受賞。 ●6月 - タイ国セィナカリンウィロット大学と﹁交流協定﹂締結。 ●7月 - 日本経済短期大学開設40周年記念式典挙行。森稔詞、全日本学生テニス大会シングルス優勝︵2連覇︶。森稔詞、岡田岳二、同ダブルス優勝。山崎史子、赤堀奈緒、同女子ダブルス優勝。 ●8月 - 吹奏楽団第5回海外親善演奏会、バンコクで日タイ親善演奏会開催。 ●10月 - 司馬遼太郎氏、50周年記念講演。50周年記念論文集刊行。50周年記念ビデオ&ブック完成。 ●11月 - 50周年記念国際シンポジウム開催。50周年記念﹁第1回ホームカミング・デイ﹂開催。50周年記念式典・祝賀会開催。 ●12月 - 伊東新、全日本学生室内テニス選手権男子シングルス優勝。赤堀奈緒、同女子シングルス優勝。山崎史子、赤堀奈緒、同女子ダブルス優勝。 ●1992年︵平成4年︶ ●1月 - 7号館︵新教室棟︶竣工。 ●2月 - 4号館取壊し︵2月~6月︶。 ●11月 - ﹃亜細亜学園50年史﹄﹃亜細亜学園50年﹄刊行。 ●1993年︵平成5年︶︻日本経済短期大学を亜細亜大学短期大学部と改称︼ ●4月 - 日本経済短期大学が亜細亜大学短期大学部に校名変更。新武道館竣工。 ●6月 - エチオピア留学生ビズネ、全日本陸上選手権3千メートル障害優勝。 ●11月 - アジア女子ローンテニス部、全日本大学対抗テニス王座決定試合優勝。三浦華子、全日本体操選手権女子個人総合優勝。 ●1994年︵平成6年︶ ●3月 - 太田耕造記念館竣工。 ●4月 - 青々会館披露式典。ビズネ・ヤエ・ツーラ、織田幹雄記念国際陸上競技大会3千メートル障害物優勝。 ●6月 - 亜細亜学園後援会発足。湯山哲也、山口誉、第18回日本リバーベンチャー選手権大会二人乗りの部優勝。 ●8月 - 伊東新、全日本学生テニス選手権シングルス優勝。 ●9月 - 佐藤博康、駒田政史、全日本テニス選手権ダブルス優勝。 ●1995年︵平成7年︶ ●1 - 鈴木幸保、第68回全日本学生スキー選手権大会ジャンプ︵ノーマルヒル︶および複合優勝。 ●2 - 服部正中理事、学長に就任。 ●6 - 硬式野球部一部復帰。 ●8 - テニス部、全日本学生テニス選手権大会で男子シングルスおよびダブルス優勝。 ●10 - セパ・タクロー愛好会、第3回全日本学生セパ・タクロー選手権大会優勝︵3連覇︶。吹奏楽団、第43回全日本吹奏楽コンクール全国大会で、3年ぶり5度目の金賞受賞。●1995年 経済学部国際関係学科を廃止 ●2001年 教養部を廃止 ●2004年 短期大学部経営科の経営管理専攻と経営情報処理専攻を廃止 ●2004年 経営学部経営学科にホスピタリティ専攻を開設、亜細亜大学にアジア夢カレッジを開設 ●2006年 大学院経営学研究科︵前期博士課程︶を改編し、アジア・国際経営戦略研究科︵修士課程︶を開設 ●2007年 亜細亜大学アメリカプログラム︵略称‥AUAP︶参加学生数が1万人を突破 ●2008年 アジア・国際経営戦略研究科を博士課程前期・後期に改編 ●2009年 経営学部ホスピタリティ・マネジメント学科を開設 ●2011年 建学七十周年を迎えた。 ●2012年 国際関係学部多文化コミュニケーション学科を開設予定
教育および研究
組織
学部
●経営学部 ●経営学科 ●ホスピタリティ・マネジメント学科 ﹁自学力﹂をモットーにビジネスパーソンを育成。実学を重視した教育を行う。第一線で活躍する経営者を講師に招いて行うトップマネジメント特別講座では経営現場の最前線にふれる。ホスピタリティ・マネジメント学科は、平成16年に経営学科内にホスピタリティ専攻として発足したもの︵この専攻は源流をさらにさかのぼれば、昭和45年︵1970年︶、経営学科内に開設された﹁ホテル・観光学講座﹂︶であり、2009年度から学科となった。 ●経済学部 ●経済学科 2年次から政策科学、経済情報分析、都市経済コミュニティ、アジア・国際人の4コースに分かれる。実社会から経済学の最新テーマを取り上げる講義や他学部の科目も受講でき、多様な角度から幅広い知識を修得できる。 ●法学部 ●法律学科 法曹をはじめ、法律学の専門知識を身につけた公務員、企業人を育成する。2年次から法科大学院、公務員、企業、現代法文化の4コースに分かれる。4年間を通した少人数によるゼミナール教育を展開。 ●国際関係学部 ●国際関係学科 ●多文化コミュニケーション学科 1年次後期に原則としてAUAP︵亜細亜大学アメリカプログラム︶によって、アメリカ・ワシントン州に5ヶ月間留学する。2年次から国際関係、国際協力交流、国際地域研究の3つのエリアが設けられている。また、地域言語︵第二外国語に相当︶として韓国語、中国語、インドネシア語、ヒンディー語、アラビア語、スペイン語︵これに加えて留学生のみ日本語もある︶の中からひとつ選んで履修しなければならない︵必修6単位︶。また、1年次からのゼミが4年次まで一貫して必修であり、他学部に比べて少人数教育を多く行っている。 卒業条件にTOEIC600点以上など制約がある。大学院
●経営学研究科︵博士後期課程︶ ●経営学専攻 経営学・会計学の専門領域につき、研究者として自立的研究活動を行い、又は企業組織等における専門家として、高度の専門的業務に従事するために必要な高度の研究能力及びその基礎となる学識の養成をする。 ●経済学研究科︵修士課程︶︵博士前期課程・博士後期課程︶ ●経済学専攻 高度の専門知識を有し、複雑化する経済社会の変化に対応できる深い分析力・洞察力を身につけた研究者と専門的職業人を育成することにより、日本とアジアの発展に寄与することを目的とする。 ●法学研究科︵修士課程︶︵博士前期課程・博士後期課程︶ ●法律学専攻 多様化する法学の諸分野を対象に専門的学術を研究し教授することによって、研究者、高度専門職業人、および高度の法的教養を身につけて広く諸国で活躍する人材を育成する。 ●アジア・国際経営戦略研究科︵修士課程︶︵博士前期課程・博士後期課程︶ ●アジア・国際経営戦略専攻 グローバルな視点でアジア・中国の地域特性を展望し、環境・資源、産業技術政策等のマクロな諸問題への洞察をも踏まえた経営戦略の策定能力および実行力の涵養をもって、21世紀のアジア・中国地域での企業活動をリードする人材の育成を教育研究目的とする。別科
●留学生別科 亜細亜大学への進学を目ざす留学生が、準備段階として主に日本語と日本事情を1年間学修するコース。短期大学部
●短期大学部 ●経営科 短大では珍しい2年間一貫のゼミナールを軸に、経営・会計・情報の理論と実務のほか、外国語科目、そして幅広い知識と豊かな人間性を培うための教養科目を学ぶ。また、一人ひとりの将来計画に応じてフレキシブルに学べるよう、﹁経営管理﹂﹁企業会計﹂﹁文化産業﹂の3つのコース制を導入している。教育
留学プログラム
亜細亜大学では、以下のような留学プログラムが存在する。AUAP
AUAP︵Asia University America Program‥亜細亜大学アメリカプログラム︶とは、5ヶ月間のアメリカ留学プログラムであり、この大学を代表する語学留学プログラムである。1988年に実験的に行われ、翌1989年から本格的に実施され現在に至る。このプログラムでは、アメリカ合衆国ワシントン州にあるセントラル・ワシントン大学、イースタン・ワシントン大学、ウエスタン・ワシントン大学のいずれかに派遣される。また、AUAPが本格実施されてから20年目の節目となる2009年度からはアリゾナ州立大学︵現地既設プログラムに参加/ホームステイ︶が加わり、同大学の希望者は選考を経た上で派遣される事となった︵派遣されるのは十数名程度︶。 国際関係学部ではこれが必修となっているが、留学生の場合は希望制であり、ビザ等の許可が下りた留学生のみ参加可能である。他学部の学生も希望者は全員参加することができる。国際関係学部では1年次後期︵例年9月から2月まで︶に、他学部希望者は1年次後期から2年次前期︵例年2月から7月まで︶にかけて留学する。他学部希望者によるAUAPは﹁Cycle 1﹂、国際関係学部によるAUAPは﹁Cycle 2﹂とも呼ばれる。このプログラムに参加した学生は、現地で17単位を卒業単位として修得することができる。なお、アジア夢カレッジ︵国際関係学部在学生含む︶及び経営学部ホスピタリティマネジメント学科に所属する学生は参加できない。AUGP
AUGP︵Asia University Global Program‥亜細亜大学グローバルプログラム︶とは、春ないし夏の長期休暇中におおよそ1ヵ月半前後の短期留学プログラムである。アイルランド・アメリカ・カナダ・イギリス・インドネシア・インド・韓国・中国・オーストラリア・モンゴル・ロシア・スペインの合計12カ国から選べ、希望者は誰でも参加できる。このプログラムに参加した学生は、現地で卒業単位を習得することができる。但し、規定人数に達しなかった場合やその他該当国・地域の情勢等によって中止される事もある。AUEP
AUEP︵Asia University Exchange Program‥亜細亜大学交換・派遣留学プログラム︶とは、1年間の交換留学プログラムである。AUAPやAUGPと違い、所定の条件などがあり、選抜試験を行う。派遣先国及び地域は、インドネシア・韓国・タイ・アメリカ・中国・台湾・香港・モンゴル・シンガポール・スロバキアである。このプログラムを利用して留学する学生は、派遣先大学によって亜細亜大学または派遣先大学あるいはその両方から生活費やその他補助費が給付される。このプログラムに利用して留学する期間は休学扱いとなるため、標準の4年を超えて5年以上大学に在籍することになる。留学生
亜細亜大学には300人を超える留学生が在籍しており、アジア諸国からの学生が大半を占めるが、その中でも中国をはじめとする中国語圏から来た学生が特に割合が高い。今日の日本国内の他大学においても中国人留学生の割合が高いが、亜細亜大学では中国の大連外国語学院から毎年40人以上の多くの学生を3年次からの編入生として受け入れていることも挙げられる。その他
上記のプログラム以外に外務省の在外公館派遣制度などでも﹁留学﹂の身分が与えられる事がある。学生生活
出会いの広場
﹁出会いの広場﹂とは、入学して数日後に国際関係学部と法学部が日光・鬼怒川において実施する新入生オリエンテーション合宿である。この目的は、新入生同士や上級生・教員らとの交流し、大学生活において緊張感を緩和させることや、建学精神や歴史、同行する先輩学生である補助学生の経験談を通して学生生活の意義について学び、新たな学生生活が円滑にスタートできるようにする事である。部活動・クラブ活動・サークル活動
各団体は学術文化連合会、体育会、届出団体の3種類に分かれ、亜細亜大学で活動する団体はいずれかに属さなければならない。 ●中央執行委員会 ●中央執行委員長及び副委員長を始め、5局からなる。 ●学術文化連合会︵通称‥文連︶ ●文化系団体の連合体であり、2009年8月現在、文連本部と称される学術文化連合会執行委員会を筆頭に32団体が所属している。 ●体育会 ●その名の通り、野球部や陸上部など体育系の団体が所属している。学園祭
●学園祭は﹁アジア祭﹂と呼ばれ、毎年11月1日から3日間行われるのが慣例であるが、2009年度は4日間行われた。 この他にも、体育祭と県人会連合会による﹁県人祭﹂が5月、学術文化連合会による﹁文連祭﹂が6月、体育会による﹁銀杏祭︵ぎんきょうさい︶﹂が12月に毎年それぞれ行われている。アジア祭と合わせてこれらを﹁五大祭﹂と呼ぶことがある。体育祭を除くいずれの祭りも、お笑い芸人によるゲストライブなどがあり、アジア祭においては歌手によるコンサートも開催される。スポーツ
●硬式野球部は東都大学野球連盟に加盟しており、全国的な強豪である。 ●硬式庭球部は関東1部リーグと言う一番強豪なリーグに所属しており、過去には日本一にもなった事がある。年に一度フューチャーズと言う世界ランキングのポイントを獲得出来る世界大会を開催している。監督、コーチ共に日本を代表する元プロテニスプレイヤー。 ●陸上競技部はソウルオリンピック女子1万メートル代表の松野明美を育てた岡田正裕監督の指導により、第82回東京箱根間往復大学駅伝競走で初優勝を果たしている。 ●セパタクロー部は日本国内では数少ない大学セパタクロー部でセパタクローが日本に紹介された翌年には結成されており、日本セパタクロー協会に加盟する団体の中ではかなり古い組織となっている。大学関係者と組織
大学関係者組織
●亜細亜大学の同窓会は﹁青々会﹂と称し、国内66の地域支部組織のほか、アメリカ、台湾、香港、タイ、韓国、マレーシア、中国など、海外にも支部組織が広がっている。 卒業生数は約7万人。大学関係者一覧
●亜細亜大学の人物一覧施設
武蔵野キャンパス
●武蔵野キャンパス JR中央線武蔵境駅北口から徒歩12分 北口バスターミナルから小田急バス﹁桜堤団地行︵団地入口経由︶﹂で﹁亜細亜大学北﹂下車、徒歩1分 北口スイングビル前バス停﹁武蔵境駅北口︵0番︶﹂からコミュニティバス︵ムーバス︶で﹁境5丁目︵6番︶﹂または、﹁亜細亜大学南門︵7番︶﹂下車、徒歩0分日の出キャンパス
●日の出キャンパス 東京都西多摩郡日の出町大字平井1466 武蔵引田駅から徒歩10分。 主にグラウンドなどを始めとした施設があり、運動用のキャンパスである。一部授業も行われる。対外関係
成蹊大学、東京女子大学、日本獣医生命科学大学、武蔵野大学と単位互換協定を結んでおり、各大学で提供されている科目を卒業単位として履修できる。留学協定締結校
●セントラルワシントン大学︵アメリカ︶※ ●イースタンワシントン大学︵アメリカ︶※ ●ウェスタンワシントン大学︵アメリカ︶※ ●北京師範大学︵中国︶※ ●慶煕大学校︵韓国︶※ ●ノーザン・ブリティッシュ・コロンビア大学︵カナダ︶ ●レディング大学︵イギリス︶ ●モンゴル国立教育大学︵モンゴル︶※ ●リムレック大学︵アイルランド︶ ●ボイジー州立大学︵アメリカ︶※ ●タスマニア大学︵オーストラリア︶ ●ティラク・マハーラーシュトラ大学︵インド︶ ●パジャジャラン大学︵インドネシア︶ ●サラマンカ大学︵スペイン︶ ●サンクトペテルブルク国立大学︵ロシア︶ ●香港中文大学新亜書院︵香港︶※ ●新疆財経大学︵中国︶※ ●大連外国語学院︵中国︶※ ●淡江大学︵台湾︶※ ●シンガポール国立大学︵シンガポール︶※ ●マテイベル大学︵スロバキア︶※ ●インドネシア大学︵インドネシア︶※ ●シーナカリンウィロート大学︵タイ︶※ ●※のある大学はAUEP派遣先大学でもある関係校
直接的な系列校ではないが、学校法人五島育英会が設置している以下の大学とは亜細亜大学の理事長が東急グループの関係者が関わったことで関係がある。公式サイト
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