「毛利元知」の版間の差分
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2017年9月15日 (金) 13:05時点における版
毛利 元知︵もうり もととも、寛永8年6月22日︵1631年7月21日︶ - 天和3年閏5月14日︵1683年7月8日︶︶は、長門国清末藩の初代藩主。
長府藩初代藩主・毛利秀元︵毛利元就の孫︶の三男。母は長沼氏︵本光院︶。正室は七沢清宗の娘・蓮華院︵宝樹院の異父妹。増山正利の養女。青木利長の娘との説もある︶。側室に船越氏、小笠原氏がいる。子に元武︵長男︶、元平︵次男︶、稲葉正方︵三男︶。官位は従五位下、刑部少輔。
摂津国大坂で生まれる。承応2年︵1653年︶に長府藩主であった兄の光広が死去して甥の綱元が跡を継ぐと、亡父の秀元の遺言もあって元知は綱元から1万石を分与され、清末藩を立藩するに至った。この清末藩は、毛利氏の三支藩の一つとして厚遇された。
天和3年︵1683年︶閏5月14日、江戸で死去した。享年53。跡を次男・元平が継いだ。法号は高林院涼岸常清。墓所は東京都港区高輪の泉岳寺。