アヴィス王朝
概要[編集]
創始者であるジョアン1世から最後の国王であるエンリケ1世に至る200年近くの期間のほとんどはポルトガルの﹁大航海時代﹂と重複する[1]。 エンリケ航海王子が実施したアフリカ大陸への進出、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路開拓によって、大西洋とインド洋にまたがる﹁ポルトガル海上帝国﹂が出現した[1]。 香料交易の衰退とともにポルトガルの国力は低下し、1580年にスペイン王フェリペ2世が空位となったポルトガル王位に就き、王朝は滅亡を迎える。歴史[編集]
成立の背景[編集]
13世紀のレコンキスタの達成︵敵対的ムスリム勢力の排除︶後、ポルトガル社会は封建領主が支配する北部地域、富を蓄えた自治都市のブルジョアジーが影響力を行使する中部地域、騎士修道会が支配する南部地域に三分される[2]。1348年秋に流行した黒死病によってポルトガルの総人口は約3分の2に減少し、リスボン、コインブラなどの都市部は深刻な被害を受ける[3][4]。黒死病は零細農民の都市部への流入と農村部の人口の減少、黒死病を恐れる貴族や地主による教会・修道院への土地の寄進などの現象を引き起こし、固定地代に依存していた貴族層の経済力は低下する[4]。他方、一部の都市ブルジョアジーはワイン、オリーブオイルなどの輸出によって利益を得るようになり、ポルトガル王はリスボン商人を初めとする新興資産家を政治基盤に取り込むために頻繁にコルテス︵身分制議会︶を開催し、相対的に王権が強化されていった[4]。 黒死病の流行前からポルトガルと隣国のカスティーリャ王国の関係は悪化しており、ポルトガル王フェルナンド1世はカスティーリャ王国の王位継承権を主張して3度の戦争を実施するが、戦争はポルトガルの敗北に終わる[5]。戦争の結果ポルトガルの国土は荒廃し、戦後の和約でカスティーリャ王フアン1世とフェルナンドのただ一人の子であるベアトリスの結婚が取り決められたため、ポルトガルがカスティーリャに併合される可能性が生じた[5]。 1383年10月にフェルナンド1世が没した後、ベアトリスがポルトガル女王に即位した。大貴族メネゼス家出身の王太后レオノール・テレスが摂政となり、貴族らと共に専制政治が始まった。戦争に疲弊し、経済的に困窮する都市の下層民や職人層の反乱がベアトリスの即位前から各地で勃発し、都市下層民と一部の貴族はカスティーリャとの戦争で利益を得たレオノールとその寵臣であるオーレム伯アンデイロを悪政の元凶として敵視していた[6]。王朝の創始[編集]
西アフリカの探検[編集]
カスティーリャ王位継承への介入[編集]
ポルトガル海上帝国の成立[編集]
若き国王の戦死、後継者問題の勃発[編集]
王朝の断絶、イベリア連合の成立[編集]
ポルトガルの再分離[編集]
王権の強化[編集]
アヴィス王朝の歴代の国王は王権の強化を計り、様々な試みを打ち出した。 ジョアン1世は商人からの援助の取り付けを試み、政治的・経済的に重要な要職に就く人物をポルトガル国内のブルジョアジー、小貴族、職人層の人間の中から抜擢した[10]。アヴィス派の蜂起に財政支援という形で協力したリスボンやポルトのブルジョアジーには、政府の政策決定に参画する権利が認められる[48]。同時に新興の土地貴族が勢力を伸ばし、新しい封建領主層の代表者であるヌノ・アルヴァレス・ペレイラが隠棲した後、彼の娘婿でジョアン1世の庶子でもあるドン・アフォンソが義父の財産と政治的地位を相続した[10]。ジョアン1世が創設した常備軍によって王権は強化され、彼の存命中に王子ドゥアルテが国政に参画したため、次第に国王とコルテスの間に距離が生じていった[49]。 ジョアン1世は王朝の功績があった貴族に多くの所領を与えたため、国庫は窮乏に陥っていた[50]。ジョアン1世の跡を継いだドゥアルテ1世は恩賞として与えた土地・財産の相続人を長男に限定し、それらの資産の売却・分割を認めず、女性・尊属・傍系親族を相続人と認めない不文律を成文法として制定する[50]。 ジョアン1世の治世にコルテスは公判かつ複雑な法令の簡略化と統一を要請し、アフォンソ5世の治世に法典が完成した[51]。ドン・ペドロの摂政時代の1446年にアフォンソ法典が発布され、法制による国内の統合が試みられた。ドン・ペドロが没した後のアフォンソ5世の親政時代には貴族が王権の強化に反発し、アフォンソ5世は対外戦争に従軍した代償として多くの王領地を貴族に授与した[52]。 ジョアン2世からジョアン3世にかけての治世に、海外交易によって得た莫大な収益を背景として行われた王権の強化は成功を収める[52]。アフォンソ5世の治世まで毎年開催されていたコルテスの頻度はジョアン2世の低下から低下し、課税にあたって国王はコルテスの承認を得る必要がなくなっていた[53]。ジョアン2世は大貴族の力を抑え、中小貴族にポルトガル本国や海外拠点の官職を与えて宮廷貴族とし、彼らの後ろ盾となった[54]。 ジョアン2世の跡を継いだマヌエル1世は貴族に対して寛大な態度をとったアフォンソ5世の方針と容赦の無い弾圧を加えたジョアン2世の方針の折衷案として、王権に敵対する党派に妥協的な姿勢をもって接する[55]。マヌエル1世の在位中には貴族の伝統的な権利を保護するためにスペイン風の制度を導入し、同時にブルジョワジーの力を抑制した[56]。マヌエル1世の即位時にキリスト騎士団、ジョアン3世の治世にサンティアゴ騎士団とアヴィス騎士団が王室に吸収されたためにこれまで騎士修道会の勢力下にあったポルトガル南部が王領地に併合され、王領地がポルトガル本土の半分以上を占めるようになった[53][57]。1512年に発布された新たな法典である﹃マヌエル法典﹄には、中央集権化を推進するルネサンス時代の特徴が現れている[58]。﹃マヌエル法典﹄の公布によって各地のコンセーリョ︵自治共同体︶は自治権を失い、フォラル︵特許状︶は国法の遵守と国王への義務を明記する文書に変質し、ポルトガルの官僚絶対主義国家への転換が進んでいく[59]。 ジョアン3世の時代になると国王の権威はより高められ、これまで神に対して使用されていた﹁Najestade﹂の称号が国王に対して使われるようになる[59]。ジョアン3世の治世の末期からセバスティアン1世の治世の大部分にポルトガルは安定期を迎え、大規模な変革は起こらなかった[36]。セバスティアン1世の摂政のカタリナとドン・エンリケ、親政を開始したセバスティアン1世らの治世に施行された法律の大部分は信仰や教会に関するものだった[36]。社会[編集]
ポルトガルの首都リスボンは海外交易と行政の中心として急速に発展し、イベリア半島最大の都市に成長する[53]。人口はリスボンに集中し、ポルト、コインブラ、エヴォラなどの地方都市の人口は100,000を超える人口を抱えるリスボンと開きがあり、規模は20,000人以下に収まっていた[53][60]。また、国勢調査の結果からポルトガル南部は都市内部に世帯が集中し、北部は都市内部よりも周辺域の世帯が多い地域性が判明している[61]。 マヌエル1世の治世に中央の行政・裁判機関である宮廷控訴院が設置され、地方の行政・裁判単位は6の州に区画される。16世紀諸島のポルトガルの州は北からエントレ・ドーロ・イ・ミーニョ、トラズ・オズ・モンテス、ベイラ、エストゥレマドゥーラ、エントレ・テージョ・イ・グァディアナ、アルガルヴェに区画されていた[62]。そのうちポルトガル王国建国後の1143年に征服されたアルガルヴェは王国として扱われていたため、ポルトガル国王は﹁ポルトガル並びにアルガルヴェの王﹂と称されていた[63]。州の長官であるコレジェドールは任地のコンセーリョの行政・裁判・警察に強力な権限を行使し、コレジェドールの下に城代であるアルカイデ・モルとコンセーリョの代表者︵オーメン・ボン︶から選出される数人のアルカイデ・ペケノが置かれていた[63]。オーメン・ボンを選出するコンセーリョ内の選挙、裁判官、市会議員、物価監督官と言ったコンセーリョ内の役職者や自治体で起きた揉め事はコレジェドールの監督下に置かれ、中央から派遣された長官の権力の強化と自治体の独立性の減退をもたらした[63]。 王朝の成立の契機となった1383年の内乱において王国の摂政権を争う勢力は都市と農村で支持基盤の強化にいそしみ、結果的に内乱は様々な層の人間が政治に参加する契機となった[64]。内乱を経てポルトガルの政治的再編が行われ、旧来の大貴族層に代わって新興の貴族が権力を握った[65]。14世紀後半のポルトガルを襲った経済危機の中で富豪層とブルジョアジーで構成される中産階級が力をつけ、彼らは下層民や貴族と反目していた[66]。政治権力と名誉を志向する富豪層と異なり、富豪層よりも数の多いブルジョワジーは収入の増加と商機の拡大を望んでいた[66]。ポルトガルのアフリカ政策において土地の獲得を望む貴族、商業的影響力の拡大を望むブルジョアジーの利害が対立する[67]。ドン・ペドロの摂政時代にはペドロを支持する商人と地主層の対立が発生し、権力闘争の結果ペドロは摂政職を解任される[68]。16世紀半ばから他の国と同じようにポルトガルでも商人の数が減少し、資本が小数の集団に集まる動きが見られた[69]。 ポルトガル南部に広がる広大な私有地︵ラティフンディオ︶では労働力が不足しており、労働力を補うためにモロッコや西アフリカで奴隷狩りが行われ、黒人奴隷の売買は南アメリカの植民地開拓まで続けられた[70]。ポルトガルに流入する黒人の数は増加するが、アフリカから連行された奴隷には多くの法的な権利が認められていなかった[71]。16世紀に入るとアフリカで確保した多くの黒人奴隷がブラジルに労働力として送られるようになり、アフリカ・ブラジル間の奴隷貿易は成功を収める[72]。やがて黒人奴隷とポルトガル人の混血が進んでいき、ポルトガルに居住するアフリカ系の黒人は徐々にポルトガル人のマジョリティの中に溶け込んでいく[70]。 1492年にスペインから追放されたユダヤ人の多くはポルトガルに流入し、国王マヌエル1世はスペインに配慮してユダヤ人の追放を宣言したものの、彼らは金融・経済・知的専門職・職工としてポルトガル社会の中で重要な役割を担っていたため、ポルトガルに留め置かれた[73]。レコンキスタを達成したスペインで起きた宗教的寛容の喪失はポルトガルにも及び、1497年にイスラム教徒とユダヤ教徒の礼拝式が法律によって禁止される[74]。同1497年にユダヤ人の強制改宗が行われ、彼らは﹁新キリスト教徒﹂と呼ばれて一般のキリスト教徒と区別された[73]。新キリスト教徒はこれまでキリスト教徒のみが占有していた分野に進出したため、民衆は新たな反ユダヤ感情を抱き、1506年にリスボンで2,000人のユダヤ人が虐殺されるポグロム︵ユダヤ人への迫害︶が発生する[75]。マヌエル1世は暴動の首謀者に厳罰を与え、新キリスト教徒に対する差別を禁止する[75]。 マヌエル1世とジョアン3世は王権の強化のための道具として異端審問所を設置したが、プロテスタントとキリスト教徒との急速な同化によって数を減らしていた新キリスト教徒は当時のポルトガルの宗教的統一を妨げる要素とならなかった[76]。このため異端審問所は存在の意義を確かなものにするために、信仰から逸脱した疑いがあるあらゆる行為に弾圧を加え、新キリスト教徒も攻撃の対象とされた[76]。異端審問所の迫害を恐れた新キリスト教徒はオランダ、フランス、ドイツ、北アフリカ、トルコに亡命し、宗教的に寛容だったオランダのアムステルダムには新キリスト教徒の居住区が形成された[77]。アムステルダムの新キリスト教徒は移住後もポルトガルやその植民地であるブラジルとの商取引を続け、オランダ経済の発展に貢献した[77]。経済[編集]
フェルナンド1世の軍事行動、ジョアン1世在位中の戦役などの理由によって、1369年からポルトガルで急激なインフレーションが発生する[78]。14世紀末にポルトガルの戦争は事実上終結するが、ポルトガル経済は調整段階にあり、1409年にインフレーションはピークを迎える[78]。14世紀末に従来ポルトガルで使用されていたディニェイロ通貨に代えてカスティーリャを模倣したレアルが取って代わり、1435年から1436年にかけてのドゥアルテ1世の治世に通貨を安定させることに成功する[78]。15世紀初頭に外国の通貨、あるいは現物が取引の決済に使われることがしばしばあり、民衆がポルトガルの通貨を受け入れなかったため、国王は政令によって強制的に自国の通貨の流通を促した[79]。金の流通元であるアフリカへの進出、銀の採掘技術の改良によってポルトガルに流入する金と銀の量は増加し、1489年に通貨改革が実施されてからおよそ50年間ポルトガルの通貨は安定した状態を保っていた[80]。ポルトガル国内で数十の異なる度量衡が使われている状況は全国的な商取引の障害となっていたが、アヴィス王朝時代に特定の分野で度量衡の数の制限や基準の強制的な統一に成功する[58]。アフォンソ5世とジョアン2世はサンタレン、ポルト、リスボンの基準を全国に適用し、マヌエル1世は1499年に国内で使用される全ての度量衡をリスボンの市参事会で決定された基準に定めた[58]。 1450年代から1550年代にかけてポルトガルでは開墾運動が進展し、重要な事例としてコインブラ大聖堂とサンタクルス修道院によるモンデゴ川下流域の開墾事業が上げられている[81]。12世紀から13世紀にかけて開発された土地では小麦やライ麦などの穀物が栽培されていたが、15世紀半ばに開墾された土地では少ない人手で多くの収益が得られるブドウとオリーブが優先的に栽培された[81]。スペインによってアメリカ大陸からヨーロッパ大陸にもたらされたトウモロコシはポルトガル農民に受け入れられていき、伝統的な小麦畑は減少していった[82]。家畜の放牧移動が農地に与える損害を抑えるために放牧地の数と面積は削減され、農業の発達と耕地の増加は牧畜の衰退をもたらしている[83]。 官僚、軍隊の維持と宮廷貴族の扶養に多くの出費を要し、王室の財政は常に逼迫した状態に置かれていた[84]。1500年にマヌエル1世は公債︵パドラン・デ・ジュロ︶を発行するが、やがて香料貿易で得た全ての利益を利子の支払いに充填しなければならなくなる[84]。海外貿易の展開[編集]
文化[編集]
歴代国王[編集]
アヴィス家[編集]
名前 | 在位 | |
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1 | ジョアン1世 | 1385年 - 1433年 |
2 | ドゥアルテ1世 | 1433年 - 1438年 |
3 | アフォンソ5世 | 1438年 - 1481年 |
4 | ジョアン2世 | 1481年 - 1495年 |
アヴィス=ベージャ家[編集]
名前 | 在位 | |
---|---|---|
1 | マヌエル1世 | 1495年 - 1521年 |
2 | ジョアン3世 | 1521年 - 1557年 |
3 | セバスティアン1世 | 1557年 - 1578年 |
4 | エンリケ1世 | 1578年 - 1580年 |
(※王位請求者) | アントニオ1世 | 1580年 - 1583年 |
系図[編集]
コンスタンサ・マヌエル |
| ペドロ1世 ポルトガル王 |
| テレサ・ロレンソ |
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フェルナンド1世 ポルトガル王 |
| フィリパ・デ・レンカストレ |
| ジョアン1世 ポルトガル王 |
| イネス・ペレス・エステヴェス |
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ベアトリス (ポルトガル女王) |
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レオノール・デ・アラゴン |
| ドゥアルテ1世 ポルトガル王 |
| ベドロ コインブラ公 |
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| エンリケ航海王子 |
| フェルナンド聖王子 |
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| ジョアン |
| イザベル・デ・バルセロス |
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| フェルナンド1世 ブラガンサ公 |
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アフォンソ5世 ポルトガル王 |
| イザベル・デ・コインブラ |
| ペドロ5世 (アラゴン王) |
| フリードリヒ3世 神聖ローマ皇帝 |
| レオノール |
| フェルナンド ヴィゼウ公 |
| ベアトリス |
| イザベル |
| フアン2世 カスティーリャ王 |
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ジョアン2世 ポルトガル王 |
| レオノール・デ・ヴィゼウ |
| マクシミリアン1世 神聖ローマ皇帝 |
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| フェルナンド2世 アラゴン王 |
| イサベル1世 カスティーリャ女王 |
| イザベル・デ・ヴィゼウ |
| フェルナンド2世 ブラガンサ公 |
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ジョルジェ コインブラ公 |
| アフォンソ |
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| フィリップ美公 |
| フアナ カスティーリャ女王 |
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| イザベル・デ・アラゴン |
| マヌエル1世 ポルトガル王 |
| マリア・デ・アラゴン |
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| ジャイメ1世 ブラガンサ公 |
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| レオノール・デ・アウストリア |
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カタリナ・デ・アウストリア |
| ジョアン3世 ポルトガル王 |
| イザベル |
| カルロス1世 スペイン王 神聖ローマ皇帝 |
| ベアトリス |
| カルロ3世 サヴォイア公 |
| エンリケ1世 ポルトガル王 |
| ルイス ベージャ公 |
| ドゥアルテ ギマランイス公 |
| イザベル・デ・ブラガンサ |
| テオドジオ1世 ブラガンサ公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ジョアン・マヌエル |
| ジョアナ・デ・アウストリア |
| マリア・マヌエラ |
| フェリペ2世 スペイン王 ポルトガル王 |
| マルゲリータ・ダウストリア |
| オッターヴィオ パルマ公 |
| エマヌエーレ・フィリベルト サヴォイア公 |
| アントニオ1世 (ポルトガル王) |
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| カタリナ・デ・ギマランイス |
| ジョアン1世 ブラガンサ公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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| セバスティアン1世 ポルトガル王 |
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| フェリペ3世 スペイン王 ポルトガル王 |
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| アレッサンドロ パルマ公 |
| マリア・デ・ギマランイス |
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| テオドジオ2世 ブラガンサ公 |
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| フェリペ4世 スペイン王 ポルトガル王 |
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| ラヌッチョ1世 パルマ公 |
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| ジョアン4世 ポルトガル王 |
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| カルロス2世 スペイン王 |
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| ブラガンサ王朝 |
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凡例[編集]
脚注[編集]
- ^ a b 金七「アビス朝」『スペイン・ポルトガルを知る事典』新訂増補版、11頁
- ^ バーミンガム『ポルトガルの歴史』、33頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、97-98頁
- ^ a b c 合田「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』、369頁
- ^ a b 合田「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』、370頁
- ^ 合田「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』、370-371頁
- ^ a b c d e 合田「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』、371頁
- ^ 合田「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』、372頁
- ^ a b バーミンガム『ポルトガルの歴史』、36頁
- ^ a b c マルケス『ポルトガル』1、115頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、114頁
- ^ a b c d 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、378頁
- ^ a b c マルケス『ポルトガル』1、116頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、69頁
- ^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、377-378頁
- ^ a b 金七『ポルトガル史』増補版、74頁
- ^ a b c d e 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、379頁
- ^ a b c マルケス『ポルトガル』1、117頁
- ^ a b 金七『ポルトガル史』増補版、76頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、173-174頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、174頁
- ^ a b 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、381頁
- ^ a b c d マルケス『ポルトガル』1、175頁
- ^ a b バーミンガム『ポルトガルの歴史』、44頁
- ^ a b 金七『ポルトガル史』増補版、82頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、79頁
- ^ バーミンガム『ポルトガルの歴史』、42-43頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、176-177頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、178頁
- ^ a b c 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、382頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、178-179頁
- ^ a b c d 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、383頁
- ^ a b マルケス『ポルトガル』1、179頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、179頁
- ^ 安部『波乱万丈のポルトガル史』、135頁
- ^ a b c d マルケス『ポルトガル』2、37頁
- ^ a b c 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、390頁
- ^ a b c マルケス『ポルトガル』2、38頁
- ^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、390-391頁
- ^ 安部『波乱万丈のポルトガル史』、140頁
- ^ a b c d マルケス『ポルトガル』2、39頁
- ^ マルケス『ポルトガル』2、39-40頁
- ^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、391頁
- ^ バーミンガム『ポルトガルの歴史』、48頁
- ^ a b マルケス『ポルトガル』2、40頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、118頁
- ^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、392頁
- ^ 合田「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』、372-373頁
- ^ ブールドン『ポルトガル史』、43-44頁
- ^ a b 安部『波乱万丈のポルトガル史』、69頁
- ^ ブールドン『ポルトガル史』、44頁
- ^ a b c d 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、385頁
- ^ a b c d 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、386頁
- ^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、385-386頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、176頁
- ^ バーミンガム『ポルトガルの歴史』、45頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、101-102頁
- ^ a b c マルケス『ポルトガル』1、150頁
- ^ a b 金七『ポルトガル史』増補版、102頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、110頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、111頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、102-103頁
- ^ a b c 金七『ポルトガル史』増補版、103頁
- ^ a b バーミンガム『ポルトガルの歴史』、34頁
- ^ 合田「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』、371-372頁
- ^ a b マルケス『ポルトガル』1、101頁
- ^ 合田「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』、378-379頁
- ^ バーミンガム『ポルトガルの歴史』、40-41頁
- ^ マルケス『ポルトガル』2、24頁
- ^ a b バーミンガム『ポルトガルの歴史』、41-42頁
- ^ バーミンガム『ポルトガルの歴史』、41頁
- ^ バーミンガム『ポルトガルの歴史』、43頁
- ^ a b c 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、389頁
- ^ バーミンガム『ポルトガルの歴史』、47頁
- ^ a b 金七『ポルトガル史』増補版、107頁
- ^ a b マルケス『ポルトガル』2、21頁
- ^ a b c 金七『ポルトガル史』増補版、109頁
- ^ a b c マルケス『ポルトガル』1、100頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、100-101頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、150-151頁
- ^ a b マルケス『ポルトガル』1、145頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、146頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、147頁
- ^ a b 金七『ポルトガル史』増補版、115-116頁
- ^ a b バーミンガム『ポルトガルの歴史』、40頁
- ^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、379,381頁
- ^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、384頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、113-114頁
- ^ バーミンガム『ポルトガルの歴史』、37頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、114頁
- ^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、387頁
- ^ a b マルケス『ポルトガル』1、103頁
- ^ a b マルケス『ポルトガル』1、166頁
- ^ a b c マルケス『ポルトガル』1、163頁
- ^ a b 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、388頁
- ^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、388-389頁
- ^ マルケス『ポルトガル』1、164-165頁
- ^ a b c d e マルケス『ポルトガル』2、30-31頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、120頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、109-110,120頁
- ^ 金七『ポルトガル史』増補版、121頁
参考文献[編集]
- 安部真穏『波乱万丈のポルトガル史』(泰流選書, 泰流社, 1994年7月)
- 金七紀男「アビス朝」『スペイン・ポルトガルを知る事典』新訂増補版収録(平凡社, 2001年10月)
- 金七紀男『ポルトガル史』増補版(彩流社、2003年4月)
- 合田昌史「ポルトガルの誕生」『スペイン・ポルトガル史』収録(立石博高編、新版世界各国史、山川出版社、2000年6月)
- 合田昌史「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』収録(立石博高編、新版世界各国史、山川出版社、2000年6月)
- デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』(ケンブリッジ版世界各国史, 創土社, 2002年4月)
- アルベール=アラン・ブールドン『ポルトガル史』(福嶋正徳、広田正敏共訳、文庫クセジュ、白水社、1979年5月)
- A.H.デ・オリヴェイラ・マルケス『ポルトガル』1(金七紀男訳、世界の教科書=歴史、ほるぷ出版、1981年11月)
- A.H.デ・オリヴェイラ・マルケス『ポルトガル』2(金七紀男訳、世界の教科書=歴史、ほるぷ出版、1981年11月)
関連項目[編集]