原田康子
原田 康子 (はらだ やすこ) | |
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1956年11月、北海道釧路市にて | |
誕生 |
1928年1月12日 日本・東京都 |
死没 |
2009年10月20日(81歳没) 日本・北海道札幌市 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 市立釧路高等女学校 |
活動期間 | 1954年 - 2009年 |
ジャンル | 小説・随筆 |
代表作 |
『サビタの記憶』(1954年) 『挽歌』(1956年) 『蝋涙』(1999年) 『海霧』(2002年) |
主な受賞歴 |
女流文学者賞(1957年) 女流文学賞(1997年) 吉川英治文学賞(2003年) |
デビュー作 | 『サビタの記憶』 |
影響を与えたもの
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ウィキポータル 文学 |
原田 康子︵はらだ やすこ、1928年1月12日 - 2009年10月20日︶は日本の小説家である。本名は佐々木康子︵旧姓‥原田︶[1]。
東北海道新聞 路新聞︶に勤務[2]。
1949年︵昭和24年︶に釧路の同人雑誌﹃北方文芸﹄に処女作﹁冬の雨﹂を発表し[注 1]、以後も同誌およびその後継誌に相当する﹃北海文学﹄を中心に短編・長編を発表する[注 2]。1951年︵昭和26年︶、東北海道新聞社の同僚と結婚[6]。1953年︵昭和28年︶、前年10月に鳥居省三らが釧路で創刊した同人雑誌﹃北海文学﹄[7][8]に同人として参加[9]、初めての長編小説﹁廃園﹂を発表[2]。1954年︵昭和29年︶、新潮同人雑誌賞に﹁サビタの記憶﹂で応募、最終候補に残って伊藤整らの高い評価を得る。翌1955年︵昭和30年︶から﹃北海文学﹄誌上に長編﹁挽歌﹂を10回に分けて連載、同人誌連載中から出版や映画化の打診があった[2]。1956年︵昭和31年︶に東都書房︵講談社︶から単行本﹃挽歌﹄として出版されると無名作家の単行本にもかかわらず翌年には113版︵113刷︶を数えるベストセラーとなり、五所平之助監督による映画化も相俟って︵ 大きな反響を呼んだ[10]。﹃挽歌﹄は翻訳され、海外数ヶ国でも出版されている。また1991年には、﹃満月﹄が﹃満月 MR.MOONLIGHT﹄のタイトルで映画化されている。
晩年まで意欲的な創作活動を展開し、生涯に﹃挽歌﹄︵1956年︶で第8回女流文学者賞を、﹃蝋涙︵ 女流文学賞を、﹃海霧︵ 文学賞を受賞している[11]。
人気作家となった後も、北海道在住のまま執筆活動を続けていたことでも知られ、2003年︵平成15年︶に北海道文化賞、北海道新聞文化賞を受賞した。また、競馬、将棋を趣味とし、それらについてのエッセイ集﹃はなれ駒あそび駒﹄もある。1998年︵平成10年︶の将棋王座戦の観戦記を執筆し、翌年、第11回将棋ペンクラブ大賞︵観戦記部門賞︶を受賞した[12]。
2009年︵平成21年︶10月20日、肺炎のため札幌市内の病院で逝去[1][11][13]。
2023年︵令和5年︶1月28日から4月23日まで釧路文学館で生誕95年を記念した企画展﹁原田康子の足跡とその作品展﹂が開催された[14][15]。
来歴・人物[編集]
1928年︵昭和3年︶東京府生まれ、2歳から北海道釧路市で育つ[2]。市立釧路高等女学校︵現・北海道釧路江南高等学校︶卒業後、1949年から作品リスト[編集]
●﹃挽歌﹄ 東都書房 1956 ︵のち角川文庫、新潮文庫︶ ●﹃サビタの記憶﹄ 新潮社 1957 ︵のち角川文庫、﹃サビタの記憶・廃園﹄1991 新潮文庫︶ ●﹃廃園﹄ 筑摩書房 1958 ︵のち角川文庫︶ ●﹃輪唱﹄ 東都書房 1958 ︵のち角川文庫︶ ●﹃いたずら﹄ 東都書房 1960 ︵のち集英社文庫︶ ●﹃病める丘﹄ 新潮社 1960 ︵のち新潮文庫︶ ●﹃殺人者﹄ 中央公論社 1962 ︵のち角川文庫、新潮文庫︶ ●﹃望郷﹄ 文芸春秋新社 1964 ︵のち文庫、角川文庫︶ ●﹃北の林﹄ 新潮社 1968 ︵のち新潮文庫︶ ●﹃北国抄﹄ 読売新聞社 1973 ︵のち角川文庫︶ ●﹃虹﹄ 作品社 1979 ︵のち集英社文庫︶ ●﹃日曜日の白い雲﹄ 講談社 1979 ︵のち講談社文庫、角川文庫︶ ●﹃素直な容疑者﹄ 作品社 1980 ︵のち講談社文庫、角川文庫︶ ●﹃遠い森﹄ 作品社 1980 ︵のち集英社文庫︶ ●﹃恋人たち﹄ 新潮社 1982 ︵のち新潮文庫︶ ●﹃鳥のくる庭﹄ 講談社 1982 ︵のち講談社文庫︶ ●﹃風の砦﹄ 新潮社 1983 ︵のち新潮文庫、講談社文庫︶ ●﹃満月﹄ 朝日新聞社 1984 ︵のち新潮文庫︶ ●﹃星の岬﹄ 集英社 1985 ︵のち集英社文庫︶ ●﹃イースターの卵﹄ 朝日新聞社 1986 ︵のち朝日文庫︶ ●﹃窓辺の猫﹄ 講談社 1988 ︵のち講談社文庫︶ ●﹃はなれ駒あそび駒﹄ 講談社 1991 ︵のち講談社文庫︶ ※エッセイ集 ●﹃聖母の鏡﹄ 新潮社 1997 ︵のち新潮文庫︶ ●﹃蝋涙﹄ 講談社 1999 ︵のち講談社文庫︶ ●﹃父の石楠花﹄ 新潮社 2000 ●﹃映像化作品[編集]
映画化[編集]
●﹃挽歌﹄︵1957年、監督: 五所平之助、脚本: 八住利雄, 由起しげ子、音楽: 芥川也寸志︶ ●﹃白い悪魔﹄︵1958年、監督: 齋藤武市、脚本: 植草圭之助、音楽: 牧野由多可︶ ※原作は﹁夜の出帆﹂︵﹃いたずら﹄所収︶。 ●﹃挽歌﹄︵1976年、監督: 河崎義祐、脚本: 井手俊郎, 蒼井マキレ、音楽: 馬飼野俊一︶ ●﹃満月 MR.MOONLIGHT﹄︵1991年、監督・脚本: 大森一樹︶ ※原作は﹃満月﹄。テレビドラマ化[編集]
●﹃挽歌﹄︵1961年放送、1966年放送、1971年放送、1982年放送︶ ●﹃私は忘れたい﹄︵1972年 - 1973年放送、1977年放送︶ ※原作は﹁星から来た﹂︵﹃北の林﹄所収︶。 ●﹃春のもつれ﹄︵1974年放送︶ ※原作は﹃輪唱﹄。 ●﹃さよならの夏﹄︵1976年放送︶ ※原作は﹃廃園﹄。関連文献[編集]
●永田秀郎 ﹃﹁北海文学﹂の航跡 : 作家、原田康子﹁挽歌﹂のナビゲーション﹄ 言海書房、2003年5月。 ●原田康子 著、北海道文学館 編 ﹃原田康子の北海道 : 小説﹁挽歌﹂から50年﹄ 北海道立文学館、2005年9月。 ●北海道文学館 編 ﹃原田康子 : ﹁挽歌﹂から﹁海霧﹂まで﹄ 北海道新聞社、2010年10月。 ●盛 厚三 ﹃﹁挽歌﹂物語 : 作家原田康子とその時代﹄ 釧路市教育委員会︿釧路新書﹀、2011年10月。脚注[編集]
注釈[編集]
(一)^ ﹃'89 : 北の文学﹄掲載の原田康子のプロフィール紹介に﹁︹昭和︺24年から東北海道新聞社の記者となる。同じ年、﹃北方文芸﹄に﹃冬の雨﹄を発表、以後意欲的な創作活動を続ける。﹂︵p. 81︶とある[2]。﹁冬の雨﹂を掲載した﹃北方文芸﹄は1949年︵昭和24年︶3月から1952年︵昭和27年︶3月までに全5号を刊行した釧路の文芸同人誌で、札幌で1968年︵昭和43年︶1月に創刊された同題の月刊文芸誌﹃北方文芸﹄[3]とは異なる。﹃北海道文学大事典﹄の釧路﹁北方文芸﹂項︵鳥居省三執筆︶は、﹁創刊時の同人はほとんど、戦前に何らかの形で文学活動を持っていた。掲載された作品では渋谷芳雄﹁白い夜﹂、京谷健﹁北国の恋情﹂、佐々木武観﹁淡雪﹂︵戯曲︶が創刊号で注目を浴び、2号の原田康子﹁冬の雨﹂は事実上原田の処女作と位置づけていいもの。﹂﹁廃刊時の同人は、いわば世代交代現象を起こしていて、その後すぐ鳥居省三を中心とした﹁北海文学﹂の創刊に、ほとんどの作家が移行した。﹂と記す[4]。
(二)^ 原田は2002年︵平成14年︶に開催された﹃北海文学﹄創刊50周年記念会に出席している[5]。
出典[編集]
(一)^ ab共同通信 (2009年10月21日). “作家の原田康子さん死去 小説﹁挽歌﹂﹁海霧﹂など”. 47NEWS︵よんななニュース︶. 全国新聞ネット. 2009年10月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月27日閲覧。
(二)^ abcde北の文学フェスティバル実行委員会︵監修: 木原直彦, 神谷忠孝︶ 編﹃'89 : 北の文学﹄︵改訂版︶北海タイムス社、1990年6月、81頁。 ※山川黎﹁原田康子 : 夢みるころを過ぎても﹂末尾の原田のプロフィール紹介。
(三)^ “月刊文芸誌﹃北方文芸﹄︵﹃カムイミンタラ﹄1991年05月号/第44号︶”. ウェブマガジン カムイミンタラ〜北海道の風土・文化誌 (1991年5月). 2023年4月12日閲覧。
(四)^ 鳥居省三﹁北方文芸﹂﹃北海道文学大事典﹄、北海道新聞社、1985年10月、585頁。
(五)^ 盛 厚三 (2009年10月22日). “作家原田康子さんが亡くなった”. ﹁北方人﹂日記. 2023年4月12日閲覧。
(六)^ “原田康子”. 新潮社. 2023年4月12日閲覧。
(七)^ 市立釧路図書館 (2010年10月2日). “釧路発、北海文学─鳥居省三と原田康子”. 市立釧路図書館のブログ. 釧路市立釧路図書館. 2023年4月12日閲覧。
(八)^ 岡和田 晃 (2019年3月31日). “釧路文学というトポス︵2︶〜原田康子・鳥居省三・宇多治見”. シミルボン. 株式会社ブックリスタ. 2023年4月12日閲覧。 ※収録は2018年2月1日。
(九)^ 種村 剛﹁地域イベントとしての朗読会に関する事例研究 : 釧路朗読会の事例を中心として﹂﹃自然・人間・社会﹄第52巻、関東学院大学経済学部教養学会、2012年1月、116頁。 ※記述の典拠として鳥居省三﹃釧路文学運動史 : 戦後編﹄︵釧路市︿釧路叢書﹀、1978年︶が示されている。
(十)^ 岡和田 晃 (2019年3月30日). “釧路文学というトポス︵1︶〜原田康子﹃挽歌﹄”. シミルボン. 株式会社ブックリスタ. 2023年4月12日閲覧。 ※収録は2018年2月1日。
(11)^ ab﹁原田康子さん死去‥作家‥﹃挽歌﹄ベストセラー81歳﹂ 毎日新聞 2009年10月22日、14版、29面。
(12)^ “原田康子さんの観戦記”. 将棋ペンクラブログ. 将棋ペンクラブ (2009年10月22日). 2023年5月13日閲覧。
(13)^ “作家 原田康子さん死去︵動画︶”. 北海道新聞デジタル. 北海道新聞社 (2009年10月21日). 2023年3月27日閲覧。 ※生前の原田の動画を含む。
(14)^ “︻図書館︼企画展﹁原田康子の足跡とその作品展﹂”. 釧路市ホームページ. 釧路市 (2023年1月16日). 2023年3月26日閲覧。
(15)^ “﹁挽歌﹂の直筆原稿も 釧路で原田康子さん生誕95年企画展”. NHK 北海道のニュース(北海道 NEWS WEB). NHK (2023年2月8日). 2023年3月27日閲覧。
参考文献[編集]
- 山川 黎「原田康子 : 夢みるころを過ぎても」『'89 : 北の文学』、北海タイムス社、1990年6月、78-81頁。
関連項目[編集]